2006年05月10日

展示された古眼鏡…ラスト・エンペラー

溥儀.jpg ネット情報によればジョン様は2005年の映画で清水美砂の夫役で映画復帰された由。それってどうなんやろ…。

 先日京都で「北京故宮博物院展」を観ました。
(於・美術館「えき」KYOTO)
これは、同博物院の所蔵品により清朝末期の宮廷芸術と文化の再現を意図したものです。豪華な刺繍の施された西太后の衣装のブースから一転、次のブースで私の目を引いたのは、うやうやしくケースに収められ柔らかな展示灯の光を浴びてひっそりと佇んでいる24Kフレームの古い眼鏡でした。
そうです…これは、秦の始皇帝以来約2130年に亘る皇帝政治の最後の皇帝となった愛新覚羅・溥儀の愛用していた眼鏡でした。
余りにも細く華奢なフレームのそれは、静かに「昔々あるところに僕の人生が一つありました…」と語りかけているようでした。

 最後の皇帝と言えば、その名の通り、ベルナルド・ベルトルッチ監督
一大叙事詩的映画『ラスト・エンペラー』(1987年)が思い出されます。
昔々あるところに・・・と書きましたが、溥儀がその生涯を終えたのは1967年、まだほんの40年足らず前の事なのです。
溥儀を演じたのはジョン・ローン
 3歳にして既に「天子様」と呼ばれ、無数の重臣がひれ伏す皇帝であった男が、時代の波に弄ばれ、戦犯として服役もし、やがては老いた一市民としてその人生を閉じる。その激動の生涯が壮観に、3時間弱というフィルム時間を決して飽きさせることなく語られていきます。
ラストでは、もはや観光地となった紫禁城で守衛の子に「私はかつて皇帝だったんだよ」と微笑んで言う溥儀。玉座の下から取り出した秘密の小箱からはかつて隠したコオロギが顔を出す。そこで荘厳な音楽(音楽は坂本龍一)を背景にカメラは今はもう誰も座していない玉座を静かに捉え続ける…。

全編ベルトルッチワールドで、重くずっしりとした大絵巻を紐解いていくような感覚になる映画です。

特に心に残るシーンが二つ。
両方で同じ台詞を吐いている溥儀がいます。
少年期の溥儀が実母の死を知って、幽閉(あれはやはり“幽閉”以外の何ものでもないですよね?どうですか?)されている紫禁城から出ようとするのですが、一歩手前で門は固く閉ざされる・・・そこで彼は叫ぶ。「Open The Door! 門を開けろ!」と。開けて貰えるまで(勿論開きはしませんが)叫び続け暴れまくる溥儀。
時を経て、日本の傀儡国家・満州国の皇帝に祭り上げられながら一切の権限を剥奪された溥儀。アヘン中毒と産後(映画では赤ちゃんは抹殺されたとされている)の療養という名目のもとに正妻・婉容が皇居から連れ去られる車の後を走って追いかける溥儀、閉ざされる門。そこで彼は言う。「Open The Door. 門を開けろ」と。けれどそこではただ呟くように言葉を発しただけ。
それは、彼がそれまで生きてきた人生で、「彼の言葉では門など開きはしないのだ」ということを彼自身が悟っていたからなのですよね。
私はそのシーンがすごく哀しいです。

 
 展覧会では溥儀の写真や正妻の婉容、側室の文繍の写真も有りました。
溥儀は、やはりジョン・ローンが実物より男前過ぎる!と感じましたが、正妻の婉容は演じたジョアン・チェンよりも美しいほどの人でした。
それだけに、溥儀の愛を得られず(溥儀については同性愛者であるとかの諸説がありますが、そういう肉体的愛のみならず精神的にも人生の伴侶としてさえも愛されなかった。映画の中では最後に憐憫の情が描かれ、それが救いでしたが。)アヘンに溺れ、やがては中毒死していく様には一層哀れなものを感じました。
いつの世も?女は浮かばれません。(←反論を買いますか?)

