2013年04月03日

偽りなき者


  シネリーブル神戸で『偽りなき者』(トマス・ヴィンターヴェア監督)を観てきました。
これはもの凄く辛いだろうなぁ…と鑑賞を躊躇っていたのですが、やはり観ておきたたかったのでリブ神に足を運びました。

story
離婚と失業の試練を乗り越え、穏やかな日常を取り戻したかに思えたルーカス(マッツ・ミケルセン)は、ある日、親友テオの娘・クララ(アニカ・ヴィタコプ)の作り話が元で変質者の烙印を押されてしまう。無実を証明できる手立ては何もない。あるのはクララの証言のみ。クララの言葉を信じ込んだ人たちは、身の潔白を説明しようとするルーカスの声に耳を貸そうとせず、ルーカスは仕事も親友も、そして信用も全てを失ってしまう。そしてルーカスに向けられる憎悪と敵意は益々エスカレートし・・・。

                      偽りなき者 1.jpg
                          ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


※結末に触れる記述をしております。


  邦題「偽りなき者」と原題「JAGTEN」では、この映画の視点そもののが違ってきます。
オープニングで原題「JAGTEN(「狩り」の意)」がスクリーンいっぱいに映し出され、否が応でもこの「狩り」なる言葉が心を占めることになりました。そして結果的に、本作はこの「狩り」の意が実に多くのことを物語っていたのでした。


この地方には伝統的な風習としての「鹿狩り」が存在し、男子がいわゆる一人前の大人として認められる儀式的なものとして、また大人の男たちの社交の場としても盛んに行われていたようです。
デンマークの美しい秋の風景の中、清澄な空気を天まで貫くようにとどろく一発の銃声。ルーカスが仕留めた一頭の鹿。
一瞬にして命を絶たれ横たわる鹿を前にルーカスの顔には清々しささえ感じられるほどの満足感が浮かんでいて、絶命した鹿の顔面が大写しにされるや否や、何やらただならぬ心のざわつきを感じずにはいられなかった私でした。これは何か途轍もなく厭なことがことが起こるのではないか、、、それが直感としてスクリーンから漂ってきた空気でした。
その後にルーカスの身に起こった一連の出来事はまさに「人間狩り」のような世界。疑惑は確信に姿を変え、やがて彼の家族をも標的に、底知れぬ憎悪となって彼らを襲う。スクリーンの前で凍りつくほどに、その憎悪と敵意は執拗に彼らを追い詰めます。
想像だにしなかったラストシーン。その衝撃と当惑は、狩る者に芽生えた憎悪と執念と狩られる者に課せられた恐怖と絶望は、一度芽生えたが最後、二度と消えることはないのだということを一瞬にして観る者に悟らせた気がします。この演出は凄いなぁと思いました。

                      偽りなき者2.jpg

事件の背景には幾つかの「気付かぬ罪」があったように思えます。

クララの嘘。たとえ小さな乙女心が傷つけられたにせよ、なぜクララはあの一瞬にあそこまで残酷になり得たのか。彼女の抱えていたであろう精神的疾患のようなものも一因かもしれないし、彼女の両親が果たしてそんなクララに十分な愛情を注いでいたかどうかとなると疑問でもある。何より、クララの兄とその友達が直前にクララに見せたある一枚の写真が彼女のあの嘘を誘発したとは言えはしまいか・・・。そして園長のグレテ。重大な案件にも関わらず、なぜ十分な調査も行わず事態の公表に踏み切ったのか。
それら何人かの、本人すら気付かぬ罪が重なってルーカスを追いつめる事態になったのは否めないと思います。けれど狩られて処刑されてしまうのは無実のルーカスただ一人。無念で悔しいです。
この地を包む空気はこれほどまでに澄んでいるというのに・・・樹々の彩りはこんなにも豊かで美しいのに・・・そして本当は皆、気のいい仲間たちであったはずなのに・・・。

息子マーカスと、信じてくれたごく僅かな友人に助けられたルーカスでしたが、最後の最後で現状打開に導いたのはルーカス自身の爆発した魂の叫び。自身の尊厳と息子への愛を胸に逃げずに闘った姿に、人はどのような状況下でも失ってはならないものがあることを知らされる思いでした。

