2010年06月27日

BOX 袴田事件 命とは

の土曜、シネリーブル梅田に『BOX 袴田事件 命とは』(高橋伴明監督)を観に行きました。

向かった頃は雨が土砂降りで、サンダルの中までびしょ濡れ状態だった道中、「こんなにまでして映画に行こうとしている私って何なん?」と思ってしまったのでした。
雨女パワーがこんな時に限ってフルに発揮されてしまいました。


story
 1966年に実際に起きた「袴田事件」を基につくられた映画。 
昭和41年、放火された静岡県清水市の味噌工場から、刺殺された一家4人が焼死体で見つかるという事件が起きる。立松刑事(石橋凌)は元プロボクサーの従業員袴田(新井浩文)に目を付け、容疑者として逮捕するが物証はとぼしかった。裁判官として静岡地方裁判所に赴任した熊本(萩原聖人)は、主任判事としてこの事件を担当することになる。 (※story、写真とも映画情報サイトより転載させて頂きました。)

                 BOX.jpg

  名前と大まかな輪郭だけは知っていたこの事件の、余りに多くの“知らなかった細部”に愕然となり、自分の無知さに恥入る思いさえしました。

本作、袴田死刑囚が「無実」であると証明されたわけではありません。
本作は袴田死刑囚を、本当ならば「無罪」にすべきではなかったか、と真正面から問い掛けているのです。
その点に於いて袴田巌というその人を「不運だった」という一言で済ませるには、当時の背景にあった「権力」は余りに大きく歪なものでした。

熊本元裁判官が「無罪」の根拠を幾つも挙げながらも、何故最高裁で上告は棄却され、その後の再審請求も退けられねばならなかったのか。事件後の「時の経過」と「自白の重み」にも暗澹たる思いがします。

熊本氏(萩原聖人)は劇中語っておられました。「(地裁で有罪となり)もし控訴するならば一刻も早く(一審の判決を)覆すだけの新証拠を見つけ出さねばならない」と。
時の経過は証拠を埋没させる最大の「負」なのですね。そしてやはり「証拠」の存在は裁判に於いて限り無く大きいのですね。

                 BOX1.jpg

袴田巌死刑囚には無実を証明するだけの証拠がなかった、それがあまりに悲しい事実。
しかし一方で、彼を有罪にした物的証拠はあまりにも稚拙なものであり、「捏造」は拭えないものだったのもまた、大きな事象。
であるにも関わらず、全ての訴えが棄却されたことを考えると、一度下された判決の持つ重みと変わらぬ権力の壁に打ちひしがれる思いです。

裁判とは一体何なのか。判決とは一体何なのか。
法が人を裁くのではないのか、人が人を裁けるのか、人はそこまで完全無欠足り得るのか。
もともと裁判員制度には(少なくとも現行のそれには)反対の私でしたが、本作を観て更にその感を強くしました。反対というより、少なくとも「制度上決まったことだからやって下さい」というものでは決してあってはならないのではないかと思うのです。

本作、事件の描写や執拗なまでの拷問による取り調べシーン、それらの凄惨さを覚悟の上で、観る価値は大きいと感じました。

「BOX」は3つの意味を内包していたようです。
観念的と取れる終盤のシーンも、唐突のようでありながら、監督の祈りにも似た想いが感じられて私は見入ることができました。



今日は時折晴れ間も見えて暑くなりました。
朝から所用で出掛けて帰宅は夕暮れ時。
ぐったり疲れた身体にこのビールは効きました。
                 
                    エビス熟成限定.jpg

posted by ぺろんぱ at 19:41| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
ばんはです。

ウィキペティアで事件の概要を辿ってみました。

(それまでは「袴田吉彦くんが何か大事件をッ?!」などと、勘違いし過ぎた方向に妄想を飛ばしてました、、)

争点の第一が「自白の強要」ってトコがすごいと言うか・・
全体的に、確かに「(有罪の)怪しい」感がありますね。
(ご本人の人柄は分からないのですが)

重いのだけれど、裁判員制度も実際に始まっており、
観ておくべき作品なのかな? って気はしますね。
Posted by TiM3 at 2010年06月27日 20:26
こんばんは。
私も土曜日の雨の中、12時10分の上映に向かいました。
ぺろんぱさん、サンダル履きだったんですね?!
笑ったら失礼かもしれませんが「私って何なん?」のフレーズに
ちょっとニヤついてしまいました。
リーブルの立地で大雨やし空いてるかも〜と思ってましたが
結構な入りで、袴田事件に対する世間の関心の高さの表れかなぁ等と考えています。

