「人生、まさかの坂」的な出来事でかなり凹んだ一週間と少し、でした。
この先未だ未だ余談は許さない状況ながら、それでも、どうにかこうにか取り敢えずの着地ができた(と思う)今、この世の全てに感謝したい想いでいます。(全てに)ありがとうございます。
大きな大きなこの世の中でまことにちっぽけなちっぽけな自分の存在を思いつつ、それなりに頑張っていきましょ。
何をこれ以上メランコリックになりに行くの?と自問しつつ、劇場鑑賞の復活は昨年初めて本作のチラシを手にした時から観に行こうと決めていたこの一作を今日、大阪ステーションシネマで。
『メランコリア』(ラース・フォン・トリアー監督)です。

惑星メランコリアによる地球衝突の危機。
泣いてもいい。笑ってもいい。もう、地球は終わるかもしれないから。(チラシコピーより)
※画像は映画情報サイトよりの転載です。
壮大な崩壊の序曲を感じるプロローグの数分。
この序曲が終始脳裏にまとわりついて、この物語が迎える終末を始まりから決定付けていた気がしました。
だから、<第1部>で全編にわたって奇行に走るジャスティン(キルスティン・ダンスト)も「地球崩壊へ向かう序曲としての自己崩壊」と捉えられて、ざわざわとした暗鬱な思いに侵食されながらも痛々しさが先走って感じられ、彼女を断罪する気にはなれなかったです。それどころか、後半で神がかり的になってゆく彼女には既に自己崩壊を経たが故の諦観めいたものを感じ、畏怖の念に似たものさえ感じるのです。
どこか甘美で、生きるもの全ての「命」の意味が問われる厳かさもありながら寒々とした怖さが全編を覆う、これはまごうことなく崩壊と滅亡のドラマでした。
そこには崩壊後の未来への希望、現世への教訓めいたメッセージなどは、一切私には感じられなかったです(悪い意味では決してなくて)。
ジャスティンが劇中、仕事で某グラフィックアートに付すコピーを「“無”しかない」といっていた、その「無」の詞がふと過ぎったラストでした。無常の無ではなく、それはNothing(皆無)の無。
築きあげたものの複雑さに比して、それらの崩壊の、なんと完璧なまでの消滅であることか。
だけど、最後に救済を祈り手を取りあったのは何故「あの三人」なのか・・・或いは、何故「別のあの三人」ではなかったのか・・・。
ジャスティンの義兄(キーファー・サザーランド)が放った「別の可能性もあった」の言葉。人類に“別の可能性”の選択肢はあったのでしょうか。
もしかしたら、、、と今思えることが一つ。
第1部のジャスティンに続き<第2部>ではジャスティンの姉・クレア(シャルロット・ゲンズブール)を軸に綴られていましたが、もしかしたらこの壮大な「崩壊」の物語はジャスティンとクレアだけの間に起こったことなのかもしれない?と。
カメラは終始、ジャスティンとクレアが暮らす山上の住まいだけを追っていました。もしかしたら地球はそのままで、この宇宙的崩壊はジャスティンとクレア姉妹二人を取り巻く世界に於いてのみ起こったことなのかもしれない、などと感じたりもしました。
それは一つの違った角度からの観方として、しかしとにかく、「すごい映画を観てしまった」と感じている今です。
私自身の心持がかなりブルーだったからか、本作から放たれるダークな世界を真正面からどーんと受け取ってしまった気がします。
映像の美しさとそこはかとなく漂う怖さと、荘厳なクラシックの大音響が作り出す「自己の最後」の世界。
観方によっては確実に何かを背負ってしまうかも知れない一作ですが、背負うもののない人生などないとすれば逆に心の中の何かを変えてくれる一作になるかもしれません。

