2013年06月22日

ビル・カニンガム&ニューヨーク


  気が付いたら劇場での映画鑑賞は『ハッシュパピー』(4月30日レヴューアップ)以来です。

デイタイムでの上映は21日迄らしく、気になって仕方がなかったこの作品を観にシネリーブル神戸へ。(会社早退しました(^^ゞ)
『ビル・カニンガム&ニューヨーク』(リチャード・プレス監督)です。

ビル・カニンガムという御名を、この映画の情報に触れるまで私は全く知りませんでした。
だからNY.の最先端のファッションや彼の独自のカメラワークが観たかったというわけではなく、その生き方(大好きな一つのことを為すために徹底して他の要素を排除する)に触れてみたくての選択でした。

story
  「The New York Times」の人気ファッション・コラムと社交コラムを担当する大御所写真家、ビル・カニンガム(1929年生まれ。御歳84)の実像に迫るドキュメンタリー。
ファッションに魅了され、50年間ニューヨークでストリート・スナップを撮り続けてきたチャーミングな彼の知られざる素顔を描き出す。ビルをよく知るアメリカ版「VOGUE」編集長のアナ・ウィンターら有名人が続々登場。カメラ片手に自転車で街に出て、セレブも一般人も関係なく、ただひたすら魅力的なファッションだけをカメラに収めるプロ根性が描きだされる。

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     ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


私事ですが、それなりに歳をとって時間や能力の限界も見えてきて、なのにいろんなことで忙殺される日々で、漠然とこれではいけないなぁ、自分を見失ってはいけないなぁ、と感じていました。
だから、最も大切なものを一つ選択してあとは全て捨て去るというビルの生き方に触れて、ではこの先、自分がもっともっと歳を経て一人になった時にいったい自分には何が残るのか、大切なものとして残せるものが私にあるのか、自分がビルのような生き方を率直にどう感じるのか、それらを知りたいという思いがありました。「こんな生き方もあるんだなぁ」とふっと肩の力を抜きたかったという思いも実はあったのかもしれません。(ごちゃごちゃ書いてすみません、まあ、そんな感じで選んだ映画だったんです。)

ビルの生きざま、そして彼の吐く言葉たち。
それは実に小気味良い刺激となり、思惑通り?癒しにさえなりました。

 ●バスルームとトイレは共同の小さなアパートメントに住み、
  フィルムの入ったキャビネットに囲まれ、食事は殆どバーガーとコーヒー。
  「コーヒーは安ければ安いほどありがたいよ。」
 ●動きやすい清掃員用のジャンパーを常に着込み、破れたらテープで補修。
  「どうせまた直ぐ破れるんだからね。」
 ●VOGUEから渡された報酬の小切手を破り捨てたとか。
  「カネをもらわなければ口出しもされないからね。」
  「自由より価値のあるものなんてないよ。」
 ●皆、ビルに撮られることが誇り。
  どんな著名人の豪華なファッションも興味が無ければ撮らないビル。
  「タダで着飾った有名人には興味が無いね。」
 ●「誰でもセンスはある。ただ、勇気が無いだけなんだ。」 
  ↑ あー、これは私を含む多くの日本女性へのエールと受け止めましょうか(笑)。

そうやって彼が撮った数多の写真はどれも活き活きとしていて楽しくて、目にもとっても鮮やかで、撮られる側の人たちの喜びと高揚感が写真全体から感じられるのです。
「まいったなー、凄いおじいちゃんだなー」って、ビルのしわくちゃの笑顔もとってもカッコよく見えましたよ。

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しかし・・・、しかし、です。

最後に本作の監督が「答えたくなければ答えなくていい」と前置きしたうえでビルに投げかけた2つの質問。これによって本作は全く別の意外な側面を持つものとなりました。

特に二つ目の問いに、ビルはそれまでの和やかな表情を一変させ心乱された様子で深くうなだれます。何より、スクリーンを通して観ている私自身が、深く烈しく心乱されました。
しばらくの沈黙のあと、彼は前を向いてきっぱりと答えを返すのですが、そのときの深く刻まれた皺に、心の奥にしまってあった本当のビルが見えた気が私にはしたのですよね。もしかして、ビルが最も手に入れたかったものは他にあったのではないか、彼が心の底から欲したものが他にもう一つあったのではないか・・・そんなことが頭を過った瞬間でした。

二つの問いは、それぞれ、彼の「性」と「信仰」についてのものでした。
結局のところ、私には本当のことは分かりません。あの問いとビルの答えが示す真の意味を。しかしあの時、私にはビルの深い諦念が感じられた気がしたのです。信仰によって自らを律し、神の前で祈りを捧げ続けなければ守り得ない彼の中の「何か」があることを。
ああ、だからビルはこうも言っていたではなかったか・・・「ファッションは鎧。日々を生き抜くための。捨てたら人生は終わる」と。ビルにとってはファッションを撮り続けることが鎧だったのかもしれません。「他の一切を捨て去る」ことは、彼にとっては深い悲しみに裏打ちされた宿命だったのかも。

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頑固でクールな生きざまを貫いてる老紳士の、ファッショナブルなドキュメンタリー映画というだけではなかった。私にはむしろ、私生活を知られていなかったビルの、初めて「孤独」な顔が浮かびあがった人間ドラマのようにも感じられました。
ある生き方を貫き通すにはそれなりの覚悟が要るのですね。生きることの厳しさを教えられた気がしました。


演出は、フィルムの繋ぎ方なんかにとてもスピード感がありました。
字幕を追っていたらあっという間に入れ替わる素敵な映像を見逃してしまうほど。
そしてニューヨーカーたちはやっぱりエネルギッシュ。「自分たちが世界の中心にいる」という、良くも悪くものプライドがそのエネルギーの源なのかな。
ニューヨークは16年ほど前に何日か滞在したのみ。いつかまた訪れてみたいものです。


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  劇場での映画鑑賞はほんとうに超スローペースになってしまいました。
こっち(日々の乾杯)はなんとか健在。
某日、独りでふらりと訪れた立ち呑み屋さん(オサレ系の立ち呑みです)にて。 生ビールと、神戸の地酒<仙介 特別純米しぼりたて生>です。




posted by ぺろんぱ at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年05月29日

この愛のために撃て (BS録画鑑賞)


  更新が大幅に遅れてしまいました。

劇場での映画鑑賞も叶っていませんので、今日は先日BS録画していた『この愛のために撃て』(フレッド・カヴァイエ監督)のお話を。

2011年夏の日本公開時には、もともとヴァイオレンスタッチのものが苦手なのと物々しい感じの邦題に引けて劇場鑑賞を見送ってしまったものでしたが、本作、なかなかの見応えでした。
母の病の現実に向き合って少なからず疲弊した脳に、この映画はいいカンフル剤となりました。

story
  パリ市内の病院に勤務する看護助手のサミュエル(ジル・ルルーシュ)は、出産を間近に控えた妻ナディア(エレナ・アナヤ)と幸せな日々を送っていた。ところがある日、帰宅した彼は暴漢に襲われ妻を誘拐されてしまう。やがて誘拐犯から「3時間以内に一人の入院患者を病院から連れ出せ」との有無を言わさぬ指示が入る。その患者とは、昨夜、交通事故で重体のまま運び込まれた重要事件の容疑者サルテ(ロシュデイ・ゼム)だった。腹をくくり、サルテをどうにか連れ出したものの、これによって警察からも追われる身となってしまうサミュエルだったが…。

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                        ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  ノンストップな展開に、ただもうサミュエルとナディアの運命や如何に、と。
作品の良し悪しを測る以前に、ナディアは無事に出産できるのだろうかって、それがとにかく気になって。
そこはまあ迎えるべき結末を迎えるのですが、それにしても夫サミュエルの、常人でありながら常軌を逸したかのような“最大級のアドレナリン放出振り”ったら半端じゃないです! (先ず最初の決断が、凄い。)
原題の「A Bout Portant」は、調べてみると「至近距離で銃口を」というような意味らしく、それも臨場感たっぷりの本作にふさわしいタイトルなのですが、大仰と感じたこの邦題「この愛のために撃て」も、まさしく“その通り!”のタイトルだったのですよね。
「愛のために」銃口を突き付けるサミュエルの姿は、勇ましくも痛々しくて。


  観終わって本作を静かに振り返ってみると、悪役には悪役の美学が必要で、本作はそこが際立っていてよかったと思いました。
犯罪組織のメンバーですが結果的にはサミュエルを救うことになるサルテ(ロシュデイ・ゼム)が私的には本作で一番の存在感でした。その孤高な眼差しにシビレます。
端正な顔立ちに憂いを秘めた優しい眼差しが最後まで“最も悪いヤツなのに”そうは見えなかったヴェルネール(ジェラール・ランヴァン)も、最後の最後、ホテルの一室でのシーンで彼なりの美学(もたらされる死を宿命と受け入れる)が光り、ああ、この役者さんの憂い顔は決してミスキャストじゃなかったのだと理解しました。

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物語の展開は、途中からは“その背景にあるもの”が何となく見えてくるので「どんでん返し」というものはありません。
むしろ本作は、事件に関わる一人一人の其々のキャラが浮き彫りにされていてそれが面白いです。
“こっち派”の女刑事ファーブル(ミレーユ・ペリエ)と彼女の筋金入りの部下・スジール(クレール・ペロ)とか、“こっち派”的精神を秘めていたように思えた“あっち派”のスキンヘッド刑事、とかね。

