2013年10月10日

許されざる者(1992年イーストウッド作品)

 
  『許されざる者』(1992年制作 クレイント・イーストウッド監督、主演 オリジナル版と言った方がよいのでしょうか?)を観ました。
世間ではリメイク版と言われる李相日監督の同作品が話題となっているいるようですが、「敢えて今」と申しますか「先ずは」と申しますか、要は私がイーストウッドの『許されざる者』を未見だったからです、お恥ずかしい。

秋といえども未だ暑さの残る夜に、赤ワインを呑みつつ録画版を鑑賞。

story
  1880年、ワイオミング。列車強盗や殺人で悪名を轟かせていたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)は、今では銃を捨て2人の子供と農場を営みながら密かに暮らしていた。しかし家畜や作物は順調に育たす、3年前に妻にも先立たれ苦しい生活だった。そんなマニーのもとにスコフィールド・キッド(ジェームス・ウールヴェット)という若いガンマンが訪ねてくる。娼婦に傷を負わせ賞金をかけられた無法者を追うためだ。マニーのかつての相棒ネッド(モーガン・フリーマン)を加えた3人は追跡行に出かけるが、その頃、町の実力者の保安官ビル(ジーン・ハックマン)は疎ましい賞金稼ぎたちを袋叩きにしているところだった。やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及んだ・・・。

                      許されざる者.jpg

                   ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


「人に歴史あり」やなぁ・・・と先ずは感じた次第です。

というのは、鑑賞を前に本作に付いてちょっとだけネットで調べた際に、「マカロニ・ウェスタン上がりのまだまだ二流の役者、或いは話題先行のいわゆるスター監督という先入観で語られることの多かったイーストウッドが、地道に培ってきた映画づくりの力を自己の信念とともにやっと開花させたのがこの『許されざる者』である、云々・・・」という意味合いの記述を目にしたからです。だから、イーストウッド氏の栄光に歴史あり、なのだなぁと。
その予備知識のおかげで?通常の1.5倍くらいに感動の度合いが高まったのは否めないと分析はしますが、それでも、西部劇というものに予定調和ではない、或いは勧善懲悪ではない、其々の人間が抱える業のようなものについて暫し考えさせられたのは確かです。

拙ブログでは私も幾作かのイーストウッド映画を挙げさせて頂いていますが、実は私はイーストウッドがマカロニ・ウェスタンで名を馳せていた頃やダーティ・ハリー作品でのハリウッドでの活躍や監督としての初作品など何れも未見のままで、いわば「不動の地位」を確立した後のイーストウッドにしか触れられていない体たらくなのでした。
本作では“これで勝負に出る”とでもいうような渾身の演技と演出がしみじみと彼の「来し方」を感じさせてくれて何だかあついものを感じてしまった感があります。きっと、ノーカットのDVDで、もっといえば公開時にスクリーンで観ていたら感慨も更なるものだったと思います。

                      許されざる者1.jpg

 いったい誰が「許されざる者」だというのか。
ストレートに善悪と区別することのできない歩みを持つ者たち。登場人物それぞれに悪なる部分は存在していたし、善とまでは言い切れずともごくありふれた当り前の人間としての一面を持ってもいました。圧政を敷く暴力的な保安官ビルでさえ。しかし本作で(李監督のリメイク版については未見なので分かりませんが)際立たせてあるのはマニーと保安官ビルの二人で、彼ら両者ともに「許されざる者」だということなのだと思いました。

「誰かの命を奪ったものは許されるべきではない。」とビルに言い放つマニー。
「地獄で待ってる」と返すビル。
このシーンには、互いが互いを地獄に落とし自らも落ちてゆくことを覚悟している凄まじいまでの狂気を感じました。台詞の後の互いの沈黙が、負の宿命から逃れることを許さないと叫んでいるかのようでした。

一度は改心し銃を捨てたマニーが丸腰の人間を容赦なく射撃する暴挙に出るシーンがあるのですが、「(銃を)持たない奴が悪い、俺の友だちを殺したんだからな。」の言葉には、無法者の彼の中にだけ存在する法と、正義か否かは完全に別問題だという“一度血に染まった者の業、宿命”を感じさせて辛いです。
銃という武器が持つ圧倒的な力も見せつけられ、改めてアメリカという国の銃と共に歩んできた歴史を思い知らされもします。