 この映画、全編「英語」です。
中国語で語られればもしかしたら趣きは更にもっと深まったかもしれませんが、映画を観進むにつれもうそれはどうでもよくなってきたように思えます。勿論中国の人が観たらやはり違和感はぬぐえないでしょう。(昨年の『SAYURI』が日本人にとって少し奇異だったのと同様。)
でもどちらにせよ我々日本人にとっては字幕だし(そういう問題じゃない??)、まず、そういうことを凌駕するくらいの「観る者を引き込んでいく力」がこの映画にはあったんじゃないかなぁと思います。
そういう意味でも、これはやはり最初はスクリーンで観た方が良い映画だと思いました。
“圧倒的”“迫り来る”映像の“力”というのは、やはりスクリーンからでないと得難いのではないでしょうか。

 自宅にはBSで録画撮りしたソフトがあります。
これを再び観るには、まとまった時間ともう少しの中国史の勉強と、3時間弱をTVの前で過ごすためのた〜っぷりのお酒が必要ですね。
(多分観終わる前にソファに崩れ落ちると思いますが。)

垂簾.jpg 美展の絵葉書より「垂簾聴政の間」
         玉座に幼い王が座り、御簾の向こうに西太后が座って政治を掌握していた・・・何だか本当に怖いですね。
posted by ぺろんぱ at 10:55| Comment(17) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
ラスト・エンペラー・・・
溥儀の若い頃と年老いてからの写真を見たときに、激動の人生(陳腐な表現ですが・・・)の中で何を感じ、何を考え、こういう表情をするようになったんだろうと思いました・・・
Posted by NAMINAMI at 2006年05月10日 15:37
老いてからの写真、実物の溥儀?
私はそれは見ていないかも知れません。
顔ってやはり作られていくものなのですね。
自分はどうなんだろう・・・と考えてしまいます。
Posted by ぺろんぱ at 2006年05月10日 17:14
はい、実物の写真です。
良い顔して年とりたいもんです・・・
そうそう、ワイン情報ありがと!!
探してみます(^_-)-☆
Posted by NAMINAMI at 2006年05月12日 22:23
は〜い、一度探してみてね。
Posted by ぺろんぱ at 2006年05月13日 19:52
私も大学の講義でラストエンペラーを見ました。
日本の天皇制も廃止すべきだと思います。なぜなら天皇制は日本国憲法のほかの条文と矛盾している点がたくさんあります。天皇が世襲制であることは、平等原理に反しています。天皇は皇居、皇族は元赤坂に住むことが定められており、職業選択の自由、居住および転居の自由が保障されていません。天皇・皇族には選挙権もありません。このような立場の人間が特定の家に代々受け継がれるのはあまりにもかわいそうです。皇族は公人になるか、私人になるかを選ぶ権利もなく、いやおうなしに公人として生きていくことを強いられています。端的にいえば、皇室には人権がなく、天皇制は非人道的な制度です。
溥儀は清朝崩壊後、皇帝でなくなったことによって人間らしい自由な生活を送れるようになったことがうかがえます。皇帝時代は紫禁城から一歩も出られませんでしたからね。
日本も共和制に移行すべきではないでしょうか。
Posted by グリム伊藤公雄 at 2009年05月18日 18:49
グリム伊藤さま、はじめまして。

>共和制に移行すべき

難しい問題だと思います。少なくとも今の私には明快な返答はできません、ごめんなさい。
現行の象徴としての皇室も「日本独自の慣習」として「功」の部分はあると思いますし、グリム伊藤さんが仰っているように「皇室と人権」の観点から鑑みると功罪の「罪」の部分もあるのかもしれません。
その辺りは徐々に修正を加えていくという方法で均衡を保てないものでしょうか。


