うちの猫は持病があって、もう何年も定期的に検査通院をさせております。
完治がない病気なので一生つきあっていくしかないようですが、今診て下さっている動物病院の先生はとても信頼できる良い先生です。
犬の予防接種期とも重なって春のこの時期は研修医の方々を受け入れておられるのですが、そのお一人の女医さんが、検査を受けるうちの猫に「じっと我慢してておりこうさんだね〜」って言って下さいました。そう言われてデヘヘと相好を崩してしまう私は、なんというか、やっぱり猫親バカですね。
この週末はシネ・ヌーヴォへ『鏡』(アンドレイ・タルコフスキー監督)を観に行って参りました。

これは1975年の作品(日本公開は1980年)ですが、「ロシアが生んだ奇跡 タルコフスキーとカネフスキー特集」と銘打たれてのリバイバル上映で、タルコフスキーは好きな監督ですし滅多にスクリーンで観る機会がないので時間的にあうものがあれば観に行きたいと思っていました。
『ノスタルジア』の映像美も好きですが上映に間に合わず。しかし『鏡』の映像世界も、異次元に誘われるような不思議な陶酔感を味わえるものです。初めて観たのは遥か以前にVIDEOで、でした。やはりスクリーンで得る感覚はより一層大きなものでした。
story
A・タルコフスキーが、自伝的な心象風景を独自の水と火をモチーフにして映像の中に展開した美しい映像詩。木々に囲まれた木造りの家にたたずむ母の思い出、母に似た妻ナタリアへの愛と別離、そして戦争の悲劇……。A・タルコフスキーの実父で詩人の、アルセニー・タルコフスキーの詩が監督自身の朗読により効果的に挿入されている。 (※story、写真とも映画情報サイトより転載させて頂きました。)

「story」として挙げていますが、本作に筋書きはありません。
監督の想いが様々な形の映像となって、時間軸も空間軸も様々な交錯を見せながら語られていく「一遍の長い長い詩」のようです。
木々をないで渡る風。
母がたらいで洗う髪から滴り落ちる水。
天井から滴り落ちる水、そして崩れゆく天井。
テーブルから倒れ落ちる水差し。
少年の手で捲られてゆく書物。
庭で炎に焼かれる物置小屋。
鏡に映る母、そして、鏡に映る幼少期の自分。 etc.・・・
それらの一つ一つは、時に心をざわつかせ、時に孤独の淵に追いやり、そして時に遠き自分の居た世界への郷愁めいたものも感じさせてくれるものです。
観ていると、何処かの遠い国に独り放り出されたような胸が締め付けられる孤独感を感じると同時に、どこかで聖なるものに見守られているという思いも感じるのです。限りなく静謐であり、また、まるで死ぬ間際の人間が脳裏に描く心象風景のようなものもあり、それらはいたたまれぬ程の淋しさも漂うのです。不思議な世界です。

母マリア、妻ナタリア、そして祖国ロシアへの思いがとても強く感じられ、その思いの強さがいずれも「全てから遠いところにきてしまった」という「大きな喪失感」に繋がっている気がしました。
幾度か挿入される戦争をめぐる実録映像も、タルコフスキー映像の「静」とは打って変わって「生々しくうごめく物・時・感情」を感じさせ、監督自身の来し方に色濃く影響を与えたのであろうことが想像されるのです。
理解できたかと問われればYESとは言い難く、しかしながら独特の映像への陶酔感、それが最大の魅力なのだと感じながら解らぬままの自分を納得させています。
音遣い、音楽遣いがとても巧い監督であることも改めて実感。

映像が魅力の作品といいながらも終盤で語られた「僕は幸せになりたかったんだ」の一言が妙に尾を引いたのでした。
久々に自宅でスコッチ・ウィスキーを。 線が細い感じもするのに味わいは深い感じです、シーヴァス・リーガル。
そうそう、猫は今「換毛期」でブラッシングが大変です。たっぷり毛を梳いてすっきり、のウチの猫クンです。


さっき『300』の録画してたのがタイマー終了しましたっけね。ロドリゴ・サントロ様の“怪演ぶり”が楽しみです(=^_^=)
本作って、同年の製作にクロサワ監督の『デルス・ウザーラ(1975)』があるんですよね・・
クロサワが日本映画界に(いったんの)見切りを付け、ソビエトに発った年、でもありました。
タルコフスキー監督と言えば、例のSF・・まだ観れてなくて。。
本作はモノクロでしょうか? (でないとすれば)色彩の落とし方が、なかなかに印象的ですね。
>ロドリゴ・サントロ様
おお!『フィリップ、きみを・・・』での「麗しき愛人」役が私的に記憶の“さらっぴん”にある御方ですね。(*^_^*)
私もチェックしておくべきでした、いつも「後の祭り」な私です。
>クロサワ
共に名を成していた監督氏なので影響を及ぼし合っているところはあったのでしょうね。
「水」というモチーフにはどこか繋がりがあるかもしれません。
SFとは『惑星ソラリス』のことでしょうか。
ちょっと長めの作品ですし、いつかお時間のある時にゆっくりとご覧下さいね。
本作はカラー部分とモノクロームの部分とがあります。
今の自分により近い記憶の部分がカラーで撮られていたのだと思います。
確かに仰る通り、カラー部分も「天然色」というには全体的にトーンが低めです。ダークで少し怖いくらいの画もあります。
またいつか機会がございましたら是非に。(^^)
本作品はぺろんぱさんの言葉によると『「一遍の長い長い詩」のようです』ということですから、また深い眠りに入りそうで....どうでしたか?
とにかくこれも映像美として楽しめそうな作品ですね。彼の作品を映画館の大画面で、大きな椅子に座ってみるのがいいのでしょう。
家で観るようなものじゃない気がします。
私もタルコフスキー監督との出会いは『惑星ソラリス』でした。
そして凄く衝撃を受け、理解していなかったままにも「この作品が存在しているコトを知ることができてよかった」と、(大袈裟なようですが)そう感じました。
それで、確かその時点で観ることのできたタルコフスキー作品を片っ端からレンタルして観ていった記憶がございます。
『僕の村は戦場だった』は未見のままですが。
(ううっ・・・そうやって考えてみると私は氏の作品の殆どを観たのは自宅でだったのです、しゅん。)
惑星ソラリスは何度か観返しています。やはりイイです。
『鏡』は明確なstoryがない分、寝入りこむ地点?はきっと幾つもあるとは思います。(^^) しかし覚醒した時の瞬間的トリップ感も味わえるのではないでしょうか?!(^^)
タルコフスキーはみんな好きだけど、マイベストは鏡ですー。
こちらにもお越し下さり嬉しいです。(*^_^*)
ベストは鏡なのですね!
『鏡』は、やはり言葉には出来ない引力で引かれる世界がありました。
私は初見の衝撃では『惑星ソラリス』が一番でしたが、意外なところで?『ストーカー』の映像と語り口も凄く印象的だったです!(要はSF好きってことなんでしょうか???)
これを機にまた一つずつ再鑑賞してみたく思います。
『僕の村は・・・』も今度こそ。(*^_^*)