主人公サミュエル役のジル・ルルーシュは序盤はオーラの出具合が地味に感じられたものの、その無骨で真面目さ以外に取り柄のないような男性が愛する女性のために(ためだけに)ここまでのことをやってのけるという過程こそが本作の「骨」なのであることを鑑みるに、ジル・ルルーシュもまた、決してミスキャストなどではなかったのだと深く納得しました。

85分という潔いフィルムの時間も魅力的。きっちりと楽しませてくれました。

ロシュデイ・ゼム、他の出演作も観てみたいです。
『あるいは裏切りという名の犬』(2004年フランス映画)にもご出演だったらしい・・・これは本作と同じ理由で劇場鑑賞を見送った一作でしたが、今となっては観てみたいですね、是非。



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  外呑みにもなかなかゆっくりと行けていませんが、それでもアルコールは日々欠かせぬ癒しの水です。
少し前の画ですが、芋焼酎<天使の誘惑>。これはやっぱりオン・ザ・ロックで。



posted by ぺろんぱ at 20:01| Comment(8) | TrackBack(1) | 日記

2013年05月07日

フラガール (BS録り鑑賞)


   今年2月にBS録りしていて未見のままだった『フラガール』(2006年制作 李相日監督)を、GW某日、一人静かな夜に鑑賞しました。
松雪泰子さんと蒼井優さんはどちらも好きな女優さんですし、公開時の評判も良くて当時から気になっていた一作でしたが、それにしても今回の鑑賞まで随分長く時間がかかってしまいました。

当然ながら傍らにアルコールを置いて呑みながらの鑑賞でした。
酔いも廻って感情の揺れ幅もマックスだったからでしょうか、、、観ていて号泣に近いほどに泣いてしまいました。

story
  昭和40年代、炭坑の閉山で活気を失った町の再生を期して計画されたレジャー施設“常磐ハワイアンセンター”(現・スパリゾートハワイアンズ)誕生にまつわる秘話を映画化した物語。施設の目玉となるフラダンスを教えるため東京から呼び寄せられたダンス教師・平山まどか(松雪泰子)と地元の炭坑娘たち(演じるは蒼井優、徳永えり、山崎静代ら)との葛藤と心の成長を描く。

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                   ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させていただきました。


  衰退しゆく炭鉱の町が抱える不安、事故による悲劇。
人の命の脅かしと引き換えに成り立つ産業、いいえ、成り立ちすら危うい状況で、この産業に関わり続ける限り命の脅かしだけは永遠に続くという厳しさ。

その地で、そんな男たちを支える女たちは強く逞しいです。
支えるだけでなく自らの人生を切り開こうとする何人かの女性たちは、更に強くしなやかで輝いています。前を見、決して振り返らない潔さがあります。ただしそれは炭鉱の町で生きている自分自身と辛うじて“ぎりぎり”のところで均衡を保っている上でのことで、彼女たちの逃げ場のない刹那な想いに突き動かされてのことだったのは否めません。

重苦しい現実から心だけでも抜け出そうともがく女の子たち。それぞれ、新しい未来を生きる自分を胸に抱いて一心に踊りに取り組む姿には健気な輝きを見ます。挿入される紀美子(蒼井優)のフラの舞い姿は、だから、優美というより逞しくしなやかな力強い美を感じさせて感動的でした。

でも変わったのは彼女たちだけではありません。むしろ、大きく変わったのはフラの講師として招かれたまどか(松雪泰子)だったと思います。人生を半ば捨てたかのようだった彼女が、どん底でフラガールを目指す女性たちと関わりながら自らもどん底にあった過去を乗り越えてゆく過程には素直に心が踊りました。


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さらにもうひとり、心惹かれた女性がいます。
紀美子と親友でありながら(最初にフラを志したのは紀美子ではなく実はこの子でありながら)炭鉱職をクビになった父親に連れられ町を去ってゆくことになった早苗(徳永えり)です。
健気で本当はとても賢い女の子であるがゆえに、彼女のことは不憫で仕方なかったですね・・・きっと彼女なりの意思でもって強く生きてゆくであろうと思うけれど、彼女の行く末がどうしようもなく気になって気になって。これはこの映画が幕を閉じた今も、ずっと心にあります。

だから、紀美子の素晴らしいフラのシーンも喝采モノですが、私が好きなシーンを上げるとしたら次の二つでしょうか。
旅立つ早苗を見送るまどかが彼女をぎゅうっと抱きしめるところ。そしてそのシーンの前に繰り広げられた、早苗の身勝手な父親(高橋克実)をブッ飛ばずべく、まどかが銭湯の男湯に殴り込みに行くシーン。
人間、誰かに見守られていると感じることの、どれほどに幸福感を得られることか。まどかにとって、おそらくあれが、この炭鉱の町に来てから初めての“誰かを守ろうとした瞬間”だったのだと思います。



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  しなやかに生きる女性は美しいですね。
こちらの Bar.Vのママさんもそんなお一人です。初めてお伺いしてから四ヶ月ぶりに、先月の終わりごろ再びふらりとお邪魔致しました。覚えて下さっていて嬉しかったです。
この日はターキーのハーフロックとミックスナッツを。
前回みたく「また来ます!」と言っていながら嘘つき女になってしまうのはやっぱりイヤで、この日は「ご馳走さまでした」とだけ言ってお店を出ました。・・・でも、またお伺いしますね、いつかきっと。



 




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2013年04月30日

ハッシュパピー バスタブ島の少女


  シネ・リーブル神戸で『ハッシュパピー バスタブ島の少女』(ベン・ザイトリン監督)観ました。

こんなにワイルドで、こんなに強く揺さぶられる作品とは思っていませんでした。

少女の目で捉えた世界はいくつもの神秘的なルールに満ちていて、「生きる」ことの原点をこの小さな少女から教えられたようでした。

story
   6歳の少女ハッシュパピー(クヮヴェンジャネ・ウォレス)は、“バスタブ”と呼ばれるコミュニティーで、父親のウィンク(ドワイト・ヘンリー)と暮らしている。閉鎖的な場所であったものの穏やかな日々を送っていたが、ある晩、嵐が全てを奪い去る。突然大好きな場所や仲間を失ったハッシュパピー。途方に暮れる状況の中、ウィンクが重病であることを彼女は察知し…。


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                    ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


   大地に踏ん張り、風の声を聴くハッシュパピー。 「ここで地球と仲良く暮らすの」と言った彼女の言葉。
仲良く暮らし続けるには自然の驚異は大き過ぎ、バスタブ島を見下ろす他の世界はあまりに文明優先で現実的且つ実利的過ぎ、ハッシュパピーやウィンクたちはを打ちのめされ孤立してしまう・・・「感じて生きろ!それがオレたちだ!」と言うウィンクたちには、バスタブ島だけが生きる場所なのです。

他の世界はバスタブ島には無いもので満ちている。けれど彼らにとって一番大切なものが、他の世界には無い。
しかし本当は、世界はこうではなかったか。
バスタブ島に生きる彼らのように、認識や理論を超えて地球の鼓動を“感じる”ことで生きてきたのではなかったか。
「あまりに文明優先で現実的 且つ実利的過ぎ」なこの世界ももしも地球規模の大災害が起これば一瞬にして壊れてしまうかもしれないのだとすれば、多くの生きる術を失くしてきた私たちはなんて無力なのだろうか。


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 感じることでハッシュパピーは大地の声を聴くことができ、おそらくは彼女にしか見えていないであろうビースト(beast 獣)の群れを見、恐れます。ビーストは 絶滅した野獣オーロックスか? 彼女は言います、「弱いところを見つけてビーストはやってくる」と。
だから、渾身の力で重病の父を救い出し島で彼を看取った彼女はもうビーストを恐れることはなかった。
強さをまとえば、ビーストはそれを勇者とみなしてくれる。ハッシュパピーは「家族を守る」という真の強さをまとったのです。小さな彼女が雄々しく見え、 ビーストとじっと向き合う姿は感動的でした。  

  ワイルドで力強さが漲る作品でありながら非常に幻想的で不思議な魅力に満ちています。
巨大なビーストの姿には、神との融合を感じさせるような神々しささえ感じました。母親との再会を匂わせるようなシーンには夢現のような優しさを感じさせますが、そこから間違いなくハッシュパピーは更なる強さ(独りでも生きてゆくという強さ)を身にまとったとも言えます。

「強く生きろ」という叫びが、この作品の“すべて”から聞こえてきた気がしました。



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さて、久しぶりにお伺いしたJazz Bar Wishy-Washy さんで。 デジカメでないと上手く撮れないと思っていましたが、この日はデジカメを持参していなかったので仕方なく携帯のスマホでパチリ。 オートのフラッシュを外して撮ってみたのですが、ちょっと暗いですが意外とイイ感じで撮れました、よかった。

美しい姿のカクテルです。このお店のオリジナルカクテル(拙ブログには何度か登場)で、その名も Wishy-Washy です。 ロングカクテルですが、結構アルコール度数は高く酔えます。

美しい姿のカクテルを呑んで、酔っ払って美しくない姿で帰途につく私、、、千鳥足は危険です。



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2013年04月22日

色彩を持たない多崎つくると、…ほか、一冊


  数日前に春樹新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)を読み終え、現在の通勤電車中の友は友人apさんが貸してくれた伊坂幸太郎著『終末のフール』(集英社文庫)です。


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この新刊『色彩を…』、実は想像していたよりも“しっくりと”馴染んだ一作でした。

例えば直近の先品で言えば、『1Q84』は二度読んだのですが何故か、青豆と天吾くんに(彼らそれぞれの一番大切なところに)私は近づききれなかったのじゃないかという思いが残っているのです。それは、心の赴くままに春樹小説を読み耽っていたひところに比べて、きっと私自身が歳をとったせいなのかも知れないなと感じたりしていました。自分でも気付かないうちに心のノリシロみたいなものが擦り減ってしまったのかもしれないな、と。
比べるものではないかもしれませんが、しかしこの『色彩を…』の多崎つくるクンには、すぅっと自然に寄り添うことが出来たと感じます。
あるいはそれも、私自身が歳をとったせいかもしれません。(これは、本作を読まれた方には何となく分かって頂けるのではないかと思います。)
もうワンステージ語って欲しかった思いも否めませんが、でもその、掬いきれずにちょっとこぼれゆく感覚もまたヨシ、なのでしょう。

読んでいて、何度か『神の子どもたちはみな踊る』(春樹さん著 新潮 全6話)とのシンクロを感じました。春樹さんを通して、あの出来事の深く荒々しい爪痕とソレが一瞬にして奪い去っていったもの、そして今を生きる我々に改めて突き詰められている事々、それらを改めて感じさせられた今です。

読後の余韻に少し浸って、次は『終末のフール』へ。
二話を読み終えて未だ三話目に入ったところですが、物語の設定は興味深いです。地球規模で各地に種々の災害が頻発している今、このシチュエーションをあながち「空想の世界」と一蹴することは出来ないと思うのですよね。
想いが失速することなく一気に読了できればいいと思いつつ、今日も頁を繰りました。
帰途の車中では、追いかけてきていた夕陽がいつの間にか正面にまわって、ものすごい存在感のアピールでもって照らしてきました。エネルギーチャージ。 取り敢えず明日もまた頑張れそうかな。

  もうすぐGWですね。ぴかぴか(新しい)
4月中に、近日公開の一本を観ておきたいところです。


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さて、先日ちょっと暖かかった時の<麦焼酎水割り>の画。
少し前まではお湯割りだったのに。 季節の移ろいは日々いただくお酒でも感じるのですね。




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2013年04月18日

天使の分け前



  シネ・リーブル梅田で『天使の分け前』(ケン・ローチ監督)を観てきました。

上映前のシアター内に流れてきたのは本作のテーマ音楽、プロクレイマーズの「I'm Gonna Be (500Miles)」という曲。これは大好きだった映画『妹の恋人』(ジョニー・デップ主演、1993年日本公開)のテーマ曲でもあった音楽ですので、否が応にも期待が膨らんでいったのでした。
さて・・・。

story
  いつもケンカばかりしている青年ロビー(ポール・ブラニガン)は、トラブルを起こして警察ざたに。しかし、恋人との間にできた子どもがそろそろ出産時期を迎えることに免じ、刑務所送りの代わりに社会奉仕活動をすることになる。まともな生活を送ろうと改心した過程で指導者のハリー(ジョン・ヘンショウ)に出会い、ウイスキーの奥深さを教えてもらったロビーはその魅力に目覚めていき・・・。

                      天使の 1.jpg
                     ※story、画像とも、映画情報サイトよりの転載です。

  
  ウイスキーの芳香がスクリーンから湧き立ってくるような映画でした。

ご存知のこととは思いますが、「天使の分け前」とは、ウイスキーなどを樽で熟成して味わいを深める過程で毎年2%ほどが蒸発して失われていくこと、です。その失われていった2%のアルコールを、お酒造りに関わる人々は「天使の分け前(Angel's share)」と呼んでいます。とっても素敵な言葉ですよね。


  仕事にも就けず、犯罪や暴力依存の日々。そこから“変わって”ゆこうとする若者。
劇中の台詞を借りれば「心のすさんだならず者」が主役なのは、ハートフル・コメディと銘打たれる本作ながら、底辺社会を生きる厳しい現実を描き続けてきたケン・ローチ監督らしさを感じる世界でした。

物語の展開は想像していたのとは違って、「変わる」ことの起爆剤に彼らが選んだ行為がやっぱり犯罪(窃盗)だったことに初めは違和感を拭えなかった私です。
しかしそのことに言及するのは野暮なことかなと、途中から棚に上げました。あれも謂わば「天使の分け前」だったと考えれば、それはそれで愉快な展開と思えなくはないですから。 ココが、この映画に乗れるか否かの、ある意味「分岐点」だったのかもしれません。


私は、、、たった一つでも何かに秀でるということ、そしてそれを見つけることができるということ、その素晴らしさをつくづく痛感させられた本作でした。
ロビーの場合は、確かな鼻と舌(テイスティング技量)でした。そして自分が感じた味と香を“素直な”言葉で表現できる真っ直ぐさも。

極上のウイスキーをストレートで口に含み「不味い」と顔をしかめたロビーが、少しの水を加えたそのウイスキーの香に今度は小さくハッと表情を変えた瞬間、私はスクリーンの前で鳥肌が立つのを感じました。だってウイスキーって、少しのお水を足すことで香がグンと際立つアルコールなのですから。凄いな、ロビー・・・って思いましたよ。
才能、そして未知なる自分、明けゆく未来、それらとの邂逅の瞬間でした、あれはまさに。

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しかし、その才能の開花だけでロビーが変わっていったわけではないのがこの映画の愛すべきところです。
そこには愛する恋人とベビーがいて、悪タレだけど守りあう仲間がいて、何より、どん底にいたロビーに手を差し伸べてくれた指導員のハリーがいたのです。ハリーもまた、違う意味で寂しい中年男性なのでした。

本当の「天使の分け前」を見たラストは、じんわり涙、です。


あー、美味しいウイスキーが呑みたくなりましたー。


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でも今日のところは、私的ソウル・アルコールの日本酒を優しい笑顔のママさんのいらっしゃるお店で。
この画は剣菱のひや、です。




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2013年04月11日

アプリ 「iLovebeer」 に想う


  レコーディング・ダイエットっていうの、ありましたよね。
ならば「レコーディング・節酒」というのもアリじゃないかしら、と我がスマホに投入したアプリ「iLovebeer」です。(※禁酒するつもりはありません、というか、できません。なのでせめてもの節酒。)

日々付けている日記帳に書き留めることも試してみたのですが、私の場合、日記にはいろいろ他に書きたいことがあって、小さな欄は直ぐに埋まってしまうのでダメでした。

そこで発見したのが「iLovebeer」。
ただ、これはビールの量しかインプットできないので(無料アプリだからその辺が限界なのかも)日々摂取する様々なアルコールを自分でビールの本数に換算して記録しています。

毎回(=私の場合、毎日)インプット
する度、それまでに呑んだビールの量(ml)、缶ビールのサイズで換算した高さ(m)、お店でビールを買ったとしての金額(円)、更には「ビールを我慢したら購入できたモノ」が品物として紹介されます。


                アプリ1.jpg  アプリ キャラおじさん.png

                         ※画像はスマホアプリのサイトから転載させて頂いております。                    


この「ビールを我慢したら購入できたモノ」が結構面白くて、このアプリを使い始めてからというもの、
<たらば蟹のカニしゃぶセット>
<シルクのワンピース>
<ノートパソコン>
<スイートテン・ダイヤモンドリング0.2ct>
<L字型デザイナーズ・ソファーセット> と、どんどんゴージャスになっていってるんですよね。
いつぞやは<うまい棒 9,800本>なんていうのも出たこともあって笑っちゃいましたけど。(だって一本か二本で充分やし。)
何だかこの先どんな高価なものが出てくるのか楽しみになってしまって「さて今日は?!」と張り切ってしまっている自分に気付いたりします。

おまけにこのアプリ、キャラクターの中年オジサンが「毎日お疲れ様です」や「会いたいと思ってたんですよ」や「飼い犬が私に冷たくて」とか、「最近バーニャ・カウダにハマってるんです」とか「元気出してください」とか、アプリを開くたびにいろんな言葉をかけてくれるのでどんどん親近感が増してしまって・・・。

そうなのです、要するに、全然「節酒」になっていない!!のです。 たらーっ(汗)

どなたか、飲酒量管理に有効なアプリをご存知ないでしょうか。 あったら教えて下さい。
あ、先ずは「自覚」の問題ですかね、
そうですよねきっと。



かく言う私は、最近もこんな感じでずっと呑んでます。
いただいた美酒、二種です。グラスもその時の気分で変えて、味わいも多彩に。
相変わらず呑んでばっかり、です。 アプリの効能以前の問題ですね、すみません。

        土佐鶴純米大吟醸 1.jpg  香住鶴山廃吟醸 1.jpg


春樹さんの新刊、明日発売ですね、楽しみです。






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2013年04月03日

偽りなき者


  シネリーブル神戸で『偽りなき者』(トマス・ヴィンターヴェア監督)を観てきました。
これはもの凄く辛いだろうなぁ…と鑑賞を躊躇っていたのですが、やはり観ておきたたかったのでリブ神に足を運びました。

story
離婚と失業の試練を乗り越え、穏やかな日常を取り戻したかに思えたルーカス(マッツ・ミケルセン)は、ある日、親友テオの娘・クララ(アニカ・ヴィタコプ)の作り話が元で変質者の烙印を押されてしまう。無実を証明できる手立ては何もない。あるのはクララの証言のみ。クララの言葉を信じ込んだ人たちは、身の潔白を説明しようとするルーカスの声に耳を貸そうとせず、ルーカスは仕事も親友も、そして信用も全てを失ってしまう。そしてルーカスに向けられる憎悪と敵意は益々エスカレートし・・・。

