この三連休は友人カップルの来訪&酒宴という一大イヴェント?もあり、映画の劇場鑑賞はスルーしました。友人たちを見送ってから家事などして一人になった夕景の静けさの中、件の友人が貸してくれていた何作かのDVDの中からふとコレを手に取りました。確かかなり前に一度鑑賞済みの作品ですが、もう一度きちんと観てみようと思い…。
そう言えば先日、同じく角田光代さんの小説『八日目の蝉』を「映画」→「小説」の順に味わったところでしたから、私的に“旬”の角田さん原作の映画『空中庭園』(豊田利晃監督)を再鑑賞したってことになりましょうか…。
こんな夕べもいいです、Mriちゃん、DVDをありがとう。

story
家族を取り巻く人間模様を通し「家族愛」を描いた作品。
京橋家の娘・マナ(鈴木杏)は学校をさぼり気味で、弟・コウ(広田雅裕)も学校に行ってない様子。そして父・貴史(板尾創路)は浮気に忙しく、妻・絵里子(小泉今日子)は、母・さと子(大楠道代)との関係に悩んでいた。

※story、画像とも映画情報サイトよりの転載です。
ラスト数分を迎えるまで、「あの・・・これってホラーだったんですか?」と思ったりもしたのですが、ラストの数分で、澱んでいた空気が一気に入れ替わった気がしました。
そう、劇中の台詞を借りれば「窓のないラブホテルの部屋」だった世界が、実は開かずの窓が人知れずあって、そこがこじ開けられてさぁーっと風が吹き込んできた、という感じでした。(原作小説のラストは違うらしいのですが。)
確かにあったはずの、母娘の長年にわたる確執。
長男コウの言葉どおり、「思い込むばかりでは一番大切なものを見落としてしまう」ことはあるのかもしれません。それがどれほどに本来と違う結果をもたらすことになるか。
いま世間の耳目を集めている滋賀県の某事件についても、被害者の少年に、違う視点でどこかに心の風穴を開けてあげ得る一点が無かったかと思うと、、、とても辛いです、心痛みます。
すみません、本作に話を戻しますが、すごく嫌な気持ちにさせられた登場人物・ミーナ(ソニン演じる)でしたが、劇中で彼女が放った「南向きの窓は洗濯物がよく乾くためにあるんだよ!」っていう台詞からは、物事を難しい視点で考えるより、自分自身の心と体で感じたままのことを大切にすればいいんじゃない?と教えられた気がしました。
血の雨を降らせ自己の来し方を嘆き絶叫する絵里子の描写で彼女が「生まれ変わる姿」「再生」を描いた演出は凄かったけれど、欲を言えばもっともっと、もっともっと絵理子に迫って欲しかったなぁという思いはあります。それまでの絵理子の苦悩に報うくらいの心の質量を画像にして。(これはスクリーンで体感しなかったせいもあるでしょうか。)
しかし、、、どう考えても貴史のあの一連の行為が「(この気持ちは)愛としか言えないだろ」って言った夫の取る行為とは思えませんでしたねぇ。最後のシーン以外は彼の愛情を感じさせるものはなかった気がします。(原作でもそうなのでしょうか? それは本を買って自分で確かめてみます。)
絵里子が思春期に「暗闇」に陥ったのも、年を経てそこから抜け出せたのも、母親・さと子の言葉が切っ掛けであったことを考えると、映画である本作も「八日目の蝉」と同様、やはり男性・父性の存在の薄さとでもいいましょうか、それだけ「母娘」という形の問題に強く迫った作品であったのだなぁと感じました。


過日の仕事帰り、久々にお伺いしたJazz Bar Wishy-Washy さんでの乾杯二景。
あ〜、やっぱりこのお店のオリジナルカクテル<ウィッシー・ウォッシー>はとっても美味しいです。