これは情報誌の小さな紹介欄で見つけて観に行こうと決めたものです。ロシアとか北欧(ラップランドはフィンランド最北の地)とか東欧とか、何故か心惹かれるものがある私です。

ドイツ政権下のフィンランド。
戦闘意欲がないという罰でドイツ軍服を着せられ置き去りにされたフィンランド兵ヴェイッコと、反体制的だという理由で懲罰に課せられるロシア兵イヴァンが、徴兵されたまま帰って来ない夫を待つラップランドに暮らすサーミ人のアンニの家で出会う。
三人はそれぞれ言葉のコミュニケーションが取れないまま奇妙な共同生活を送る事になるが、ある日事件が起きて・・・・。(一部、情報誌より)
不思議な“たゆたい感”が残る映画です。
一切の「説明」を排除し、ただそこに居合わせて暮らし始めた三人の会話とラップランドの大自然の映像で、映画は綴られていきます。
前半、三人の少しユーモラスな生活が綴られ、そのままのトーンでラストまでいくのかと思っていましたが、「ある事件」を境にこの作品はシャーマニズムに通じるほどの神秘性を呈してきます。
ラップランドの大自然が、まるで全知全能の神に支配されているかのような、そんな感じを受けます。
死の世界へ導かれていくヴェイッコ(ヴィッレ・ハーパサロ)が歩く荒涼とした山は、差し詰め日本で言うところの三途の川でしょう。
そこから現世(生の世界)へ引き戻そうとするアンニ(アンニ=クリスティーナ・ユーソ)が施す呪術が起こす奇跡・・・・・このシーンが、ラップランドの空気の中をたゆたう感じを、映画が終わった後もずっと私の中に残してくれました。
映画サイトに寄れば、「ククーシュカ」というのはロシア語で鳥の“カッコー”の事らしいのですが、「狙撃兵」という意味もある事が劇中で語られます。そしてさらに、最後の方で明かされる、タイトルにつながるもう一つの意味が・・・・。
恥ずかしながら、サーミ人・サーミ語という存在を私は今作品で初めて知りました。
(サーミ人はラップランドの先住民。)
ロシア語、フィンランド語、サーミ語、何となく言語の響きは似ていると思うのに三人は全く意を解し合えません。特にイヴァン(ヴィクトル・ヴィチコフ)は齢のせいなのか時代のせいなのか、「(俺は)スウォミ!(フィンランド人だ!)」というヴェイッコの言葉さえ解そうとしません。(それくらい分かりそうなものなのに・・・・)
理解し合えないなりにお互い自分なりの勝手な解釈を重ねて日々は過ぎて行きます。
人間が理解し合うのはもっと本能や直感的なことであって、細かい事はどうでもいいっていうことなのかな・・・・と思いきや、結果的に、相手の言葉を理解していなかったことで“ある事件”は起きてしまいます。
本当は三人とも皆、平和を願っている一人の人間に過ぎなかったのに・・・・。
やっぱり言葉は大切なのかな、というちょっとこの映画の意図には反するかもしれない感想も抱いてしまいました。
最後は分かりあえる(合えたと思う)のですけれどね。
アンニは不死身で永遠に死なないのかも・・・。
ずっとラップランドに生き続けて欲しい・・・・いえ、生き続けるはず・・・・そう思わせるラストでした。
映画の帰り、お買い物に寄ったお店で素敵なネーミングのワインを見つけました。
“神秘的”という感覚では繋がりがありますか、この映画と。
ラベルも美しく、買い求めて早速いただいてみました。
ラクリマ・クリスティ(キリストの涙)/ロッソ デル・ヴェスヴィオ04年(イタリアワイン)
名前の由来は、調べてみますと「キリストが天上から涙を流し、その涙が落ちたところから葡萄の樹が生えてきて、素晴らしいワインが生まれたという物語を持つ」そうです。

グラスに注いでみるとダークなルビー色で、程よい酸味とタンニン、でも香は華やか・・?
華やかな中にも私の好きな“後口・古藁の香り”も微妙に存在していました。
コスパ大のワインだと思いました。
キリストが涙を流した理由は、サタンの犯した咎が招いた悪の世界を嘆いての事らしいです。神は見ている、ということですか・・・。
何となく今日の映画を反芻させました。
そして、飲むほどに身体も“たゆたう”のでした。