クララ。自分のやったことは罪深いことだったのだといつか分かる時が来ることを願いたいと私は思うのです。小さな子供だから仕方がない、忘れればよいと言うのは、子どもは無垢だから嘘をつかないと思い込むのと多分同じ危険をはらんでいると思うからです。
なにより、“ある一つの大切な命”が犠牲になったことは間違いがないのですから。(冷たい雨の中、スコップを持つルーカスの姿はもう二度と見たくありません。)

                     偽りなき者.jpg

人との関わりは、残念なことに、時に非常に危険なものになり得てしまう。
無味無臭の放射能が一たび流れ出ると土や水や木々を汚染し続けるように、一度芽生えた人間の負の感情がいかに執拗に人の心を蝕んでゆくか、、、つらいと言うよりとても怖い映画だったと感じます。

マッツ・ミケルセンには惜しみない拍手を贈りたい思いです、素晴らしかったです。だからとても苦しかったですね、観ていて。 クララを演じたアニカ・ヴィタコプちゃん、子役と呼ぶのが憚られるほどの存在感。目と表情と小さな仕草で、真っ直ぐで時に残酷な子どもの“得体のしれない怖さ”オーラをこれでもかというほどに放っていました。どんな凄い女優さんになっていくのでしょうね。


             オサ シラー.bmp  オサ.jpg

 重たい映画のあとは、どっしりと重く濃厚な赤<ベンタ・ラ・オサ・シラー>。スペインのワインです。ラベルがユニーク。



posted by ぺろんぱ at 05:10| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記
この記事へのコメント
いつだったか、TVでヨーロッパでは、悪い事をした子供には
町の人たちが戒めの為に(ケガをしないようなモノを投げる)という習慣があると報じていました。
例えば盗みをした少年をめがけて(モノが何だったか、思い出せない)オトナが物をぶつけるのです。
そうして、「悪い事をすれば町の大人が見てる」と云う事を教え、罪の意識を持たせるのだとか、、。

しかし、これは現代の話であり、警察の捜査を待たずに確信してしまった園長の罪は大きいですし、
いくら幼い子の作り話だとしても、大人同士でウラで秘密裏に和解しただけでは、済ませられないことだと、
凄く憤りを感じましたね〜。

で、この邦題のつけ方、いかにも日本人的視点ですよね〜。
逃げて、故郷を捨てて引っ越すという選択をしないで
あくまでそこで闘う男の姿を観て欲しかったのでしょうか。。。
Posted by kira at 2013年04月03日 22:26

Kiraさん、こんばんは。

そうですよね、やっぱり悪いことは悪いと教えるべきなのじゃかいかと思うのですよね。
勿論本作の事件では大人が勝手に先走ってしまった感は無きにしも非ずですけれど。でも身近で接してきた人々の中の誰かが「どうしても信じられない」と思って欲しかったですよね。
特に、はい、グレタは罪深いですよね。でも彼女の行為は公的には責を負わないですよね、、、そういうのが何だか怖かったです。
ヨーロッパのその風習に思いを馳せれば、日本人は「デリケートな問題には極力デリケートに接する」という姿勢が非常に強いのだなと感じざるを得ませんね。それが我々日本人の良いところなのかもしれませんが・・・。

仰る通り、この邦題は日本らしさの現れなのかもしれませんね。あくまで潔白の主張を貫くという…。
でもね、あのラストが無かったとしても、私は一度あそこまでになった人々との関係が過去のことと流せることは不可能ではないかと感じたものですが…。
あ〜、でも本作を観たあとは本当にいろいろ考えさせられたのでKiraさんとこうしてコメントのやり取りさせて頂いてモヤモヤが晴れましたですぅ。

Posted by ぺろんぱ at 2013年04月04日 18:51
トレーラーを見ただけで苦しくなったので
見に行く勇気がでなかった映画です。
特に子供が嘘をつくという、ある意味禁じ手のような原因もしんどいですし。

でもやっぱり気になる!で、レビュー助かります。
>一人前の大人として認められる儀式的なもの
いかにも狩猟民族って感じですね。
私自身は、食べる為ではない社交の為の狩というものに、何か抵抗感を感じます、

