シネリーブル梅田で『生きてるものはいないのか』(石井岳龍監督)を観ました。
『メランコリア』に続き、また「世界の終り」を観てしまったわけです。
story
原作となるのは、小説家としても活躍する劇作家・前田司郎の岸田國士戯曲賞受賞の戯曲。
怪しげな都市伝説がささやかれている病院と併設されている大学キャンパスで、病室から脱出する娘や都市伝説のことを話す学生、三角関係に陥っているカップルなど、ワケありでクセのある面々が不可解な死を遂げていく。そして、それらを機に次第に日常が非日常へと転じ、世界は滅亡へと動き出していく。

※story、画像とも映画情報サイトよりの転載です。
今までに観たことのないような、そんな映画でした。
石井監督の御名は私は全くインプットしておらず、今まで氏の作品を一度も観たことはなかったですが、この監督の名を忘れることはもう決してないでしょう。
冒頭シーンは「音」(音楽)とともに“つかまれ”ました。あれで一気にぐんと引き込まれた感あり。
ラストは傑出の趣。
絶望的なのに何故か心の解放すら感じました。
本作の原作が舞台劇の台本であることには深く頷けるものがありました。
舞台という限られた空間であの絶望感を表現するのは、息苦しさを伴う負の相乗効果を得られるのかもしれないな、と。しかも、あの“ブラックでパンキッシュなギャグ”の応酬は、それこそ限られた空間の中でどこまでも不気味さを増殖させてくれそうです。
時に派手に時に地味に、終始ギャグが横行し笑わせられるのに、寒々とした怖さがじわじわ迫って来ます。そういえば、「寒々とした怖さ」は『メランコリア』でも感じた感覚でもありました。
いつの間にか「こうなったらもう仕方ないのかな」とあっさりと思える自分がいたことに少なからず驚きました。
最期の時に「独りでいたくない」という気持ちは分かりますが、誰も周りにいないのなら・・・それも仕方がない。やり場のない孤独感が自分の中で大きくなってゆくのを感じました。
レヴュー冒頭に「心の解放」とか書きましたが、それは「救い」という意味ではありません。むしろ世界が終わるときには「救いなど存在しないのだ」と思わせる無力感がもたらす諦観めいたものだったと思いました。
言葉を亡くすあのラスト、劇場で体感してみる価値はあるかも知れません。

明日、東日本大震災から1年になりますね。
大阪天満宮の白梅は凛とした美しさを見せてくれていました。
あらためまして、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

>「救いなど存在しないのだ」と思わせる無力感
なんだか体感したような気分に一瞬陥りそうになりましたが、
見てないのにそんな訳ないので、できれば見てこようかと思います。
良い映画とは言えないかもしれないけれど、映画の世界に入り込んでしまう、
そんな印象を「メランコリア」を見た時に感じたのですが、
もしかしたらこの作品も似たようなモノを持っているのかもしれないなぁと想像しています。
>良い映画とは言えないかもしれないけれど、映画の世界に入り込んで
そうですね。そんな感じです。少なくとも私は引き込まれてしまいました。
ただ、賛否は分かれる作品だと思います。
事実、理解しかねるシーンもあったりしましたので。
でも、この監督さんの名は忘れないだろうなぁって思っています。
もしもご覧になられるならばレヴューを楽しみにしています。(賛否どちらの視点でも (^^))
石井岳龍(聰亙)監督は、80年代90年代の日本映画の最先端を行ってた人で、まだ音楽人だった町田康さんや陣内孝則さんが出てる「爆裂都市」は、一生分の衝撃的な作品ですし、夢野久作原作の「ユメノ銀河」の死ぬほど綺麗な映像と恐怖は、本当に凄いです。
改名されて、教鞭をとったりしてるので映画製作は?…て思ってたんですけど、ネットニュースで最近映画が作ったというのは知ってました〜。
うー、見たいけど、結構重量感ありそうですね。
でも、見たい!w
石井監督にお詳しいのですね、dkさん!
ご教授ありがとうございます。勉強になりました。
『爆裂都市』、町田康さんは小説で結構惹かれるところがありますのでぜひ観てみたいものです。『ユメノ銀河』もdkさんの仰る「凄さ」が妙味深いところです。
本作でも映像美が光るシーンがありました。
ぜひdkさんにご覧になって頂きたいところです。(*^_^*)
>結構重量感ありそう
確かにテーマは重たいのでしょうけれど、とにかくギャグが満載でぷぷっと吹き出してしまうところが結構あるのです。でも笑いながらも薄ら寒い怖さがひたひたと押し寄せてくるのですけれどね。その辺りの間合いが独特のものを感じさせてくれました。
ラストは是非スクリーンで体感して頂きたいな…と。
いえいえ、しかしもしもお気が向かれれば・・・です。(^^)
ケイスケが「こんな時だから一人になりたくない」というのに対し、
ミキが「こんな時だから一人になりたい」というのが対照的でした。
その後の、この距離なら一人云々という会話も、どうでもいいのに何か面白くて。
監督もセリフはほとんどそのまま使ってると言ってはりましたが、
様々なセリフの“間”がお芝居ぽかったなぁと、
帰ってから思い返しています。
>誰も周りにいないのなら・・・それも仕方がない
あー、私は一人でいられないかもしれません。
血眼になって人を探しそう。
そして「いや、ホントに急いでるから」と迷惑がられそうです。(笑)
石井監督は「逆噴射家族」の人なんですね。すごい懐かしい。
小林克也さん主演のブラックな映画やったと記憶してます。
ラスト、なんか気持ちよかったです。
ゆるりさん、こんばんは。
語弊ありません(^^)、そのひと言に尽きるのかも、です。
そうなのですよね、台詞の間合いの妙味が舞台を想定してのソレのようで、舞台劇としての本作も観てみたいと思わされた鑑賞後でした。
あ、私も誰かが近くにいてくれたらいいかなとは思うものの・・・でも何に付けサバイバルに弱い自分を自覚しているので諦めも早いかと。^^;
でも叶うならウチの猫は一緒にいて欲しいかなぁ。それでもって、猫の最期をみてから私が、という構図で(人間同士なら逆の思いかも)。
>石井監督は「逆噴射家族」の人
あー、やっぱり私は勉強不足です、それも知りませんでした。いつか機会があれば観てみたいです。(*^_^*)
「どうせ死ぬんだから」みたいな理由で、何度も扼殺してしまう展開に、
どうにも不快さが残ってしまいました。
生き残ろうとしたいなら、もう少し「賢い言動」を誰もが
取り得たかな? と思うんですが・・どうなんでしょうね。
物語のカギを握る(?)であろう「ゾンビ院長」が出て来なかったのが、唯一(&最大)の不満です(=^_^=)
そうですか、TiMさん的には不発でしたか。
>生き残ろうとしたいなら、もう少し「賢い言動」を
生き残ろうっていう感覚がそもそも余りなかったような。むしろ、誰もが「最後の一人にはなりたくない」っていうような。で、終りは「感情も含めての(全ての)終り」なのかなぁと思ったりしました。
しかし不快さが残るって言うのも頷けます。
>ゾンビ院長
ゾンビ院長? はて? 細部を思い出してみます。
しかし、ソレイユさんのチョイスには私的には拍手です。(*^_^*)