またしても戻り寒波襲来。

先日8日の雪の時「これが今冬の寒さの底かな」と思っていたのですが・・・。ソチの方が気温はまだ暖かいようですね。日本選手のみなさん、最後まで声援を送り続けます。日ごろの練習の成果を思う存分に発揮できますように。
BS録画していた『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』(2008年制作 2009年日本公開 サム・メンデス監督)を観ました。原作はリチャード・イェーツ著の『家族の終わりに』です。
story
1950年代半ばの富裕層が集まるコネチカット州の郊外で、フランク(レオナルド・ディカプリオ)とエイプリル(ケイト・ウィンスレット)の夫婦は二人の子どもに恵まれ、幸せに暮らしていた。しかし、彼らにはそれぞれ、ヨーロッパでの成功と女優になるという夢があった。やがて彼らはその夢の実現のため、パリへ移住し人生の大きな賭けに出ることを決意するが・・・。

※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。
※結末に触れる記述をしています。
先ず、本作は話題性に富んでいました。
『タイタニック』(1997年)で世紀のカップルとして世界中から注目を集めたレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが、大スターとして不動の地位を築いて11年ぶりに共演(しかも夫婦役で)を果たしたということ。そして私生活では、ケイト・ウィンスレットは監督・サム・メンデスの夫人であり、監督と主演女優として夫婦初のタッグでもあったということ。
『タイタニック』ファンとしては、あの時の二人が本作で悲劇的な終末を迎える夫婦を演じることに幾許かの寂しさを伴うですが(勿論どっちも映画の中のことなのですけれど)、それでも、本作の主演二人の演技は本当に素晴らしく、十二分に観応えのある作品となっていました。
希望の象徴でもある閑静な住宅街レヴォリューショナリー・ロードに住まう人々の、誰もが密かに抱えている虚しさと満たされぬ思いをえぐり出し、最も象徴的な一組の夫婦を崩壊へと導いています。
フランクとエイプリルのパリ移住計画を聞いて心ざわめく周囲の人間たち。二人の決意に激しい動揺を隠しきれなかったのが見て取れます。
隣夫婦の妻ミリー(キャスリン・ハーン)然り、二人にレヴォリューショナリー・ロードの家を世話した不動産業のヘレン(キャシー・ベイツ)然り。誰もが希望とは裏腹に不満といら立ちを抱えているのが伝わってきます。

象徴的な夫婦、フランクとエイプリル。
最も理想的に見えた二人だっただけに、崩壊の途は烈しいものでした。
一度は愛し合った相手に憎しみさえ抱くようになるのは辛く悲しいことですが、憎しみを通り越して何の関心も持てなくなることはもっと辛くもっと悲しいことかもしれません。憎しみは、未だ相手を意識している想いの裏返しだから。
しかし冷静に眺めてみると、問題の根本にあったのはフランクとエイプリルの個人的資質の大きな違いだった気もします。基本は二人の大きな「違い」にあって、レヴォリューショナリー・ロードでの“一見平和だが無個性”の人生がそれをあぶり出してしまった、という感じでしょうか。私にはそう見えました。
相手に求めるものが初めから違っていたのかな、と。
エイプリルにとってフランクは小さな世界で完結してしまった人間であり、そんな彼を前にエイプリルの中に眠っていた開拓?闘争?それこそ革命的な資質?、そんなものが目覚めてしまったのかもしれません。
つまらないのは、環境でもなく相手でもなく、自分自身がつまらないということなのですよね、きっと。だからエイプリルは相手に変わってほしいと願い、そうすることで自分自身も変わろうとしたのですよね。そしてエイプリルは何があっても(子どもを堕胎してまでも)それを貫き通そううとし、フランクはそれができずに安寧の道に戻ろうとしてしまった・・・。
フランクは概ね良き夫であったと思いますし、そうであることに喜びを見いだせる人。エイプリルは良き妻・良き母を演じ続けてきたけれど、そうであることに喜びを見いだすことができなかった人。二人の決定的な違いですね。
二人の破綻・・・、彼らはボタンの掛け違えなどではなく、そもそもボタンが掛けられていなかったのではないかとさえ思えました。

