2010年10月17日

メッセージ そして愛が残る

   秋の空になりましたね。シネリーブル神戸で『メッセージ そして愛が残る』(ジル・ブルドス監督)を観てきました。

封切から2週間を経過しての神戸のミニシアターでの夕刻上映、席を埋めたのは僅か十人ほどでした。
プライベートな週末課を終えての夕刻、閑散としたシアターで周囲を気にせずスクリーンと向き合うことができて、こんなゆっくりした気分で映画を観るのは久しぶりだなぁと小さな歓びに浸りました。
だからかなぁ、、、この映画、悲痛さを伴う内容でありながら、とても心地よく心の扉をノックしてくれた作品となりました。


story
  ニューヨークの法律事務所に勤めるネイサン(ロマン・デュリス)は、ある日突然幼い息子を亡くすという悲劇に見舞われる。彼はその事実に耐えられず妻(エヴァンジェリン・リリー)や娘(サラ・ウェイスグラス)と離れて仕事に没頭していた。そんな彼のもとに、セントルイス病院の医局長ジョセフ(ジョン・マルコヴィッチ)が訪れる。人の死を予見できるというジョセフの出現に、ネイサンは自分に死期が迫っていることを悟るのだが・・・。(※story、写真とも映画情報サイトより転載させて頂きました。)

                メッセージ1.jpg

  タイトル(邦題)はどこか“大河ドラマ的恋愛”を思わせるものですが、私には至極(いい意味で)シンプルで明快な、恋愛という枠を超えた“人生そのもの”への「寄り添い」が感じられた作品でした。

死と生は同じ線上にある、とは昨今見聞きした映画や書物から感じ得たことです。
だから人は皆、生きながらにして「死」を抱合しているものだと思います。

「誰も(運命によって定められた)死期には逆らえない」とは劇中で何度か繰り返された台詞。
だからこそ、その「死期」を「死と向き合う心の準備」を以って迎えられれば、もしかしたら死はそれほどに恐れることではないのかもしれないと、そんなことを感じた本作なのでした。(今この一瞬を死と向きあって闘病されている方々にはもしかしたら不遜な言葉と受け取られるかもしれませんが。)
だから私は真に死を予期しうるメッセンジャーが存在するなら自分の死期を知らせて欲しいと思います。・・・これも不遜な発言ですか?でも真剣に私はそれを望みます。

「今を生きる素晴らしさを知り、きちんと生きること。」
それは本当に大切なこと。でもどうしたって人は悲しいかな“明日がある”って思ってしまうのですよね。
心に抱きながらも伝えられなかった大切な思いや、諍いや心のすれ違いで誤解を解きたかった思いとか、「今伝えなきゃ」と思いながらも雑念を孕んだ逡巡がその邪魔をし、「この次きっと・・・」の“この次”はもしかしたら永遠にやってくる事がないのかもしれないのですね。

ジョセフがネイサンのもとを訪れた「真の理由」が私には最後まで分からなかった。だからそれが分かった時、驚きと共に「ああ、やっぱり人の運命って誰にも分からないんだ・・・」っていう刹那的思いが一瞬こみ上げたのです。
でもね、分からない運命を分からしめてくれたその原点が「ネイサンと妻の幼少期の純粋な絆」によるものだったということで、瞬時の後には、刹那などでは決してなくネイサンと妻の「人生」という悠久の歩みがもたらしてくれた結果なのだと感じさせてくれたのでした。
 
                メッセージ2.jpg               
登場する月下美人。
儚い生に喩えられるこの花の開花を、私はかつて一度目にしたことがあるのですが、その時その花を取り巻いていた一陣の空気はまさしく“幻想”の世界たるものでした。もう見ることなど叶わない、そう感じるからこそあの開花を深く心に刻んだのでしょうか。
だとしたら、私の「この一日、この一瞬」も、二度と味わうことはないと心に刻めば「違った一日、違った一瞬」になるはず、なのですね。

「死後の世界を気にするのは無意味だ」とは劇中の言葉。
死しても消えてなくなりはしない、他の場所で(見えないだけで)存在している、と。そう思い信じることで、逝く方も逝く人を見送るほうも随分救われるのかもしれません。

ネイサンとジョセフのシリアスな表情と言動は終始重いものがあったのですが、死期を悟り自棄的になった某青年がやがて瞬間の生に目覚める「プールでのシーン」は、きらきら輝いていて(さりげない挿入シーンながらも)秀逸でした。
そして、映像担当のリー・ピンビン氏。
素晴らしいです、映像美がこの作品を数段高いものにしてくれたように感じました。
いい映画でした。

                 スパッカで白ワイン.jpg

 さてさて、私が悔いのないようにしているのは日々のお酒だけ??
これは少し前の、堂島スパッカ・アルバータでのワインとタパスの画です。1時間でミニグラスの生ビールとグラスワイン4杯を空けました。
私のこういうノリはどうも刹那的でイケませんねぇ。苦笑。




posted by ぺろんぱ at 18:06| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記
この記事へのコメント
ゆったりとした気分でご覧になったとの事、
映画と共に過ごすそういう時間が私も大好きです。
ありきたりな言い方ですが“リフレッシュ”しますよね。

映画がきっかけで原作者ギヨーム・ミュッソの別の作品「時空を超えて」を
読み終えたところでした。

この映画、私にとっては映像美と、ジョン・マルコヴィッチの怪しい演技に
惹きこまれて見ていた感じもあります。
ネイサンの心理を描くシーンよりもむしろ
ケイ医師やホスピスの患者達の様子が心に残っていて。

月下美人は夜に開花する花なので、
あの明るい中での花の姿は印象的でした。
Posted by ゆるり at 2010年10月17日 21:18
ゆるりさん、こんばんは。

映画館は、気合入れて観に行った映画がガラガラに空いてて貸し切り状態なのも寂しいものですが、かといって過密状態の中での鑑賞も辛いものがあり、この日のような1列に約1名っていうのがゆったりできていいです。(*^_^*)
皆さん其々気遣ってか?中央、左、右、とか重ならないように陣取ってらして…(^^)。

ジョン・マルコヴィッチはやはり強烈な個性の人なので、どうしたって神経がそっちに向かってしまいますよね。私も好きな俳優さんですが、おそらく“一市井の人”っていう役柄は難しいのかもしれませんね。と言いつつ、やはりそういうのはそういうのでキッチリと演じて見せて下さるような気もしますが。(*^_^*)

月下美人。
私も開花を見たのは夜で、常連さんだけのひっそりとした某酒場のカウンターでした。
(映画の中のように)あんなふうに明るい陽のもとでも開花するものなのですね。しかしながら、あの画は中々素敵でしたね。

>「時空を超えて」

そういう広がりがあるのも映画のいいところですね。
それは映画化はありそうですか??(*^_^*)

Posted by ぺろんぱ at 2010年10月18日 19:53
ばんはです。

最近余りマルコさんのご活躍を観てないので、
気になるトコですね。

『チェンジリング』のグスタフ牧師が最後だったかなぁ?
Posted by TiM3 at 2010年10月19日 20:59
昔からジョンの佇まいと声が好きです。
「自分を魅力的に見せる方法」を心得ている方だなぁと、ファッションを見るたびに思います。今回の映画では、「ささやくような声」が役柄にぴったり!でした。
Posted by bluerose at 2010年10月19日 21:24
TiM3さん、再びこんばんは。こちらにもようこそです。

マルコさん(この呼び方だと“可愛いっ!”ですね)は、ひと頃に比して随分と面痩せされたように感じるのですが。
例えば『コン・エアー』なんかの眼光鋭い感じ?のエネルギッシュさからすると随分いろんなものが削ぎ落とされた感じで。役柄の違いだけでもないような。私だけの勝手な思い込み(っていうか思い違い?)かもしれませんが。

次回作は何でしょうね〜。(*^_^*)


Posted by ぺろんぱ at 2010年10月21日 19:10
blueroseさん、こんばんは。
映画もお好きでいらっしゃるのですね、そして本作もご覧になっておられたのですね!
みゆき同様、映画に付いてもいろいろ教えて下さいね。(*^_^*)

さて、ジョンさん、仰る通り昨今は立居振舞いにエレガントさをも感じます。

>自分を魅力的に見せる方法・・・

なるほど、です。

そうそう!このお方って意外にも「声」がとってもソフトなのですよね。
先述のTiM3さんへのコメントでも書きましたが、いい意味で線が繊細になられた感があり、それが本作でのスピリチュアルな部分をより際立たせてくれていた気がしました。

Posted by ぺろんぱ at 2010年10月21日 19:40
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