2015年03月23日

浮き雲 (久々の再鑑賞) .....そして、また逢う日まで


 今日で拙ブログも丸9年を迎えました。

2006年3月24日、初めてここに綴った映画はシネリーブル神戸で観た『白バラの祈り』でした。
あれから9年。後半はいろいろあってアップアップしたものの、佳き映画や小説、旨しお酒にたくさん出会えて幸せでした。

明日からは10年目の第一歩というというところなのですが、今日でこのブログを終了したいと思います。いつか区切りをと考えていて、やっと「今」の決心がつきました。

いつか、今度は映画やお酒にこだわらず私なりに日々の想いを綴るブログが出来たらいいなぁと思っています。その時はここで告知させて頂くかもしれませんのでどうぞ宜しくお願い致します。
それから、お知り合いになれたブロガー様方のところへはこれからも変わらずお伺いさせて頂く積もりです。

皆さんあっての9年間の拙ブログでした、本当にありがとうございました。ぴかぴか(新しい)



さて、最後くらい新作の劇場鑑賞をと思っていたのですが(シネリーブル神戸で『おみおくりの作法』がかかってるしー)、それもいつかの楽しみとしてやっぱりアキ映画の久々再鑑賞レヴューで幕を閉じたいと思います。

『浮き雲』(アキ・カウリスマキ監督 1996年制作)です。

<story>
不況のため共に職を失ってしまった、レストランの給仕長イロナ(カティ・オウティネン)と電車の運転手ラウリ(カリ・ヴァーナネン)の夫婦。二人は次の職が見つからず苦しむが、やがてイロナがレストランを営むという目標を見い出し、共に手を取り合って夢の実現に励む。
           ※story、作品画像とも映画情報サイトより転載させて頂きました。

image.jpg
 

とにかく、ラストの空を見上げるイロナとラウリ、そして犬のピエタリの画が何とも幸せに満ちていて、この画像で拙ブログを終わるっていうのもいいなぁという思いがありました。

アキファンなら皆さんご存じだと思いますが、本作は当初マッティ・ペロンパーを主人公として構想されていた作品でしたが、突然のマッティの死により急遽カティ・オウティネンを主役に据えて夫と妻を逆転させたシナリオに練り変えられたものです。
「マッティ・ペロンパーに捧ぐ」ものとして、本作には実際のマッティの3歳の時の写真がイロナとラウリの亡くなった幼い息子として登場し、イロナが傍に佇むようにして決して短くはない時間、画面に映し出されています。
それから最後の方のシーンで、開店したレストランにお客としてやって来るゴミ収集作業員、トラックから下りてくる二人のうち一人は『パラダイスの夕暮れ』でマッティが演じたニカンデルそのものです。天国へ旅立ったマッティ・ペロンパーを悼む思いに溢れています。
彼はアキ・カウリスマキ監督や共演者のみんなにとても愛されていたんだなぁって改めて思うのでした。

夫ラウリ役のカリ・ヴァーナネンはアキの初期の作品の幾つかにも登場し、大好きな作品『ラヴィ・ド・ボエーム』では風変わりな自称・天才作曲家を演じていますが、本作では真面目なんだけど大マヌケなことばかりやっちゃう、でもイロナを愛する気持ちは一杯の心優しき男性として“アキ作品には無くてはならない感オーラ”を放ってくれています。

私は勿論マッティ・ペロンパーは大好きですが、それでも、今この作品は、やっぱりカティ・オウティネンとカリ・ヴァーナネンが演じる夫婦の物語以外の何ものでもないと思えるのです。

イロナとラウリ、二人はめげない。前を向く。
二人を取り巻く経済的状況は変わっても、二人の間に流れる愛情は変わらないから。


image.jpg


犬のピエタリはキューっと抱きしめたくなるくらいに可愛いし、序盤の映画館での一連のシーンが無表情の中の可笑しみとドン底に陥る直前のささやかな幸福感みたいなものがあってとても好きだし、エリナ・サロとイロナの会話は示唆に満ちているし(青い傘の乗ったカクテル!!)、レストランでのピアノ歌手の曲など相変わらず歌詞をじっくり最後まで聴かせてくれる(その歌詞自体が映画になっている)のがアキらしいし、語りたいことはたくさんありますが、やっぱりラストの空を見上げるシーンにこの映画は尽きる気がするのです。

さあ、私も明日、空を見上げてみよう。



image.jpg


それでは皆さん、また逢う日まで。ぴかぴか(新しい)



posted by ぺろんぱ at 20:42| Comment(27) | TrackBack(0) | 日記

2015年03月16日

汽車旅の酒 (本)


漸く春を感じられるようになってきました。
春が来て夏が来て、やがて秋が来て再びまた寒くなってくる今度の冬のことは・・・取り敢えず今は考えずにおきましょう。
さあ、春です。

 書物はあれから角田光代さんの小説二冊(一冊は『紙の月』、映画は未見です)を読み「やっぱり角田光代さんもイイなぁ」と思いつつ何故か再び龍小説に戻ってかなりキッツイのを一冊煩悶しながら読み終えてその影響でか谷崎潤一郎のマゾヒズム小説の萌芽と称される幾つかの初期作品を読み、もう私はノーマルな世界を描いた小説は読めなくなってしまうのかと不安がよぎった矢先、実にゆるゆると心地よく通勤車中を過ごせるこんな一冊に出会いました。
吉田健一著『汽車旅の酒』(中公文庫)です。


〈こんな本〉
旅行をする時は、気が付いたら汽車に乗っていたという風でありたいものである―。旅をこよなく愛する文士が美酒と美食を求めて、金沢へ、新潟、酒田へ、そして各地へ。ユーモアに満ち、ダンディズムが光る著者の汽車旅エッセイを初集成。巻末に著者による短編小説二編と観世栄夫の逸文を付す。著者・吉田健一氏は吉田茂元首相の長男である。
                   ※上記解説は書評サイトより転載・抜粋させて頂きました。

image.jpg


 エッセイであるからか吉田氏の文体の特徴なるもの故か“思いの巡り”をそのまんま語りかけられているかのようで面白く、時にふわふわと眠気にかられてうつらうつらしながらも手はページを繰り続けているという、まるで吉田氏と共にゆっくりと盃を交わしているかの如き一冊でした。
ふらっと何処かへ旅に出たくなり、昔旅先で出会った旨しものを懐かしく思い出してみたりもし、そして何より無性にお酒を呑みたくなります。

とにかく氏は本当によくお酒を呑む御仁のようです。こんなに呑んでいらして身体は大丈夫なのかと思っていると、やはり氏も人間、酷い二日酔いで前日の痛飲を後悔される時も度々あるようでした。吉田茂元首相のご子息でさぞや別世界の贅沢旅と美酒佳肴の話ばかりかと思いきや、意外に目線が低かったりどうでもよいような事にとことんこだわっておられたりするのが、つくづくこの人は呑んで食べて放浪するのがとにかく大好きなオジさんだったのだなぁと故人ながら親しみが湧き出てくるのでした。

あくまで氏の“旅と酒”観であり“旅と食”観であり(それらは切ってもきれぬもの)更に言えば“人生”観であり、他にもっと違う形で旅(或いは人生)を愉しむ人があって勿論よいと思うのですが、この一冊はこの一冊として、私は十分楽しく氏の論に浸りました。

同じ呑んべえ視線でもってう〜んと唸らされたのは以下の二つのくだりです。
■酒に酔うということは旅することに似ている。何処かの店に入って「お銚子」とか「ビールください」と言えばそれで旅が始まる。
■安心できる二、三軒の店でハシゴ酒というのは一定の行程を繰り返すところに天体の運行を感じさせて悠久なるものがある。


ハシゴ酒を悠久とは、いやはや恐れ入りました。
そして「酔うことと旅が似ている」というくだりには、酔っ払って帰路の電車を遥か遠くまで乗り越してもう帰れなくなってその地に宿を取らねばならない状況になったならばそれこそホンモノの旅になるーーーというお茶目なオチも氏はつけておられます。

でもそんなふうにホンモノの旅に化けなくても、何処かの酒場を訪れる小さな旅を私もとても愛おしく思います。そして日々、実践しております。


image.jpg


こちらは昨年末だったかの寿司割烹、染わかさんでの一景です。
美味しいお鮨とお魚をいただきに行くというハレの気持ちも加味されて、この日の「旅」はいつもよりちょっぴり華やぐのでした。
こちらには3度目のお伺い。何種類かの和酒(冷酒)を季節ごとの画が描かれた和紙の上に涼やかに饗して下さいます。女将さんのいつものさり気ないお心遣いは毎度のことながら心に沁みます。ぴかぴか(新しい)


posted by ぺろんぱ at 21:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2015年03月05日

過去のない男 (久々の再鑑賞)



  更新が滞ってしまっていました。
突然の実家事情で慌ただしくしていたり(今はもう大丈夫です)、自分自身のちょっとしたことで少しだけアルコールを控えめにしていた日々(それでも一般女性の平均飲酒量より遥かに多かったと思いますが)でした。

また、先日の友人Mriちゃんからのメールでは (Mriちゃんが)「ノロウイルスにかかって七転八倒の日々だったのよー」とのことで、アルコール大好きの彼女もさすがに完治するまで一滴も呑めなかったそうです。
Mriちゃんのノロ騒動を受けて「やっぱりお酒は呑めるうちに呑んでおくべし」との教訓を得た私です。(もっと違うことを学びなさい、私)

そんな中、独り静かな夜に手に取るのはやはりアキ・カウリスマキの映画。
今回は『過去のない男』(2002年制作)の久々の再鑑賞となりました。


<story>
  ある日列車に揺られ、夜のヘルシンキに流れ着いた一人の男M(マルック・ペルトラ)。公園のベンチで夜明けを待っていた彼は突然暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負う。男は病院で奇跡的に意識を取り戻すが、過去の記憶を全て失っていた。身分証もなく、自分の名前すらも分からない有様。しかし、幸運にもそんな彼にコンテナで暮らす一家が手を差し伸べ、男は彼らと共に穏やかな生活を送り始める。そして救世軍からスープが振る舞われる金曜日、男は救世軍の女性イルマ(カティ・オウティネン)と運命的な出会いを果たすのだった・・・。

image.jpg
                          ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


