今週末の一本は、第七藝術劇場でドキュメンタリー映画『水になった村』(大西暢夫監督)です。
いい意味で予想を裏切られることが続いています。今作も、本当にいい意味で期待を遥かに上回るものでした。
解説
ダム建設が始まり廃村した岐阜県徳山村で、実際に水没するぎりぎりまで村に留まり、暮らしを続けた村の老人たちの姿を15年にわたって記録したヒューマン・ドキュメンタリー。これが初監督となる写真家の大西暢夫が、15年間東京から徳山村に通い詰め、村人に寄り添いながら彼らの暮らしぶりを丹念に見つめていく。
1957年、人口約1600人の岐阜県徳山村に、総貯水量6億6千万立方メートルという日本最大のダム建設の話が広まった。みな次々に近隣の街につくられた移転地へ引っ越していくが、それでも何家族かの老人たちは「村が沈んでしまうまでできる限り暮らし続けたい」と街から戻って来た。写真家・大西暢夫が初めて村を訪ねたのは今から15年前。誰もいないと思っていた集落に家があることに驚いた。

ダムに沈みゆく村を写真に残しておこうと訪ねたことで監督はそこにまだ暮らす人々がいる事を知り、彼らの暮らしを撮り続けることを決めたそうです。
観る前は、「反ダム建設」「村人の尊厳奪回」みたいな作品かなと思っていました。
けれど、そこにはその手のプロパガンダ的なものは一切ありませんでした。ただそこに生き、自然と共に暮らし、その生活を愛した人々が、そしてその生活そのものが、じっくりと描かれていました。
水没する前に、そこには美しい自然の風景と大地に根を張った人々の暮らしが確かにあったのだと、静かに語り継ぐかのように。
大自然の中で、その自然とまさに「共存」するかの如き逞しい暮らしぶりがそこにありました。
野菜を育て、塩漬けにしたり蜂蜜漬けにしたり、豆を育てて餡子を作り巨大なおはぎを幾つもこしらえる(そしてたいらげる!)・・・片道4時間近くかけて山道を行き山葵を取りに行ったりもするのですが、見ていて本当にその姿が逞しいのです。皆さん80歳を超えておられるようですが、サバイバルに参加したら私なんてあっさり負けてしまいそうです。

夫亡き後、母屋を解体、納屋を住めるように工夫して電気もガスもないバラックで一人暮らすおばあちゃんもいました。
野を歩き山菜を調理して食べ、樽のような桶のお風呂を草木で沸かし野天風呂を楽しむその姿にはむしろ自由を謳歌する粋人の如き趣も漂うほどでした。
彼らは言います。
「ダムに反対しようと此処に住んどるんやない。此処がワシらの暮らす場所じゃ。此処にはわしらを見守ってくれる神様がおるんじゃ。」
本当にそうかもしれない。だから一人でも怖くなく暮らしていけるのかも・・・。
先述の野天風呂のおばあちゃんもこう言っています。
「幸せやー。此処に戻ってきて気儘に好きなところへ言って好きなものを食べられる。日常に感謝する気持ちや。」と。
皆さん、一様に良く食べ、良く笑い、水をむければ本当に良く喋る。
日に焼けて、深い皺をより一層際立たせて笑ってくれる。
監督以外は全員80を過ぎたご老人ばかりの映画でこんなに凄く元気をもらえるなんて不思議な感覚でした。

そして、徳山村の自然の風景の数々。
写真家である監督だから、多分万物の「最も美しい瞬間」を知っていらっしゃるからでしょうか、フィルムに映し出される自然の風景がとても美しい。時折ハッと息を呑むこともありました。その瞬間の映像を切り取ったら、15年間そこを撮り続けた大西監督の想いの凝縮した素晴らしい写真が出来上がるのでしょうか。
2008年、ダムが完成し、徳山村は浸水しました。
元気に笑い暮らしていたおじいちゃんおばあちゃん達は移転先に戻り、彼らの住んでいた家も解体され消滅、野の草木、畑に植えられ
ていた野菜、そして監督がフィルムに収めていた小さなバッタも、全て水に沈みました。
でもそこにはかつて確かに、暮らしの息遣いがあったのですね。
ダム完成のあと、移転して娘さんと共に暮らす一人のおばあちゃんを訪ねた監督。
「兄ちゃん」と慕われ村人達と共に寝起きしたりもした監督でしたが、そのおばあちゃんはすっかりボケ症状(ボケという表現は今は使っては駄目なのかもしれませんが)が出ていて、監督の事は勿論、自分の家がダムの為に解体されたことすら思い出すことが出来なかったのには、チクリと心が痛む思いでした。
それが年月の為せる業なのか、自然と共存していた暮らしを奪われた事によるものなのか・・・私には分からないけれど。

