BS録りしていた『タワーリング・インフェルノ』(アーウィン・アレン製作、ジョン・ギラーミン監督、1974年)を観ました。
本作、超有名作品ですが、実は私はきちんと観たことがなかったのでした。
見終えて、この映画が約40年の時を経て今も尚「パニック映画の金字塔」として語り継がれている所以が分かりました。165分、見せてくれました。
story
サンフランシスコの空にそびえ立つ138階建ての世界一高い超高層ビル“グラス・タワー”が落成の日を迎えた。設計者のダグ・ロバーツ(ポール・ニューマン)とオーナーのジム・ダンカン(ウィリアム・ホールデン)は、屋上に立って眼下にひろがる市の光景を見下ろしていた。しかし、オーナーの娘婿ロジャー(リチャード・チェンバレン)が規格外の製品を使ったために起きた出火はやがて巨大な炎となり、最上階に何百人も閉じ込めたままビルを飲み込んでゆく。

※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂いております。
これだけのスターを揃え、そのネームバリューだけに頼らない血の通った手応えあるドラマを練り、何でもありのCG映像を知る我々も納得の特撮技術で視覚的にもエンタメ性を感じさせる、納得の一作でした。
迫り来る火炎の迫力、パニックに包まれる超高層ビルの不気味さ、死と隣り合わせの脱出劇の緊迫感、まさにザ・ハリウッド映画!という感じ。現場スタッフ全員の、知恵と汗と涙が決して少なくはなかったであろうことがフィルムから肌を通して伝わってくる感じなのです。
スターはスターでありながら(マックィーンもニューマンもダナウェイもアステアも)劇中にあってはただひたすらグラスタワーの火災の中で懸命にもがく一人の人間でした。同時に、其々が一人の人間でありながらやはり演じる俳優は大スターたちであり、その“消せないオーラ”がこの作品を実に華やかに盛り上げているのでした。
81階の倉庫で起こったボヤとそれを知らずにパーティーに興じる最上階の人々の画は、『タイタニック』での同じようなシーンを思い起こさせました。富と英知を結集させた完全無欠なる(或いは完全無欠に見える)モノの中にも、必ず潜んでいる人間の奢りによる小さな綻び。その小さな綻びが完全無欠なるモノを根こそぎ崩壊させる、この怖さは今も昔も変わりませんね。
そして、運命というものの過酷さも。 あの日あの時あの場所に居ることになった運命。特にリゾレット(ジェニファー・ジョーンズ)の定めには無情さ感じ、彼女の最期には言葉を失いました。

スティーブ・マックイーンの名が出ていませんでしたね、失礼。本作で彼は決死の救出作戦に打って出る消防隊長オハラハンを演じています。心ニクイ台詞が幾つか。そして美しい碧眼にはドキッとしてしまいました。
さて、スマホに投入している節酒アプリ<iLovebeer>(いや、これは実は全然節酒に効いていないのは拙ブログで述べましたが…今年4月11日に記事アップ)では、私の飲酒量は缶ビール換算の高さで表すると本日で175mに達しました。
東京スカイツリーは634mとか、、、ならばスカイツリーに届くまであと約460m。それってどれくらいなのか今一つ実感湧きませんが、まあとにかく頑張ります。・・・って違う違う!! このアプリは節酒用に投入したアプリだってこと、また忘れてました、頑張っちゃダメなんですよね。
そんなこんなの、某日のちょい呑み画像。

ワタシもかなり以前にBSの放送で鑑賞しました。
「よりによって、落成パーティーで事件が!」って辺りの演出は、
ホンマに『タイタニック』を彷彿とさせてくれますね。
いや、史実から言えば、本作がそっちに着想を得たのかも知れませんが・・
終盤、屋上のタンクの水勢でイッキに消火を目論むトコロが、
余りにもな水の勢いで、ビルから外に流されちゃうしとが
いたように記憶しており「あらら、、」と悲しさが際立ってました。
フレッド・アステアが、何やら憂いを讃えたキャラを好演してくれていたんでしたかね。
ちと本編が長過ぎるのがアレですが、久々に観直してみたいものです。
タイタニック号でも、連日のように(上流の船客たちは)パーティーとか開かれてた感じでしたしね、、、あの氷塊にぶつかった瞬間・・・嗚呼、思い出されます。
私は『タイタニック』も久々に観返してみたくなりましたよ。涙を拭うハンカチを傍らに。(こちらは更に長尺ですが。^_^;)
>余りにもな水の勢いで、ビルから外に流されちゃうしとが
そうなのですよね。あそこまで生き延びたのに結局・・・多くの犠牲者が出たのに「エンタメ性が云々」とか書いてしまって反省してます。(T_T)
フレッド・アステアさんは拙レヴューにも記したリゾレットさんと運命の糸が絡む、仰る通り“憂いを湛えたキャラを好演”されていました。
古くとも見応えある映画でした。(*^_^*)
子供の頃に初めてにTVで見たのを含め、おそらく2〜3回は見たと思うのですが、
未だに、見ると胸を締めつけられそうでちょっと怖いです(笑)
自分がその場にいるような気分になるというか、ちょっと感情移入しすぎてしまうのです。
自分のアカンタレ具合を再確認してしまう映画とも言えます。
小学生の時母と見に行った「ポセイドン・アドベンチャー」(1972年)にも
同じような気持ちを持ってるので、
やっぱり小さい時、感受性が豊かな時代に見た映画は深く胸に刻まれるのですね。
この二作品は、パニック映画として優れてるのはもちろん、
人物毎の心理描写もできているから(だから見ていて切ないのですね)
時代を経ても愛されているんだろうなぁと思います。
あー、でも心が弱ってる時には見られない!です。
ホント、暑いですね。夏が好きな私ですが、電車待ちの今朝、一瞬ふらっときました。やっぱりお酒以外の栄養も摂らなきゃ。^_^;
そうですか、この映画はゆるりさんにとっては「緊張の一本」なのですね。
仰る通り、子どもの時って感受性が豊かである上に心も真っ白なカンバス状態だから、いろんな感覚がぐいぐい浸透しちゃうのでしょうね。でもその頃の感覚が甦って来てしまうというのは、ゆるりさんが今以て感受性が豊かでいらっしゃるということでもあります。そういう映画があるということは何となく素敵です。(*^_^*)
それにしてもゆるりさんのお母様は“カッコイイ”御方でいらっしゃいますね。小学生のゆるりさんを「ポセイドン・アドベンチャー」を観に連れて行って下さるなんて!ゆるりさんの映画好きはきっとお母様譲りなのですね〜。(*^_^*)
そうそう、ネットでちょっと調べてみたら「ポセイドン・アドベンチャー」も本作同様、製作をアーウィン・アレンが手がけているのですね。同じような感覚になると仰っているのがより一層頷けました。
>自分がその場にいるような気分になる
この一言は監督冥利、役者冥利に尽きる言葉ですね。いつか観返す機会が来た時はその一言を心に刻んで臨みたいです。