                      偽りなき者 1.jpg
                          ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


※結末に触れる記述をしております。


  邦題「偽りなき者」と原題「JAGTEN」では、この映画の視点そもののが違ってきます。
オープニングで原題「JAGTEN(「狩り」の意)」がスクリーンいっぱいに映し出され、否が応でもこの「狩り」なる言葉が心を占めることになりました。そして結果的に、本作はこの「狩り」の意が実に多くのことを物語っていたのでした。


この地方には伝統的な風習としての「鹿狩り」が存在し、男子がいわゆる一人前の大人として認められる儀式的なものとして、また大人の男たちの社交の場としても盛んに行われていたようです。
デンマークの美しい秋の風景の中、清澄な空気を天まで貫くようにとどろく一発の銃声。ルーカスが仕留めた一頭の鹿。
一瞬にして命を絶たれ横たわる鹿を前にルーカスの顔には清々しささえ感じられるほどの満足感が浮かんでいて、絶命した鹿の顔面が大写しにされるや否や、何やらただならぬ心のざわつきを感じずにはいられなかった私でした。これは何か途轍もなく厭なことがことが起こるのではないか、、、それが直感としてスクリーンから漂ってきた空気でした。
その後にルーカスの身に起こった一連の出来事はまさに「人間狩り」のような世界。疑惑は確信に姿を変え、やがて彼の家族をも標的に、底知れぬ憎悪となって彼らを襲う。スクリーンの前で凍りつくほどに、その憎悪と敵意は執拗に彼らを追い詰めます。
想像だにしなかったラストシーン。その衝撃と当惑は、狩る者に芽生えた憎悪と執念と狩られる者に課せられた恐怖と絶望は、一度芽生えたが最後、二度と消えることはないのだということを一瞬にして観る者に悟らせた気がします。この演出は凄いなぁと思いました。

                      偽りなき者2.jpg

事件の背景には幾つかの「気付かぬ罪」があったように思えます。

クララの嘘。たとえ小さな乙女心が傷つけられたにせよ、なぜクララはあの一瞬にあそこまで残酷になり得たのか。彼女の抱えていたであろう精神的疾患のようなものも一因かもしれないし、彼女の両親が果たしてそんなクララに十分な愛情を注いでいたかどうかとなると疑問でもある。何より、クララの兄とその友達が直前にクララに見せたある一枚の写真が彼女のあの嘘を誘発したとは言えはしまいか・・・。そして園長のグレテ。重大な案件にも関わらず、なぜ十分な調査も行わず事態の公表に踏み切ったのか。
それら何人かの、本人すら気付かぬ罪が重なってルーカスを追いつめる事態になったのは否めないと思います。けれど狩られて処刑されてしまうのは無実のルーカスただ一人。無念で悔しいです。
この地を包む空気はこれほどまでに澄んでいるというのに・・・樹々の彩りはこんなにも豊かで美しいのに・・・そして本当は皆、気のいい仲間たちであったはずなのに・・・。

息子マーカスと、信じてくれたごく僅かな友人に助けられたルーカスでしたが、最後の最後で現状打開に導いたのはルーカス自身の爆発した魂の叫び。自身の尊厳と息子への愛を胸に逃げずに闘った姿に、人はどのような状況下でも失ってはならないものがあることを知らされる思いでした。

クララ。自分のやったことは罪深いことだったのだといつか分かる時が来ることを願いたいと私は思うのです。小さな子供だから仕方がない、忘れればよいと言うのは、子どもは無垢だから嘘をつかないと思い込むのと多分同じ危険をはらんでいると思うからです。
なにより、“ある一つの大切な命”が犠牲になったことは間違いがないのですから。(冷たい雨の中、スコップを持つルーカスの姿はもう二度と見たくありません。)

                     偽りなき者.jpg

人との関わりは、残念なことに、時に非常に危険なものになり得てしまう。
無味無臭の放射能が一たび流れ出ると土や水や木々を汚染し続けるように、一度芽生えた人間の負の感情がいかに執拗に人の心を蝕んでゆくか、、、つらいと言うよりとても怖い映画だったと感じます。

マッツ・ミケルセンには惜しみない拍手を贈りたい思いです、素晴らしかったです。だからとても苦しかったですね、観ていて。 クララを演じたアニカ・ヴィタコプちゃん、子役と呼ぶのが憚られるほどの存在感。目と表情と小さな仕草で、真っ直ぐで時に残酷な子どもの“得体のしれない怖さ”オーラをこれでもかというほどに放っていました。どんな凄い女優さんになっていくのでしょうね。


             オサ シラー.bmp  オサ.jpg

 重たい映画のあとは、どっしりと重く濃厚な赤<ベンタ・ラ・オサ・シラー>。スペインのワインです。ラベルがユニーク。



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2013年03月26日

テルマエ・ロマエ (DVD鑑賞)


  友人がDVD『テルマエ・ロマエ』(武内英樹監督)を貸してくれました。ありがとう。
108分というフィルムの長さも程よく、早速に鑑賞しましたよ。

story
  古代ローマ帝国の浴場設計技師が現代日本の銭湯にタイムスリップしてしまう、ヤマザキマリの人気コミックを実写映画化。
古代ローマ、アイデアが行き詰まり失業した浴場設計技師のルシウス(阿部寛)は、友人に誘われた公衆浴場でタイムスリップしてしまう。たどり着いた場所は、何と日本の銭湯。そこには「平たい顔族=日本人」がいて、彼は漫画家志望の真実(上戸彩)と出会う。ルシウスは日本の風呂の文化に感銘を受け、そこで浮かんだアイデアを古代ローマに持ち帰り一躍有名になっていくが・・・。

                      テルマエ1.jpg
                    
                 ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  いくら濃い顔立ちの俳優さん方とは言え「日本人がローマ人を演じるって??」という懸念は、不思議なくらいに最初っから綺麗に払拭されて全く違和感を感じませんでした。だって殆どの俳優さんが(市村正親さんなんて特に)舞台でしょっちゅう「おお、コーネリアス!」とかやってはりそうですもんね。(「コーネリアス!」っていうのはあくまでイメージとして、です。^_^;) 違和感がないという以上に、画的にとてもしっくり馴染んでいました。 

それより、皆さんが嬉々として演じておられるように思えて、それが観ていて楽しかったです。
何しろ先ず物語の設定がぶっ飛んでいますし、古代ローマ帝国と現代日本の田舎町(方便からイメージして福島??)ぞれぞれの舞台設定や、そこに生きる人々のキャラ設定やらが“イカにも”的な誇張を感じるくらいに際立っていて面白いですし、あくまで勝手な想像ですがきっと撮影現場も楽しかったのじゃないでしょうか。

前半は何かと「笑い」に持ち込まれがちな流れですが、登場人物たちがじんわり深く関わりあってくる後半が本当の意味で面白くなってくる感じでした。
真美のルシウスへの恋がもう少しフィーチャーされているのかなと思いましたが、「ちょっぴり切ない恋話」としてカラリとサラリと描かれていたことが却って淡い恋の余韻を残してくれた気がします。上戸彩ちゃんの表情は可愛かったです。

                      テルマエ2.jpg

撮影の“案外のチープさ”が逆に楽しくって。
例えば真美の父や温泉仲間の面々がローマへタイムスリップする場面。烈しく渦を巻く水流にみんなが呑まれていくのですが、洗濯機を廻して作ったような渦巻きに何体かのちっちゃい人形がぐるぐる回ってるのを撮って声だけで「あ〜っ!!!」っていうのなんて、思わず笑ってしまいました。(あのシーン、多分そういう感じだったのですが、、、もしもっと大掛かりな撮影だったら申し訳ありません。)
その他、画面の中の小さいところでちょっとした小細工がされていたり、(そこに気付けば)面白い小道具なんかもあったりして、そういう意味でも制作陣の遊び心がイイように感じられた作品でした。
肩の力を抜いて“安心して”楽しむことができましたし、たまにはこういう作品もよいです。

主演の阿部寛さん、ちょっと目が優し過ぎる気がしますが「北斗の拳」のケンシローと本当に似ていらっしゃる。Vシネの帝王・竹内力さんのお茶目な熱演が「いいのか!?」と思うくらい壊れてて、力さんの今後を心配しつつも面白かったです。個人的には、ケイオニウスを演じた北村一輝さんが好きなので、もっと前面に出て頂いてあのメロウなマスクで“とことんイヤな奴”ぶりを発揮してほしかったところです。そういえば本作で阿部さんは日本アカデミーの主演男優賞を獲得されたのでしたね、おめでとうございます。ぴかぴか(新しい)



                      ホットワイン.bmp

  いつだったか、まだまだ寒い日に堂島サンボアでいただいたホットワイン。
オレンジの輪切りとシナモンスティックが入っていて、心も身体も温まりました。ドイツやフランスではよく飲まれているとか。ローマではどうなんでしょう。

・・・もう今年も1/4が過ぎようとしているのですね。







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2013年03月23日

星々の悲しみ 


  明日から拙ブログも 8年目に突入いたします。

この2年ほどは劇場での映画鑑賞も以前の半分以下に減ってしまっている状況で、今月も『愛、アムール』以降、映画館に行けていません。
DVD鑑賞も最近はできていないという体たらく、全く不甲斐ない私です。
けれど、このブログに何かを綴ることは気持ちが凹んだ時のカンフル剤になるような気がするので、これからも細々ながら拙ブログを続けていきたいと思っています。どうぞ宜しくお願い致します。

  今日は本のお話をちょこっと。
今読んでいるのは、通勤電車内では天童荒太『悼む人』友人が貸してくれた本です。そして半身浴時に読んでいるのは、何度目かの再読本、宮本輝『星々の悲しみ』てす。

                      星々の.bmp
                    
半身浴に持ち込んでの再読は初めてですが、もうボロボロになりかけてます。宮本輝さんの小説は結構読んでいますが、この一冊は惹かれるところが大きくて何度か読み返しています。
七編から成る短編集ですが、殆どの作品が、どこかしら「死」が影のように張り付く中で「生」が眩いばかりに煌めく瞬間を捉えているように思います。

特に表題作、『星々の悲しみ』が好きです。
最後の数行に宇宙を感じるのです。宇宙というのは決して大袈裟に表現したわけではなく、本当に一瞬そこに宇宙の存在が見える気がするのです。
余談になりますが、宮本輝氏はこの本の中に収められている別作品(『北病棟』)の中で「宇宙の精力」なる詞を使っておられます。この『北病棟』も私は惹かれる作品です。

星々の悲しみ、、、鬱屈した感情も含め、多分に抒情的。しかしこの上なくきらきらと美しい。
若い頃に読んで心に深く残った小説って、幾つになって読み返しても輝きと喜びを与えてくれるものなのですね。


                       自宅でジン.bmp
         
  久々に自宅でのジン。
トニック・ウォーターで割ってますが、ほぼ、ロック状態です。

桜咲く、の週明けになるのかな。





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2013年03月11日

愛、アムール


  東日本大震災から二年が経ちました。
あらためて、亡くなられた方々に掌を合わせるとともに、未だ復興途上の地に少しでも多くの光が射すことを祈ります。


  シネリーブル神戸で『愛、アムール』(ミヒャエル・ハネケ監督)観てきました。

これほどまでにストレートに「愛」を掲げたタイトルながら、哀しみで胸が締め付けられる映画でした。
しかし、涙は流れない、、、あまりにリアルで泣けなかったのでした。感傷という名の余裕が介在することなど一切許されないほどの重い「現実」と向かわされた気がしたのでした。
では「愛」は?
哀しみの裏側で、痛いほどにそれを感じます。

story
  パリ在住の80代の夫婦、ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)アンヌ(エマニュエル・リヴァ)。共に音楽教師で、娘はミュージシャンとして活躍し、充実した日々を送っていた。ある日、教え子が開くコンサートに出向いた翌朝にアンヌが病に倒れ半身麻痺という重い後遺症が残ってしまう。アンヌの強い願いから自宅で彼女の介護を始めるジョルジュだったが、少しずつアンヌの症状は悪化していき・・・。 
 
愛.bmpアムール.bmp

                     ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  真の愛がなくては到底できない「自宅で看る」ということ。
その真の愛によって悲劇が引き起こされてしまうということに言葉を失います。

序盤、出向いた教え子のコンサート風景。
まだ病に倒れていないアンヌとジョルジュが座る観客席が、舞台側からワンカット長回しで静かにずっと映し続けられます。他の観客たちと同様に何気ない日常を生きていた二人がそこにいました。
その後にアンヌを襲った病、そして手術の失敗という不運。一気に日常が崩壊し、穏やかな温もりに満ちた二人の関係が徐々に蝕まれてゆく様子は、観る者の心を異様なまでに張りつめさせ、私はスクリーンから一時たりとも目が離せなかったです。
どんな形にせよ介護というものに関わっている人には、全てが痛いほどに「現実」だったと思います。

アパルトマンの一室という限定された空間で、ジョルジュとアンヌふたりの会話と日々の介護という営みだけが繰り返されます。
やがて脳までも蝕まれるアンヌと、逃げ場のない心理状態に陥ってゆくジョルジュ。二人を取り巻く空気から「何か」が差し迫って来ている、恐怖にも似た思いを強く感じさせるものがありました。

冒頭で二人に何が起こるのかを最初に知らされるのですが、それを知っていてもなお、二人の間に起こる出来事がどうか永遠にやってくることのないようにと願わずにはいられない自分がいました。

リアル過ぎて泣けないと書きましたが、喉の奥の方に熱い塊のようなものが込み上げてきた瞬間がありました。
一度目には厄介ものとして追い払いながら更に二度目にアパルトマンに入り込んできた鳩を、今度は捕まえて胸にかき抱こうとしたジョルジュの姿を観たときでした。このワンシーン、アンヌへのジョルジュの哀切な愛が溢れていた気がしました。
そしてそれはラストにも。
誰もいなくなったアパルトマンの一室。そこには娘のエヴァなどが介在し得ない、ジョルジュとアンヌの愛に満ちた、かつてのふたりの日々が確かにあったのでした。



                       あぶくま 福島.bmp

  福島の地酒、「あぶくま」純米吟醸・無濾過生原酒です。
六甲道、地酒立呑み<刀屋>さんにて。

どの地にも等しく、日本の春がやってきますね。願うことは本当にたくさんあって・・・。




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2013年03月05日

よりよき人生


  シネリーブル梅田で『よりよき人生』(セドリック・カーン監督)観ました。

タイトルとギョーム・カネが主演ということで、「いろいろあってもハートウォーミング・ストーリーなのよね?」的な世界を想像(私的に、ギョーム・カネには捉えどころのない?ふわふわした優しい感じのイメージが付いているので)していたら、ものの見事に裏切られることになりました。

しかしながら、ラストのカナダの大雪原が不思議な癒しと明日への力を与えてくれる、これはなかなかに手応えの大きかった一作でしたよ。

story
   自分のレストランを持つことを夢見るヤン(ギョーム・カネ)は、9歳の息子がいるシングルマザーのナディア(レイラ・ベクティ)と出会い恋に落ちる。ある日、湖畔で理想的な物件を見つけた彼はすぐに買い取り開店を目指すが、資金繰りに行き詰まり多額の借金を抱え込む。そんな状況から抜け出すため好条件の職場を探すナディアは、息子スリマン(スリマン・ケタビ)をヤンに託して一人カナダへ旅立つが・・・。

                      よりよき人生1.bmp

                    ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  とにかくつらい。 負のスパイラルが怖い。
ヤンは粗暴なところもあって「いい人」っていうわけでは決してないし、人生設計かなり甘く見ていたところもあって自業自得と言えなくもないです。
しかしとにかく夢を実現させたいという想いが痛いほど感じられて、中盤以降はもういい加減に救ってあげてもいいんじゃないかと思えて仕方がなかったです。

ヤンと出会ってしまったナディアには、彼女が抱える移民問題も絡んで来て更に複雑な悲劇をもたらしてしまいます。惚れたはれたのナディアは仕方ないとしても、彼女の息子スリマンには自らの選択肢はなかったわけで、物事が悪い方向へ進み始めてからは彼が一番不憫に感じられました。

でもこのスリマンこそが、ヤンをろくでもない状況から救い上げてくれる存在になっていったのだと言えます。
思いっきりの不協和音を奏でながらも二人の間には、決して「絆」という一言だけでは言い尽くせない不思議な感情が芽生えていった気がするのです。

後半の二人の笑顔には、親子というより同士的なものさえ感じられました。
落ちるところまで落ちているような状況の中で彼らはとにかく生きていかなきゃならない・・・日々の安定を求め、しかしその先に真に二人が求めていたものは、今は欠けてしまったもの=愛する人の存在、だったのではないでしょうか。

どん底にいながら誰かのイビキを笑いあえるヤンとスリマンっていったい何なのでしょう。
問題は山積で(多額の負債や命の危険は何も解決されていないまま)明日が見えないというのに、眼前に広がる大雪原で思いっきり遊びあえる二人っていったい何なのでしょう。
人間の、「それでも生きて行こう」とする力って本当に凄いんだなぁーって、そんなふうに思えたのでした。
「よりよき人生」を、人は本能的に求めてゆくものなのですね。
ヤンとスリマン、ナディアにも、いつか本当のよりよき人生がやってくることを祈りたいです。


やっぱり、ギョーム・カネってイイですね。ぴかぴか(新しい)

 

                米ささ 大吟醸.bmp   無 純米吟醸.bmp

  Yさん、長期にわたるプロジェクト、お疲れ様でした。
美酒での乾杯は心に染みました。ありがとう。次なるミッションにも、よりよき人生を求めて力強く挑んで下さいね。








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2013年02月22日

生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー


  久々に美術館「えき」KYOTOに行き、『生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー』を観てきました。

ドアノー展鑑賞は2度目です。前回もこちらの美術館でした。
前回は2009年2月のことで、拙ブログにも挙げています(「地味プチ独りイヴェント」)。


                      ドアノー展.bmp

 この人の写真には温かみがあります。
被写体(人間に限らず)を“知ろう”として観察し続け、その結果生まれる被写体への「愛情」が溢れている感じがするのです。

時にユーモラス、時に実験的試みのような奇妙な構図のものなど、興味深く、今回はカラー作品も幾つか展示されていて多彩です。
初期の頃の、人物を引き気味に捉えてその背後に広がる風景を大きく描写した作品群には、ちょっぴりのはにかみと孤独感みたいなものもうかがえて、それはそれでとても味わい深い写真たちでした。

犬が素敵な被写体になっているなぁって感じた作品も幾つかあって、この人は本当に人間、動物、静物にさえもドラマの存在を嗅ぎとってしまえる人なのだなぁと思いましたよ。
幾つかのポストカードを購入、お気に入りの一枚はどなたへのお便りにしようかな。

