先日の日経新聞でこの作家氏の御名を知りました、盛田隆二氏。
世の中にはまだまだ知らないことがいっぱいで、勉強不足な私はコメントさせて頂いているブロガーさんの記事や日々読んでいる新聞から、それはそれは日々教えられることがいっぱいです。
新聞なんて(実は会社で二紙読めるのですが)どうかすると読まないままで一日が過ぎてしまうこともあり、トップ記事でもない文化面の記事でこういう“出逢い”的な情報を得られるのはまさに「幸運」と称するしかないのです。
確か週に一度の「書評」のコーナーでした。
この本、書評は二の次に、先ず題名に心を掴まれてしまいました。
『きみがつらいのは、まだあきらめていないから』
あ、そうなんや、つまりはそういうことなんや、と。 新聞を前に、一、二秒ほど放心状態だったかもしれません。

様々な「再生」を綴った七編からなる短編集。
早速に会社近くのJ書店で買い求め、読みました。
先述の通り、盛田隆二という作家氏の本を読んだのはこれが初めて。
逞しささえ感じる著者の御名とは真逆の、とても繊細な筆致にちょっとびっくり。
「言語」には数に限りがあるのに、その言語によって紡がれる「文章」の色は無限なのだと改めて感じました。特定の作家さんの小説ばかり読んでいると、ふと違う作家さんの本を手に取った時、その筆の趣きの違いに新鮮な感動を味わえるものですね。
気になっていた表題作は、絶望感すら漂うタイトルと「再生」というのがどうにも結び付かなかったのですが、読んでみれば繋がりました。
「きみがつらいのはまだあきらめていないから」と自分に言い聞かせながら苦難の日々を送るある男性がいて、その男性と自分を対比させ「自分は未だそれほどの苦悩ではないのだ」と前を向く力を得る主人公。
実は私にとってこれは意外な展開でした。他者との対比で自己を奮い立たせることなど、上手く言えないけれど何だか反則のようにも感じたのでした。
しかし読み返してみると、それは反則などではなかったです。対比というのは単に苦悩の度合いを挙げてのものじゃなく、自分自身の心の在り方の対比だったんじゃないかと気付いたので。きみがつらいのはまだあきらめていないから、そう自分に言い聞かせることのできるもう一人の自分が居てもいいんじゃないか・・・主人公である男性がそう感じたことでふっとラクになれたことが何となくわかったような気がしたのです。
この言葉、望みを捨てたようでありながら、不思議に力をくれる気がします。

七編の中では「冬の海を泳ぐ人魚」が好き、かな。
『夜の果てまで』がベストセラーとなった代表作とか。機会があれば手にとってみたいと思います。
今夜は赤ワインのウチ呑み。
「とうにあきらめたはずなのに、なぜかまだつらい」というきもちになる
ことがときどきありますが、それって「じつはまだあきらめきれてないから」
なのかもしれませんね。
っていうか、もっと漢字を使えよ、と(=^_^=) ↑
>それって「じつはまだあきらめきれてないから」なのかも
それはそうなのだとおもいます、きっと。
でも・・・なにについてのことかはわかりませんが、(かいてることと矛盾するかもしれませんが)やはりあきらめないでください。
敢えて私も漢字を避けてみました。(^^)