2013年11月13日

いとしきエブリデイ


  シネリーブル神戸で『いとしきエブリデイ』(マイケル・ウィンターボトム監督)観ました。
この監督さんの作品鑑賞は初めてでしたが、同監督の過去作で本作の夫婦役二人の役者さんもご出演の『ひかりのまち(1999年制作)』も是非観てみたいと思う今です。

story
   ステファニー、ロバート、ショーン、カトリーナの兄妹は毎日学校に通い、母カレン(シャーリー・ヘンダーソン)は子どもたちを送り出した後、昼はスーパーで働き、夜はパブでも仕事をしている。他の家庭と違うのは父親イアン(ジョン・シム)が刑務所にいて、家にいないこと。会えるのは長い時間をかけてバスと電車を乗り継ぎ辿り着く刑務所でのわずかな面会時間だけだったが、それでも季節はめぐり、父親がいない時間が過ぎる中で子どもたちは成長していくのだった・・・。

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                          ※story、画像とも映画情報サイトより転載させて頂きました。


  幼い兄弟たちと母親が暮らすイギリス東部にあるノーフォークという名の村。
この村の風景が本当に美しい。イギリス東部が舞台ということしか知らなかった私は「ここはいったいどこなのだろう」と溜め息交じりに思いながらスクリーンに見入っていました。

父がいる刑務所の房が時折映し出されるのですが、その殺伐さとは対照的に、ノーフォークの景色はあまりに美しくゆとりに満ちていて、吹く風が優しく麦の穂を揺らすように心をそっと撫でていってくれるのでした。

その恵み豊かな大地で、子どもたち4人は「日常」を繰り返しながら成長してゆきます。
父親の不在(しかも収監による不在)という特異な事情を抱えてはいるものの、子どもたちの日常はごく普通の家庭で繰り広げられるそれのように騒々しく且つ愛おしいものでした。学校へ行って歌を歌ったり、お弁当を食べたり、クラスに好きな子ができたり。やがてロバートは反抗期を迎え、ステファニーにはBFができます。

カメラは父親が出所するまでの「5年」を、実際に5年をかけて子どもたちの成長を追ってゆきます。

5年という歳月。
途中で大きな事件に発展するのではないかと不安に駆られるような出来事があり(結局は事なきを得るのですが)、母親カレンが本当は許容範囲を越えるまでに張りつめた精神状態であることや、しかしながら子どもたちが本能的にそんな母親の心を察知しているかのように大きく曲がることなく真っ直ぐに育っていることや、そんなこんなを感じさせられ「家族」の意味を考えさせられたシークエンスでした。
カレンの憂鬱と子どもながらのそれぞれの複雑な思いはありつつも、家族はまた日常へと返り、父親が出所を迎えるまでの日々が淡々と綴られてゆくのです。

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子どもたち四人の表情がとても自然でまるでドキュメンタリーを観ているかのよう。
夫婦役の二人は俳優さんですが子どもたちは全くの素人で実際の兄妹だとか、どうりでみんな似ています。

刑務所へ面会に行った時の子どもたちの様子はあまりに自然で演出というものを感じさせません。あまりに自然なのでつい彼らに心を添わせてしまいます。
刑務所という特異な場所で迎える父親との再会が子どもたちをナーバスにするのか、ちょっとしたことで泣いてしまうショーンやカトリーナ。いたいけな子どもたちと、子育てをしながら働きづめに働いてギリギリのところで踏ん張っている妻であり母であるカレン。イアンという男、本当に罪な人間だと怒りも湧いてきます。
カレンにずっと想いを寄せている他の男性の存在も描かれ、いっそのことその男性と人生をやり直すことができればその方が幸せなのではないかとも思ってしまうのですが、やはり家族にとっては唯一無二の父であり夫であるのですね、イアンは。そこにもまた「家族」の意味を考えさせられた私です。

終盤のカレンの告白は、最悪の事態を招くのではないかと心臓が波打ちました。
あの告白行為の是非は別として、今度は夫イアンに科せられる試練を彼は乗り越えるべきだと思いますし、また、乗り越えてゆけるであろう未来を感じさせてくれるラストでした。
海辺を歩く家族を俯瞰で追い続ける演出は心を静かに打ち、永遠に続くような波音とカモメの鳴き声が優しく耳に響くのでした。


 
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そして、、、
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  さてさて、恒例の<大阪ヨーロッパ映画祭>の第20回がいよいよ開催となります。
会場は今年もホテル・エルセラーンで(映画作品上映)。会社の近くなので、社用で外出時にホテル外壁にこのプレートが掲げられたのを発見して思わずスマホで撮影しました。今年もそんな季節になったんやなぁ・・・しみじみ。

ヨーロッパ映画祭の季節は熱燗や焼酎お湯割りが恋しくなる季節、そして猫も丸くなる季節です。



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2013年11月09日

新しい人生のはじめかた(BS録画鑑賞)


   BS録画していた『新しい人生のはじめかた』(ジョエル・ホプキンス監督 2008年制作・2010年2月日本公開)観ました。
これもつい昨年の公開作品のように思えたのですが、もう既に3年半も前のことなのですね。あっという間に時は過ぎます。

遥か昔の『卒業』でのダスティン・ホフマンが、今度は正攻法で(でもやや強引だけど)想い人をさらってゆく物語??

story
   ニューヨークのCM作曲家ハーヴェイ(ダスティン・ホフマン)は、離婚後別居していた娘(リアン・バラバン)の結婚式に出席するためロンドンに飛ぶ。だが何かと疎外感を味わい、仕事が気になる彼は披露宴を辞退して帰国しようとするが、飛行機に乗り遅れてしまう。やけ酒を飲みに入った空港のバーで、ハーヴェイは偶然ケイト(エマ・トンプソン)と出会い・・・。

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                ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


※結末に触れる記述をしています。

  こういう出会いと近付き方、何だか好いです。
互いが互いを全く異性として意識していないところから始まる出会い。何度も“そこでサヨナラ”となりそうなのに細い線でつながってゆく二人。

若い男女の恋物語に限らず、出会って直ぐにベッドインという流れが日本人にはどうしても理解し難いなかにあって、本作のもどかしさと純情さは好もしいです。演じる二人、ダスティン・ホフマンとエマ・トンプソンはそういうイメージに合致した俳優さんだな、と。
もう自分の人生はこんなものだと諦めてしまいがちな中高年にとって、優しく「明日」が香ります。


ハーヴェイは仕事もうまくゆかず、実の娘の結婚式では自分ではなく別れた妻の再婚相手が娘とバージンロードを歩くのだという。終始疎外感を味わう彼はぐっと涙を堪えます。
一方のケイトはと言えば、心の壁、想いの殻がとにかく厚く硬い。ハーヴェイの痛手はへヴィーながら自業自得といえる部分もありますが、ケイトの痛手はもっと“どうしようもない”もののように感じられて、ケイトの心の壁を崩すのは一筋縄ではいかないなと思った次第です、私。老いて孤独な母親に辛抱強く向き合い、日々の小さな安らぎの時間(カフェの片隅でワイングラスを傾けながら小説を読んだり)を大切に、安寧を守ることで傷つくことを回避しているケイト。痛いほど分かるなあ。

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だからそんな彼女が「今からでも娘の披露宴に行くべき」とハーヴェイを力強く諭したのには少なからず驚きました。でも「ああ、彼女はきっと、本当はそんなふうに誰かに強く背中を押してもらいたかったのかなぁ・・・」って思いました。
思えばあの時が、ハーヴェイとケイトとが互いの殻に風穴を開けた瞬間でしたね。

何となく別れがたいという自分の気持ちに気付いてからのハーヴェイの行動は果敢でした。
追い続ける様子はやや強引な感じもしましたが、ラストのハーヴェイの言葉には別離を経験した中高年ならではの誠実さが伺えて、ここは一歩引いた穏やかさが光っていたかな。「絶対にうまくゆくよ」とは言わなかったハーヴェイは、代わりに「(うまくゆくよう)努力する」ことを「約束」したのですよね。それに応えるようにヒールを脱ぐケイトがチャーミングでした、とても。
ケイトが新しい人生を始めようとするのと同時に、ケイトの母親にも「違うあした」が訪れる予感・・・エンドロール中の挿入シーンをお見逃しなく。

深まる秋に、ちょっと心が豊かになる一作でした。


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  劇中、アメリカ人とイギリス人の気質の違いに言及するシーンがありましたが、興味深かったです。イギリス人の閉鎖的な気質が柔らかく開放的なものに変わっていった一因が元プリンセス・ダイアナの死にあったという台詞には「なるほど、そういうものなのかぁ」という驚きも。
日本人はどうなのでしょう。イギリス人に負けず劣らず閉鎖的だとは思いますが。だからお酒の力を借りてちょっと心の閉じ紐を解くのかな。

某日の定例・女三人会の乾杯の画。Nちゃんチョイスのこの白ワイン、美味しかった、ありがとう。
三人とも、心を開放するひと時。 開放し過ぎて記憶まで飛んでイスタンブールでした。(・・・古い。)




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2013年11月04日

「シェルター」(by 田口ランディ)、そして酒舛のこと


 「本」のこと。

 友人Mriちゃんが貸してくれていた『RURIKO』(林真理子著、角川文庫)を少し前に読み終えまして(Mriちゃん、ありがとう。これって何処まで実話なの!?っていう、実名で有名人がバンバン登場する物語でした。一気に読了。)、いま通勤電車で読んでいるのは田口ランディ著『ドリームタイム』(文春文庫)です。
ランディさんの本は殆ど読んでいる積もりでしたが、本作を手に取ったのは初めてでした。(知らないことを知らないだけで、実は知らないことは山ほどあるんですね。)

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不思議で切ない、ちょっと怖かったりもする、そんな13篇の物語が収められた短編集です。

