「処前観シリーズ」の第11弾は『マイ・レフトフット』(ジム・シェリダン監督 1989年作品)です。
重度の脳性小児麻痺に冒されたアイルランド人画家であり小説家であるクリスティ・ブラウンの半生を描いた実話に基づくドラマですが、主演ダニエル・デイ・ルイスの、まさに迫真の演技が印象深い作品です。

※画像は映画情報サイトよりの転載です。
本作を観返すのは本当に久方ぶりでしたが、ラストの“シャンパンの泡とともに湧き上がる解放感”だけはしっかり心に残っていて、今回もやはりその爽快感を味わうことができました。
やがて結ばれることになる看護師メアリーとの出会いには柔らかい優しさの空気に満ちて、何かしらの幸せの予感を感じます。
彼女がクリスティ(ダニエル・デイ・ルイス)の自叙伝を読みながら「魅力的よ。感傷的でもないしね。」とその書物を評したのは、そのままクリスティという人間そのものにも当てはまることだったといえます。クリスティはその溢れ出る表現欲と並々ならぬ芸術性によって、自らの身体的障害を悲嘆し感傷的な日々に浸る段階を遥かに超えるステージに立っていたのですから。
しかしそうなるまでには当然のことながら彼自身の壮絶な闘いがあり、また、そのような精神的高みに立てていても、彼には「ある一点」に於いて自らの身体の他者との差異に悶え苦しむ時が絶えずあったのです。
愛と性を両立させられない自身の身を死を以て葬ろうとしたかつてのクリスティ。
壮絶で、感情の荒れるままに周囲に毒づく彼はあまりにも痛々しく、目を背けたくなるほどの後味の悪ささえ残りました。
求めても得られない「愛する女性との性的結合」という問題をクリスティの内面を“美化しない視点”でありのままに描ききったことで、彼の“一人の人間”としての未完成な姿が浮き彫りになり、作品に骨太な見応え感を感じられたように思いました。
落涙を禁じ得ないのは、やはりあの、床に左足を使って書いた「MOTHER」のシーンでしょう。
この子にミサなんて無理だという神父に抵抗して、母親(ブレンダ・フウリッカー)がクリスティを連れ立った夜の教会で「これが希望の灯よ」とクリスティに小さな灯を差し出すシーンにも胸が熱くなります。
母の愛はすごい。
熱く、大きく、深く、揺るぎない。
不器用で荒削りで、母親とは全く違った形ではあったけれど、確執があった父親にもクリスティを愛する心が芽生えます。母親、父親、姉弟たち、それぞれの愛に囲まれてこそクリスティの芸術への開花があったのだと思います。
そしてラストシーンの爽快感は、やっぱりイイのですよね。

ああ、こんな時にどこかでのシャンパンの画を残していたら良かったのに。
熱燗に走っていた日々が多かったです。
でも、微発泡の残る日本酒の濁りを先月山長さんでいただきましたのでその時の画を。
>やがて結ばれることになる看護師メアリーとの出会いには柔らかい優しさの空気に満ちて、何かしらの幸せの予感を感じます。
おっしゃるとおりですね。ラストのシーンではあの丘に吹く風を感じたような気がしました。ところが、実生活のクリスティは、結婚したメアリー・カーに虐待を受けていたと知り、心が痛くなりました。
>母の愛はすごい。熱く、大きく、深く、揺るぎない。
同感です。いつでも優しい母のまなざしに救われました。
ETCマンツーマン英会話さま、お越し下さりありがとうございます。
アイルランド英語と言うのはやはり趣が違いますか。
さて、実生活での妻メアリーにおる虐待…それは知りませんでした。知ったからには私も心が痛みます。その辺り、少し、私なりに追ってみたいと思います。問題喚起をありがとうございます。
母の愛、無償の愛というのは、やはりすごいものですよね。仰る通り、どれだけで救われますね。
ちょうど今『マイ・レフトフット』の原作本を読み始めたところです。
虐待についてはwikipediaの英語版に表記がありました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Christy_Brown
ETCマンツーマン英会話様、再びこんばんは。
ウィキ英語版のリンク、ありがとうございます。
早速読ませて頂きますね(・・・辞書片手に^_^;)。
原書で触れられる作品世界というのはよいものでしょうね。