再審請求が退けられた理由は公表されている文章を読んでも、
私には納得できるものではありませんでした。
一般庶民の感覚では、裁判所が単に非を認めたくないだけという気がします。
日本の司法・警察のあり方を考えると袴田事件は氷山の一角であり、
冤罪に苦しんだ人はまだまだいらっしゃるはずだと思い胸が痛みます。。。。

雪の大地でのシーン、新井浩文さんの飄々とした雰囲気のせいか、
私も自然に受け入れることができました。
監督は「映画の中で袴田くんを走らせてあげたいと思った」みたいな
趣旨のことを言ってはりましたが。

やっぱり“エビス”は美味しいですヨネ。
Posted by ゆるり at 2010年06月27日 20:36
TiM3さん、こんばんは。

私もご本人の「巌」という名は知らなかったので、
(冗談抜きで)もし「袴田吉彦」くんの名を言われ
てても違和感なく聞きながしてたと思います、はい。
本作では最後にご本人の昔日の写真が映りますが、
その表情が現在の状況を予測さえしていなかったで
あろう時のものだということに思い当たり、辛かった
です。

>「自白の強要」

犯罪心理学の観点から興味深い話が本作の中で語ら
れていますよ。

もしもお時間とご興味があれば、、、確かに「重い」
ですが。(-_-)

Posted by ぺろんぱ at 2010年06月28日 20:01
ゆるりさん、こんばんは。

12時10分!では同じ回の鑑賞だったの
ですね!久々の“超ニアミス”ですね!

>サンダル

はい。
あ、でも申し添えておきますが、ビーチ
サンダルじゃないですよ。^_^;
「何なん?」に共鳴して頂きありがとう
ございます。ゆるりさんの失笑を買って
いないことをば、祈りまするぅ〜。^_^;

>氷山の一角

そうですね。
我々が知らないだけだと思うと辛いです。
本作は先ず、実に早い段階で警察の強引な
「断定」があり、その上「推定無罪」が原則と
される裁判の中で、本事件はまるで「推定有罪」
で始まっていましたものね。
抗った熊本氏の「一生」も本事件によって
大きく変化してしまったことを考えると、更に
辛いです。

>袴田くんを走らせてあげたい

本作、監督自身は「無罪」を超えて「無実」を
確信しておられる感じがひしと伝わってきました。
真実の「核」はご本人のみの知るところなのかも
しれませんが、そこを我々はやはり知りたい、また、
(監督同様)信じたいという思いで一杯なのですよね。
Posted by ぺろんぱ at 2010年06月28日 20:38
ゆるりさん、追伸です。

このエビスは限定販売モノらしく、コンビニで
見つけて買いました。(^^)
エビス、美味しいですね。
こちらのも是非一度お試し下さいね。

この次の“ニアミス”を楽しく想像しておきますね〜。
Posted by ぺろんぱ at 2010年06月28日 21:37
過去記事へお邪魔します。
ぺろんぱさんならもしや…と伺ったら、
やはりご覧になっていらして、嬉しいです。
このお二人の苦悩を思うと、いえ、そう簡単な想像などでは追いつかないのですが、身震いさえ起こりました。
冤罪を生む閉鎖的な制度自体を根本から見直さなければ、恐ろしい過ちは繰り返され続けるのではないかと、恐怖は治まりません。

私も名前くらいしか知らなかった事件でしたので、今作によって啓発されました。
映画化し全国公開に至るまで尽力されたスタッフの方々や監督のご苦労もさぞやと、拙いながら様々に思いを巡らせた作品でした。

ところでぺろんぱさん、雨女なのですか?
うちの娘も仲間内からそう言われるらしいです(´艸`)
Posted by あぶく at 2011年12月19日 11:09
あぶくさん、こんばんは。

コメント下さったと言うことはあぶくさん、ご覧になったのですね。
後ほど貴ブログにもお伺い致します。

少し前の邦画『それでもぼくはやってない』で語られていた、「たとえ百人の真犯人を取り逃しても一人の冤罪者を作るべからず」(細部の表現は違ったと思いますが)という言葉を思い出します。

時代が変わって捜査の手法や意識はある程度改善はされても、「たった一人でも、もし、」と思うと本当に怖いです。

>雨女

はい。
私は「神よ、そこまでなさいますか!」と天に向かって叫びたくなるほどの雨女です。トホホ。(-_-)
Posted by ぺろんぱ at 2011年12月19日 21:00
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