『ラストエンペラ−』の溥儀は、解き放たれたというべきか、歴史から見放されたというべきか、あの激変の人生がとても哀しかったです。
Posted by ぺろんぱ at 2009年05月18日 20:26
 溥儀の後半生の、どこが人間的なのでしょうか?結局、毛沢東の共産革命に利用されていただけに過ぎません。『共産主義は、皇帝をも一市民に改造できる』、その広告塔として生き長らえさせられた溥儀はやはり悲劇の人です。紫禁城の城壁の外には出られましたが、人生そのものを最後まで他人に支配されていたと言う事もまた事実です。共産中国の思想改造は、確かに皇帝を一市民に改造しました。しかし、思想改造はかつてのオウム真理教が実践していた事と何ら変わりはありません。
 日本の皇族の立場には、人権的見地から確かに同情できます。天皇陛下に至っては、憲法上国民でもありません。しかし、天皇は日本国民に必要です。
 欧米では、キリスト教が生活に浸透しています。韓国でも、儒教の理念が現在でも根強く残っています。
 日本人にとって、天皇は宗教的な役割を果たしています。人間が宗教の束縛から逃れられない動物である以上、これを廃止したなら再び新興宗教の台頭が現れるでしょう。
 日本は、立憲君主議員内閣制をとっています。民主主義は社会が安定するがゆえに現時点では最も優れた統治機構と言われています。
 民主主義の根幹は、権力の分散にあります。政治権力は内閣が持ち、国民の伝統と精神的主柱を担う権威は皇室が持つ。支柱が多い家ほど、震災に強いものです。
 この伝統を、『非人間的だから』という理由で簡単に否定してよいのでしょうか?確かに皇族方は我々国民の犠牲者です。しかし、その恩恵の上に我ら国民の平和な生活が保たれているのです。人権にこだわっていたら、アダルトビデオも観られなくなります。
Posted by 勉三 at 2010年10月19日 23:07
勉三さん、はじめまして。
ご意見をありがとうございます。
私の拙い映画レヴューから、グリム伊藤様のコメント含め意外な展開(でも本作を語る上では避け難い問題ですが)となり、私自身も読ませて頂いて勉強になりました。

私も(映画を見る限り)溥儀の後半人生は身体の解放はあったにせよ真の心の解放は無かったのではないかと感じます。
今の日本に於ける『立憲君主制』の大切さも理解するところです。

勉三さんやグリム伊藤さんのように(お二方のご意見に相違はあれど)かかる問題について真剣に考え議論を辞さない姿勢は、私としてはとても大切だと感じます。ありがとうございました。

Posted by ぺろんぱ at 2010年10月21日 19:53
 遅くなりましたが、ご回答、有難うございます。
 しかしながら、この話題は歴史映画の大変に難しいところですね(笑)。
 『ラスト・エンペラー』は、娯楽映画としての出来栄えは映画史上の最高傑作のひとつだと思います。私も心から大好きな映画です。
 しかし、歴史映画としては脚色や曲解が余りにも多すぎ、史実を伝えてはいません。溥儀が列強諸国の中から特に日本を利用して清朝復活の野望を抱いていたのは事実ですし、彼が日本人と実は意外にも深い信頼関係を築いていた事もこの映画では無視され、逆に関東軍(日本の現地派遣軍)をまるで悪の権化のように描いています。
 劇中の誤りを指摘するならば、たとえば婉容(ワンロン)皇后と召使との間に産まれた子供が日本の医師に毒殺される(と思しき)非常にショッキングな描写がありました。しかし、実際は溥儀が『始末するように…』と命じたものです。しかも、父親の召使は実は殺されることもなく、戦後に溥儀と再会までしています。
 また、劇中で溥儀たち戦犯らが南京事件(※日本軍が占領後の南京で非戦闘員を無差別に虐殺したとされる、いわゆる南京大虐殺)のニュース映画を見せられる場面もありましたね。しかし、南京事件自体が本当にあった事件なのかどうか?は今でも歴史学会で争議の的となっています。
 こうした曲解を加えないと、確かに映画の内容に深みが出ないし誰も溥儀に同情しなくなるというのは解るんですが…『ラスト・エンペラー』が全世界に向けて公開されたことを考えると、無責任にも世界中の対日感情悪化を招く結果となったのでは?あれでは、日本は極悪非道の悪魔の帝国ではありませんか…。
 映画はあくまでも映画。しかし、あれだけの大作です。映画の内容が無批判に『史実』として人々に受け止められてしまう危険もあるのですから。この点はベルトリッチ監督の歴史的罪業であると私は思います。