終盤あたりの、朝食のシーン。
この時のディカプリオ演じるフランクの表情は秀逸です。
何かを決意したような冴え冴えとしたエイプリルの表情に、一瞬戸惑いつつも幸せを取り戻せたと信じたフランク。何かとんでもないことが起こると感じる映像の中、何にも気付いていないかのようなフランクの穏やかな頬笑みがあまりに切な過ぎます。この後に起こった出来事には救いがありません。
本作では二人に辛辣な台詞を吐く心を病んだ青年ジョン(マイケル・シャノン)の存在が異色、且つ出色です。彼の言葉でフランクとエイプリルは隠していた心の奥の感情をあぶり出されてしまうのです。
心の奥の感情と言えば、隣人夫妻の妻ミリー、ジョンの母で不動産業のヘレンが“人間の負の感情”を覗かせるラストのそれぞれのシーンは、ちょっと怖かったです。
そうです、この映画は怖いです。
原作小説のタイトルの方が、まんまその世界を表わしていました。

さてさて、ワイン飲み仲間が集まっての新年の乾杯はK子ちゃん宅で開催。ありがとう。
皆で持寄りのワインの中から出色の一本、<ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ“プラチド”2005年>です。
一口含んた時はイイ意味での枯れを感じるちょっと複雑な香りが一瞬広がり、しかし全体としては丸味のある優しい厚みで後の香もすぅっと尾を引く感じです。
この一本を持ち込んでくれたNちゃん、ありがとう、たいへん美味しゅうございました。