子供の証言によって大人が罰せられるという状況に、映画「つぐない」を思い出しました。
こちらは“嘘”ではなく“思い込み”からの証言で悲劇が起こるのですが。

マッツ・ミケルセンは、苦悩する人のイメージがどうしてもつきまといますね。
(もしくは悪役か)
いつか、彼主演のおバカなコメディなんて見てみたいなぁ。

ケン・ローチ作品は近々見に行く予定にしていますので、またおじゃまさせてください。
Posted by ゆるり at 2013年04月19日 18:42

ゆるりさん、こんばんは。

仰る通り、本作はかなりキツイです。
動物と暮らす者には更に厳しいところもあり、今も蘇る辛いシーンがあります。確かゆるりさんもそうではなかったかと思うと、敢えて薦めるわけにはいきません。
しかし、もしも、近い将来にまた本作を思い出されることがございましたら一度ご覧になってみてくださいね。ゆるりさんのレヴューも拝見したい思いです。

『つぐない』
そうでしたね、あれもかなり辛いものがありました。「偽りなき者」のクララも、途中からは自分の言ったことの真偽が曖昧になってしまうなど、あながち彼女を責めきれないことにやるせない思いに包まれたのでしたが・・・。
私も社交としての狩りには抵抗を感じる一人です。
手段が銃というのも、完全に狩る者と狩られるものの力の均衡を欠いていますしね。

>彼主演のおバカなコメディなんて見てみたい

ホント、そうですね!
私も、マッツさんとの出会いは「苦悩するひと」の彼でした。以来、ずっと・・・007の悪役を除いて、ね。(^_^;)

ローチ監督作品で、またお話できる日を楽しみにいたしております。(*^_^*)


Posted by ぺろんぱ at 2013年04月21日 19:35
もう1年半も前の上映になるんですね。
つい最近やっと録画したものを見る事ができました。
遅くなってしまいましたが、ぺろんぱさんのレビューをもう一度拝読したくて、
お邪魔しました。

クララがあきらかな悪意でウソをついた訳じゃないという展開は、自然でしたね。
が、園長の態度はちょっと極端というか、一方的で首をひねってしまいました。
最初にルーカスが園長に話を聞かれた際に、もっときっぱりと
自分に非が無いという態度を彼にしてほしかった!
ルーカスが良い人すぎてちょっとイライラしてしまいますわ。
私やったら、名誉毀損であの村の住民全部を訴えるわ!とすごい鼻息で見てました。

クララが何もされていないと確信した父親が、その事をちゃんと公にしたのか?
そこんところも、すごく気になってしまって。。。
そこは、事実を明白にすべきだから、うやむやにするのは許せないのです。
私、やっぱりキツい性格なのかもしれません(笑)

最近WOWOWで「バトル・オブ・ライジング コールハースの戦い」(2013年)という
マッツさん主演の映画を見たのですが、こちらもなんだか悲劇的展開で。。。。
やっぱりシリアス路線が似合うお顔立ちということでしょうか。

ちょっと毛色の違ったところでは、STARチャンネルで放送中のドラマの
ハンニバル・レクター役が評判のようですね。
私は見てませんが(怖くて見られません〜)
Posted by ゆるり at 2014年10月20日 21:51

ゆるりさん、いらっしゃいませ。
再度のご来訪、嬉しいです(*^_^*)。

>もっときっぱりと自分に非が無いという態度を
>事実を明白にすべきだから、うやむやにするのは許せない

同感です。
私もそこのところ、随分とやるせない気分になりました。
仰る通り、良い人過ぎるんですよね。
たしかに、耐えに耐え抜いた彼は凄いけど、もっと違う闘い方もあったのではないかと思いました。
それに、私も潔白は身を以てでも証明したいと思うタイプです。
ゆるりさんと 同じです^_^。

>やっぱりシリアス路線が似合うお顔立ちということでしょうか

こちらにも烈しく同感です。
お顔立ちの薄さが幸薄いイメージに繋がるような、真一文字に結ばれた唇が大きく広げられるのは想像しにくいような、そんな感じです。
前回のコメで書いてくださっているように、ホント、おバカなコメディーをもしやって下さるならこんな新境地開発は無いですよね。

ハンニバル・レクター役とは!!
意外です!!
私は怖くて、というよりSTARチャンネル未加入で見られません〜。^_^;



Posted by ぺろんぱ at 2014年10月21日 20:44
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Excerpt: 決して、譲れないものがある―― 原題 JAGTEN/THE HUNT 製作年度 2012年 製作国・地域 デンマーク 上映時間 115分 脚本 トマス・ヴィンターベア 、トビアス・リンホル..
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Tracked: 2013-04-03 22:06