 溥儀は、一説によると同性愛者だったと言われています。また、宦官や召使への日常の虐待も酷く、一族の人間さえ信用しない陰湿な性格の人間でした。このあたりは、流石にそのまま描写してしまっては元も子もないので、まあ仕方のないところでしょうか(笑)。
 
 
Posted by 勉三 at 2011年02月09日 22:44
 度々すみません。やはり、『ラスト・エンペラー』は大好きな映画なので、またコメントさせてください(笑)。

 私もあの映画で非常に心を打たれた描写が多々ありますので、是非とも語らせて下さい。

 映画の冒頭、三歳で皇帝に即位した溥儀は家庭教師の陳からコオロギの入った壷を貰います(あれは、中国でコオロギを喧嘩させる闘蟋という遊びがあり、それを飼育する容器です)。
 一気に話が飛んで、終盤で紫禁城を訪れた溥儀がこっそり玉座に座ろうとすると、住み込みの守衛の息子に見咎められる場面がありました。
 『おじさんは誰?』
 『私は、中国の皇帝だった…あそこに座っていた』
 『証拠は!?』
 弱々しく微笑むと、溥儀は玉座の後ろに隠していたあのコオロギの壷を取り出し、少年に手渡します。少年が訝しげにその蓋を開けると、中からコオロギが弱々しく顔を出し、少年のネッカチーフに這い上がります。
 そして、少年が振り向くとそこにはもう溥儀の姿はなく…

 …といあのシーンです。これは溥儀の死を意味しているものと思われますが、何という美しい描写でしょう!!四億の民を統治し、歴史に翻弄された彼が、死んで小さなコオロギに生まれ変わることではじめて魂の平穏を得た…その様に私は受け止めました。

 文章でも、冒頭にラストのさわりを持ってくるとピタリと締まった名文になると言われます。映画でそれを実践しているわけですな。

 あの映画で、溥儀以外には眼鏡を掛けた人物が殆ど登場しないのも興味深い点です。実際の溥儀の周囲には、眼鏡の着用者は多かったのです。弟の溥傑も、坂本龍一演ずる甘粕正彦も眼鏡を掛けていました(ちなみに、実際の甘粕正彦は片腕ではありません)。
 あの映画のテーマのひとつは、溥儀の孤独な生涯でしょう。眼鏡というのは、レンズ越しに世界を覗く道具です。逆に言えば、人は眼鏡によって外の世界と遮断されてしまうとも言えます。溥儀の孤独さを一層 強調しているように思われます。

 また、この映画を観ていると気付くのが、『丸』という形への視覚的な執着です。宮廷の女官や宦官たちの衣装には、丸い刺繍が施されています。婚礼の儀式では京劇の役者たちが円陣を組み、戦後の北京では紅衛兵の少女たちもアコーディオンの音色に合せて丸い輪となって踊っていました。そして溥儀は丸い眼鏡を掛けています(当時は丸眼鏡しかなかっただけですが)。

 冒頭のコオロギが、終盤で再び登場するというのも時間軸が丸い円を描いて元に還っているわけで、仏教の輪廻転生を象徴しているとも言えます…といったらチョッとうがち過ぎかな(笑)。
 …しかし、丸というのは『輪の中に閉ざされた空間』でもあります。やはり、溥儀の生涯は閉ざされた輪の中にあったのだろうか…とも思ってしまうのです。
 もちろん、ベルトリッチ監督がそこまで考えていたかどうかは解りませんが。

