2012年12月27日

菖蒲


   シネ・リーブル神戸で『菖蒲』(アンンジェイ・ワイダ監督)を観てきました。

今年最後の劇場鑑賞になるかなと思いながら、それならばしみじみと滋味ある映画で締めくくろうと殆ど衝動的に選んだ一作でした。アンジェイ・ワイダ作品は『カティンの森』(2010年1月に鑑賞)に続いての鑑賞です。同監督の過去作『灰とダイヤモンド』の原作小説も思わぬところでワンカット登場します。『灰とダイヤモンド』も是非観なくては。

story 
  ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダが、同国の作家ヤロスワフ・イバシュキェビチによる短編小説を映画化したドラマ。「菖蒲」という物語世界と主演女優のモノローグ、メイキングのような撮影風景の三つのパートを交錯させながら描く。 
  ホテルの部屋のベッドから立ち上がった女優のクリスティナ・ヤンダ。撮影直前に迎えた撮影監督で夫のエドワード・クロシンスキーの病と死について語り始める。
画面は変わり、ポーランドの小さな町。ワルシャワ蜂起で二人の息子を亡くしたマルタ(クリスティナ・ヤンダ)は医師の夫と長年連れ添っていたが、夫自身の診察で不治の病にかかっていることが分かる。ある日、マルタは息子が亡くなった時と同じ20歳の美しい青年ボグシ(パヴェル・シャイダ)に目を留める。ボグシを誘って河辺で逢引していたマルタだったが、ボグシが菖蒲の根に足をとられて溺死してしまい…。

                       菖蒲.bmp
                ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。

  
  滋味あるというより、深い喪失感が漂い、死の影が色濃く張り付いた映画でした。

マルタの夫が「生はいともたやすく死に結びつく」と語っていた台詞が最後まで影を落とします。
いともたやすく人は予期せぬ人の死に接し、或いはまた、いともたやすく予期せぬ自らの死を知ることにもなり得るのです。

 主演女優クリスティナ・ヤンダにとって、最愛の夫の死は筆舌に尽くしがたい苦しみ悲しみであったろうことが彼女のモノローグのパートからダイレクトに伝わってきます。
ワイダ監督にとっても、友人であり信頼厚い右腕的存在のエドワード・クロシンスキーの死は悲痛なものであったに違いなく、さらにはワイダ監督の年齢を考えた時、エドワード・クロシンスキーの死が自身の死をも連想させたことは否めなかったのではないかと思いました。
死をテーマにした物語「菖蒲」、主演女優の実生活での夫の死、それらをカメラで追う監督の深い死生観に満ちた眼差し。なんだか監督自身が、遺書とはいかないまでも死に向けて心仕度を整えていった作品でもあるかのような印象が残りました。

「菖蒲」の物語では、マルタはボグシの若さに何を見ようとしたのでしょう。
息子二人を亡くした喪失感を埋めること? 自責の念から目を背けること?
信頼という絆はあれど長きに渡り冷え冷えとした関係にあることが伺えるマルタと夫。
束の間のボグシとの華やぎはあっと言う間に絶望を迎える・・・精神の均衡を失った不安定な世界に身を置かれたような気分でした。

                        菖蒲1.bmp
       
とはいえ、重苦しいばかりではなかったです、この映画。
クリスティナ・ヤンダのモノローグで、彼女が命懸けで夫を愛していたこと、深く強く揺るぎない愛があったことが伺えたから。だから、彼女が独り語りしていた部屋(ホテルの一室か?)が、ラストのカットでは窓からの柔らかな陽差しを受けて静かに佇んでいたのが、深い喪失感の中にも微かな安らぎの空気をこの作品に感じさせてくれたのでした。

ポーランドでの、あの川が流れていたロケ地はどこなのでしょう。
静かな流れをたたえ、陽光が川面を光らせ、安らぎを感じました。いつか訪れることができるならば、しばしその川原に身を横たえてみたいと思うような清らかさと優しさでした。


マティーニ  .bmp

  さてさて、前回のブログで「どーにもこーにも呑みたくてしょうがない」と記していたマティーニをいただいてきました。大阪の某BARでのドライ・マティーニです。美味し〜かったです。

今年は最後の締めくくりで「今年を振り返る」の一文でお会いしたく思います。









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2012年12月21日

007 スカイフォール


   やっと会えましたよ、ダニエルボンドに。
なにしろ、オフィスのFMラジオから思い出したように流れるアデルの「スカイフォール」を耳にする度に心がダニエルボンドに飛んでしまって仕事が手につきませんでしたからねー。(こう書くとまるで日頃は脇目もふらずバリバリ仕事してるみたいですね。 してません。)
というわけで、観てきました、『007 スカイフォール』(サム・メンデス監督)。

story
MI6のエージェントのジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)は、NATOの諜報部員の情報が記録されているハードドライブを強奪した敵のアジトを特定し、トルコのイスタンブールに降り立つ。その組織をあと少しのところまで追い詰めるも、同僚のロンソンが傷を負ってしまう。上司のM(ジュディ・デンチ)からは、敵の追跡を最優先にとの指令が入り、後から駆け付けたアシスタントエージェントのイヴ(ナオミ・ハリス)と共に、敵を追跡するボンドだったが…。

