元町映画館で『ジンジャーの朝 さよなら、わたしが愛した世界』(サリー・ポッター監督)を観ました。
先月に十三のナナゲイで上映されていた時には諸事情で行けず見送りかと思っていたところ、コメントを交わさせて頂いているブロガー・ゆるりさんに元町映画館での上映情報を戴いたのでした。ゆるりさん、ありがとうございました。
サリー・ポッター監督といえば、大好きな映画『オルランド』の監督さん。『耳に残るは君の歌声』も詩情あふれるタッチが印象に残っている作品です。今作にも期待。
story
冷戦下の1960年代ロンドン、ジンジャー(エル・ファニング)とローザ(アリス・イングラート)は何をするのも一緒の幼なじみ。思春期を迎えた二人は学校をさぼって宗教や政治、ファッションについて議論し、反核運動に興味を示すなど青春を過ごしていた。しかし、ローザがジンジャーの父親ローランド(アレッサンドロ・ニヴォラ)に恋心を抱いたことや反核運動への意見の相違から、二人の友情に溝が広がっていく。

※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂いております。
※結末に触れる記述をしています。
いきなりの、1945年ヒロシマの上空に炸裂するキノコ雲の映像に驚きます。
これと時を同じくしてこの世に生を得た二人の少女の(とりわけジンジャーの)、これから彼女がもがきながら生きる不安定な時代を予感させる幕開けでした。
キューバ危機を背景に、核戦争と人類滅亡の恐怖が多感な少女の不安定な情緒をとらえ増幅してゆく様子が、透明感のある美しい映像と触れるのが怖いほどのキリキリした空気感の中で描かれていきます。
多感な17歳。
ナイフのように鋭利に、本人さえ気付かぬうちに周囲を傷付け、また容易に傷付けられもする頃。ジンジャーとローザは幼なじみの枠を超えてまるで一卵性児のように全ての行動を共にするのですが、それぞれの根本的な相手との相違点に徐々に気付かされることになります。均衡を失い始める二人。
ジンジャーは両親の決定的な不和とノイローゼ傾向にある母親からの過干渉、ローザは幼少時からの父親不在と経済的にゆとりのない家庭、それぞれに抱える家族の問題が、二人の成長に伴い、彼女らの日々によりいっそうの不安定感を与えます。
二人ともごく一般的な幸福の匂いがする家庭に育っていないということが、彼女たちの心をより過敏たらしめている気がしました。
サリー・ポッター監督はそのあたりを繊細に且つ鋭く切り取って見せてくれています。ジンジャーは詩を綴ることに没頭し、彼女の独り語りの言葉が、この作品そのものをどこか詩的な空気で包んでくれている感じでした。

ジンジャーとローザを分かった決定的な出来事。
ヨットでジンジャーが感じ取った父ローランドとローザのただならぬ関係。無神論者で自由主義を説く思想家のローランドですが、あの一連の行為は娘ジンジャーへの暴力と言っても過言ではないと私は思います。それを自由恋愛というなら自由の意味をはき違えているし、彼が最後に「すまなかった」と謝ったことがより一層罪深いことに感じられました。思想家であることに酔っているだけの思慮浅いローランド、せめて娘の前だけでも思想家としての毅然とした姿勢を貫き通す厚顔さが欲しかったです。怒りを通り越して憐れにさえ思えたのは哀しかったです。
ジンジャーの迎えた朝は、それまで敬愛していた父ローランド、いつも一緒だと信じていた親友ローザ、そんな二人からの独立だったと感じますが、更にもっと大きな「何か」からの旅立ちではなかったかと。
「何か」とは何か。
核兵器廃絶運動と一夜の投獄、社会情勢に無関心な若者たち、無軌道に手当たり次第にぶつかってきた過去の自分、そんなのを通してジンジャーが見た、「この世の中」という不確実な世界からの、いわば孤高な旅立ちでもあったのかもしれません。17歳にしてある意味「悟った」ジンジャーの表情、怖いほど綺麗でした。
エル・ファニングには表現力と見惚れるほどの美に文句なく拍手!ですが、ローザを演じたアリス・イングラートもなかなかの女優さんだと感じました。ジンジャーとの微かな心の溝をジンジャーを見る眼差しに微妙にひそませた表情など、ちょっとゾクッとした瞬間もありました。聞けばジェーン・カンピオン監督のお嬢さんだとか。(父親はコリン・イングラードという映像作家とか。)環境が育む才能っていうの、やっぱり大きいですね〜。