 釈放後、溥儀は北京で偶然にも思想犯として街中を引き回されているかつての戦犯収容所所長、金源を発見します。弟、溥傑の制止をふり切り、紅衛兵の少年に詰め寄りって
『これは何かの間違いだ。彼はね、善良な人なんだ。いいか、彼は立派な教師なんだよ。君たちのこんなやり方は間違っている!!』
と叫ぶ場面がありました。あの描写も大変に感動的でした。丸い輪っかを突き破って、はじめて感情をむき出しにした溥儀の姿に涙を誘われました。しかし、そのはじめての抵抗も空しく、逆に少年に突き飛ばされることで彼は再び輪の中に閉じ込められてしまうのですが…。

 本当に、哀しい映画です。歴史(史実ではないにせよ)の無情さを眼前にして、人はいかに儚く無力であるのかを伝えており、娯楽映画としては最高の傑作だと思います。また観たくなりました。

 悪筆乱文、ならびに長文、相すみません。ちなみに、戦犯収容所で溥儀に釈放の証明書を手渡す共産党幹部の役者がいるんですが…彼こそ、当時の収容所所長、金源 本人です。ご存知でしたか(笑)?
 
Posted by 勉三 at 2011年02月09日 23:54
勉三さん、こんにちは。
昨年末よりブログを休止しておりまして、返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

貴コメントを読ませて頂いている間、ずっと本作のテーマ音楽が脳内に響いていました。(^^)
私もまた観返してみたくなりました。

史実と映画作品との違いは、原作小説と映画との違いよりももっと、観る側にとっては心に波風の立つものかもしれませんね。
しかしそれらを超越して(お心を痛めておられる勉三さんにとってさえ)本作が傑作と言える作品であることは、本作を知る我々を深く感動させてくれるのですね。
ベルトルッチ監督も凄いし、映画という藝術も凄いな、、、と思います。

私も、あのコオロギと溥儀を描いたシーン、好きです。最後に見せた笑顔、とても哀しいけれど救われる思いもしませんか?

丸という形への執着・・・の貴説、大変興味深く感じます。今度観返す機会に注目して観たいと思います。

もう少し経てば拙ブログも再開できるかしらと思っていた矢先、勉三様の長い御丁寧なコメントを拝読し何だか力をもらえた気がします、ありがとうございました。

今度本作を観返す機会には、勉三様の御指摘のシーン全てに注目したいと思っています。
私は勉三様には到底及ばぬ勉強不足の人間ですが、また今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

Posted by ぺろんぱ at 2011年02月13日 16:01
 ぺろんぱ様

 こんばんは、またまた勉三です。(^^)
。『史実と映画作品との違いは、原作小説と映画との違いよりももっと、観る側にとっては心に波風の立つものかもしれませんね。
』とのぺろんぱ様のお言葉、落涙の情で拝読致しました。そう、まさにその通りなんです。
 原作小説というものは、あくまでも『創作』です。しかし、史実というものは決して歪めてはならないもの、『事実』なのです。
 『…しかしそれらを超越して本作が傑作と言える作品』である事は、ぺろんぱ様の仰るとおり紛れもない事実であります。
 藝術には、時として『嘘』が許されます。それが歴史を塗り替えるような大嘘であっても。
 …ただし、それはベルトルッチ監督のような稀代の巨匠の手に掛かった時のみに許されるのです(笑)。そして、そういった場合にのみ、私のような心ない歴史マニアにも『それ、違うじゃねえか!』という発言の場が与えられるのですな。(^^)


 『中国の小さなお針子』も、大変に凄まじい内容でしたね。後日、そちらの方にもコメントさせて下さいませ。

 あの映画は、一般の日本人にはただの哀しい恋愛映画にしか観えないと思います。日本人には、中国の慣習や思想が理解しにくいですから。しかし、近代中国史の知識と、中国社会における女性の地位を知った上であの映画を観ると…もっと深く内容が理解できます。あれは、単なる若い二人の幼い恋愛劇などではなく、非常に奥深い『(中華)民族の悲劇』でもあるのです。

 それでは、今後とも宜しくお願い致します。私のような浅識薄学の徒の『それ、違うやんけ〜』的なイヤらしい戯言にお付き合い頂きまして本当に有難うございます。
Posted by 勉三 at 2011年02月17日 22:24
勉三さま、こんばんは。
また返信が遅くなって済みません。

歴史は嫌いじゃなかった私ですが、それは「教科書的な歴史」に過ぎなかったのだなぁと勉三様のコメントを拝読して感じておる今です。

>『それ、違うじゃねえか!』という発言の場

はい。またそういうの、ご投稿下さい!

