テアトル梅田で『ずっとあなたを愛してる』(フィリップ・クローデル監督)を鑑賞しました。
「メルシー」
レアに向けてジュリエットが発した、たった一言のこの言葉が胸を打ちます。
story
15年の刑期を終えたジュリエット(クリスティン・スコット・トーマス)は妹レア(エルザ・ジルベルスタイン)の家庭に身を寄せる。義姉への不信感を抱くレアの夫リュックはぎこちないが、彼の老父や2人の養女は屈託なくジュリエットを迎え入れるのだった。2週間に1度警察に出頭しながら就職先を探すジュリエットの心は深く閉ざされたままだ。愛する息子を自ら手に掛けた理由を裁判でも決して語ることはなかった姉。その心に近づきたい一心でレアは誠心誠意向き合おうとする。 (※写真、storyとも映画情報サイトより転載させて頂きました。)

鑑賞のあと暫く経って、その存在感がひたひたと押し寄せてきたのは“オリノコ川に旅立った”フォレ警部(フレデリック・ピエロ)でした。
人は皆、何らかの形の闇を心に抱えているのだと思い知らされるのです。
その闇の中でもがき、やがて再生への道を歩み始めるジュリエットの姿が丁寧に且つ鮮やかに描かれる一方で、警部の突然の旅立ちが滓のように心に残ります。
彼とジュリエットは、どこか似ているところがあったのかもしれません。
彼が旅立つきっかけとなったのはもしかしたらジュリエットだったのかもしれないし、ジュリエットに「生きる」ことを自覚させたのは彼の旅立ちだったかもしれないとさえ思うのです。
警部の旅立ちを知ったジュリエットは、あの時、自分の中に思いもよらず「生」への叫びを感じ取ったのではないでしょうか。

それだけに、ジュリエットの再生を思う時、フォレ警部の存在が頭を過ぎります。
彼に再生の道はなかったのでしょうか。
妹レア、姪のプチ・リス(リズ・セギュール)、ポールおじいちゃん(ジャン=クロード・アルノー)、友人ミシェル(ロラン・グレヴィル)の存在にはいろんな形の愛を見ました。
レアの無償の愛は何にも替えがたきもの。ただもう、そこにある苦しみを取り除いてやりたいのだという想いが切実に迫りくるのです。
プチ・リスは、目の前のジュリエットがそのままジュリエットだと受け止めてくれる無垢な存在。そこに「過去」は介在しないのですね。
家族の喪失を体験し内省的な部分を併せ持つミシェルは、つねに世間の“反対側”に立てる人間。彼の、決して押し付けない、けれど揺らぐことのないであろう愛は、身を委ねることができればこれ以上の安寧はないだろうと思えます。
頑なに閉じられた心が少しずつ呼吸を始める姿が、そっと優しく、しかしながら鮮やかに映し出していくのです。

終盤で明かされる「真実」はある程度予測できたことでもあり、本作のテーマを大きく左右するものではないと思えました。
むしろ、脚本・監督を手がけたフィリップ・クローデル自身の道徳観が色濃く反映されているものだと感じます。
何より、スクリーンを見つめる者はみな、理由を斟酌するよりもジュリエットのこれからを願う気持ちで満たされていたと思えるのです。
差し出された手に怖々ではあるけれど触れようとするかのような、優しみを感じるあのラストはよかったです。

戴いたモエエ・シャンドンのロゼで乾杯。
ほんのり甘く優しい含み香がキレよくすっと爽快感に変わります。
この映画を思っていただくに相応しい、優しく美しいお酒です。
Yさん、美味しかったです、ありがと〜う。

