17日(土)はOS阪急会館にて『ラストキング・オブ・スコットランド』(ジャイルズ・フォーデン原作、ケヴィン・マクドナルド監督)を観てきました。
実在した政治家アミンの独裁振りを側近となった白人青年医師の視点で描いた物語ですが、社会派ドラマというより「人間ドラマ」として、人間の持つ弱さとそこから生まれる狂気をまざまざと見せつけられてきました。
story
かつてのウガンダの独裁者、アミン大統領政権の内幕を大胆に脚色した社会派サスペンス。
1971年、スコットランドの医学校を卒業したニコラス(ジェームズ・マカヴォイ)は、診療所で働くためにウガンダにやって来る。
ある日、彼はアミン新大統領(フォレスト・ウィテカー)の演説を聞きに行った帰り道で、偶然にも大統領の捻挫の治療をすることになる。
大統領から気に入られたニコラスは、アミン一家の主治医になるが……。 (シネマトゥデイより)

怖いですね・・・もの凄く怖かったです。
希望に満ち溢れ、「海外赴任医師」の麗句に酔い、全てが旨く運んでいるはずだった自分の人生が、気付いた時には抜け出られない底無し沼の中に入り込んでしまっているという事実。
彼は確かに軽率な部分はあったかもしれません。そして事の順風満帆さにほんの少しの“勘違い”もしたかもしれません。
けれどそれが彼の人生をあれほど残酷なものに変えてしまうとは・・・。結果的に、そう、意図せずして「結果的に」彼は殺戮の一翼を担い同胞を死なせ、そして自らも地獄の責め苦を味わう事となってしまったのですから。怖いですね。
もう一つ、別の怖さも描かれています。
それは、決して独裁政治を引こうとしていたわけではないアミンが権力の座に着き、そのカリスマ性で多くの民がひれ伏す中、守らねばならないその「権力の座」にがんじがらめになり、次第に自己の中に巣くう孤独と猜疑心で狂気を身にまとっていく様です。
誰も信用できない・・・本来、民を守るべき立場の自分が、大統領の名を守るために多くの民の殺戮を繰り返していくのです。

人間は本来弱きもの。そこに、群集が作り上げてしまったカリスマ性をまとったアミン大統領という「虚像」が加わり、アミンもまた何らかも“勘違い”をしてしまったのかもしれません。
ニコラスが地獄の責め苦を受けながらアミンに放った「貴方は子どもだ。だから余計貴方が怖い。」の言葉がとても印象的でした。
ニコラスがどこかで地獄を回避できた道はあったのか、考えてみました。
気付いてアミンのもとを去ろうとした時はもう遅かった。
何人かの不可解な行動を注視し、何人かの意味深な言葉に耳を貸すべきだったか・・・?いえ、それももう遅かったはず。
最初に契約を結んで赴任した過疎の村を離れるべきではなかった・・・いえ、一度アミンのもとに客人として招かれた時点でもう逃れようの
ない歯車が動き出してしまったはず。
私は、ニコラスが一瞬のうちに牛を銃殺したこと、あれが事の起こりのような気がしてならないのです。
苦痛に喘ぐ牛を楽にしてやることは医師として当然のことだったかもしれません。けれど、冷静な医師としての判断よりも、彼はあの時、“苛立ち”をもって苦痛に苦しみ鳴く牛を殺したのです・・・瞬時に・・・しかも銃で・・・。
あの一瞬の行為が、傍で見ていたアミンの心に何らかのスイッチを入れてしまったような気がするのです。
銃を持つ事の無い日本人のうがった見方に過ぎないのかもしれませんけれどね・・・・。

フォレスト・ウィテカーは、黒い肌に血走った白眼を光らせた迫力で、圧倒的なアミン像を見せてくれました。
ジェームズ・マカヴォイは『ナルニア国物語』でのタナムス役での優しい印象も吹き飛ぶほど、恐怖に震える生身の人間をリアルに演じていました。見開かれた目の、青く澄んだ虹彩が悲しくも美しかったです。

さて、劇中、恐怖に駆られるニコラスは何度もウィスキーをストレートで喉に流し込んでいきます。
恐怖から少しでも逃れるために。・・・心に痛い。
でも彼が医師となったことを祝うスコットランドの家族との宴では、シェリー酒で乾杯をしています。その幸せな乾杯のシーンは、改めて思い返すととても辛いですね。
シェリー酒は、私もこの映画を観に行くちょうど三、四日前に飲みましたよ。
ごくたまに行く北新地の<スパッカ・アルバータ>というワインショップ<エノテカ>がプロデュースしているという地中海料理とワインのお店です。
シャンパンやワインは勿論の事、シェリー酒や各国の地ビールも置いてあります。