そうそう、本作ではいかにもアメリカ映画らしく、お客人をもてなすのに大ぶりのカクテルグラスでマティーニが饗されることが度々。
ジンは夏!派の私ですが、この寒さでも美味し〜いマティーニが呑みたくなりましたよ。
細かい部分は忘れてしまったのですが、この映画を見て、
やっぱサム・メンデス監督やるなぁ〜と思いました。
↑すごい上から目線ですが(笑)
人間関係、特に暮らしを共にする人(夫婦)のつながり、
関係性は一筋縄ではいかないものだなぁと感じたのは覚えています。
自分の人生の目標というかこだわりが強ければ強い人程、
そこの所がややこしいというか、難しいかもしれませんね。
エイプリルが近所の人と読書会をして、ジェーン・オースティンについて
語るシーンがあったのはこの映画だったでしょうか?(違ったらすみません)
エイプリルと違って、私は教養も向上心もないのですが(笑)、
型にはめられる事に反発するというか、
人それぞれでいいやん!と思う気持ちはわかるような気がします。
この役でのディカプリオは、結構好きだったかもしれません。
録画しておけば良かったかも〜。
ぺろんぱさんのレビューを拝読すると、また見たくなりました。
サム・メンデス監督、やるなぁ〜ですよ、全く。(*^_^*) 『アメリカン・ビューティー』も“すごいなぁ〜”って感じましたけどね。
夫婦関係、更には親子関係、、、難しいと思います。依存してしまいがちな関係だけに。
私こそ教養も向上心もないのですが、私も型にはめられるのが苦手、というか息が詰まります。でも小心者なので型をなぞろうとは努めるのですが・・・いや、全然努めてなんかないよアンタ、という友人の声が聞こえてきますが。(苦笑)
>エイプリルが近所の人と読書会をして、ジェーン・オースティンについて語るシーン
それは本作ではないと思いうのですが。
本作でのそのシーンはなかったと思います。でもなんか記憶にある気がして、もしかしてケイト主演の『リトル・チルドレン』??とも思ったのですが、、、。でも、もしその作品にしてもジェーン・オースティンの小説ではなかったかと。すみません、私こそいろいろ間違っていたらすみません!ああ、記憶力が曖昧で悲しいですぅ。
本作でのディカプリオ、私はもの凄く不憫に感じました。そして彼なりに一所懸命だったところをYururiさんと同じく好きだなと思えました。
それだけに残念な形での終りでしたが(フランクとエイプリルの夫婦としての残念な終り、です)、それはそれで仕方ないことですね。
自分も昨年BS録画録りで観ました。それほど期待して観たわけではないけど、すごい観ごたえあった!という印象がありました。さすが、”アメリカン・ビューティー”の監督や、と思った気ィも・・・。
ケイト・ウィンスレットの気持ちは自分なりにわかるものの、そこまでしたらあかんやろっ!と思った記憶があります。残された子供のこと考えたらんかいな、と。
心情的にはわかっても、
何よりも優先しなければならんことができるのが、「結婚すること」「子供を持つこと」ではないかと・・・。
ほなまたです。
あ、違いましたか(笑)適当な事書いて、ごめんなさい。
ケイトじゃなかったかもです。ご近所の読書会でその奥さんの
博識ぶりが露呈するシーンだけが記憶に残ってて
何の映画かわからず混乱しております。
死ぬまでにはなんとか思い出したいものです(笑)
私なら野心のかけらもないので、ディカプリオの一生懸命さに
付いて行ってあげたいですわ。オホホ
啓蟄の頃が近いというのに冬眠したい思いの私です。寒〜い。
しかし生姜は朝(紅茶またはスープまたは痛快丸齧り)に昼(自作お弁当)に、必ず取り入れております!ありがとうございます!!
アメリカン・ビューティーは静かに忍び寄る崩壊の波、、、って言う感じが怖かったです。ケヴィン・スペイシー!
ケイト演じるエイプリルはやっぱり「自分が一番可愛い」というタイプだったのかもしれませんね。まあ勿論、誰しもそういうところはあるのでしょうけれど、家庭を持つということに於いては自己犠牲というのは確かに必要不可欠なのですね。
子どももいなくて結婚も途中でピリオドを打った私が言えることではありませんが・・・すみません(T_T)。
ゆるりさんの「オホホ」には私もウケました(*^_^*)。
私も使わせてもらおうかなぁ〜。
『ジェーン・オースティンの読書会』っていう映画が確かありましたが(私は未見です)、それじゃないのですよね? 確かYururiさんはその映画をご覧になっていましたものね。
すみません、力及ばずで。「ああ、確かあの時のあの作品・・・」って言う感じで思い出せそうで思い出せないもどかしさ、お察しいたします。
>ディカプリオの一生懸命さに付いて行ってあげたい
私もディカプリオに付いて行ってあげたいです!
もしも向こうが付いて来いって言ってくれるなら・・・^_^;。
ディカプリオと見つめ合ってるシーンをただ今妄想中。ウフフ(←これだとちょっとやらしい ^_^;)。
参加させてください〜(笑)
コレ、公開当時は、ケイト演じるヒロインの印象で、好き嫌いが分かれて、、、
この映画の云わんとするところを果たしてどれだけの人がちゃんと受け取ったのか?
当時TB先の記事を見ながら寂しい思いをしたのを覚えています。。。
日本でも「金妻ブーム」というのがありました(^^ゞ
平均的サラリーマン家庭の、子供と子犬と芝生のある暮らし…―それに憧れる女性たち、
郊外のあちこちに同じような新興住宅が人気を呼び、、
横並びの幸せに憧れる日本人・・でしたが、
これはその現象が日本より早く訪れたアメリカのお話だと思いました。
なので、エイプリルの心にくすぶってる焦燥感などに気づく男など居なかったかも、、まだ。。。
誰もが愛する人に巡り合ったら直ぐケッコン。というのを、
家庭を持つと言う事の現実を、自分に問う物語でしたね・・・
私もレオについて行きたいです(u_u*
コメントとTB、ありがとうございます。
>ケイト演じるヒロインの印象で、好き嫌いが分かれて
なるほど、そうでしょうね。私はケイト・ウィンスレットが好きなのでヒロインへの歩み寄り(なんとか理解しようとする気持ち)も生まれましたが、もし好きじゃない女優さんが演じていたら作品自体を受け入れられなかったかもしれません。
最も大切なコトがあってそれを叶えるために付随するモノがあるはずなのに、付随するモノばかりがクローズアップされて本当に大切なことが見えなくなってしまうということは悲しいことです。脆いですよね、そういうふうに成り立っている営みは。
そこに気付いてそこから脱出したかったのでしょうけれど、、、一旦どこかで呼吸を整えることもできなくなっていたのでしょうね、エイプリルは。
>家庭を持つと言う事の現実を、自分に問う物語でしたね・・・
本当にそうですね。
>私もレオについて行きたいです(u_u*
「こんなに素敵な朝食は初めてだ」っていうようなレオ様の台詞ありましたよね?
よっしゃ〜、頑張ってエイプリルより美味しい朝食作ったるで〜!と叫びたいですが、、、届きませんかね。^_^;