カティ・オウティネンは本作でカンヌ主演女優賞を受賞しました。彼女はアキ・カウリスマキ作品のミューズですが、私はずーっと「カティってとことん“哀し顔”やなぁ」って思っていました。でも受賞後いくつかの映画雑誌で晴れやかな笑顔と華やかないでたちでカメラに収まるカティを見て、「ああ、やっぱりこの人は“女優”なのだわ」としみじみと感じたのを覚えています。
カティ・オウティネンの主演女優賞だけでなく、その年のカンヌで本作は(パルム・ドールは逃したものの)グランプリを受賞しました。
あ、そうそう、パルム・ドール賞ならぬ「パルム・ドッグ賞」は本作に登場の犬・ハンニバルがしっかりと受賞しましたよ。このハンニバル(本名はタハティ)、実に可愛いのです。そして賢い、空気読む! ハンニバルはこの物語のいわば“幸せの象徴”でもあります。


今回あらためて「やっぱり本作は完成度が高いなぁ」と思いました。アキ独特の“真っ直ぐに見えてちょっと曲がってる”感は前面に出ていなくて、ある意味“王道を行く展開”という言い方もできるでしょう。それでもアキ・カウリスマキ色はたっぷりあって、哀しいけれどどこか可笑しい、どうしようもなく悲惨なのに何故か明日はきっとよくなる・・・そんな気がしてくるのです。

特に本作は最初の悪漢3人以外、悪いヤツは出てきません。それどころか、皆それぞれ実に“善き人”なのでした(あの強欲そうな警官でさえ)。

後半のイルマとMのラヴストーリーも勿論よいのですが、前半のコンテナ住まいの夫婦とのシークエンスは大好きです。
この夫婦、夫も妻もまさに“人生の達人”なのです。
どん底の生活をしている(としか思えない)のにそれを「私たちは運がいい」と言うコンテナ・妻カイザ。 コンテナ・夫ニーミネンは金曜日、シャワーを浴びて(子どもたちがお湯を汲んで屋根から流す)ビシッとスーツを着込んで(くたびれてはいるけどきっと彼の一張羅)、「金曜日だ、食事に行こう。」とMを誘ったのは何と週に一度の救世軍による配給スープの列。笑いを通り越して哲学さえ感じるのです。

「人生は前に進むしかない。でなければつらい。」とはこのニーミネンの言葉。この言葉が本作の全てを物語っているような気がします。人生は凹むことだらけ。でも前を向いて進め。そこにきっと小さな光が灯る、それこそが人生の価値なのだ、とでも言うように。

image.jpg


プッと吹き出してしまう台詞が随所に。それ以上に含蓄のある台詞が要所要所で心に響く。
「ビールを呑もう、給料をもらった。」
だからちょっとくらい呑んだって女房は文句を言わないさっていうことなのですが、これだけの台詞なのになんで泣けてくるんだろう。

泣けると言えばこの映画、やっぱりアキ作品ならではで「音楽」がとても効いています。エンディングで流れるクレイジーケンバンドの「ハワイの夜」には公開時の鑑賞ではビックリしましたが、私としては終盤のアンニッキ・タハティによるライヴシーン、「思い出のモンレポー公園」の歌が深く深く心に沁み入るのでした。

もう一つ、泣けるサプライズはとあるBARでの一景。額に入った故マッティ・ペロンパーの写真が少なくはない時間ずっと映し出されていました。アキ・カウリスマキ監督の愛を感じますね。

明日潰れるという銀行の受付の女の子の達観ぶりも凄く好きだし、突然ロックに目覚める救世軍のお抱えバンドマン達もキュートだし、エリナ・サロがいつものようにちょっとした役柄ながら画面をビシッと引き締めてるし、久しぶりに観るとやっぱりかなり好印象な一作なのでした。


image.jpg


さあ、お酒を呑もう。お給料日はまだだけど。
某居酒屋さんでのカウンターにて。
今日の画はなにがなんでも絶対に熱燗でなければ。
本作でのラスト、過去のない男M が お寿司をつまみに熱燗いってますからね かわいい




posted by ぺろんぱ at 20:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2015年02月11日

岩合光昭写真展 ネコライオン


 先日の仕事帰りに京都まで足を伸ばし、美術館「えき」KYOTO(ジェイアール京都伊勢丹7F隣接)に『岩合光昭写真展 ネコライオン』を観に行きました。

image.jpg


岩合光昭さん、イイですよね。猫好きだけでなく動物好きな人は多分みんな岩合さんのファンなのではないでしょうか。
今回の写真展のテーマは「ネコライオン」「ネコは小さなライオンだ、ライオンは大きなネコだ」というものです。

約150点の作品はネコ、そしてライオンたちの様々な暮らし、そしてその生きざまを伝えてくれていて、どれも立ち止まって見入らずにはいられませんでした。
思わず頬ずりしたくなるような愛らしい表情のネコやライオン(ライオンに頬ずりは命がけですが)、クールで哲学的な表情のネコ、冷静に風と空気を読んで来たる狩りの時に備えようとするライオン、漁師さんの放り投げる魚に我れ先にとジャンプして飛びつく猫、壮絶な闘いの果てに収穫した獲物の息の根を止める瞬間のライオンと、彼らの「生」が実にありありとそこに存在しているのでした。某作品のキャプションにあった言葉をお借りするなら「彼らは生き抜く努力をしている」ということなのでしょうね。

岩合ワールドに浸りました。
岩合さん、そしてたくさんのネコライオンたち、佳き時間をありがとう。

image.jpg

コピーライトマークMitsuaki Iwago ※岩郷さんの作品(絵葉書)の一部を拡大掲載させて頂きました


ウチ猫a.が逝って来月には一年を迎えます。
生きとし生けるネコ、ライオン、いいえトラもイヌもトリもサカナも全ての生き物たち、頑張って生きるのだよー。
そうそう、美術館を出たところには「我が家のネコライオン」を撮ったたくさんの写真がディスプレイされています。どれも愛情がいっぱい詰まった力作でした。


image.jpg


夜空にくっきりうかぶ京都タワーの姿をスマホで撮りました。
京都の夜酒を楽しみたい気持ちをぐっとこらえて急ぎ足で帰途に着きました〜、もちろん帰宅後は熱燗をぐいぐい。


image.jpg


あ、こちらの画像は某日の仕事帰り、友人とのちょい呑みです。
天満の某・立呑み店の<風の森・無濾過無加水(生原酒)>です。このお酒、必ずラインナップに加えてあるお店が神戸でも何軒かあって何度か呑みました。確か奈良のお酒で、わりと好きなタイプです。

2月は逃げてゆくー。もう約半分が過ぎようとしていますね、速い速い。
いっつもそんなふうに、ただ思うばっかり・・・。







posted by ぺろんぱ at 20:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2015年02月04日

久々の再鑑賞、アキの映画 「罪と罰」 から 「愛しのタチアナ」


 今日は立春。春は名のみの・・・で、まだまだ寒さから脱せていない気がします。

劇場通いが再開できないまま、またしてもアキ・カウリスマキ映画を夜な夜な再鑑賞する今日この頃です。
先ずは、アキ長編デヴュー作『罪と罰』(1983年制作)これはドストエフスキーの同名小説をモチーフに撮られた作品です。

story
  食肉解体工場で働く青年ラヒカイネン(マルッカ・トイック)。ある日、仕事が終わった彼は、町中でひとりの中年男の後をつけ、ドアが開いたところで男にピストルをつきつける。命乞いの言葉も虚しく、理由も分からないまま殺される男。そこへ、若い女エーヴァ(アイノ・セッポ)が買い物袋を下げて入ってきた。彼女はケータリング店の店員で、この家で開かれるはずだったパーティの手伝いに来たのだ。だが、女はなぜか悲鳴も上げずに彼を逃してしまう。やがて捜査線上にラヒカイネンが浮上するが、彼は巧みに捜査を攪乱して逃げ続ける・・・。

image.jpg

                  ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。

繰り返しますが小説の『罪と罰』を「モチーフ」に撮られたもので「原作と映画化作品」という図式は当てはまらないと思います。少なくとも私はそう思います。

ドストエフスキーの小説『罪と罰』は、二年ほど前に友人Cさんが貸してくれて読みました。ラスコーリニコフの吐露が「何故そこまで?」としんどくて、最後のページを閉じた時には何を学び取ったかというよりやっと読み終えたという感じが先に立ったのが正直なところ。この本は1/3の長さで充分、むしろその方がイイと思った私はドスト作品を読む資格のない大バカ者なのでしょうね、きっと。カラマーゾフの…も読めないままなら村上春樹ファンとしても失格なのかな(涙)。

さて映画。
ラヒカイネンは変化を求め面識のない男を殺します。私怨があったとされる事実も、しかしそれはキッカケに過ぎないのですね。ラヒカイネンは殺人その罪自体は少しも悔いてはいない・・・これはラスコーリニコフと同じですね。ラヒカイネンが本当に殺したかった「道理」は変えられないまま幕を閉じます。
すごくリアリティがあって怖いくらいに刃先が尖っていて、観る者を突き放すかのようなラストはアキファンにとってハードルが高いデヴュー作だと観るたびに思います。ハードルの高さに私なんかは打ちのめされるものの、アキファンとして原点に立ち返る意味で何年かに一度は観返してみると自分の思い上がりに気付ける気がします。ラヒカイネンの最後の冷笑に何を見るか・・・緊張の鑑賞です。

