先の日曜(2日)は梅田ガーデンシネマで『エンディングノート』(砂田麻美監督)を観ました。
「わたくし、終活に大忙し。」(映画キャッチコピーより)
会社を引退した二年後に手術不可能な末期癌が見つかり、家族へのエンディングノートを遺そうと奮闘する父親の姿と、そんな父親を見守る家族の姿をカメラで追い続けたドキュメンタリー映画。
実娘である砂田監督は本作がデヴュー作。フリーの監督助手として是枝裕和監督らの映画製作に従事してきた女性です。
「段取り命!」で高度経済成長期を駆け抜けた熱血営業マンである父親が“死への段取り”を至極前向きに、溢れる思いをたぎらせて取り組んでいく様子が綴られます。

※画像は映画情報サイトよりの転載です。
私も数年前に、「父が逝ったとき」と題した覚書のような数枚にわたる文書を父親から渡されました。
離れて暮らしているのでいざという時に困らないように、ということだったのでしょう。
その後に父は病と交通事故で入院を重ね、幸いにも今は退院し小康を得て暮らしておりますが、以来、件の文書の存在が私の中で大きさを増したことは否めません。
両親だけじゃなく人間誰しも押し並べて未来の確たる予測はできないのだから、緩慢にせよ「終活」は私も視野の中に入れておくべきなのかもしれないなぁって思います。
あー、こう書くと凄く暗いし重いですよね。
でもこのドキュメンタリーはそういうウェットさやヘヴィーさを微塵も感じさせず、常に前向きで明るく、ユーモアさえ漂わせて(事実、何度も笑い声がシアター内に響きました)綴られていくのです。
勿論、死に直面する深い悲しみは本人、家族共にあります。笑いと同様、涙をすする音もシアター内には響いていました。でも本作は、残してゆく家族たちへの、そして去り逝く家族への、思いやりと愛に満ちたとても温かい物語になっていたのでした。
末期癌を宣告された砂田氏ご本人が非常にポジティヴで明るく(言いかえれば“強い人”ということでしょう)覚悟のほどが並々でなかったこと。
そして末期癌というものが、途轍もなく恐ろしく残酷ではあるけれど、死の宣告を受けてから自分自身で何らかの意志を形にして残せることができるという救いも持てる病であること。
この二つの要因が本作を「明日への力」に繋げる作品たらしめているのだと思われます。
後者についていえば、本人にその意思と余力があればそういう救いもあるということで、病自体は忌むべきものであることは言うまでもありません。
何かを自らの意思で言葉なり行動なり「形」で遺せるということは、ある意味理想的な最期の迎え方といえるのではないでしょうか。
砂田氏ご自身が「(私は)幸せです」と言い切って旅立たれたことが、ご本人にとってもご遺族にとっても最高の喜びとなったのだと感じました。
今わの際、お葬式の段取りに付いて話すご子息に向かって「何かあったらケータイください」とさらりと言ってのけた砂田氏。
この人は凄い! そしてそれを変わらぬ姿勢でカメラに収め続ける娘である監督もまた凄い!
それぞれ独立し精神的にも依存せず、肉親をきちんと思いやることができる、愛ある家族だからこそ迎えられたその姿なのでしょう。そしてそれこそは砂田氏ご自身が人生の長きにわたって築き上げてこられた「家族」という作品なのだと思いました。
観て良かったです、しみじみ。
(付記)
8oカメラを廻して家族や友人たちの姿を撮っておくのは中々いいものだなぁってちょっと思ったのと、毎年欠かさず受けてた検診でいきなりステージ4の癌が見つかるなんて、そしたら検診って一体何なのよ、って思っちゃいました。

エンディングノートを綴りつつ、先ずはほろ酔いになりましょう。それこそが私の人生だから。
画は北新地のサンボアバーでの一景です。
この作品、気になっていました。ホントに先のことは分からない。。。
>言葉なり行動なり「形」で遺せるということは、ある意味理想的な最期の迎え方
本当にその通りです。
先日、家族で車に乗っていて、妻のケータイに電話がかかってきました。それは、妻の親友からの電話でした。
その親友のお父さんが脳梗塞で倒れ、不運にも状態が思わしくなく延命をするかどうかでどうすればいいか分からない、という内容の電話でした。
本当に世の中には突然すぎる不幸があるんだと思いました。
そして、日ごろの生活や何気ないことが如何に大切か。そんなことを考えました。もっと素直に正直に時間を大切にしたり、家族と話すことがどんなに重要なのか。
映画で見ることは難しいかもしれませんが、必ずこの作品はみたいと思います。
と私もなんだか納得いきませんでした。
ただ、普通のガン検診では見逃される癌細胞も多いと、
よく耳にはします。
PET検診なんかは精度が良さそうですが、料金が結構高いですし…。
ちょっと話が横道にそれてしまいましたね。
砂田パパの意志がしっかりしているのに反して、
見た目に病気が進行しているのがわかるのが、
ちょっと見ていて辛かったです。
タクシーの中で運転手さんに道を指南するシーンは、
元気な頃との比較がユーモラスでもあり、その変わりようが悲しくもありました。
子供が親の最期を看取るのは当たり前の事だと思えるのですが、
子供が親よりも先に逝くのは、やはり悲劇ですから、
個人的にはお母様に心寄り添わせて見ていました。
“北新地のサンボアバー”は、私でも名前を聴いた事があります。
ハイボールが似合うレトロなバーで、日常とは異なる“別世界”といったイメージです。
なんだか眩しいデス!
