2007年11月17日

僕のピアノコンチェルト

本日17日(土)、封切初日の『僕のピアノコンチェルト』(フレディ・M・ムーラー監督)をテアトル梅田にて。
幾つかの時間的制約があって観に行ける作品が限られる中、この映画はブルーノ・ガンツが味わい深い役柄で出ているのと、実際に天才とも称されるピアニスト、テオ・ゲオルギューによるクラシックの名曲のピアノ演奏が聴けるらしい、ということで選びました。
それで・・・、結局その二点のみに尽きる映画でした、私にとっては。

story
周りになじめない天才少年が、試行錯誤しながら自らの進むべき道を見つけていく成長物語。ピアニストとして将来を期待された少年の深い孤独と、彼と大人たちの関係をユーモアを交えて描く。
監督は『山の焚火』などの名匠フレディ・M・ムーラー12歳のヴィトスにふんする天才ピアニストテオ・ゲオルギューによる演奏シーンはまさに神業。
高いIQを持つヴィトス(ファブリツィオ・ボルサーニ)の両親は、6歳の息子を偉大なピアニストに育てようと、幼稚園ではなく音楽学校に通わせる。そんな彼の唯一の理解者は、田舎で家具工房を営む祖父(ブルーノ・ガンツ)だけだった。12歳になった彼(テオ・ゲオルギュー)は飛び級をして高校生になるが、スーツを着て学校に通うような生意気な生徒になり・・・。(シネマトゥデイより)
 
                ピアノ3.jpg          
     
  結局、天才を良くも悪くも育てるのは傍にいる人間の力量次第、ということなのでしょうか。
否、それでもヴィトスが最後に選択した道を考えると、やはり放っておいても天才はいつかは自ずと頭角を現すものなのでしょうか。

6歳のヴィトスも12歳のヴィトスも愛らしいし、子どもなりの周囲への反発心も理解は出来ますが、それを「深い孤独」と言うには余りに彼は恵まれ愛されているように私には感じられました。
 先日DVD鑑賞した、埋もれていた天才を発掘し育てるという内容の『グッド・ウィル・ハンティング』で「欲しくても手に入らないもの(天才と言われる才分)を持っているのにそれを使わない奴は許せない」という主人公である天才青年向けた友人の言葉が思い起こされたのですが、IQ180、神童と言われるピアノの技量を持つヴィトスは、誰もが持てない宝物を持ち、それを伸ばそうとしてくれる両親もいる、甘えも我が儘も十分許される「持たない側の人間」からすれば非情に幸せな人間だと言えます。
 問題は彼が余りに幼い子どもだったということです。まだその宝の持つ意味を理解することが出来難かったのでしょうね。
だから、ある“大芝居”に打って出た彼の逃避は“子ども”としてのヴィトスの一種の通過儀礼だと思えますし、そんなヴィトスに振り回されて天才教育に躍起にならざるを得なかったヴィトスの母親の行為も“出来る子どもを持つ親”の通過儀礼だったと言えるのではないでしょうか。
そんなに簡単に片付けてはいけないのかも知れないけれど・・・。

               ピアノ.jpg

そんな中で唯一、自分の道をぶれさせることなく進む祖父(ブルーノ・ガンツ)がヴィトスの良き理解者となるわけですが、彼がヴィトスに放った言葉がとても印象的でした。
「(自分がどうしたいか)分からなくなったら、自分の大切なものを一度捨ててみろ。」という言葉です。
そう言い放って祖父はいつも被っている大切な帽子を川の向こうへ投げるのですが、このシーンは凄くよかったですね。
どうしても目先のことに囚われてしまいがちなヴィトスの両親と、遠い先を見ている祖父との対比が良く描かれていたと思います。
ヴィトスと祖父が触れ合うシーンは「良き祖父を得て幸せなヴィトス」の構図をしっかりと観る者に感じさせ、ブルーノ・ガンツの慈愛に満ちた眼差しも映画に深みを持たせてくれたように感じます。

                 ピアノ4.jpg               
だからこそ、その祖父が、親を助けるためだったとは言えヴィトスが始めた株式投資で大儲けしたしたお金で夢だった飛行機を買う段には少し首を傾げてしまいました。
「それで夢が叶ったと言ってしまっていいの?」と。