マッティ・ペロンパーはラヒカイネンを救おうとする友人・ニカンデルとして登場します。彼の登場するシーンのみ唯一、不思議な可笑しみがあってちょっと救われます。
ラヒカイネンやエーヴァは勿論、その他にも本作には屈折した人間ばかり登場しますが、私はペンネナン警部(エスコ・ニッカリ)やエーヴァをひたすら追いかけるエーヴァの上司ヘイノネン(ハンヌ・ラウリ)の屈折感には孤独が見える気がします。

*********************

さて、このあと『マッチ工場の少女』(1989年制作)を手に取りかけたのですが、それだと罪と罰に続いて余りに暗くなるような気がして方向転換、『愛しのタチアナ』(1993年制作)を手に取りました。
これはちょっと幸せな気分を味わえる作品です。

story
   コーヒー中毒の仕立て屋ヴァルト(マト・ヴァルトネン)と、彼の友人でロックンローラー気取りの修理工レイノ(マッティ・ペロンパー)は、退屈な田舎町を捨てて旅に出る。途中出会ったエストニア人のタチアナ(カティ・オウティネン)ロシア人のクラウディア(キルシ・トゥッキュライネン)を港まで送ることになるが、彼らは会話することもなく、ただひたすら旅を続ける。そしてついに港に到着した彼らは・・・。

image.jpg
 

                  ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。

何も起こらないまま旅が続きます。
現実から逃避して束の間夢を見て、また現実に戻されると思うしかない、そんな終盤でレイノはぶっ飛びの台詞を吐きます。これ以上ないストレートなタイトル、まさに愛しのタチアナ、です。たった一度だけ肩を寄せ合ったレイノとタチアナに究極の愛を観るのです。
相棒ヴァルトも小さな愛(の想い出)を得ます。ミシンを踏む彼の日常は変わらなくても、彼の「明日から」にほんの少しの希望が浮かぶのです。

大好きなシーン。
独りぼっちになったヴァルトの、ハードボイルド・ロッカーな自分を夢想したシーンです。レイノとヴァルト、タチアナとクラウディアを乗せた車・ポピエーダがBARに窓ガラスを大破させて突っ込むのです。ハードボイルドにもロッカーにもなれなかったヴァルトの、もう一つの人生がそこで花開いた瞬間でした。いつか、ロッカーズ・スピリットをまとってクラウディアを探しに行く日は・・・来るんでしょうか。

それにしてもレイノは烈しくお酒を呑みます。
コスケンコルヴァ(フィンランドのウォッカ)をまるでミネラルウォーターのように。このお酒は日本では見かけないのですが、いつかボトルで手に入ったらレイノを真似て、ボトルの底を肘にトンと打ち付けてからキャップをあけてぐびぐびラッパ呑みしてみたいです。(喉灼ける??)


image.jpg


とある日の夕暮れ。
I氏お薦めのワインBAR、attic(アティック)にて40分のサクッと乾杯です。
新梅田食堂街に新しくオープンしたお店です。元CAさん?と思えるようなママさんが迎えてくださるのですが、実はこちらのお店、拙ブログで一度ご紹介させていただいた<ツバメ食堂>というワインBARのママさんの新たなお店なのでした。嬉しい驚きです。

ワインがメインのお店ですが、この日はバス・ペール・エールBeerのあと、竹鶴の17年をストレートでいただきました。竹鶴は大ぶりのテイスティンググラスで饗してくださるのでウィスキーの香りをしっかりと楽しめました。カラメルの仄かな甘みのあるスモークチーズがとっても美味です、クセになります。Iさん、ありがとうございました。

ほんものの春よ、早く来い。ぴかぴか(新しい)





posted by ぺろんぱ at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2015年01月15日

真夜中の虹 (久々の再鑑賞)


2015年。

年末から年始の先日迄で、春樹小説と龍小説から離れていろんなジャンル(アンデルセンの童話から仏教心理学の新書まで)の数冊の書を読み、少し空いた(おもに就寝前の)時間でカウリスマキ映画を幾つか再鑑賞しました。

何度も観ているのですが観る度に新しい発見もあり、展開が分かってるから途中で眠ることもできるのに結局面白くて最後まで観切ってしまう、カウリスマキ映画は「不思議の国」です。
今回ここに挙げる『真夜中の虹』(1988年制作)は、カウリスマキ映画の「MY BEST 5」には入らないものの、「BEST 8」には絶対入れたい作品です。

story
 フィンランドの北の果て、ラップランド。炭鉱の閉山で失業したカスリネン(トゥロ・パヤラ)に真白なキャデラックの鍵を託し、父は自殺する。南を目指すロング・ドライヴの始まり。ヘルシンキに向かう途中、二人組の強盗に有り金全部奪われ、仕方無く日雇い仕事に出たその帰り、駐車違反の切符切りのイルメリ(スサンナ・ハーヴィスト)と出会う・・・。

image.jpg
 

               ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。

南を目指すカスリネン。
やっぱり太陽の明るさと空気の暖かさは希望をもたらせてくれるのでしょうか。
ラップランドを出てからは結構苛酷な旅であり、海を渡ってその向こうにあるものもきっといいことばっかりじゃないと思う(むしろいいことなんてないのじゃないかと思える)道行きですが、それでも向こう側へ渡らずにはいられない、希望を持っている自分を信じていないと死んでしまうかもしれない(実際父親は自殺しちゃったのだし)、泣いちゃうくらいに哀しい男の物語ですよね。

泣いちゃうくらいに哀しいのですが、やっぱりそこはカウリスマキ作品で、そこはかとなく可笑しみも漂うのです。
銀行強盗の一連のシーンなんてコメディです。考えてみればカスリネンはかなり天然な気質に見えます。ヘンな自信と思い込みの激しさもあって、実はカスリネンは「南」で生きるべき人間なのかもしれません。彼は「何かと悲観しがちな楽観主義者」とも言えるのかな。ああ、そうか、だから悲観的でしかなかったイルメリや刑務所で出会ったミッコネン(マッティ・ペロンパー!!)が彼に惹かれていったのだわ。

image.jpg


シンプルでドライ。
カウリスマキ監督の作風は相変わらずそんな感じがします。
でもちょっとしたシーン、ワンショットに優しさが溢れていて、たとえ展開に不要なシーンでも大切に撮られていて妙に心に残るのです。
今作では脱獄の際に殴って気を失った刑務官にそっと枕を添えてやるシーンとか、途方に暮れたカスリネンが車の後部シートで小さなオルゴールを回すシーンとか、とにかく愛おしいキラキラがあちこちに散りばめられています。

友人役のマッティ・ペロンパーは本作でもやっぱりイイですよ〜。
それからイルメリの息子役の男の子も。終盤の某シーンで彼がイルメリに「必ず電話して」と告げるところ、切羽詰まった状況下で母親を信じてすがる幼子の切なさが痛いほど伝わってくるのでした。

本当に罪を犯してしまったカスリネンが残念で悔しい。ミッコネンが海を渡れなかったのはそれ以上に悔しい。
だけど、と言うか、だから、真夜中の虹のその向こうに本当の夜明けが来るといい、カスリネンたちに。


image.jpg


寒い時のジンもオツなものです。アンドレというかなり久々に訪れたカジュアルなBARで、滞在時間40分のサク乾杯です。
今年も呑みます、いえ、呑みたいです。 どうか心穏やかに呑める一年でありますように。ぴかぴか(新しい)



posted by ぺろんぱ at 19:29| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月29日

深夜食堂シリーズ3、そして2014年を振り返って


『深夜食堂 シリーズ3』(深夜食堂3)も終わりました。

シリーズ「1」と「2」について過去に拙ブログで感想を書いていましたので、「3」についても簡単に記しておきたいと思います。

image.jpg


<深夜食堂 プチ解説>
小林薫が演じる繁華街の片隅の小さな食堂・通称「深夜食堂」のマスターと、そこに集う客たちのやり取りや人間模様を心に深く染み入るストーリーで描いていくシリーズ待望の3。
(※プチ解説と画像はドラマ情報サイトよりの転載です。)

深夜食堂3 ********* 登場する料理たち(各話タイトル)**********

   第1話(通算 21話)  メンチカツ
   第2話(通算 22話)  豚バラトマト巻き
   第3話(通算 23話)  里いもとイカの煮もの
   第4話(通算 24話)  紅しょうがの天ぷら
   第5話(通算 25話)  春雨サラダ
   第6話(通算 26話)  ロールキャベツ
   第7話(通算 27話)  しじみ汁
   第8話(通算 28話)  きんぴらごぼう
   第9話(通算 29話)  レバにらとにらレバ
   第0話(通算 30話)  年越しそば


 どれが一番好きかと聞かれたら「第8話 きんぴらごぼう」と即答します。

ゲンと先生が生きてきた別々の人生がある日を境にぐっと近づいてそして一つになって、やがて突然、それは形を無くし永遠のものへと変わってゆく・・・きんぴらごぼうは二人を繋ぐものでした。
これからゲンはきんぴらごぼうを食べる度に泣くのでしょうか。いやそもそも食べられるのでしょうか、きんぴらごぼうを。
ゲンを演じている山中崇さんがとても良いです。この役者さんはNHK朝ドラ『ごちそうさん』の室井さん役で注目されましたね。
役者さんの好演もさることながら、本作で秀逸なのはラストに挿入されたワンショットです。何処かの地で陽の光を浴びてベンチに佇む二人。それはきらきらと輝き儚く消えた夢のようで。とにかく切なく、心の掴まれ感は見事でした。

ラスト挿入のワンシーンで印象深かったのはもう一つ、「第3話 里いもとイカの煮もの」です。
主人公里見ケイ(演じるは石橋けい)が自転車を漕いて坂道を上がり、ふと振り返るシーンです。来し方を振り返り、ケイには今度は自分の幸せだけを考えて生きていって欲しいと思いました。

あと、加えてドラマとして面白かったのは「プチトマトの豚肉巻き」と「紅しょうが天」でしょうか。
最終話「年越しそば」は、最後のお餅つきが大団円で幸福感に満ちていたものの、なんだか常連ファミリー色が強くてちょっと引きました。不器用にと言いますか、ひっそりと年越しをしたい人たちのための深夜食堂でもあるのじゃないかなぁ・・・って。