劇場ロビーには徳山村に残って生活していた人達の写真が展示されており、監督のこんな言葉が添えられていました。
「自給自足という生活が時代と共に消えつつある・・・僕はそんな時代に焦りや不安を感じるのだ」
私達の多くは何が幸せな事なのかが分からなくなって、直ぐにポキンと折れてしまいそうな心しか持てなくなっているのかもしれないなぁと、そんな事を考えながら七藝を後にしました。
さて、昨日の乾杯は元町のARIGATOU。での麦焼酎<藤の露>ハーフロックと烏賊の塩辛です。
朝一番の衝動ドライヴ?で奈良に行ってきたと仰る若きママさん、奈良で「可愛い!」と衝動買いして来られたそばちょくで出して頂きました。

そういえば映画の中で、奥さんの留守の時だけこっそり?昼酒を楽しんでたおじいちゃんがいたっけ。
ナントカ純米大吟醸でもなく、絞りたて限定生原酒とかでもなく、何でもないフツーのお酒なのでしょうけれど、とても美味しそうに、そして楽しそうに飲んでおられました。
それも、生きる原動力。
最後に、昨日の乾杯前の散策タイムで私なりに切り取った自然風景を一枚。


その地に住んでいる人達がその地で生産し消費するという自給自足というスタイル、その中では行き続けられた老人達もそこを離れると、もう生きられなくなる。怖いことです。
機会が許せば、観てみたい映画です。
(今から劇場に行ったら間に合うんだが....)
>私達の多くは何が幸せな事なのかが分からなくなって、
>直ぐにポキンと折れてしまいそうな心しか持てなくなっているのかもしれないなぁ
いい言葉ですね! 清潔すぎる生活をおくる事によって過剰にアレルギー反応が出てしまう現代人を連想しました。
村で生活していた人達の笑顔が素晴らしかったです。。。。
そうですね、15年撮り続けて来られたという事実には敬服の思いです。
自給自足という生活、単なる「体験」への憧れでは決して為し得ないものなのでしょうね。もしも必要に迫られたとしても果たして私には出来るのかなぁ・・・。
今作、機会があれば、ということで・・・。
縁があればいつかご覧になる機会が訪れると思いますし。(^_^)
私もこれ、生きる「原点」みたいなものを感じました。
ずっと以前に友人が「労働の原点は農業や」と言っていたのもちょこっと思い出しました。
でも元気な人達ばっかりだったからこそ、「ちょっと悲しい」というゆるりさんのお気持ちは分かります。
私もどっちかと言うと水周りには神経質な過剰アレルギーの人間かもしれません・・・だから余計に自分の(人間としての)脆さを痛感してしまいました。
じょさんの笑顔と笑い声、よかったですね。
あんなおばあちゃんがいたら、多分非行も引きこもりも苛めもないのかも・・・ですね。
おばあちゃんのボケ症状せつないですね・・・。
人間やっぱり〜したいっていう意欲がなくなるともう終わりかなって感じします。(ひしひしとした実感・・)
身体はかなり老化してもうアカンかーと思う時しばしば訪れるけれど、”あの映画はみのがせへんでぃっ!”と思ってる限りまだ大丈夫てことにしている今日この頃の自分。(トホホ)
>“自然とつながる簡単な方法は空を見ること”
なるほど、ですね!私もこれからそうします。
石原吉純さんもたまにはいいこと仰るんですね^^;。
>人間やっぱり〜したいっていう意欲がなくなるともう
私も空を見上げて、いい映画を観て、美味しいお酒を飲んで、取り敢えず元気な自分を確認することにします!(^_^)
今週までなので、明日か明後日に観に行ってきます。あと、元町のARIGATOUって立ち飲み屋、めっちゃ気になりますわ。
日曜日ってやってるんですかねー?
また、一緒に飲みましょう!
もともとパワー全開の冨鶴さんですが、この映画をご覧になられたら更にパワーが漲られることでしょう(^−^)。
ARIGATOU。は暫くは休みなくされていたみたいですが今は日曜定休です。
ここのママさんは絵心がおありで(って言うか立派なアーティストです)、カウンターに置かれていた手描きのポストカードは幻想的な素敵な作品でしたよ。
機会があれば是非に。
長らく御無沙汰しておりますが、また乾杯もご一緒ください。
もはやフィルムの中にしか、その村の記録は遺されないのかも知れませんが、
村の方々の(消えてゆく)記憶を補完(保管)すると言う意味では“決して前向きでないにせよ”
良い遺し方と言えるのかもしれませんね。
コンクリートの耐用年数がせいぜい30ウン年・・と聞いたこともあり、長い眼で眺めての「現代建築群」が果たしてこの先どう変わって行くのか(朽ちた曉にどうなるのか)・・
妙に心配せずにはいられません(・ω・)
これは定点観測の記録ではなく、監督自身が村を訪れ、村人達と行動を共にしながら撮ったものです。
最後にボケてしまったおばあちゃんとの会話で、それでも「友達じゃろ?」と言って痩せて指から外れてしまった結婚指輪を必死に監督に譲ろうとするおばあちゃんの様子が描かれるのですが、そこが何とも可笑しくて切ないんです。
>コンクリートの耐用年数がせいぜい30ウン年・・・
製造技術が向上しているとは言え偽装があれば更に怖いわけですね。
今は色んな偽装が表面化して来てて、刹那主義に走らざるを得なくなる世の中ですね。