                     スカイフォール.jpg

                 ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  ボンドの後ろ姿が美しいです。
孤高なそのシルエットにあらためて惚れ直しました。やはりこの孤高なる美はダニエル・クレイグ演じるボンドならではのもの・・・と、ダニエル贔屓の私はそう断言しつつ、143分、食い入るようにスクリーンを見つめ続けたのでした。

「元・MI6」という異色(あらゆる意味でどんな悪役も常に異色ではありますが)の本作の悪役(ハビエル・バルデム演じるシルヴァ)エディプス・コンプレックスを背負ったサイコパスのような描かれ方であったのは、経年の女性であるMの死につなげるには相応しい設定だったのかもしれませんね。(いきなりのネタばらしですみません。)
本作は大きくMの内面に迫った作品でもありました。私はあの遺品の小箱の中に秘密が隠されていて、実はMはどこかで生きているのじゃないかと思ったりもしていたのですが、どうやら死は完全な死だったようですね。

新生Q(中々のキャラ、中々のハンサム!『パフューム』に出ていたベン・ウィショー!)が世界中にネット操作の網を張り巡らせるわ、フル装備のアストン・マーチンDB5も登場するわ、異次元のようなダブルオー・ワールドを見せつつ最後はひたすら原始的手段での戦闘が展開するのは、人間の、個人対個人の(奇しくもMがそのような台詞を口にしていました)、「生身の闘い」を感じさせてくれて興味深かったです。
今回の闘いは組織を超えた個人の私怨が根底にありましたからね。
だから、ボンドも自身のルーツを辿り、彼が心中に隠していたもう一つの「個」「己」と対峙しながら死闘を繰りひろげた後半のスコットランドでのシークエンスは、シルヴァ、M、そしてボンドそれぞれの「個」に迫ったいう意味において深かったなぁと思うのです。


                      スカイフォール1.jpg


冒頭のカーチェイス(相変わらず他人の車、他人の事情はお構いなし)、列車上での死闘、ゴージャスな美女(やっぱり薄幸薄命。メイクを落とした顔の目元が『カジノ・ロワイヤル』のヴェスパーに似ていて胸にぐっと込み上げるものがありました)、サイコで不気味な悪役、Mの大義と正義そして運命、等々、非常に見せ場が盛り沢山ながら、やっぱり最後はボンドの心と肉体のしなやかさが光り、次回作のボンドへの期待に胸が膨らむ一作なのでした。

そうそう、映像美も。
上海の高層ビルで、華やかなイルミネーションを背景に浮かぶ闘う男たち二人のシルエットは画的に美しくcool!で思わず息を呑みましたよ。



                       北新地サンボア ジライム.bmp

  さて、ボンドといえばマティーニですね。ぴかぴか(新しい)
この画はマティーニじゃんくて単なる「イギリス」繋がりと「ジン」繋がりで、とある日の北新地サンボアBARでのジンライムです。
嗚呼、美味しいマティーニが呑みたいです。





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2012年12月11日

冬の四ツ橋筋、そしてその後の[ぐあん]


  新生・中之島フェスティバルタワーを望み、冬の四ツ橋筋は凛とした空気の中でいつもよりちょっぴり背筋を伸ばしているかのよう。
ここ数日は真冬並みの寒風が吹きあれて、銀杏並木の枯葉が道路を埋めるようでした。
来春のフェスティバルホール開業を迎える頃には、今は冬の四ツ橋筋も木々の芽吹きとともに更なる華やぎを見せてくれるのでしょうか。

                      四ツ橋筋.bmp


 劇場通いが不定期になってしまって前回のレヴューから十日余り経ってしまってます。
年内にあと二本か三本、少なくとも、拙ブログで「ダニエル・クレイグがボンドであり続ける限り必ず劇場でダブルオーを観る!」と宣言したからには『スカイフォール』だけは何が何でも年内にと思っている今日この頃です。ひたすら苦悩する孤高のダニエルボンドに、早く会いたいです。

しかしここ数日の寒さは末端冷え性の私には堪えました。
WWのKママからご伝授頂いた“毎日の食生活に生姜を!”のパワーによりお陰様で風邪は引かずに過ごせているものの、手袋をしていても指先が血行が無くなって真っ白になることがしばしば。通勤時のミニカイロ携行は必須となっています。

しかし先日帰宅したらリビングの床にミニカイロが数個ばら蒔かれていて・・・。どうやらウチ猫の仕業らしい。買い置きのカイロを仕舞っていたラックをガタゴトと開けて、パッケージごとくわえてリビングにやってきて噛むやら爪でひっかくやらオモチャにしたらしいです。以前にも留守中にティッシュBOXから大量のティッシュをリビングの床に撒き散らしていたことがありましたが、まさかカイロにまで興味を持つとは。いいえ、カイロというより包装のプラスチック袋に興味があったもでしょうね、ウチ猫はナイロンやプラスチック製の小袋で遊ぶのが大好きなんです。
しかし、爪や歯で一箇所でも穴が開けられた袋の中のカイロはどれも微妙に発熱していて・・・(;´д`)トホホ、もう使い物になりません。

ウチ猫は最近ちょっと不調気味で心配していたのですが、イタズラするくらいの元気は取り戻したみたいで、まあ良かったと思うしかないですね。独りの留守番できっと寂しかったんだろうなぁと思うと不憫で「急ぎ帰ってやらねば」と思う毎日ながら、こう寒くてはついつい温かい呑みものを体内に入れずして帰途につくなど到底できることではありません。


            ぐあん その後1.bmp  ぐあん その後2.bmp

そんなわけで、たまには軽く寄り道も。

以前に書いた“贅沢な立ち呑み、ぐあん”(2011年12月17日付け記事)ですが、ものすごく久々に再訪させて頂いたところ、なんとあの立派な一枚板のカウンター2本のうち一本が撤去されて個室風のテーブル席が設えられていました。私的にはあのカウンターで立ち呑むのが贅沢な気分で良かったと思うのですが、やはりこのあたりのお客様は「落ち着いて座って呑みたい」というご要望が断然多かったらしいです(チーフママさん談)。
一夜干しの炙りや美味しい魚がウリ(あの「魚匠・銀平」展開のお店)なのとお酒はワンカップで饗されるというスタイルは変わっていないようで、この日はカップのまま熱燗にして頂いたのを一夜干しとお造りと共に。

「寒いのでお酒注入」まではよいのですが、その上昇した体内温度を帰宅時までキープするのは至難の業です。だから帰宅後にまた呑む?という、ほとんど「アルコール依存症一歩手前」の世界です。いや、もはや手前じゃないかも。
あ、こんなことでお茶を濁していないで早く映画に行って感想書きます。







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2012年11月29日

人生の特等席


 大阪ステーションシティシネマで『人生の特等席』(ロバート・ロレンツ監督)観ました。
この監督は長年にわたりイーストウッド作品に製作や助監督として携わってきた御方で、本作が記念すべき長編監督デビューとか。

クリント・イーストウッドは『グラン・トリノ』で「もう俳優業は引退する」と宣言していたので、それなら次はイーストウッド監督としての次回作を楽しみにしていようと思っていたのでしたが、嬉しい前言撤回ですね、これは。
プロデュースも兼務していたようですが、とにかく、俳優・クリント・イーストウッドに心地よく酔えましたよ、本作。

story
 数々の名選手を発掘してきたメジャーリーグの伝説的スカウトマン、ガス・ロベル(クリント・イーストウッド)。しかし近年はパソコンを使ったデータ分析が主流でガスのような昔気質のスカウトマンはすっかり時代遅れに。視力も衰え、残り3ヵ月となった球団との契約の延長も望み薄。そんな中、ドラフトの目玉選手のスカウティングに向かったガスのもとに、弁護士としてキャリアの大事な時期を迎えていた一人娘のミッキー(エイミー・アダムス)がやって来る。すっかり疎遠になっていた2人は互いに素直になれずにギクシャクしたままだったが…。

                       人生の特等席.jpg                     
                    ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


 ノースカロライナの青空に金属バットの快音が響く、、、。
こんなに爽快な気分で劇場を後にできるとは思いもしませんでした。
予定調和的と言うなかれ。バシッとミットのど真ん中にボールが収まるような、そんなラストは実に小気味良いのでした。
いい意味での浪花節スピリッツが本作でも根底に流れていて、「俳優業は卒業と思っていたが脚本に惚れたから出る」と言ったらしい(某紙情報)クリント・イーストウッドの思い入れがひしと伝わってくるようでした。

序盤、成績不振のチーム打者に「お前は野球のことだけ考えてろ」のガスの台詞が、彼のスカウトマンとしての、いいえ人間としての歴史と厚みを感じさせてくれました。現役の選手にとってこれほど力強い言葉はないのではないでしょうか。

だけど生身の人間ですからねぇ、ガスには不完全な部分がたくさんあるし、その不器用さが何処かにしわ寄せを作りもします。
娘との長きに渡る確執。
家族ってもの凄く大切な存在ですが、時としてその大きすぎる存在が厄介なことも。見えない大きな壁にぶつかったり、もつれた糸が解けないで困惑したり、ね。
けれど、糸はいつかは解れます、互いを想う心があれば。
他人から見れば三等席でも、父娘互いが「自分にとってそれが特等席だ」と思えるのならば。


序盤の“ピーナッツBOY・リゴくん”のワンシーンから、今か今かと待っていた展開が最後にきます。
アメリカ映画らしいサクセス・ストーリーで、分かっていたはずなのにやっぱり涙がにじむのは何故でしょう。はい、リゴくんの台詞通りきっちりと「楽しませて」もらいました。

「ああ、空って美しいなあ」、、、なんの衒いもなくそんな言葉が言えそうな映画でした。ありがとう。
クリント・イーストウッド。
出演作も監督作もハズレはないですね。

                       人生の 1.bmp


 さてさて、劇中、ウィスキーをボトルのままラッパ飲みするミッキーがいました。
これはあるコトが一つの区切りを迎えたことによるミッキーなりのある種のパフォーマンスでもあったと思いますし、ほんのり心を寄せる男性・ジョニー( ジャスティン・ティンバーレイク)が傍に居てくれもしたから、ちっともイタイ呑み方なんかじゃなくて悲壮感も漂っていません。
それどころか、ウィスキーのボトルのラッパ飲みって、観方によればちょっと“cool!”でもあったりしませんか。
これが日本酒の4合瓶じゃそうはいきません。全く別の空気が漂いますよね。まあね、ラッパ飲みするお酒じゃありませんからね日本酒は。

  
         ある日の地酒冷 YTOにて .bmp   ある日の焼酎 YTOにて.bmp                          

 日本酒もウィスキーも、取り敢えずはグラスに注いでいただきましょう。(^_^)
ということで、ある日の、某酒場での冷酒と焼酎水割りです。幸せのひととき。ぴかぴか(新しい)




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2012年11月16日

チキンとプラム 〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜


  シネリーブル神戸で『チキンとプラム〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜』(マルジャン・サトラピ、ヴァンサン・パロノー 共同監督)観ました。
92分という上映時間は最近の私には嬉しいです。シアターサービスデーに、仕事帰りに鑑賞。

story
  自伝的コミックを映画化したアニメ「ペルセポリス」で注目されたイラン出身の女流監督マルジャン・サトラピが、自身初の実写作品に挑んだ作品。ドラマ。死を決意した主人公が、最期の8日間で人生を振り返る。
天才音楽家のナセル・アリ(マチュー・アマルリック)は命よりも大切なバイオリンを妻に壊されてしまう。絶望した彼は死ぬことを決意し、自室に引きこもる。そして死に向けての8日間のカウントダウンが始まる。そんな彼の脳裏を、ままならなかった人生の思い出が去来する。中でも、若き修業時代に出会った美女イラーヌ(ゴルシフテ・ファラハニ)との叶わなかった恋は、今も彼の心を締めつけるのだったが…。

                      チキンとプラム.bmp

   ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  絵本の世界のような映画でした。それも、「摩訶不思議なお伽噺」という感じ。
全体的にシュール且つファンタスティック、時にユーモラス、時にビターテイスト、時にミステリアスでブラックで、本当に不思議な世界でした。

病と貧しさと失恋は詩人(芸術家)を生む三大要素だというのは誰が言ったんだっけか・・・。
ヴァイオリンの師匠(何故かこの人、マッドサイエンティストふうな容貌)から「お前の音色はテクニックはあるが空っぽだ」と言われたナセル・アリは、愛した女性イラーヌとの悲恋で一流のヴァイオリニストとなります。
しかし一流になったからといって全てが順風満帆にいかないのが芸術家の人生たるところ。
家庭に愛を見いだせずヴァイオリニストとしての道も途絶えた時、彼の魂は妻と子どもたちへの想いを通り越して愛した女性イラーヌの元へと戻るのですが・・・。

メインはとても切なく美しいラヴストーリーなのに、この物語には人生の“決して美しいだけではない部分”がふんだんに登場します。
美しくない部分は滑稽でもあります。その滑稽である部分はより滑稽に誇張されて描かれ、美しい部分でさえ、その向こう側にある戯画性を感じてしまうのです。実写でありながらまるで戯画?絵本?のような味わいを感じるという、これはまさに演出の妙といえますね。

                      チキンとプラム1.bmp

寂しい最期を迎えるナセル・アリですが、妻の愛に気付けなかったことは残念、かな。妻の愛は人生に於いて現実的なものであり、そこに目を向けられなかったのもやっぱり芸術家たる所以なのでしょうか。
でも私は、ナセル・アリは芸術家である前に、あまりにも一人の女性への愛に生きた、ただのか弱き男であったのではないかと思ったのでしたが・・・。

現実逃避型、現実不適合型のナセル・アリに比して、二人の女性は現実に向き合うしかなくて、それが哀しいです。
特にイラーヌラストで見えた彼女の涙(彼女しか知らない涙)がひどく哀しく、ここだけは純然たる美しさでした。


主演のマチュー・アマルリックってつくづく演技の引き出しの多い役者さんなのだと感じました。
死の天使・アズラエルを演じたエドゥアール・ベールは、黒塗りなので顔がよくわからなかったですが目の白眼と歯の白さで異様なアピールがありました。何より、アズラエルのキャラクターはサイコーに面白いです。
それから、成人した娘・リリを演じたキアラ・マストロヤンニ! 迫力ある目力にゾクゾクしてしまいましたよ。


S子さん宅 赤スパークリング.jpg お手製カプレーゼ.jpg


  さてさて、先日は引っ越しをしてやっと落ち着いたという友人S子さん宅にお呼ばれになりました。
美味しい赤のスパークリングとS子さんお手製のお摘みで乾杯。この赤のスパークリングは、とってもしっかりしたボディーで呑み応えがありました。色もダークチェリーで、まるでスパークリンじゃないみたいでしょう? 美味しかったです。 S子さん、E子さん、楽しい時間をありがとう。ぴかぴか(新しい)



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2012年11月14日

『ふがいない僕は空を見た』のその後・・・そして、ちくわパン


  前回のページで書かせて頂いた『ふがいない僕は空を見た』(窪美澄著 新潮文庫)ですが、一度読了した後、勢い付いて第4編と第5編をもう一回読み返しました。 手元に於いて、また幾月か経ったら読み返したいと思います。
私としては初めて読んだ同作家の第二作目『晴天の迷いクジラ』もよかったのですが、本作はなお一層心に沁み込むものがあったと言えます。
いっとき、過激な性描写が続いて電車内で読むのが憚られる思いもしたし、青少年が抱える「ひどくやっかいなもの」を、元・青少年である私が真正面に向きあうのがちょっとしんどかったりもしたけれど、それでも、後半からは一気に読み上げ、そのまま書棚にしまってしまうのを惜しむかのように更に戻って頁を繰ることになりました。

重苦しい現実に満ちていました。それは青少年だけでなく、年を経た男女の世界にも。
現実を現実として決して抽象的で曖昧な表現で“逃げる”ことなく描き、安易な解決や安寧への道筋などは殆ど示されないながら、そこには微かに寄り添うような温かみが感じられました。

某登場人物が語った「悪い出来事も手放せないのならずっと抱えていればいいんですそうすれば、、、オセロの駒がひっくり返るように反転する時がきますよ」という言葉。
物語の中では「反転する時」は誰の身の上にも訪れるに至ってはいません。しかし、その時の到来を信じる信じないは別として、彼らが「その時」に向かって明日という一日を歩いていくのだろうなと、悲劇のままで終わるのではないのだと、まだこれから先に彼らの人生は続くのだと、そう思わせてくれます。
そしてこの言葉は、私たちにも「明日」を感じさせてくれる言葉であることには違いありません。

窪さんの次なる小説本も追いかけてゆきたいですね。


ちくわパン、フジ.bmp

               
  さて、少し前に、時々お伺いさせて頂いているブロガーさん(uechicchiさん)の記事で気にとまったフジパンの<ちくわパン>
食べたくて食べたくて気になって気になって。会社や自宅の近隣のコンビニやスーパーなどを探したけれど見つからず、友人のAさんBさんCさんに「見つけたら教えて」って言っていました。
なんとその後友人Cさんが「ゲットした!」と。私の分も買ってきてくれて手渡してくれました、ありがとう!!かわいい

チェダーチーズ入りクリームチーズが詰まったちくわが丸ごと一本ロールパンに入っていて、表面にマヨネーズが程よくかかって焼かれています。
このクリームチーズが結構濃厚ですが、ちくわの薄い塩味の和テイストと中々にマッチしています。
結構ボリューミーで食べ応えがありますが、一個190Calというのは他の調理パンや菓子パンに比べて比較的ローカロリーと言えるのではないでしょうか。
他に“わさび味”のクリームチーズの入ったバージョンもあるらしいのですが、そっちは見当たらなかったとか。わさび味のも是非食してみたいのですが、そっちはもう製造されていないのかしらん??? とにかく、ちくわパン、ファンになりました、暫くハマりそうです。

                      熱燗とひらめお造り.bmp                  

そろそろ、熱燗の恋し〜〜〜い季節になって来ましたね。



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2012年11月06日

ふがいない僕は空を見た(新潮文庫)


   先月24日の映画鑑賞ハシゴ2本以来、劇場に行けてません。今週末もいろいろあって無理そうです。
つい先日携帯からチェンジしてデヴューしたスマホ<iPhone5>も、なかなかどうして手強く、慣れないので悪戦苦闘。
市販のシンプルなものにオリジナルでちょっとだけ手を加えたmyケースを装着して、そこまではウキウキドキドキでしたけれど、その後は「現実」の世界へ。
嗚呼、早くいろんなアプリを投入してサクサクと縦横無尽に使いこなせるようになりたいですが・・・それは一体いつの事でしょうね。でもこれはもう果敢にアタックしてゆくしかないですね、とにかく頑張ろう(楽しみながら)、ですね。

                   
                    ふがいない僕は.jpg

 劇場で予告編を観ててちょっと興味を持った邦画、『ふがいない僕は空を見た』(タナダ ユキ監督)。
でも劇場鑑賞は叶わないかもしれないので取り敢えず原作小説(窪美澄著、新潮文庫)を購入し、読み始めました。5編の短編から成る連作長編です。5編の中に表題作はなくて、このタイトルは総合的なイメージとしてのものであるらしい、です。
いきなりのコスプレ性描写にたじろぎつつも、読み進んでの行き着く先には、この表題のような“哀しいけれど少しは救われる”的な感覚に包まれるのかもしれないなぁ、っていう希望的観測でもってページを繰っています。
そういえば窪美澄さんの小説は以前にも『晴天の迷いクジラ』を読んでこのブログにもアップしたのでした。そこでも、この人の小説の「不思議な力」を感じたと記していました。本作もそのような力がもたらされるといいなぁ、と。
スマホ探求に疲れたら、こっちで癒されてみましょ。いや、なかなかにこの小説の世界も一筋縄ではいかないようですけれどね。


 さて、先日、久しぶりにJazz Bar Wishy−Washyさんにお伺いしました。
ママさんが「何を置いても!」と公開初日に観に行かれたのが『情熱のピアニズム』(マイケル・ラドフォード監督)です。この映画もちょっとした経緯があって実は気になっていた作品でした。
ママさん御執筆のWishy-Washy新聞から、ママさんのこの映画への想いが伝わってきて、読ませて頂いた私も何やら感慨深く・・・。

当夜はダイナマイトカクテル<ウィッシーウォッシー>のあとで、バーボン<オールド・クロウ>をロック(ちょい水)で頂戴しましたよ。


                    WW クロウ.jpg

カラスの絵柄が印象深いこのお酒のラベルですが、この「クロウ」はカラスの意というより、バーボンのサワーマッシュ製法を最初に見出された<ジェームズ・C・クロウ博士>の名前にちなんで付けられた名前なのだとマスター氏に教えて頂きました。
美味しいお酒をいただいて、勉強にもなりました、ありがとうございました。ぴかぴか(新しい)


さあ、何につけても不甲斐ない私だけど、あした、先ずは空を見上げよう、かな。



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2012年10月28日

中島みゆき 『歌姫』劇場版


  先日、ハシゴ鑑賞したもう一作は、梅田TOHOシネマズでの『 中島みゆき「歌姫」劇場版 』です。


<こんな内容>
 中島みゆきのツアーDVDの劇場版「歌旅 劇場版」に続く劇場版第2弾。
歌手・中島みゆきの集大成ともいえる映像を、3部構成で劇場公開用に編集した。『空と君とのあいだに』、『一期一会』などの代表作のプロモーションビデオ、『地上の星』などロサンジェルスの映画撮影スタジオを貸し切って行われたライブ『中島みゆきライヴ!Live at Sony Pictures Studios in L.A.』の映像、新曲『恩知らず』のプロモーションビデオや、2010年に東京国際フォーラムで21年ぶりに歌われた『時代』の未発表ライブバージョンを収録している。 ※内容表記は映画情報サイトより転載させて頂きました。


                      歌姫劇場版チラシ.jpg 映画チラシ
                      

収録曲は、
 1部 PV編
  『おだやかな時代』
  『見返り美人』
  『黄砂に吹かれて』
  『空と君のあいだに』
  『囁く雨』
  『愛だけを残せ』
  『一期一会』

 2部 ライブ編
  『この空を飛べたら』
  『地上の星』
  『土用波』
  『銀の龍の背に乗って』
  『この世に二人だけ』
  『夜行』
  『歌姫』

 3部 新規映像編
  『恩知らず』
  『時代−ライブ2010〜11−』

 
   心地よい興奮を抱いて劇場を後にしました。
この人の歌にはやっぱり人の心を打つ「力」があると、改めてそう感じました。

数日が経ってクールダウンした今、120分余りのフィルムを振り返ってみますと、第1部のPVのパートが長すぎた感はありますね。
PVは、歌詞の世界を現実的な映像でイメージを限定してしまうので、どうしてもみゆきワールドが損なわれてしまう思いがするのですよね。(第3部のPV『恩知らず』はライヴっぽくて良かったけど。)
映画版にPVは3曲くらいでよかったのではないでしょうか。

だから、やっと第2部のライヴ編に入ったときは思わず居住まいを正してしまいました。
やっぱりPVよりはライヴですよね。しかしこれはL.Aでの「スタジオライヴ」です。みゆき自身が「一期一会でもあるツアーライヴを完成形として一つの作品に残すのは不可能」と言っていて、「こういう形でなら」と提案したのがこのL.Aでの「スタジオライヴ」だったそうです。(チラシ情報)
スタジオライヴなので勿論観客の歓声も拍手もありませんが、それだけに、計算され尽くした舞台が完璧に展開していて、それはそれで良かったと思います。

熱唱はさすがの圧倒力。
欲を言えばもっと更なる大音量で包まれたかったですが、実際にライヴに行くのと違って、カメラによって様々な角度から映し出された「みゆきの姿」と共に歌の世界に浸れたのは幸せでした。

なんと言っても、昔から(そして、ファン歴30年超の今以てやっぱり)最も好きで愛する曲『歌姫』でライヴ編が締めくくられたことが感動的でした。

最後の最後、『時代』の歌詞が静かに心を撫でていきます。
気がついたら睫毛がうっすらと濡れていました。


       [千本]にて 白ワイン.bmp クール・ダウンの一杯?    歌姫.bmp 
↑映画情報サイトよりの転載です




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2012年10月25日

思秋期 


  昨日は仕事のお休みをもらって梅田ガーデンシネマで『思秋期』(パディ・コンシダイン監督)を観に行きました。

眼を背けた瞬間が幾つかあり、心身ともに深く傷付き打ちのめされる映画でしたが、最後の最後に、微かながら“日に照らされるふたり”が見えた気がしました。
しかしそこに行き着くまでの「痛み」は私の想像をはるかに超えたものでした。

story
  失業中のジョセフ(ピーター・ミュラン)は、酒浸りの上に感情の抑制が利かない中年男。酒に酔っては周囲の人々とトラブルを起こすという、怒りと暴力ばかりの毎日に精神を疲弊させていた。そんなある日、ひょんなことから彼はチャリティー・ショップの女性店員ハンナ(オリヴィア・コールマン)と知り合う。朗らかで機知に富んだ彼女と接することで、今まで感じることのなかった平穏な気持ちを持てるようになるジョセフ。次第に交流を重ねて固い絆を育むようになる二人だったが、ハンナが抱えるある秘密をめぐる事件が起きてしまう。

                     思秋期1.jpg
                 ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させていただきました。


 
  冒頭の、愛犬・ブルーイへの行為があまりに辛い、悲しい。
ジョセフがハンナに向けて放った「世の中の辛酸を舐めたこともないくせに」の台詞が痛々しい。
酒浸りなのはジョセフだけではなかった、ハンナもまた、夫のDVによりアルコールを持ち歩かねばならないような日々だった。
全編ほとんど、眉根に皺を寄せて顔を歪めてしか観ることのできないシーンばかりでした。

そんな中で、人は人の肌の温もりをこんなにも欲するものなのかと感じたシーンが、ハンナがジョセフをそっと抱きしめ、ジョセフもそれに応えるところです。互いにシャツを着たままで、それは愛の行為というよりは人間同士の労わりあいのようであり、抱きしめ合う肌の温かみと厚みがスクリーンからじわじわと伝わってくるのでした。
おそらくはそれぞれが深い「孤独」と「絶望」、文字通りの「痛み」で人生を終わっていたかもしれない彼らが、出会い、互いに手を触れ合うことでまた歩き出すことも出来るのだと、もう若くはない二人に訪れた「救い」「天からの慰撫」のようなものを感じました。

ハンナとの出会いのあと、徐々に眼差しに優しさが戻ってくるように感じられたジョセフ。
「(きみの)笑顔に照らしてほしかったんだ。」という一言には胸に熱いものが込み上げます。
温かなるものに照らされること、包まれること、、、深い悲しみの淵を歩いてきた者にそれがもたらされたことを天にか神にか、とにかく感謝したい思いでした。

ジョセフ役のピーター・ミュランもイイですが、ハンナを演じたオリヴィア・コールマンが本当に素晴らしいです。孤独と、恐れと、優しみと慈しみ、そして最後に見せた悟りのような表情、どれも心にどーんと迫ってきました。素晴らしい女優さんだと思いました。

最後に一つだけ、終盤にどうしても理解できないところがあったので書かせてください。
隣家に出入りしていた男の愛犬に対するジョセフの行為、あれは「違う」と思います。あれは「落とし前」でも何でもない、第一に「落とし前」を付ける相手が違う、あの犬ではないと思います。
ジョセフという人間を想う時そのことが大きな違和感となって残り、その一点だけが残念でなりません。


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  ハンナが持ち歩いていたのはジンのポケット瓶だったような。あと、彷徨い歩いていたBARでもジンばかり飲んでいたように見受けられました。ジョセフが昼間に飲んでいたビールより格段にアルコール度数は高いですよね。あのジンの飲み方は痛々しかったなぁ。

さて、この秋に私が某ブロガーさんの影響で軽くハマっているのが<麦焼酎(濃い目)水割り梅干入り>です。
梅干しに一つか二つだけ切れ目を入れてほんのり香る梅の香とともに麦焼酎(濃い目です、あくまで濃い目)を味わいます。
その某ブロガーさん(女性)の書いておられる通り、何杯もするすると入ってゆきます。飲み過ぎがちですがハンナの飲むジンストよりは格段に度数も低いので安心してください。写真は某居酒屋二店でのソレです。

             焼酎梅入り水割り.bmp   焼酎梅入り 寸.bmp

 この日(24日)はもう一本ハシゴして鑑賞しましたよ。
2週間限定上映の、みゆき・PV&ライヴフィルムです。 後日に感想をアップ予定です。





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2012年10月13日

俺たちに明日はない (久々の再鑑賞)


  「処前観シリーズ」の第14弾は『俺たちに明日はない』(1967年製作 アーサー・ペン監督)です。
これはね〜、初めて観たのが某大学の学祭での「名画上映会」だったのですが、すごく混雑していて確か立ち見だったのですよ。若かったとはいえ身動きも取りにくい状態での立ち見はきびしく、時を経てTV放映の際にゆっくりと鑑賞し直した記憶があります。そして今回鑑賞のソフトは、いつだったか、結構昔のBS録画VHSです。

story
   不況時代のアメリカ30年代に実在した男女二人組の強盗、ボニーとクライドの凄絶な生きざまを描いた、アメリカン・ニューシネマの先駆け的作品。ケチな自動車泥棒だったクライド(ウォーレン・ビーティー)は、気の強いウェイトレスの娘ボニー(フェイ・ダナウェイ)と運命的に出会い、コンビを組んで強盗をやりはじめる。二人は順調に犯行を重ねていくが…。

                     俺たちに 1.bmp
                      ※story、画像とも映画情報サイトより転載させて頂きました。


  もともとウォーレン・ビーティーは好きな男優さんです。何しろ映画にハマるきっかけとなったのがあの『天国から来たチャンピオン』でしたから。
しかし本作は観返す度、フェイ・ダナウェイが殊のほか輝いて見えます。初めて本作を観た時から30年近くを経た今も尚、それは変わりません。

フェイ・ダナウェイを見ると、昔々、中学生の頃に月刊誌『スクリーン』やら『ロードショー』やらをワクワクしながら読んでいた頃の記憶が甦ってきます。ページを繰るたびに漂う新刊特有のインクの匂いとともにね。フェイ・ダナウェイは当時のトップスターでした。

私の回顧談はさておき。
軽妙なマンドリンの奏でるメロディーと共に展開するシーンは結構悲劇的です。
少しずつ、徐々に悲劇性が高まってゆきます。
基本的にロードムービーは好きな私ですが、このロードは文字通り町から町へと流れる旅路の意に加え、崩壊への道行きでもあります。段々に「旅」と「人生」の終焉が見えてくる、、、時として胸を締め付けられるような痛さが走ります。

嵐の前の凪を思わせるような場面も。
ボニーの母親や親族とクライドたちが草原で食事に興じる件りです。セピア色に輝く、懐かしさと温もりに満ちた時間でした。
お尋ね者ではない普通の家族として過ごす幸福を一瞬味わったボニーとクライドですが、ボニーの母親の「(あんたたちは)一生、逃げるしかないのさ」の一言で現実に引き戻されます。しかし本当は彼らには分かっていたはず、明日という日がいつか来なくなることが。