あ、そうそう、シリーズ1で「謎の男」を演じておられたオダギリジョーさんが今回「交番のおまわりさん」役でゲスト出演されていたのは嬉しいサプライズでした。
「人生なめんなよ」の決め台詞が懐かしい「謎の男」でしたが、今回のオダジョ警官の決め台詞は敬礼付きの「まんざらでもありません」というものでした。
シリーズ「4」も作られるのでしょうか、、、楽しみです。



image.jpg


さて、2014年も終わろうとしています
戴き物のモエ・エ・シャンドンで独り乾杯です。
皆様にとってもそうだと思いますが私にとってもいろいろあった一年でした。皆様の温かいお言葉に支えられました、本当にありがとうございました。

例年は劇場鑑賞映画のBESTリストを挙げていたのですが今年はそれも叶わず残念です。
それでも、今年1月に映画館で観ることのできた『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』『少女は自転車に乗って』『さよなら、アドルフ』はいずれも忘れ難い秀作でした。

皆様、どうぞ佳いお年をお迎え下さい。
来たる年がよりよきものとなりますように。ぴかぴか(新しい)





posted by ぺろんぱ at 09:43| Comment(20) | TrackBack(0) | 日記

2014年12月21日

続々・龍ワールド


  12月でこんなに寒かったら1月2月はどうしたらいいのだと、真剣に今後の人生まで考えてしまったこの数日間でした。

『Nのために』読了のあとはこの三冊で、相変わらずの龍ワールドでした。
そういえば「Nのために」はドラマも終了しましたね。今回はドラマの脚本力、演出力を実感しましたが、敢えて言うなら、のぞみちゃんのアンドーへの想いの決着をラストにもう一回、しかと見せてほしかった気もします。

さて読了の龍ワールド3冊は『村上龍映画小説集』『村上龍料理小説集』、『海の向こうで戦争が始まる』(何れも講談社文庫 J書店でたまたま講談社文庫の棚の前に立ったのでこうなりました)です。


image.jpg


『村上龍映画小説集』『村上龍料理小説集』は小説ですが半自伝的要素もあり、『…料理…』の方は内容はともかく軽く読めるタッチですが『…映画…』の方は息苦しい件(くだり)も多く、村上龍という作家が『 69 sixty nine 』時代に生きていた高揚感に満ちた日々から一転、明らかに真逆の方向へと向かう変化を感じました。龍さんのこの手の半自伝的小説やエッセイなどでは、何度か繰り返しその行をなぞり記憶に留め置きたい文章或いは文言に出会うことがあり、そういう言葉を我々に与えてくれる村上龍という人にあらためて唸る思いでした。この二冊は読み物としては純粋に楽しめました。

『海の向こうで戦争が始まる』は文章は流れるように進んでゆくのですが(段落などの区切りが無くいつの間にか複数の世界が交錯します。文章自体は流れるように進むのですが・・・)、描写されているものがとにかくキツかったです。『限りなく透明に近いブルー』のデヴューから本作が二冊目の執筆刊行であるようですが、『限りなく・・・』に負けず劣らず、できれば見ずに過ごしたい類のモノ(或いはコト)をグロテスクにそして執拗に描写し続けます。
追い詰められていくシチュエーションが人間に内在する凶暴性みたいなものをかきたてるかのようで、なんで星の数ほどある書物の中からわざわざこの一冊を選んでこんな不快な思いをしないといけないのかと途中で放り出したい気分にもなりましたが、読み終えてみると不思議とその拒絶感よりも、拒絶感を持ちながらも見続けた「海の向こうの世界」の意味するものをもう少し自分なりに突き詰めてみるべきではないのかという気持ちが湧いてきたりもするのでした。
それは「喉元過ぎれば熱さ忘れる」なのか私がバカで龍イズムの持つ痛みに鈍感であるからなのか実は無意識下でそれに洗脳されつつあるのかそのへんはよくわかりません。いずれにせよ、ここでもう一回龍ワールドから抜け出してみてまた自身の弱さにムチ打ちたくなったら再び戻ってきたいと思っています。

「あとがき」で龍さん自身が「小説は麻薬とそっくりだ」と書いておられましたが、そっくりそのまま引用すれば「村上龍小説は麻薬とそっくり」なのかもしれません。私は麻薬はやったことはありませんけれどね。


image.jpg


二ヶ月ぶりくらいのWishy-Washyさんでシメイ・ブルーいただきました。
短い滞在時間でしたが楽しゅうございました、美味しゅうございました。

麻薬はやったことないですが、アルコールは私にとっては常習性を伴う麻薬みたいなものでしょうね。

posted by ぺろんぱ at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2014年11月28日

Nのために、そして今年のボジョレー



  龍ワールドから一旦抜け出て今はこちらを読んでおります。
『Nのために』(湊かなえ著・双葉文庫)です。

連ドラのチェックはNHKの大河と朝ドラ、それと少し前から「深夜食堂3」とそれくらいのものでしたが、今回の『Nのために』(TBS、金曜10時)には何故かハマってしまいました。
原作を読むのは最終話を観終えてからにしようと思っていたのですがドラマは何しろ週一の進行なので、辛抱たまらず買ってしまいました。

image.jpg


登場人物たちは既にドラマで監督氏の演出とそれぞれ演じる俳優さんたちの演技とでイメージが出来あがっているため、すいすい読み進めてしまうところと、逆にドラマから受ける(私が勝手に作り上げてしまった)イメージと食い違うところもあって違和感を感じたり、それはそれで面白いものの、やはり初めに小説に触れていたらきっともっと想像の翼を広げる楽しみがあったろうにと今になってやっとこの本を手に取った自分にちょっと悔しい思いです。

ただ、ストーリーテラー的な役割も担っていると思われる高野茂という男性はどうやらドラマだけのオリジナル・キャラであるようで、そうなると彼が絡む多くの設定がドラマ独自の脚色ということになり、それは少なからず残念に思いました。ドラマでのこの高野の存在が私には❝何かにちゃんと、誰かにちゃんと、見守られている❞という安心感を与えてくれていて救いでしたから。

ドラマで演じておられる俳優さんたちは皆それぞれイイです、とても。
窪田正孝さん、小出恵介さんは以前から好きで、榮倉奈々さんは本作で初めてイイなぁと思えた女優さんです。「N」以外では先述の高野という人物は三浦友和さんが演じておられます。友和さんにやはりお似合いと思う誠実な役柄に安心感と同時にドラマの安定感を感じるのです。

それにしてもこうして同時に(ドラマより本を読む方がかなり出遅れましたが)一つの作品世界に触れていると、湊さんの文章のストレートでぐいぐい来る力と、ドラマの脚色と演出の緩急付けてじわじわ迫りくる力と、両方とも引き込まれます。活字と映像と、まったくの別物ながら共に力を感じます。

「Nのために」、どう着地するのかな。


image.jpg


  戴き物のボジョレー<ヴィラージュ・ヴァン・ド・プリムール>です、ありがとうございます。
少し冷やして開栓し、グラスに馴染ませてから愛おしく一口、いただいてみました。 香り華やか。ボジョレーっていつもはそんなに美味しいって思わないのですが、これはフレッシュな中にもしっかり感があって美味しかったです。


image.jpg


もう12月が直ぐそこに。
少し前に撮った実家近くの公園の木々の色づきです。

皆さん、どうぞ佳い12月を。



posted by ぺろんぱ at 19:37| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2014年11月12日

続・龍ワールド、そして『問題集』(中島みゆき新譜)


街にはいたるところにクリスマスのオブジェが出現。 今年もあと50日足らずかぁ。

image.jpg



今は引き続き龍ワールドの中にいます。
切り口がシャープで時に辛辣ですが、小説とはちょっと違ってとにかく肩に力を入れずに読めるエッセイ2冊(「すべての男は消耗品である」シリーズからの2冊)、日本古来の昔話に経済から人生に至るまでの投資論を絡めた物語『おじいさんは山へ金儲けに』の1冊、そして自伝ともとれる小説『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』の1冊。
特に『はじめての夜・・・』は“69 sixty nine、大きくその後 ”とでもいうような小説で中々に面白く且つ切なく、一気に読めてしまいました。
一見スノビズムのようで実はその対極的なものがあり、一見センチメンタリズムなようで実はそれをバッサリ切り捨てるような龍さんの感覚があり、偽物ではないピュアさを感じて、龍ワールドには酔えます。
ついでに田口ランディさんの作品で未読だったものを見つけたので(短編集『ミッドナイト・コール』)、それを読み終えたらまた“脳にムチ打ちながら読む龍さん小説”に再突入したいと思っています。


image.jpg



そんなこんなの中、中島みゆきの新譜『問題集』(40枚目のオリジナルアルバム)を買いました。
<収録曲>
 1.愛詞(あいことば)
 2.麦の唄
 3.ジョークにしないか
 4.病院童(びょういんわらし)
 5.産声
 6.問題集
 7.身体の中を流れる涙
 8.ペルシャ
 9.一夜草(いちやそう)
10.India Goose

ピンクのジャケットはみゆきアルバムで初めて? びっくり。
「3Dの感じでお願いしますって。ピンクのめまい(笑)」とは御本人・中島みゆき談。手にとってみるとこの総ピンクには逆に凄みを感じました。

本作は2曲目にNHK朝ドラ『マッサン』の主題歌「麦の唄」収録、1曲目には中島美嘉への提供曲「愛詞」のセルフカバーです。6曲目の「問題集」以降の5曲は11月15日から始まる<夜会vol18〜橋の下のアルカディア〜>で使われる曲、とか。

