数日前に春樹新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)を読み終え、現在の通勤電車中の友は友人apさんが貸してくれた伊坂幸太郎著『終末のフール』(集英社文庫)です。

この新刊『色彩を…』、実は想像していたよりも“しっくりと”馴染んだ一作でした。
例えば直近の先品で言えば、『1Q84』は二度読んだのですが何故か、青豆と天吾くんに(彼らそれぞれの一番大切なところに)私は近づききれなかったのじゃないかという思いが残っているのです。それは、心の赴くままに春樹小説を読み耽っていたひところに比べて、きっと私自身が歳をとったせいなのかも知れないなと感じたりしていました。自分でも気付かないうちに心のノリシロみたいなものが擦り減ってしまったのかもしれないな、と。
比べるものではないかもしれませんが、しかしこの『色彩を…』の多崎つくるクンには、すぅっと自然に寄り添うことが出来たと感じます。
あるいはそれも、私自身が歳をとったせいかもしれません。(これは、本作を読まれた方には何となく分かって頂けるのではないかと思います。)
もうワンステージ語って欲しかった思いも否めませんが、でもその、掬いきれずにちょっとこぼれゆく感覚もまたヨシ、なのでしょう。
読んでいて、何度か『神の子どもたちはみな踊る』(春樹さん著 新潮 全6話)とのシンクロを感じました。春樹さんを通して、あの出来事の深く荒々しい爪痕とソレが一瞬にして奪い去っていったもの、そして今を生きる我々に改めて突き詰められている事々、それらを改めて感じさせられた今です。
読後の余韻に少し浸って、次は『終末のフール』へ。
二話を読み終えて未だ三話目に入ったところですが、物語の設定は興味深いです。地球規模で各地に種々の災害が頻発している今、このシチュエーションをあながち「空想の世界」と一蹴することは出来ないと思うのですよね。
想いが失速することなく一気に読了できればいいと思いつつ、今日も頁を繰りました。
帰途の車中では、追いかけてきていた夕陽がいつの間にか正面にまわって、ものすごい存在感のアピールでもって照らしてきました。エネルギーチャージ。 取り敢えず明日もまた頑張れそうかな。
もうすぐGWですね。

4月中に、近日公開の一本を観ておきたいところです。

さて、先日ちょっと暖かかった時の<麦焼酎水割り>の画。
少し前まではお湯割りだったのに。 季節の移ろいは日々いただくお酒でも感じるのですね。
ホンマにぼちほち・・なんですが、蔵書版(?)サイズの
『海辺のカフカ』を読んで行ってます。下巻。
この作品って、舞台が、何と高松なんですねぇ! 知らなかった!
カーネル・サンダースみたいなおっちゃんが(脈絡なく)出て来たりと、
春樹センセイのはっちゃけぶり(?)がちと過剰ですが、
もうしばらく付き合ってみたいと思ってます。
TiM3さん、こちらにもようこそ、です。
そうですか、今は海カフを読んでおられるのですね。
>カーネル・サンダースみたいなおっちゃんが(脈絡なく)出て来たり
ジョニー・ウォーカーさんも出てきますよ。
他作品では羊男なんていうのも出てきます。春樹さまの世界では何でもありです。
どうぞ楽しんで頁を繰っていって下さいね。
私も本作は二、三度、読み返しています。(*^_^*)