先の日曜、梅田ガーデンシネマにアルゼンチンが舞台の映画『ルイーサ』(ゴンサロ・カルサーダ監督)を観に行きました。
アルゼンチンの経済状態はかなりの困窮を極めているらしい。日本も海岸の火事ではないけれど。
地味な暮らしで老いを生きつなぐ寂しきルイーサ。
彼女はしかし、土壇場で驚くほどのパワーを見せたのでした。
story
自身の家族が眠る霊園での電話番とスター女優の手伝いを掛け持ちしながら、ブエノスアイレスのアパートでひっそりと暮らすルイーサ(レオノール・マンソ)。ある日、一緒に暮らす猫のティノが死に、二つの仕事も失ってしまう。ひとまずティノを冷凍庫に入れて、埋葬費用を得るために地下鉄で小銭を稼ごうとするが…。 (※story、写真とも映画情報サイトより転載させて頂きました。)

ルイーサ。
彼女の人生の殆どは最愛の夫と娘を亡くした時に終わり、愛猫ティノの死と共に残っていた人生も完全に終わりを告げる・・・はずだったのでしょうね。彼女は“自分の人生”を生きていなかったから。
失職もせず幾許かの蓄えもあり(無かったのも不思議ですが、先述の通り国民の半分が貧困状態という当国の状態を思うとあながち無理もないのかもしれません)、もしもティノを無事に埋葬できていたなら、彼女はあっさりと自分の「生」を閉じてしまっていたかもしれません。
しかしティノの埋葬費用が無かったが故に、彼女はどん底で不思議なほどの力を発揮し始めるのです。
あれほどの強さとパワーが一体彼女のどこに潜んでいたのでしょう。
身障者の振りをしてまで物乞いを始める彼女に、そのパワーをどこか他に向けることを考えなかったのかと首を傾げることもありましたが、しかしとにかく、ルイーサの“必死の強さ”に圧倒され続けた私なのでした。
だから、ティノの火葬を終えた途端、張りつめた糸が切れたかのような彼女の長い長い涙には、私も思わず喉の奥に熱い塊りがこみ上げてきた感がありました。
どん底で見せた彼女のパワー。
以前の楚々とした食事の摂り方は、空腹という本能のままにマヨネーズを山のようにかけたホットドッグを両端から齧り付くまでに。
何より、ティノとひっそりと暮らしていた頃には見せたことのなかった笑顔と高らかな笑い声を彼女が見せた時、人間(“生きて”いる人間)としてのルイーサが小気味よいほどに輝いて見えたのでした。

物乞い仲間のオラシオ(ジャン・ピエール・レゲラス)とアパートの管理人ホセ(マルセロ・セレ)がそれぞれの姿勢でルイーサに手を差し伸べるのが実に温かく、オラシオの「(アンタは)こんなとこにいちゃいけない」の言葉には温もりを超えた重みも感じました。
そんな他者とのつながりが、ルイーサを“本当のどん底”に陥るのを救ってくれたのですね。
一見オカルトチックにも感じる場面にも何かしら乾いた滑稽さが漂い、底辺にあった孤老の悲哀の更にその奥底には、リズムを取って踊りたくなるラテンミュージックの精神が実は隠されていたのです。
それを見つけたルイーサ。
これからは“自分の人生”を生きてほしいです。
《ただ、、、逝ったティノの残飯がそのままに、床に散らばったフードをルイーサが平然と踏みつけて歩いていたのはたとえ茫然自失状態にあったといえど(猫と暮らす私としては)ティノを愛していたのであれば“絶対にしない”ことだと思ったので、あれが映る度に気にになって仕方がなかったです。細かいことを言うようですが。》
質素な暮らしを続けていたルイーサ。
彼女の夕餉はそれこそパンとスープのみっていうくらいで。
あの時そっと一杯のウィスキーをダブルのオン・ザ・ロックで差し出していたとしたら、彼女はどうしたかしら。