いとおしくジャケットを解いて早速聴いてみました。
パワフルなオープニングから次々に曲を、詞を、ひたすら追う。
「問題集」のロックなリズムから一転、「身体の中を流れる涙」の直球‘ド’ストライクの深い❝みゆき節❞には不意を突かれた感じで涙さえにじむのでした。
そして最終曲「India Goose」にはやっぱり圧倒され・・・。
「飛びたて 飛びたて 戻る場所はもうない
 飛びたて 飛びたて 夜の中へ」
リフレインが心に響き続けました。

中島みゆきといえば思い出す、みゆき信者ともいえる全夜会出席のMっちぃさん。今はどうしているかなぁ・・・お元気ですか。


image.jpg

さて、かなり久々にお伺いした立呑み・酒舛さん(阪神杭瀬駅より北へ徒歩3分)。相変わらず盛りの良いグラスワインとお任せ3種ちょこっと盛りのディッシュ。
ゆるゆると流れてゆく時間です。しかしながらいつも通りの独りサク呑み・滞在時間50分、すみません。美味しゅうございました。



posted by ぺろんぱ at 21:34| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2014年10月29日

69 sixty nine 、 ヒュウガ・ウイルス


 街にはコート姿がちらほら。ロングブーツ姿もちらほら。あっという間に冬ですか。「立冬」も間近。

前回記事の『ヒゲのウヰスキー誕生す』は、竹鶴夫妻の人生譚であると同時に日本でのウイスキー誕生譚でもあり、また鳥井信治郎氏(サントリー創業者)と竹鶴氏(ニッカ創業者)のそれぞれの経営理念(の相違)譚でもありました。いろいろ勉強になりました。

ということで今は再びどっぷりと龍ワールドに浸かっています。
村上といえば春樹だった私ですが、人生何があるか分かりませんね。いえいえ、私はこれからもやっぱり“春樹小説は永遠のもの”です。


『69 sixty nine 』(村上龍著・文春文庫)は既に読了しましたが、現在は『ヒュウガ・ウイルス』(同著・幻冬舎文庫)を読むと共に『69』も再読しています。

image.jpg


( 69 sixty nine はこんな本 )
 1969年。安田講堂事件が起き、東大は入試中止。アポロが月に行き、ビートルズが「アビーロード」を、ローリング・ストーンズは「ホンキー・トンク・ウイメン」をリリースした。ベトナム反戦運動が高まり、基地の町・佐世保で、僕は高校をバリケード封鎖した。明るく楽しく生きる精神のエネルギーに満ちた日々を描く、永遠の古典。(ブックカバー裏面の解説より転載させて頂きました)

こんなに楽しい小説を書く人だったのですね、龍さん。 これはサイコーの青春小説だと感じました。
ある種の美化はあるでしょう。でも小説なのだからよいのです。
龍さんの表の部分もあれば裏の部分もあり、輝いてパワフルなだけじゃない、陽のあたっていない籠ったものの存在も感じ取れます。でもそこが私には魅力的でした。
それこそ10代だった頃に出会いたかった一冊ですがその頃には未だ本書は書かれていないわけで、これが刊行された1987年にさえ手に取る事が無かった私には所詮「後の祭り」でしかありません。あ、この「祭り」が一つのキーワードです、この小説。
結局2014年の今、人生の折り返し地点をとうに過ぎた年齢で読んだわけですが、今読んでもこの小説はとても楽しくてワクワクしましたし、不思議な力も貰えました。
今だから分かることも。
それは例えば、主人公が好きだった女の子が語った「うち、ブライアン・ジョーンズの、チェンバロの音のごたる感じで、生きていきたかとよ」の言葉。そのように生き続けることが実はとても難しいことだということが、若くはない今だから分かるのかも。この年齢で読んだからこそ「サイコーの青春小説」と思えたのかも知れません。
しかしどうしようもない悲しさも残りました。
それは龍さんの「あとがき」の言葉を借りれば、「時間的資源はある、だがどんな時代でも若者は無力だ」という若者の時代をとっくに通り過ぎて、今は「時間的資源も失くしつつある、無力なままの大人」になってしまった自分をひしひしと感じたからです。

『ヒュウガ・ウイルス』は未だ半分にも達していないところ。『五分後の世界』、時空のずれたあの世界のその後を知りたくて手に取りました。いまのところは「五分後の世界」ほど手強くはないですが、それでも、脳にムチ打ちながら読んでいます。

余談ですが、いま仕事で一番連絡を取る機会が多いのが某社の村上(さん)姓の女性です。「村上」で明け、「村上」で暮れる今日この頃です。


image.jpg


先週ヘヴィーな二日酔いを体験したというのに懲りない私は美味しい冷酒をいただいております・・・の画。
「資源」とはもう呼べない枯渇しゆく時間のなか、しかしそれが続く限りはアルコールと仲良く付き合っていきたいです。
そのためにも心と身体をうんと労わっていかねば。皆さまも、どうぞご自愛くださいませ。


posted by ぺろんぱ at 19:27| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2014年10月19日

『五分後の世界』補足、そして『ヒゲのウヰスキー誕生す』

 
 秋の清々しさは心地よいものですが、早朝の空気は冷気をはらんできましたね。
寒さが苦手な私には油断のならない季節になってきました。

温か〜いお酒が恋しくなる頃です。熱燗、焼酎のお湯割りに加えて、今年はウィスキーのお湯割りもイイですね。マッサン、エリー、頑張って!


image.jpg



またしても「前回の記事に補足」から始めます。
『五分後の世界』は、延々と続く戦闘シーン(ワカマツ・ライブの暴動シーンも然り)に神経が麻痺しそうでした。俯瞰して捉えるのではない、主人公・小田桐の目に映る全てのモノの存在を凝縮された時と空間に間近に捉え、物質一つ一つの組織・細胞までもが蠢いているかのように、瞬きすることなど一切ないかのように目を凝らし果てしなく執拗に描き続ける文体。
ある種の危険な薬をやる人にはとにかく五感が研ぎ澄まされる瞬間があり、(幻覚・幻聴とは違って)本来見えないものが見えたり一般には聞こえない音域の音まで感知してしまうことが起こりうると何かで読んだことがあるのですが、これを読んでいるとまさに龍さんがそういう状態で書いているのではないかと思ってしまうくらいでした。勿論違いますけれど。

しかしそんな延々たる文章の中に村上龍さんが追い求めているものはたった一つで、それは「国のあり方と人間の生きるべき姿」だったと思います。
あまりに微に入り過ぎて複雑ともとれる文章と比して、それはもうシンプルなまでに混ざりけなく。または圧倒的に迫り来る大きな烈しい世界観に比して、それはもうコンパクトなまでに直接的に。
その政治的思想の是非、或いは賛同できるか否かは別として、地鳴りのように響いてくる文章はパワフルで、読んでいて、人生に迷っている若者が今これを読んだら「よし俺は中東に行って闘おう」とか思ってしまうかもしれないな、と感じたりしました。

政治的思想と書きましたが、以前に読んだ龍さんの幾冊かでは特にそれを感じることはなかったのは何故だろう、、、それに、もう少し追ってみれば違うものも見えてくるかもしれない、、、。
そんな想いで次は『五分後の世界』の続編とされている『ヒュウガ・ウイルス』か、『希望の国のエクソダス』か、トーンを変えて『69 sixty nine 』とか、とにかくその辺りをいってみようかなと思っています。


image.jpg


が、その前にこの一冊に出会ったので今はこちらを読み進めています〜。
前記事にコメントして下さったビイルネンさんのご紹介で『ヒゲのウヰスキー誕生す』(川又一英著・新潮文庫)を今は日々携えています。


(こんな本)
いつの日か、この日本で本物のウイスキーを造る――。大正7年、ひとりの日本人青年が単身スコットランドに渡った。竹鶴政孝、24歳。異国の地で、ウイスキー造りを学ぶ彼は、やがて生涯の伴侶となる女性リタと出会う。周囲の反対を押し切って結婚した二人。竹鶴は度重なる苦難にも負けず夢を追い、リタは夫を支え続けた。“日本のウイスキーの父”の情熱と夫婦の絆を描く。増補新装版。(ブックカバー裏面の解説より転載させて頂きました)

NHK朝ドラ『マッサン』を見ているのでとにかく読める読める、面白いです。
勿論、ドラマとは全く別ものですので、誇張も奇をてらった表現もない正統的な竹鶴氏とリタ夫人の人生譚です。表紙を繰っていきなり現れる竹鶴政孝氏のテイスティング姿の写真には感動に近い想いが沸き起こりました。
過激な小説で脳に鞭打つのはちょっとお休みして、幸せな気分に浸って読みたいと思います。ピイルネンさん、ご紹介くださりありがとうこざいました。



image.jpg


そして今日の一枚はニッカウヰスキーの〈 竹鶴 ピュアモルト〉。マッサンのウイスキーです。
実家帰りの週末、近隣の酒屋さんで買ってきて早速に開栓。
先ずはショットグラスに注いでストレートで。

うん。香はチェリーを思わせる仄かな甘さ。口に含めばその甘みが滑らかに拡がり、喉越しの瞬間には微かなスモーキー感も。まさにハンサム・ウイスキーだと感じました。美味しゅうございました。

秋の夜は深し。
『深夜食堂・3』もいよいよ始まります。かわいい




posted by ぺろんぱ at 19:03| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2014年10月03日