『中国の小さなお針子』へのコメント、怖々と?お待ちして?おります。
いろいろと御教授ください。(^^)
Posted by ぺろんぱ at 2011年02月20日 22:00
 こんばんは、勉三です。ご返信、有難うございます。何だか『ラストエンペラー』ネタばかりですみません。(^^)
 今回はチョッと軽い話題で(笑)。
 先日、日本語吹き替え版の本作を鑑賞しました。英語版も良いのですが、吹き替え版もなかなかです。というのは、字幕では読解のために必要最低限に抑えられてしまう微妙な台詞のニュアンスや、英語では表現できないアジア的な言い回しも登場し、味わい深いものとなるからです。
 溥儀を次の皇帝に指名した瀕死の西太后(溥儀の大叔母にあたり、二代前の皇帝の側室)が、幼い溥儀に皇帝(溥儀の叔父に当たる光緒帝)の死を告げる場面がありました。
字幕では、
『…今日、亡くなられたのだよ』
とか言っていましたが、吹き替え版では
『…今日、お隠れになった』
 と言っていました。皇帝の死は忌避ですから、こうした東洋的な遠まわしな台詞のほうがしっくりときます。
 本作は、史実を無視している割には意外と綿密な取材もしているのでしょう。溥儀付きの宦官三人組がいましたが、そのリーダー格の宦官、張(チャン)は、実在の溥儀の御前太監、張兼和がモデルだと思われます。吹き替え版、ご覧になりたいようでしたらご一報下さいませ(笑)。
Posted by 勉三 at 2011年02月27日 22:26
勉三さま、こんばんは。
再びコメントをありがとうございます。

確か私も本作の吹替え版は観たような気がします。しかし全編通してガッツリの鑑賞ではなかったかも知れませんが。

日本語は美しいですね。
季節の折々、場のいろいろ、主従の其々に従って、日本語は変幻自在に、しかも場に応じてしなやかに美しく変化するのですものね。
「お隠れ」は日本特有の言葉ではないかと思われるので字幕では使われなかったのかもしれませんね。
いずれにせよ、いつも勉強になる問題ご提起をありがとうございます。
次ネタ?は何でございましょうね?
Posted by ぺろんぱ at 2011年02月28日 20:04
 ラストエンペラーは国際上、天皇である。「ラストエンペラー」という映画が出来たころはまだ、四大河文明を最後まで維持していた中国王朝につい20年ぐらい前は教養深い人たちは敬意を表していた。すなわち漢籍が江戸時代以前より日本では珍重されていた。
 今思えばその映画は、今やラストエンペラーは天皇であったし、今もそうだが、まるで中国の皇帝が終わって皇帝がなくなったという当てつけの映画だったと思う。翻って考えると、時代が日本から中国に意識を向けさせようと洗脳していた道具だったのだろう。
 いずれにしてもあの映画が作られたときも、今も、ラストエンペラーは国際的には天皇しかいない。
Posted by 伊勢は喜びすぎ出雲 at 2012年12月23日 19:36
伊勢は喜びすぎ出雲さま、こんばんは。

興味深いご意見をありがとうございます。
本作につきましては映画作品としてよりも、歴史認識や政治思想に絡めてのコメントを多く頂戴しており、あらためて本作の影響深さを思い知っている今日この頃です。
そういう意味でも、本作の映画作品としての「力」を今更ながらに強く感じております。
ご意見ありがとうございました。

それにしても主演のジョン・ローンよ、今は何処・・・です。


Posted by ぺろんぱ at 2012年12月26日 20:53
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