2020年09月25日

億男 ( 本 )


 前回のブログから、またしても本のことについての続きです。

『 億男 』 (川村元気著) を読了しました。
面白かったです。 筆致としては『世界から猫が…』に戻ったような、等身大で現実感を感じる世界だったでしょうか。

億男 - コピー.JPG

< 億男 こんな物語です >
 兄の借金を肩代わりし昼も夜も働く図書館司書の一男。
妻と娘は家を出てゆくが、その後宝くじで3億円を当ててしまった一男は浮かれる間もなく不安に襲われ「お金と幸せの答え」を求め、大富豪となったかつての親友・九十九のもとを15年ぶりに訪ねる。 
だがその直後、3億円と共に九十九が失踪した―――。  (※「億男」本の情報サイトよりの転載です)


 記憶を巡る物語ではないのですが、失った大切なものを取り戻したいという思いはやはり根底にあったと思います。

実際、大金とは縁のなかった人間が3億という大金を手にしてしまったら、それ以前の自分とは同じでいられはしないのでしょうね。一男の場合はそれ以前に、自分には何の責任もない多額の借金を抱え込んでしまっていたわけだし。大きく人生を狂わせる出来事が二度も続けて起こってしまうとは・・・。

お金と幸せの関係って何でしょう。
私も本書を読みながらおのずと考え続けてしまいました。
結局それは個々の人々の中にそれぞれの形としてあるものだという結論に導かれてゆく本書なのですが、ならば私にも私なりの‘お金と幸せの形’がある・・・のでしょうか。

ソクラテス、ショーペンハウワー、アダム・スミス、ビル・ゲイツにドナルド・トランプ!まで・・・名だたる先人たち、大金持ちたちのお金を巡る言葉が随所に散りばめられていて「なるほどそうなのか」と深く頷いていしまうことも多々ありました。
「上手くお金を使うことはそれを稼ぐのと同じくらい難しい」 by ビル・ゲイツ とか。
「独りの金持ちが存在するためには少なくとも五百人の貧乏人がいなければならない」 by アダム・スミス とか。
上手く使うかどうか考えるほどのお金は持ち合わせていない私ですし、明らかに五百人の側に属する私ですが、世の中の成り立ちに於ける普遍的法則を思い知らされる言葉ですよね。

でもそんなふうにのんびりと思うのは一般人である私だからにすぎず、億万長者になった人間が見る景色にはきっと私の想像を遥かに超えた何かがあるはずで、そこには彼らにしか解り得ない幸せのステージがあるはずなのですよね、人生を根底から覆してしまうような惨憺たる形のものであるにせよ。あ、惨憺たるものだったら幸せとは呼べないかな・・・。でもだからこそ、お金と幸せの形は個々の中にそれぞれの形で在るものなのだ、ということですよね。

九十九という男性が孤独でありながらも「自分を信じてくれる人を信じ続けたい」と思う姿は、今まで生きてきた日々や生きるうえで座標としてきてようなものを根本的に見つめ直させてくれるかのような感じさえしました。

一男は一男なりに自分自身にとっての‘お金と幸せの答え’に近付いてゆくのですが、その過程はやはりとても苦しい・・・、しかし本書の読後感、なかなかイイ ですよ。


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コロナ禍以前のものですが、とある酒場にての画です。
まあ、一般ピープルの独り呑みなんてこんな感じでしょうか・・・。 でもとても心地よいお店なのです、ここは。

B.ベルトルッチ監督の映画 『 シェルタリング・スカイ 』 を久々に観返したくなりましたよ、本書に何度か登場するのです。
録画ソフト、置いてたかな・・・?




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2020年09月19日

川村元気さん小説 「 4月になれば彼女は 」 からの 「 百花 」


 再び本のこと。 川村元気さんの本について書いた 9月5日付ブログ からの続きです。

先ずは 『 4月になれば彼女は 』(川村元気著)、読了です。

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 自らの死が近いことを知った一人の女性が、過去に在った大切な自分を探す旅に出る・・・。
死が色濃く影を落としていて喪失感や深い悲しみが目の前に展開しているのに、全編が美しい文章で綴られていて読んでいて終始ふわふわしたものの中を夢見心地で漂い続けているような感じでした。シルエットの美しい男優女優さんが演じるシックなドラマを観ているかのような…。

琴線に触れる言葉やフレーズを紡ぐのが上手い作家氏ですね、思わずノートに書きつけてしまった言葉もいくつかありました。
― 悲しい気持ちは幸せな気持ちにどこか似ている ―
何かを抱えて生きる多くの人たちの、心の奥の部分を小さくぱちんと弾くような一文。

喪失した感情を取り戻したいと思う姿、愛している、そして同時に愛されてもいることを確認したいと切実に願う姿、いくつもの心の動きが描かれてゆき、日本から遠く離れた外国の地で一組の男女が最高に美しい形で再会を迎えます。
ウユニの天空の鏡、プラハの大きな時計、アイスランドの黒い砂の海、そしてインドのカニャークマリ。
「避けがたく失われゆくものたちのかけらを拾い集める(本著の一節)」べく、もしも叶うならいつか、この物語で描かれた地を私も旅してみたく思いました。


さて、『4月に…』 読了の後は同氏の別作品 『 百花 』を手に取りこちらも読了しました。
実は刊行されている氏の小説4作品のうちこれが最も興味があったものです。

< 百花  こんなお話です >
大晦日、実家に帰ると母がいなかった。
息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。
それは母が息子を忘れていく日々の始まりだった。
認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。
ふたりで生きてきた親子には、どうしても忘れることができない出来事があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき「一度、母を失った」ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばす...。(「文藝春秋」BOOKサイトより転載です。)

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 3冊を読了して、やはり川村元気さんの小説では「記憶にとどめる」ことの切なる思いが鍵となっていることを強く感じずにはいられませんでした。

母・百合子と息子・泉。
互いを忘れまいともがき苦しむ姿に加えて、本作には忘れたいがために封印した辛い過去の出来事を掘り起こしてそれと向き合うという別の苦しみも描かれています。
自分の知らなかった「母に在った日々」は、しかし紛れもなく母・百合子の一部分であり、自身にとっては辛いことでありながら静かにそれを受け入れようとする泉の姿には人としての尊さも感じました。

アルツハイマー病が進行してゆく段階で、罹患している本人が最も不安で怖くて辛かったであろうことがありありと感じられ、私自身の母親のことが重なり、その点では読んでいて心にこたえることも多々ありました。
一方で、本書の百合子のようにもしも私の母にも心に秘めた、娘である私も知り得なかった何かしらの出来事や想いが過去にあったのだとしたら「それを知りたいなぁ」って切実に思いました。
もっともっと母のことを分かりたかったなぁ・・・って。

大切な人のことを忘れずにいたい、ささやかな思い出も(たとえ輪郭を失ったおぼろげな思い出であったとしても)心のどこかに留めおきたいとあらためてそう思いました。


刊行されている氏の小説で未読なのはあと1冊、『 億男 』です。これ、映画化されましたね、未見ですが。
執筆の時系列では『 百花 』より先に出された本のようですが読みたいと思います。


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小さな集い、久々の3人会で某店にての赤と白・ハーフボトル。
勿論いただいたお酒はこれだけではありませんでしたが。
コロナ禍で変わったことと変わらなかったことと・・・変わったけれどコロナのせいではないことと・・・そんなこんなを話しました。



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2020年09月13日

君の名は。your name. ( DVD鑑賞 )

 
 ブログを読んでくれてる遠方に住む友人が、前回記事で小説版のことを書いた『君の名は。』のDVDを持っていたそうで送ってくれました。
早速鑑賞しました、映画版 『 君の名は。your name. 』 (新海誠監督)。 

君の名は。瀧と三葉 - コピー.jpg
     ※映画のシーンより。画像は映画情報サイトより転載させて頂きました。

前回記事で書いた、新海誠監督の「映画は多くの方々の才能による華やかな結晶」という言葉を改めて実感できました。
小説版は映画制作とほぼ同時期のノベライズであり、内容についての違いはない本作でしたが、のっけからやはり‘初めて向き合う作品’のような思いでした。

オープニングからの期待値の高まりはやっぱりRADWIMPSの曲の力によるものが大きいでしょう。
そして中盤の損なわれてしまった糸守の風景の荒涼感、終盤の砕け散る彗星と湖を巡る一連のシーンの美しさ、それらはやっぱり映像の持つ力に他ならないのですよね。
作画によってそれぞれの登場人物像の‘確たる形’があって、それらも小説版で抱いていたイメージを大きく覆すものではありませんでした(テッシー、意外とカッコ良かった)。

RADWIMPSの音楽に心が高揚して、美しく且つダイナミックな映像に魅せられていった107分でした。
大切な人を「 忘れない、心に繋ぎとめる 」という強い想いが作品に通底していて、あらためて、本作をプロデュースした川村元気さんの小説世界と重なるものを感じましたよ。

DVDを送ってくれてありがとう、Mriちゃん。


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撮影したこの日の空は・・・逝く夏、その名残りのような空でした。

夏の終りは寂しいですね。 せめて何かいいことがあるかなぁ・・・。 自粛明けの20 -  - コピー.jpg



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2020年09月05日

小説版「 君の名は。」 からの 小説版「 世界から猫が消えたなら 」


 台風10号、「経験したことのない風雨」とアナウンスされ続けています。
奇跡的にでもなんでもいいから台風が消滅したり大きく勢力を落としたりってことはないのでしょうか・・・どうか各地の被害が最小限のものに留まりますように。
 
   
 
 今日は本の話(8月23日付ブログ)の続きを書きます。

先ずは‘表紙の装画がキラキラしていた’と記していた『 君の名は。』(新海誠著)。
キラキラしているっていうか、読了するとその画のキラキラは‘彗星落下の瞬間’の煌めきだったのですが。

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新海さんが監督されて大ヒットした2016年公開の同名アニメーション映画の、新海さんご自身の手によるノベライズです。
氏の「あとがき」によればその時点では未だ映画は完成しておらず小説版の方が先に世に出ることになり、「どちらが原作かと聞かれれば微妙なところ」だそうです。

私は映画は残念ながら未見です。
しかし小説版『君の名は。』は、ほんの小さな可能性も輝くものだと感じさせてくれる大きな広がりを持つ魅力的な作品でした。十代の頃にこういう作品に出会っていたら何かが変わったかも? 十代は遥か遠くになりにけり の私ですが、それでも読み終えた後は空が何だか美しく見えました。
こうなるとやはり映画も観てみたいですね。

氏の「あとがき」で興味深い一節がありましたので紹介させて下さい。
「映画は多くの方々の才能による華やかな結晶。個人の能力をはるかに超えた場所に映画はあると思う。」としたうえで、本作の主人公である瀧や三葉のような‘何かを信じてもがきながら手をのばし続けている人たち’の想いを「映画の華やかさとは別の切実さで語られる必要があると感じてこの本を書いた。」と綴られていました。

その切実な語りを私はちゃんと心に刻めたかな・・・でも心に残る小説でした。


 そしてその「あとがき」にちらと御名前が登場した、映画版『君の名は。』のプロデューサーである川村元気さんの小説を読んでみたくなり手に取りました。 そして一冊を読了。

『 世界から猫が消えたなら 』 (川村元気著)です。これも映画になったみたいですね、私は未見ですが。
  
<story>
 30歳、郵便配達員。 余命あとわずか。 陽気な悪魔が僕の大切なものと引き換えに1日の命を与える。
僕と猫と陽気な悪魔の、摩訶不思議な7日間の世界。(帯文からの転載です。)

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 著者である川村さんは猫がお好きなのでしょうか。実はこの小説を読了の後、さらに手に取った別の小説にも猫が登場します。

・・・死への準備。
それは今まで生きてきた日々との向き合いなのだと感じました。向き合うことで未来が見えてくるのだと思えました。たとえ死が待っている未来なのだとしても・・・。

‘誰か’のことを忘れない。
幸せだった‘感覚’を忘れない。
そして‘後悔’すらも忘れない。 その後悔は自分がまぎれもなく生きてそこに存在していた証なのだから。

大切な人のこと、大切な思い出、それぞれについてあらためて考えさせられました。そして考えることで、それまでとは少し違った明日を生きられる気がしました。
エンディングは切ないけれど美しく爽やかなもので、でもやっぱり切なくてちょっとだけ泣きました。

イイですね、川村元気さんの小説。
映画プロデュースがご本業なのかもしれませんが(あの『 告白 』や『 悪人 』も氏のプロデュースとか)、もっと小説を読んでみたくなりました。調べてみると著作で刊行された小説が本作の他に2、3冊あるみたいでした。

で、現在は『 四月になれば彼女は 』 (川村元気著)を読んでいます。
サイモン&ガーファンクルに同名の曲がありますよね、映画『 卒業 』も懐かしい。
この『四月に…』の世界は『世界から…』と筆致が少し違っていて、人間の不確かな心の揺れ動きが静かに紡がれていく感じです。まだ中盤当たりですけれど。

この小説については読後にまた改めて感想をここに綴りたいと思います。



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この世からお酒が消えたなら・・・怖すぎて考えられません。



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2020年08月30日

ミッドナイト・イン・パリ ( BS.P. 録画鑑賞 )


  録画していたBS.P.での映画 『 ミッドナイト・イン・パリ 』 (ウディ・アレン監督 2012年5月 日本公開)を観ました。

この映画のチラシ、とてもイイですよね。
背景の画はゴッホの作品。でも本作「ミッドナイト・イン・パリ」にゴッホは登場していません。 モネもダリもピカソもロートレックもゴーギャンもドガも、著名な画家はたくさん登場するのに何故登場していないゴッホの作品が使われたのでしょうか??

    ミッドナイトインパリ  - コピー.jpg 
   
< story >
ギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者(レイチェル・マクアダムス)と共に、彼女の両親の出張に便乗してパリを訪れる。彼はハリウッドで売れっ子脚本家として成功していたが、作家への夢も捨て切れずにいた。ロマンチストのギルは、あこがれの作家ヘミングウェイや画家のピカソらが暮らした1920年代の黄金期のパリに郷愁を抱いており……。(※映画情報サイトよりの転載です)

 
 憧れの時代へのタイムスリップ。
敬愛してやまないアーティストたちとの出会いと心浮き立つような会話、そして心惹かれる美しい女性との出会い。
まさに夢のような時間があって、かたや(タイムスリップから覚めれば)現実も在り続ける。
もし1920年代で出会った魅力的なアドリアナとあのままちゃっかりうまく結ばれていたらギルはいったいあの時代と現実とにどう折り合いを付けたのだろう…。ダリやマン・レイみたいに‘それが人生さ’と割り切るにはギルはあまりに生真面目すぎる気がして。

ギルにとっては憧れの1920年代を生きる人々だったけれど、その彼らが実は更に昔の19世紀の頃こそ黄金の時代と考えていたという皮肉。
でもそれは1920年代が彼らにとっての‘現在’であるわけで、その点ではギルと変わらないのかもしれません。
浮足立っているように見えるギルだったけれど、意外にも冷静に、人生について核心を突くような言葉を語っていてドキッとしてしまいました。
「‘現在’って不満なものなんだ、それが人生だから。」
これってアレン監督の心の声なんでしょうね。
アドリアナと口づけを交わし恋人になれた途端に更なるタイムスリップが起こってあの「別れ」を迎えることになるなんて・・・それが‘現在に常に付きまとう不満’とやらを象徴しているようで「深いなぁ〜」って思えた展開でした。

摩訶不思議な世界で総じてコメディータッチで描かれています。
たくさんの著名な芸術家たちが次から次へと登場し、さもありなん的な会話を繰り広げるのも面白いです。エイドリアン・ブロディがあのサルバドール・ダリ役でご出演!なのは嬉しい驚きでした。
もともと長く続かなさそうだった婚約者イネズとの「合わないよ、別れよう」っていうあの終盤の潔さ。シンパシーを感じるパリジェンヌ・ガブリエルとの新たなる旅立ちの予感っていうのも何だかとっても小気味よかったなぁ。ガブリエル役のレア・セデゥがとっても素敵だったし。

パリを舞台にしたロマンティックコメディ。
それこそ真夜中に、独りで、大好きなお酒を傍らに置いてこっそり愉しみたい
と思える映画でした。

そして、パリの夜ってやっぱり美しい!


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 トゥーフェイス、元気? 
今日のハンカチは猫柄やねんで。(・・・カンケ―ないか・・・)


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歩いた後の、きりっと冷えた(冷えっ冷え!)タツリキ雄町。 美味しゅうございました。
久方ぶりに訪れましたがカウンターにはビニールシートのカーテンが下がっていました。
そうでしょうね、それがこれからのあるべき姿なのかもしれませんね。お店側とお客側の双方が少しでも安心できるようにっていうことで。

9月がすぐそこに・・・。



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2020年08月23日

嶽本野ばらさんの小説

    
 中村文則さんの 『 悪と仮面のルール 』 (7月29日付ブログ記述) を読了した後、嶽本野ばらさんの小説に移行しました。

『 悪と仮面のルール 』は、最後に希望の光りを見ることができました。しかし暗く重たいトーンが全編を覆っていたことは変わらず、生きることへの呪いのようなものさえ感じました。何がこの作家氏にそこまで書かせるのか…たかだか4冊読んだだけでは理解できるはずもなく、だから中村文則さんの作品はいずれまた再び手に取りたいと思います。

一旦、少し方向を変えて嶽本野ばらさんの小説へ。
映画『 下妻物語 』は氏の原作ですが、活字での体験は私にとって初の嶽本ワールドでした。
2冊を読了。 備忘録を兼ねてここに感想を簡単に記します。


一冊目、『 星のアリスさま 』 (嶽本野ばら著)
  
  アリス - コピー.JPG

 美しく賢い少女・アリスの宇宙の旅を通して‘世の中の真実はかくありき’と描き出された物語です。
ブラックでぶっ飛んだ表現の中にも「不思議の国のアリス」「星の王子さま」「白雪姫」「銀河鉄道の夜」等々へのオマージュも感じられそれなりに面白く読めたのですが、毛沢の東(けざわのひがし)の国を巡る物語には最後に違う展開があるものと思っていたので清貧で善なる国として終わったのには少し違和感が残りました。成り立ちは善であれどんなところにもそれを束ねる側には利権が生まれてくるものではないかと思うので。それが嶽本野ばらさんの思想なのか、はたまた最後に託した希望だったのか、それは分かりませんが。
時に真理を突くような言葉があり、特に終盤、「命の尊さ」についての語りは心に沁みました。


ということで二冊目、『 通り魔 』 (嶽本野ばら著)

通り魔 本 - コピー.jpg

 軽いコミュニケーション障害のある少年が自分なりに正直に真面目に生きようとするのですが、母親からの愛情不足と周囲の無理解、そして幾つかの不運が重なりやがて残虐な事件に突き進んでしまうという物語です。
まさに慟哭の世界。
非常に重く、読むことが辛く息苦しささえ覚える小説でした。小説なのだと割り切れず、何故か現実としてそこに展開しているようで。 そして最後まで・・・救いがない。

同氏の『 星のアリスさま 』の中で‘命の尊さ’についての言及があり深く心に沁みた と先述しましたが、本作では 「こんな希望のない生活を延々と続けなきゃならない程、命って尊いものなのかな。どうせ何時かは皆、死ぬのにさ。」 という台詞があり(主人公の吐いた台詞ではなかったのですが)愕然としました。

残り1/4になった段階で一気に読み進めて読了しましたが、「読まずにいられなかった」というよりは「明日もまたこの本を読み続けることに耐えられない」と思ったからです。
章分けも段落区分も無く文章が続くので精神的に一区切りつけるということが出来にくかったからかもしれません。しかしそれこそが主人公の生きていた日々なのですね。どこかで息をつくことも別の何かに視線を向けることも出来ず、ただただ目の前の暗闇から脱出しようともがくしかなかった日々。
読了して終わったわけではなく、リアルに明日もしかしたらそこにポッカリと口を開けているかもしれないどす黒い大きな穴の存在を思わせ、怖さが尾を引き続けました。どこでどうしたらどう変わっていたのかと主人公に自分を重ね自問せざるを得ず、しかし答えは出ないのでした。



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 かなり久々にスタバに行きました。
ここで冷たい飲み物をオーダーしたのは更にかなりの久方ぶり。プラ問題で紙のストローになっていました。

今度は希望を感じる本(少なくとも表紙の装画はきらきらぴかぴか(新しい)している)を読み始めています。

何だか今日の拙ブログ文、希望という言葉を多用してますね。
それだけ今の私に希望が見えてないってことなのでしょうか・・・(ん〜、しばし考え込む)。

まだまだ厳しい残暑が続く見込みです。 どうぞご自愛ください。


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2020年08月16日

ハドソン川の奇跡 ( BS.P. 録画鑑賞 )


  録画していたBS.P.での映画 『 ハドソン川の奇跡 』 (クリント・イーストウッド監督 2016年9月 日本公開) を観ました。

放送は8月11日でした。日本では1985年の8月12日に 日航ジャンボ機墜落事故が起こりましたね。毎年この時期になると追悼の様子が報道されます、今年も改めて亡くなられた多くの方々に安らかな眠りを と祈りました。

この映画は未見でした。実話を基に作られた映画で観たいと思っていたので放送されてよかったです。

   ハドソン川の チラシ - コピー.JPG   

< story >
突然の全エンジン停止という危機のなかハドソン川に不時着して乗客全員が生還した2009年の航空機事故のてん末に迫る。
2009年1月15日、真冬のニューヨークで、安全第一がモットーのベテラン操縦士サレンバーガー機長(トム・ハンクス)は、いつものように操縦席へ向かう。飛行機は無事に離陸したものの、マンハッタンの上空わずか850メートルという低空地点で急にエンジンが停止してしまう。このまま墜落すれば、乗客はおろか、ニューヨーク市民にも甚大な被害が及ぶ状況で彼が下した決断は、ハドソン川への着水だった。 (映画情報サイトよりの転載です)
 

 94分という映画としては比較的短い時間に多くの示唆が込められていた良い映画だったと思いました。                         

事故の経緯が淡々と描かれていますが、管制塔との緊迫のやり取りや不時着時の脱出劇にはやはり心臓の鼓動が早まります。
人が時として陥りがちな危険な盲点、それに抗い真実を見極めようとする苦悩と憔悴。全ての命が救われた後で起こった出来事なのに、更に鼓動が早まる思いでした。

英雄化という流れが一気に形作られる世の中もどこか怖さを秘めていました。
大切なものを見落としてしまうコンピュータ分析を過信してしまう流れは怖さの極致で(事故調査委員会はまさにその流れに飲み込まれていた感があり)、当事者が冷静でいなければ覆す論点など見出せなかった気がします。
一方でサレンバーガー機長側の、自己への誇りとプロとしての固い意識や深い経験が導き出すものの尊さも大切に描かれていましたし、事故調サイドが過ちを認めた潔い姿勢にもまた気高さを感じました。
そして根底にあった家族の存在の大切さ。先ずはそれがないとやってゆけなかったことかもしれません。

邦題からは何となく‘結果としての奇跡’をより強く感じてしまいますが(勿論奇跡的なことなのでしょうけれど)、この結果は乗客も含めフライトに関わった全ての人々の信念と叡智によるものだったのだと感じました。
「自分の力ではない、全員の力(が為したもの)だ」と語ったサレンバーガー機長。
本作の原題が彼のニックネームである「Sully」であったのも頷けました。

エンディングの「155(人)の数字にそれぞれの顔がある」とのSullyの語りは深く心に残ります。
自然災害や厄災、事件や事故による死者の数が大きくカウントされ続けている現況や、何かに苦しんで自らの命を絶った悲しい報道などにも接して、この今の‘生きてこそ’の想いに繋がるものがありました。

主演のトム・ハンクスは実直さと穏やかな人間味が伝わってきて実在のサレンバーガー氏と実によく似た雰囲気でした。そしてこの事故に焦点を当て映画として世にヒューマニズムを問うたイーストウッド監督って・・・やっぱり何歳になられても信念の人なんだなぁと改めて感じました、です。


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  夏の雲。エネルギーの放出を感じます。


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 ヒューガルデン。 ゆっくり香りを楽しむビールですがあまりの暑さにグイっと呑んでしまいました。

それにしても「危険な暑さ」っていう言葉はいつ頃から使われ出したのでしたっけ…。


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2020年08月06日

ぶあいそうな手紙    久々の映画館にて


気が付けばもう8月。
変わったことと変わりゆくことと変わらないことと・・・。 自分自身はどうなんかな・・・。



  シネリーブル神戸で 『 ぶあいそうな手紙 』 ( アナ・ルイーザ・アゼヴェード監督 ) 観ました。
約5か月ぶりの劇場鑑賞でした。 なかなか良い作品に出会えてよかったです。

< story >
 ブラジル南部のポルトアレグレに暮らす78歳のエルネスト。隣国ウルグアイからブラジルにやって来て46年になるエルネストは、頑固で融通がきかず、うんちく好きの独居老人だ。老境を迎え、視力をほとんど失ってしまったため大好きな読書もままならなくなってしまった彼のもとに一通の手紙が届く。手紙の差出人はウルグアイ時代の友人の妻だった。手紙が読めないエルネストは、偶然知り合ったブラジル娘のビアに手紙を読んでくれるように頼む。手紙の代読と手紙の代筆のため、ビアがエルネストの部屋に出入りするようになるが……。 (映画情報サイトよりの転載です)

ぶあいそうな手紙チラシ - コピー.JPG


 老いてこその選択、老いてこその決断。
自分もいつかそう遠くない未来にエルネストのような心境に陥るのだろうか…そしてその時果たして彼のように自らの直感に忠実に ‘思いきる’ 事が出来るのだろうか… 自問 。 ( 心境だけでいえば既に陥っている気がしないでもないですが。)

「老いというのは分かりあえる人々を失うこと」、この言葉が胸に刺さります。
ゆっくり死と向き合っていく姿がそこにはあったのですが、幾つになっても運命を劇的に変える分岐点は在るのだと思わせてくれる 「クラッシュ(=ときめくこと、劇中の詞)」 と 「悦び」 が、ある時点から力強く描き出されてくるのが小気味よくて段々前のめりになって観ている自分がいました。

ワケありのビアが若さ故かエルネストを振り回しているようにも感じられもしたのですが、その奔放さ(ある種の真っ直ぐさ)がエルネストの忘れかけていた何かを呼び覚ましたのだと感じます。
彼の中の何かがビアを遠ざけることをさせなかったのだと思いますが(決して品行方正とは言えないビアですがイケナイことはイケナイことと認識していたビアです)、それはエルネストの生来の直観力なのか、はたまた長きにわたる独居の寂しさからだったのか、いずれにしても孤独を抱えて生きてきたビアとは引き合う二人ではあったのでしょう。

だから、実はビアとの新しい形の日々があるのかな…とも思ったのでしたが、エルネストが決断したことは、提示されてみるとなるほど最も納得のいく道だったと分かる気がしました。

同じ希望と同じ喪失感を持つ人のもとへーーーーー。 
私には凄い決断に思えましたが、自分もエルネストの年齢になった時あんなふうに自分にとって大切なものを見極めて一心に向かえる人間であれたらいいのに、と思いました。

エンディングで流れる音楽も感動を高めてくれました。 どうか幸多き日々を。ぴかぴか(新しい)

友人ハビエルとの別れのシーンは秀逸です。
切なさがドーンときて、でもそういう友を持てたことが何にも代えがたいことなのだと思わせてくれました。
あのシーン、もう一回観たい。

**主演のホルヘ・ボラーニは、2005年に日本公開となった映画『ウィスキー』の人でした。
お歳は召されても味わいのある風貌は変わらない。確かチラシは残していたはず・・・もう一回観返したくなりましたね、『ウィスキー』。


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こちらもかなり久々の、やはり半年ぶりくらいの某カフェ。
奥のモンブランは友人オーダーのケーキセットから写真用にちょこっと拝借しました、画的に何となく好いかなと。ありがとう。。。 でも私はやっぱりビールですが ( それやったらモンブラン借りるな、、、ごめんなさい )。



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2020年07月29日

一人称単数 ( 村上春樹 新刊 )  そして再び 中村文則小説 のこと


更なる豪雨災害、 そして自死を選んだ人や 自らの死を他者に委ねざるを得なかった人。
いろんなことが起こってて、ずっと前からの自分のぼんやりとした抱え事にも違った見え方がしてくるこの頃です。

 
 
 中村文則さんの2冊目『私の消滅』を読了し1冊目に引き続き重苦しい精神の闇みたいなものに打ちのめされてしまった私でしたが…思うところあって3冊目『惑いの森』を手に取ってしまいました(マゾか)。
1/4辺りまで読んだところで春樹さんの新刊が出たので辛抱し切れず、『惑いの森』は一旦置いて春樹さんの本へ移行。読み終えたので少しだけ想いを綴っておきます。( 『惑いの森』 もその後に読了したので後述します。)

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『 一人称単数 』(村上春樹著)

 『騎士団長殺し』(長編)から約3年半ぶりの新作でこちらは8篇からなる短編集です(短編集としては6年ぶり)。春樹さんの新刊を読めることをとても嬉しく思いながらページを繰りました。

現実と非現実(でも現実かもしれないと思わせるファンタジー)が重なってゆく世界。
主人公たちが皆、齢を重ねての安定感と背中合わせの深い喪失感みたいなものを抱え、やがて不思議な感覚に陥ってゆくのはやはり春樹さんワールド。しかし従来のそのワールドに(私などが分かった風に語れないことは十分承知の上で言わせて頂けるなら)良い意味で‘春樹さんご自身がお年を召された深み’みたいなものが加わって感じられたのでした。

二番目の収録作品「クリーム」が、最も地味かもしれないけれど最も好き…かな。心に刺さった一文がありました。
七番目の収録作「品川猿の告白」は2005年の短編集『東京奇譚集』の中の「品川猿」の内容を引き継ぐものでありながら、品川猿の老いと宿命の哀が描かれていて前作「品川猿」と基本的設定は同じでも趣きが全く異なる作品のように感じました。
最終話の表題作「一人称単数」は長編『色彩を持たない…』の世界を想起する展開(自己の認識し得ない部分の何かが他者を激しく害う、というような)で、またこの短篇から別の長篇が生み出されるのかもしれないなと思ったりしました。

勿論8篇全てそれぞれに惹かれるものは大きく、今後も何度か読み返すことになると思います。
村上春樹さんの作品を読み続けられていることを、何と言いますか、、、幸せに思います。


 ということで、そのあと中村文則さんの『惑いの森 〜50ストーリーズ〜』に戻りこちらも読了しました。

50篇のショートストーリーから成る一冊ですが、それぞれ違う作品でありながら深いところでつながっている‘一本の糸’を感じました。時折同じ(と思われる)人物や団体、情景などが登場します。
先に読んだ中村氏の他の2冊と同様、重く暗い、そして苦しいイメージが変わらず通底している気がします。
けれど50篇の中のほんの2、3篇の作品のラストには(上手く言い表せないのですが)微かな光のようなものを感じたのですよね。それでやっぱり、、、「もう一冊」と思って4冊目を手に取ってしまいました。

『悪と仮面のルール』です。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙の2013年ベスト・ミステリーの10作品に選ばれたらしいですが全く知りませんでした。 2018年に映画化されたらしいですが失礼ながら記憶に無いです(玉木宏さん主演のようです、本書を読み終えた後でならちょっと観てみたい気もします)。

本書に付されたキャッチコピーに今まで読んだ作品と違った‘救い’のようなものの予感が在ったので手に取りました。とにかく読んでみます。


                        曇天の向日葵 - コピー.jpg

曇天の下の向日葵。
実家への道すがら撮った一枚です。

お陽さんの光を浴びてない向日葵、ちょっと淋しげに見えるのは気のせいでしょうか。
関西は梅雨明けも近いのでしょうかね。 そうなったら元気に咲いておくれね。


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2020年07月19日

迷宮グルメ 異郷の駅前食堂 ( BS朝日 )


 連日決して明るくない幾つものニュースに接し続ける中でも、三浦春馬さんのことは衝撃でした。
空の上でどうか安らかに眠ってください。ご冥福をお祈りいたします。



  以前やはりBSでしたかヒロシさんの 『 ヒロシのぼっちキャンプ 』 という番組にハマったことがあったのですが、放送がしたりされなかったりで気が付いた時には終了していました。
よかったのになー、独りで火を起こしてハンモックから眺めてる姿とかそういうの。

で、今はふとしたことで知った、やはりヒロシさんの一人旅を撮った 『 迷宮グルメ 異郷の駅前食堂 』(BS朝日 金曜21時) にすっかりハマってしまっています。毎週録画して楽しみに観ています。

***内容(番組公式サイトよりの転載です)***
  世界の鉄道で旅をして、ふらりと降りた駅前の絶品グルメを異郷で探すふれあいの旅。
  言葉もわからない土地で、ジェスチャーと勘だけで地元の人に愛される駅前食堂を探し、
  人生で味わったことのない美味いモノと、人情に出会います。
 
迷宮グルメ キューバ - コピー.JPG
       ※キューバ・ハバナ中央駅の回。番組公式サイトよりの転載です。


 オープニング曲はニニ・ロッソの「 Arlecchinata 」、原曲はあのチャップリンの映画『ライムライト』の「テリーのテーマ」(チャップリン作曲)です。
旅する地を一本の列車が駆け抜けてゆく…バックにこの音楽が華麗に流れてきて、この瞬間一気に魂が旅の空に飛ぶのです。
もう一曲。ヒロシさんがその日のお店やオーダーするものを決めたりする‘ここぞ!’っていう時に流れるのが「さすらいの口笛」で、この曲は映画『荒野の用心棒』のテーマ曲(エンリオ・モリコーネ作曲)でした。

ヒロシさんがまさに流離いの人という感じです。
在るがままというか、もう無理しない、したくないっていう感じが全身から醸し出されている感じがするのです。(その辺りは芸能界でのご苦労もあってのこと?なのでしょうか。)

言葉が通じないせいでヒロシさんが無意識に(結果的に)吐いてしまった毒と、明らかに‘意識的に’吐いている(←私には何となくそう見える)毒があって観ていてハラハラする時もありつつ、街行く人やお店の人たちとのやり取りを楽しく眺めています。
出されたものを一口食べて「うん、これ豚だね」と言ってて放送時にはテロップで <※鶏です> とか出てたりします。多分カメラマンさんやディレクターさんがウラを取っておられるのでしょうけど、「俺、アレ結構傷つくんだよね」って言ってるヒロシさんがちょっと可愛いです。

「こんな無知な男が(この企画を)よくやってこれたよね」とヒロシさんは言ってらしたけれど、そういうヒロシさんだからこそこの番組が人を引き付けるのだと感じています。
旅する人の殆どが多分 博識家でもフーディーでもない普通の人間なのだから。

それぞれの人にそれぞれの旅があって、いつか自分もそうありたいと思う一つのかたちがそこに在る気がします。

コロナ禍の下いつまで新作が観られるのか(時々旧作の再放送も混じってます)分かりませんが、収録分が尽きてしまっても過去作を再放送してもらえたら視聴歴の浅い私なんかは嬉しいです。
勿論、そう遠くない未来に新たな収録の旅が可能となることを一番に望みますけれど。


                         自粛明けの試 - コピー.jpg

かなり久々の、地酒外呑み。
千鳥正宗しぼりたて(三田市のお酒です)。アルコール度数は19.9度です。
無濾過生原酒です、やっぱり美味しい。

そして村上春樹さんの新刊 『 一人称単数 』 が出ました、読みます。ぴかぴか(新しい)



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2020年07月13日

最近の読書から 中村文則さんとの出会い


豪雨災害、コロナ問題、日々抱えるいろんな事々。
豪雨で被災された女性が「何の試練なのか・・・」と仰っていたのが胸に刺さったまま抜けません。



  最近の読了本4冊と読みかけの1冊。

『噂』(荻原浩著)は何冊目かの同氏の小説で 未読だった一冊。
猟奇的な事件が扱われていて不気味な反面、事件を追う刑事側の人間模様にあたたかみも感じます。しかし、ほのぼのとしたムードで幕引きかと思っていたら最後の一行で凍り付きました。

『ほんまにオレはアホやろか』(水木しげる著)は某新聞記事に載っていたもの。
幼少のころからバカと言われ続けて自分の好きなことしかしなかった(御本人が「文庫版あとがき」で「健康でたくましい糞が出れば人生はめでたしめでたし」と書いておられるほど)とのことですが、本著に触れてーこの人は凄まじいサバイバルのなかを闘って生き抜いてきた人なんだなぁーって痛感しました。戦争体験然り、漫画家としての苦節然り。でもキョーレツなまでに前向きで心の向かい方が自由。そして何故かここぞというところで運に恵まれもおられる。それは水木さん自身の性格が引き寄せた強運に違いないと思わせられました。
自分の思いに正直であり続ければ何らかの道は開けてくるのかもしれないなぁ・・・。

『東京百景』(又吉直樹著)K女史のご紹介によるもの(K様ありがとうございます)
又吉さんの心に残る百の風景を綴った文章。東京を「果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい」と評しておられます。又吉さん自身が東京という街に深い愛を持っているからこその表現ですね。
他者がどう言おうと自分が信じたいと思うことはとことん信じるべきだということと、あと、この人って実はすごいマグマを内包している人やんやなぁと感じました(怖いくらいに)。

そしてその又吉直樹さんのご紹介で(…って、『東京百景』のなかで又吉さんがとても傾倒している作家氏として書かれていたってことなんですけどね)『世界の果て』(中村文則著)
作品を手に取るののは初めての作家氏です。


  世界の果て.JPG                      


「若き実存主義作家」という世間の位置付けにちょっと怯みましたがやっぱり私にはかなりハードルが高く、読了の今もそのハードルを越えられたのか否か分かりません。一冊目のチョイスとしては失敗だったのでしょうか。
短編集ですが全編ダークなトーン。その世界に入り込んでしまったら元に戻れないのじゃないかと、このまま読んでいて大丈夫なんだろうかと、ちょっと怖くなりながらもページを繰る手がなかなか止められず読み進めました。

5篇の短篇が収められていてどの篇にも自分が行くべき場所を求めてもがき続ける人間がいるように思えました。
圧倒的な孤独と先の全く見えない絶望。それでもいつか自分の手で光を掴むことができるのでしょうか。
うぅぅ…4篇目までは読んでいても -私はこの作家さんの発するメッセージを受け止めることができているのだろうか、そこに近寄れてさえいないんじゃないだろうか- と思っていました(つまりは‘置いてきぼり’にされてる感)が、5篇目の「世界の果て」で漸く其処に在る何かにちょっとだけ触れられたような?気がしました(心許ないほど微かにではありましたが)。

なので・・・同氏の小説にもう一冊トライ。
『私の消滅』(中村文則著)。
こちらは一篇の長編作品です。読んでいて苦しいところも怖くなるところ(←読んでいること自体が)もあります。
精神の深い闇に下りてゆく感じの展開。でもその先に何が待っているのか知りたくてやはりページを繰ってしまっています。
ただいま半分を少し過ぎたくらいのところ。


  カムイ - コピー.jpg 毘沙門天 - コピー.jpg トゥーフェイス - コピー.jpg

最近のウォーキング(時々 猫パトロール)から。

1枚目 : あ、目が合ったねカムイ
2枚目 : この子はいっつも逃げる、毘沙門天。繰り返しますが命名に深い意味はありません。
3枚目 : トゥーフェイス。いつも孤高オーラを放っています。

どの子もみんな達者で暮らせよ〜。ぴかぴか(新しい)



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2020年07月05日

遥か群衆を離れて ( BS.P. 録画DVD鑑賞 )


手探りで踏み出した感の現状でしたが再び不穏な数字が出続けていますね。未知のものはやっぱり怖いです。 未知のものばかりのなかで進化してきた人類なのでしたけれど。。。
更にここに来て豪雨による災害も。犠牲になられた方々のご冥福を祈ります。



  少し前に放映されていたBS.Pでの映画『 遥か群衆を離れて 』(ジョン・シュレシンジャー監督 1967年制作 イギリス )を私は観逃していたのですが、コメント下さっていたビイルネンさんが録画分をコピーして送ってくださいました。
送って下さってから少し日が経ってしまいましたが、やっとこのほど鑑賞できました。

トマス・ハーディーの小説を基に、19世紀のイギリスの農村で自身の思いに真っ直ぐに逞しく生きた一人の女性を描いた作品です。
トマス・ハーディーって映画『テス』の原作者でもあったのですね。『テス』・・・劇場に観に行ったのを覚えていて当時の自分をおぼろげに思い出しました。


遥か…チラシ - コピー.JPG
       ※この画像は映画チラシ情報サイトよりの転載です。


 人生はかくもややこしくもどかしい・・・。
一番しっくりくる(観る側も何となくそう感じる)着地点に辿り着くまでの、何と紆余曲折のあったことよ・・・。
けれど人生って概ねそんなものなのかもしれませんね。
多くの未来(選択肢)があると信じるが故の流離い、その様々な痛手から得た‘本当に大切にすべきもの’の存在。

気位と自立心が強い主人公バスシバは唯々諾々を良しとせず何かと周囲を振り回し、好きな女優さんジュリー・クリスティーが演じているとしても初めは安易な感情移入を許さない感じでした。
彼女の悪戯心の誘惑から本気で彼女を好きになってしまい最後には人生を崩壊させてしまったボールドウッドがとにかく不憫。演じたピーター・フィンチが紳士的で一途だったから余計そう感じてしまって。
自分の蒔いた種でボールドウッドが囚われの身になってしまって、それでカブリエルとの‘幸せの再出発’は無いだろうと私としては思いましたが、バスシバがそれを全て心に抱えたうえでのあの再出発だったのだと今はそう思いたいです。‘幸せ’にも‘背負うもの’はある、と。

若く自分を信じて疑わず突っ走っていたバスシバが終盤に見せる穏やかな表情に時の流れを感じます。
しかしバスシバのもとから去ろうとするガブリエルに対して「行かないで」ではなく「行かないでしょ?」と言う言葉にはやはり彼女の本質は変わっていないのだとも思いました。それが良いとか悪いとかではなくて。
若さ以外にも多くのものを失ってきて感動や喜びの沸点もきっと以前とは違っているであろう彼女だけど、これからのガブリエルとの日々を思い、エンドは実はちょっと複雑なものとして心に残ったのでした。

                        遥か…のジュリー - コピー.JPG
          ※ ジュリー・クリスティ この画像は本作の情報サイトよりの転載です。

長尺の約2時間50分の作品でしたが、舞台となる19世紀のイギリス西部の農村風景がダイナミックに捉えられていて人間ドラマ以上に魅せられます。

主要キャスト4人も其々に良かったです。
先述の二人に加えガブリエル役のアラン・ベイツは大地に立つ雄々しさと誠実さをずっと感じさせてくれたし、バスシバの不良夫トロイを演じたテレンス・スタンプは後年の映画『プリシラ』でとても好きになった俳優さんでしたが、本作はあまりに若き頃でスラリと細く長身で前半の役柄はとっても‘ヤな奴’で随分イメージと違ってました ^^; 。後半はトロイなりの生き方の美学を感じたりもしたけれど「じゃあなんで戻ってきたんだろう」と思いながら、彼がバスシバに関わった日々はやはり深かったのだと受け止めました。

そんなこんなの諸々の想い含め、いつかもう一回観たいです。送って下さったビイルネンさんに感謝です。



TTT - コピー.jpg

自粛明け初の外食は友人とのランチで、テラス席のあるオープンエアなカフェでした。
紫陽花に時折爽やかな風が吹いたこの日。
久々の再会といろんなことに気付かせてもらえた語らいをありがとう。

友人はアルコールのウェットティッシュも携帯していて日傘の柄も時折拭いていました。私も見習わないと。
With コロナ の時代なのですね。


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2020年06月24日

死の淵を見た男 ‐吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日‐ ( 本 )


いろんな規制が解除になった今、手探り状態の世の中ですが巷に笑顔が多くなりましたね。
実家に帰った時も隣家の人との平和な世間話も増えました。



  やっと順番が廻ってきた一冊。
気合が入ってたのか一気に読了しました。
『死の淵を見た男 ‐吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日‐』(門田隆将著)です。

2011年3月の東日本大震災による福島第一原発事故。
全電源喪失、メルトダウン、最悪の状況の中で決死の活動をし続けた現場の苦闘を描いたノンフィクションです。
映画化( Fukushima 50 フクシマフィフティ )されて上映後暫くしてコロナ問題が深刻化して気になりながらもそのままになってしまい、ならば原作を読みたいと思ったのでした。

死の淵を - コピー.JPG

 日本中が言葉を失ったあの日、3.11。
その直後から選択の余地なく始まった死闘の、その凄まじさに改めて今、再び言葉を失った思いでした。
家族、郷土、自身が生きて培ってきたもの、、、あの日あの時それら‘大切なもの’守り抜くために現場の人たちは何を心に決めたのか…「死」に直面する場に身を置いて何を思ったのか…。
そこには生々しい胸塞ぐ現実がありますが、当時の現場の、現場でしかわかりえない事々を知ることができてよかったと本書を読んで思いました。

 一人の女性(東電社員)の証言もあって。
事故当時はあまりの過酷さに精神が麻痺してしまっていて事故後の家族との通話でも涙が流れることもなかったのに、半年ほどを経て残る復旧のために誰もいない町中を車で現場に向かっていた時、骨と皮だけに痩せ細ったキツネが恐る恐る近寄ってきて・・・その姿があまりに哀れで持っていたあんパンを車から降りてそのキツネにあげたまさにその時、突然どーっと涙が出てきて止まらなくなった、と。
申し訳ないと、人間のみならず何の関係もない動物たちをもこんなふうにしてしまったと、自分たちへの怒りがこみあげてきて流れる涙が抑えられなかったそうです。
個人的にはここを読んでいて一番泣きました。
動物の哀れな姿と人々の酷い姿と、それを「自分たちへの怒り」と刻んだこの人たちと・・・いろんな姿がぐちゃぐちゃに混ぜこぜになって迫ってきた感じでした。
 
 周辺の人々の平穏な暮らしを崩壊させてしまった結果は勿論酷いものだったと思いますが、考え得る最悪の状態、その中の最大極限の事態を辛うじて回避できたのは現場のこの人たちの命をかけた戦いがあったからだと、改めて強く心の中で手を合わせる思いです。

 筆者の門田氏が「はじめに」と「おわりに」に記しておられる内容は冷静な分析であり、しかしながら深く心に響くものでした。
東電内で亡くなられた方もおられました。あらためて、どうぞ安らかにと祈らざるを得ません。


猫パト1 - コピー.jpg
沈思黙考

猫パト2 - コピー.jpg 「帰ってきたでぇー」「何処行っとったん!」的な?
猫たちの世界にもいろんなことがあるだろうけど、とにかくこの子たちも皆‘ 食べて寝て’元気で暮らせ!


                        インドの青鬼 - new.jpg

 最近の家呑みの一景。
インディア・ペールエール<インドの青鬼>が近くのスーパーに置いてあるのを知って買いました。
いつもアルコールのコーナーはガン見目していたのに死角でした。
久々のこの味、苦みとコクがクセになります。何年振りだろう〜、美味しく呑みました。


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2020年06月17日

心の旅路 ( BS.P. 録画鑑賞 )


 街をゆく10代半ばの若者たちの、雄々しく以前と変わらぬハツラツさにEnergyチャージさせてもらいました。 しかし若者は若者なりにこれから先に思い悩むことはきっとたくさんあると思います・・・ガンバレ若人よ!( オマエこそ頑張れよ と言われそうですが。)


  少し前に録画していたBS.Pでの映画 『 心の旅路 』(マーヴィン・ルロイ監督 1942年制作 アメリカ ) をやっと観ました。
ジェームズ・ヒルトンの小説を基に、第一次世界大戦で記憶を失くした男スミスと旅回りの踊り子ポーラとの長きにわたる愛の軌跡を綴った作品です。


心の旅路 ポスター - コピー.JPG
           ※映画ポスター Wikipediaからの転載です。


こういうのを古き良き映画というのでしょうか。
10年は超えるであろう長い物語の流れの中で、ポーラとスミシ―の互いへの愛がただその一点のみに於いて真っ直ぐに正攻法で描きあげられていました。

スミシ―が去しり後ポーラが体験した絶望と辛苦の日々が彼女の台詞として短く語られただけだった事とか、マーガレットと名を変えてチャールズ(スミシ―)の前に再び現れてからも彼女がその過去の辛苦を振り返るシーンが無かった事については、少しリアリティーに欠けるというかもう少しそこを深く掘り下げてくれてもいいのに、とも感じたことは事実です。
しかし、この映画がただスミシ―の(かつてのスミシ―としての)愛を取り戻したいというポーラの強い想いに焦点を当てて作られたものであるからだと思えばそれも納得できるのでした。実際、ポーラの一念は凄い、とても強い。スミシ―への愛の深さに圧倒されるほどでした。

難しいことは考えないでただただ物語の展開に身を委ねるのがよいかと。
ストライクゾーンにバシッとボールが収まるようなラストシーンはまるで大人たちに贈られたお伽噺のようでした。

一体いつ気付くのかとやきもきすることもあったので、二人の行く末が分かった今は安心し切ったゆったりとした気持ちでもう一回観たいです。


雨の紫陽花 - コピー.jpg
              
 は 雨の休日の画でした。
歩く人も無く、遊歩道の紫陽花がひっそりと雨に打たれていました。
色鮮やかな花は水も美しくまとう気がしますが、紫陽花はことのほか雨が似合う感じです。
こんな日はきりっと冷えた冷酒がいいですが、そういえば最近ずっと日本酒を呑んでいないなぁ。

この映画で序盤、ポーラがスミシ―と初めて会った日に馴染みのBARで「 ジンをちょうだい、この人(スミシ―)にはブランデーで 」って言ってジンをショットで呑んでいました。 
お気に入りのショットグラスがあるのでそれでジンをクイッと真似てみました。ジンはボトルごと冷凍庫に入れておくとトロリとしてストレートで呑むにはイイですよ。


西Navi - コピー.jpg
                  駅のホームにて。

 「西Navi 6月号」が出ていました。
まだお出かけは容易に出来ませんね、、、だからせめて机上の旅路で・・・。


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2020年06月09日

パーフェクト・ワールド ( BS.P. 録画鑑賞 )、 そして今読んでいる本のこと


 街の雰囲気が以前とはちょっと違う気がしますが ‘新しい生活様式’ のリズムみたいなのを自分なりに築いてゆければ、と思っています。 いろんなことがあると思いますが皆さんもそれぞれの歩みで・・・。



  録画していたBS.P.での映画 『 パーフェクト・ワールド 』 (クリント・イーストウッド監督 1993年制作/同年12月日本公開) を観ました。 これは未見でしたので今になりましたが観ることができてよかったです。

脱獄犯ブッチ(ケヴィン・コスナー)と人質となった少年フィリップ(T・J・ローサー)の心の重なり、犯人を追う州警察署長レッド(クリント・イーストウッド)の苦悩を描いた作品です。

                          パーフェクト・ワールド チラシ - コピー.JPG

 イーストウッド監督らしさに満ちた作品だったと思います。
観終わってからタイトルの「パーフェクト・ワールド」について深く考えてしまいました。
ブッチとフィリップそれぞれのパーフェクト・ワールドは違う時間軸のどこかにはあったはずのもので、もしかしたらあのまま二人の逃避行が続いていたら…とも思いましたがそれはほんの一瞬のこと。それは決して手に入らない「ロスト・ワールド」。 レッドにとってもブッチを救えなかったことでそれは永遠に‘損なわれた世界’になってしまいました。

最初の一撃をフィリップに負わせた展開は重いですね。
ブッチを根底では憎めない人間として描きながら彼にあの結末を用意したのは、結果として道徳的には許されないと考えたからではないかということ。そして真のバディであるはずだったフィリップにそれを判断させたということ。
それはとても悲しいことですが、幾つかあった‘それから後の道’に於いてこれが最善のシナリオだったのかもしれないと思いました。そして最期を迎えたブッチが やっと初めて目指すところに辿り着けた っていう表情だったことが救いです。

それにしても、少年フィリップを演じたT・J・ローサーに心持ってかれてしまいましたよ。この作品の後は出演作が殆ど無い?みたいですが、残念な気がします。



                          記憶喪失に… - コピー.jpg                     
ウォーキング途中の休憩ベンチにて。
              休日だったこともあり公園は以前より多めの人出。
              少しずつ前へ?

 画像は今読んでいる本です。 『 記憶喪失になったぼくが見た世界 』 (坪倉優介著 朝日文庫) 。
再開した図書館も閉館前に予約していた本は「まだまだ(順番は)先です」とのことで、営業再開のジュンク堂に行って出会った一冊です。
以前マスコミで話題になったらしいですが知らなかった(ポンコツアンテナが更に錆びついてしまってる私です)。

頭で想像しそれなりに理解できているのじゃないかと自分が思っていることは実は物事のほんのごく僅かな一面の更に一点でしかないのだと気付かされます。
清く澄んだものに触れるような感覚で読んでいってます。


 お酒タイムバーにトマトジュース、野菜ジュースは欠かせないアイテムになってしまいました。
ジンの消費量も増えました。
で、試していなかったのが < ハイボール + トマトジュース > でした。
薄いとトマトジュースに負けてしまうのでウィスキーを多めにしてライムも絞って。
ジンとはまた違う香りとパンチで中々好いです。


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2020年06月02日

エヴァ・キャシディさんが、浜田真理子さんが、、、歌う「ダニー・ボーイ」 


‘新しい生活’のリズムとやらも自分なりにできつつあるのかなぁ。
しかしウイルスとの闘いや付随する様々な苦悩は続くと思います。身体と心をどうぞ大切に。



  「ダニー・ボーイ」(アイルランド民謡、フレデリック・ウェザリー作詞)が好きで、時々思い出したようにCDでビング・クロスビーの歌うそれを聴くのですが・・・。
この曲を好きになったのは村上春樹さんの長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでからのこと。最終章近くで登場する時のこの曲の存在感が凄い。
『世界の終りと…』は(かなり以前にも書きましたが)春樹さんの長編小説の中で私にとっては最も愛する作品です。
ビンクロ - コピー.jpg
 NHKのEテレ番組 『 ららら・クラシック 』 で先日「禁じられた遊び」と「ダニー・ボーイ」をフィーチャーした企画があったので録画しておいて観ました。

アイルランド発祥の ‘タイトルも歌詞も無き歌’ がやがて ‘自国の歌’ を切望する人々の想いによって確たる存在になってゆくわけなのですが、そこには移民としての辛苦に満ちたアイルランドの人々の長い営みが大きく影響していたのですね。

1913年にフレデリック・ウェザリーによって歌詞がつけられてからは、1914年の第一次世界大戦で自分の大切な人を戦場へ送らねばならない人々の悲しみも重なってこの曲(歌)の存在が不動のものになります。

番組ではエヴァ・キャシディさんの歌うダニー・ボーイと浜田真理子さんがアイルランド楽器の演奏と共に歌うそれが紹介されていました。
浜田真理子さんのダニー・ボーイは深い母性を感じさせる、しみじみと聴き入ることのできるとても優しい歌声で聴き惚れました。しかしそれ以上に(実はほんの数十秒くらいしか流されなかったのですが)エヴァ・キャシディさんの歌うダニー・ボーイに心掴まれてしまいました。ソウルフルな歌い方に ‘苦しみに近いほどの悲しみ’ を感じて。速攻、YouTubeで全編を聴きました。

思えば前回ここに挙げたヘイリー・ウェステンラさんの歌もケルト音楽に通じるものがあり、ダニー・ボーイもアイルランド発祥の曲で・・・世の流れは繋がっているのだとしみじみ感じている今です。


もーれつ小太郎 - コピー.jpg

時々見かける もーれつ小太郎 (命名に深い意味はありません)。
スマホカメラを向けたら「ちょっと急いでるんで…」と目の前を駆け足で通り過ぎて行ってしまいました。 冷たいなぁ、でもまた会えるからいいか。


家呑みで最近の新たな試作。
ベルモットが近隣のスーパーマーケットにないので白ワインをジンで割って<なんちゃってマティーニ>バー作ってみました。ジン多め・白ワインかなり少なめで少しだけソーダも足して。
なんちゃって過ぎてもはや別モノでしたが これはこれで悪くないです。


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2020年05月25日

いま聴いているCDのことなど 


少しずつ‘新しい生活’のリズムができていくのでしょうか。
まだまだウイルスとの闘いやそれに付随する様々な苦悩は続くと思います。どうぞ皆さん身体と心を大切になさってください。



  友人Nが先日送ってくれたCD(コピーしてくれたもの)に聴き入っています。

一枚はJUJUの『 DELICIOUS ~JUJU’s JAZZ 3rd Dish~ 』(2018年)、もう一枚はヘイリー・ウェステンラの『 プレイヤー 〜祈りのピュア・ヴォイス 』(2007年)です。

JUJU - コピー.JPG プレイヤー - コピー.JPG
                オリジナルのCD画像です

JUJUさんはNHKの番組「世界はほしいモノにあふれてる」で時々お見かけしていたくらいでJazzも歌っておられたとは知りませんでした。Jazzのアルバムはこれで3枚目とか。
1曲目はオリジナル曲の「リメンバー」でこれはテンションも高く華やかな歌いっぷりで元気をもらえます。その後はスタンダードなジャズ曲やジャズアレンジのメジャー曲がJUJUさん独特の甘切ない歌い方で歌われていて、全体的にライトな感覚で聴けるジャズという感じです。「Smile」はなかなか素敵です。
ラストの「メトロ」はジャズじゃないオリジナル曲で、大都会で生きる女の子の孤独と希望の想いが綴られた曲でした。JUJUさんのあのダイナマイトな外観とハスキーヴォイスからしてイイ意味でちょっと意外な世界でした。

ヘイリー・ウェステンラさんも実はちゃんと聴いたのは初めてでしょうか。
でも2003-2004年のTV.ドラマ「白い巨塔」の主題歌としての「アメイジング・グレイス」が彼女によるものだったようで、私はこのドラマを観ていたからその頃にはずっと聴いていたんだなぁとも思って…(遠い目)。
このCD、ヘイリーの歌声に一曲目「PRAYER -祈り-」から安全に魅了されてしまいました。
中盤曲の「ブライダル・バラード」「フロード」にもラスト曲の「サマー・レイン」にも、もの悲しい響きの中に包み込まれるような深い優しさを感じます。
魂がすーっとどこか遠くの国へ飛んでゆく感じ。聴きながら魂の旅をしていました。

このような状況の今だからこそシンプルに、美しいモノを見て美しい音楽を聴いて、どこかの誰か、今は触れることのできない何か、に想いを馳せるというのはいいものだと思いましたよ。
Nちゃんありがとう。

静かな夜にこのCDに聴き入っていたら危うく赤ワインのボトルを空にしてしまうところでした・・・って、空になったも同然なのですけれど。



お寺の掲示板 - コピー.jpg

 ウォーキングの途中でとあるお寺の掲示板を見ました。

まぁ、その通りですよね。はい、日々痛感しております。
けれどこの背景画の小さな女の子までもが「人生は思うようにならない」と思ってるとしたらちょっと、いやかなり切ないことですが。

お寺の一言貼り紙は見かけたらいつも見てます。
こうい印刷されたものは珍しく、たいていは手描きでそのお寺オリジナルのものが多いと思います。
かなり前のことですが、友人が某お寺で黒々とした墨文字で 「嵐に耐える、それが人生。」 と書かれたのを見たそうです。
そんなん見たらもう何も言えませんよね・・・。



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2020年05月19日

ビリー・リンの永遠の一日 (BS12 録画鑑賞 )


 まだ宣言が解除になっていない当地でも街を取り巻く空気は少し緩んできた感じがします。
希望を持てる反面、経済的な弊害など違う局面での見えざる脅威も続きますね。まだまだそれぞれの心配事を抱えておられる今、どうぞ身体と心を大切になさってください。



  先日<BS12>で放送されていた映画『ビリー・リンの永遠の一日』(アン・リー監督 2016年制作)を録画して観ました。
これはイラク戦争を一時帰還した兵士の目線で描いた作品で、ベン・ファウンテンの同名小説が原作となっています。2017年に日本公開予定でしたが興業的な事情か?延期となって結局は未公開のまま という映画のようです。

                        ビリー・リン - コピー.JPG

 
 複雑な余韻を残す作品でした。
題材がイラク戦争であるから清々しい爽快なラストを迎えるなんていうことは勿論無いのでしょうけれど。

戦地での果敢な行動が報道され一躍英雄となって一時帰還した若き兵士ビリー・リンと、彼を迎えた周囲の人間たちとの間に生じる心の乖離が痛々しい感じで。国を挙げて、アメリカ国民の全てが大きなプロパガンダの塊となってビリーを飲み込んでいこうとしているかのような気がしました。

それはガールフレンドとなった女性でさえ。
彼女に救いを求めるかのようにビリーが言った「キミと逃げたくなった」の言葉への彼女の返事は「(そんなことはできないでしょ、)あなたは英雄よ」という言葉でした。これは辛かったです、切なかったです。ビリーの哀しい表情を観ていられなかったくらいに。

こちら側で暮らす人間にとっては遥かに理解を超える戦場での「現実」。
理解しようと努めても真に理解することは兵士となって戦地に立たない限りきっと無理なのですね。

姉・キャスリンとの抱擁(キャスリンは唯一、ビリーが戦地へ戻るのを阻止しようとした人でした)。
戦場で死した軍曹の幻とビリーが語らうシーン。
それらに心掴まれたままエンドロールへ・・・。
実はそれまで私も‘こちら側’にいたままだったかもしれないですが、彼ら兵士達の物語に一歩近づけたような瞬間でした。・・・それでもやっぱり理解はできていないはずなのですけれどね、きっと。

原作ではビリーは戦地へ戻ったあと結局 帰らぬ人 となったそうです。
それを考えると本作のタイトルはとても深いですね。



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                  樹々の緑も一層鮮やかに。

  
こういう映画の後はちょっと濃い目のお酒で。
家呑みで微妙に増えているアルコールのストックを消化すべく、バーボンをロックちょいソーダで ー(長音記号1)

今のこの世。
違う明日はどんなふうに違った明日になるんでしょうかね・・・。


posted by ぺろんぱ at 19:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2020年05月12日

秋田・真冬の自販機の前で ( 「NHKドキュメント72時間」2015年放送プログラムの再放送 ) 


 皆さんそれぞれの状況でそれぞれの心配事を抱えておられると思います、どうぞ身体と心を大切になさってください。
また各方面でご尽力くださっている方々には本当に感謝の思いです、ありがとうございます。




  またしても「ドキュメント72時間」の録画から。

前回も記しましたが現在はコロナ禍で新たな制作はされておらず過去放送分の再放送がされています。
先の金曜は2015年制作・放送の 『 秋田・真冬の自販機の前で 』 が再放送されていました。これはその年の同プログラム人気投票で確か ベスト1 になったのではなかったでしょうか。

  72 - コピー.JPG NHK 真冬の自販機 - コピー.JPG
                画像は<NHK>公式サイトからの転載です。
 
 極寒の日本海の地。小さな古ぼけた、うどんとそば だけの自販機がひっそりと佇んでいます。

コンビニでカップラーメンを買って食べるより早い・・・注文のボタンを押して約25秒。吹き曝しのテーブルと椅子に七味が紐で天井から吊り下げられています。
海風を、時には吹雪を真正面から受けながら麺をすすりスープを飲む人たち。早朝から真夜中まで、時間を問わず誰かがそこにやってくるのです。

訪れる人すべてに、やっぱりそれぞれのドラマがあって・・・。
仕事の行き詰まり、仲間や家族との別れ、病の宣告を受けての孤独な暮らし、でも出会いや、恋人とか親子のささやかだけどあたたかい会話もあって悲喜交々。
 
「無性に食べたくなる時があってね」
「無性に振り返りたくなる昔があってここに来るんだ」
「仕事が終わって一人になりたいときにここに来るんだよね」
「何かにぶち当たったときにここはまた来れる場所だから」
訪れた人たちが残した言葉です。

撮影スタッフはある一定のところでそれ以上の踏み込んだ問いかけを止めているように思います。相手が言い淀んだ時は尚更に。
たった独りそこに憩いを求めてやって来ている人たちだから、他者はその聖域に踏み込んではいけないのですねきっと。
この番組の、ギリギリに保たれているスタンスだと感じています。

それはさておき、みんな自分だけの居場所、帰ってこれる場所を欲しているんだなぁーって思いましたよ。
小さなオンボロの自販機がどこかの誰かの心の故郷、拠りどころになっているんだなぁーって。
そのことに、私はただただ 凄いなぁーっ て感じた次第です。

ほんの小さな支えでもいい、この自販機のように誰かの心に寄り添えている日々があればこんな幸せなことはないのかもしれません。
私もせめてたった一人でもいいから誰かの大切な存在になれる生き方ができればいいのに…と思いました。

実は放送後に一旦‘廃業’が決まったこの自販機ですが、ユーザーからの強い要望により秋田の道の駅での稼働再開となったことが後日譚として描かれていたことを書き添えておきます。


                       アナザー - コピー.jpg

ウォーキングで「くろべえ久しぶり!」って思ったら全く違う別の黒猫でした。 
なのでこの子にはその場で ‘アナザーAnother ’ と命名しました。 元気でまた会おね!


自宅呑みの<ブラッディ・サム>バーはあれ以来 トマトジュース を 野菜ジュース に変えて作っています。
もともとブラッディ・マリーにはタバスコやウスターソースを入れるレシピもあるのでトマトジュースよりちょっとスパイシーな感じの野菜ジュースに変えてみたらいいのじゃないかと思いまして。
ソーダもちょっと加えてライムも大きめにカットしてぎゅぎゅっと絞って、、、結構ぐいぐいと呑めてしまいます。 呑み過ぎないように気を付けていますが( こういうことを言い訳のように書きだしたら逆に怪しい?ですか)。


一部に規制緩和もあるかもしれないみたいですね。
先々の状況に於いて予測不可能といえるこの事態ですから判断は難しいところでしょうけれど、とにかくこの状況が少しずつでもよい方向に向かうことを切に願っています。
こんなことしか書けない自分が情けないのですが。


posted by ぺろんぱ at 19:13| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2020年05月05日

最後の家族 (本 再読)    自分が決めるということ


 皆さんそれぞれの苦しい状況の中、どうぞ身体と心を大切になさってください。
各方面でご尽力くださっている方々には本当に感謝の思いです、ありがとうございます。


 今回のコロナ禍では今まで自分が知らなかったことを知り得ることも多いです。
そうかそんなところにまで弊害が出るのか…ということから始まってその世界で生きてきた人たちのこれまでの頑張りやこれからの苦難とか…。
そしてその苦境を知ってそこに役立つモノや事柄を生み出そうとしてくれる人たちの存在も。
例えば少し前のことですが、聴覚に障害を持つ方々がマスク装着のままでは相手の微妙な唇の動きが読めないということで透明なマスクが発案されて使われ始めているということとか…小さく流されていたニュースで知って心動かされたことでした。



  前回本のことを書いてから読了本は3冊。
そのうちの一冊は再読本ですが村上龍の『最後の家族』(幻冬舎)です。久々に読み返しました。

最後の家族 - コピー.JPG

引きこもりの長男を軸として父、母、妹のそれぞれの家族の思い、崩壊と再生が描かれています。
龍さんの他作品に多く描かれているヴァイオレンス色の強い世界とは一線を画す抑えられた柔らかみさえ感じる筆致の本作ですが、同じ事象が家族四人それぞれの視点で連なって描かれ続けるところには独特の執拗性、攻撃性みたいなもの(いい意味で言ってます)も感じてああやっぱり村上龍の小説だなぁって思います。

「傍にいる(ある特定の)相手を救いたいという思いが支配につながる」という一文は衝撃的です。
「自分が相手から自立することが結果的に最もその人間を救うことになるのだ」の主張は真理であると理解できても冷静に実践することは難しいことかもしれません。近しい者との関係性に於いてはともすれば相手を救いたいという思いが先行してしまうから。けれどやはりそれだけではダメなんですね、救いたいという思いは相手を対等に見ていないということになってしまう。「共依存」という言葉も登場しますがそこに陥ってしまってはいけないということなのですね。

妹の知美が自身のイタリア行きを逡巡する場面で独白のように語った「決めるのは自分自身だ」の言葉は非常に強く胸を突きます。
ラストはそれぞれがそれぞれの自立を成すのですが、それぞれの決断や変化が心地よいほど爽やかに描かれていて希望が見えるのでした。

これ、過去にドラマ化されたみたいですが私は観ていません。
どんな風に演出されているのか、もしもいつか再放送されたら観てみたいです。



空と緑 - コピー.jpg
 空の青と樹々の緑


こんな時期だからでしょうか、マンションで住人の小さな男の子と遭遇した際にマスク越しではありますがクシャっとした笑顔で「こんにちは!」って言われた時は何だか凄く嬉しかったです。私からも「こんにちは!」。 そして心の中で「ありがとう、元気でまた逢おね!」。

緊急事態宣言は5月末までの延長ですね。
京都・大阪・兵庫は特定警戒府県に該当していますので概ね変わりない今後と覚悟します。
風薫る季節ですが、少しづつでも事態が良い方へ向かうことを祈りながらその季節を静かに感じる日々です。



posted by ぺろんぱ at 19:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記