今の小説二冊、そして「マッサン」のこと


空が澄んで、高いです。

青い空と浮かぶ雲に手が届きそうなくらいに近かった、あの日のたくさんの人たち。
心からご冥福をお祈りいたします。


  もう少し早くに訂正したかったのですが今になってしまいました、前記事の『空港にて』のタイトルに付いての私見。
全て読み終えてみて分かったのですが、収められている短編は全て、主人公たちが(何らかの状況に精神的に逼迫、或いは疲弊し)海外へ旅立つことに自らの拠り所を求めるというシチュエーションになっていました。全編それぞれに、何らかの形で海外へ向かうことになる主人公たちがいました。最後の一篇(「空港にて」)はまさに旅立つ直前の一人の女性の姿が描かれていて、ストーリー的には全く何の繋がりもない全八編の作品が、「空港にて」の一篇で一気に引き合い昇華されたかのような、「空港にて」が全篇の象徴でもあったかのような、そんな想いに包まれました。単に「空港にて」に“思い入れが強かった”だけでは決してない、主人公たちの希望にも似た、著者の新たな想いで付されたタイトルだったのではないかと感じた次第です。
前記事の私見を訂正します。


image.jpg


そんなこんな(どんな?)の今、私の併読中の二冊『みなさん、さようなら』(久保寺健彦著・幻冬舎文庫)と『五分後の世界』(村上龍著・幻冬舎文庫)です。「みなさん、さようなら」は近年に映画化もされましたね。
どちらも引き込まれてしまって(『みなさん、さようなら』は中盤を過ぎた辺り、悟が何故団地を出られなくなってしまったかが分かってからグンと。『五分後の世界』はもう最初っからとにかく異次元の物語世界に飛ばされてしまい、村上龍すごい、と思いながら読んでいて)、どちらか一冊ずつに集中して読もうと何度か試みたのですが、どちらも一旦中断というのが出来なくなってしまいました。このまま二冊併読で読了へと進みます。

 さて、NHK朝ドラ『マッサン』が始まりました。
美味しいウィスキーを呑みたくなります。みゆきの唄う主題歌「麦の唄」もまことによろしいです。(11月12日にみゆきの最新アルバム『問題集』が発売予定です)
夜、その日の「マッサン」の録画をゆっくり再生しつつ、今度はニッカの<竹鶴><余市>それに<スーパーニッカ>なんかを改めて味わってみたいものだと思っています。


image.jpg


この掲出画像はバーボンですが。
大好きなワイルド・ターキーをワイルドにオン・ザ・ロックで。 ちょっとモノクロームに加工してみました。
モノクロ画像を改めて見てみると、小説の世界と同じで異次元の世界みたいで現実感が希薄になり、現実世界の「今」ではすっかり酔っているのに何だかまだまだ呑めてまだまだ酔えそうな気がしてきます。イケマセンネ。


posted by ぺろんぱ at 19:31| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

2014年09月15日

秋の一日、という時間


秋の風が吹いていますね。

定期的に訪問している某所にはいつも何かしら手作りの装飾品が飾られています。

image.jpg


これ、手で触るまで生花のアレンジだとばかり思っていたのですが、花びらに触れてみたら造花でした。でもとても綺麗。小さくて可憐な感じが素敵です。生花は花粉などにアレルギーを持つ人がいらっしゃるから造花の方が安心安全のようです。
柔らかな秋の陽が射しこむ明るい部屋でこの花たちを見ていると心も柔らかくなっていきます。

さて、また今回も映画鑑賞のレヴューが挙げられず仕舞いという体たらく。
代わってここのところの読書記録をちょっとだけ。

■前記事の流れで先ずは『村上春樹、河合隼雄に会いにゆく』を再読。

河合氏の『無意識の構造』を読み終えた後でしたので、初読時以上に面白く、一つ一つの言葉が沁みていくように読めました。

■とあるエッセイに出会う

『村上春樹、河合隼雄に会いにゆく』の中の記述から『心臓を貫かれて』(マイケル・ギルモア著 村上春樹訳)の再読にとりかかりましたが、途中で何故かいきなりの千原ジュニアさんのエッセイ『うたがいの神様』(千原ジュニア著、幻冬舎よしもと文庫)を併読することに。
某新聞のコラムニストさんがこの本の中に書かれていた一節に触れておられて興味を持ったのでした。その一節とは「頭の中がきたない人が書いた文章は新聞なんかを読んでいても直ぐ分る」という意味のもの。ここでの「頭の中がきたない」というのは「整理されていない」という意味です。つまり、想い出や記憶(ジュニアさんの場合は「ネタ」になるエピソードなんかも)の引き出しがきっちり整理されていない、という意味です。ふ〜ん、なるほど、と。
読んでみて、私は千原ジュニアという人を見る目が随分変わりました。すべてに賛同ではないですが、ここまで持論を正々堂々と打ち出せる彼に好感が持てて小気味よかったです。この人は優しい人なんだろうなぁと感じたことも。

■次は『14歳』(千原ジュニア著 講談社)を

これはもうジュニアさん繋がりで。彼が初めて書いた自伝小説で、引きこもっていた頃とそこから抜け出すに至った出来事が綴られています。小説といっても詩のような文体で瑞々しい印象を受けます。各章のトビラに描かれている挿絵もジュニアさんによるものです。
彼は幼くして自らの「特別性」を強く感じていたのだと思います。自分は他と違って何かを成す(或いは成すべき)人間なのだという自負が強かったように思えます。だから引きこもっている身でありながら彼の中に私は闘争心を凄く感じました。けれど、おそらく14歳という器が彼には小さ過ぎて、それがとても苦しかったのではないかな。繰り返し描かれている「スナアラシ」と「虫たち」は彼に寄り添う友でもあり、彼を暗闇の世界に引きづり込もうとする敵、いや、影の自分でもあったのかな。
家族、とりわけお兄さん(千原靖史さん)の存在は大きいです。ジュニアさん、貴方の人生で闘う貴方だけの武器が見つかってよかったね。

読んでいて、『うたがいの神様』に「パソコンのある時代に14歳を迎えていたら、もしかしたら僕は一生あの部屋(引きこもっていた部屋)を出れなかったかもしれない。ネットでは引きこもったままでいくらでも外の世界と繋がれるから。」と書かれていたことが思い出されて一瞬背筋がゾクッとしました。文明の功と罪はこんな小さなところにもあるんだなって。

■そして『ピンクの神様』(魚住直子著、講談社文庫)も

『うたがいの神様』とタイトルが神様つながりなのは全くの偶然です。あらゆるシーンでの女性同士の人間関係が綴られた短編7篇。
リアルな題材がとてもリアルに(同性の目線で等身大に)描かれていて、読んでいてあまりいい気持はしなかったのは確かですがどの物語も最後に希望が見出されていてそこは救われました。読んでいて「神様は(結局は)自分自身の心の中にある」という言葉に思い至りました。

■今は『空港にて』(村上龍著 文春文庫)を現在進行形で

8篇の短編から成る一冊。初刊の単行本のタイトルは『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』で、このタイトルこそが本書の内容を実に絶妙に表現しています。文庫化にあたって『空港にて』に改題されたそうですが、元のタイトルがとてもしっくりくるのでどうしてかなぁ、と。しかし「空港にて」は本書に収められている短編の一篇のタイトルで、10年ほど前の村上龍自身による言葉で「(30年以上に及ぶ作家生活で)最高の短篇を書いた」という作品であるらしく、思い入れが深かったということでしょう。
とにかくこの短編集、物語と呼んで良いのかどうか、、、それぞれの場所でのそれぞれの「凝縮された一瞬の時」が無限大な広がりで描かれていてとても不思議な感覚に陥ります。「空港にて」の一篇は本書の最終話として収められているので、それに出会うのはもう少し後になります。楽しみです。

本書読了後は春樹さんならぬ龍さんの世界を追って行くのもいいなぁと今思っています。


さて、読書記録のあとはアルコール記録も忘れず挙げておきます。
「シネマで乾杯!」は今や「読書で乾杯!」の様相ですからせめて乾杯の画だけは残しておきますね。

image.jpg


こちらもかなり久々に訪れた、兵庫県内の地酒約300余アイテムを有料試飲できる試(こころみ)さん。
原酒セット(550円也)をオーダー。空腹時に呑む濃いお酒は美味しいです。
「鳳鳴本醸造生詰原酒(アルコール度数21度)」と「夫婦杉本醸造原酒(18.5度)」と、酒肴は子持ちホタテサラダです。好みの盃を自分のために傾ける至福の時。
滞在時間20分の独りサク呑み、楽しゅうございました。勿論、自宅に帰ってディープ呑みです。

皆さま、どうぞ佳い秋を。



posted by ぺろんぱ at 09:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2014年08月26日

きょうの本、音楽。そしてトリオ・ザ・イエロー。


連日の災害状況報道に心痛みます。 
亡くなられた方々のご冥福と、復旧途上で困難な生活を強いられておられる方々の、一日も早い心の平穏の取り戻しが叶うことを祈るばかりです。
自然災害に加え、日々どこかしらで誰かが理不尽に命を奪われる事件や事故が少なからず起きている昨今、悩むことはあっても取り敢えず無事で「今日という日」を生きていられる事に深く感謝しないといけないと改めて強く思うのです。

*********


  春から続けていた「村上春樹長編・刊行順に再々…読」月間も、『1Q84 BOOK3〈10月−12月〉後編』を以て無事終了しました。
1Q84は昨年にも一度再読をしたところでしたので今回は途中いくらか端折り読みしましたが、それでも、新たなる感慨がありました。今回の『1Q84』再読で、今さらながらですがユング心理学に関する何かを読みたくなりましてJ書店で買い求めてきたのがこの一冊です。
もう30年以上前の新書ですが、『無意識の構造』(河合隼雄著・中公新書)です。刊行当時は話題になった本のようですが私は未読でした。

image.jpg


ユング派の理論を受け継がれていた故・河合氏。中盤少し分かり難い箇所もありましたが、概ねユング理論に対するイメージを具体化し易く書かれていたと思います。袂を分かった恩師フロイトとの理論の違いにも(そこに主眼は置かれていないですが)触れられていました。「無意識下の理論」ではフロイト派の学者さんによる夢判断に関する書物を読んだことはありましたが、なるほど、ユングのそれとは解釈が違ってくるのですね。
ユングの無意識の深層心理が(あるいは深層心理学のいろいろが)、数多の小説、物語や映画などの作品に影響を与えている(あるいはそれこそ“無意識的に”影響を与えられている)のだと思われることも幾つかあり、今後なにかしらの書物や映像物に触れるたびに考えさせられそうです。

