Lさん、どうぞ安らかに。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
先の土曜にシネリーブル梅田で『サラの鍵』(ジル・パケ=ブレネール監督)を観てきました。アップが遅れましたが、綴っていたレヴューを本日ここに挙げさせて頂きます。
story
1942年7月16日のパリ。10歳の少女サラは両親と共に警官に連行される直前に、弟のミシェルを秘密の納戸に隠して鍵をかける。「すぐに帰る」と約束をして。しかし、それはフランス警察が1万3千人のユダヤ人を屋内競輪場(ヴェルデイヴ)に収容した一斉検挙だったのだ。
※画像、storyとも映画情報サイトよりの転載です。
ホロコーストという歴史の禍根は時を経てもなお、かくも酷く人の心を蝕み続けるものなのか。先ずそこに深く打ちひしがれる思いでした。
養父母の温もりにくるまれて美しく成長し、人と出会い人を愛し、新たな家族を得てもなお、自身の心を救うことが出来なかったサラを思う時、本当の悲劇は決して幕を下ろさないのだと思い知るのでした。
収容所からのサラの逃亡劇は苛酷であり、それを支え続けたのはただただ、残してきた弟への想いの烈しさでした。サラの想いが報われることは想像に難く、なにかしら別の結果が用意されていることを心のどこかでは願いつつも、あっさりと惨い現実がさらされます。
そこから十字架を背負うことになったサラの半生は、それまでの収容と逃亡の激烈なものとはまた違った意味で、深い苦しみに満ちたものになるのでした。(それまではサラ自身の心の叫びが痛いほど聞こえてきたのに、多分そこから彼女の中で何かが失われてしまったかのように、サラの半生の描き方が第三者の視点での淡々としたそれに変わっていったのは興味深い演出でした。)
サラの半生を綴ることで十分に感慨深い物語になった本作ですが、現代を生きるジャーナリスト・ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)の生き様をそこに絡めることで、違った角度からの違った趣が加えられてゆきます。
むしろ本作の中心は、このジュリアが見つめる視点だったかと思います。
「知ることには代償を伴う」とはサラの人生を追ったジュリアの言葉ですが、代償はジュリアだけでなくサラに関わっていた人々すべてに課されることになりました。
それでもやはり、私なら真実を知りたいと願うだろうと思いました。特に、我が身をサラの子と想定してみるなら。あれほどの壮絶な半生を生きたサラという人間を、母として、一人の女性として、きちんと心に刻んでおきたい、サラが生きた証を遺したい。それをもし犠牲と呼ぶなら私は喜んで犠牲を強いられようと思います。
ジュリアもサラと真正面から向き合うことで、失ったものはありました。
けれどジュリアは、サラが生きた証を彼女なりに受け継いだのです。未来への希望と共に。それは正義感とかジャーナリズム魂とかそんなものではなく、自身の生き方を方向付ける“一人の人間としての本能の発露”だったのではないかと感じました。
想いが、何かを動かすこともあります。
スクリーンでエイダン・クインを久々に観られて嬉しかったですが、最後に彼のあたたかい涙を観ることができて、なお静かなる幸福の予感にひたることが出来ました。
成人したサラを演じた女優さん、シャーロット・ポートレルという御名だとか。ただただ、魅せられました。


先月半ばに久々に訪れたワインのお店での二景。
三杯目ににいただいたデザートワインはメロウな味わいでした。
サラの人生を過去のものとして描くだけでなく、ジュリアの人生と絡ませ、
さらにジュリアからサラの子供、またジュリアの子供へと、
何かをバトンパスするような展開ですっかり見入ってしまいました。
>エイダン・クインを久々に観られて
キャスティングを見るまで、全く気が付きませんでした。
「妹の恋人」のお兄さん役やブラッド・ピットのお兄さん役から
かなりイメージ変わりはりましたね。貫禄が付いたというか。
単なる悲劇を綴ったものとは
一味違う深みが心に残りましたね。
知ることは代償を伴う・・・ほんとにそうですね。
寝た子を起こすな,というのも一理ありますが
子供の立場だったなら
自分の母親が辿ってきた壮絶な生きざまを
ホロコーストの罪と一緒にきちんと受け止めたいと思うでしょうね。
命も思いも受け継がれていくものだと切なくも温かい気持ちになりました。
>・・・またジュリアの子供へと、何かをバトンパスするような展開
そうですね。
私も、ジュリアの決断はそっちの方へ動くのだろうなぁとは思ったものの、ああいう形でバトンが受け継がれるとは考えませんでしたので静かに心を打つものがありました。
「ルーシー」って言ってたし…^^;(ああ、でも私も小さい時に持ってたハワイアンのお人形にルーシーって名付けたことあったなぁって思い返していましたが)。
私もエイダン・クインといえば『妹の恋人』を思い出します。
私もご出演とは知らなかったのですがオープニングのクレジットでエイダン・クインの名を見つけ、「いつ出てくるのかしら」と思ってたんです。
終盤に結構なキーパーソンとしてご登場、でしたね。
仰る通り、貫禄がしっかり付いてましたね。
最初の別れのままのご退場でなくてよかったなぁってしみじみ思いました。
TBもありがとうございます。私はいつもコメントだけですみません。(申し上げたかもしれませんが)実は私はTBをしたことがなくて、トライしてみようとして未だに出来ないままでいます。TB返しが出来ずごめんなさい。でもTBして下さるのはいつも大歓迎ですので宜しくお願い致しますね。(*^_^*)
ジュリアの現代人にとっては等身大といえる物語を絡めることで、いい意味で緩急がありましたね。
知る=暴く、知らされる=暴かれる、という構図に苦悶するジュリアやウィリアムの姿もななさんの仰る「一味違った」物語の趣になっていたと思います。
ラストに救われる思いでしたね。
出かける寸前に用事が入り、、地元上映はないので時間的に最終回も逃し、、
たぶん次はもう終了していると思われ、残念です。
エイダン・クイン、ステキな中年になってますよね☆
DVDのお楽しみになりそうです。
白もたまには呑みたいですね♪
映画もタイミングですものね・・・私もそういうの、あります。
DVDで是非ご覧になって下さいね。エイダン・クインは中年になっても甘いマスクとヴォイスでした。
kiraさんも「赤」派ですか。
私もやっぱり赤を好んで呑みますが、仰る通り白をじっくり楽しむのも一興でした。
もう直ぐ清盛、楽しみです。
いつもkiraさんのサイトで復習させていただいています。(*^_^*)
やっぱりのこのことやって参りました…(;^_^A
先日はありがとうございました。
>ジュリアは、サラが生きた証を彼女なりに受け継いだ
なるほど、本当にそうですね。
サラの人生をしっかりと受け止めたジュリアの強さにも心動かされました。
ジュリアの娘も「どんな結果でも教えてね」と、サラに起きた事実を受け止めようとしてましたね。
ジュリアのした事が後世に繋がって行く様に、この作品を観た私達もそうあるべきなのだろうと思いました。
あぶくさん、こんばんは。
こちらこそお越し下さりありがとうございます。
ジュリアの強さ。やっぱり強さは優しさに繋がる(優しさも強さに繋がる)のだと感じました。
ジュリアのような強さはないかもしれませんが、私も本作でサラに起きた事実を自分なりに受け止めました。それはあぶくさんもきっとそうですよね。
いつの時代になっても、どんな形でも、歴史のこの出来事が語られる作品に、また向きあいたいですね。