シネリーブル神戸で『11・25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』(若松孝二監督)を観てきました。
単純に、11.25の背景に興味がありました。
三島小説は3冊を読んだのみですが、そこに感じた強烈な自意識の世界に半ば恐れ、理解して追随することはできず、さりとて読まなかったことにして封印するには余りに重すぎ、「もう少し触れてみたい」という思いに駆られての本作鑑賞でした。
story
「金閣寺」「憂国」などの傑作、話題作を放ち、文豪として世界からも高い評価を得ていた三島由極めている中、彼は民族派の若者たちを集めて民兵組織「楯の会」を結成し、有事が起きた場合には自衛隊と共に決起できるようにと訓練を行っていた。しかし、自衛隊には能動的に出動する機会も権利もないことを知り、落胆と不満を抱えていくようになる三島と「楯の会」の若者たち。そして、そのいら立ちは抑えられないところまでに達し、彼らは日本のみならず、世界中をも震撼させる大事件を起こす。

※story、画像とも映画情報サイトよりの転載です。
文学界では高名で地位も名誉も財もありながら、国を憂いペンを捨て、己が精神と肉体のみで世間を変えようとする三島は悲しいほどに非力であったことに、先ず少なからず驚きました。
勿論三島の言動は常に注目はされますが、結果的には(事象として)ほんの一握りの若者の心を捕まえることしか出来なかったと言えます。
三島の政治的思想の是非は、本作では問題ではありません。
ただひたすら、一人の人間・三島由紀夫の「11.25」への軌跡が淡々と語られているのでした。若松監督ご自身、三島とは真逆の思想をお持ちの方であると拝察されます。そんな監督が撮った本作は、左派・右派などの思想を超越した、三島という“不完全な一個の人間”の“完全を目指した精神の自爆”が描かれていたように思うのです。
そもそも、三島を動かしていたものはイデオロギーではなく「死にとりつかれた心」だったのではないかと私には思えました。
彼にとって「美しく生きる」ことは「この国でこの国の為に美しく死ぬ」ことだったのですから。闘いは、勝つことではなく命を賭けて臨むことに意義があると信じ、「死は文化」とさえ言い放った三島でした。
楯の会を率いる彼の姿には、“形にこだわる三島”を強く感じずにはいられませんでした。幾分滑稽さをはらむほど、その“形へのこだわり”は例外も無く弛緩も許さず、返って物悲しさを誘うのでした。そして究極の形へのこだわりが11.25の自決だったのではないでしょうか。
むしろ三島と共に割腹した森田必勝(もりたまさかつ)の、熱情に衝かれ信じる道をどこまでも突き進む姿の方に私は恐れを抱いた感さえありました。
森田必勝がいなければ、もしかしたら11.25事件は無かったかもしれません。
森田を演じた満島真之介さんが素晴らしいです。彼の存在感が凄かった。
早稲田に入学して「(オレは)正しいことをしたいんや」と瞳を輝かせる森田はやがて三島に出会い、正しいと信じる道をこれ以上ないというほどの純粋さで突き進んでゆくのです。
圧巻は終盤の11.25、防衛庁舎での演説シーンです。
「君たちに私のような生き方(死に方)ができるのか!」という叫びだったように感じました。
三島を演じた井浦新さんはちょっと線の細い寡黙な雰囲気が先立って、三島由紀夫のイメージとはちょっと違うかなと思っていましたが、あの演説シーンの彼には愚直なまでの賢明さと、三島が宿ったような自己陶酔感をも滲ませて心に迫りくるものがありました。
それだけに、(私は三島の政治的思想の支持者では決してないですが)「何も変わらなかった現実」に、戦争を知らない、問題意識を持とうともしなかった自分たちの罪のようなものを感じました。そう、三島夫人(演じるは寺島しのぶ)の最後のひと言がずしりと残ったラストなのでした。


問題意識。暗中模索ながら今はそれなりに持っているつもり。でも「それなり」じゃ駄目なんですね。
ちょっと生活環境が変わって、なかなか面白そうなお店でしたがもうお伺いすることはないのだろうなぁと思う二軒。
・・・時は変わる。
変わらないもの、変えたくないものもある・・・でも、全ては変わりゆく。
この映画、ものすごく見たいんです。なんか予告だけで胸が熱くなりました。
三島作品は購入はしてるのですが、なんというか、読めません…。とにかく文学の最高峰というか、無菌状態の部分というか。飲み込まれてしまうのじゃないかと。。。勝手なイメージが阻んでます。。
自分でも恥ずかしい位に勇気がないんですw
あとは、若松監督というのも、尖すぎます。見てしまうとどっぷり何かに浸かってしまいそうです。
>自己陶酔感をも滲ませて心に迫りくるものがありました。
凄まじそうです。。。
個人的にタイムリーな記事でした。ありがとうございます。
『キャタピラー』の監督に・・主演はそれまでの藝名をかなぐり棄てた(?) スマイル月本さんだったんですねぇ。
鬱屈した(?)若者らが何か(誰か)にすがり、何かを起こすべく暴走を企てる・・
みたいな部分が、何となくワタシに(95年の)オ※ム事件を想起させてくれもするのです(・ω・)
ソレイユ降臨を待ってみます。
お気持ち、凄く分かる気がします。
でも・・・よろしければ小説は折角ご購入されているのでしたら是非ページをくってみて下さい。イメージとぴったりくるか、イメージが(良くも悪くも)覆るか、楽しみながら是非に。もし飲み込まれてしまったとしても、(折角ご入手されたのに読まないでいらっしゃるより)それはそれで良いと思いますよ、きっと(^^)。
若松監督作品は私も怖々でした。
でも本作は、前のめり状態で観てしまいました。
全編は、しかしながらむしろ淡々と描かれている感じがしましたよ。なので映画も方も、もしもよろしければ是非に〜。(^^)
そうなのですよね、『あさま山荘への…』『キャタピラー』に続く昭和三部作の最終作品という位置付けなのですよね、本作。
井浦さんは本作で、エンドロールにARATAという名でクレジットが刻まれるのは御自身の美学で許されない、と仰っての改名だったとか。
初めはちょっと三島由紀夫とはイメージが違うなぁって思っていましたが。
>オ※ム事件を想起
そうですね。構図は同じかも知れないですね。
ソレイユさんにかかった時は是非に。(^^)