結局ヴィトスはそうやって投資で大儲けをして両親を助ける算段をしながらも片時もピアノを放さず弾き続けていたわけだけれど、その姿が無垢だっただけに、「天才なんて嫌だ」と言いながら頭脳を駆使して大人顔負けのことをやってのけるヴィトスと相容れないものを感じて釈然としない思いでした。
 
                
 実際に奏でられるピアノの響きは素敵です。
テオ・ゲオルギューの、鍵盤の上を踊る子どものそれとは思えない長くしなやかや手にも見とれました。
最後の演奏シーンにも劇場のシートから拍手を送りたい思いでした。
やはり、「大切なもの」にいつかは気付くのですね。
道を示すことは良くても、強引にその方へ顔を向かせることは良くないのですね。何が大切かに自分で気付けば、“自分で”その道へ足を一歩踏み出すものなのですね。
                 テオ.jpg テオ 映画公式HPより

凡人の私なりに天才の孤独に思いを馳せてみる事で、凡人は凡人でしかないことを痛感した貴重な2時間。

映画館を出た時の秋の高い空を見上げて、ささやかな人生のささやかな喜びを感じました。今日のささやかな乾杯にも思いを馳せつつ・・・。


***** 余談ですが・・・。テアトル梅田のチケットカウンターには盲導犬育成募金の箱が置いてあります。一昨日に仕事で赴いた某コンサート会場で一人の参列者に尽きそう盲導犬を見ました。白くて大きな犬でしたが、飼い主の方に静かに影のように寄り添い、ほんの少しの振幅で尾をゆっくり振って歩きながらホールの中へ消えて行きました。街で見かけることはごくたまにありましたが、こんなにじっくり盲導犬の動きを追ったのは初めてでした。見る度に思うことですが、盲導犬には本当に、本当に本当に本当に、深く頭の下がる思いです。コンサートの間中、彼らは主の足元で静かに主の身体と心の動きを量っているのでしょうね。テア梅のチケットカウンターで、一昨日のあの白い犬が瞼に浮かんだのでした。*****
posted by ぺろんぱ at 21:57| Comment(10) | TrackBack(1) | 日記
この記事へのコメント
この映画の隣でやっている”4分間のピアニスト”の前売券買っていて行く予定してるものの諸般の事情でまだ行けていません。(リーブルの”タロットカード殺人事件”もしかり)(トホホ)
どの映画もそれなりに期待はずれと期待以上がないまぜになって、その率が微妙ではありますが、それもまたーよしーですよね。

で、盲導犬の話ですが、自分も9月末から10月はじめ頃にかけて盲導犬と接する機会を少し得たのですが、(”末富綾子さん”のレリーフの個展に行った際)作品と同時にその存在にものすごく心打たれました!末富さんのワンちゃんは”ベリー君”という名です。
この出会いがきっかけで、ある知り合いのご夫妻がもうだいぶ以前から毎月盲導犬協会に寄付されているということも知りました。(犬好きプラス自分達も目が悪いから人ごととは思えないということで・・)。
自分はせいぜい支援のはがきセットを買った位ですが、このように”盲導犬”に限らず自分のアンテナにひっかかったことから少しずつでも人に役立つことを皆がしていけばよいなあとつくづく感じたものです・・。(今回珍しく真面目コメント)(似合わんですまん)

Posted by ビイルネン at 2007年11月18日 21:43
ビイルネンさん、ようこそです。
そうですね、観に行った映画がたまに思惑と違う展開だったとしても「それもまた良し」ですね。(*^_^*)そう思うと何だか今一つだった作品も輝いて見えてきました、その作品とその時の私の出会いは一期一会ですしね。ありがとうございます。

盲導犬の件。
そうだ、先日のビイルネンさんからいただいたお葉書も「クイール」の葉書でしたね!(人生は繋がっている!)
私もビイルネンさんの仰るように「自分のアンテナ」に少しでも引っかかるものに敏感になっていこうと思います。

いつも核心をつかれるコメント、ビイルネンさんらしさを感じています!

Posted by ぺろんぱ at 2007年11月18日 22:44
天才子役、と称されるひと握りの才能たちが、

結局は凡庸なオトナにしか育たないことの多い理由が

この作品には描かれているのかも知れません・・かね?

