2007年12月02日

永遠と一日(VIDEO鑑賞)

今週末は所用と私的イヴェントが重なり、加えて映画の日(1日)に劇場に行くのは相当の気合いが要るので、劇場通いは一回パスして自宅で昨日の空いた時間に過去作品を一本鑑賞しました。
選んだのはテオ・アンゲロプロス監督の『永遠と一日』です。

先日劇場鑑賞した『僕のピアノコンチェルト』に出ていたブルーノ・ガンツにとっての『ベルリン・天使の詩』と双肩の代表作とも言える作品ですが、かなり以前に友人に薦められてその後のBS放映時に録画取りしたものがありまして、久々に観てみたくなったのでラックから取り出して再生ボタンを押しました。

story
「霧の中の風景」「ユリシーズの瞳」のテオ・アンゲロプロス監督が、死を強く意識した老作家と難民の子供との1日間の交流を詩情豊かに描く。98年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞。北ギリシアの港町テサロニキ。不治の病を自覚している詩人にして老作家のアレクサンドレ(ブルーノ・ガンツ)は、親友たちと海辺の家から島まで泳いでいった少年時代の夢から覚める。彼は今日、すべてのものに別れを告げ、明日病院へ行こうと決意していた。そして娘の家へ向かう途中で一人の難民の少年(アキレアス・スケウィス)と出会った…。(Yahoo!映画情報より)

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  ギリシャといえど北の港町・・・その寒々しいまでの暗く灰色の空気と、現実と回想シーンが交錯するシュールな映像、そしてエレニ・カラインドールの深く憂いを湛えた調べ、となれば、たとえ作品世界の全てを理解できたと言えなくとも「記憶に残る一篇」となるのは当然のような気もします。
映像と詩(台詞)の作り出す世界観に酔うことができたのなら、それは忘れ難い作品になるのではないでしょうか。
今回二度目の鑑賞ですが、最初からすうぅ…っと引きこまれていくのを感じました。

現実のシーンから“そのまま”のアレクサンドレ が回想シーンの昔日の彼となって想い出の中の人々と交流する・・・観ていると難解と言われざるを得ないこの映画も、受け止め方によっては「“ラストの一言”のみに集約されている」と思われる点で非情にシンプルな作品だと言えるのかもしれません。

アレクサンドレが想い出の中の(今は亡き)妻との海辺で語り合うシーン。
「明日という時の長さは?」
「永遠と一日・・・永遠と一日よ。」
・・・はい、この言葉に集約できるということです。

老いと病で死を意識した人間が、過去を悔い、想い出の中で昔日の自分自身と対峙しながら“永遠に繋がる一日(且つ、それは単なる一日にしか過ぎなくもあるのだけれど)”を実感し「生きようとすることは永遠の生」なのだと力を漲らせていく・・・短い表現でまとめるならこういうことなのしょうか。
少年と出会ってほんの一日でしたが、過去との交錯などの長い時を経てやっとアレクサンドレは(彼にとっての)この真理に辿り着くのですね。
                              
出会った少年は時として詩人が乗り移ったような言葉を吐くのですが、これはアレクサンドレ自身が待ち望んでいた言葉を少年に投影させているようでもあるし、アレクサンドレが劇中で文人として強く意識し、研究していた詩人ソロモス(映画にも登場)の代弁でもあるような気がしました。

この少年・・・年代と境遇を超えて“この世に彷徨うもの”同士としてアレクサンドレとの間に絆のようなものが芽生えるのですが、実は死を意識し死に引き寄せられていくアレクサンドレをこっち(生)の世界へ引き戻す牽引役をしているのだと思えてきました。
老作家役のブルーノ・ガンツと少年役のアキレアス・スケウィスが、街を流離う車中やバスの中で交わす屈託のない笑顔が互いへの精一杯の思いやりを込めているようで、(束の間ではあるにせよ)かけがえのない喜びを喚起させてくれて“一瞬ではあるにせよ幸せの形がそこに見えた”気がしたものです。

アレキサンドレとこの少年との道行がこの映画の鍵となっているのですね。
少年自身も“絶望”の象徴のように描かれている故郷アルバニアから“未来”を求めて逃避行を繰り返してきているのですが、アレクサンドレも死という絶望の淵から、永遠を生きるという未来を見出すことができたわけですから。
               Tg.jpg サントラ                

 このラスト辺りで、自分自身の再生についても何がしかの希望を見出せるかのような感覚を抱きます。
けれど、その感覚はまるで錯覚のように萎んでしまう・・・・・最後にアレクサンドレは「詩人アレクサンドレ」として、「言葉でキミ(亡き妻)をここ(今)に連れ戻し、言葉で永遠を生きることができる」と言い放ったのですが、そこで私は何となく“観るものとの魂の乖離”を感じてしまったのですが・・・。それは「アレクサンドレという一人の孤独な人間」と「偉大なる作家兼詩人であるアレクサンドレ」との乖離といってもいいと思いますが。
二度目に今作を観た昨日、何となくそのことに引っかかってしまいました。

まだまだ観返す必要がありそうですね。
やはり理解はできていないのだと・・・その世界観に酔っているだけなのかも、と・・・。
年を幾つか重ねる毎に、また観直してみたいです。

  昨夕は遠方に行っていた友人の帰阪を祝しての会で、友人4人が集って神戸の某店で乾杯!(私だけ猫事情で早帰りしてごめんね)
でもその会で友人N子が薦めてくれた生のトマトをつぶして入れたブラッディ・メアリー、是非試してみたいです。
              vod_016.jpg HPより転載  これに生トマトを入れるわけね…ぴかぴか(新しい)






posted by ぺろんぱ at 10:56| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記
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