今日22日(日)、カンヌフィーバーで当分は無理だろうと思っていた『殯の森』(河瀬直美監督)を、やっとシネ・ヌーヴォで観てきました。
一日午前中2回のみの上映に減っていましたが(いえ、それだからなのか、)ヌーヴォ内は補助椅子を並べる満員御礼状態でした。
この作品は上映され始めてからネット上でかなりの酷評も目立ちましたが、それはある意味“有名税”みたいなものと受け止め、自分が観に行くならば是非「真っ白な気持ち」で臨みたいと思っていました。
だから今日はそんな気持ちで。
シネ・ヌーヴォに向かう地下鉄の乗り換え途中、またもやあの三島由紀夫と遭遇!「三島由紀夫」とは私がその人に勝手に付けた渾名です。容貌があの三島由紀夫にそっくりなのです。
「またもや」と書いたのは、以前シネヌ・Xで『ジェイムズ・・・』の映画を観て以来、次に梅ガデで映画を観た時も同じ回の上映でこの三島氏を見かけていたものですから。
たった二回連続の遭遇でしかないのに、なんだか映画への思いが似ている気がして勝手に「同士」みたいな感じがしていました。
それで、今回も「同じだぁ」という思いでいたものの、九条のシネヌに着いた頃には三島由紀夫の姿は見えず・・・。何処に消えちゃったんでしょう、三島由紀夫。
・・・・・で、映画。
story
妻を亡くし、山間部のグループホームで介護スタッフとともに共同生活を送るしげき(うだしげき)。そこに、新しく介護福祉士としてやってきた真千子(尾野真千子)。彼女もまた、子どもを亡くしたことがきっかけで夫との別れを余儀なくされ事で心を閉ざして生きていた。
日々の生活の中で、2人は次第に打ち解け合っていくのだったが……。 (シネマトゥデイより)

中盤からは奈良の秘境的山奥でのしげきと真千子の二人だけのシーンが続き、殆ど台詞らしい台詞はなく、激しい雨音と時折真千子がしげきに向ける絶叫のみが劇場に響きます。
手付かずの大自然の怖さと美しさを両方感じ、それが映画の醍醐味とも思う「違う世界へ連れ去られる感」に於いていえば、この映画は私には「アタリ」でした。
確かにしげきと亡き妻との間に積み上げられてきたもの(想い)については何の説明も施されていませんし、説明など加える気すら無いという監督の「そこにあるもので全てを感じ取れ」とでも言うような突き放された感じがしないわけでもありません。
(これは鑑賞以前に目にしていた、連日の監督インタヴュー放映での印象に拠るところが大かな? つまり、私の勝手な思い込みかも。)
でもそれに従い、今そこのスクリーンにある映像からダイレクトに私が感じ取ったことは、「あるがままの本能に返った時に初めて訪れる(辛苦からの)心の解放」「(大切なものを)亡くした者同士に起る魂の共鳴」「逝った者との魂の呼応」みたいなものでした。
そしてそれが、冒頭でいみじくも語られていた、残された者の「“生”の実感」に繋がる、ということも。
子を亡くした真千子が、森の中を彷徨うしげきに叫び放つ「行かんといて、ごめん、行かんといて!」の言葉と、冷え切ったしげきの身体を自らの裸体で温めながら祈りのように繰り返す「いかんといて(逝かんといて)。」の言葉。

演者を極限まで追い詰め「演技する」ことをさせなかったと言われている河瀬監督ですが、その監督の手腕がもう既にカンヌで認められたのだとしたら、私はここでひっそりと主演女優・尾野真千子さんの素晴らしさを伝えたいです。
そう指導されてのことかもしれませんが、存在を前面に主張する「我」を感じさせず、それでいてラストに天を仰ぐシーンでの、その慈愛に満ちた表情がとても良かったと感じましたね。
年はとっていてもまだまだ人生の若輩で凄く身近な誰かを亡くしたという経験も無い私ですが、両親に迫る老いや、ひたひたと音無く近づいてくる死とか、その死の後の世界への思いとかが様々に心に行き来して、冒頭のグループホームである老女がポツリと言った「ヒトは何処から生まれて何処へいくんやろ・・・。」の言葉が劇場を出た後もずっと残っていました。
お勧めしますとは言えません。
でも、いろんな先入観を拭った上で、観てみる価値はある映画だと思いましたが・・・?
梅雨も明けそうで明けませんね。
こんな日はウォッカのソーダ割り。スイカを入れて・・・。(邪道ですか?)
