今日の表題は小池真理子さんの小説の話です。
決して「やっぱり私に必要なのは恋なのだわ」などとこの年にして思ってるわけではなく・・・。
日経新聞の夕刊に小池真理子さんの小説『無花果の森』が連載されていて会社で読んでいますが、過去に小池さんの小説は結構いろいろと読みました。
しかしなかなか再読するまでに至らなかったのですが、現在は長編『恋』を夢中で再読しています。
半身浴で再読し始めたのですが、続きが読みたくてたまらず、半身浴で読んだ後の湿気でボロボロになった文庫本を携帯して通勤の電車中にも読んでいます。

長編ではこの『恋』と『欲望』が印象深く、『欲望』を読み終えた時には「この作品の方が好きかな」と思っていたのですが、今回『恋』を再読し始めてみると「ああ、やっぱり小池真理子さんの小説の中では『恋』が一番惹かれる作品だなぁ」って思いました。(全ての作品を読んでいないので「一番」という評し方は不適切ですけれど。)
特に序盤、桜舞い散る庭で主人公・矢野布美子が片瀬信太郎・雛子夫妻と初めて出会う段は圧巻です。
限りない官能の予感と同時に、其処には避けられない崩壊へのオーバーチュアみたいなものの潜みを感じ、小説の中で描写されている通り「軽い眩暈を覚え」るほどです。
暫くの間はこの『恋』に耽溺しそうです。
小説「恋」: 1972年冬。全国を震撼させた浅間山荘事件の蔭で、一人の女が引き起こ
した発砲事件。当時学生だった布美子は、大学助教授・片瀬と妻の雛子
との奔放な結びつきに惹かれ、倒錯した関係に陥っていく。
が、一人の青年の出現によって生じた軋みが三人の微妙な均衡に悲劇を
もたらした…。全編を覆う官能と虚無感。その奥底に漂う静謐な熱情を
綴り、小池文学の頂点を極めた直木賞受賞作。(新潮社書評サイトより転載)

ある日の乾杯、一景。

そういえば、先日Iさんが「貴女なら面白く読めるよ、きっと」とプレゼントして下さった一冊の本。
『酔って記憶をなくします』(石原たきび編・新潮文庫)です。
酔っ払いエピソード173本、Iさんによれば「流石にここまではひどくない」とある意味勇気づけられるエピソードばかりだそうですが、「負けてない」って思ったらどうしましょうね。

やっぱり 恋 なんですか
愛知県からのコメント、ありがとうございます。(^^)
小池真理子さんの短編などは人間の怖い部分を描いたものが多い気がしますが、長編ー例えばこの作品などは、出てくる人物が其々に魅力を放っているように思えます。
やっぱり 恋 だと思います。
過去を舞台にした物語って・・結末がどのようなカタチにせよ
(極端、作中でそれが明確に描かれてなかったにせよ)
「ああ、もう既に、何らかの結論(答え)は出てるんや」
としみじみとしてしまいますね。
巷にまだまだ埋もれて(?)いるハズの、良作にもっともっと
出逢いたいモノです(・ω・)
そうなのですよ、過去の史実(とそれに沿った時代状況など)をそれなりに描いたものって、何となく「ああ、(当時は)そうだったのに・・・」という思いが湧き上がることがあります。
本作でも、確かに「全共闘時代」の史実が基になってる部分もありますからね。
でも、逆にその時代を生で知らない私のような世代の者にとっては、いつになっても(それこそ、読み返すたびに)新しいものに触れるような感覚にも陥るのです。
本作、結末を知っていたのに、やはり今になって読み返すと初読当時と違う感慨が襲ってきました。
そういうところ、書物の(映画もですが)楽しみですね。(*^_^*)