2007年09月17日

連休PARTU マイ・プライベート・アイダホ(VHS鑑賞)

今連休中にも、もう一本。

先般鑑賞の『エレファント』に続き、“気になるお題”の一つであった『マイ・プライベート・アイダホ』(ガス・ヴァン・サント監督)をVHS/VIDEO鑑賞。
今は亡きレイヴァー・フェニックスの魅力がほどばしっている1991年の作品でした。

story
 鬼才ガス・ヴァン・サントの長編映画第2作。ストリート・キッズのマイク(リヴァー・フェニックス)は、ポーランドの街角に立ち、体を売っては日々暮らしていた。彼には、緊張すると眠ってしまうという奇病がある。そんなマイクの親友は、ポーランド市長の息子でありながら、家を飛び出し、やはり男娼をして生きているスコット(キアヌ・リーヴス)。ある日マイクは、彼を捨てた母を捜す決意をしたスコットと共に、兄リチャードが暮らす故郷アイダホへと向かう……(シネマトュデイより)。
                NHBS-50008.jpg

  難病、ストリートチルドレン、ドラッグ、ゲイ、近親相姦など、痛々しく重苦しいテーマが描かれているのに、この爽やかさを残す感覚は一体何なのでしょう・・・。

それなりのグロい映像や響きがキツい台詞もあるのですが、シーンの切り替わりに映し出される草原、青い空に流れゆく白い雲、乾いた空気と幾分かの土埃を含んだ風、アイダホののどかさを謳った音楽、そしてリヴァー・フェニックスの端正且つナイーブさを漂わせた横顔、それらが何処となく“人生賛歌”をも感じさせるのでした。
流れゆく映像の美しさには前鑑賞作『エレファント』に共通するサント監督の手法を感じました。

キアヌもうんと若く、二人の「輝ける青春映画」という感じすらしますが、実際はそんなアイドル的作品では決してありません。
(これを実際に彼等と等身大の若者が観れば「青春映画」だとは言えないと思いますから。)
ただ、リヴァフェがもうこの世に居ない人なので・・・。実際に親友だったといわれるキアヌが今はハリウッドで不動の地位を築き、同じく親友だったジョニー・デップも今や飛ぶ鳥を下す勢い(←表現古いが)なのを考えると、リヴァーの死は“人間の運命の分かれ道”を感じさせてちょっと感傷的になってしまったのです。それが(今は亡きスターの)「輝ける青春映画」という言葉に繋がったのかと思います。
                 21945view007.jpg

さて映画に戻って…。

前半は“吐きだめ”状態の生活やら、決して美しいとは言えない肉体の絡みのシーンもあって、「もういいです」みたいに引き気味になることもあった私ですが、後半は俄然ぐいぐいと物語に引き込まれて前のめり状態になっていたように思います。
そうですね、マイクとスコットがマイクの兄を訪ね、そこからマイクの母を探す旅に出るあたりから。

その旅は、二人を深い絆で結び付けながらも、決定的に“違う”分かれ道を用意した旅でした。
いつもクールに生き、自分の戻るべき道を知っていたスコットと、母の温もりとスコットの愛を切実に求め続けていたマイク。

冒頭で草むらに身を隠す野ウサギに「逃げたって同じさ!俺と同じなんだよ!」と叫ぶマイク。
彼は(社会的に見た)自分という存在の卑小さを知っていたけれど、それでも本当は心の底から愛し愛される違う人生を求めていたのですね。
このマイクの姿が、全編を通して痛々しくも凄くピュアに感じられるんです。
そう・・・すんごい痛々しい人生なのですが、「これが俺だから・・・仕方ないんだ、俺は俺でしかないんだから」というという諦めと、それでもという束の間の夢と足掻きと、希望と自棄と・・・そんなものが混ぜこぜになった感情がマイクのあの横顔を作っている感じがしました。

結局違う道を歩み、後に出会うことになっても決して元には戻れない二人でした。

何故か突然その時、「決定的に違う二人の道」というモチーフが『追憶』という映画を私に思い起こさせました。
深くは相容れることのない、近づきながらも決して重なることはない、その哀しさに胸が詰まります

                21945view008.jpg

マイクの人生は本当に壮絶。
まず、自分の出自。明言はされていませんが(否、兄の言葉で事実とわかったかな・・・)、父親が誰だったのか考えると気が狂ってもおかしくはないと・・・。それから施設に預けられ、飛び出して路上生活、男娼の道。お金のためだけじゃなく、男性しか愛せないという自我と社会的性とのジレンマ。ドラッグと酒。そして処方のない難病。

