BSで録画していた『あの日の指輪を待つきみへ』(リチャード・アッテンボロー監督 2008年夏、日本公開)を先夜に観ました。
これってもう5年ほど前の公開作品だったのですね。この邦題から受けるイメージに気圧されて(原題は「CLOSING THE RING」)劇場鑑賞をスルーしてしまったのがつい1〜2年ほど前のことのように思えます。
5年かぁ・・・いろんなことが変わるには十分な年月と言えますね。
story
第二次世界大戦前夜の1941年と50年後の1991年を舞台に、一つの指輪に秘められた男女の切ない運命を描いた物語。
夫を亡くしたばかりのエセル(シャーリー・マクレーン)の淡々とした態度の裏には、50年前に起きた戦争の悲しい思い出が隠されていた。しかし、何も知らない娘のマリー(ネーヴ・キャンベル)は母への不満を募らせるばかり。そんな折、ミシガンに住むエセルのもとに、アイルランドからエセルの指輪を見つけたという連絡が入る。
50年前、若きエセル(ミーシャ・バートン)は3人の青年、チャック、ジャック、テディと青春を謳歌していた。やがて彼女とテディ(スティーヴン・アメル)は愛を誓い合うが、その直後、テディは出征してしまう。その際、親友のジャック、チャックと一つの約束を交わして戦地に旅立ったテディだったのだが・・・。

※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。
久々に、鑑賞後に釈然としない思いを引きずった一作となりました。
公開時に劇場で観ていたらもしかしてもっと違う印象が残ったのでしょうか。
それでもこうしてレヴューを書いているのは、アイルランドのパートでのクィンラン(ピート・ポスルスウェイト)や指輪を見つけることになるジミー少年(マーティン・マッキャン)、エレノアお祖母ちゃん( ブレンダ・フリッカー)の関わり合いが何だかとってもよかったから。
アイルランドの美しい風景と、そんな中でのIRA組織との緊張をはらんだ駆け引き、それらが遠く離れた地での過去の恋物語と密接に関係してゆくというストーリーは惹きつけるものがあったと思います。
ジミーは過去と現在の橋渡し役として実に可憐な役回りで、演じたマーティン・マッキャンという俳優さんは私的に本作の中で一番初々しくも力強い存在を放ってくれていたように感じました。

アメリカ・ミシガン州のパートでは過去の世界も現在の世界も、私には根本的な疑問が残りました。
出征するテディが自分が死んだらエセルと結婚して幸せにしてやってくれという約束を親友に交わさせるのは、愛ゆえのこととは思うのですが、何だか自己満足にすぎないのではないかと少し傲慢な感じもしました。それって結果的に親友たちの人生を縛ることになってしまうのですよね。
一方のエセルはテディを愛し続けると言いながら、ではなぜテディの親友チャックを夫として受け入れたのでしょう。しかも永遠に決して愛することはなく。娘まで儲けながら愛することはなく、です。過去の想い出と共に生きるのは自由だし、それも一つの生き方だと思います。でも他人の人生を巻き込む(結果的には自分の娘の人生をも巻き込んだ)のは罪深いことに思えます。
最後の最後に過去から解き放たれたエセルがもう一人の親友ジャックとの愛を得るシーン、、、ここは清々しい落涙という流れなのでしょうけれど、その前に先ず逝ってしまったチャックの愛に涙してほしかったなぁって思いました。
老いたエセルを演じたシャーリー・マクレーン、老いたジャックを演じたクリストファー・プラマー、共に名演が光る最後の感動的シーンだったと思うのですが、私はあまり心を打たれることはなかったです。二人を包むアイルランドの風景はとても素晴らしかったけれど。

若き頃のエセルとテディを演じたミーシャ・バートンとスティーヴン・アメル。
共に容姿端麗(ミーシャさんは本当に美しい)ですが、私的にはどうしても“隣のハンサムなお兄さん”と“隣の綺麗なお姉さん”のイメージを超える魅力を感じず仕舞いで、もしかしたらこれが釈然としないことの大きな要因だったのかもしれません。感情移入が出来なかったということですね、残念ながら。
繰り返しますが、もしも劇場で観ていたら違ったかもしれません。それほどに劇場というものは、暗転した後、違う空気が流れてゆく魔的な空間ですよね。

その日の映画鑑賞が感動の嵐となっても釈然とせずに消化不良となっても、やっぱり美味しいお酒でで締めくくりましょう。
独りサク呑みシリーズから。 いつかの日の堂島サンボアでのジンライムです。滞在時間約30分。
余談ですが、いい映画だと心から思いつつ何度観ても(3回観てます)釈然としない思いが残る映画として『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督 1989年制作)があります。(それでも3回観ているのはやっぱりいい映画だと思うからです。)
アルフレードに、トトの人生をそこまで左右する権利があるのかと(あったのかと)観る度に哀しくそう思います。