                       ドアノーPC.bmp



 さて、「フランシス・アルバート」というカクテルをご存知ですか。
私は少し前に友人E子さんから聞いて初めて知りました。

コッポラ監督がこよなく愛したお酒とか。名前はフランク・シナトラの 本名、フランシス・アルバート・シナトラよりとったもので、シナトラをイメージしたカクテルと言われているそうです。
ジン(タンカレー)とバーボン(ワイルド・ターキー)を半々で割り(このカクテルに関しては銘柄指定らしいです)、氷か少しのお水を加えてステアして出来上がり。簡単ですがアルコール度数は高くてハードです。

興味津々だった私ですが、とあるBARでいただくことが叶いました。

                      SBにて アルバート.bmp

一杯目は先ずは大好きなマティーニを。
二杯目にこのフランシス・アルバートを。ジンとバーボンを1対1で作って頂いたのは私的にバーボンの香が勝ち過ぎていましたので、三杯目は6(ジン)対4(バーボン)で作って頂きました。この6対4の三杯目の方が美味しく感じられました。そういえばこのカクテルを教えてくれたジン好きのE子さんは、自宅ではもっぱら7(ジン)対3(バーボン)で作っているとか。私も今度は自宅で7対3で作ってみようと思います。

Kさん、佳き乾杯をありがとうございました。


 

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2013年02月14日

塀の中のジュリアス・シーザー


 少し前に観に行ってレヴューを綴っていたものがありますので挙げておきます。
その前に・・・。


                      同窓会1.bmp

  病と闘っていたNくん、そんな中で同窓会を企画してくれてありがとう。
セレクトしてくれた素敵なお店での乾杯は、皆の心に大切な想い出となって消えることはないと思います。
ありがとう。 どうぞ安らかに。



  シネリーブル神戸で『塀の中のジュリアス・シーザー』(パオロ、ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟監督)観てきました。
これは76分という短さ。設定の奇抜さや映像の妙もありますが、先ずはシェークスピア劇特有のある意味大仰とも言える誇張を含んだ台詞で見せる映画なので、脳が考え過ぎる手前でパッと終幕を迎えるこの長さ(短さ)が存外に鮮やかに感じられたのでした。

story
イタリアの巨匠パオロ、ヴィットリオ・タヴィアーニ兄弟が監督を務めた、実在のレビッビア刑務所を舞台にストーリーが展開する意欲作。服役中の囚人たちが、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を刑務所内で見事に熱演する過程をカメラが追い掛ける。
イタリアのローマ郊外にあるレビッビア刑務所の重警備棟では、服役囚たちによる演劇実習が行われている。所内にある劇場に一般の観客を招いて行う今年の出し物は、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」に決定。そしてオーディションが始まり、麻薬売買で服役中のアルクーリや所内でのベテラン俳優レーガらが続々と集まって来る。

                       シーザー.bmp                
                   ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  傑作との呼び声高い本作ですが、傑作なのかどうかは別として(私としてはそこまでの“心の掴まれ感”はなかったです)面白い(興味深い)映画であると感じました。

演じるのは全て囚人。
観に行くまでは、「演者は囚人」という触れ込みながら実はちゃんとした本物の役者さんが演じているのではないかと思っていました。しかしどうやら本物の囚人(それも死刑か長期刑の重警備棟の囚人たち)、そして本物の刑務所内での撮影だったようです。本作は、演劇実習に取り組む囚人たちを撮ったドキュメンタリーなどでは決してありません。あくまで、本物の囚人が囚人を演じた、実在の人物による「劇中劇を描いたフィクション」なのです。

本当は役者さんなのじゃないかと思ったほどに彼らの演技は鬼気迫るものがありましたが(なにしろ目力が凄い、怖い)(中には減刑されて出所した後、本当に役者になった人もいるとか)、何より「設定の妙」を感じたのは、塀の外に一歩たりとも出ず(囚人なので出られないわけで)閉ざされた(それも非常に特異な)空間の中で、鎖につながれた自由のない身分・身体のままで撮られ、そしてこの一つの芸術作品が出来上がったのだ、ということです。「鎖につながれた」というのはあくまでメタファーとしての表現です。実際に彼らの足が鎖で繋がれているわけではありません。
完全に閉ざされた世界であるが故に、彼らがローマ帝国に生きる人間になり切って演じ続ける限り、そこは彼らにとっての本物のローマ帝国、権謀術数渦巻く本物の「ジュリアス・シーザー」の世界になるのだ、ということです。

                      シーザー 1.bmp                      

ラスト、レーガという名の囚人の言葉を聞いた時、この設定の持つ意味の深奥さにハッと気付かされた思いでした。
「芸術を知った時から、この監獄は牢獄になった。」という言葉です。

映画という芸術作品を作ることで心を解放させた彼らがいて、しかし同時に、決して身体は解放されることのない自分を思い知らされた彼らがいたのです。
この言葉、ガツンと来ました。
後に『内なる自由』という著書を獄中から出版した囚人がいたということも、閉ざされた塀の中で心の解放を求め続けた囚人たちの叫びの証なのだと感じました。

ラストの一言が他のどんな台詞よりも本作を雄弁に物語っていたと思いました。

エンドロールの背景の静止画像、一枚の絵画を見ているような趣がありました。
本物のシーザーとブルータスたちの古代ローマの世界を描いた重厚な絵画のような世界でした。






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2013年02月06日

人生、ブラボー!


  三寒四温で春になる。 春よ来い来い、はやく来い。

シネリーブル梅田で『人生、ブラボー!』(ケン・スコット監督)観てきました。
同館で上映中の『塀の中のジュリアス・シーザー』(パオロ&ヴィットリオ・ダヴィアーニ兄弟監督)と直前まで迷っていたのですが、陽気なこの邦題に惹かれて。(原題は「STARBUCK スターバック」)

人生は(いろいろあるけどやっぱり)ブラボー!?
映画自体はブラボー!とまではいかないですが、それなりに上手くまとめ上げられたハートウォーミング・ストーリーといったところでしょうか。

story
  42歳の独身男ダヴィッド(パトリック・ユアール)はある日突然、693回に及ぶ精子提供を通じて533人の子どもの父親であることが発覚。さらに142人の子どもから身元開示の訴訟を起こされていることを知る。身元を明かすつもりはないダヴィッドだったが、子どもの一人が応援しているサッカーチームの選手であることに気付くと、ほかの子どもたちにも興味を持ち始め・・・。

                      ブラボー!1.bmp

                 ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂いております。


  このようなコメディー作品で倫理観を持ちだすのは野暮というものですが、それでも、余命幾ばくもない母親と愛する父親へのプレゼントの為とは言え、自分の精子を若さに乗じて無節操に売るするというのは手放しで拍手を送れはしないですね。
新たな「命」に関わってくることなのだし。
でもまあ、そういうところが主人公ダヴィッドの“人生と全然向き合ってなかった”ダメ男さ加減なのでしょうけれど。演じるパトリック・ユアールはちょっと情けなくて憎めないダメンズぶりの不精髭男を好演していらしたと思います。

  しかし、“生物学上の親子”の関係がこれほどに心を支配してしまうものなのでしょうか、、、そうなのでしょうね、きっと。
勿論、養育してくれた親というのは更にもっと大切な存在であるとは思いますが、この訴訟を起こした142人はきっと何らかの事情で育ての親だけでは心満たされぬ想いを抱いていたのでしょうね。(その事情に想いを馳せると、子ども欲しさ故のことと思いつつも大人のやったことの負わねばならない責任の重み、みたいなものを感じずにはいられませんでした。)

ダヴィッドが“生物学上の子ども”一人一人に会っていくうちに父性を持ち始める過程が優しい視線で描かれていて、その点は心が温まります。俳優志望の男の子のエピソードにはまさしく“お父さん”を感じたし、重度の障害を背負った男の子のエピソードではやっぱりちょっと泣けました。
過去の行為は浅はかだったけれど「結果」を目の当たりにして逃げなかったことはダヴィッドの「ずるくない」ところですね。
父親にはなれなくても守護天使になることはできる・・・と。

しかし本作で最もしみじみと感慨深く受け止められたのはダヴィッドの父親の言葉でした。
貧しくお金に苦労した人生を送ってきた彼(父親)が、「子どもたちにいつでも会いに来られる今を幸せに思う」と言ったこと。
長年生きてきた結果の言葉って、う〜ん、やっぱり深いなぁ〜。
あの紙袋の大金も重いけど、あの一枚の10ドル紙幣もきっと重いよ。

これって、同じケン・スコット監督でハリウッド版リメイクが決定しているとか。


                     試 マイチョイス.bmp

  さてさて、私の「お酒好き、特に日本酒好き」は遺伝子学的に紛うかたなく父親譲りです。
画像は先日の「試(こころみ)」という日本酒のショットバーでの一景。
200種の地酒の中からチョイスした原酒タイプ2種とホタテの和サラダです。

お酒、ブラボー!ぴかぴか(新しい)




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2013年01月31日

オルランド (久々の再鑑賞)


  大過なくほぼ順調な滑り出しを迎えたかに思えた今年でしたが、今月後半は風邪で寝込み(インフルエンザではありません)、ウチ猫があちらの世界に行きかけました(戻って来てくれましたが、私にとって驚天動地の出来事でした)。
今年は何やら波乱含みの気配?と不安も抱きつつ、いやいや「災い転じて福となす」の心意気で2月を迎えようと思っている次第です。