でも彼は生きている。
生きて笑い、泣き、誰かを愛し、傷つき、それでも愛を求めて旅に出る。バイクで風を切って。
その“生きてる感”がたまらない。いえ、マイクと同年齢の若い人たちが見ればたまらない、のでしょう。私のような年齢の人間からすればその姿は愛おしい。凄く愛おしいです。


一瞬にして気を失い眠りに落ちるナルコレプシーという難病で、マイクは眠りに落ちる直前にいつも「思い出の中の母」を見るのですが、その瞬間のマイクの表情が恍惚として、幸せを味わっている瞬間だと思えたのが救いだったでしょうか…。

それから焚き火のシーン
あれは今作を見た人は皆、結構好きなシーンにあげるのじゃないでしょうか。
二人の旅の中で、(物理的な意味だけじゃなく心も)一番近付いたシーンだったような気がします。

ラスト、もう彼には守ってくれる友はいなくなってしまったのだと感じさせて切なくもありましたが、マイクのことだからきっとどうにかして自分の生きる場所を見つけていくのじゃないかなと思わせてもくれるものでもありました。

だってアイダホのあの道は彼の原点だから。
原点からの再びの旅立ちだなんだと思いたいです。

               41YR3SV952L__AA240_.jpg

追記:ナルコレプシーという病気は眠りに落ちるだけでなく、その直前に激しい発作が起り、その発作の中で様々な幻影を見るそうです。それはまるで幽霊のように次々と現れ、現れるものも美しいものから醜く不気味なものまで雑多なようです。今作でのマイクの幻影はその点で、非常に優しく美しく描かれていたのだと思われます。
   
偶然にも今日の半身浴の読書中、某著に記されていたのでここに追記しました。・・・・やっぱり人生はつながっている・・・。


 さて、昨日は姫路で所用がありまして朝から姫路へ。
で、所用を終えての帰り、ついついやっぱりJR姫路駅地下の龍力(本田酒造)のアンテナショップに寄ってしまいました。
有料試飲を2杯楽しみ(1杯がなみなみと注がれるので空腹時には2杯でもかなりの酔い加減になります)、お気に入りの一本を購入して帰りました。
               龍力米のささやき大吟.jpg
          *試飲の一杯は<米のささやき・大吟醸>

購入の一本は<雄町・特別純米無濾過生原酒>です。
ふくよかな米の香り、そしてどっしりとした飲み応え、いいです。
今日は開栓して美味しくいただきました。
                龍力無濾過生.1jpg.jpg 自宅にての雄町・無濾過生
          
この映画の流れに沿えば「バーボンをロックで」というところでしょうが、結構バーボンに負けない力強さがありますよ。




posted by ぺろんぱ at 23:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
ほほぅ『我がアイダホ二等兵』(←誤訳じゃんか!)をご覧になりましたか(・ω・)

確か市長のドラ息子役でキアヌゥが助演してたんですよね?

私的には、やはりラストシーンが印象的でした。

クルマが止まって、遠目に「運び込む」のが見えるんだけど・・それがハッピーエンドなのかどうか、少し考えさせられてしまった覚えがあります。

ネットで色々調べてみたら、そう言うシチュエーションで主人公を「助けに」やって来るのが、
決まってキアヌゥだそうで、アレも彼が駆け付けたのに違いない・・みたいな希望的憶測が書かれていたりも。
まぁ、それはそれで良い解釈だね、とも思いました。
(ただもしそうなら、キアヌゥと分かるような表現を選ぶ監督さんだとは思うんですけど・・(⌒〜⌒ι))
Posted by TiM3 at 2007年09月18日 00:51
TiM3さん、こんばんは。

>『我がアイダホ二等兵』(←誤訳じゃんか!)

いえいえ、ライアンさん風に訳すとこうなるんですよね??

あのラスト、実は私も最初はキアヌさんが助けに来てくれたのかと思いきや、釈然としないままネットでみてみると「私情を狭まぬ」的「story」として書かれていたのは「見知らぬ誰かの車で連れ去られ・・・」的記述でして・・・、改めてラストを観返した私なのでした。

やはりあの旅で二人は決定的に道を分かったし、マイクはマイクの道を自分で切り開くしかないのだと思ったわけですが・・・どうなのでしょう・・・。
Posted by ぺろんぱ at 2007年09月18日 21:46
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/5476925
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック