2020年07月13日

最近の読書から 中村文則さんとの出会い


豪雨災害、コロナ問題、日々抱えるいろんな事々。
豪雨で被災された女性が「何の試練なのか・・・」と仰っていたのが胸に刺さったまま抜けません。



  最近の読了本4冊と読みかけの1冊。

『噂』(荻原浩著)は何冊目かの同氏の小説で 未読だった一冊。
猟奇的な事件が扱われていて不気味な反面、事件を追う刑事側の人間模様にあたたかみも感じます。しかし、ほのぼのとしたムードで幕引きかと思っていたら最後の一行で凍り付きました。

『ほんまにオレはアホやろか』(水木しげる著)は某新聞記事に載っていたもの。
幼少のころからバカと言われ続けて自分の好きなことしかしなかった(御本人が「文庫版あとがき」で「健康でたくましい糞が出れば人生はめでたしめでたし」と書いておられるほど)とのことですが、本著に触れてーこの人は凄まじいサバイバルのなかを闘って生き抜いてきた人なんだなぁーって痛感しました。戦争体験然り、漫画家としての苦節然り。でもキョーレツなまでに前向きで心の向かい方が自由。そして何故かここぞというところで運に恵まれもおられる。それは水木さん自身の性格が引き寄せた強運に違いないと思わせられました。
自分の思いに正直であり続ければ何らかの道は開けてくるのかもしれないなぁ・・・。

『東京百景』(又吉直樹著)K女史のご紹介によるもの(K様ありがとうございます)
又吉さんの心に残る百の風景を綴った文章。東京を「果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい」と評しておられます。又吉さん自身が東京という街に深い愛を持っているからこその表現ですね。
他者がどう言おうと自分が信じたいと思うことはとことん信じるべきだということと、あと、この人って実はすごいマグマを内包している人やんやなぁと感じました(怖いくらいに)。

そしてその又吉直樹さんのご紹介で(…って、『東京百景』のなかで又吉さんがとても傾倒している作家氏として書かれていたってことなんですけどね)『世界の果て』(中村文則著)
作品を手に取るののは初めての作家氏です。


  世界の果て.JPG                      


「若き実存主義作家」という世間の位置付けにちょっと怯みましたがやっぱり私にはかなりハードルが高く、読了の今もそのハードルを越えられたのか否か分かりません。一冊目のチョイスとしては失敗だったのでしょうか。
短編集ですが全編ダークなトーン。その世界に入り込んでしまったら元に戻れないのじゃないかと、このまま読んでいて大丈夫なんだろうかと、ちょっと怖くなりながらもページを繰る手がなかなか止められず読み進めました。

5篇の短篇が収められていてどの篇にも自分が行くべき場所を求めてもがき続ける人間がいるように思えました。
圧倒的な孤独と先の全く見えない絶望。それでもいつか自分の手で光を掴むことができるのでしょうか。
うぅぅ…4篇目までは読んでいても -私はこの作家さんの発するメッセージを受け止めることができているのだろうか、そこに近寄れてさえいないんじゃないだろうか- と思っていました(つまりは‘置いてきぼり’にされてる感)が、5篇目の「世界の果て」で漸く其処に在る何かにちょっとだけ触れられたような?気がしました(心許ないほど微かにではありましたが)。

なので・・・同氏の小説にもう一冊トライ。
『私の消滅』(中村文則著)。
こちらは一篇の長編作品です。読んでいて苦しいところも怖くなるところ(←読んでいること自体が)もあります。
精神の深い闇に下りてゆく感じの展開。でもその先に何が待っているのか知りたくてやはりページを繰ってしまっています。
ただいま半分を少し過ぎたくらいのところ。


  カムイ - コピー.jpg 毘沙門天 - コピー.jpg トゥーフェイス - コピー.jpg

最近のウォーキング(時々 猫パトロール)から。

1枚目 : あ、目が合ったねカムイ
2枚目 : この子はいっつも逃げる、毘沙門天。繰り返しますが命名に深い意味はありません。
3枚目 : トゥーフェイス。いつも孤高オーラを放っています。

どの子もみんな達者で暮らせよ〜。ぴかぴか(新しい)



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2020年07月05日

遥か群衆を離れて ( BS.P. 録画DVD鑑賞 )


手探りで踏み出した感の現状でしたが再び不穏な数字が出続けていますね。未知のものはやっぱり怖いです。 未知のものばかりのなかで進化してきた人類なのでしたけれど。。。
更にここに来て豪雨による災害も。犠牲になられた方々のご冥福を祈ります。



  少し前に放映されていたBS.Pでの映画『 遥か群衆を離れて 』(ジョン・シュレシンジャー監督 1967年制作 イギリス )を私は観逃していたのですが、コメント下さっていたビイルネンさんが録画分をコピーして送ってくださいました。
送って下さってから少し日が経ってしまいましたが、やっとこのほど鑑賞できました。

トマス・ハーディーの小説を基に、19世紀のイギリスの農村で自身の思いに真っ直ぐに逞しく生きた一人の女性を描いた作品です。
トマス・ハーディーって映画『テス』の原作者でもあったのですね。『テス』・・・劇場に観に行ったのを覚えていて当時の自分をおぼろげに思い出しました。


遥か…チラシ - コピー.JPG
       ※この画像は映画チラシ情報サイトよりの転載です。


 人生はかくもややこしくもどかしい・・・。
一番しっくりくる(観る側も何となくそう感じる)着地点に辿り着くまでの、何と紆余曲折のあったことよ・・・。
けれど人生って概ねそんなものなのかもしれませんね。
多くの未来(選択肢)があると信じるが故の流離い、その様々な痛手から得た‘本当に大切にすべきもの’の存在。

気位と自立心が強い主人公バスシバは唯々諾々を良しとせず何かと周囲を振り回し、好きな女優さんジュリー・クリスティーが演じているとしても初めは安易な感情移入を許さない感じでした。
彼女の悪戯心の誘惑から本気で彼女を好きになってしまい最後には人生を崩壊させてしまったボールドウッドがとにかく不憫。演じたピーター・フィンチが紳士的で一途だったから余計そう感じてしまって。
自分の蒔いた種でボールドウッドが囚われの身になってしまって、それでカブリエルとの‘幸せの再出発’は無いだろうと私としては思いましたが、バスシバがそれを全て心に抱えたうえでのあの再出発だったのだと今はそう思いたいです。‘幸せ’にも‘背負うもの’はある、と。

若く自分を信じて疑わず突っ走っていたバスシバが終盤に見せる穏やかな表情に時の流れを感じます。
しかしバスシバのもとから去ろうとするガブリエルに対して「行かないで」ではなく「行かないでしょ?」と言う言葉にはやはり彼女の本質は変わっていないのだとも思いました。それが良いとか悪いとかではなくて。
若さ以外にも多くのものを失ってきて感動や喜びの沸点もきっと以前とは違っているであろう彼女だけど、これからのガブリエルとの日々を思い、エンドは実はちょっと複雑なものとして心に残ったのでした。

                        遥か…のジュリー - コピー.JPG
          ※ ジュリー・クリスティ この画像は本作の情報サイトよりの転載です。

長尺の約2時間50分の作品でしたが、舞台となる19世紀のイギリス西部の農村風景がダイナミックに捉えられていて人間ドラマ以上に魅せられます。

主要キャスト4人も其々に良かったです。
先述の二人に加えガブリエル役のアラン・ベイツは大地に立つ雄々しさと誠実さをずっと感じさせてくれたし、バスシバの不良夫トロイを演じたテレンス・スタンプは後年の映画『プリシラ』でとても好きになった俳優さんでしたが、本作はあまりに若き頃でスラリと細く長身で前半の役柄はとっても‘ヤな奴’で随分イメージと違ってました ^^; 。後半はトロイなりの生き方の美学を感じたりもしたけれど「じゃあなんで戻ってきたんだろう」と思いながら、彼がバスシバに関わった日々はやはり深かったのだと受け止めました。

そんなこんなの諸々の想い含め、いつかもう一回観たいです。送って下さったビイルネンさんに感謝です。



TTT - コピー.jpg

自粛明け初の外食は友人とのランチで、テラス席のあるオープンエアなカフェでした。
紫陽花に時折爽やかな風が吹いたこの日。
久々の再会といろんなことに気付かせてもらえた語らいをありがとう。

友人はアルコールのウェットティッシュも携帯していて日傘の柄も時折拭いていました。私も見習わないと。
With コロナ の時代なのですね。


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2020年06月24日

死の淵を見た男 ‐吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日‐ ( 本 )


いろんな規制が解除になった今、手探り状態の世の中ですが巷に笑顔が多くなりましたね。
実家に帰った時も隣家の人との平和な世間話も増えました。



  やっと順番が廻ってきた一冊。
気合が入ってたのか一気に読了しました。
『死の淵を見た男 ‐吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日‐』(門田隆将著)です。

2011年3月の東日本大震災による福島第一原発事故。
全電源喪失、メルトダウン、最悪の状況の中で決死の活動をし続けた現場の苦闘を描いたノンフィクションです。
映画化( Fukushima 50 フクシマフィフティ )されて上映後暫くしてコロナ問題が深刻化して気になりながらもそのままになってしまい、ならば原作を読みたいと思ったのでした。

死の淵を - コピー.JPG

 日本中が言葉を失ったあの日、3.11。
その直後から選択の余地なく始まった死闘の、その凄まじさに改めて今、再び言葉を失った思いでした。
家族、郷土、自身が生きて培ってきたもの、、、あの日あの時それら‘大切なもの’守り抜くために現場の人たちは何を心に決めたのか…「死」に直面する場に身を置いて何を思ったのか…。
そこには生々しい胸塞ぐ現実がありますが、当時の現場の、現場でしかわかりえない事々を知ることができてよかったと本書を読んで思いました。

 一人の女性(東電社員)の証言もあって。
事故当時はあまりの過酷さに精神が麻痺してしまっていて事故後の家族との通話でも涙が流れることもなかったのに、半年ほどを経て残る復旧のために誰もいない町中を車で現場に向かっていた時、骨と皮だけに痩せ細ったキツネが恐る恐る近寄ってきて・・・その姿があまりに哀れで持っていたあんパンを車から降りてそのキツネにあげたまさにその時、突然どーっと涙が出てきて止まらなくなった、と。
申し訳ないと、人間のみならず何の関係もない動物たちをもこんなふうにしてしまったと、自分たちへの怒りがこみあげてきて流れる涙が抑えられなかったそうです。
個人的にはここを読んでいて一番泣きました。
動物の哀れな姿と人々の酷い姿と、それを「自分たちへの怒り」と刻んだこの人たちと・・・いろんな姿がぐちゃぐちゃに混ぜこぜになって迫ってきた感じでした。
 
 周辺の人々の平穏な暮らしを崩壊させてしまった結果は勿論酷いものだったと思いますが、考え得る最悪の状態、その中の最大極限の事態を辛うじて回避できたのは現場のこの人たちの命をかけた戦いがあったからだと、改めて強く心の中で手を合わせる思いです。

 筆者の門田氏が「はじめに」と「おわりに」に記しておられる内容は冷静な分析であり、しかしながら深く心に響くものでした。
東電内で亡くなられた方もおられました。あらためて、どうぞ安らかにと祈らざるを得ません。


猫パト1 - コピー.jpg
沈思黙考

猫パト2 - コピー.jpg 「帰ってきたでぇー」「何処行っとったん!」的な?
猫たちの世界にもいろんなことがあるだろうけど、とにかくこの子たちも皆‘ 食べて寝て’元気で暮らせ!


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 最近の家呑みの一景。
インディア・ペールエール<インドの青鬼>が近くのスーパーに置いてあるのを知って買いました。
いつもアルコールのコーナーはガン見目していたのに死角でした。
久々のこの味、苦みとコクがクセになります。何年振りだろう〜、美味しく呑みました。


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2020年06月17日

心の旅路 ( BS.P. 録画鑑賞 )


 街をゆく10代半ばの若者たちの、雄々しく以前と変わらぬハツラツさにEnergyチャージさせてもらいました。 しかし若者は若者なりにこれから先に思い悩むことはきっとたくさんあると思います・・・ガンバレ若人よ!( オマエこそ頑張れよ と言われそうですが。)


  少し前に録画していたBS.Pでの映画 『 心の旅路 』(マーヴィン・ルロイ監督 1942年制作 アメリカ ) をやっと観ました。
ジェームズ・ヒルトンの小説を基に、第一次世界大戦で記憶を失くした男スミスと旅回りの踊り子ポーラとの長きにわたる愛の軌跡を綴った作品です。


心の旅路 ポスター - コピー.JPG
           ※映画ポスター Wikipediaからの転載です。


こういうのを古き良き映画というのでしょうか。
10年は超えるであろう長い物語の流れの中で、ポーラとスミシ―の互いへの愛がただその一点のみに於いて真っ直ぐに正攻法で描きあげられていました。

スミシ―が去しり後ポーラが体験した絶望と辛苦の日々が彼女の台詞として短く語られただけだった事とか、マーガレットと名を変えてチャールズ(スミシ―)の前に再び現れてからも彼女がその過去の辛苦を振り返るシーンが無かった事については、少しリアリティーに欠けるというかもう少しそこを深く掘り下げてくれてもいいのに、とも感じたことは事実です。
しかし、この映画がただスミシ―の(かつてのスミシ―としての)愛を取り戻したいというポーラの強い想いに焦点を当てて作られたものであるからだと思えばそれも納得できるのでした。実際、ポーラの一念は凄い、とても強い。スミシ―への愛の深さに圧倒されるほどでした。

難しいことは考えないでただただ物語の展開に身を委ねるのがよいかと。
ストライクゾーンにバシッとボールが収まるようなラストシーンはまるで大人たちに贈られたお伽噺のようでした。

一体いつ気付くのかとやきもきすることもあったので、二人の行く末が分かった今は安心し切ったゆったりとした気持ちでもう一回観たいです。


雨の紫陽花 - コピー.jpg
              
 は 雨の休日の画でした。
歩く人も無く、遊歩道の紫陽花がひっそりと雨に打たれていました。
色鮮やかな花は水も美しくまとう気がしますが、紫陽花はことのほか雨が似合う感じです。
こんな日はきりっと冷えた冷酒がいいですが、そういえば最近ずっと日本酒を呑んでいないなぁ。

この映画で序盤、ポーラがスミシ―と初めて会った日に馴染みのBARで「 ジンをちょうだい、この人(スミシ―)にはブランデーで 」って言ってジンをショットで呑んでいました。 
お気に入りのショットグラスがあるのでそれでジンをクイッと真似てみました。ジンはボトルごと冷凍庫に入れておくとトロリとしてストレートで呑むにはイイですよ。


西Navi - コピー.jpg
                  駅のホームにて。

 「西Navi 6月号」が出ていました。
まだお出かけは容易に出来ませんね、、、だからせめて机上の旅路で・・・。


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2020年06月09日

パーフェクト・ワールド ( BS.P. 録画鑑賞 )、 そして今読んでいる本のこと


 街の雰囲気が以前とはちょっと違う気がしますが ‘新しい生活様式’ のリズムみたいなのを自分なりに築いてゆければ、と思っています。 いろんなことがあると思いますが皆さんもそれぞれの歩みで・・・。



  録画していたBS.P.での映画 『 パーフェクト・ワールド 』 (クリント・イーストウッド監督 1993年制作/同年12月日本公開) を観ました。 これは未見でしたので今になりましたが観ることができてよかったです。

脱獄犯ブッチ(ケヴィン・コスナー)と人質となった少年フィリップ(T・J・ローサー)の心の重なり、犯人を追う州警察署長レッド(クリント・イーストウッド)の苦悩を描いた作品です。

                          パーフェクト・ワールド チラシ - コピー.JPG

 イーストウッド監督らしさに満ちた作品だったと思います。
観終わってからタイトルの「パーフェクト・ワールド」について深く考えてしまいました。
ブッチとフィリップそれぞれのパーフェクト・ワールドは違う時間軸のどこかにはあったはずのもので、もしかしたらあのまま二人の逃避行が続いていたら…とも思いましたがそれはほんの一瞬のこと。それは決して手に入らない「ロスト・ワールド」。 レッドにとってもブッチを救えなかったことでそれは永遠に‘損なわれた世界’になってしまいました。

最初の一撃をフィリップに負わせた展開は重いですね。
ブッチを根底では憎めない人間として描きながら彼にあの結末を用意したのは、結果として道徳的には許されないと考えたからではないかということ。そして真のバディであるはずだったフィリップにそれを判断させたということ。
それはとても悲しいことですが、幾つかあった‘それから後の道’に於いてこれが最善のシナリオだったのかもしれないと思いました。そして最期を迎えたブッチが やっと初めて目指すところに辿り着けた っていう表情だったことが救いです。

それにしても、少年フィリップを演じたT・J・ローサーに心持ってかれてしまいましたよ。この作品の後は出演作が殆ど無い?みたいですが、残念な気がします。



                          記憶喪失に… - コピー.jpg                     
ウォーキング途中の休憩ベンチにて。
              休日だったこともあり公園は以前より多めの人出。
              少しずつ前へ?

 画像は今読んでいる本です。 『 記憶喪失になったぼくが見た世界 』 (坪倉優介著 朝日文庫) 。
再開した図書館も閉館前に予約していた本は「まだまだ(順番は)先です」とのことで、営業再開のジュンク堂に行って出会った一冊です。
以前マスコミで話題になったらしいですが知らなかった(ポンコツアンテナが更に錆びついてしまってる私です)。

頭で想像しそれなりに理解できているのじゃないかと自分が思っていることは実は物事のほんのごく僅かな一面の更に一点でしかないのだと気付かされます。
清く澄んだものに触れるような感覚で読んでいってます。


 お酒タイムバーにトマトジュース、野菜ジュースは欠かせないアイテムになってしまいました。
ジンの消費量も増えました。
で、試していなかったのが < ハイボール + トマトジュース > でした。
薄いとトマトジュースに負けてしまうのでウィスキーを多めにしてライムも絞って。
ジンとはまた違う香りとパンチで中々好いです。


posted by ぺろんぱ at 20:13| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2020年06月02日

エヴァ・キャシディさんが、浜田真理子さんが、、、歌う「ダニー・ボーイ」 


‘新しい生活’のリズムとやらも自分なりにできつつあるのかなぁ。
しかしウイルスとの闘いや付随する様々な苦悩は続くと思います。身体と心をどうぞ大切に。



  「ダニー・ボーイ」(アイルランド民謡、フレデリック・ウェザリー作詞)が好きで、時々思い出したようにCDでビング・クロスビーの歌うそれを聴くのですが・・・。
この曲を好きになったのは村上春樹さんの長編小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでからのこと。最終章近くで登場する時のこの曲の存在感が凄い。
『世界の終りと…』は(かなり以前にも書きましたが)春樹さんの長編小説の中で私にとっては最も愛する作品です。
ビンクロ - コピー.jpg
 NHKのEテレ番組 『 ららら・クラシック 』 で先日「禁じられた遊び」と「ダニー・ボーイ」をフィーチャーした企画があったので録画しておいて観ました。

アイルランド発祥の ‘タイトルも歌詞も無き歌’ がやがて ‘自国の歌’ を切望する人々の想いによって確たる存在になってゆくわけなのですが、そこには移民としての辛苦に満ちたアイルランドの人々の長い営みが大きく影響していたのですね。

1913年にフレデリック・ウェザリーによって歌詞がつけられてからは、1914年の第一次世界大戦で自分の大切な人を戦場へ送らねばならない人々の悲しみも重なってこの曲(歌)の存在が不動のものになります。

番組ではエヴァ・キャシディさんの歌うダニー・ボーイと浜田真理子さんがアイルランド楽器の演奏と共に歌うそれが紹介されていました。
浜田真理子さんのダニー・ボーイは深い母性を感じさせる、しみじみと聴き入ることのできるとても優しい歌声で聴き惚れました。しかしそれ以上に(実はほんの数十秒くらいしか流されなかったのですが)エヴァ・キャシディさんの歌うダニー・ボーイに心掴まれてしまいました。ソウルフルな歌い方に ‘苦しみに近いほどの悲しみ’ を感じて。速攻、YouTubeで全編を聴きました。

思えば前回ここに挙げたヘイリー・ウェステンラさんの歌もケルト音楽に通じるものがあり、ダニー・ボーイもアイルランド発祥の曲で・・・世の流れは繋がっているのだとしみじみ感じている今です。


もーれつ小太郎 - コピー.jpg

時々見かける もーれつ小太郎 (命名に深い意味はありません)。
スマホカメラを向けたら「ちょっと急いでるんで…」と目の前を駆け足で通り過ぎて行ってしまいました。 冷たいなぁ、でもまた会えるからいいか。


家呑みで最近の新たな試作。
ベルモットが近隣のスーパーマーケットにないので白ワインをジンで割って<なんちゃってマティーニ>バー作ってみました。ジン多め・白ワインかなり少なめで少しだけソーダも足して。
なんちゃって過ぎてもはや別モノでしたが これはこれで悪くないです。


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2020年05月25日

いま聴いているCDのことなど 


少しずつ‘新しい生活’のリズムができていくのでしょうか。
まだまだウイルスとの闘いやそれに付随する様々な苦悩は続くと思います。どうぞ皆さん身体と心を大切になさってください。



  友人Nが先日送ってくれたCD(コピーしてくれたもの)に聴き入っています。

一枚はJUJUの『 DELICIOUS ~JUJU’s JAZZ 3rd Dish~ 』(2018年)、もう一枚はヘイリー・ウェステンラの『 プレイヤー 〜祈りのピュア・ヴォイス 』(2007年)です。

JUJU - コピー.JPG プレイヤー - コピー.JPG
                オリジナルのCD画像です

JUJUさんはNHKの番組「世界はほしいモノにあふれてる」で時々お見かけしていたくらいでJazzも歌っておられたとは知りませんでした。Jazzのアルバムはこれで3枚目とか。
1曲目はオリジナル曲の「リメンバー」でこれはテンションも高く華やかな歌いっぷりで元気をもらえます。その後はスタンダードなジャズ曲やジャズアレンジのメジャー曲がJUJUさん独特の甘切ない歌い方で歌われていて、全体的にライトな感覚で聴けるジャズという感じです。「Smile」はなかなか素敵です。
ラストの「メトロ」はジャズじゃないオリジナル曲で、大都会で生きる女の子の孤独と希望の想いが綴られた曲でした。JUJUさんのあのダイナマイトな外観とハスキーヴォイスからしてイイ意味でちょっと意外な世界でした。

ヘイリー・ウェステンラさんも実はちゃんと聴いたのは初めてでしょうか。
でも2003-2004年のTV.ドラマ「白い巨塔」の主題歌としての「アメイジング・グレイス」が彼女によるものだったようで、私はこのドラマを観ていたからその頃にはずっと聴いていたんだなぁとも思って…(遠い目)。
このCD、ヘイリーの歌声に一曲目「PRAYER -祈り-」から安全に魅了されてしまいました。
中盤曲の「ブライダル・バラード」「フロード」にもラスト曲の「サマー・レイン」にも、もの悲しい響きの中に包み込まれるような深い優しさを感じます。
魂がすーっとどこか遠くの国へ飛んでゆく感じ。聴きながら魂の旅をしていました。

このような状況の今だからこそシンプルに、美しいモノを見て美しい音楽を聴いて、どこかの誰か、今は触れることのできない何か、に想いを馳せるというのはいいものだと思いましたよ。
Nちゃんありがとう。

静かな夜にこのCDに聴き入っていたら危うく赤ワインのボトルを空にしてしまうところでした・・・って、空になったも同然なのですけれど。



お寺の掲示板 - コピー.jpg

 ウォーキングの途中でとあるお寺の掲示板を見ました。

まぁ、その通りですよね。はい、日々痛感しております。
けれどこの背景画の小さな女の子までもが「人生は思うようにならない」と思ってるとしたらちょっと、いやかなり切ないことですが。

お寺の一言貼り紙は見かけたらいつも見てます。
こうい印刷されたものは珍しく、たいていは手描きでそのお寺オリジナルのものが多いと思います。
かなり前のことですが、友人が某お寺で黒々とした墨文字で 「嵐に耐える、それが人生。」 と書かれたのを見たそうです。
そんなん見たらもう何も言えませんよね・・・。



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2020年05月19日

ビリー・リンの永遠の一日 (BS12 録画鑑賞 )


 まだ宣言が解除になっていない当地でも街を取り巻く空気は少し緩んできた感じがします。
希望を持てる反面、経済的な弊害など違う局面での見えざる脅威も続きますね。まだまだそれぞれの心配事を抱えておられる今、どうぞ身体と心を大切になさってください。



  先日<BS12>で放送されていた映画『ビリー・リンの永遠の一日』(アン・リー監督 2016年制作)を録画して観ました。
これはイラク戦争を一時帰還した兵士の目線で描いた作品で、ベン・ファウンテンの同名小説が原作となっています。2017年に日本公開予定でしたが興業的な事情か?延期となって結局は未公開のまま という映画のようです。

                        ビリー・リン - コピー.JPG

 
 複雑な余韻を残す作品でした。
題材がイラク戦争であるから清々しい爽快なラストを迎えるなんていうことは勿論無いのでしょうけれど。

戦地での果敢な行動が報道され一躍英雄となって一時帰還した若き兵士ビリー・リンと、彼を迎えた周囲の人間たちとの間に生じる心の乖離が痛々しい感じで。国を挙げて、アメリカ国民の全てが大きなプロパガンダの塊となってビリーを飲み込んでいこうとしているかのような気がしました。

それはガールフレンドとなった女性でさえ。
彼女に救いを求めるかのようにビリーが言った「キミと逃げたくなった」の言葉への彼女の返事は「(そんなことはできないでしょ、)あなたは英雄よ」という言葉でした。これは辛かったです、切なかったです。ビリーの哀しい表情を観ていられなかったくらいに。

こちら側で暮らす人間にとっては遥かに理解を超える戦場での「現実」。
理解しようと努めても真に理解することは兵士となって戦地に立たない限りきっと無理なのですね。

姉・キャスリンとの抱擁(キャスリンは唯一、ビリーが戦地へ戻るのを阻止しようとした人でした)。
戦場で死した軍曹の幻とビリーが語らうシーン。
それらに心掴まれたままエンドロールへ・・・。
実はそれまで私も‘こちら側’にいたままだったかもしれないですが、彼ら兵士達の物語に一歩近づけたような瞬間でした。・・・それでもやっぱり理解はできていないはずなのですけれどね、きっと。

原作ではビリーは戦地へ戻ったあと結局 帰らぬ人 となったそうです。
それを考えると本作のタイトルはとても深いですね。



                     5月 - コピー.jpg
                  樹々の緑も一層鮮やかに。

  
こういう映画の後はちょっと濃い目のお酒で。
家呑みで微妙に増えているアルコールのストックを消化すべく、バーボンをロックちょいソーダで ー(長音記号1)

今のこの世。
違う明日はどんなふうに違った明日になるんでしょうかね・・・。


posted by ぺろんぱ at 19:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2020年05月12日

秋田・真冬の自販機の前で ( 「NHKドキュメント72時間」2015年放送プログラムの再放送 ) 


 皆さんそれぞれの状況でそれぞれの心配事を抱えておられると思います、どうぞ身体と心を大切になさってください。
また各方面でご尽力くださっている方々には本当に感謝の思いです、ありがとうございます。




  またしても「ドキュメント72時間」の録画から。

前回も記しましたが現在はコロナ禍で新たな制作はされておらず過去放送分の再放送がされています。
先の金曜は2015年制作・放送の 『 秋田・真冬の自販機の前で 』 が再放送されていました。これはその年の同プログラム人気投票で確か ベスト1 になったのではなかったでしょうか。

  72 - コピー.JPG NHK 真冬の自販機 - コピー.JPG
                画像は<NHK>公式サイトからの転載です。
 
 極寒の日本海の地。小さな古ぼけた、うどんとそば だけの自販機がひっそりと佇んでいます。

コンビニでカップラーメンを買って食べるより早い・・・注文のボタンを押して約25秒。吹き曝しのテーブルと椅子に七味が紐で天井から吊り下げられています。
海風を、時には吹雪を真正面から受けながら麺をすすりスープを飲む人たち。早朝から真夜中まで、時間を問わず誰かがそこにやってくるのです。

訪れる人すべてに、やっぱりそれぞれのドラマがあって・・・。
仕事の行き詰まり、仲間や家族との別れ、病の宣告を受けての孤独な暮らし、でも出会いや、恋人とか親子のささやかだけどあたたかい会話もあって悲喜交々。
 
「無性に食べたくなる時があってね」
「無性に振り返りたくなる昔があってここに来るんだ」
「仕事が終わって一人になりたいときにここに来るんだよね」
「何かにぶち当たったときにここはまた来れる場所だから」
訪れた人たちが残した言葉です。

撮影スタッフはある一定のところでそれ以上の踏み込んだ問いかけを止めているように思います。相手が言い淀んだ時は尚更に。
たった独りそこに憩いを求めてやって来ている人たちだから、他者はその聖域に踏み込んではいけないのですねきっと。
この番組の、ギリギリに保たれているスタンスだと感じています。

それはさておき、みんな自分だけの居場所、帰ってこれる場所を欲しているんだなぁーって思いましたよ。
小さなオンボロの自販機がどこかの誰かの心の故郷、拠りどころになっているんだなぁーって。
そのことに、私はただただ 凄いなぁーっ て感じた次第です。

ほんの小さな支えでもいい、この自販機のように誰かの心に寄り添えている日々があればこんな幸せなことはないのかもしれません。
私もせめてたった一人でもいいから誰かの大切な存在になれる生き方ができればいいのに…と思いました。

実は放送後に一旦‘廃業’が決まったこの自販機ですが、ユーザーからの強い要望により秋田の道の駅での稼働再開となったことが後日譚として描かれていたことを書き添えておきます。


                       アナザー - コピー.jpg

ウォーキングで「くろべえ久しぶり!」って思ったら全く違う別の黒猫でした。 
なのでこの子にはその場で ‘アナザーAnother ’ と命名しました。 元気でまた会おね!


自宅呑みの<ブラッディ・サム>バーはあれ以来 トマトジュース を 野菜ジュース に変えて作っています。
もともとブラッディ・マリーにはタバスコやウスターソースを入れるレシピもあるのでトマトジュースよりちょっとスパイシーな感じの野菜ジュースに変えてみたらいいのじゃないかと思いまして。
ソーダもちょっと加えてライムも大きめにカットしてぎゅぎゅっと絞って、、、結構ぐいぐいと呑めてしまいます。 呑み過ぎないように気を付けていますが( こういうことを言い訳のように書きだしたら逆に怪しい?ですか)。


一部に規制緩和もあるかもしれないみたいですね。
先々の状況に於いて予測不可能といえるこの事態ですから判断は難しいところでしょうけれど、とにかくこの状況が少しずつでもよい方向に向かうことを切に願っています。
こんなことしか書けない自分が情けないのですが。


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2020年05月05日

最後の家族 (本 再読)    自分が決めるということ


 皆さんそれぞれの苦しい状況の中、どうぞ身体と心を大切になさってください。
各方面でご尽力くださっている方々には本当に感謝の思いです、ありがとうございます。


 今回のコロナ禍では今まで自分が知らなかったことを知り得ることも多いです。
そうかそんなところにまで弊害が出るのか…ということから始まってその世界で生きてきた人たちのこれまでの頑張りやこれからの苦難とか…。
そしてその苦境を知ってそこに役立つモノや事柄を生み出そうとしてくれる人たちの存在も。
例えば少し前のことですが、聴覚に障害を持つ方々がマスク装着のままでは相手の微妙な唇の動きが読めないということで透明なマスクが発案されて使われ始めているということとか…小さく流されていたニュースで知って心動かされたことでした。



  前回本のことを書いてから読了本は3冊。
そのうちの一冊は再読本ですが村上龍の『最後の家族』(幻冬舎)です。久々に読み返しました。

最後の家族 - コピー.JPG

引きこもりの長男を軸として父、母、妹のそれぞれの家族の思い、崩壊と再生が描かれています。
龍さんの他作品に多く描かれているヴァイオレンス色の強い世界とは一線を画す抑えられた柔らかみさえ感じる筆致の本作ですが、同じ事象が家族四人それぞれの視点で連なって描かれ続けるところには独特の執拗性、攻撃性みたいなもの(いい意味で言ってます)も感じてああやっぱり村上龍の小説だなぁって思います。

「傍にいる(ある特定の)相手を救いたいという思いが支配につながる」という一文は衝撃的です。
「自分が相手から自立することが結果的に最もその人間を救うことになるのだ」の主張は真理であると理解できても冷静に実践することは難しいことかもしれません。近しい者との関係性に於いてはともすれば相手を救いたいという思いが先行してしまうから。けれどやはりそれだけではダメなんですね、救いたいという思いは相手を対等に見ていないということになってしまう。「共依存」という言葉も登場しますがそこに陥ってしまってはいけないということなのですね。

妹の知美が自身のイタリア行きを逡巡する場面で独白のように語った「決めるのは自分自身だ」の言葉は非常に強く胸を突きます。
ラストはそれぞれがそれぞれの自立を成すのですが、それぞれの決断や変化が心地よいほど爽やかに描かれていて希望が見えるのでした。

これ、過去にドラマ化されたみたいですが私は観ていません。
どんな風に演出されているのか、もしもいつか再放送されたら観てみたいです。



空と緑 - コピー.jpg
 空の青と樹々の緑


こんな時期だからでしょうか、マンションで住人の小さな男の子と遭遇した際にマスク越しではありますがクシャっとした笑顔で「こんにちは!」って言われた時は何だか凄く嬉しかったです。私からも「こんにちは!」。 そして心の中で「ありがとう、元気でまた逢おね!」。

緊急事態宣言は5月末までの延長ですね。
京都・大阪・兵庫は特定警戒府県に該当していますので概ね変わりない今後と覚悟します。
風薫る季節ですが、少しづつでも事態が良い方へ向かうことを祈りながらその季節を静かに感じる日々です。



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2020年04月27日

街の灯(BS録画 再鑑賞)     ラストは複雑な思い



 皆さんそれぞれの苦しい状況の中、どうぞ身体と心を大切になさってください。
毎回こんな言葉しか挙げられていませんが、各方面でご尽力くださっている方々には本当に感謝の思いです、ありがとうございます。



  また 映画館でワクワクしながら映画を観ることが出来る、そんな日が一日も早く戻ってくること待ちたいですね。
そんな中NHK BSで結構いい映画がいろいろと放送されていてありがたいです。
先日はチャップリンの『街の灯』(チャールズ・チャップリン監督・主演 1931年制作)  が放送されていて、何度も観ているのにやっぱり録画してまた観てしまいました。

街の灯 ワンシーン - コピー.JPG
※画像は映画情報サイトより転載させて頂いたものです。


何度観てもラストシーンには複雑な思いです。

一度はそのまま娘(ヴァージニア・チェリル演じる)から離れようとしたチャップリンでしたね・・・それはその時の堕ち切った自分を十二分に分かっていたからでしょうけれど、引き止められて手を取られて「貴方でしたの?」と問われたチャップリンの表情が(歓びの陰で)消え入りそうなほど悲しげで。

監督としてのチャップリンがここでフィルムを止めたのは観る者にハッピーエンドかバッドエンドかの判断を委ねるとかではなくて、悲し過ぎてそれ以上描けなかったからじゃないだろうかとさえ思ってしまいます。
まあだから私はあのラストシーンの後にあるのはバッドエンドだと思っている人間なのですけれど。
二度目の別れって、美しい憂いなど介在できない本物の別れになってしまうんですね。

来月(5月)27日にはチャップリンの『ライムライト』も放送されるみたいですよ、それもささやかな楽しみです。

                       
          田園 - 1 - コピー.jpg
          空は青く、雲は白い。


 今回はビールつながりじゃなくトマトジュースつながりで、ウォッカと作る ブラッディ・マリー※ が呑みたくなりまして・・・。ウォッカを自宅に置いてなくてジンならあったのでジンで同様の配合でつくる <ブラッディ・サム> にして呑みました。レモンもライムに換えて。
ジンでの自作ブラッディ・サム、中々よかったです。

※ブラッディ・メアリー とも言いますが、私は甲斐バンドが好きで彼らの曲<ブラッディー・マリー>から知ったお酒なので自分的にはこのお酒は ブラッディ・マリー なのです。そんなんどうでもええわと思われてると思いますが…まあ一応書き添えておきます。

※甲斐バンド <ブラッディ・マリー>
1977年にリリースされた甲斐バンド4作目のオリジナル・アルバム『この夜にさよなら』の収録曲です。
同収録の「最後の夜汽車」「くだけたネオンサイン」、今聴いても切なさMAXの曲です。


少しずつでも良い状況に進みますように・・・。




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2020年04月19日

大病院の小さなコンビニ ( 「NHKドキュメント72時間」 2014年放送プログラムの再放送 ) 


皆さんそれぞれの状況でそれぞれの心配事を抱えておられると思います、どうぞ身体と心を大切になさってください。
また各方面でご尽力くださっている方々、本当にありがとうございます。



  今年からNHKの「ドキュメント72時間」を連ドラ録画しているのですが、ここのところ新たな制作はされていなくて過去放送分の再放送がされています。
先日は2014年制作の「大病院の小さなコンビニ」が再放送されていました。観ていなかったプログラムでしたので録画分を昨夜観ました。

    72 - コピー.JPG

大きな病院にはコンビニが入っていて患者さんやご家族、医師や看護師さんスタッフさん、実にたくさんの人が利用されていますよね。
私も父や母の入院に付き添って某病院内のコンビニに通っていた頃のことを思い出しながら観ていました。

72時間というとやはり様々な利用者さんの人生が垣間見れます。
なかなか眠れず早朝からやってくる入院患者さん、
何かを選んで買って…という行為がささやかな楽しみで前を通るたび来てしまうという患者さん、
入院家族の手術を目前に気持ちを落ち着けるために雑誌を買い求める家族さん、
ハードな診察の合間に、または当直の夜や当直明けに食料品を買いに来るドクター、
容易に動き回ることのできない入院患者さんに頼まれて必要なものを買いに来る看護師さん・・・etc. 。

入院中の奥さんを伴って来られた老夫婦の微笑ましい姿にはあたたかいものを感じたし、医療に悩みながらも奮闘する若き女医さんの笑顔のうらには「重圧と孤独」があることを知ったし、最後にご登場の今日退院だという独居男性には非常に重い決意が必要とされる退院であることが分かって、病の前に無力にならざるを得ないこともある人間の悲しみを思い知らされました。

今思い返しても、私があの病院内のコンビニでおにぎりやお茶や父や母の看護用品やらを持って並んでいた列には、いろんな涙や積もっていく疲労感やら小さな喜びや希望やひたすら家族を思いやる気持ちやら、めちゃくちゃいろんな想いを抱えた人ばかりが立ってたんやなぁと、そんなことを改めて思ったのでした。


                        木漏れ日 - コピー.jpg

緑が濃くなってきましたね。 初夏の兆しが見えてきたのでしょうか。


今年に入って新たに制作&放送されたこの「ドキュメント72時間」プログラムは今のところ9本です。

現時点で印象深かったのは 「宮崎 ナゾの巨大魚を追え!(1月31日放送)」、「神戸 あの日のピアノを弾きながら(2月14日放送)」、「小さな屋台カフェ 千夜一夜物語(3月6日放送)」 といったところでしょうか。
世の中の状況が落ち着いて再び新たなプログラムが制作・放送されることを待ちたいと思います。


「ああ、そういえば直ぐに作れるアレがあった!」とこの二、三日 時々作って自宅で呑んでいるのが皆様もよくご存知のレッドアイです。トマトジュースとビールで作るビアカクテルバー。私はビール多めの割合でトマトの酸味と旨味がさらっと感じられる程度の割り方をしています。

続く自宅呑みの‘たまの味変’です。 本来どっちもそれぞれそのまま飲む方がイイです、やっぱり。


医療に従事されている方々は勿論、そうでないお仕事の方々にも激増した仕事量を抱えて大変な思いをされている人が多いようです。私の友人女性(医療関係ではありません)も尋常じゃない忙しさに加えて人のピリピリ感を怖く感じるとメールをくれました。(頑張りすぎんといてな。)
せめて今の私にできることはやはり先ずはこれ以上感染を広めないようにすることかと諸々自粛の原点に立ち返る思いです。


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2020年04月11日

金魚姫(本)     輪廻転生の哀


皆さん、大変な状況ですが、どうぞ身体と心を大切になさってください。
そして各方面でご尽力くださっている方々、本当にありがとうございます。




  今回も本のことを書かせて頂きます。
今読んでいるのは『金魚姫』(荻原浩著 角川書店)です。
少し前にNHKの単発ドラマで放送されているのを観て惹かれるものがあったので原作を手に取りました。


                      金魚姫 文庫 - コピー.JPG


 荻原浩さんと言えば直木賞受賞作の『海の見える理髪店』で、収録の表題作「海の見える理髪店」を読んでラスト数行で涙腺が決壊したことが記憶に新しいところです。
そのあとで読んだ『押入れのちよ』も確か表題作「押入れのちよ」が一番よかったと感じました。元来お化けユーレイの類はからっきしダメな私ですが‘ちよ’なら何だか傍にいて守り守られたいような温もりを感じたものでした。ちょっと切ない感じも心に残りました。
『明日の記憶』は映画化されましたね。映画は観ましたがこちらは原作を読んではいません。

『金魚姫』、ドラマを観てからの本でしたので主人公の潤とリュウをそれぞれ志尊淳さんと瀧本美織さんのイメージでぐいぐい読み進んでいます。

でもやっぱり活字といいますか文章から広がる物語世界は映像からのそれとはちょっと質の違ったものだとも感じます。読むという行為がゆっくりである分、一旦自分というフィルターを通しての感覚になるからなのでしょうか…。

金魚という生き物の持つ魅惑的なイメージと、潤という青年が少しずつ変わってゆく姿、ユーモラスな文章の中に在る‘輪廻転生’のどこかもの哀しい世界が、ページを繰るごとにじわじわと来る感じがしています。



    野に咲くタンポポ - コピー.jpg ポップなお花 - コピー.jpg

健気に咲いてる感が堪らずカメラに収めた野のタンポポと、ポップな感じの柄の花たち。
季節は巡って花は咲く、のですね。

現実の世界は昨年末には予想だにしなかった厳しい状況ですが、このコロナ禍で人と人との触れ合いや距離が遠くになってしまってる今、ほんのちょっとでも生きるものの存在、命の息遣いみたいなものを身近に感じていたいなぁと思いました。


最後にお酒の話もちょっとだけ書かせて下さいバー

自宅呑みの日々。ビアスプリッツアーから更なる度数アップのビールに移行?というわけではありませんが、ジンをビールで割ったビアカクテル<ドッグノーズ>をときどき自宅で作って呑んでいます。
好みによりますが私はビール多めの ‘ジン 1 に対して ビール 6〜7’ くらいの割合で。
ホップの苦みに華やかな香が加わってクセになりそうな一杯ですが、酔いますのでご注意を
 

posted by ぺろんぱ at 19:22| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2020年04月03日

ときどき旅に出るカフェ (本)     タイトル買い


皆さん大丈夫ですか。

皆さんそれぞれの状況、それぞれのお立場で懸命に力をつないでおられることと思います。
私も不安で一杯の日々ですが、自分で自分の心を少しでも落ち着かせるためにも、拙い内容なりにブログを更新していきたいと思っています。



  今読んでいる本は 『 ときどき旅に出るカフェ 』 (近藤史恵著 双葉社)です。
この本のことは勿論、近藤史恵という作家さんのお名前すら恥ずかしながら私は存じ上げませんでした。

                       ときどき旅に - コピー.JPG

はい、なので 100%タイトル買いです。
某書店で出会いました。「旅に出る」というのは中々に誘い込まれるワードですよね。   

そのカフェのメニューから心がどこか遠くへ旅をするってことなのでしょうか??
とにかくさらっぴんの気持ちでページを開きました。
全10話、只今第3話まで読了です。

心が風に乗ってふわっと旅の疑似体験をするみたいな読み物かと思っていたら、結構リアルな事件?出来事?が描かれていて意外でした。
でも登場する様々な国のスイーツたちが心を癒してくれるのは確かみたい。   
カフェのオーナーである女性、円(まどか)さんが若いけれど凛とした雰囲気があってイイです。

いろんな不安がないまぜになって押しつぶされそうにもなる昨今の状況ですが、今はただ、このページを繰るのをささやかな楽しみにしていこう…って思っています。


     花1 - コピー.jpg 花2 - コピー.jpg

黄色がとっても綺麗。
実家への道すがら、小さな公園の花壇で育てられている花の姿に足を止めました。
このあと何故か「WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE」の歌が浮かんできてずっと“脳内ヘヴィロテ”でした。


『ときどき旅に出るカフェ』にはアルコールが一つ登場します。

白ワインを<アルムドゥドラー>っていう名のハーブ香のするちょっと甘い炭酸で割ったカクテルが。
アルムドゥドラーってオーストリアではポピュラーな炭酸飲料だそう。
以前いっときビアスプリッツアーにハマったとこのブログで書いたことがありましたが、ビールの香の代わりにハーブが少し香るスパークリングワインって感じなのでしょうかね。

アルムドゥドラーは自宅には勿論無かったですがビールと白ワインはありましたので久々にビアスプリッツアー作って呑みました。




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2020年03月29日

長谷川昭三展     青 の世界でした


明石市立文化博物館に「長谷川昭三展」を観に行きました。
画家・長谷川昭三の画業50周年を記念して、所縁のあった兵庫・明石の地で開催が決まった催しでした。
3月25日から29日までの5日間限定の展覧会でした、無事に開催の運びとなってよかったです。

                 
長谷川昭三展チラシ - コピー.JPG

もともと小規模の企画展でこのところの状況(コロナ禍)も重なってか私が行った時は数名のみの観客でした。
それだけに其々のブース内で時に私一人ということもあって、結果的に氏の作品世界を満喫することができました。

其処はまさしく「青」の世界!
50〜200号の大型の作品が多くその殆どが青を基調として描かれていて、その青がとても美しくて油絵なのに透明感を感じる世界でした。

氏は15歳の時に観たゴーギャン展で感銘を受け直ぐに油絵を始められたそうです。
ご出身は山口県の宇部市ですが大学時代や画家としての時代を千葉や兵庫でも過ごされたようで、明石で阪神淡路大震災を経験されたようです。
その震災の経験が作風に変化をもたらせ2001年以降は「自然と環境、そして人との調和」といったテーマで作品を描かれていますが、当初は静物画、風景画、人物画を中心に描かれていたようです。

その過渡期に当たる1998〜2000年の作品が私にとっては特に印象深く、幾つかの作品の前では長い時間足が止まってしまったものもありました。

mouth… - コピー.jpg
          長谷川昭三《 MOUTH OF RIVER 》2000年   

特に上記に掲載の2000年制作《 MOUTH OF RIVER 》は深い青も美しくノスタルジーを強く掻き立てられる作品で、この作品で画家・長谷川昭三の名がしかと心に刻まれた気がします。
(フラッシュ無しの撮影はOKでしたので一枚だけカメラに収めさせて頂きました)

新たな芸術家氏とその作品に出会えたことを嬉しく思いました。



安 熱燗 - コピー2 - コピー.jpg

今年に入っての、いつだったかの熱燗の画です。

お酒は健康のバロメーターとずっと思ってきましたが、お酒を誰かと交わせることは平和のバロメーターでもあるのだと感じる昨今です。
また心穏やかに乾杯できる日が一日も早く訪れますようにと願います。


 
posted by ぺろんぱ at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月22日

その後の本、そして春     


遊歩道でお陽さんを浴びながら毛づくろいする野良猫のクロべえ。 勝手に命名、女の子かもしれないのに。 ごめんね。  

くろべえ - コピー.jpg

日ごろは観光客も多く人あしらい??にも馴れているようで近付いても全く動じません。
寛ぎながら「そういえば最近すっかり人が減ったニャ」とか思っているのでしょうか。

この子の世界は長閑で平和です。
しかしこの子たちも常に病気や交通事故や食糧難なんかと闘ってきての今この一瞬の平和なのでしょう。さはさりながら、彼等の平和的な世界を見てるだけで私も少しホッとできましたよ。ありがとうね。ぴかぴか(新しい)



今読んでいる本は以下の二冊です。

『心にナイフをしのばせて』(奥野修司著 文藝春秋)   と  『オウム死刑囚 魂の遍歴 −井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり−』(門田隆将著 PHP研究所) です。

心にナイフ - コピー.JPG オウム死刑囚 - コピー.JPG


この二冊の世界は決して長閑で平和とはいきません。

それぞれ被害者側と加害者側の別々の観点からのルポルタージュですが、奥野さんと門田さんの筆致が違うことで両著を平行に読み進めることもできています。
そして両著に通底しているものは同じなものである気がしています。両筆者の方の、“事件、そこにあったもの”に迫りたいとされる強い思いも同じな気がします。

内容は文字の向こうに実在した世界があるわけで、やはり重いです。時に苦しく読んでいます。



            木蓮1 - コピー.jpg   木蓮2 - コピー.jpg

桜の木は蕾がぷっくりと膨らんでいます。
木蓮はもうこぼれんばかりに咲き誇っています。
春なんですね・・・。




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ジンが呑みたくなって約一年ぶりに訪れたこちらのお店。
早い時間だったからか悪しきvirusの影響か、先客はおられず私一人でした。

長きの無沙汰を詫びてから、マスター氏もご自身でウィスキーの水割りを作っておられたので一緒に乾杯させて頂きました。
ジンの香、やっぱりイイです。


posted by ぺろんぱ at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2020年03月15日

魂でもいいから、そばにいて     遺った心の折り合い 


  図書館がお休みだった期間(コロナV.事情ではなく定例の春期蔵書整理期間として)に立ち寄ったジュンク堂書店で目が合った一冊があって買いました。
『魂でもいいから、そばにいて』(奥野修司著 新潮文庫)です。

「3.11後の被災地で死者を身近に感じる奇譚が語られている」と聞いた著者が、何らかの霊的体験をされた方々に直接会って得た十六の体験談をまとめた書です。2017年に刊行され、今年3月に文庫化されました。
3.11目前の頃で書棚に面陳列されていました。それで“目が合って”しまったのでしょう…恥ずかしながら私は今回の文庫化まで本書を知りませんでした。

タイトルに先ずやられてしまったのです
とにかくプロローグの部分だけでも読みたくてジュンク堂を出た後スタバに陣取ってページを開きました。(ちなみにこの日のスタバは前回より混んでいました)
結局プロローグから第二話まで一気に読んでしまいましたが。

                        魂でも - コピー.jpg   


 東日本大震災の死者・行方不明者 1万8千人余。 「生きていた1万8千人には1万8千通りの物語があったはずだ。遺された人にも 1万8千余の(いやそれ以上の)物語があったはず。」とは著者の言葉です。


遺された人の物語と逝ってしまった人との物語が交わる瞬間はあると思います。
他の人が聞いたら荒唐無稽なことでも、その瞬間を体験した人にとってはその時の感覚や感情は事実なのだと思います。

本書は勿論震災にまつわる死の物語(ドキュメンタリー)ですが、私は震災による死だけではなく、もっともっといろんな、全ての死による別れの物語がそこには含まれている気がしました。もっと言えば 死によるものではない別れ の物語さえもそこにはあるのかもしれない、と。
まだほんの数話しか読めていませんけれど、大切な存在の喪失というのはどういう形であれ似ているのかもしれないなと感じたのです。
本書の中に1万8千人余の物語があるなら、本書を読む全ての人の数だけ其々に 1万8千人余+1(それ以上) の物語があるのだろうと感じながら読み進めています。


人は失った人(もの)の存在を“形成すもの”として見る、感じることで喪失感を少しずつ埋めていくのかもしれません。失くした人(もの)を霊であれ何であれ確かな形として現わすのは他ならぬ遺された人の心なのでしょうね。



                        タツリキ 新しい受け皿 - コピー.jpg

喉も心も清めます。
美酒の有料試飲、オープンエアスペースですがやはり訪れるお客様は減っているそうです。
混んでいない分空気も冴えて気持ちも集中するのか、お酒が注がれた瞬間に香が(いつもより強く)ふわっと感じられたのはちょっとした驚きでしたよ。


奥野修司さんの別の著書をもう一冊読んでみたくなって定例休館が明けたはずの図書館に蔵書確認の電話してみたら、、、定例の休館は終わったものの新型コロナV. 事情で閉館が延期になったらしいです。やっぱりね。
でも返却と新たな予約と受取りには対応してくださるそうでその点はホッとしました(で、新たに予約)。

春なのに・・・。
一日も早い事態の収束を強く願い、祈ります。


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2020年03月08日

1917 命をかけた伝令     「貧しい彷徨える人」の哀切なメロディー

 
アースシネマズで『1917 命をかけた伝令』(サム・メンデス監督)を観ました。

約180席のシアターで観客は5名のみ。混んでいても不安でしたが、逆にこんなに空いている状況にも今後どうなってゆくのかと更に不安が募りました。


映画(本作)はとにかく見応えあり!の作品。
良い映画の後は暫くボーっとしてしまいがちですが本作も然りでした。(アナタいつもボーっとしてるやんという指摘はスルーさせて頂きます。)


1917チラシ - コピー.JPG

Story
全編ワンカットでつくり上げられた戦争ドラマ。
1917年4月のフランス。ドイツ軍と連合国軍が西部戦線で対峙する中、イギリス軍兵士のスコフィールドとブレイクに、ドイツ軍を追撃しているマッケンジー大佐の部隊に作戦の中止を知らせる命令が下される。部隊の行く先には要塞化されたドイツ軍の陣地と大規模な砲兵隊が待ち構えていた。                ※映画情報サイトより転載


「全編ワンカット映像」との告知に本当にそんなことができるのだろうかと思いましたが、壮絶なミッションを遂行する若き兵士をカメラは張り付くような至近距離でずっと追い続けていました。

過酷な状況でボロボロになってゆく軍服の肩が手を伸ばせば触れられるほどの近さに感じられて。
一瞬たりとも目が離せない、離れない。 早く早く早く。早く彼を進ませてあげてと叫ぶ私(勿論心の中で)。

彼を、と書いたのは途中で二人のうちの一人(ブレイク)が逝ってしまうから、です。
あんなに早くあんな理不尽なことで命断たれてしまうとは・・・。しかし戦争そのものが理不尽なことであるのですものね。
二人だからこそ耐え得るものがあり、一人で(スコフィールド)のあのミッションは肉体的にも精神的にも限界だったはず

戦場とはあんなにも酷いものなのか・・・人間の死体や動物たちの死骸は絶命の瞬間から腐敗が始まるわけで、それもまさに地獄の様相でした。
前線を越えたその先に広がる草原と樹々の花はあんなにも平和的で美しいというのに。


あっさり死んだほうがマシだと思える過酷さの中でひた走ったスコフィールドでしたが、任務を終えた彼にマッケンジー大佐が語った言葉が胸を突きます。

「明日になればまた別の命令が来る。この戦争が終わるのは最後の一人になった時だ。」
果てることのない戦い。個の力ではどうすることもできない大きな怖ろしい力が生まれてしまうんですね。

挿入された、ドイツ軍から身を隠すフランス人女性と名もなき赤ん坊のシーン。
砂漠にほんの一滴したたり落ちた雫のようでした。あの二人が生き延びてくれたことを祈らずにはいられません。


本作、『007 スカイフォール』のサム・メンデス監督最新作で全編ワンカット映像ということ以外、実は出演者情報も事前には全く知りませんでした。
若き兵士を演じた二人、ジョージ・マッケイとディーン=チャールズ・チャップマンには拍手(特にスコフィールドを演じたジョージ・マッケイが素晴らしかった)ですが、名だたる俳優お三方が短い時間ながら要となる役柄でご登場だったことに小さな驚きでした。
コリン・ファース、マーク・ストロング。そして最後にベネディクト・カンバーバッチさんのご登場には歓喜のあまり一瞬動揺してしまいました(笑)。 直ぐ気持ちを立て直して映画に集中しましたけれど。
台詞がグーンと沁みました。



すしてつ - コピー.jpg

いつだったかの小さな集いでの乾杯です。
こんな風に心穏やかに笑顔でお酒を交わせる日々が早く戻ってくるとよいのですけれど。


ところでマッケンジー大佐率いるデヴォンシャー連隊の兵士が劇中で歌っていたあの歌。
ネットで調べてみたらどこかの国の民間伝承歌が原曲らしい「 I AM A POOR WAYFARINGS STRANGER (貧しい彷徨える人) 」という歌のようです。
宗教観の濃い歌詞ですが、どんなに故郷や家族が恋しかったかという切々とした想いが溢れていて忘れられません。
とても美しくそしてとても哀しいメロディーでした。ぴかぴか(新しい)



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2020年03月03日

最近の本のこと     実は必然かもしれない出会いの一冊


トイレットペーパーがどこに行っても売り切れ状態です。
新型コロナV. も怖いけど一斉に拡散するデマも怖い・・・。

路上の猫 - コピー.jpg
小春日和の一日、路上でくつろぐ何処かのおうちの猫。多分ここも彼(彼女)には我が家なんでしょう。かわいい


今年に入って読了したのは以下の本たちです。

『みみずくは黄昏に飛びたつ』(村上春樹×川上未映子 インタヴュー本)
『第一安房列車』(内田百闥)
『スターバックスで普通のコーヒーを頼む人を尊敬する件』(山本ゆり著)
『駅までの道を教えて』(伊集院静著)
『草花たちの静かな誓い』(宮本輝著)
そして今読んでいるのが図書館でやっと順番が廻ってきた(長かったぁ…)『掃除婦のための手引き書』(ルシア・ベルリン著 岸本佐知子訳)です。
其々の本の存在を教えて下さったK子さん、T子さん、Mriちゃん、YURURIさん映画ブログ記事、に改めましてお礼申し上げます、ありがとうございます。ぴかぴか(新しい)

『スターバックスで普通のコーヒーを頼む人を尊敬する件』は初めて訪れた とある古本カフェ で偶然出会った一冊でした。
その時はタイトルを見て「こんな本もあるんだ…」と思っただけでしたが後日図書館で借りて読みました。
読んでみたらハマってしまって(自分よりうんと若い女性に人生を教えられることもあるんだなぁーって)、これの一冊前のエッセイ本?(雑記本??)である『クリームシチュウはご飯に合うか否かなど』も現在図書館で予約中です。(買わんのかい! いえいえ、春樹さんのと百關謳カのとは買うて読みましたよ ^^;)

                  
さて『掃除婦のための手引き書』
死後十年を経て「再発見」された作家ルシア・ベルリンのはじめての邦訳作品集(本書情報サイトより)です。

                   掃除婦の… - コピー.jpg
                ※図書館カウンターにてこそっと撮影


自分の人生をこんなにもドライに書けるなんて・・・と先ずそこにちょっとした衝撃を受けました。
時にからりと笑い飛ばし、時に冷徹に突き放し、時にシニカルに見据える、というような自身の人生描写。

何気ない記憶の鮮やかな断片。
人物たちの台詞やしぐさの一つ一つが活き活きしてて(=かなりリアルで)、わずか2ページに満たない掌作品でさえ一篇のドラマを見るようです。
イメージが瞬間に映像化される感じ。ルシア・ベルリンの激しい起伏の人生と1ミリも嘘が無い自己主張がそこにあって。 邦訳された岸本佐知子さんの翻訳力もきっと大きいのだと感じます。

全24作品の収録。あと4作品で読了です。なんだか出会ったことのないような作品です。
K子さん、ありがとうございました。ぴかぴか(新しい)



                        スタバ春カップ - コピー.jpg

最近の某日、件のスタバにて。
新型コロナV. の影響かランチタイムだったのにガラ空き状態。こちらにはたまにしか来ませんがいつもは空席が無いくらいなのに。あ、でも私も覗いてみて空いていたから入ったのでした、混んでいたらコロナV.怖しで入っていませんでした、、、ごめんなさいスタバさん。

せっかくの桜色のカップなのにねぇ。
あらゆるところに影響が出ています。 どこまで続く? どうなる日本?



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2020年02月26日

ゴッホ 展     10年の画業、その濃密さを思う


神戸、兵庫県立美術館に『ゴッホ 展』を観に行きました。

久々の県美。
駅から歩いて近付くにつれ屋上のシンボルオブジェ <美かえる>クン が見えてきます。一気にワクワク感が増す瞬間です。

県美ゴッホ - コピー.jpg


「炎の画家」とも呼ばれることのあるゴッホ(Vincent van Gogh 1853-1890)。
画業はわずか10年とのことですが、本展はその中で「初期の頃から、印象派との出会いと交流の中で独自のスタイルを確立するまで」を追ったものです。           ※県美広報「HART」より


どの展覧会もそうだと思いますが、殊にゴッホ作品の貸出し成立には長く大変な道のりがあるらしく展覧会を開催することは容易ではないそうです。また今回のようにゴッホに影響を与えた印象派の画家たちの作品を同時展示するとなると世界各地の主要美術館から作品を借り受けることになり、会場入口の「挨拶文」を読んでいると本展開催にこぎつけるまでには並々ならぬ尽力があったことが窺えます。

現在、新型コロナウイルスの影響で各地のイヴェントが中止になったり文化施設が一時休館となったりしていますが、ウイルスの拡散が最小限に留まってほしいという願いは大前提として(勿論)、こういう多くの方々の努力によって開催の運びとなった催しが会期を終了せずして幕を閉じてしまうことがあるならば、それはやはり残念でなりません。


県美ゴッホ展 - コピー.jpg


さて本展。

私には天才的画家というイメージが強かったゴッホですが、27歳で画家を志してから独学で地道な画業の訓練を重ねた「努力の人」というイメージに変わりました。目の前のモチーフをとにかくひたすら観察するというのが彼の「土台」となったようです。
ゴッホは筆まめで友人や弟テオに向けた数々の手紙の一文がパネル展示されていましたが、真摯に自らの画業と向き合い続けた姿がそこには見えました。


力強く激しいタッチの、“執念”という一語を冠したいような作品<糸杉>はとにかく圧巻で、美しく柔らかい色彩の<薔薇>、温もりを感じる<麦畑><ポピー畑>など、深く見入ってしまう作品は多かったですが、「人物、それが一番興味深い」というゴッホ自身の言葉にはなるほどなぁ…って感じ入りました。
貧しさやそれを抱えての農民の日々の営み、ゴッホの周囲にいた人々の、その人が持つその人だけの他者との関りなど、顔や身体の一部分にその人の全てが現れていたのかもしれません。それらをずっと観察し続けてきたゴッホだったのですね。
そう思って改めて眺めた人物画 <農婦の頭部> <ダンギー爺さんの肖像> などは味わい深いです。


精神を病んで発作に苦しみ続けたゴッホ。
左耳の一部を切り落とした話は有名ですが、当時一緒に住んでいた画家仲間のゴーギャンとの激しい口論の末の発作による行為だったようです。

「僕は絵に命を懸けた。そのために半ば正気じゃなくなっている。それもよいだろう。」
ピストル自殺した年の弟テオへの手紙にはこう記されていました。


現在この今この瞬間、こんなに多くの人々が(実際美術館は予想以上の混雑でした)彼の絵を観るためだけに集まってきていることを彼は天上からどんな想いで見ていることでしょう・・・。
著名作品には熱くなりますが、初期の頃の作品に触れてゴッホという人の画業への真摯な思いを感じて、なんだか県美を後にするのが名残り惜しかったです。
ありがとう、県美。


***ちょこっと追記***
印象派の画家たちの他作品のなかではマテイス・マリス<出会い(仔ヤギ)>アントン・マウフェ<4頭の曳き馬>の二作品が深く印象に残りました。



                      Nちゃんと乾杯 - コピー.jpg

この日じゃなく別の日の神戸、、、スタンディングバルでの友人との乾杯の画。
右側はワイン好きの友人がオーダーした<紅ハイボール>です。赤ワイン+ハイボールのお店オリジナル??のカクテルです。

自宅で真似て作ってみたら中々イイ感じでした。
以来、何度か作っています。赤ワイン(割るので安価なもので十分です)の味にもよりますが、ハイボ6×赤ワイン4 が MYレシピ です。

命を懸けるほどのもの ― ゴッホにとっては絵 ― があるって本当に凄いことですよね。凄い。凄いよゴッホさん。
私なんて大酒呑んで命削ってるだけ。。。(救いようのないパターン )
 


               
posted by ぺろんぱ at 19:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記