それにしても、、、本書の帯のコピーを引くようですが、人間って本当に“ままならぬ”厄介な無意識下のココロを抱えて生きているものなのですね。

さいごに一つ。終盤で印象的な一つの文章がありました。
「・・・人生の後半はむしろ内面への旅が要請される・・・」という一文。
前後の文言、あるいはそれまでのすべての記載内容をどう解釈するかによって変わってくるものでしょうけれど、この一文だけでなんとなく分かり合う部分もあると思える我々「The後半世代」です。
河合隼雄氏が亡くなられてもう9年になります。今度は『村上春樹、河合隼雄に会いにゆく』を再読してみるのも面白そうです。読書の輪。


image.jpg


ところで<ジュスカ・グランペール>というデュオをご存知ですか。
ヴァイオリンとギターによるインストュルメンタル・アコースティック・デュオです。
実は今まで私は全く知りませんでした。
この度セカンドアルバム『2 −deux−』のリリースで、(仕事のちょっとした経緯で)発売の9月3日(水)より前に完成盤を聴かせてもらえる機会に恵まれました。これがなかなか好くて。伸びやかで心地よく、空の果てなさと吹き抜ける風、そんなのを感じます。
ヴァイオリンのふくよかで哀愁感あふれる音色も耳に、そして心に優しいです。
「太陽と風」「White Sphere」「Red Legend」や「イコロ」、ボーナストラックとして最後に収められている「夢桜」(Daiwa Sakura Aid のテーマ曲、ニューアレンジ・バージョン)が印象的でした。
<ジュスカ・グランペール>とはフランス語で「おじいさんになるまで」という意味で、共におじいさんになるまでデュオを続けていきたいという気持ちが込められているそうです。益々のご活躍を期待したいです。


さて、夏は大好きな季節ですが心身共に凹むこともたまにはあります。そんな私は三つの黄色に日々助けられています。
ここ何年か毎日の食事に必ず取り入れている土生姜、友人Nちゃんがプレゼントしてくれた金時しょうが粉末、そして叔母夫婦の自家製・ウコン粉末(自家菜園のウコンをスライスして乾燥させて何度もミキサーにかける)です。名付けて<トリオ・ザ・イエロー>。 消化・血行・代謝促進パワーにカンゾーくんへのせめてもの労わり。
あ、ビールの色も黄色ファミリーと見なすならこれにも大いに助けられていますし、Takara 焼酎ハイボール(ドライ)の缶の色も黄色ファミリーならそれにも今夏は助けられました。


image.jpg


掲出の画像は約三か月ぶりにお伺いしたJazz Bar Wishy-Washy さんでの一景。
お店オリジナルのダイナマイトなロングカクテル、<ウィッシー・ウォッシー>です。
こちらでは美味しいお酒に加え、心地よく響くjazz、そしてママさんとの語らいに大いに癒されています。

日々、感謝です。 


posted by ぺろんぱ at 21:24| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

2014年08月16日

復活の日 (懐かしのBS録画鑑賞)


今年のお盆休みも残すところあと一日のみ。
相変わらず映画には行けなかったのですが、映画的?特筆事項は3つ。

友人が貸してくれたDVD『英国王のスピーチ』(後述します)、BSフジで録画していた懐かしの映画『復活の日』BSプレミアム特番の『ゴジラ生誕60年 日本の特撮 驚異の技』を観れたこと、かな。

『復活の日 −Virus−』(1980年制作 深作欣二監督)とはこんな映画。

story
小松左京の同名SFを映像化。1982年、東ドイツの研究所から猛毒ウイルスMM−88が盗まれた。ところが盗み出したスパイの乗った飛行機はアルプス山中で事故に遭い、ウイルスが蔓延した地球は南極にわずかな人類を残して滅亡する。その生存者の一人、地震研究者吉住は、さらに大きな危険が近づいていることに気づく。アメリカ東部に大地震がおきる可能性があり、それは核ミサイルの発射を誘発するものだった・・・。

 
                            
image.jpg

 
 ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させていただきました。

この映画は本当に懐かしかったです。
小松左京というよりSFが好きで、そして緒形拳さんが好きで、公開当時待ちきれずに友人らと観に行った映画でした。
買いましたよ〜、サントラLP。実家に眠ったままのこのLPはもう長いこと聴いていませんが、ジャニス・イアンの歌う主題歌は今も口ずさめます。若いころの記憶力って凄いですね。

今回かなり久々に観返してみると、いろいろと突っ込みどころはあったのは否めませんが、それでもこの映画が当時の私に映画の醍醐味と感動を与えてくれた想い出深く忘れがたい一作であることに変わりはありません。

撮影を監督された木村大作氏が撮った南極の画(南極で撮らないならオレは撮影を降りる、とまで言ったとか)は、特に終盤の吉住(草刈正雄)がひたすら「南」を目指して進むシークエンスで壮大なスケール感を感じさせてくれて圧巻でした。勿論、当時のスクリーン鑑賞での感動でしたが。
しかし今回のBS、ラストが時間的制約のためにブチッと「はい終わり!」的に端折られていたのは如何なものでしょうか。CM本数の調整で何とかラストを完全に再現して貰いたかったのですが、残念です。

今思えば本作はキャスト陣が本当に豪華でした。
当時としては随分お金をかけた映画だったのだと思います、恐るべし角川映画。でも当時鑑賞後に最も惚れたのはその頃は知らなかった役者さん、カーター少佐を演じたボー・スヴェンソン。
現在は御年73歳でまだまだご活躍。近年では、私は未見ですが『イングロリアス・バスターズ』にご出演とか。「いつかの課題作」ですね。

『復活の日-Virus-』、まだアナログなあの時代に映画館の大スクリーンで観れたこと、しみじみよかったと改めて思いました。

image.jpg


このBS録画の鑑賞前夜はちょっとした理由で禁酒デーでしたので、鑑賞当夜は一日ぶりのアルコール投与で赤ワインを呑みながら。
「復活の日 -Alcohpl-」ですね。
戴きものの赤ワイン、<AROMO 2010 メリタージュ ゴールドラベル>。幾重にも交錯する香りとコク、大変美味しゅうございました。


ちょこっと追記かわいい

*****『英国王のスピーチ』(2010年制作、トム・フーバー監督)
 コリン・ファースって実に多彩な演技力を持った俳優さんですね。『真珠の耳飾りの少女』を公開時に観に行ってその御名を意識し、後年に観に行った『シングルマン』で深く心惹かれ、本作ではその両作品とも全く違うコリン・ファースを観ました。まるでそれぞれ違う役者さんのようにも思えてしまうほど。
しかし何といってもジェフリー・ラッシュの存在感たるや、いやはや凄かったです。コリン・ファースというよりジェフリー・ラッシュの映画のように感じられました。
それにしても、人間が生きていくうえで「メンタル・ケア」って重要なのですね。本作で改めて痛感させられました。 
観たかった一作、Mriちゃん、DVDをありがとうね。

*****『ゴジラ生誕60年 日本の特撮 驚異の技』(BSプレミアム特番)
 「ウルトラマン」シリーズを薄〜く映るピアノ線に気付きながらもワクワクしてTVを見ていた世代にとって、「円谷プロさんありがとう」の一言を捧げずにはいられなくなる番組でした。そしてゴジラ(ゴリラ+クジラが命名由来とか)は、やっぱり我が国が世界に誇れる永遠の、そして私たちにとって無限大の偶像なのだ、と思いましたよ。現在公開中の『GODZILLA ゴジラ』、観に行きたいなあ。


posted by ぺろんぱ at 20:32| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2014年08月03日

トラウマ映画館 (これこそがトラウマになりそうな一冊)


先日BSプレミアムで薬師丸ひろ子さんの「35周年記念コンサート」が再放送されてましたね。
昨年の初回放送を見て、その後「SONGS」でやってた時も観たのにまたもや観てしまいました。何故か惹かれます、彼女の歌声。
来生たかお、大滝詠一、南佳孝、井上陽水、呉田軽穂(ユーミン)と、けっこう作曲陣が華やかなのも惹かれる所以かもしれませんが、やっぱり何といっても魅力はその歌声ではないかと。そして、彼女が女優であることも。舞台で歌うその姿からいろいろな物語が想い起される気がするのですよね。


さて、「村上春樹長編・刊行順に再々…読」月間はまだ続いておりまして(月間じゃないですね、こうなると)現在は『海辺のカフカ』下巻の半ば(いよいよ入口の石の登場で佳境)ですが、ふと入ったU書店で目にとまり思わず買ってしまった一冊がコレ、『トラウマ映画館』(町山智浩著、集英社文庫)です。
ページを開いてみたら衝撃的な内容のあまり上手く区切りがつけられず、あれよあれよという間に1/4ほど読んでしまいました。今は「カフカ」と並行して読み進めています。

image.jpg


***こんな本です*** <本書・書評より>
町山智浩さんが主に10代の頃、テレビなどで出会った、衝撃の映画たち。
人は誰しも特別な映画を心に抱えて生きている―。呪われた映画、闇に葬られた映画、一線を超えてしまった映画など、心に爪あとを残した26本の作品を紹介。幼い頃に観たそれらの猟奇性やフェティシズムの源泉を紐解きながら、作品同士の繋がりや、のちの作品へ与えた影響を見出す、映画好きのための一冊。


表紙の作品はジャンヌ・モロー主演『マドモアゼル』(1966年制作・英仏合作)のワンシーンです。
勿論、これも著者にとっての大きな“トラウマ作品”として本書の第22章に登場します。

