兵庫県立美術館に「橋本関雪展」を観に行きました。
マリー・アントワネット展の時にも記しましたが、県美はJR灘駅から徒歩で南へ15分(弱)と少し距離があるのですが、時々妙に懐かしくなり、また訪れてみたいと思わせてくれます。背後に広がる神戸の海景色と、コンクリートの無機質で近代的な佇まいとの“妙”がそういう想いにさせるのでしょうか。それに、思い出したように興味深い企画を掲げて下さいます。(毎回じゃないところがミソです。)
今回も開催を知ってから楽しみにしていた企画です。
兵庫県ゆかりの日本画家、橋本関雪(1883-1945)の生誕130年を記念しての開催です。

開催初日に行きましたが、思った以上に空いていてゆっくりと楽しむことができました。
橋本関雪は漢学に造詣が深く、中国の古典文学や故事を題材にした作品が多いですが、晩年は写実主義に傾倒し意欲的に取り組んだのが動物画で、私も初めて関節の作品を知ったのが犬や猿を描いた作品だったと記憶しています。
『玄猿』などは有名で、みなさんも一度はどこかで目にされたことがあるのではないでしょうか。
また、一匹のボルゾイと、背後に牡丹の花を配した『唐犬図』(二曲一双)の右隻の画などは、「犬」を描いて溜息が出るほどの気高く清澄な美しさを感じさせて、素晴らしい画だと思います。

展示作品の多くを占めたのは、やはり中国古典を題材にしたものと新南画といわれるジャンルのものでした。
『木蘭』(六曲一双)の画は、中国の奥深い山中の一風景を描いたものであるのに日本人の私にも郷愁を感じさせる不思議な魅力があります。
また、題材としての「故事」に改めて興味を抱いたのが、作品『邯鄲炊夢図』です。唐代小説「枕中記」のなかの「邯鄲の枕」という故事をテーマに六曲一双の屏風に描かれています。他の作品以上に物語性を感じる画です。
この故事は以下のような内容です(ウィキより転記させて頂きました)↓。 ご存知の方も多いと思いますが。
***** 趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。*****
「邯鄲の枕」(「邯鄲の夢」とも「黄粱の夢」とも)は能の演目としても有名なようですが、たとえば、あの世から甦った故クロサワ監督がモノクロームで撮ってくれたとしたら、或いは、『ユメ十夜』の幾作品かのように若き監督さんが現代風にアレンジして演出してくださったとしたら、きっと面白い映画になるような気がしました。
そんなことを考えながら、いつものように絵葉書を何枚か買って会場を出ました。

焼酎を「お湯割りで」とオーダーするのはいつ頃でしょうか。
写真のこの日はまだまだ「水割りがいい日」でした。 麦焼酎の水割り、お通しの青菜と共に。
この画家は知りませんでした。
でも絵を見たら、あ〜知ってると。
思わず引き込まれます。
私の今までなかった世界を広げてくれそうな気がします。
絶対見に行こうと思います。
焼酎のお湯割り、良いですね。
あっという間にそんな季節がきますね。
>でも絵を見たら、あ〜知ってると
そうでしょ!? きっとそういう人は多いと思います。
比較的空いていたので(もしそのままなら)ゆっくり観て頂けるのではないかと思います。(*^_^*)
季節がの移ろいは早いですよね。
考えていれば今年もあとほぼ三ヶ月。焼酎のお湯割をごく自然にオーダーする頃にはもっと2014年も近くになっているのでしょうね。
・・・しみじみ。