奥様のご友人、大変なことでございますね。
何らかの(事態の)好転を迎えておられることを祈るのみです。
>突然過ぎる不幸
そうなのですよね。
だからそういう意味で本作の砂田氏のように、死を迎えるまでにご自身で死をプロデュースしようと思い、またそれを実行できる状態にあるということが(ある意味においては)幸せなことなのだなぁと思った次第です。
だから私も、特に必要が迫っていないと思われる今のうちに(そういう今のうちにこそ)、準備をしておきたいなぁって思いました。
本作、涙はあれど終始前向きな明るさに満ちています。いつかご覧になってみて下さいね。
奥様のご親友の苦しい心中をお察し申し上げます。どうか少しでもより良い状態に変わっていますように。
>普通のガン検診では見逃される癌細胞も多いと
そうなのですか!
女性の乳癌検診も子宮癌検診も結構心身共に辛いところもあるのにねぇ。それでも十分じゃないなんてねぇ・・・。
そうそう、あのタクシーの中の画像の入れ替わり、あれは編集しながら監督ご自身が結構辛いものがあったのじゃないでしょうか。
でも砂田氏が同じ言葉を仰っている場面だったので、よほどこの監督は昔から頻繁にカメラを廻し続けてきた人なのだなぁと感心も致しました。
氏のお母様(監督からはお祖母様ですが)も、凛とした感じの女性でしたけれどカメラが廻っていないところではきっと涙の連続だったのでしょうね。
「お母様に心寄り添わせて」の一言にゆるりさんの深い思いやりの心を感じました。
サンボアはいろんな店舗がありますが、仰る通りいずれもレトロな雰囲気です。
私は堂島店が結構好きなのですが、北新地店は15時から開いているようで、往年のビジネスマンの方々がゆったりと盃を傾けておられるようですよ。(*^_^*)
見てきましたー。
>でもこのドキュメンタリーはそういうウェットさやヘヴィーさを微塵も感じさせず、常に前向きで明るく、ユーモアさえ漂わせて
本当にそういう作品でした!
無理にポジティヴではなく、にじみでるもにがあって、それがユーモアになってましたね。
>ある意味理想的な最期の迎え方
そうですよね。ホントにしみじみと感じました。
「家族」と一言で言ってみても、とても大きく優しく深いものだと感じましたし、そこに響く砂田さんの愛情がありありと感じました。
ほんと、いい映画でした☆
dkさん、こんばんは。
大切な人に、言葉なり何なり、とにかく何かを「遺せる」というのは理想の最期の迎え方だと感じました。
だから、それを娘として手助けできた監督は親孝行な人なのだな、と。(*^_^*)
「家族」とは、存在のとてつもなく大きなものですね。
あまりに近い存在だけに、時として意思の疎通がうまくいかなかったりもしますが、愛情が根底にあれば乗り切れるものだという思いもあります。
いい映画でしたね。
家族を意識出来る作品、としてはなかなかの完成度でしたね。
現代医学が完全に負けてますやんか!! って点では、妙な恐怖を感じてしまいましたが(⌒〜⌒ι) 砂田家にとっては「映像家宝」が出来上がってたようにも思いました。
監督と父親の交流が余り描かれてない印象もありましたが・・当然、カメラの回ってない(或いは使われてない映像の)部分で、色んな話し合いがあったのでしょうね。
>現代医学が完全に負けて
いきなりステージWといわれても困りますが、しかし、できるだけ末期の痛みを撮り除こうとしながらの加療には私は現在の癌医学の力を感じずにはいられませんでしたよ。
むしろこれからは他の新たな猛威を振るい始める病気への斬りこみも期待したいところです。
>監督と父親の交流
娘としてずっと家族にカメラを向け続けて、それが監督さんなりの交流になっていたのかなぁって思いました。
それって密度濃い気がします。
ソレイユさん(ですよね?)のチョイスは相変わらずいいですね(*^_^*)。