みなさんにとっても“トラウマとなった映画”、ありませんか。
私の中で今ぱっと思い浮かぶのは、大学生の頃に下宿の部屋で先輩女性・SEさんに言われるままに一緒に“観ることになってしまった”テレビ放映の『ハロウィン』(1978年制作のジョン・カーペンター監督?)でしょうか。
これは怖かったです〜。息絶えたはずのブギーマンがむっくりと起き上がるシーンに一瞬間違いなく心臓が止まりました。E先輩は「なかなか面白かったわね〜」と言いながら自分の部屋に帰っていきましたが、私はそれから一週間、部屋の電気を消して寝れなかったです。
あ、もう一つ思い浮かびました、これもテレビで観た『ローナ・ラブの伝説』という映画。ローナの“本当の姿”がアップになるショットは衝撃でした。孤独と情念、、、そんなものについても若かったなりに心砕かれたとその頃を記憶しております。あ、そういえはデヴィッド・クローネンバーグ監督の『ヴィデオドローム』も“お腹の中に…”のシーンは脳裏に焼き付いています。あの映画って幻覚オンバレードですか。

でも本書にはそんな私の陳腐な思い出などあっさり凌駕してしまう、あらゆるイミでキョーレツな映画がたくさん登場します。
殆どが古い映画で馴染みのないタイトルですが、その映画が幾つかの現代の作品に通じていたり、ショッキングな作品世界が当時の社会的背景や制作者の精神的背景を背負ったものであったりと、著者の考察は多岐にわたり勉強にもなります。当時まだ無名に近かった現在の大スターがアブノーマルな役柄を演じていたりするのも興味深いです。
ちょっと心して読まねばならない刺激の強さですが、著者・町山氏の映画へのとめどない愛の注ぎも見えます。


さてさて、毎日暑いですね。
暫くハイボールやアルコール度8〜9%と濃いめの酎ハイ缶(ドライで甘くないやつ)に走っていて「私はもう日本酒を飲めなくなってしまったのかしら」と思っていましたが、久々の酒席であっさり返り咲きました(なんの迷いもなく、しかもグビグビ)。

image.jpg


こちらの画は某居酒屋での大吟醸呑み比べ2種です。
やっぱり美味しい…和酒はソウルアルコールです。





posted by ぺろんぱ at 11:28| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記

2014年07月13日

HORIZON DREAM (懐かしのアルバム)


夏になると聴きたくなる・・・
でも夏にならなくても何かの拍子でふっと思い出して聴きたくなる・・・想い出深いアルバム。
なのに、もうとっくの昔に手元から去ってしまったアルバム。

高中正義、カリオカ、深町純のオムニバス『HORIZON DREAM』です。

大学生だった頃にLPだったこの一枚に出会い、ひと夏に何度も聴きました。

image.jpg

1. An Insatiable High (on shore...)高中正義
2. Oh! Tengo Suerte (on shore...)高中正義
3. Sweet Agnes (on shore...)高中正義
4. 伊豆甘夏納豆売り (on shore...)高中正義
5. Snooze (off shore...)カリオカ
6. It’s You (off shore...)深町純
7. Before You Go (off shore...)カリオカ

夏のきらめき。そして夏の幻影。
そこに立つ自分が見える、そんなアルバムです。
今は、その煌めく曲にも「大切な何かを失くしてしまったような寂しさ」みたいた感覚も伴うから不思議なものです、音楽というのは。
今はもうタワレコにもTSUTAYAにもヨドバシにも無いみたいです。廃盤になってしまったのでしょうか。アマゾンとかなら何とか手に入るのでしょうけれど。

ふっと思い出される一枚、そういうの、誰にもありますよね。


さて、梅雨明けが待ち遠しい今日この頃です。

image.jpg
※※これはネットからの転載です※※

私が撮った写真じゃありません。プロの写真家さんによる有名俳優氏のポートレートを私が勝手にトリミングしたものです。腕しか入れてない某俳優氏、ごめんなさい。
あんまり背景の草原に心惹かれたので。こんなところでの〜んびり風に吹かれてみたいですね。



image.jpg

明石にある日本酒とワインの某店にて、滞在時間50分の独り乾杯。
純米生原酒「来楽」。このお酒の名前の由来は「飲む人に楽しみが来るようにとの願い」なのだとか。


・・・楽しみがくるといいですね。




posted by ぺろんぱ at 19:18| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2014年06月26日

ヒヤシンス・ブルーの少女(本)


  自宅でも実家でも、近所への用事に時々自転車を使います。

自転車といっても、新型エイリアンみたいなヘルメットを被って乗るカッコイイのんじゃなくてフツーのお買物自転車です。いわゆる“ママチャリ”というやつですね。因みに自宅のMyママチャリには「いしばしクン」と名前を付けています。(なんのことはない、ブリジストンの自転車だから ^^;)
先日、若い子の真似をして久々に立ち漕ぎしてみました。ほんの10メートル程でしたが気分爽快。ちょっと目線が高くなると受ける風が違いました。

image.jpg


とある散歩道で出逢った蝶。
結構シャッターチャンスを提供してくれていたのに(それもカメラ目線で!?)こんなんしか撮れず仕舞い。スマホカメラの限界というより、そもそも写真の腕無し…しゅん太郎(あ、意図せずして十七文字)。


かわいい昨秋以来、時々会社へお越し下さることになったお客様、T子さん。
ピアノを愛し、大胆且つセンスの光る独自のアレンジでもって素敵な演奏を披露して下さる女性です。
先日のご来社時にふとしたことで映画の話になり、「お好きな映画は?」と尋ねられたので幾つかの映画タイトルをお伝えしたところ、そのうちの一作をDVDで探してご覧くださり感想をお便りして下さいました。そして代わりに「映画ではないのですが」とご紹介下さったのが小説『ヒヤシンス・ブルーの少女』(スーザン・ヴリーランド著)です。T子さんは(なんと!)原書で読まれたのですが、和訳された一冊が早川書房から出ているとお伺いし、早速にJ書店で買い求めてきました。

『ヒヤシンス・ブルーの少女 Girl In Hyacinth Blue 1999年(早川書房) 長野きよみ訳』

一枚の埋もれたフェルメールの絵と、それにまつわる所有者たちの物語を紡いだ連作短編集です。
登場する絵は実際にある絵ではないそうです。物語は「現代のアメリカから始まり、第二次大戦中のアムステルダム、19世紀オランダ、1700年代のオランダの村、そして絵が描かれた発端へと時代を遡ってゆく(書評サイトより)」のだそうな。

image.jpg


右側は原書です。原書の方は「こちらもどうぞ」とT子さんが貸して下さいました。それではと、村岡花子さんのように「辞書片手にこぴっと読んでみるずら」と思いましたが、1ページ目であっさり諦めました。

表紙の絵は実際に存在するフェルメールの絵「真珠の耳飾りの少女」ですね。
「真珠の耳飾りの少女」は映画にもなっていますけれど(2003年制作 スカヨハ主演 公開時に私も観に行きました)、絵ハガキも一枚持っていて自宅のコーナーラックに他の何枚かと一緒に飾ってます。柔らかな光と影が混ざり合い人物画にさえも不思議に郷愁を感じさせるのですね、フェルメール。

春樹小説の再々々...読月間はまだ続いていますので、いま再読中の『ねじまき鳥クロニクル』(全3巻のうち第3巻目です。これは読み返すたび「やっぱり傑作やなぁ」と思いますデス)が終わったらこちらを読みにかかります。ヒヤシンスブルーの少女も早く読みたい、楽しみです。
T子さん、素敵な一冊のご紹介をありがとうございました。


さて、夏至が過ぎてしまってこれからは一日一日、少しずつ日が短くなってゆくのですね。こう書くと自分が如何にペシミストだか分かります、いや、単にネクラなだけかな。
しかし夏はこれからが本番です! ささやかでもよいことのある、どうか佳き夏でありますよう。

バルで白ワイン.JPG

会社近くに新しくオープンしたフレンチバルで、夏向きのさっぱりとした白を。
きりりと冷えてて美味しゅうございました。14時からお昼呑みもできるお店です。


posted by ぺろんぱ at 12:22| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記

2014年06月10日

スタークロスト・ラヴァーズ




image.jpg



 デューク・エリントン&ビリー・ストレイホーンの「スタークロスト・ラヴァーズ」を、この何日かずっと某サイトのページで聴いていました。三つのバージョンが聴けます。
春樹小説『国境の南、太陽の西』を久々に読み返してのことです。そう言えば、この前のブログで記した『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を読み返した後も、何日かはビング・クロスビーの「ダニーボーイ」やボブ・ディランの「風に吹かれて」を聴き続けていましたっけ。

「スタークロスト・ラヴァーズ」は『国境の南、太陽の西』で主人公の「僕」がとても好きだった曲として何度か登場します。
曲名は「悪い星のもとに生まれた恋人たち」「結ばれない薄幸の恋人たち」という意味で、「僕」の言葉で“気だるく美しい曲”として紹介されています。確かに、気だるい曲や美しい曲というのはこの世に数多あっても、気だるくて美しい曲というのはそう多くはないのかもしれませんね。

  映画でも小説でも、その時の自分(その物語と全く関係のないシチュエーションであるにもかかわらず)重ねて観て、或いは読んでしまうところがありますが、もしかしたらそういうものが(そうさせるものが)その映画なりその小説なりの持つパワーなのでしょうか。まあとにかく、今回の再読では今までと全く違った自分の視点を感じました。

そんなこんなの中、私は髪をセルフカットで15pくらい切ってかなりのショートにし(私は3種類の専用カット鋏で自分で髪を切っています)、母への面会に行くバスの中で時々会う若き患者さんのNくんと幾つかの会話を交わし、休日には実家で野菜料理をたくさん作ったりしています。独り住まいの自宅では台所に長く立つことなんて余りないのですが、信頼するK女史(B様と言うべきか??)が故・向田邦子さんの料理本を送って下さったことも刺激になったのだと思います。お料理の本ってただページを繰って見ているだけで元気が出てきます、不思議なものです。Kさま、改めまして「ありがとう」ございました。


仕事もプライベートのいろいろも、まあなんとか“こぴっと”やっていくだよ。



image.jpg


さてこちらはブログをお休みするより前の今年に入って直ぐの頃の乾杯、バーボンの画です。
バーボンの色深し、香り深し、そして酔いも深し。 また静かに深く酔いたいものです。





posted by ぺろんぱ at 20:11| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記