2010年04月18日

だれのものでもないチェレ(ニュープリント復活上映)

 
 お正月に行って以来、久々のシネ・ヌーヴォへ。
1976年に制作されたハンガリー映画『だれのものでもないチェレ』(ラースロー・ラノーディー監督)観てきました。
10人を少し超える程度の入りで少しばかり淋しくもありながら、私にとっては絶好の鑑賞空間だったのでした。(ヌーヴォさん、ごめんなさい。もっと大入りにならないとダメなのですよね。)

story
  1930年代初頭、人権が保障されなかった独裁政権下のハンガリーでは孤児たちは養子に出され、少女チェレ(ジュジャ・ツィノコッツィ)もある農家に引き取られていた。裸のまま働かされ、飢え、寒さ、虐待に耐える日々を送るチェレだったが、使用人として働く老人の優しさに触れ、初めて人の心を知る。だが、チェレにはさらに過酷な運命が待ち受けていた。 (※story、写真とも映画情報サイトより転載させて頂きました。)

                 チェレ.jpg

1930年代のハンガリーの農村。
美しく牧歌的な風景に、少女チェレの運命の悲惨さが余りにも痛々しい。
しかしそれ以上に、7歳の少女が示した自由への希求と、抗うべきものには抗う意志の強さに驚かされた思い。

フランクリン・ルーズベルトの「4つの自由」をふと思い出しました。
「言論と表現の自由」
「信仰の自由」
「欠乏からの自由」
「恐怖からの自由」

自由と解放、母の愛を求めて一歩を踏み出したチェレが傍らの牛に言った言葉は印象的でした。
「ついてくるのも帰るのもお前の自由よ。」
まさにその自由を“今、私は手に入れるのよ”とでも言わんばかりに彼女の瞳が輝いていたのも印象深かったです。


意志の強さに垣間見える7歳の少女本来の無邪気さと、束の間の母の愛に恍惚とする愛への飢えが、更に痛ましさに拍車をかけます。

「若さがあれば生き抜ける」
心優しい老人の言葉に全てを託したい気持ちでしたが、「死への自由」までが加えられたかのように思われる最後は悲し過ぎます。
しかしあの瞬間、チェレは母の愛と希望ある永劫の生に抱かれたのだと思うと救われる気がしないでもありません。あの炎は全てを浄化するものだったのかもしれないな、と。


あらゆる「暴力」は、為される者も為す者も蝕んでゆくのですね。
初めの養母もさることながら、二度目の養母・ジャバマーリの心は完全に病んでいました。彼女には早晩、心の崩壊が訪れたはずです。
時折見せる物憂げな眼差しが終始気になっていたのですが、ハンガリーという国柄を思うに、ジャバマーリは何かの象徴として描かれていたような気がします。その辺りはハンガリーの歴史をもう少し勉強する必要がありそうです。


主演のジュジャ・ツィノコッツィは光る原石的な鮮烈な印象を受けました。どんな女優さんに・・・と思いきや、ネットで調べてみるとどうも出演は本作のみのような感じです。大人になった彼女を観てみたかったです、とても。


                  スペイン 赤ワイン.jpg
  
  会社近くのスペイン料理のバールで。
チェ・ゲバラの似顔絵がさりげなく飾られていました。 サーブしてくださった女性も素敵でお料理もとても美味しかったのですが、グラスワインの量が“small , tiny”でちょっぴりテンションが下がってしまいました。呑んべえの哀しき性ですね、すみません。

・・・ジュジャ・ツィノコッツィさんのその後、ちょっと知りたいなぁと思う今です。
posted by ぺろんぱ at 21:05| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記
この記事へのコメント
ばんはです。

わー、重そうですね。

想像するに・・ラストは『パンズラ(ビリンス)』な感じを
予想してしまうワタシです、、
Posted by TiM3 at 2010年04月19日 01:14
TiM3さん、こんばんは。

>ラストは『パンズラ(ビリンス)』な

そうですね。
ああいう“明確さ”と“華やかさ?”はないのですが、私は同じような匂いを感じ取りました。
「違う!」っていう感想もきっと多数あるとは思うのですが。

重たいようでどこか美しくもある本作でした。
もしも機会がございましたら是非に。(*^_^*)
Posted by ぺろんぱ at 2010年04月19日 19:51
こんばんは。
今週も大入りとはいかなかったようですね。。。。

昔、学校で見た「汚れなき悪戯」という映画を思い出しました。
「チェレ」のネタバレになってしまいますが、
(結末を知りたくない方は、この先ご注意!下さい!)
この映画では少年の「天国のママの所に行きたいと」いう願いは
キリストに受け入れられます。
おだやかにさえ見えるこの少年の“死”と
「チェレ」のそれは印象としては全く違います。
「チェレ」の映像に映し出された“火”は、
聖なるものを象徴してるかのようでもあり、
同時に恐怖も感じさせ、美しくもありました。
どちらの作品も、死生観みたいなものを考えさせられる
という部分で共通してたんだと思います。

恐くて綺麗な映画ですね。
Posted by ゆるり at 2010年04月19日 23:56
わ〜、ご覧になったんですね。
私は感想が書けないまま、記事は埋もれてしまっています(^^;

ラストの捉え方としてはほぼぺろんぱさんと同じですが、
もう序盤で打ちのめされてしまいました。
時代背景があるとしても、かくも老人子供の生き難い社会に絶望してしまいそうでした(;_;
事実は少し違っているようですが、ほぼラスト以外は作者の「出会った」物語だそうで、
あのラストはとても深い意味を持つものだという気が私もしました。
Posted by kira at 2010年04月20日 00:13
ゆるろさん、こんばんは。(*^_^*)

>「汚れなき悪戯」という映画

私もあの映画は印象的でした。
・・・そうですね、あのラストは“召された”っていうイメージですが、本作でのそれは“自ら(そこへ)身を投じた”っていう感じですものね。
美しいだけではないけれど、火・炎には心を沈静化、或いは無の状態に帰させる力を秘めているように感じます。
丁度、今度のヌーヴォで特集上映予定のタルコフスキー監督の『鏡』での炎のシーンが映し出されていたので、余計に本作でのラストが「精神的な昇華」に繋がるものと感じてしまったようです。

>死生観みたいなものを考えさせられる

なるほど、と深く頷く思いです。
やはり映画って奥深いですよね。

ゆるりさんが御鑑賞の時も大入りならぬ「小入り」だったのですか?でもそれも一つの“ヌーヴォ・カラー”なのでしょうかねぇ・・・。
Posted by ぺろんぱ at 2010年04月20日 19:58
kiraさん、こんばんは。
やはりご覧になっていたのですね(*^_^*)。

>序盤で打ちのめされて

そうですね。
冒頭の事件にしてもかなり精神的にキツかったですものね。養母に「背中を痛めてるんだから」と言って貰った、たったそれだけのことで嬉しさでうっとりとしたチェレが不憫でなりませんでした。

>ほぼラスト以外は作者の「出会った」物語

なんとモデルになった女性がいたそうですね、驚きました。
本作のラスト年と違う道?を辿ることになったその女性の人生はどのようなものだったのでしょうね。
Posted by ぺろんぱ at 2010年04月20日 20:14
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Excerpt: 監督・脚本:ラースロー・ラノーディ 原作:ジグモンド・モーリツ 脚本:ユディト・エレク 撮影:シャーンドル・シャーラ 音楽:ルドル...
Weblog: ゆるり鑑賞 Yururi kansho
Tracked: 2010-04-19 23:32