最初に一杯は 前菜の盛り合わせ
スパークリングで・・・ 見た目も綺麗です
ここに来るとワインのあとでシェリー酒を最後には必ず飲みますが、時には4種類そろえてあるシェリーを飲み比べてみる事もあります。
定番のドライなものもいいですが、最後にデザート的感覚でいただくトロリと甘い<デルガド・スレタ>も魅力的なシェリー酒です。
暫くは、シェリー酒をいただく度にこの映画を思い出しそうです。
映画で祝杯のシーンはほんの一瞬だったんですけれどね。
フォレスト・ウィテカー・・ホンマに個性派ですよねー。
近作はちと縁がないのですが、『クライング・ゲーム』と言う過去の出演作でも、眼を覆いたくなるシーンがあったような・・ウィテカー氏がご臨終になる場面なんですがね。。
私は『クライング・ゲーム』ではじめてフォレスト・ウィテカーを知りました。その後は『パニック・ルーム』でしたか・・・。いい人的な役だったので今回はそう言う点でいい意味での意外性がありました。クライング…での目を覆いたくなるシーン・・・劇場に観に行ったのに何故かそのシーンが浮かびません(-_-;)。機会を作って復習してみます。
TBさせていただきました。
恐かったです。ホント恐かったぁ〜
地下室と空港でのシーン...忘れたいです!
そしてフォレスト・ウィテカー演じるアミンの威圧感には
恐怖すら感じました。
私も ぺろんぱさんが書かれているように、
牛を銃殺したあの時から、ニコラスの歯車が狂い始めた気がしてなりません。
>機会を作って復習してみます。
うーん・・
レイ・リオッタファンが『ハンニバル』を観るとか、
クリスチャン・スレイターファンが『ウィンド・トーカーズ』を観るとか、
みたいな感じで・・あんまりおススメ出来ないかも。。
にしても『パニック・ルーム』はさっぱりでしたね。。デヴィッド・フィンチャー監督“擁護派”がアレを観てパニック状態になったとかならないとか・・(=^_^=)
コメントとTBありがとうございます。
怖かったですねぇ、痛かったですねぇ。
アミンの演説のシーン、あれも今思えば怖かったです。「I'm you !」と民衆に訴えるあの圧倒的な力・・・観ている私まで思わず「ウガンダ万歳!」って叫びそうになりました。カリスマ性の持つ怖さですね。
今からTBして頂いた記事へお邪魔します!
レイ・リオッタファンの例えは分かりますが、クリスチャン・スレイターのは観てないもんで分かりません(^_^;)。
でもやっぱりいつか復習してみます。
パニック・ルームは観に行ったんですが、う〜ん、それでも結構私は入り込んだ記憶があるんですが・・・(^_^;)。
夜間、ぬくくなって来ていて嬉しいです(=^_^=)
>パニック・ルームは観に行ったんですが、
>う〜ん、それでも結構私は入り込んだ記憶があるんですが・・・(^_^;)。
オープニング、クレジットをビルの窓に映し込んだりする処理は素晴らしかったですけどね!
同様に『運命の女』ちぅ映画のオープニングクレジットも一見の価値はあるかも、です☆
>巣くう孤独と猜疑心
なるほど。良さそうですね。
フォレスト・ウィテカーすごく好きなんですよ。「バード」っていう作品がすごく良くて「フォーンブース」でも光ってたから今回この作品でオスカーゲットは嬉しいです。
高松の劇場に来月かかる予定なので、早く見に行きたいっす!
(時々は覗きに行かせて頂いていましたよ(*^_^*)ユニクロの動画、ほのぼの♪)
(「痛い」「怖い」シーンには心して)是非、御覧意なってください!私は「バード」も「フォーンブース」も観てないです・・・「バード」、チェックしてみます。
何度か目をつぶったりしながらも、最後まで観る事が出来ました。
ぺろんぱさんと同じように、ニコラスがこの底なし沼を回避できたのか、
私も考え、同じくあの牛のシーンに戻りました。
ただ、あの時アミンは彼の知的でいながら素早い判断、実行力、若さに惹かれたのだと思いましたが。
若さからくる自信―それを欲しがっていたように感じました*
いろんな国の人を傍に置いておきたい・・キタの国の独裁者を思い浮かべました(~~;
目を覆うシーンはつらかったですよね、しかし耐えてこその「今」です。
>若さからくる自信―それを欲しがっていたように
なるほで、ですね。
いずれにせよ、彼とアミンは出会うべくして出会い、引き合うべくして引き合った者同士なのですね。
キタの国の独裁者・・・いつかあの体制も必ずや崩壊の時を迎えるのでしょうね。