地獄で待つと言ったビルをよそに、エンディングではマニーは賞金を元手に事業を展開し成功したようだと語られます。
しかし、彼は亡き妻と共に第二の人生を始めた地を離れ、おそらくは二度と戻ることはなかったはず。それはマニーが再び銃を手にしたことで、亡き妻と暮らした頃の彼には二度と戻れなかったこと、その後の彼の人生が空虚なものであったに違いないことを意味しているのではないかと感じました。

夕日に映えるシルエットが美しいオープニングとエンディングですが、エンディングのそれには喪失感に似た寂しさが漂っていました。




酒商熊澤.jpg 熊澤 黒牛.jpg 熊澤2.jpg 熊澤1黒牛.jpg

  さてさて、独りサク呑みシリーズから三景。
元町の<酒商熊澤>さんでの美酒。このお店は以前にも拙ブログに登場しましたが、元気印のワインのソムリエさんがお好みのワインや地酒を饗して下さいます。
写真のこの日は黒牛・無濾過生原酒とニンジンの白味噌ソース和え。このあと別の銘柄をもう一杯いただいて滞在時間は約40分。たいへん美味しゅうございました。

人に歴史あり、かぁ。
そういえばクリント・イーストウッド主演の『ダーティ・ハリー』シリーズで、クリント演じるハリー・キャラハンの名台詞「泣けるぜ」の原文は「swell」という単語なのだよと教えてくれた某友人。「swell」を「泣けるぜ」と訳した当時の翻訳者さんに脱帽!の思いだったらしいです。 その友人が今度ひっそりと?立呑み屋さんを始めることになりました。軌道に乗った頃に(店名その他は覆面で)拙ブログにもご登場頂こうかと思ってます。

酒呑みが「少ないお小遣いでも呑める酒場」を作りたかったのだとか・・・・・泣けるぜ。




posted by ぺろんぱ at 21:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
はじめまして。
itukaさん経由で時々覗かせていただておりましたが今回の記事を拝読し、
20年前自分が初めてこの作品を観た時のことがよみがえってきて、
初めてコメントさせていただくことにしました。

私は『ダーティーハリー』シリーズからマカロニウエスタンの順に入り
イーストウッド作品はほぼ観ていますが、『許されざる者』以前の彼の監督作については
『ペイルライダー』や『バード』など「おっ!」と思う作品がありながらも、
ぺろんぱさんの記事にもある通り“話題先行のスター監督”として見ていました。
何だかんだ言ってもそれまでの監督主演作のイーストウッドはカッコよかったですから。
だからこそ馬糞に突っ込み、馬に振り落とされ、
銃もまともに撃てないヨボヨボマニーはあまりに衝撃的で、
そこにまさにぺろんぱさんの仰る“彼の「来し方」”を感じ、
忘れることの出来ない作品になったのだと思います。

それでは初めてのコメントだと言うのに本当に長々と失礼致しました。
Posted by ami at 2013年10月14日 13:35

amiさん、はじめまして。
ようこそお越し下さいました!ありがとうございます!出会いの縁を紡いで下さったitukaさんに感謝、です。

そうですか。「泣けるぜ」の『ダーティ・ハリー』からマカロニのクリントさんまで、既にamiさんの中のイーストウッドさんは厚く熱いものなのですね(*^_^*)。

>『ペイルライダー』や『バード』など「おっ!」と思う

なるほど!是非、私的課題作に加えさせていただこうと思います。
私は話題先行の目で見られた頃のイーストウッド作品にさえ触れられていない体たらくなので、ある意味amiさんの「忘れることの出来ない作品になったのだ」という思いが羨ましいくらいです。
まさに、amiさんにも“歴史あり”ですよね。(*^_^*)

仰る通り、あの乗馬シーンは印象深いです。
そういう“ブザマさ”を見せつつ、失ってはならないものは失わず(或いは、失っても取り戻し)貫き通すという、やっぱり人生の「キメ」が活きて来るのですね、年齢を重ねるごとに。(しみじみ…)

長いコメント、大歓迎です。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。
amiさんのブログにも改めてお伺いさせて下さい!

Posted by ぺろんぱ at 2013年10月14日 19:29
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