面白いです。もう少しで読了です。
その中の一篇、『シェルター』という物語が特に“気になる一作”でしたのでちょっとご紹介したいと思います。

 
  友人女性のマンションに集まってダラダラとお酒を飲んでいる数人の男女の様子で幕を開けます。座興に一人の女性が持ちだした「シェルター」という名のゲーム。
「ついに第三次世界大戦が勃発して世界中の核保有国が一斉に核のボタンを押そうかという大変な事態になる。地球は放射能汚染で壊滅状態になることが予想される中、秘密裏に組織されていた人類救済委員会とやらが世界各地に核シェルターを作っていたらしく、日本にも某地にそのシェルターが存在することが分かった。定員7名のシェルターに集まった10人の人間。さあ、この10人の中から人類の未来を託すための7人を選んで下さい」というもの。
■国会議員
■国会議員の妻(妊娠している)
■元暴走族のバーテンダー
■元アル中の社会科教師
■牧師
■少女(知的障害を持っている)  (※いずれの表記も文庫本収録のママで転載。)
■看護婦長(心臓が悪い)
■警官(銃を持っている)
■女子短大生
■中年女流作家       
「中年女流作家」というのが入っているのは、語り手となっている「私(主人公)」の職業が作家で、まさしくランディさん自身をモデルにした物語だからだと思います。そして早々に「中年女流作家」は「7人」からは除外されてしまいます。そこで彼女は、ならば現実とは違った結末の物語を書いてやろうとするのですが・・・。


「七人を選ぶってことは、三人を見殺しにするってことでしょう?」などという容赦ない台詞も出てきますが、7人を選ぶ際の各人の価値判断があぶり出されてきて、私ならどう選ぶか考えていたら7人を選抜すること自体が恐ろしくなってきました。
そもそも、誰かの価値判断が絶対的なものであるはずはなく、3人を見捨てて7人を救ったその先に未来があるとも思えず・・・。まあこの物語は単に選抜の是非を問う物語ではないのですけれど。

物語は「現実」と「女流作家が書く物語の世界」とが交錯してゆき、あっという間に(短編なのだから当然ですが)結末を迎えます。この結末にはランディさんの「祈り」というか「救済」が見えた気がします。しばしの余韻に浸った一篇でした。


「アルコール依存症傾向の中年女性(薄給の会社員)」とかだったら全員一致で真っ先に外されるでしょうね、きっと。・・・といういつもの自虐ネタの後は酒場レポートです。

拙ブログ・10月10日付記事の最後の方に書かせて頂いた「友人が始めた立呑みのお店」ですが、、、どうやら口コミで新規のお客様が来て下さったり、リピーターさんも出来ているとか。嬉しいことです。

店名も場所も露出OKとのことですので記させて頂きます。
阪神電車の杭瀬駅、杭瀬商店街入ってすぐの「酒舛(さけます)」さんです。
藍色の暖簾がイイ感じです。

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「酒呑みが少ないお小遣いでも呑めるお店」をコンセプトにしている(泣ける)だけあって、アルコールやおつまみはどれもお安く、良心的に頑張って下さってるのが分かる“盛り”です。
店内には本棚もあって文庫本も並んでます。自由に読めるみたいですが、某作家さんの小説がシリーズのようにズラリと並んでいる隅っこに春樹さまの小説が二冊ほど申し訳なさそうに置かれているのには別の意味で泣けます。いえいえ、ご店主(友人)も春樹小説は結構読みこんでいる人ですからきっと他の春樹本は自宅に大事に取ってあるのだと推察(^^)。

地酒もあります。
名物は自家製の煮豚と煮玉子ですが、これは毎日あるとは限らないようです(あればお薦めです)。カウンターには缶詰やカワキモノ類も並べられてて駄菓子屋さんに来たみたいなワクワク感も。


酒舛 まんさくの花.jpg 酒舛 かわきもの.jpg 酒舛 黒牛.jpg

酒場にはいろんな人が集います。
程度は違えど皆“酔いびと”です。私も含めていろんな酔っ払いがいて、悲喜こもごもがあり、その人の人生が見える瞬間もあったり。で、この酒舛さんでもちょっとそういうのに出会ったりすると、ハラハラしつつも「酒場にドラマあり、やなぁ・・・」と思います。しみじみとしたドラマに出会いに、またお伺いしますね。
独りで大変でしょうけれど頑張って自分色のお店にしてください。酒舛さん、火曜定休です。






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2013年10月29日

あの日の指輪を待つきみへ (BS録画鑑賞)


  BSで録画していた『あの日の指輪を待つきみへ』(リチャード・アッテンボロー監督 2008年夏、日本公開)を先夜に観ました。
これってもう5年ほど前の公開作品だったのですね。この邦題から受けるイメージに気圧されて(原題は「CLOSING THE RING」)劇場鑑賞をスルーしてしまったのがつい1〜2年ほど前のことのように思えます。

5年かぁ・・・いろんなことが変わるには十分な年月と言えますね。


story
  第二次世界大戦前夜の1941年と50年後の1991年を舞台に、一つの指輪に秘められた男女の切ない運命を描いた物語。
夫を亡くしたばかりのエセル(シャーリー・マクレーン)の淡々とした態度の裏には、50年前に起きた戦争の悲しい思い出が隠されていた。しかし、何も知らない娘のマリー(ネーヴ・キャンベル)は母への不満を募らせるばかり。そんな折、ミシガンに住むエセルのもとに、アイルランドからエセルの指輪を見つけたという連絡が入る。
50年前、若きエセル(ミーシャ・バートン)3人の青年、チャック、ジャック、テディと青春を謳歌していた。やがて彼女とテディ(スティーヴン・アメル)は愛を誓い合うが、その直後、テディは出征してしまう。その際、親友のジャック、チャックと一つの約束を交わして戦地に旅立ったテディだったのだが・・・。

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                        ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  久々に、鑑賞後に釈然としない思いを引きずった一作となりました。
公開時に劇場で観ていたらもしかしてもっと違う印象が残ったのでしょうか。

それでもこうしてレヴューを書いているのは、アイルランドのパートでのクィンラン(ピート・ポスルスウェイト)や指輪を見つけることになるジミー少年(マーティン・マッキャン)、エレノアお祖母ちゃん( ブレンダ・フリッカー)の関わり合いが何だかとってもよかったから。
アイルランドの美しい風景と、そんな中でのIRA組織との緊張をはらんだ駆け引き、それらが遠く離れた地での過去の恋物語と密接に関係してゆくというストーリーは惹きつけるものがあったと思います。
ジミーは過去と現在の橋渡し役として実に可憐な役回りで、演じたマーティン・マッキャンという俳優さんは私的に本作の中で一番初々しくも力強い存在を放ってくれていたように感じました。

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アメリカ・ミシガン州のパートでは過去の世界も現在の世界も、私には根本的な疑問が残りました。
出征するテディが自分が死んだらエセルと結婚して幸せにしてやってくれという約束を親友に交わさせるのは、愛ゆえのこととは思うのですが、何だか自己満足にすぎないのではないかと少し傲慢な感じもしました。それって結果的に親友たちの人生を縛ることになってしまうのですよね。
一方のエセルはテディを愛し続けると言いながら、ではなぜテディの親友チャックを夫として受け入れたのでしょう。しかも永遠に決して愛することはなく。娘まで儲けながら愛することはなく、です。過去の想い出と共に生きるのは自由だし、それも一つの生き方だと思います。でも他人の人生を巻き込む(結果的には自分の娘の人生をも巻き込んだ)のは罪深いことに思えます。
最後の最後に過去から解き放たれたエセルがもう一人の親友ジャックとの愛を得るシーン、、、ここは清々しい落涙という流れなのでしょうけれど、その前に先ず逝ってしまったチャックの愛に涙してほしかったなぁって思いました。
老いたエセルを演じたシャーリー・マクレーン、老いたジャックを演じたクリストファー・プラマー、共に名演が光る最後の感動的シーンだったと思うのですが、私はあまり心を打たれることはなかったです。二人を包むアイルランドの風景はとても素晴らしかったけれど。


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若き頃のエセルとテディを演じたミーシャ・バートンとスティーヴン・アメル。
共に容姿端麗(ミーシャさんは本当に美しい)ですが、私的にはどうしても“隣のハンサムなお兄さん”と“隣の綺麗なお姉さん”のイメージを超える魅力を感じず仕舞いで、もしかしたらこれが釈然としないことの大きな要因だったのかもしれません。感情移入が出来なかったということですね、残念ながら。

繰り返しますが、もしも劇場で観ていたら違ったかもしれません。それほどに劇場というものは、暗転した後、違う空気が流れてゆく魔的な空間ですよね。



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 その日の映画鑑賞が感動の嵐となっても釈然とせずに消化不良となっても、やっぱり美味しいお酒でで締めくくりましょう。
独りサク呑みシリーズから。 いつかの日の堂島サンボアでのジンライムです。滞在時間約30分。

余談ですが、いい映画だと心から思いつつ何度観ても(3回観てます)釈然としない思いが残る映画として『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督 1989年制作)があります。(それでも3回観ているのはやっぱりいい映画だと思うからです。)
アルフレードに、トトの人生をそこまで左右する権利があるのかと(あったのかと)観る度に哀しくそう思います。








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2013年10月20日

タンゴ・リブレ 君を想う


 テアトル梅田で『タンゴ・リブレ 君を想う』(フレデリック・フォンテーヌ監督)を観ました。
これは心待ちにしていた一作なので頑張って公開初日に鑑賞。

story
  規則正しく退屈な毎日を送る刑務所の看守、JC(フランソワ・ダミアン)。ある日、唯一の趣味であるタンゴ教室で15歳の息子を持つ女性アリス(アンヌ・パウリスヴィック)と踊り、華やいだ雰囲気に心惹かれる。翌日、JCは彼女を刑務所の中で見つける。夫フェルナン(セルジ・ロペス)の面会に来ていたアリスだったが、彼女にはもう一人、面会相手の男がいた。それは愛人のドミニク(ジャン・アムネッケル)。しかもフェルナンとドミニクは同じ事件の共犯者でもあった。やがてフェルナンはアリスがJCとタンゴを踊っていることを知り嫉妬する。しかし、いつしかタンゴのことが気になり出し、アルゼンチン出身の囚人をつかまえて、刑務所の中でタンゴを習い始めるフェルナンだったが・・・。

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                ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


「彼女と踊った、
欲望が忍び込んできた、
そして私の世界は変わった・・・。」

これは本作のキャッチコピーです。
結果からいえば激変でした、JCの人生。でもその変貌をいったい誰が非難できようか。それに、変貌と言いつつも実はJC自身は何も変わっていなかった気がしています。


  物語の主人公はJCですが、ここには三者三様の、いいえ、アリスの息子アントニオ(ザカリー・シャセリオ)を含めた四者四様のアリスへの想いに溢れていました。

アリスの奔放さは同じ女性として感情移入しがたいほどの激しさで時として傲慢ささえ感じるのですが、アリスを囲む男性四者(息子アントニオも含めて)が余りに其々味わい深く魅力的に描かれているので、そんなふうに彼らに愛されるアリスも(決して共感はできないとしても)魅力的に見えてしまったのは否めません。

事実、彼女は不思議な魅力を放っていました。
フェロモンのひと言だけでは言い表せない、何か危険で、でも温かなるもの。母性ともどこか違う、不思議なもの。トラブルメーカー的な匂いもします。それは多分、JCもフェルナンもドミニクもアントニオも、皆が十二分に解っていることなのだとは思います。

夫フェルナンの言った通り「俺たちを傷付けただけじゃないか」という台詞は胸を突き、息子アントニオの「お母さんが悪いんだ」となじる姿は余りに痛々しい。
真面目で気弱なJCはそんなアリスに健気に尽くし、例え空回りでもいたわり、優しく包み込もうとします。愛人ドミニクに至っては、その大きく深い愛が諦念となって自身を自殺へと向かわせます。
みなアリスに翻弄されます。しかしアリスは彼らを其々に愛し必要としていて、アリスを中心に彼らがファミリーになってゆくのは不思議としか言いようがないのです。

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タンゴを通して四角な関係が微妙に形を変えてゆきますが、それぞれのタンゴがそれぞれの味わいを持っていて・・・。
朴訥なJCのタンゴは男性であるのに吐息のように切なく官能的でさえあります。ドミニクのタンゴはなんだか哀しくて、フェルナンのそれは力強く、どこまでも真っ直ぐ直情的です。
タンゴが「魂の踊り」と称される所以がそこにある気がしました。

スクリーンでのラストのあと、一体どうなるんだろう。
どうにでもなれ、なのか、どうにかなる、なのか。苦難の道行なのか、それとも・・・。
シチュエーションから何もかも全く別ものの映画なのに、ふと『卒業』のラストシーンがフラッシュバックした私なのでした。


 刑務所内でアルゼンチン出身の囚人二人がダンスを披露するシーンがありますが、このシーンは圧巻です。男同士のタンゴなんて私は初めてで、激しく力強く情熱的でまるで命を賭けた絡み合いのように感じました。
どうやらプロのタンゴダンサーで、うち一人はチチョ・フルンボリという世界的に有名なカリスマ・タンゴダンサーの御方らしいです、なるほどね。
それから、アントニオ役のザカリー・シャセリオくん、若き日のレオナルド・ディカプリオを髣髴とさせて鮮烈な印象を残してくれたのでした。


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  いつだったかの、シックなBARでのマルガリータ
お酒好きの先輩にお連れ頂いたのでしたが、初めての訪問でちょっと怖々?ながらの入店でした。でもカクテルも美味しくていい雰囲気で、でも思ったよりもリーズナブルでちょっと嬉しくなったBARでした。
もしまたお伺いが叶えば、<タンゴ・リブレ>、、、じゃなくて<キューバ・リブレ>でも飲んでみたいと思う今日です。





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2013年10月14日

月亭文都 襲名披露公演



 「八天改メ 七代目 月亭文都 襲名披露公演」に行って来ました。新神戸オリエンタル劇場です。

七代目月亭文都さんは、襲名前の月亭八天さんの頃から、かれこれ22〜23年ほどになるでしょうか、陰ながら応援させて頂いていた落語家さんです。
今年3月19日のなんばグランド花月での襲名披露公演には諸事情でお伺い叶わず、ずっと気になっていたのですが、やっと今回、神戸での襲名披露公演で直接舞台上の文都さんに「おめでとうございます!」と言わせて頂く事ができました。

                      文都さん.jpg

この何年かはその諸事情で年に一度の独演会(於:ワッハ上方ホール)に行かせて頂くのみになっていたのですが、思い起こせば22〜23年前に八天さんの落語に出会って以来ずっと、八天さんが開催される二ヶ月に一度の落語会には足を運ばせて頂いていたことが思いだされます。あー懐かしや。
それを機に他の落語家さん方の高座にも時折出向かせて頂き、上方落語の面白さを教えてもらった恩師でもある(八天さん)文都さんです、ありがとうございます。

この日は月亭方正さん、月亭八光さん、桂文珍さんの落語のあとで中入、中入り後は「口上」です。
それぞれに文都さんへの想いが込められた御口上をうかがえて、舞台後方の大幕に染めぬかれた大きな「BUNTO」の文字に感慨もひとしおでした。
私ごときが言うことではないですが文都さんは本当に芸道への精進が並々ではないお方で、天性のセンスもお持ちとは思いますが、まさに“努力の人”という気がします。勿論、常に新しい御自身の姿を開拓しそれをどんどん世に出してゆかれるプロデュース力も。「コツコツ」と「大胆不敵に」の、両方の魅力のある噺家さんだと思っています。

本公演の文都さんの演目は、大ネタ「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」でした。
これは時事ネタ満載の、噺家さんのオリジナリティーが光る大話で、以前にも一度文都さんの(当時は八天さんの)「地獄八景亡者戯」を聴きましたが、今回は今風の、つまりは“平成25年秋ふうの”「地獄八景…」でとても楽しませて頂きました。
最後まで通しで演じれば1時間強?の大ネタ。時間の関係で本公演では途中の段落でのサゲとなりました。あー、もっと聴いていたかったなぁー。

文都さん、これからも益々の御活躍を念じております。
本当に本当に、おめでとうございます。ぴかぴか(新しい)



  刀屋 あぶくま.jpg 刀屋 萩の露.jpg 萩の露 アップ.jpg

 さてさて、このところ日本酒(地酒)ヴューが続いていますが、本日もこれでもかと地酒ヴューで。

こちらは独りサク呑みシリーズではありません、二人サク呑みでした(Kさん、ありがとうございました)。久々に訪れた地酒・刀屋さんでの乾杯の画です。

この刀屋さんのご店主も、愛する酒道に“コツコツと(しかしひたすら)まっしぐら”の御方です。ぴかぴか(新しい)







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2013年10月10日

許されざる者(1992年イーストウッド作品)

 
  『許されざる者』(1992年制作 クレイント・イーストウッド監督、主演 オリジナル版と言った方がよいのでしょうか?)を観ました。
世間ではリメイク版と言われる李相日監督の同作品が話題となっているいるようですが、「敢えて今」と申しますか「先ずは」と申しますか、要は私がイーストウッドの『許されざる者』を未見だったからです、お恥ずかしい。

秋といえども未だ暑さの残る夜に、赤ワインを呑みつつ録画版を鑑賞。

story
  1880年、ワイオミング。列車強盗や殺人で悪名を轟かせていたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)は、今では銃を捨て2人の子供と農場を営みながら密かに暮らしていた。しかし家畜や作物は順調に育たす、3年前に妻にも先立たれ苦しい生活だった。そんなマニーのもとにスコフィールド・キッド(ジェームス・ウールヴェット)という若いガンマンが訪ねてくる。娼婦に傷を負わせ賞金をかけられた無法者を追うためだ。マニーのかつての相棒ネッド(モーガン・フリーマン)を加えた3人は追跡行に出かけるが、その頃、町の実力者の保安官ビル(ジーン・ハックマン)は疎ましい賞金稼ぎたちを袋叩きにしているところだった。やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及んだ・・・。

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                   ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


「人に歴史あり」やなぁ・・・と先ずは感じた次第です。

というのは、鑑賞を前に本作に付いてちょっとだけネットで調べた際に、「マカロニ・ウェスタン上がりのまだまだ二流の役者、或いは話題先行のいわゆるスター監督という先入観で語られることの多かったイーストウッドが、地道に培ってきた映画づくりの力を自己の信念とともにやっと開花させたのがこの『許されざる者』である、云々・・・」という意味合いの記述を目にしたからです。だから、イーストウッド氏の栄光に歴史あり、なのだなぁと。
その予備知識のおかげで?通常の1.5倍くらいに感動の度合いが高まったのは否めないと分析はしますが、それでも、西部劇というものに予定調和ではない、或いは勧善懲悪ではない、其々の人間が抱える業のようなものについて暫し考えさせられたのは確かです。

拙ブログでは私も幾作かのイーストウッド映画を挙げさせて頂いていますが、実は私はイーストウッドがマカロニ・ウェスタンで名を馳せていた頃やダーティ・ハリー作品でのハリウッドでの活躍や監督としての初作品など何れも未見のままで、いわば「不動の地位」を確立した後のイーストウッドにしか触れられていない体たらくなのでした。
本作では“これで勝負に出る”とでもいうような渾身の演技と演出がしみじみと彼の「来し方」を感じさせてくれて何だかあついものを感じてしまった感があります。きっと、ノーカットのDVDで、もっといえば公開時にスクリーンで観ていたら感慨も更なるものだったと思います。

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 いったい誰が「許されざる者」だというのか。
ストレートに善悪と区別することのできない歩みを持つ者たち。登場人物それぞれに悪なる部分は存在していたし、善とまでは言い切れずともごくありふれた当り前の人間としての一面を持ってもいました。圧政を敷く暴力的な保安官ビルでさえ。しかし本作で(李監督のリメイク版については未見なので分かりませんが)際立たせてあるのはマニーと保安官ビルの二人で、彼ら両者ともに「許されざる者」だということなのだと思いました。

「誰かの命を奪ったものは許されるべきではない。」とビルに言い放つマニー。
「地獄で待ってる」と返すビル。
このシーンには、互いが互いを地獄に落とし自らも落ちてゆくことを覚悟している凄まじいまでの狂気を感じました。台詞の後の互いの沈黙が、負の宿命から逃れることを許さないと叫んでいるかのようでした。

一度は改心し銃を捨てたマニーが丸腰の人間を容赦なく射撃する暴挙に出るシーンがあるのですが、「(銃を)持たない奴が悪い、俺の友だちを殺したんだからな。」の言葉には、無法者の彼の中にだけ存在する法と、正義か否かは完全に別問題だという“一度血に染まった者の業、宿命”を感じさせて辛いです。
銃という武器が持つ圧倒的な力も見せつけられ、改めてアメリカという国の銃と共に歩んできた歴史を思い知らされもします。

地獄で待つと言ったビルをよそに、エンディングではマニーは賞金を元手に事業を展開し成功したようだと語られます。
しかし、彼は亡き妻と共に第二の人生を始めた地を離れ、おそらくは二度と戻ることはなかったはず。それはマニーが再び銃を手にしたことで、亡き妻と暮らした頃の彼には二度と戻れなかったこと、その後の彼の人生が空虚なものであったに違いないことを意味しているのではないかと感じました。

夕日に映えるシルエットが美しいオープニングとエンディングですが、エンディングのそれには喪失感に似た寂しさが漂っていました。




酒商熊澤.jpg 熊澤 黒牛.jpg 熊澤2.jpg 熊澤1黒牛.jpg

  さてさて、独りサク呑みシリーズから三景。
元町の<酒商熊澤>さんでの美酒。このお店は以前にも拙ブログに登場しましたが、元気印のワインのソムリエさんがお好みのワインや地酒を饗して下さいます。
写真のこの日は黒牛・無濾過生原酒とニンジンの白味噌ソース和え。このあと別の銘柄をもう一杯いただいて滞在時間は約40分。たいへん美味しゅうございました。

人に歴史あり、かぁ。
そういえばクリント・イーストウッド主演の『ダーティ・ハリー』シリーズで、クリント演じるハリー・キャラハンの名台詞「泣けるぜ」の原文は「swell」という単語なのだよと教えてくれた某友人。「swell」を「泣けるぜ」と訳した当時の翻訳者さんに脱帽!の思いだったらしいです。 その友人が今度ひっそりと?立呑み屋さんを始めることになりました。軌道に乗った頃に(店名その他は覆面で)拙ブログにもご登場頂こうかと思ってます。

酒呑みが「少ないお小遣いでも呑める酒場」を作りたかったのだとか・・・・・泣けるぜ。




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2013年10月01日

サイド・エフェクト


 『あまちゃん』も終わって時の移ろいがいつも以上に寂しく感じられる今日この頃です。こういうの、友人Cによれば“あまロス”と言うのだそうな。

西宮TOHOシネマズで上映終了間近の『サイド・エフェクト』(スティーブン・ソダーバーグ監督)観てきました。
主演のジュード・ロウをスクリーンで観るのは久しぶりです。ついでにキャサリン・ゼタ=ジョーンズさんも。

しかし時間に余裕のない時に行き慣れない映画館に行くものではありませんね。
先ずはJRが「踏切の遮断棒が折れていた影響により」とかで延着(JRではこの車内アナウンスが頻繁に発生します)、阪急電車に乗り替えてやっと着いた西北で、劇場の入ってる西宮ガーデンズまで「東改札口から直結」となっていたので安心していたら・・・どんだけ長い直結通路やねん!、はるか向こうに見えるガーデンズまでとにかく走って、入ってから更にエスカレーターで5階まで、更にフロアの端から端まで突っ切り、更に・・・。やっと劇場のシートに座ったのは本編の始まる直前でした。

story
   金融マンであった夫マーティン(チャニング・テイタム)が違法株取引で逮捕されたのを機に、以前に患ったうつ病を再発させてしまったエミリー(ルーニー・マーラ)は、交通事故や自殺未遂を引き起こすように。診察にあたる精神科医バンクス(ジュード・ロウ)は、かつて彼女を診ていたシーバート博士(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)に相談。エミリーが抱える症状の詳細を聞き出し、彼女の了承も得て抗鬱剤の新薬アブリクサを投与する。症状が快方に向かっていたある日、マーティンがナイフで刺されるという事件が起き・・・。

                      サイドエフェクト.jpg

                      ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


※結末に触れる記述をしております。

  
  スクリーンで久々に見るジュード・ロウは、いい意味で“渋枯れ”していらしてちょっとビックリ。登場シーンもさりげなくて素敵でした。まあ終盤は執念(怨念と言うべきか)にとりつかれて目がイッちゃってましたけど。キャサリンさんはお歳を召された感がお顔に感じられたものの、ある種の凄味も増していたといえるでしょう、ついつい期待値を高めてしまう女優さんです。

本作、「サイドエフェクト」というタイトルとヒロイン・エミリーの可憐さにまんまと騙されました。
「何かがおかしい」と思うものの一向に糸が解れていかないのは、前半は完全にエミリーの描き方が被害者としてプロテクトされていたからだと思います。
演じるルーニー・マーラは線の細い透明感のある美しさで、不安定な心の現れ方や挙動の不可解さが実に痛々しく感じられてしまうのです。その点シーバート博士(演じるはキャサリンさん)は登場の仕方が華々しい分ダーティーなイメージがつきまとい、彼女が絡んだ、そして製薬会社が暗躍する一大サスペンスかと思いきや・・・。

徐々に不穏な空気を感じさせてゆくソダーバーグ監督の演出はうまいなぁーって。か弱くて悲劇の女性であるはずのエミリーが時々なぜか不気味に見え始めてくるところも。
事件の渦中で散々な目にあってゆくバンクス(演じるはジュード)。エミリーの立ち位置はバンクスのそれとは重ならないまでも、あくまでバンクス寄りだと信じていましたが、終盤に近づくあたりから立ち位置が大きく変わる・・・そこのところの逆転劇は面白いですね。

                      サイドエフェクト2.jpg

しかし“背景にあったもの”が明らかになってみると、私的にはサスペンス性を削がれた感がありました。
どんな犯罪も「動機」が全てを物語るものだと思うので、その動機自体が甘く感じられたのは正直なところです。憎しみといえるほどの感情はマーティンとの夫婦間では見えず仕舞いで、エミリーとあの女性との愛もどこまで本気なのか疑問で、お金は「やっぱりソレなのか…」と食傷気味に思うものの、それならそれでもっと貪欲にそこに執着してくれた方がスッキリするように思えました。女性同士の愛欲を描くのも難しいと思いますね(男性同士の関係よりも)。それは私が女性だからでしょうか、どうしても「偽り」の色が見えてしまうからかもしれません。総じて、この動機付けが説得力に欠けていたように感じられてしまいました、それでちょっと失速。

悪いことをすれば報いを受ける。
これを立証するかのようなラストは納得できますが、「一時不再理」の法律が無ければバンクスはエミリーもシーバートと同様に法廷の場に引っ張り出していたのでしょうか。それともエミリーにはやっぱりあの方法で?? バンクスの報復が静かな戦慄を感じさせ、それが一番怖かったことかも。



     ひょうたんや 雁木.jpg ひょうたんや1.jpg ひょうたんや2.jpg


  この日は猫事情で早帰りせねばならず、「これで直結してると言えるのか」的な直結通路をまたしても小走りで過ぎ、帰路を急ぎました。

行き慣れない映画館に行くのは要注意として、行き慣れない酒場を久々に訪ねるのはなかなか愉しいものです。

先日は14〜15年ぶりに再会の友人M子さんと、こちらも4〜5年ぶりの再訪となった<ひょうたんや>(新梅田食道街)さんへ。
事情があって一時間しか時間が無く、この立呑み屋さんへ向かいました。ここは立呑み屋さんの概念を覆すような高クオリティーで名を馳せているようで、この日も地酒に合うものをお任せで二品用意してもらいましたが(鮮魚のカルパッチョと鴨のロースト)、どちらもとっても美味しかったです。
地酒は、私は雁木(がんぎ)の無濾過生原酒をチョイス。お酒もたいへん美味しゅうございました。
M子さん(F子さんと書いた方がいいのかな)、またお会いしましょう。かわいい








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2013年09月26日

スーサイド・ショップ


 シネリーブル神戸で『スーサイド・ショップ』(パトリス・ルコント監督)観てきました。

パトリス・ルコントがアニメを監督!?と驚いたのでしたが、監督は若き頃イラストレーターのお仕事もされていたとか。なるほど、実写のセンスが得意分野の作画にも活かされるっていうわけですね。

本作、原作はジャン・トューレの小説で、原作が発表された直後に映画化の話がルコント監督のもとに持ち込まれたものの、実写ではそのあまりにダークでリスキーな世界を表現しきれないと、ルコント監督初のアニメーション(しかもミュージカルテイスト!)で映画化が実現したようです。

story
   ジャン・トゥーレの小説「ようこそ、自殺用品専門店へ」を原作に、鬼才パトリス・ルコントがアニメに初挑戦した作品。どんよりとした雰囲気が漂い、人々が生きる意欲を持てずにいる大都市。その片隅で、首つりロープ、腹切りセット、毒リンゴといった、自殺するのに便利なアイテムを販売する自殺用品専門店を開いているトゥヴァシュ一家。そんな商売をしているせいか、父ミシマ、母ルクレス、長女マリリン、長男ヴァンサンと、家族の誰もが一度たりともほほ笑んだことがなかった。人生を楽しもうとしない彼らだったが、無邪気な赤ちゃんアランが生まれたことで家庭内の雰囲気が少しずつ変わり始め・・・。
                       
                      スーサイド1.jpg   
             
                  ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。



 なるほど、アニメでなければこの世界は画的に“危険極まりない”ですねー。
ビルから飛び降りる人間がたくさん映し出される冒頭。 スーサイド・ショップに並べられるありとあらゆる自殺アイテム。お買い上げのお客様の後を付け、願望成就?を見届けるヴァンサンとマリリン兄妹。
「PG12」の意味がこれほどダイレクトに身に沁みる作品も珍しい。
とはいえ「アニメ」「PG12」とあっても、私的にちょっと看過しがたい場面があって、正直言ってそのシーンには微かな不快感を伴わないわけではありませんでした。アランのすっとぼけた可愛さが救ってくれましたが、あの一連のシーンに付いては自分なりに納得もしたいのでいつか原作小説を読んでみたいと思う今です。

店主ミシマの「ミシマ」って「もしかして三島由紀夫?」と思っていたのですが、鑑賞後シアター内に貼り出されている資料を読んでみてなるほどと思いました。
ミシマは三島由紀夫、長男ヴァンサンはフィンセント(ヴァンサンは仏語読み)・ファン・ゴッホ、長女マリリンはマリリン・モンロー。
皆、自殺を遂げた著名人なのですね。夫人のルクレスの記載は無かったのでネットで調べてみたら、どうやらルクレスはルクレティウス(死によって人間の不幸は消滅すると説いた哲学者)らしいです。ふーん、勉強になりました。
それで、ルクレスやヴァンサン、マリリンは、アランの影響を受けて変わってゆくのが見ていてよく分かるのですが、ミシマは“さすがはミシマ”の筋金入り。その辺りは、理念に裏打ちされての自殺であった三島由紀夫のイメージが踏襲されているのでしょうか。ファミリーが笑顔と前向きな人生を取り戻しながらも、このミシマだけは最後までシニカルでブラックな一面を残していました。


                       スーサイド3.jpg


私的にはマリリンのキャラが一番好きで、人生を投げている様子が見ようによってはアンニュイな感じでもあり、情緒不安定さが愛しくも感じられました。
月灯りだけの部屋で彼女がアランからプレゼントされたピンクのスカーフで踊るシーンは、コミカルなのにそこはかとなく官能的で、ここはルコント監督らしさがいっぱいでした!(『髪結いの亭主』を思い出しましたよ。)

ファミリー4人のキャラはキョーレツですが、「アダムスファミリー」ほどに毒で満ちてはいません。
意外とアラン。彼がミシマを笑わせようとトランポリン上で繰り返したパフォーマンスは“まんまブラック”で、考えたらこのアランが実は一番毒をはらんでいたのかも・・・なんて、ちょっと曲がった視点での感想でした。


アニメーションは映像も色彩も独特の雰囲気を放ち、日本のアニメとはまた違った魅力を感じることができます。
灰色に染まっていた街が明るく変わるんだからハッピーな想いで劇場を出ればいい、とは思います。やっぱり売るなら毒りんごより出来たてアツアツの甘〜いクレープのほうがいいに決まってますし。
でも、そしたら死によって辛苦から解放されたいと願っているどん底の人たちはこれからどうしたらよいのでしょうね。私は頭が固いのかな、、、彼ら(自殺願望者)が救われたわけではないのでちょっぴりの複雑さも残りました。


                       WWのWW.jpg

  ルコント監督は本作でとにかく「人生は美しい!」ということを伝えたかったとか。
久々のJazz Bar Wishy-Washy さんでの Wishy-Washy(オリジナルカクテル)、やっぱり美味しい!

私は手放しで「人生は美しい」とはとても言えませんが、こうして美味しいお酒をいただいているこの一瞬は間違いなく“美しい”です。
ぴかぴか(新しい)




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2013年09月18日

橋本関雪展


  兵庫県立美術館に「橋本関雪展」を観に行きました。

マリー・アントワネット展の時にも記しましたが、県美はJR灘駅から徒歩で南へ15分(弱)と少し距離があるのですが、時々妙に懐かしくなり、また訪れてみたいと思わせてくれます。背後に広がる神戸の海景色と、コンクリートの無機質で近代的な佇まいとの“妙”がそういう想いにさせるのでしょうか。それに、思い出したように興味深い企画を掲げて下さいます。(毎回じゃないところがミソです。)

今回も開催を知ってから楽しみにしていた企画です。
兵庫県ゆかりの日本画家、橋本関雪(1883-1945)の生誕130年を記念しての開催です。


                       関雪展.jpg

開催初日に行きましたが、思った以上に空いていてゆっくりと楽しむことができました。

橋本関雪は漢学に造詣が深く、中国の古典文学や故事を題材にした作品が多いですが、晩年は写実主義に傾倒し意欲的に取り組んだのが動物画で、私も初めて関節の作品を知ったのが犬や猿を描いた作品だったと記憶しています。
『玄猿』などは有名で、みなさんも一度はどこかで目にされたことがあるのではないでしょうか。
また、一匹のボルゾイと、背後に牡丹の花を配した『唐犬図』(二曲一双)の右隻の画などは、「犬」を描いて溜息が出るほどの気高く清澄な美しさを感じさせて、素晴らしい画だと思います。


                        関雪展 2.jpg

展示作品の多くを占めたのは、やはり中国古典を題材にしたものと新南画といわれるジャンルのものでした。
『木蘭』(六曲一双)の画は、中国の奥深い山中の一風景を描いたものであるのに日本人の私にも郷愁を感じさせる不思議な魅力があります。
また、題材としての「故事」に改めて興味を抱いたのが、作品『邯鄲炊夢図』です。唐代小説「枕中記」のなかの「邯鄲の枕」という故事をテーマに六曲一双の屏風に描かれています。他の作品以上に物語性を感じる画です。

この故事は以下のような内容です(ウィキより転記させて頂きました)。  ご存知の方も多いと思いますが。

***** 趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。*****

「邯鄲の枕」(「邯鄲の夢」とも「黄粱の夢」とも)は能の演目としても有名なようですが、たとえば、あの世から甦った故クロサワ監督がモノクロームで撮ってくれたとしたら、或いは、『ユメ十夜』の幾作品かのように若き監督さんが現代風にアレンジして演出してくださったとしたら、きっと面白い映画になるような気がしました。

そんなことを考えながら、いつものように絵葉書を何枚か買って会場を出ました。


                        さくらや.jpg

  焼酎を「お湯割りで」とオーダーするのはいつ頃でしょうか。
写真のこの日はまだまだ「水割りがいい日」でした。 麦焼酎の水割り、お通しの青菜と共に。




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2013年09月14日

アップサイドダウン 重力の恋人


 劇場鑑賞は『スタンリーのお弁当箱』以来だから約2ヶ月振りです。
久々にゆっくり足を運ぶことが叶って、テアトル梅田で『アップサイドダウン 重力の恋人』(フアン・ソラナス監督)観てきました。

「二重引力」の世界という設定に興味津々だったのと、ヒロインのキルスティン・ダンストをもう一回スクリーンで観たいなぁという思いからこの作品をチョイス。この女優さんは以前は殆ど興味がなかったのですが、昨年観た『メランコリア』で一気に興味深い御方となりました。

story
   太陽を周回し、真反対に引力が作用する双子惑星で、貧困層の住む「下の世界」の少年アダムは、富裕層が暮らす「上の世界」の少女エデンに恋をする。互いの世界を行き来することは固く禁じられていたが、2人は人里離れた丘で交流を深めていた。しかしある日警備隊に見つかり、アダムはエデンを逃がそうと誤って彼女を上の世界の山頂に落としてしまう。10年後、成長したアダム(ジム・スタージェス)エデン(キルスティン・ダンスト)が生きていることを知り、2つの世界をつなぐ「トランスワールド社」に入社しエデンとの再会を試みるが・・・。

                       アップサイド.jpg
                    ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


   何といってもやはり映像に魅せられました。
オープニングからして、二つの異なる世界(光きらめく高層ビル群が広がる世界と、廃墟のような暗い街並みが続く世界)が上下真逆の位置にスクリーンいっぱいに広がり、観る者の平衡感覚を一瞬失わせます。不可思議で幻想的なムードに期待は高まりました。

真逆の重力。
先ず物理的に相容れぬ二つの世界。加えて、富裕と貧困、支配する者とされる者、搾取する側とされる側、という隔たり。互いの世界に身を置く男女が交わることなど永遠に不可能に思えるのですが・・・出会って恋に落ちてしまうのですねー。

エデンを追い求めるアダムには文字通り“命がけ”の苦闘が続きます。上下の世界を唯一つなぐトランスワールド社に入り込むも、完璧な上下社会の隔離システムと逆引力の存在がアダムの行く手を幾重にも阻みます。

不屈のアダムがとにかく一途で可愛い。
演じるジム・スタージェスは、私的には『アクロス・ザ・ユニバース』のジュード役が印象に深く、本作でも同様に、共存する若さ(情熱)と繊細さを見せてくれていて好感が持てます。

                       アップサイド 2.jpg


下の世界に生まれ家族たちを上の世界によって奪われたアダム。人生を捨てても不思議はない身の上ながら、「希望は捨てない」というシンプルだけど尊い彼の意志に素直にエールを送らずにはいられません。
「上の世界ではみんなが幸せなんだよね?」と問う下の世界の子どもたちに、上の世界を垣間見たアダムが「・・・そうでもないよ」と答えるシーンはさりげなく胸を突きます。物質的豊かさだけでは満たされぬものは確かにあるのですよね。
映像に先ず魅せられる本作ですが、ユーモラスでおとぎ話的ワールドの中にしっかりしたメッセージも織り込まれていたと感じました。
                    
ちょっと残念だったのは、終盤の展開がたたみかけるようだったこと。安易にコトが運び過ぎた感が否めず、ちょっと物足りないかなぁという消化不良感が残りました。
でも映像のファンタジーを楽しんで、そのあたりは自分なりに咀嚼すると致しましょう。(←こういう納得の仕方もかなり“たたみかける”ような感じですけど)