私の某日。
焼鳥屋さんでの熱燗ダブル。
自宅で待つ愛猫 a を案じつつも、「暫し許せ」と盃を重ねるのでした。
いかにもキチンとしてるルイーサだけに、ちょっと不自然な気もしたし。
>何かしら乾いた滑稽さが漂い
なるほど〜、その表現いただきました!(笑)
ルイーサが鏡に向かって髪をなでつける仕草とか
ふとした事が可笑しかったデス。
最初は無表情でブスッとしている彼女の表情が
失業してから豊かになっていって
必死の形相→半ベソ→どや顔→笑顔
となんか進化していったような。
やっぱり人間、笑顔が大切ですよね〜。
そんなアルゼンチンのお年寄りの質素なくらしのお話、つまり普通の人のお話のようですね。特にぺろんぱさんにとっては猫がでているということで、より興味深深くご覧になったのでしょう。
> ルイーサの“必死の強さ”に圧倒され続けた私なのでした。
暗い話ではなさそうですね、前向きで。
うーん...今度ガーデンシネマに行ってみようかなと思いました。
ネコと暮らすぺろんぱさんはさぞかし、心寄り添ったでしょう。
ティノと過ごす時間が本当にステキでした。
本作を配給してくれたヒガさんが今ブエノスアイレスに行っているそうで、この映画の監督さんと会われるらしいです。
地球の裏側に思いを馳せて。
おかしいと言えば、初めてルイーサが地下鉄のミュージシャン達と遭遇した時も可笑しかったですよね。聴き入ってたら曲が終わった瞬間、逆にお金を要求されて・・・あの間合い!
プッと噴出しちゃいました。
>ルイーサの表情
そうそう。(^^)
笑ってる顔がやっぱりいいですよね。
それにあの鬘とサングラス、似合ってたし。
最後のスーツも濃紺じゃなかったですね。(*^_^*)
そうですね、そう考えてみれば当国アルゼンチンは結構名だたるヒト・モノを輩出させてる国だったのですね、なるほど。
他者との関わりを絶って自分の世界だけで生きてきたようなルイーサの変化に、(お時間が許せば)west32さんも圧倒されて?みてくださいね。(*^_^*)
ティノ。
目覚まし要らずというのは頷けました。
あ、ウチの猫は夜中から明け方まで何度も私を起こすので、目覚まし要らずというよりも壊れた目覚ましっていう感じですが。^^;
机上で食事を分けてやってるルイーサが優しそうで素敵でした。
ヒガさんと仰るお方を存じ上げない私でしたが、本作の鑑賞を通じて(感覚的にでも)繋がってる思いですね。
次回作、あるのでしょうか。(*^_^*)
部屋とか床を片付けなくなって来る・・って点に
「老い」とか「認知」とかの潜在的な演出を
感じたりもしましたが、そっち系(どっち系?)の
メッセージはこめられてなかったのでしょうかね?
興味はわきつつも「リアルそうで、笑えなさそうだなァ」
と感じたワタシでした。
>日本も海岸の火事ではないけれど。
ここに反応。
芥川の小説『羅生門』じゃないけど、
現在の日本の若者が「仕事がない⇒生きて行けない⇒飢え死にするぐらいなら盗人になろう」
ってな短絡的な思考に走らないか、それが不安なワタシです。。
主人公の女性ルイーサはこれでもかというほどの几帳面な人で、本作は愛猫の死後になりふり構わず必死で愛猫の埋葬費用を稼ぐことになる彼女の様子が描かれ、その過程で“いい意味で”変わっていく彼女が映し出されています。
なのでどちらかといえば結果的には若返ったりもするので、忍び寄る老いの孤独感は底辺にあったにせよ、認知症的な観点から彼女を捉えたものではありませんよ。(^^)
>「リアルそうで、笑えなさそうだなァ
彼女の「頑張り」には、確かに「笑い」を超えて圧倒されるものがありましたけどね。^_^;
>現在の日本の若者が
なるほど、そうですね。
若者が担っていくべき国づくりなのに、今の状態はちょっと怖い気もしますね。過去における何かのツケが廻ってきているのでしょうか。
本作、まったくもって情報がないというか、この映画自体を知りませんでした。
アルゼンチン映画だったんですね。
Youtubeで予告編観ました!
ラテン系の音楽がせつない作品イメージをコミカル調にしてる感じですね^^
ティノが家の猫にそっくりなので気になってますが
愛知での公開がないのが寂しいです^^;
そうですね、この映画は京阪神でも上映館はごく限られているのです。結構味のある映画なのですけれどねぇ。
ティノはitukaさんのところの猫ちゃんと“そっくり”!?なのですね!!(*^_^*)
是非ニャミリー(ネコダチ)としてitukaさんにも観て頂きたいところですが、またいつの日かDVDにでもなった時にインプットしておいて下さいまし〜。(*^_^*)