結果的にまだ新作映画を観に行けていなくて、2月こそは劇場に行って目指す新作映画を観るぞと意気込みつつ、今日もまた懐古談のようなレヴューで恐縮です。

  『オルランド』(サリー・ポッター監督 1992年制作)は、日本公開となった1993年に大阪・日本橋の今は無き「国名小劇(くにめいしょうげき)」というミニシアターに観に行って、心魅かれたあまりそのまま続けて2回鑑賞した想い出深い作品です。当時は未だ「入れ替え制」ではなかったのでした。
この一作で主演女優ティルダ・スウィントンの大ファンになったのでしたが、観に行ったあとで「大絶賛!」と友人女性に伝えたところ早速観に行ってくれたらしいその友人から「・・・それほどでもなかったけど。」と柔らかい非難が込められたような感想を聞いたのでありました(^_^;)。いやはや、その節はごめんなさいいね〜J子さん、でも観に行ってくれて嬉しかった、ありがとう(*^_^*)。

story
  男性から女性に不思議な変身を遂げたエリザベス朝の貴族オルランドの四百年にわたる時空を越えた旅の物語。原作は二〇世紀イギリス文学を代表する女流作家ヴァージニア・ウルフの長編小説。
  青年たちが女性的な装いを好んだ一六世紀末エリザベス一世(クェンティン・クリスプ)の治下、晩餐の宴で青年貴族オルランド(ティルダ・スウィントン)は女王に詩を捧げた。女王はオルランドの若さを愛し「決して老いてはならぬ」という条件つきで屋敷を与えた。まもなく女王は崩御、次いで父親も亡くなり、オルランドはユーフロジニと婚約する。大寒波で氷の都となったロンドンで、新国王ジェームズ一世に挨拶するロシア大使一行の中に美少女サーシャ(シャルロット・ヴァランドレイ)を見たオルランドは、ひと目で虜となり愛を誓うが・・・。

                      オルランド ティルダ.jpg

                        ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。

幻想的で、シーケンスごとに時代が変わる(性別まで変わる!)小気味よい展開に胸躍り、16世紀末から近代のヨーロッパ様式美をあますことなく再現した映像美にも耽溺する世界。
性や地位、夢と挫折、ロマンスと苦悩、それらを超越してこの世の全ての猥雑さから開放されて自由を手に入れるオルランド。ティルダ・スウィントンの魅力もあいまってひたすら魅せられます。
オルランドが時折スクリーンのこちら側に語りかけてくる瞬間(この演出がとても素敵!)、ドキッとして心を捕らえられてしまうのです。

改めて観返してみて、やっぱり、オルランドが長い眠りから目覚めて男性から女性に変化していることをごく自然に受け止めるあの一連のシーンは感動的です。
長く美しいブロンドをまとって顔を洗い、丸みのある裸身を鏡に晒す。(自分という人間は)何も変わらない、、、ただ性別が変わっただけ、と語るオルランド。この変化でオルランドはそれまでずっと囚われていたものを全て捨てられたのだという気がしました。「両性具有」というよりも、「何ものにも従属しない」新しいオルランドが生まれたのだと思いました。

今の感覚で言わせて頂ければ、本作はティルダ・スウィントンの時にマニッシュ、時に淑女な魅力が200%活かされた作品と思いますが、当時は未だティルダ・スウィントンという女優さんを知らなかった私、「この素敵な俳優さんはいったい誰!」とただただ溜息をもってスクリーンを見つめていたのでした。

これだけの世界(400年にわたる!)を95分のフィルムで描いてくれたポッター監督のセンスに大拍手です。とてつもない大作風に仕上げることもできそうな本作をコンパクトな(でも充実の)佳品として見せてくれたことに「ありがとう」の思いです。
映像も音楽も全てイイです。何度観返しても素敵な作品です。ぴかぴか(新しい)


ウルフ短編.jpg

原作小説もきっと心躍る世界に違いないですよね。
恥ずかしながらヴァージニア・ウルフ作品はどれも未読の私でした。
会社帰りにジュンク堂書店に寄って見てみたら短編集なる一冊に出会いました。シンプルだけど美しい装丁ですね、通勤電車で軽く楽しめそうだなと購入しました。ワクワクです。


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  さてこちらはヒューガルデン・ホワイト。ベルギービールで、オレンジピールの香が華やかなビールです。
華やかな香のお酒で元気出していこう。





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2013年01月25日

『ドクトル・ジバゴ』 (久々の再鑑賞) に思う


  前レヴューの『灰とダイヤモンド』で昔日の名画を想起してか、もう随分前にNHK・BSで録画していた『ドクトル・ジバゴ』(デヴィッド・リーン監督)を久々に再鑑賞しました。

この映画にはちょっと懐かしい想い出もありまして。
初めてこの映画を観たのは大学生になりたての頃で、確か大阪か京都の映画館での「名画リバイバル上映」で、でした。二歳年上の男性(大学生、Iさん)に誘って頂いて行った、いわゆる私にとって“初めて異性と二人で観に行った映画”だったのです。
この映画は194分と長く、途中にインターミッションとして休憩タイムがあったのですが、その時にそのIさんが突然私の方を向いて「あなたは彼(主人公・ユーリー・ジバゴ)のような生き方をどう思いますか」って尋ねてきたのです。「えーっ! これって抜き打ちテスト!?」とか内心焦りながらも私は真剣に考えて「信念を貫く姿勢は、それが彼の意思によるものであるなら素晴らしいことだと思います」と答えたのを覚えています。(ステレオタイプ的でつまんない回答ですね、でもその時は真摯に考えて出した答えでした。)

インターミッションをはさんで、後半はユーリー・ジバゴとラーラの愛と別れを軸にした一大叙事詩が展開してゆくのですが、緊張しながらその後半の幕開けを待った私なのでした。

story
ロシアの文豪ボリス・パステルナークの同名小説を映画化した長編大作。時はロシア革命前後の動乱期。純真な心を持つ詩人でもある医者ジバゴ(オマー・シャリフ)を主人公に、ラーラ(ジュリ−・クリスティー)トーニャ(ジェラルディン・チャップリン)という2人の女性への愛を通して波瀾に満ちた生涯を描いてゆく。
  幼い頃両親を失い、科学者グロメーコにひきとられた彼は、その家の娘トーニャを愛していた。2人の婚約発表のパーティーの日、近所の仕立屋の娘ラーラは、弁護士コマロフスキーの誘惑から逃れるため、彼に発砲するという事件を起こした。彼女は帝政打倒の革命に情熱をもやす学生パーシャを
愛していた。1914年、ロシアは第1次大戦に突入し、ジバゴは医師として従軍した。戦場で看護婦として働らくラーラに再会した彼は・・・。

                       ジバゴ1.bmp
                 ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。

    
 映画というのは実に、観た時の年齢や状況、心境によって「どこに一番心を掴まれるか」が変わるものなのですね・・・しみじみ。

初めて観た時は私が18歳かそこらで、男女の悲恋というより、ジバゴの「時代に翻弄されながらも自分の意思に従って生きたその生きざま」を真っ向からガチガチに受け止めていたと思います。
二度目に観た時は私もひと年を得てそれなりの経験もし、ジバゴとラーラの運命に涙したものでした。ジバゴがラーラを突き放し一度は彼女のもとを去ろうとしたことを少し責める思いや、ジバゴは信念を貫いたというより“愛に生きた”人だったのだなと改めて感じたことや、邪まな男と描かれているコマロフスキーも彼なりに真剣にラーラを愛したに違いなかったのだとか、歴史に翻弄された人々の運命を哀しく思ったものでした。
そして今回観て感じたことは、、、どうしようもなく、時(人生)は過ぎ去ってゆくものなのだなという非常に茫漠とした想いでした。
時代が悪かった、運も悪かった、確かにそうかもしれません。けれど何より、人の力ではどうすることもできないところで時は過ぎゆき、それを再び元に戻すことは決してできないのだ、そういうことを感じたのでした。

モーリス・ジャールの手による主題曲「ラーラのテーマ」は、明るい旋律からマイナーな曲調へと変化し、再びもとの心地よい旋律に回帰してゆく切なくも美しい曲です。ロシア民族楽器バラライカの奏でるこのメロディーをきっと皆さんも耳にされたことがあると思います。
もの哀しい想いに包まれながら、それでも、過ぎ去った日々の輝くような美しさが一瞬狂おしいまでに心を掻き立てる、、、この曲は本作には欠くことのできない大切な存在だと言えるでしょう。

そう、過酷だった日々の中にも輝く美しさがあった若き日のジバゴとラーラ、湧きいずるラーラへの想いを綴ったジバゴの詩。賢く健気だった妻トーニャ、聡明で心優しき義父、愛する息子サーシャ、彼らとの幸せだった日々。それらは確かにその時、ジバゴの人生を彩り、輝いていたのでした。

時(人生)は過ぎゆく。
しかし、過ぎし日の美しい輝きが心に去来する一瞬は、何にも代えがたい宝物なのだと思いました。

                       ジバゴ.bmp

ラーラの強さと女性としての魅力には改めて強く惹かれましたね。
私はこの女優さん、ジュリー・クリスティーが大好きです。
私が映画にハマる切っ掛けとなったのが彼女がウォーレン・ビーティーと共に主演した映画『天国から来たチャンピオン』でした。その映画との出会いも大学生の頃でした。勉強にもさほど勤しまず特に褒められた学生時代じゃなかったですが、それなりに輝いていたこともあったのだぁと、今ちょっぴりの感慨に浸るのでした。