秘境の地に立つ丘。
二つの世界の重力が交わる無重力のような空間で、大きな月をバックにアダムとエデンがくるくる回りながら口づけを交わす画は素敵でした。

私のような「お独りさま鑑賞」でも勿論ワクワクドキドキで楽しめましたが、カップルでデート映画としてもピッタリなのではないでしょうか。かわいい



                       ぺ.jpg

  さてさて、独りサク呑みシリーズ(いつからシリーズになったん??)の第?弾。
新梅田食道街の某店(名物料理<エッグ>のあるお店)でのフォアローゼズのハーフロックとソーセージとキャベツの煮込み。このあと更にワングラス呑んで滞在時間は30分。
先客だった常連氏が近くで購入されたプリンを差し入れて下さったのですが、このプリンが絶品で!一口戴いて思わず「美味しい〜!」と叫んでしまったほど。ご購入されたお店は阪急百貨店内のどこかでしょうか。聞けばよかったけれど聞かず仕舞いでした。ちょっと探索してみます。

めでたく発見出来たらブログに挙げさせて頂きますね。お酒以外に、たまにはスウィーツの画像もいいかも、ですね。





posted by ぺろんぱ at 19:21| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記

2013年09月10日

春樹インタビュー集 そして、原田宗典さんのこと


   本日10日は村上春樹・編訳の『恋しくて』(中央公論新社 9編の翻訳短編と春樹の書き下ろし短編一作『恋するザムザ』を含む)の発刊日。

ジュンク堂・堂島アバンザ店には既に昨夕から2F入口直ぐの書架に華々しくディスプレイされていました。竹久夢二の美人画による装丁があだっぽさと異色の雰囲気を書架周辺に放っていました。
そんな昨夕、私はそのディスプレイを見つつも先にこちらの一冊、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上春樹 文春文庫)を購入しました。
昨秋の発売じゃないですか、これ。 知らなかった不甲斐ない私。

                       夢を見るために.jpg                      

※こんな内容
  村上春樹が語る村上春樹の世界。19本のインタビューで明かされる、いかに作家は生まれたのか、創作のプロセスについて―。 公の発言が決して多くない村上春樹は、ただしいったんそれに応じるや、誰にも決して真似できない誠実さ、率直さをもってどこまでも答える。2011年6月に行われた最新インタビューをオリジナル収録。(←文庫解説を転載させて頂きました。)


  結構分厚い本です。小説とはまた違ったダイレクトな春樹さんの言葉の響きを、一頁一頁楽しみに感じていきたいです。
幾つかの作品が相関する過程にも触れられているのでしょうか、そのへんも楽しみでワクワクしていますす。『恋しくて』はもう少し先の楽しみに取っておこうかな、と思います。


  さて、この本の購入と前後してショッキングなニュースをネットで知りました。
作家・原田宗典さんが覚せい剤と大麻所持で逮捕された、と。実は少し前に原田さんの『黄色いドゥカと彼女の手』を久々に読み返したところでした。
原田さんは、彼の作品について拙ブログでも過去に「牡蠣の塩辛、山本文緒、・・・そして“誰かの心の痛み”」「黄色いドゥカと・・・今宵の透明な一杯」という記事タイトルで挙げさせて頂いていて、それなりに思い入れのある作家さんでした。何冊かの短編集やエッセイも読みました。
ネットで「逮捕」の文字が目に飛び込んできた時、「何故?」という問いのあとに「もしかして」と真っ先に浮かんだのがイケナイコナとイケナイクサのことでした。原田さんの小説やエッセイを読んでいて、何となくそういう(心の)線の細さみたいなものを感じていたからです。
悲しいです、とにかく、残念です。
もしも原田さんが今いる世界が鬱屈した闇だとしたら、手足に絡みついたものを断ち切って、脱出してほしいです、そこから。 原田さんの作品に触れさせてもらった一ファンとして、今はそれを願ってやみません。



                       アルバータアルバータ.jpg

  最近、外でワインを呑む機会が続きました。
こちらは大阪マルビル1Fの<アルバータ・アルバータ>での一景です。
タパス6種盛りでぐいぐいワインがすすみます。

お酒が合法でよかった・・・すみません、でも正直な、切実なる心のつぶやきです。





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2013年09月02日

コメント承認制導入のその後


  先日、コメント・TBを承認制にさせて頂いた拙ブログですが、何故かその承認プログラムが作動したりしなかったり・・・。何より、本来の排除目的だった商業コメントが承認プログラムをスルーして自動的にアップされてしまう状態です。改善方法を模索している今ですが、もし改善できなければブログサーバーを他社に変更することも視野に入れております。
今しばらくはこのまま不完全ながら承認制を続けていく予定ですが、皆様には何かと御面倒をお掛けすることと存じます。ご了解頂き、変わらずご投稿頂けることを切に願っております。 ぺろんぱ拝




                               
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2013年08月28日

孤高のメス (DVD鑑賞)


   友人が貸してくれていたDVD『孤高のメス』(成島出監督、大鐘稔彦原作)観ました。
原作の真っ直ぐで健全な医療への追求心を、奇をてらわない配役と正統的な手法で描いた本作に、改めて良質な邦画の持つ心地よさを感じました。

story
   1989年、とある地方都市の市民病院に外科医・当麻鉄彦(堤真一)が赴任する。冷静で正確なオペ技術を持ち、なにより患者のことを第一に考える当麻の姿勢は、仕事に疑問を抱いていた看護師の浪子(夏川結衣)らにも影響を与え、停滞していた院内の空気を活気づかせていく。しかし、そんなある時、当麻は脳死した患者からの肝臓移植を行うか否かという大きな決断を迫られる。それはまだ法律で認められた手術ではなかったが、当麻はいかなるリスクを背負おうとも、助けられる命に手を差し伸べようとするのだが・・・。
 
                       孤高の.jpg

                ※stpry、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  タイトル「孤高のメス」は、崇高な精神のもと、ひたすら患者の命を救うために奔走する孤独な医師を連想させます。また、医学の理念を問う社会派然とした作品世界をもイメージさせます。現役の医師による原作と聞けば尚更に。

しかし“良い意味で”その予想は覆されました。
勿論、医療のあるべき姿を追求した作品には違いないですが、テーマの周辺にあるものを丁寧に掬い上げて描いた、情感に溢れたソフトな作品だったと感じました。

十数時間ににも及ぶ難解な大手術。その様相を(医学界の監修のもとに)徹底してリアルに描きながら、そこには殺伐とした空気もなければ、冷徹な眼差しだけで終わる疎外感もありませんでした。これは一人の女性・浪子の当麻に対する秘めた恋情を綴った物語であるとさえ言えるのでした。
決して放たれることのない、おそらくは本人もそれと気付かぬ、淡く切ない想いがこもった柔らかな情感。オペ器具一つ一つを当麻に手渡す浪子の所作が何度も映し出されるのですが、そこにある種の熱情のようなものを感じ取った人は多かったのではないでしょうか。
医療用語が飛び交う硬質さ、大学病院と地方の公立病院の癒着という粘着性、その行間に柔らかな情感がふわっと匂い立つ、そんな作品でした。

浪子の一人息子・弘平(成宮寛貴)が彼女が残した古い日記から母の過去の日々を紐解いてゆく流れは、似たようなシチュエーションは有りがちですけれど、それはとても安定感のある流れでもあり、観る者を心穏やかに導いてくれるのでした。
ラストの“邂逅めいた展開”は「あ、そういうことになるんだ・・・」とちょっと意外でしたが、そういう“愉快さ”があってこそ、日の目を見ることのなかった浪子の秘めた感情が最後で活きてきたのかもしれません。
    
                        孤高の 1.jpg
 
                      
堤真一さん、イイですね。
映画では『ALWAYS 三丁目の夕日』『舞妓Haaaan!!!』『クライマーズ・ハイ』『容疑者Xの献身』といった作品を観ましたが、どれもハズレはなかったです。私的には『容疑者Xの献身』の堤さんが一番印象深いですけれど。

生瀬勝久さん、なかなかの“悪いヤツ”振りでした。私、画面に向かって「キミ、悪いヤツやな〜!」と独りごちてました。それはそれだけ生瀬さんが好演だったということなのでしょう。
それにしても、、、あの京葉医大から来た三人の医師の中で、一人くらい「真の医療とは何ぞや」と思い悩み、自らの言動を自問自答する医師がいてもよかったのになーって思いました。一人くらいは・・・ねぇ。

現在は脳死状態での臓器移植は法的に認められています。
私は脳死での臓器提供の意思カードにサインして持ち歩いています(そのような状態になることは勿論無いに越したことはないのですが)。特に理念があってのことではありません。そうすることが自分にとってもいろんな意味でいいように思えるまでのことです。



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  そろそろこの夏も「去り支度」を始めたようですね。
夏の終わりを感じるのは、いつも何だかとても寂しいです。たとえ今夏のような猛暑であっても。

某日、仕事帰りの黒ビール。
一杯目はオーソドックスな生ビールをグビグビ! 二杯目にこの黒ビールをゆっくりと味わいました。
そういえば少し前からスーパーで麒麟の<秋味>が並び始めましたね。 秋、なのですね。




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2013年08月21日

コメント、TB、承認制導入のお知らせ


   以前から時々入っていた商業広告を貼り付けたコメントが、先日一夜にして80件近くも投稿される事態がございました。TBに付きましても、数は少ないものの同様の事態が過去に何度かありました為、このほど、コメント、TBとも「承認制」とさせて頂くことに致しました。
皆様にはご迷惑をおかけ致しますがご理解頂けますよう宜しくお願い申し上げます。
いつもコメントやTBを下さっている映画・お酒・動物好きの方々、変わらずのご支援とご投稿をいただけます事を心から願って止みません。      ぺろんぱ拝