そうそう、元町映画館で今度(来春くらい??)ミカ・カウリスマキ監督(アキ・カウリスマキのお兄さん)の新作映画『旅人は夢を奏でる』が上映されます。ミカの作品は『GO!GO!L.A.』(1998年)しか観ていないので、これは観ておきたいところですが・・・行けるといいな。
そんなこんなを考えつつ、元町の出来立てほやほやの某店にて熱燗。 熱燗の御代わりをして独りサク呑みは滞在時間30分。
ぺろんぱさんのブログ、いつも欠かさず読んでいます。
正直言って、勤務先が姫路市、自宅がたつの市の私には観に行けない“レア”な作品もあるのですが、あなたの世界観にあこがれています。
酒についても、一人で家呑みの私ですが、“いつかお洒落に呑んでみたい”と何度も読んでいます。
元同級生が観ている広い世界は私のあこがれです。
いつも読んで頂いているとのこと、本当にありがとうございます。
私の観ている映画作品の世界は広いですが、私自身の世界は実にちっぽけです。もう人生の折り返し点を遠に過ぎているというのにね、、、哀しくなるくらいです。
映画も諸事情で鑑賞回数は激減していますし、特に神戸市からこちらに転居してからは更に目指すシアターから遠のいてしまっている現状です。
だめたけさんは休日には自転車の世界に傾注しておられることを某同級生から(^^)漏れ聞いたことがございます。私の知らない素晴らしい世界を持っておられると感じていました。
お酒も、、、お洒落に呑んでる(ように見える)のはほんの数えるほどで大抵は“ただのべったな酒飲み”状態で呑んでます。
多分、映画やお酒との出会いのちょっとした事がとても嬉しくてブログにいいように書いちゃってるんでしょうね、お恥ずかしい限りです。
1960年代に生を得てそのまま、私はのほほんとしてこの映画のジンジャーのような問題意識を何も持たずに大きくなってしまった気がしています。いま、それを取り戻そうと悪あがきです。(^_^;)
だめたけさん、拙いブログですがどうぞこれからも見捨てずヨロシクです!
>あの一連の行為は娘ジンジャーへの暴力
ほんとうに!
彼には、人の親としての根本的なモノが欠如していると感じました。
ちゃんと大人になりきれていないという点では母親も同じでしたが。
エル・ファニング、まだまだ少女でいて欲しい気もしますが、
この先、どんな大人の女性になるのか楽しみでもあります。
やっと「オルランド」をDVDで見ました。
ティルダ・スウィントンが魅力的でファンタジックな映画ですね。
今度は同監督の「愛をつづる詩」(2004)を見てみたいと思っています。
はい(*^_^*)、観て参りました。
そういえばジンジャーの家庭もローザの家庭も、どちらも親の愛みたいなものを余り感じませんでしたね。
ジンジャーを観ていて「誰かがしっかり抱きしめてあげないと・・・」と感じたことを思いだしました。
エル・ファニング、本当にこれから益々楽しみですね〜。表現力と存在感は勿論、ちょっと上向き加減のお鼻も凄く魅力的です。
『オルランド』、ご覧になられたのですね(*^_^*)。
「愛をつづる詩」(2004)は未見です。私もインプットしておきます!
この年代は日一日と変化するんですね。
>ある意味「悟った」ジンジャーの表情、怖いほど綺麗
あの表情にはちょっとビビりました。
次回作はどんな表情を魅せてくれるか愉しみです。
cochiさん、こんばんは。
>この年代は日一日と変化
10代の頃に戻りたいとは思わないですが、戻れたとしても何だかその頃の自分に付いて行けないでしょうね、きっと。
眩しくて、ちょっと怖いくらいでした。
>次回作はどんな表情を
確実に「エル・ファニング」の名前だけでその作品を「観たい」と思わせてくれる女優さんに成長された気がします。
ほんと、楽しみですね。