昨日21日は梅田ガーデンシネマで『人生、ここにあり!』(ジュリオ・マンフレドニア監督)を観ました。
1983年のイタリアを舞台に、精神科の元患者たちが実際に一般社会に出て自立して生きていこうとする姿をユーモラスな視点を交えて描いた物語で、実際にあったお話をベースに作られた映画です。

※画像は映画情報サイトよりの転載です。
デリケートな問題をここまで笑いを交えた喝采モノに仕上げたのは、イタリアという国の底力が為せる業だったのでしょうか。
先ずは「デリケートな問題」と言ってしまうこと自体、我々が考え直さねばならないところなのでしょう。自力で立とうとする側とそれを受け入れる側と、双方の心のバリアを超えることから自立の一歩が始まるのだから。
過激な言動がもとで左遷同様に元患者たちをまとめるマネジャーとして赴任させられてきたネッロ(クラウディオ・ビジオ)。元患者たちの自立に向けて先導者となったネッロを揶揄する意味で「トロツキー!(革命家さん!)」と呼ぶシーンがありましたが、まさに彼は革命家だったと言えます。
医者でもなんでもなかったネッロ。
しかし彼が医者でなかったからこそ為し得たことでした。
「狂気は法律では治せない」とは、劇中で元患者たちを診ていた主治医の言葉。
では、彼らに与えられる大量の「薬」では治せたのでしょうか。
投薬は患者自身のためと同時に、周囲の人間を守るためという面も否めない現状。元患者たちの側に立てば、投薬量を減らすことが彼らの心に寄り添う一歩でもあるわけなのですね。
どこかで破綻をきたすのではないかという恐れと不安は、悲しいかな、やがて的中します。
しかし、一度繋がった糸への想いは彼らが本能的に欲した想いであり、それだけに強かったのですね。お伽噺をお伽噺で終わらせなかった彼らには、人間としての底力を見た気がしました。
理事長の“サメのような威圧感”っていうのには笑わせてもらいましたが、まるでいたいけな少年が抱くような恋心に震えていたジージョ(アンドレア・ポスカ)がとても愛おしかったです。
恋の力は何より偉大で、同時に、何より危険だったのですが(涙)。
アンドレア・ポスカ、その名をインプットいたしました。

亜流のボイラー・メイカーでほろ酔い。
「生き方も亜流」とは、実はこの世の全ての人に言えること、と思います。みんな、それぞれの人生。

力強いというか、勢いを感じる映画でした。
ネッロの半ば強引なリーダーシップと、
強烈な個性の協同組合員(!)達からは目が離せなくて。
ミリアムの色気過剰な電話対応や、理事長の威圧感にも笑いました。
そんな中、ジージョ役の方は繊細な顔立ちと雰囲気で、
何となくハラハラしていましたが。。。。
デリケートな問題と言えば「女をよこせ!」などと言っていたメンバーが、
いざその場に行くバスの中でナーバスになりまくってたのも可笑しかったし。
このあたりのエピソードは、性をコミカルに扱えるお国柄を感じました。
真面目な話、能力を活かし自立する為の糸口を見つけ手助けする、
そういう活動を地域単位で行っていくというのは、
見習うべき事かもしれないなぁー等と感じました。
ネッロは自分を信じて疑わないっていうタイプでしたが、適度に?可愛いダメンズぶりも見られて人間臭さがありましたね。
>このあたりのエピソードは、性をコミカルに扱えるお国柄
そうでしたね。
日本では扱いが難しいだろうなと思えたところでした。往路ではナーバスに、しかし帰路の車中ではみんな妙に夢見心地というか満ち足りた感が伺えませんでしたか?あのあたりも実に(お国柄の為せるわざか)手慣れた感じの扱い方でした。(^^)
>能力を活かし自立する為の糸口を見つけ手助けする
初めの一歩って大事なのだなぁと。
ネッロが「仲間なら食事もともに」とか言って組合員たちの部屋にランチを持って入ってきましたけど、あれって考えたら凄い勇気が要る事だったと思うのです。小さくても先ずは自分でできることからやっていく・・・その大切さを教えられた気がしました。
しかし、あのランチ、結局手を付けないまま午後の仕事に入っちゃってましたよね??
ああいうのは凄い気になる性質です。時間が無いなら一口でも食べるワンカットを入れてほしかった私です。^_^;