自身と他者の価値観のギャップに耐えられない神童は

もはや夭折の道しか残されていないのかも・・と思ったりもします。

純粋ゆえに弱い存在なのかも知れません・・
Posted by TiM3 at 2007年11月18日 23:47
TiM3さん、こんばんは。

>自身と他者の価値観のギャップに耐えられない

「グッドウィル・・・」の主人公ウィルが愛情に飢えて貧しく、「小説家を・・・」のジャマールのようにマイノリティ視される有色人種であるなど、“逆境”が神童を天才たらしめる!?のでしょうか??

>純粋ゆえに弱い存在なのかも

難しいですよね、「努力の人」ならその努力加減は想像範囲のものですが「天の才」となるとその世界は計り知れなくて・・・。
「純粋」の意味は違うかもしれませんが、実際、動物も“ミックス(雑種)”は強いと言われますしね。と言いつつウチの猫は持病持ちですが・・・猫と一緒にしたらあきませんか。
って、そんな意味の「純粋」じゃないですよね。すみません。

Posted by ぺろんぱ at 2007年11月20日 21:24
こんばんは。
ブルーノ・ガンツ目当てで観に行ったせいか、これすごく楽しかったです。

正直、後半は納得できない展開でしたね。
現実離れした展開ですが、お金がからんでくるのでファンタジーでもないし。

スイスが舞台で、母親が英語で叱ってたり「スイス(?)ドイツ語でお願いします」なんてセリフがあったりして、殆どの人(私も含め)が日本語しか話さない日本との違いを今さらながら感じて、興味深かったです。

個人的には印象的なシーンの多い作品でした。6才のヴィトスを演じた子の可愛いこと! 彼とイザベルとのシーンもお気に入りの一つです。もちろん、ラストシーンも。
Posted by ゆるり at 2007年11月22日 21:35
ゆるりさん、こんばんは。
さっき貴ブログにもお邪魔して来ました。

確かに6歳のヴィトス君、可愛いかったですねぇ(*^_^*)。
ガンツさんは、また昔の作品も観返してみたくなってる今です。いい俳優さんですね。

テオ君の長い指の華麗な動きも素晴らしかった・・・それだけに私にはちょっぴり残念な展開でしたが、ラスト、ヴィトス君が自分の道を「自分で選んだ」ことに喜びはありました。

>「スイス(?)ドイツ語で
私もあの台詞には新鮮な驚きを感じました。
そういう国柄の違いが意外な面白さを生みますね。(^_^)
Posted by ぺろんぱ at 2007年11月22日 22:53
初めてコメント差し上げます
私めもW-Wによく行くので Blog楽しく拝見させていただいています。ところで先日、仕事で関西盲導犬訓練センターというところにお邪魔したのでちょっとそこで知ったことを… 
盲導犬は日本では約1000匹、ところが盲導犬を必要として希望している人が8000人もいます。盲導犬は圧倒的にラブラドール・レトリーバーや、ゴールデン・レトリーバーという種類ですが、なんとこの2種類の犬は人間に命令されて仕事をするのに生きがいというか、喜びを見出せる犬だそうです。(驚)その上人間が大好きということでした。しかし一緒に生まれてくる兄弟の仲で盲導犬になれるのは少数です。
好奇心が多すぎたりすると向いてないので盲導犬にはなれません。
訓練センターでは初めて盲導犬を使う人が1ヶ月近く盲導犬と一緒に合宿して、パートナーとしてお互いを理解しながら実地訓練をします。なんと普通免許のように試験があって落ちると訓練を延長します。ここの初日、初めてパートナーとなる盲導犬と対面するのですが、ワンちゃんのほうは嬉しくて嬉しくてメチャなついて来ます。本当にカワイイ様子でした。今まであんなに犬がかわいいと思ったことはありません。なんといってもけなげです。センターでは盲導犬になれない犬の里親を探しています。色々条件があり、例えば室内で飼うとか、幼児や老人のいない家庭とかです。一匹持ち帰りたいぐらいでしたが、家に帰ってその話をすると奥さんに「何を言ってるのあなたの方が大型犬よりよっぽど手がかかるのよ、これ以上無理」と言われてしまいました(笑)ナットク
Posted by The Lonely one at 2007年11月23日 09:40
ぺろんぱさん、こんにちは。
私もやっと今週観てきましたー。
ほのぼのしていながらも、エピソードや人間描写はわりとリアルだったんで、大人のドラマモードで観ていたのですが、株で大もうけのあたりで、実は子ども向けファンタジーだったのかと少し戸惑いました。
「ジェイムズ聖地へ行く」のような切り口の作品に感銘を受けたような人にはこれは微妙なサクセスですよね??
でも、スイス社会の経済の価値観というのはよく知らないし、永世中立国のスイス銀行のある国においては、他の西ヨーロッパほどに、拝金主義に抵抗はないのかしらとか、勝手にあれこれ考えてしまいましたー。
とその部分は引っかかったものの映画は気に入りました。
ピアノだけじゃなくて、飛行機も登場したのが嬉しいです。
子は鎹というのは子が大人になったら成立しづらいのかもしれないけど、孫が祖父と父のカスガイになるんだなーと。
ガンツじいさんがよかったですー。
Posted by かえる at 2007年11月23日 10:13
The Lonely oneさん、ようこそいらっしゃって下さいました。
WWでお噂はかねがね、、、そして貴ブログ拝見させていただいておりました。
コメントありがとうございます。