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2013年08月20日

マリー・アントワネット物語展


  お盆のお休みも終わりましたが、朝夕の風に遠くに見え隠れする秋の気配が僅かに感じられるくらいで、日中の暑さはまだまだ厳しいですね。

お休み中も劇場での映画鑑賞は叶わなかったのですが、県美(兵庫県立美術館)に『マリー・アントワネット物語展』を観に行ってきました。
7月6日から開催でずっと気になりつつ足を運べないままでしたが、閉催(9月1日)間近になってやっと。県美はJR灘駅から南へ徒歩10分強といったところにあるのですが、今年のこの時期、照りつける太陽のもと目指す美術館に辿り着くまでに軽く眩暈3回。


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 マリー・アントワネット。
我々「ベルばら世代」にとっては単なる「歴史上の著名人」にとどまらぬ、華々しいオーラをまとった女性です。同時に、人生の光と闇、頂点とどん底を瞬時に駆け抜けたような悲劇のヒロインとしての象徴的存在でもあります。
読みましたねぇ、池田理代子さんの『ベルサイユのばら』。
本展、いたるところに展示作品に付随しての解説が施されていましたが、何だかどれも<ベルばら>の“要点を振り返る復習”のように感じられました。「ああ、そういえば<ベルばら>にこんなこと描かれていたっけな」という具合に。池田理代子さんの『ベルサイユのばら』の威力を改めて実感しました、畏るべし、ベルばら。

本展はマリー・アントワネットの波乱に満ちた生涯を辿りつつ、彼女の徹底した“美へのこだわり”に焦点を当てたものです。
解説にも「自分の趣味をヴェルサイユ宮殿に持ち込んだ唯一の王妃と言われている」と記されていました。
ひとブースのみ「写真撮影OK」とされる展示ブースがあって、彼女の愛したとされるドレスや香水入れなどの小物、船の模型を乗っけた派手な鬘(ありましたね〜漫画にも)などが展示されていました(このブースの展示品は全てレプリカです)。

 マリー 2.jpg マリー 3.jpg


別のブースですが、あの「首飾り事件」の首飾りも展示されていました(これもレプリカです)。
渦中の人物たちの相関関係図と共に。こういうのは何だか現代の週刊紙的。やはり良くも悪くもゴシップの対象となった人なのですね。王室の人間であるのに、容赦なく通俗的で興味本位な視線を浴びせられてしまう、、、そこが、仕来たりの違う他国から幼くして嫁いだ女性の悲しい一面だったのでしょう。

彼女が愛したとされる品々は、どれも当時の技術、集め得た素材では最高のものであったと推察されます。ドレス、装飾品は勿論、什器や寝具、小物に至るまで、自らがオーダーする物はお金や納期にこだわることなく徹底的に最高級のものを求めたというマリー・アントワネット。
やはり大事な“何か”が見えていなかったのでしょうか。王妃ではなくどこかの大富豪の商家に嫁いだ女性だったなら、あのような最期を迎えることにはならなかったでしょう。

                      マリー 1.jpg

勿論「時」の不運があったことは否めません。
夫ルイ16世の祖父で先帝であったルイ15世と彼の愛妾デュ・バリー夫人が過去に繰り広げてきた贅沢はアントワネット以上の巨額であったらしく、他国への支援などもあってフランスの財政は逼迫し、嫁いできたアントワネットの若さと寄る辺無さが彼女を全ての矢面に立たせてしまったのでしょう。“悲劇の王妃”と称される所以はそこにあるのかもしれません。
夫となったルイ16世の身体上の理由で、夫婦の契りをもったのは結婚後7年を経過した後だったということです。「寄る辺なさ」と記したのは、そのような史実により感じたことでもあります。これらの史実は展示場にあった「解説」にも記されています。

熱愛では決してなかったけれど、ルイ16世との夫婦としての深い絆が感じられたエピソードや肖像画に心が“しん”となりました。夫を敬愛し、子を生し母となって初めて芽生えたと言われる民衆を愛する心。 しかし時代はそれを掬い取るにはあまりに激動のさなかにあったのですね。

展示は、断頭台へ向かうマリー・アントワネットを描いた一枚の絵で締めくくられていました。



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 さて、過日の乾杯からの一景。
イニシャル全員Mの会の、4人全員がお酒好きで結構な量を呑みます。(私は末席です)
年齢は上下で4歳差だから皆きっとベルばら世代だ。 今度逢った時の話題になるか・・・な? 





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2013年08月07日

プリシラ PRISCILLA (久々の再々々??鑑賞)


  クラっと来るような暑さの今日この頃。 日が沈んだ某夜、久しぶりにこの映画ソフトを引っ張り出して鑑賞。
『プリシラ PRISCILLA』(1994年 ステファン・エリオット監督)です。
公開時に劇場に観に行って以来、大好きで何度か観返している作品です。この映画も、派手な衣裳とメークに、そしてオーストラリアの雄大な景観と突き抜けるような青空に“クラっと来る”のであります。

story
大都会のクラブでステージに立つ女装のショーガール、ミッチ(ヒューゴ・ウィーヴィング)はオーストラリア中部アリス・スプリングスでの興業に、性転換者で仲間のバーナデッド(テレンス・スタンプ)を誘った。そこに明るいけれど無鉄砲なフェリシア(ガイ・ピアース)が加わり、ドラッグクイーン3人の砂漠へ向けての旅が始まった・・・。 様々な出会い、別れ、挫折、そして歌あり踊りあり笑いありのロード・ムービー。

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                   ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。
             

  オープニングからクラリと来る映像ながら、そこはかとなく切なさが漂う幕開けです。
シャーリーンの「I've Never Been To Me」の歌詞が彼らの心の叫びのようで。

ショービジネスにはどことなく哀しみの翳が付いて回るような気がするのですが、ドラッグクイーンたちの世界となると尚更なのでしょうか。
旅をする三人、ミッチ、バーナデッド、フェリシア、それぞれ派手な衣裳を脱ぎ鬘を外しメイクを落とした時に見せる素顔(心身共の素顔)が、孤独と弱さと、甘えと拒絶の同居を感じさせて切ないです。

ロード・ムービーよろしく彷徨い続ける彼らの心。
彼らのセクシャリティーを受け入れられない人々の偏見や罵倒、暴力は、前を向いて歩いて行こうとする彼らの心を容赦なく折れさせます。それでも、良くも悪くも旅の先々で出会う人や出来事が、やっぱり自分に正直に生きたいという思いにさせ、三人をそれぞれに違った決意に導いてくれるのです。
ロード・ムービー、イイですね、私はやっぱり好きです。

幾つになっても、どんな状況にあっても、迷いは必ずある。
バーナデッドが放つ「男が女になるのはラクじゃないのよ」っていう台詞がありますが、これって「男」と「女」を別の言葉に置き換えたら誰にだって当てはまることですよね。自分らしく生きてゆくのはラクじゃないのだ、きっと。


                         プリシラ サントラ.jpg ※サントラ

 オープニングの曲に触れましたが、この映画、音楽がサイコーに楽しめる作品です。
そういえば公開時には迷わずサントラを買いました。(このレヴューを綴りながら聴き直しましたよ。)
大自然の中、青空を背景に流れる歌曲「椿姫」にはシュールな感覚に包まれ見知らぬ彼の地へトリップするかのよう。アバの「ママ・ミア」には拍手喝采、エンディングで流れるヴァネッサ・ウィリアムスの「Save The Best For Last」にはぐぐっと心掴まれます。

圧巻は、ショーの衣裳に身を包んだ彼らが、辿り着いた夢の地・キングス渓谷(オーストラリアのグランド・キャニオンと呼ばれている)の頂上で屹然と立つシーンです。
雄大な自然の圧倒的な力を前に、自分たちが最も誇れる姿で立ち向かう彼ら。自分が男であるか女であるかなどという概念すら吹っ飛んでしまった瞬間だったのではないでしょうか。陽光に赤く燃える渓谷に、彼らの華やかな装束を舞わせる雄々しき風、風、風。感動的です。何度観てもここは見とれてしまうシーンです。


脇を固めるボブ役のビル・ハンター、マリオン役のサラ・チャドウィックも素敵。
特にボブ。バーナデットとの穏やかで確かな温もりの日々を祈りたいです。
あ、最後の最後、オマケの映像が笑えますよ。


                                               
                          夢灯り.jpg

この映画の「ドラッグクイーン」のドラッグは「drag (俗に、男性の女装の意)」ですが、似た発音で「drug(薬物)」というのがありますね。「drag」や「drug」では無理ですが、「drunk(酔っ払い)」なら私もクイーン級になれるでしょうか・・・。

そんな私の、またしても“独りサク呑み”(某日某店にて)です。
生ビールのあとに純米吟醸<夢灯り>とマグロのヤマかけです。 大変美味しゅうございました。
滞在時間45分。これってクイーン級を目指す以前にオヤジ級ですね。






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2013年07月22日

タワーリング・インフェルノ (BS 録り鑑賞)


   BS録りしていた『タワーリング・インフェルノ』(アーウィン・アレン製作、ジョン・ギラーミン監督、1974年)観ました。
本作、超有名作品ですが、実は私はきちんと観たことがなかったのでした。
見終えて、この映画が約40年の時を経て今も尚「パニック映画の金字塔」として語り継がれている所以が分かりました。165分、見せてくれました。

story
   サンフランシスコの空にそびえ立つ138階建ての世界一高い超高層ビル“グラス・タワー”が落成の日を迎えた。設計者のダグ・ロバーツ(ポール・ニューマン)とオーナーのジム・ダンカン(ウィリアム・ホールデン)は、屋上に立って眼下にひろがる市の光景を見下ろしていた。しかし、オーナーの娘婿ロジャー(リチャード・チェンバレン)が規格外の製品を使ったために起きた出火はやがて巨大な炎となり、最上階に何百人も閉じ込めたままビルを飲み込んでゆく。

                       タワーリング .jpg
                       ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂いております。


  これだけのスターを揃え、そのネームバリューだけに頼らない血の通った手応えあるドラマを練り、何でもありのCG映像を知る我々も納得の特撮技術で視覚的にもエンタメ性を感じさせる、納得の一作でした。
迫り来る火炎の迫力、パニックに包まれる超高層ビルの不気味さ、死と隣り合わせの脱出劇の緊迫感、まさにザ・ハリウッド映画!という感じ。現場スタッフ全員の、知恵と汗と涙が決して少なくはなかったであろうことがフィルムから肌を通して伝わってくる感じなのです。

スターはスターでありながら(マックィーンもニューマンもダナウェイもアステアも)劇中にあってはただひたすらグラスタワーの火災の中で懸命にもがく一人の人間でした。同時に、其々が一人の人間でありながらやはり演じる俳優は大スターたちであり、その“消せないオーラ”がこの作品を実に華やかに盛り上げているのでした。

81階の倉庫で起こったボヤとそれを知らずにパーティーに興じる最上階の人々の画は、『タイタニック』での同じようなシーンを思い起こさせました。富と英知を結集させた完全無欠なる(或いは完全無欠に見える)モノの中にも、必ず潜んでいる人間の奢りによる小さな綻び。その小さな綻びが完全無欠なるモノを根こそぎ崩壊させる、この怖さは今も昔も変わりませんね。
そして、運命というものの過酷さも。 あの日あの時あの場所に居ることになった運命。特にリゾレット(ジェニファー・ジョーンズ)の定めには無情さ感じ、彼女の最期には言葉を失いました。


                       タワーリング 1.jpg

スティーブ・マックイーンの名が出ていませんでしたね、失礼。本作で彼は決死の救出作戦に打って出る消防隊長オハラハンを演じています。心ニクイ台詞が幾つか。そして美しい碧眼にはドキッとしてしまいました。


  さて、スマホに投入している節酒アプリ<iLovebeer>(いや、これは実は全然節酒に効いていないのは拙ブログで述べましたが…今年4月11日に記事アップ)では、私の飲酒量は缶ビール換算の高さで表すると本日で175mに達しました。
東京スカイツリーは634mとか、、、ならばスカイツリーに届くまであと約460m。それってどれくらいなのか今一つ実感湧きませんが、まあとにかく頑張ります。・・・って違う違う!! このアプリは節酒用に投入したアプリだってこと、また忘れてました、頑張っちゃダメなんですよね。

そんなこんなの、某日のちょい呑み画像。

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2013年07月15日

スタンリーのお弁当箱


  梅田ガーデンシネマで『スタンリーのお弁当箱』(アモール・グプテ監督)観ました。

ネット上の評判もよかったのと、そういえばインド映画って久々だなぁっていう思いから。美味しそうなお弁当の中身にも興味があって・・・。

story
 みんなを笑わせるのが大好きなクラスの人気者スタンリー(パルソー)は、家庭の事情で学校にお弁当を持ってくることができず、昼食の時間はいつも水道水を飲んでお腹を満たせていた。そんなスタンリーを助けようと、級友たちはお弁当を分けてあげるが、食い意地の張ったヴァルマー先生(アモール・グプテ)に見つかって弁当を取り上げられた上、スタンリーは先生から「学校へ来なくていい」と言われてしまい・・・。
 
                      スタンリー 1.jpg
                          ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


   中盤までこれってコメディーなのだったのか?とちょっと悩んだほど、謎の教師ヴァルマーのあり得ない言動に唖然とし、お弁当をめぐる「ヴァルマー VS. スタンリーとクラスメートたち」の構図が随所で笑いを誘いました。
しかし勿論、本作は“笑えるお弁当カルチャームービー”では決してなくて、物語の進行と共に実に多くのものが見えてきたのでした。

何故スタンリーはお弁当を持って来ないのか。
何故彼は放課後、級友たちとのゲームに加わることなく真っすぐに帰ってゆくのか。
何故いつも汚れた制服を身につけ、顔にうっすらと痣をつくっているのか。

何となく彼が不幸せな状況にあることは想像に難くないのですが、とにかくスタンリーの明るさと真っ直ぐさが眩しくて、そうじゃない違う答を探してしまうのでした。

トンデモ教師のヴァルマーもいれば、心優しくて美しい女教師ロージー(デイビヤ・ダッタ)もいて、スタンリーを温かく見守ってくれます。
何より、本当に何より、スタンリーの級友たちの絆が半端じゃなくて、彼を理解し守ろうとする姿が健気でとても愛おしいのです。毎日豪華なお弁当を持参して携帯電話まで持ってるお金持ちのアマンくんの包容力、リーダー的存在のアビシェークくんの凛々しさ、的確な判断力と行動力。喧嘩はしてもイジメはない、「本当にいい子たち」な彼らに、私はものすごく温かい贈りものをもらった気分になりました。
苛酷な状況にあっても見守ってくれる者がいることで人は前を向いて歩いて行ける・・・本作のキモはここなんやろうなぁって思いました。
なかなかの佳作品でしたよ。

                       スタンリー.jpg

オープニングとエンドロールにテロップで映画制作にかかわった教育関係者全てへの謝辞と、子どもたちが一日も学校を休むことのないよう撮影が行われた経緯などが示されます。
グプテ監督のインドの子ども教育への真摯な姿勢が深く感じられましたし、5000万人にも及ぶ就労児童が当国に存在することを示すことでインドという国が抱える貧困問題への厳しい眼差しも伺えました。

この心優しき社会派監督は、本作で憎まれ役の教師ヴァルマーを見事に憎ったらしく且つ怪しく(ホントに怪しい!)演じておられます。主人公スタンリーを演じたパルソー君はなんとこのグプテ監督のご子息らしいです。

                       スタンリー 4.jpg

子どもたちや先生たちが持参するお弁当はどれも美味しそうでした。
サフランライスは色鮮やかだし、豆や野菜が七変化。でも何よりやっぱり「愛情」ですなぁ、お弁当は。


***最後に三言***
■謎をまとったまま姿を消したヴァルマー先生。最後の最後にもう一度登場して何らかの変化を見せてほしかった気がします。
■インド映画に派手な歌と踊りは付き物なのかもしれませんが、随所に流れるあの啓蒙的な歌詞の歌は無い方がよかったのじゃないかと。
■ロージー先生の結婚相手が最後にちょっと登場するのですが、かなりカッコイイ男優さんで、まさに美男美女カップルなのでした。



                       純大吟 飲み比べセット.jpg

  アマン君のお弁当箱は豪華四段重ね。
こちらは純米大吟醸三種重ね…じゃなくて横に並べての三種飲み比べセット。<咲くら・大阪丸ビル店>にて。
目の前でボトルから注いでくださるお店の女性に、「たっぷり入れてくださいね」と声色優しく脅迫。







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2013年07月03日

「理由」 (かなり久々の再読)


   少し前まで通勤電車の携行本は、かなり久々の再読本、『理由』(宮部みゆき著)でした。
(因みに今は江國香織さんの連作短編集です。もうこちらも読了間近です。)

『理由』は単行本(朝日新聞社)が出た時に購入し一気読み。その後、持ち歩いての再読用に文庫本(朝日文庫)も購入したものの、実はなかなか手に取ることのないままだった一冊でした。

抒情的表現が排除された、(ある事件を)客観的に叙述した報道的文体が延々と続くので、再び手を出すのには「読むぞ」という気概めいたものを要したからだと思います。また読むのはちょっとしんどいかな…っていう気持ちになってしまって。それに、、、重い。文庫本でもこれは重かった。些事ですが私は会社には毎日お弁当を持っていってるので、細々とした荷物に加えてこのぶ厚い文庫本は少々キツかったです。しかしあることが切っ掛けで再び手に取りまして、読み始めるとやっぱりぐいぐい引き込まれてつい先日に晴れて再読了。


                       理由 二冊.jpg


単行本で読んだ時も同様のことを感じましたが、やっぱりこの小説には作家・宮部みゆきさんの圧倒的な取材力を感じましたね。勿論、本作はフィクションですから「取材力」というのは「取材を構築する力」ということです。
至極冷静な眼差しと、ご執筆時のご年齢-30代後半-にしてまるで老成人を思わせるような筆致に唸る思いでした。


どのような事件にも「理由」があると思うのです。
人々がふとしたことでその大きな波に飲み込まれてゆく、背景と理由が。

事件を通じて実に多くの人々が細い(時には太い)線でつながっているのですね。そして複雑な、或いは誰でもが抱えているであろうごく普通の「事情」が幾重にも絡み合っているのであろうこと、そして誰もが気がついたらどうしようもない深みにはまってしまっているのであろうこと、更には「家族」というものの成り立ちの、ある意味“不確かさ”みたいなものも、この小説にはこれでもかというくらいに描かれていたように思います。読んでいて、普通に暮らしているつもりでも「ある日どこかにポッカリあいた穴に足をとられてしまう」かもしれない怖さを少なからず感じました。


 映画化された時に観に行こうかとチラシは持っていたのですが、結局劇場には向わずじまいでした。
映画情報サイトで見てみて「ああ、なるほどなぁ」って思えた俳優さんは「八代祐司役の加瀬亮さん」と「宝井綾子役の伊藤歩さん」、それからちょっと別の意味でなるほどと思えたのが「イーストタワーの住人・B子役の裕木奈江さん」。配役の妙とやらを(何となく)感じます、やはりいつかDVDででも観てみたいですね。


   タツリキ.jpg  神力と美酔香泉.jpg  雄町.jpg

  こちらは、とある日の姫路のタツリキ(本田酒造)アンテナショップでの(有料)試飲です。
先ずは<龍力・特別純米の神力、無濾過生原酒>と<純米吟醸・美酔香泉、生原酒>をおつまみと共に。 そして大好きな酒米・雄町で作られた<龍力・特別純米の雄町、無濾過生原酒>も追加。
滞在時間は約30分。 こういう「独りサク呑み」もなかなかよいものです。


 本日、悲しい報せが届きました。東の方を向いて偲ぶ盃を掲げます。

 みなさんにとっての明日が、どうぞ佳い一日でありますように。




posted by ぺろんぱ at 20:09| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記