2013年12月05日

明りを灯す人 (BS録画鑑賞)


 BS録りしていた『明りを灯す人』(アクタン・アリム・クバト監督・主演)観ました。
キルギス・フランス・ドイツ・イタリア・オランダ合作映画ですが、舞台はキルギスの小さな村です。

2011年秋の公開時には気になりつつもスルーしてしまった本作。
ひっそりと公開が始まりひっそりと終映されたような感があります。当時はさほど大きな話題も呼ばなかった(と思う)こういう映画を、BSで早々に取り上げてくれるのは嬉しいことです。

story
  中央アジア・キルギスの田舎には、村人たちに親しみを込めて「明り屋さん」と呼ばれる電気工の男(アクタン・アリム・クバト)がいた。人のいい彼はアンテナの調節からちょっとしたトラブル解決まで何でも引き受けていた。時には貧しい家のために電気メーターを細工して無料で電気が使えるようにしたり。村人のために一生懸命働く明り屋さんの夢は、村の電力を手作りの風力発電でまかなえるようにすることと、息子を授かること。そんなのんびりした時間が流れる村にも、時代の波が訪れようとしていた。ある日、メーターに細工をしていた彼は警察に連行され・・・。

                        明りを灯す人.jpg   
                          ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


※結末に触れる記述をしております。


この映画を観て、初めてキルギスという国を地図で確認した私です。
地図で確認するまでは漠然と“多分あの辺り?”くらいにしか分かりませんでしたが、東側の隣国は中国なのですね。どうりで、モンゴルの映画『トゥヤーの結婚』で出てきたゲル(丸い小屋造りの家)に似たような建屋が本作でも見られました。
中国との国境には天山山脈が延び、南隣りのタジキスタンへはパミール高原が広がり(←この辺りは Wikipedia 情報です)、手つかずの自然がたくさん残っている国のようです。ソビエト連邦からの独立国家ですが人々の顔や姿形はモンゴル系で、日本人とどこか似ているところも。(明り屋さんなんて、“人が良くて柔和な泉谷しげる”って感じがしないでもないですし。)

沖縄時間というのがあるようにこの地にもキルギス時間っていうのがありそうな、実に長閑で牧歌的な空気に包まれています。明り屋さんも朴訥でとにかく人が良くて、「貧しい人にも明りを」という純粋な思いでメーターを細工しちゃう・・・だから『THE LIGHT THIEF』(明り泥棒)という原題は的を射ていない気がして、本作に関しては邦題のセンスの良さを感じました。

骨董品級に“いいおじさん”の明り屋さん。 彼をめぐる出来事の数々が時にユーモラスで時に幻想的で、このまま柔らかい空気感の中で明り屋さんや明り屋さんの住む村の行く末を見ていたいと思うのですが、、、そうはいかないのですよね。

                       明りを灯す人 1.jpg

富める都会と貧しき村、搾取する者、される者。明り(電気)を巡る政治的利権と、暴力的になだれ込んでくる開発資本(かなりダーティーな匂いもする)。
辛うじて村を支えてきた村長の死のあとは為す術もなく、明り屋さんが時の流れの中でそれこそ“もみくちゃに”される様子がとても心にイタイです。
ほのぼの感あふれるオープニングから最後にああいうシーンを迎えることになるとは思ってもいず、ある意味衝撃でした。

手造りの風車がカタカタと回って軒先につるした電球が微かに赤く灯る、ラストのあの画は明り屋さんの命の灯火だったのでしょうか。
暮れなずむ薄闇の中での仄かな明りが、あまりに哀しいラストでした。

エンディングで映される、自転車を駆る爽快な走りは誰なのでしょう。顔だけが映っていないのです。在りし日の明り屋さんなのでしょうか。もしかしたら、明り屋さんと何度か関わりのあった「あの少年」が成長した姿なのでしょうか。 あの少年は“明り屋さんそのもの”だったと思うので。
とにかく、エンディングのこの自転車の映像がとても救いとなりました。


  アクタン・アリム・クバト監督はネットで調べてみると本作が長編三作目で、味わいのある佳品を撮って来られている監督さんのようです。
長編一作目の「あの娘と自転車に乗って」は、題名から“そこはかとないノスタルジー”が感じられてそそられます、観てみたいです。先述の通り、監督さんのお顔立ちは柔和な感じですが、本作の撮影は結構苛酷さが伝わってきましたよ。やっぱり監督魂は半端じゃないのでしょうね。
最後の湖でのシーン、一頭の馬がめちゃめちゃ可哀想でした。
骨折してないやろか、耳に水が入ったんとちゃうやろか、、、映画作りって厳しぃ〜。


                        JBハイボール.jpg

熱燗の美味しい季節ですが、ちょっと品を変えてこの日はジム・ビームのハイボールです。
ちょっと濃く作ってあって美味しかったです。

劇中で泥酔した明り屋さんがあらぬことを口走るシーンがありましたが、そういえばキルギスではどんなお酒が呑まれるのでしょうね。









posted by ぺろんぱ at 20:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
ほのぼのとしたおじさんの生き方と、
ガツガツと金儲けに猛進する男達が対照的だったような気がします。
かすかな記憶ですが(笑)
経済発展の最中にある国では、多かれ少なかれこういう構図があるのかもしれませんね。

とはいえ、今の日本も目先の経済ばっかり重視されていて
長いスパンで見た人間の生活というものが軽んじられてる気がします。
使用済み燃料棒の最終処分の方法すら決まってないのに、
いつの間にか原発を再稼働させようとしている流れにも危機を感じます。
あの大震災が、本当の人間の豊かさを考える一つのきっかけになったと思うのに、
もしそれを活かせなかったら、日本は本当にもったいない国だと思うのです。

>エンディングのこの自転車の映像
おおっ、そんな映像がありましたか〜。
どうにもやりきれない結末だっただけに、そこは外せない映像かもしれませんね。
しかし、自分の記憶力のなさにまた落ち込みます。。。
Posted by ゆるり at 2013年12月06日 21:59
ゆるりさん、こんばんは。

そうです、ご記憶の通り利権ガツガツ男たち、いいように手下にされる男たち、そんなんが登場してました^_^;。
そして仰るとおり、発展の途上で避けては通れぬ道なのでしょうね。結果的に是だったのか非だったのか、それも未来においてまた意見の別れるところなのかもしれません。

>使用済み燃料棒の最終処分の方法すら決まってないのに、

先日春樹さんの新作短篇を読むために買った文藝春秋にたまたま小泉元総理の原発廃止論が掲載されていて読んだのですが、いろいろ色眼鏡的に取りざたされている氏の原発廃止論ですが仰っていることは頷けるもので、氏もやはり最終処理場を自国でなんとかできないなら(原発を)持つべきではないと、処理場のことに言及されておられました。

この場で氏の弁は別として、原発問題が日本国民全員の問題でなくなりかけている感じの今の流れはちょっと怖いかもしれませんね。

エンディングの自転車の映像はそう長くはない映像でした。でもなんだか心地よかった瞬間でした。誰なのか、、、曖昧なままなのがいいのかもしれません。

>自分の記憶力のなさにまた落ち込み

とんでもないです!
ゆるりさんに比べたら私の記憶力なんて殆どゼロですよ。このブログも、いわば半分は鑑賞備忘録であれこれ記しているようなものです。^_^;


Posted by ぺろんぱ at 2013年12月07日 20:24
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