本作、エリック・ロメール論、クロサワ論、ドストエフスキー論なんかが登場するところもなかなか興味深かったです。
劇中の台詞によれば、「日本の映画は眠くなる」のだとか。
フォレ警部の事がまず気にかかるというのが、
なんていうか、ぺろんぱさんらしいなぁと思いました。やっぱり優しい方なんだなぁと。
勝手な解釈をお許し下さいませ〜。
おっしゃるように、ジュリエットと少しずつ打ち解けていく過程で
彼に何か変化があったのかもしれませんね。
それが、彼にとって良いきっかけになればよかったのに。。。と思いますが。
単純にそうもいかないのが現実かもしれないなぁと感じました。
人の心ってつくづく不思議ですね。
男女の情熱的な“愛”ではなく、こういう“人間愛”を描いた物語には、
すごく惹かれるものがあります。
レアの夫だけが、薄っぺらな人物像の様な気もしましたが、
一般の世間の反応(受刑者に対する)を象徴する人物としての設定やったんでしょうか。
ちょっと気になりました。
モエエ・シャンドンのロゼ。
うーん、美味しそう。飲んでみたいです。
クリスコさんなんですね。
『ランダム・ハーツ』以来、余りワタシはお見かけしてない
ような気もします・・
邦画、眠いのかぁ・・むにゃむにゃ・・
クリスコさんwは出演作たくさんありますが、代表作のイングリッシュ・ペイシェント等、やたらに不倫妻役が多かったんですよね。
で、このたびの役どころはいつものイメージと違うタイプでしたが、新境地という感じでとてもよかったですよね。
それぞれの俳優さんの演技にしても、人物造形の深みにしても素晴らしかったです。
オリノコ川に旅立ったフォレ警部のことは残念でしたが、彼もとてもステキな人でした。
人との関わることで傷つくことも多々あるけど、出会いがあるから生きていけるんだなぁって。
「優しい」と評して頂いてありがとうございます。でも優しいというよりも私はウェットなだけだと思います、多分。^_^;
フォレさんは、一緒だと思ってたジュリエットがふっと舞い始める瞬間を感じ取ってしまったんじゃないかと思うのです。・・・ああ、でも分かりませんよね、本当のところの人の心って。ゆるりさんの仰る通り、「つくづく不思議」なものなのですよね。
私も(私の場合は年のせいか?)男女間の情熱的な愛・愛憎を描いたものより、広義での愛のあり方みたいなものをテーマにしたものに惹かれます。本作はそういう点で、ヘンな拒絶感なく入っていけた気がします。
>レアの夫
そうですね。
私は、自分の姉に対してのあれだけの見解の相違を一度でも見てしまった夫に対して、レアがその後も変わらず仲睦まじい夫婦でいられるのか、すごく心配してしまいました。あの時点で決別があったとしても不思議は無かった気がします。(でもそうならなくて良かったんですけれどね。)
モエエのピンク。
バレンタインデーに挙げるのもどうかと思うくらいに全く“色気のない”乾杯でした〜。
でも美味しかったです!(*^_^*)
>クリスコさん
またTiM3さんお得意の略称のお遊びかと思いきや・・・続いてコメント頂いているかえるさんも「クリスコさん」とご表記されてて・・・となると私だけが知らなかったのですね、「クリスコさん」! (^^ゞ
私はクリスコさんをきちんと向き合って観たのは本作が初めてだと思います。過去作で出演されてる作品も一つ、二つ観ているみたいですがクリスコさんの記憶がありません。
“メークダウン”して臨んでおられた本作でしたが、眼力というか、眼差しから漂う「憂い」が何とも魅力的でした。
>邦画
多分、往年の小津作品とかのモノクロ映画を評しての事なのではないかと想像しました。
眠いっていえば、私はフェデリコ・フェリーニ作品が真っ先に浮かびますけどね。^_^;
先ほどのコメントにも書いたのですが、私はクリスコさんをスクリーンで“ちゃんと”観たのは本作が初めての気がします。
そうでしたか、、、いつもとは違った役どころだったのですね。
>人物造形の深み
そうでしたね。そういうところもとても丁寧に作られていましたよね。
集まってくる食事会の仲間たちにしても、殆ど台詞も数えるくらいという人物でも意外としっかりとキャラ設定が為されていた感じがしました。
フォレさん、さりげない笑顔が素敵でした。
でもあの笑顔も深い孤独に裏打ちされたものだったのですね。
しかし考えてみるに、、、あの「旅立ち」をさらりと(単に流すのではなく、さりとて留めることなく淀ませずに)一点で断ち切ってその後のジュリエットの再生への辿りを描いたところが、この映画のよさだったのかなぁと思えるのです。
大切にしなくてはいけないものを、生きているジュリエットが分かり、大切にしながら。
鑑賞後もじわじわ迫ってきてる作品です。
雨続きで、遠くのシネコンまで足を運ぶ気になれぬ・・(・ω・)
>・・・となると私だけが知らなかったのですね、「クリスコさん」! (^^ゞ
いや、グーグル検索しても、引っ掛からないし・・(苦笑)
>過去作で出演されてる作品も一つ、二つ観ているみたい
>ですがクリスコさんの記憶がありません。
『ミッション:インポッシブル』にも出たはりましたけどネ。
すぐに退場されましたが、、(×_×)
>眼力というか、眼差しから漂う「憂い」が何とも
>魅力的でした。
確かにアンヌイですね。
>眠いっていえば、私はフェデリコ・フェリーニ作品が
>真っ先に浮かびますけどね。^_^;
ワタシの場合は『シン・レッド・ライン』でした。。
前にも書いたかも・・(・ω・)
と言うことで・・「クリスコ」呼称は地方ルールで良いと思います(=^_^=)
そうなのです、『ミッション・インポッシブル』でのクリスコさん、どの役だったか思い出せません。しゅん。
眠くなる映画、
そういえば、私の大好きなカウリスマキ作品も某友人には「『浮き雲』観たけど眠たかったわぁ〜」とバッサリ切り捨てられていましたっけ。しゅんーU。
>クリスコ呼称は地方ルールで
いえいえ、長い名前をちゃんと覚えていられるように「略称推進委員会」発足させましょう。
委員長はTiM3さんで。
>そうなのです、『ミッション・インポッシブル』での
>クリスコさん、どの役だったか思い出せません。しゅん。
工作員役で、最初のメンバーにおられました。
大使館でターゲットのゴリツィンと言うおっちゃんの後頭部に
香水のスプレーを吹き付け、黄色い(?)マーキングを施す
役回りでしたっけ・・
そう言われて「ああ、あの役ね」と思いだせない自分の拙い記憶力を不甲斐無く思いながら、またこの次に『M.I』を観られる機会の楽しみに取っておきますね。
ありがとうございました。(*^_^*)
フォレ警部の突然の死は私も衝撃的でした。
確かにそれがきっかけで
ジュリエットは何らかの変換期を迎えたかのように
映画でも描かれていましたね。
でもあの優しく穏やかな警部もまた
心に闇を抱えていたなんて・・・。
監督の,傷ついた人間に対する優しく細やかな視線が
とても心地よい作品でした。
フォレ警部の死は衝撃でしたね。
そして、更に悲しかったのは、もしかしたらジュリエットの再生の兆しこそが彼の孤独感を一層深めさせてしまったのかもしれないなぁ・・・と感じたりしたからでした。
人の心に横たわる深い深い闇、分かろうとしても(多分本人でさえも)真には分かり得ないものなのかもしれませんね。
それだけに、ななさんの仰る通り監督の優しい、寄り添うような視線が嬉しかったですね。
重いテーマながら決して居丈高でない、深い慈しみが感じられたのでした。