「処分する前にもう一度観ておこう」シリーズ(結局こんな命名が固まりつつあり恥ずかしいですが・・・)の第三弾で『髪結いの亭主』(パトリス・ルコント監督)を観ました。
80分の比較的短い作品なのですが観返したのは本当に久しぶりでした。
子どもながらに「髪結いの女と結婚する」と誓ったアントワーヌの、美しい髪結いの女性との出会いと別れを回想した物語です。

※画像は映画情報サイトよりの転載です。
ルコント監督作品の鑑賞は過去7作品。
その中でも本作はどちらかと言えば苦手な一作として自分の中で印象付けていた作品でした。
だけど、なんでしょう、年月のせいなのか今回は受け止められた気がします。
それは、大好きな作家さんの一人・山本文緒さんのお言葉を借りれば「大きなことにも小さなことにも“一概に言えない”という岸辺に辿りついたから」なのかもしれません。或いはもっと単純に、喪失感に寄り添える(かのようになった)年齢の自分を感じたからなのかも。
全編ずっと夢見心地で過ぎました。それこそ、髪を触られているような恍惚感に似て。
あるのは二人だけの世界。アントワーヌ(ジャン・ロシュフォール)とマチルド(アンナ・ガリエナ)と、二人を包む床屋の空間世界。
それは妙に現実離れしていて、私にとっては夢の世界そのものなのでした。
とにかく二人の世界に酔えたのです。同じ女性なのにマチルドの柔らかな皮膚と甘美な声に耽溺し、それを慕うアマンドールの倒錯とも言い得る愛情表現に、身を委ねとことん心地よさに浸れることができたのです。
子ども心に豊満な女性理容師に官能の扉を振るわされた少年アントワーヌ。彼はそのまんま大人になっていて、だから余りに純粋すぎたことがマチルドには怖かったのかもしれないですね、彼の心を見失う時がやがて来るようで。
彼女の最期は漠然とではありますが予期できたことでした。あまりに突然のようでありながら、実は彼女には語られない謎の部分が多かったですもの。例えば彼女の左手首の深い生傷。例えば「人生っていやね」と呟いた彼女の諦観的な横顔。
でもやっぱり、あまりに突然でつらいマチルドの行為なのですけれどね。
あのヘンテコな踊りもアントワーヌの心の投影なのかも知れません。
見る度に違うステップはアントワーヌの心が自由そのものであるのと同時に、自由であるが故に永遠のものなど持ち合わせていなかったということを意味しているのじゃないかとも思えたりしたのでした。
色褪せるのならば、褪せる前に美しい色をそのまま留めておきたい・・・それは一度ならずとも喪失の苦味を知った全ての人間が望むものなのかもしれないですね。

村上春樹ファンの私にプレゼントして下さいました、ありがとうございます、Iさん。
新刊『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社 小澤征爾×村上春樹)です。
丁度出勤中の小説を読了したところでした、なんてタイムリーな。
早速明日から読ませて頂きたいです。

この作品、迂闊にも最近、忘れてました(^^ゞ
眩暈がしそうな恍惚と喪失の痛みを味わう感覚に魅了された作品で、長いこと好きでした。
病んでいるでしょうか?…(;^_^A
それともぺろんぱさんがお書きになっているように、私もある程度(?)歳になってから観たせいでしょうか…
手元にあるので、処分しないで(笑)もう一度観てみますね♪
思い出させて頂いて、感謝です(*^^*)
本作は、鑑賞した直後、即座にサントラCDを購入
してしまった記憶があります(=^_^=)
中東風の奇妙なダンスミュージック(?)が妙にマッチしてて
結構ツボにはまりましたっけ。
マチルドの選択(?)は、詳細を良く覚えていません。
また観直したら・・何かが掴める事でしょうかね〜
あぶくさん、こんばんは。こちらにもお越しくださりありがとうございます。
>病んでいるでしょうか?
いいえ、私も久々に観返してみたら魅了されてしまいましたよ。
あ、でも私、「どこか病んでいるひと」は好きです。
是非、再鑑賞なさって下さいね。
じゃあ私もこれは処分しないでおこうかなぁ・・・(^^)。
TiM3さん、こんばんは。
そうなのですか!サントラCDを御購入されたのですね!
確かにあの音楽とダンス、ツボです。こっそり自室でやってみたりして!?(私の場合)
マチルドの選択は、是非またご覧になって噛みしめて頂きたいなぁって思います。
「女だから、男だから、」という考え方は余り好きではないですが、マチルドの選択は女としての感覚のもたらしたものかと感じました。