この作品、かなり見たいんですけどなかなかこっちで公開にならなくて。。。でも秋くらいに来そうなので行こうと思ってます。
河瀬監督には多分十年位前に「萌の朱雀」の名古屋での舞台挨拶で質問したことがあります。すごく丁寧に答えてくれて嬉しかったです。
河瀬監督は女性としての大きさや母としての大きさを感じます。
早くみたいです〜(>o<")
気持ちが落ちついでじっくり取り組めるときに行った方が良さそうですね。
>十年位前に「萌の朱雀」の名古屋での舞台 挨拶で質問したことがあります。
おお、そんな接点をお持ちなのですね(^^)!
どういうご質問をされて監督がどうお答えになったのか、興味を持ちました。
というのも、実は私は同監督には“尖った”印象を抱いてしまっているので。結構インタヴューなどで、自他共に対して厳しい事を仰っていたからかな・・・。
だから、dkさんがこの映画をご覧になってどういう御感想を抱かれるかとても興味があります。
そういう意味で私はdkさんに「早く観て欲しいですぅ〜」というところです(^^)。
楽しみにしていますね。
>ちょっとこの映画は私はついて行けそうに ないかも
私もね・・・、ついて行けたわけじゃないと思うのです。
どうして此処をこんな風に描いたのだろうとか、どうしてこう描かなかったのだろうとか、それ以前になんかこう・・・完全には重なれない「突き放され感」みたいなものも有って・・・うまく言えないのですが・・・。
でもこの映画には「再生」が描かれているので、同化できれば浄化される思いを味わえると思います・・・少なくとも救いが無い映画ではありません。
でも、今も色々考えます、良くも悪くも。この映画は、あの監督は・・・、何をどう私に教えてくれようとしたのかな、と。
主演女優さんは、とても良かったと思います。やはり、幾ら自然な表情を大事にしたいからといって、素人さんだけでは決して作りえなかった力強さが彼女によって表現できたと感じました。
そういうことをあれこれ考えてみる上で「観に行く価値はあるかな」と書きました。もしも機会がありましたら、その時は御感想を楽しみにしていますね。
長々と書いてしまってすみません。
殯ねぇ・・・確かにPCでも変換不可でして、別途検索して入れました。
監督はどの時点でこの「殯」の言葉を知ったのでしょうか・・・。
非情に興味深いところです。
というのも、作品の後半でグッとトーンが変わったような気もしていましたので・・・。そのタイトルに導かれて・・・ということももしかしたらあったのかも、と、そんなことも感じた次第です。
でもビイルネンさんが仰る通り「広辞苑を引く」事も、映画を観に行った私が今もこうして「ああでもないこうでもない」と思いを巡らせることも、良い事なのかもしれないなと思います。
カンヌで日本人が賞を取った事で、なんか今までとは違う所が動いた、みたいな・・・・、いい事はあったと思いたいのですが。どうでしょうか。
おまけに、何故か大阪で三島由紀夫に再会とは・・。
ワタシも会いたいなぁ、三島(=^_^=)
ブームが醒めてから『モガモリ』は行ってみようと思います(・ω・)
そうそ、ワタシも『朱雀』フィーバーの頃に、枚方市内でのトークショーで河瀬監督に何か質問した覚えがありました・・何を聞いたんだっけ??
「ご自分が撮りたいものと、制作費的な制限のしがらみ」とか、そういう有りがちなことを訊ねたように思います。
ちゃんと熟考しながら、答えて下すった姿に好感を覚えましたね。
※ノートPC、無事に戻りました。またぼちぼちとブログってゆきたいと思います。
そうです、もがって?来ました。
それよりもノートPCの無事の生還おめでとうございます。良かったですね。
また貴ブログへお邪魔させていただきます。
ところで、河瀬監督・・・そうですか、そういう真摯な姿勢をお持ちのお方なのですね。
“尖った”という印象が覆されそうで何だか嬉しいです・・・。
ブームが去った頃に是非ご覧下さい。
いつも勝手にTBさせていただいているのに、
コメントいただいて恐縮してます。。。
(でも、嬉しいです)
今日お休みだったので、最終日すべりこみで観に行って来ました。
神聖な山や森を前にして、畏敬の念を抱かずにはおられない、
そんな気持ちを久しぶりに思い出し、冒頭からすーっと入り込めました。
観る側にいろいろ考えさせたり、想像させてくれる作品ですね。
グループホームの爺様の表情がいい!
コメントありがとうございます!
そうなのですね、この映画も、もう最終日だったのですね。
確かに奈良の奥地の風景には神秘性を感じましたね。余計なBGMがなく、水の音や木々の音、それに彷徨う二人の息遣いの音だけが響いていたのも良かったと思いました。
幼児帰りにせよ何にせよ、日々を笑って迎えられるのは幸せな事なのかも・・・ですね。
今さらながら・・(=^_^=)
『殯の森』を衛星第2で観ました。
また、レビューしてみますね。
貴レヴューを楽しみにしています・・・って、今日ならもうきっとアップされているでしょうね・・・。後ほど伺いたく思います。