                       チンザノドライ.bmp

日々のお酒も人生の彩り。いずれ心で蘇り輝くものだと・・・。ぴかぴか(新しい)
某酒場でのチンザノ・ドライ、オン・ザ・ロックで。



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2013年01月18日

灰とダイヤモンド(VHS鑑賞)


  新作の劇場鑑賞に行けていない中(ちょっとフットワークが重いです、ここのところ(>_<))、昨年末に同監督の『菖蒲』を観てから私的課題作にもなっていた映画『灰とダイヤモンド』(アンジェイ・ワイダ監督 イエジー・アンジェウスキー原作 1957年制作)をツタヤでレンタルして鑑賞しました。何店か探してやっと見つけました、VHSのみのようです。

story
  第二次世界大戦末期、ポーランド。戦争中は対独レジスタンス運動に身を投じ、戦後は反ソ派テロリストとなったマチェク(ズビグニエフ・チブルスキー )は、ソ連から来た共産地区委員長暗殺の指令を受けるが、誤って別の男二人を殺してしまう・・・。「世代」「地下水道」に続くワイダの抵抗三部作。

                      灰とダイヤモンド.bmp

                 ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  痛々しい青春映画だと思いました。
勿論、戦争への怒りと自国の歴史への深い嘆きが根底にあることは否めませんが。
本作はマチェクという一人の青年の、闘いに捧げて(と言うよりそれしか選択肢がなく)散っていった青春碑。しかし同時に、ワイダ監督の他作品同様、戦争は不毛であるというメッセージが通底していたと思います。

マチェクには戦争、殺戮、レジスタンス、そんなのがもう完全に染み付いていて影のように切り離せないものになってたように思います。
地下での闘いが長すぎてサングラスを外せない身体になってしまったのと同じように。
愛というものに初めて触れてテロ行為から足を洗うことも考えるけれど、結局は染み付いた暗闇の世界へ戻るしか道がないことをマチェク自身も気付いていたに違いないと思うのですね。
キリストが逆さに吊るされたままのあの廃墟でのクリスティナ(エヴァ・クジジェフスカ)との会話は、だからきっと、叶わぬと分かっていてのマチェクの束の間の“希望”だったように思えました。(本作のあの廃墟でのワンカットは、若き頃に手にした映画雑誌でその小さな写真を目にしたことがあったのですが、その時は「この吊り下げられてるオブジェは一体何なのだろう」ってずっと疑問に思っていましたが、廃墟と化した教会のキリスト像だったのですね。改めて映像で観ると鮮烈でした。沈思。)

その時にマチェクとクリスティナが碑に刻まれていた詩を見つけるわけです。
  永遠の勝利の暁に、灰の底深く
  燦然たるダイヤモンの残らんことを・・・

この映画のラストでこの詩が何とも言えぬ哀しみを伴って反芻されます。
マチェクの壮絶な死の跡に、ダイヤモンドなんて残っちゃいないよ。灰になってゆく名も無き小さなマチェクの亡骸が残るだけなんだよ。・・・そんなことを思いました、哀しいですね。


ワイダ監督の眼差しには『カティンの森』鑑賞時には“冷静なもの”を感じましたが、本作には冷静さという以上に“冷徹さ”を感じました。
ご自身も戦禍の中で抵抗運動に参加され、また、お父さんをカティンの森事件で亡くされていながらも決して感情には左右されない、畏れるほどの強さを感じましたね。
それから、この作品は1957年の制作にしてワイダ監督の監督3作目とか。私が生まれるよりも更に前であり、年末に鑑賞した氏の最新作『菖蒲』までの間に私の人生分以上の年月が収まっているのだと、改めて、ワイダ監督が作品を撮り続けて来られた年月の重さ、意志の重さを受け止めずにはいられない思いでした。


                      ボンボヤージュでのジントニ.bmp

   少し前にふらりと初めて入ったお店にて。
女性のオーナーさんがお一人でされているカジュアルなカウンターBARで、寒かったので温かいお酒と迷ったけれどやっぱり大好きなジントニックを。素敵な空間でしたのでまたお伺いしたいと思います。

  風邪でダウンしていたのですが、今夜は今から熱〜いお酒を作って眠りに就きたいと思います。
それはホットワイン、風邪に効くとか。ブログを見て下さっているKさんに教えていただきました、ありがとうございます。





posted by ぺろんぱ at 20:14| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2013年01月08日

岩合光昭の 世界ネコ歩き


   年始休暇もいよいよ今日迄という一昨日の日曜日。
シネ・リーブル神戸に出かける予定をしていたのですが何となく出遅れてしまって、結局、家事雑事を済ませた昼下がりはウチ猫と微睡みつつ、ずっと以前に友だちからコピーしてもらって未見のままだったBS録画DVDを観ながらまったりと過ごしました。
『岩合光昭の 世界ネコ歩き』(撮影:岩合光昭 全3編)です。


<こんな作品です

■DISC.1 イスタンブール
 トルコでネコは神聖な動物という。街角の「どの野良ネコも」名前があり、街全体がネコの家?
香辛料屋の店番太っちょネコ「サフラン」、観光名所グランドバザールの屋上で恋の争奪戦を繰り広げる「オルジャン」。そして世界遺産「アヤソフィア」にもネコが住む。塚本高史(案内)

■DISC.2 エーゲ海の島々
 ギリシャはエーゲ海の島々が舞台。イドラ島の朝の漁港、整然と並ぶネコ。漁から帰った船を囲みネコ朝礼?ミコノス島の名物ペリカン登場!犬と鳥とネコが一緒に朝食をとる食堂発見!?赤ちゃんを育てる美人ママに出会う。相武紗季(案内)

■DISC.3 ソレントとカプリ島
 イタリアのナポリ湾を臨む町ソレントと、カプリ島。19世紀の詩人が「ネコの散歩道」と呼んだカプリの路地でオシャレに熱心なオスに出会う。岩合光昭さんとイタリア男ならぬオスネコの対決が次々と! 
平岡祐太(案内)
                                 ※解説は映画情報サイトより転載させて頂きました。
  
                      岩合さん.bmp


  岩合さん撮影の猫写真との出会いは、今を去ること十年と少し前、ちょっとした病で入院していた時に会社の女の子がお見舞いに持って来てくれた雑誌『猫びより』で、でした。この雑誌もその時に初めて知ったのですが、以来、毎回のように掲載される岩合さんの猫ショットと、今も連載が続いている松本英子さんの猫漫画には癒され続けています。

岩合さんの猫ショットには、猫たちの“ありのままの姿”というより“とても幸せそうに暮らしている姿”を感じさせてくれるものがあり、見ている自分までもが幸せな想いに包まれるのです。
特にこの映像の中に登場する猫たちには活き活きとした「命」を感じます。
島や町のあちこちで自由に生きている猫たちの姿には泰然自若とした空気も漂っています。他者のテリトリーは侵さず、自分の住空間を縦横無尽に闊歩している姿。
唯我独尊? なんて言えばいいのでしょうか…彼らの世界には不可侵のルールがあって、私たち人間がこの同じ地球に共存させてもらっていて、時々彼らが「(オイラは、或いはアタイは)多くは望まないのだよ」とばかりにポイと落としてゆくものを私たちが“しあわせ”と称して受け取っているかのような、そんな感じ。

時々微睡んでいたのでもう一回ちゃんと観なきゃとも思いつつ、こういうのをBGMならぬ「BGV」として何となく流しているのも癒されていいかもしれませんね。ぴかぴか(新しい)

 
               熊澤にて招福.bmp  マッシュ.bmp
 
  さてさて、新春初の立ち呑みは、ワインのソムリエさんがこだわりのワインと日本酒を勧めて下さる元町<酒商 熊澤>さんで。美酒と美肴・マッシュルームのアリオリソース。

笑う門には福来たるー!
今年がにっこり笑える一年であればいいですね。




posted by ぺろんぱ at 20:39| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2012年12月30日

2012年 MY BEST


  2012年もあと僅かですね。
こうして一年を締めくくる想いをブログに綴れる今があることを、すべての人・すべてのモノに感謝したい思いでいっぱいです。ありがとうございました。
そして、心穏やかに来たる年を迎え、前向きに日々進んでいけますようにと今は祈るのみです。

昨年に引き続きの諸事情で今年の新作の劇場鑑賞作品は(昨年よりも更に少ない)25本のみという結果でした。
あかんなぁ…と独りごちつつも、その25本との出会いに感謝し、どれもそれぞれに思い出深い作品として残っていることをここに記させて頂きますね。

本数が少なかったので昨年同様、より印象深かった作品「BEST・5」としたいと思います。

記載は鑑賞の時系列です。

  1. サラの鍵(ジル・パケ=ブレネール監督)

  2. ルルドの泉で(ジェシカ・ハウスナー監督)

ぴかぴか(新しい)3. メランコリア(ラース・フォン・トリアー監督)
 
  4. ル・アーヴルの靴みがき(アキ・カウリスマキ監督)

  5. きっとここが帰る場所(パオロ・ソレンティーノ監督)


今年も“圧倒され尽くした作品“” にキラ星を付してみましたよ。まさに、圧倒されました、メランコリア。


                      お湯割り梅入りでほっこり.bmp                      

さて、今年もよく呑みました。お酒にも「感謝」です。

この一年、私の拙いブログに起こし下さった皆様、本当に本当にありがとうございました。
皆様にとってもどうぞ来たる年が佳き年でありますよう・・・来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。



posted by ぺろんぱ at 13:58| Comment(12) | TrackBack(2) | 日記