盲導犬のお話。
>人間に命令されて仕事をするのに生きがいというか、喜びを見出せる犬

そうなのですね、必ずしも“滅私”でなかったことに安堵する思いです。
しかしながら訓練の重さはやはり簡単に通過できるものではないのでしょうね。昔、少女マンガで盲導犬とヒロインの絆を描いた漫画を読んだのを微かながら記憶しています。(主人公ではなかったと思いますが)最愛の盲導犬を亡くした女性が新しい盲導犬を得ることになるのですが、いざ対面してみると女性は前の犬を思ってなかなか受け入れようとしないのです。けれど新しい盲導犬の懸命の愛情の表現でやがてその女性の心も解かれていく、ということが描かれていました。
犬は特に人間への情が深いかもしれませんが、犬に限らず、言葉が通じない分、動物が人間に対してそうしてくれるように人間も動物には愛情表現を蜜にするべきなのだと、今改めて思いました。

初めてパートーナーと対面した時のワンちゃんのはしゃぎ振りがThe Lonely oneさんの文面からひしひしと伝わってきます。可愛かったのでしょうね(*^_^*)。
(しかし奥様のご意見にも同性としてナットク・・・かも。すみません。^_^;)
でも一匹でも多くの犬が良き里親に巡りあえるといいですね。

貴重な情報をありがとうございました。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

Posted by ぺろんぱ at 2007年11月23日 19:48
かえるさん、ようこそです。

>「ジェイムズ聖地へ行く」のような切り口の作品に感銘を受けたような人にはこれは微妙な・・・

そうですね、ジェイムズは後で是正する真っ直ぐさがあったけれど、ヴィット君は清濁併せ呑むようなところがあってそれが子どもらしからぬ(というか子どものイメージを勝手に作り上げてるこっちが悪いのですが)、天才の天才たる本領を遺憾なく発揮してるというか、何ともすんなり感動しきれない消化不良感が残ってしまいました。

けれど、今考えてみるに、『僕のピアノコンチェルト』という邦題が要らぬ期待を膨らませてしまったのかもしれません。原題は『ヴィット』(本人の名前)なのですおね、確か。それならヴィット君そのものの成長期としてもう少し幅広い観点で受け入れられたのかも。

ガンツ爺ちゃんはいいですね、本当に。
ヴィット君も可愛いですし、それはそれで良かったです(*^_^*)。

>孫が祖父と父のカスガイ

言えてますね。
NHKの朝ドラ『ちりとてちん』も然り・・・って、ご覧になっていなかったらすみません。
Posted by ぺろんぱ at 2007年11月23日 20:02
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Excerpt: 「僕のピアノコンチェルト」オリジナル・サウンドトラック(2007/08/29)サントラ、 他商品詳細を見る 監督 フレディ・M・ムーラー (2006年 スイス) 原題:VITUS 【物語..
Weblog: ゆるり鑑賞 Yururi kansho
Tracked: 2007-11-22 21:07