少し前の友人たちの集いで残った赤ワイン1本。
なかなかどっしりとした味わいでした。

これは今年楽しみな映画TOP10のうちの1本なのですが、期待に違わずでした。
美しければ全てよし、ということでもないんでしょうけど、滅びを美しく描くことにはやはり魅せられてしまいますねー。
クレアが見た世界とジャスティンが見た世界が描かれていただけなので、他の人からみたら全く違うものが見えていたのかもしれませんよね。
かえるさん、こんばんは。
私も本作は心待ちにしておりました。そしてやはり「受けたもの」は大きかった気がします。
>全く違うものが
自分にとってはそれが全てであっても、そうでない世界が存在していたりして、とか考えたりしました。でももしそれが全ての存在に等しく訪れていたものなら、あの結構な強烈キャラだったママ・ギャビーの“その時の迎え方”も気になるところです。
それにしても、かえるさんの「今年楽しみな映画TOP10」と仰るラインナップに興味津々です。貴ブログを追わせて頂きます。(^^)
この映画なんかご縁があったようで、結局見る事になったんですが、
映画館で見るべき映像やなぁという感想です。
“巨大惑星が地球に接近!”なんていうテーマをこんな風に撮る人は
他にはいないかもなんて考えてました。
個人的には第1部、ちょっと長く感じてしまいましたが。
地球以外に生命は存在しない、つまり全てが“無”になるという事をどう捉えるのか。
ジャスティンとは対照的なクレアのように、“恐怖心”を中心に描くコレまでの映画とは違い、
普段気が付かない“暗”い部分から投げかけた視点で捉えた世界を
見せられたような、そんな面白さがありました。
労いのお言葉、ありがとうございます。(*^_^*)
取り敢えずは、乗り切れました。
第1部。確かにちょっと長かった感じもしますが、あの“心をかき乱す”“何とも憂鬱にさせる”独特の運びは、世界の終りにあたって「どうしようもない無力感」を抱かせるに十分なものとなった気もします。
>普段気が付かない“暗”い部分から投げかけた
私も鑑賞時に、自己の中に“より暗い部分”を深く感じていたから「逆に心の中の何かを変えてくれる一作になるかも」と感じたのじゃないかと思いました。
私的には受けたものは大きかったです。
キルスティン・ダンストという女優さんにこれだけ気持ちを注いだのも本作がはじめてかも、です。
コレ、ソレイユに来るのが決定してまして!
今から楽しみにしてます(=^_^=)
ソレイユさんのチョイスに喝采!です。
そして、そんなTiM3さんのレヴューをこそ私は楽しみにしております。・・・たとえ、ベクトルの違う御意見でも!(*^_^*)
これって、映像がとても綺麗って印象です。
ヒューマン系、SF系、なんだか過去に観たこともない不思議な印象を受けます。
この映画も鑑賞したかったんですが
次回にするつもりが、いつのまにかレイトオンリーになってしまいました。
名古屋まで行って、レイトの1本観て帰ってくるって、、、テレビ放送まで待つことにします(苦笑)
itukaさん、こんばんは。
映像は美しいです。
でもその美しさが更に心をざわつかせるのですが。それも不思議な感覚です。
レイトになってしまったのは残念です。
でもいつか出会って下さいね、本作。(^^)
体調的にサイアクだった中を、観て来ました〜
(で、また体調を崩しました〜)
気合を入れて第1部を観てたので、余計に疲れました。後から考えたら、第1部ってあんまり意味がなかった気もしますよね(=^_^=)
個性的なキャラが次々にいなくなるってのも、色んな想像をかき立ててくれましたね。
姉妹の中だけの物語だった・・と解釈すれば「キーファーを馬小屋でアレしたのはクレアだったかも」とか「レオは実はいなかった存在なのかも」とか、様々に妄想が膨らんだりします。
キルスティンは頑張ってくれてたけど、やっぱり彼女が苦手なのも再認識しました(=^_^=)
TiM3さん、こんばんは。
「サイアクだった中を、」とのこと、その後お身体は如何でしょうか。
第一部は確かに冗長な感じも否めないかもしれませんが、あの精神が擦り減って細胞が少しずつ死滅してゆくような感じがラストにつながっていたのかな、と感じました。
>様々に妄想が
はい。これは実はこの姉妹の長年の複雑な関係性が生じさせた(幻の)世界なのかも、と思ったりしたのでした。
私もどちらかといえばキルスティン・ダンストは苦手でした。でも本作でこの女優さんのことを初めて??ちょっといいなって思いましたよ。(^^)