現実から目を背け、つかの間の肌の触れ合いを求めるボニーとクライド。
「女は苦手だ」という台詞で曖昧に描かれていたけれど、クライドはもしかしたら性において何かしら精神的に深く負うものを抱えていたのでしょうか。そう考えると、それまでのクライドに時折見えた孤独の影が意味を持ってくる気がしました。でもそれはきっとクライド自身にしか分からないこと。 最後は「一つ」になった彼らの姿に私は救われました。

鮮烈に記憶に残るラスト。
鳥たちが一斉に飛び立ち、一瞬だけ音を失った世界で目と目を見交わす二人は、刹那に何を思ったのでしょうか。

文字通り、旅路の終わり、そして人生の終わりが、物語の 終わり・THE END なのでした。
映画としてはクールだけど、実在した彼らを想うと言葉を失いますね。


                      自宅で赤ワインを.bmp

<自宅シアター>での必須アイテムの一つ、赤ワイン。




  
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2012年10月10日

白雪姫と鏡の女王


  109シネマズHAT神戸で『白雪姫と鏡の女王』(ターセム・シン・タンドワール監督)観ました。
当初はノーチェックの本作でしたが、ターセム監督の最新作と知り、急遽タイムテーブルを調べた次第で・・・。過去作『落下の王国』『ザ・セル』とも興味深かった監督です。
本作も衣裳デザインは石岡瑛子さんです。今年1月にお亡くなりになられましたが、本作が「遺作」だそうです。エンドロールに入る前に「石岡瑛子さんに捧ぐ」の文字が刻まれていました。改めまして、ご冥福をお祈りいたします。

story
幼いころに国王であった父を亡くし、邪悪な継母の女王(ジュリア・ロバーツ)によって城に閉じ込められたまま育った白雪姫(リリー・コリンズ)。ある日、舞踏会に忍び込んだ彼女は、そこで他国の王子(アーミー・ハマー)と運命の出会いを果たして恋に落ちる。だが、王子との政略結婚を狙っていた女王は、白雪姫を森へと追放。森で7人の小人と出会った白雪姫は、彼らと生活を共にしながら戦い方や知識を習得する。亡き父の国を守り、愛する王子を取り戻そうと彼女は女王に戦いを挑む。

                       白雪姫と 1.jpg

                   ※story、画像とも映画情報サイトより転載させて頂きました。


  ターセム監督ということでもの凄く期待してしまっていた分、すこし物足りなかったかなぁと感じたところも無きにしも非ずでしたが、「The End」の文字のあとのエンディングの数分は、ターセム監督カラーが炸裂ですごく良かったです!はっきり言って、このエンディングの数分に一番心が躍りました、私。

そうは言っても、本来の白雪姫の“王子様によって救われる”のをじっと待つキャラクターから一転、自国と自分の未来を自分自身の手で切り開こうとする強さは新鮮で小気味よかったです。
“たおやめ”的なしおらしさより、自分の魅力を最大限に活かそうとする(ほんのちょっぴり)小悪魔的なところも現代的で、何より意思表示が明快で!<
「法的には私が王位継承者よ!」
「結末を変えるわ!」「これは私の闘いなの!」
(継母に)「負けを認めることが大切よ」
こんな台詞、昔々に読んだ童話にはなかったですよね、勿論。

真っ黒で逞しい眉毛と長い長い睫毛を持つリリー・コリンズ。この女優さんは引きの映像よりもアップの方が断然美しかったです。
7人の小人たちのキャラ設定も明確で、7人七様、楽しませてくれました。

コメディタッチの演出とはいえ、王子様が「ちょっと性格の悪い、ハンサムだけどおバカな王子」というイメージが最後まで拭えなかったことと、肝心の邪悪な女王を演じたジュリア・ロバーツが存外につまらなかったことが残念でした。初の悪助役ということなら、もっと徹底的に壊れて??欲しかったなぁって思いました。

終盤、リリー・コリンズ(白雪姫)が真っ赤なリンゴをかじろうとするシーンがあるのですが、思わず「絵に描いたように綺麗!」と溜息をついてしまいました。随分昔の映画ですが、『テス』でナスターシャ・キンスキーが野苺を口に入れるシーンで「なんて美しい!」と思ったことを思い出しましたよ。


                     ジャンキーなひと時.bmp

 この三連休の某日はウチ呑みの独り乾杯。
時々無性にジャンキーなものが食べたくなりませんか。(私は食べたくなります。)
少し前から気になっていた某コンビニ(パッケージに名前が出てますけど)での<かりかりダブルチーズ>をアテにスコッチ水割り(かなり)濃い目で!

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2012年10月06日

華麗なるギャッツビー (久々の再鑑賞)


  久々の「処前観シリーズ(処分する前にもう一回観ておこう)」の第13弾『華麗なるギャッツビー』(1974年製作 ジャック・クレイトン監督、脚本はフランシス・フォード・コッポラ)。かなり前にBS放送を録画撮りしたVHSです。
村上春樹が愛する作家 F・スコット・フィッツジェラルドの同名小説(The Great Gatsby)を映画化した作品ですね。

story
1920年代のアメリカ。ニューヨーク郊外のロングアイランドの大邸宅で、夜ごとパーティを催している金持ちの美青年ギャツビー(ロバート・レッドフォード)。彼は他の男と結婚し、社交界の花形となった元恋人デイジー(ミア・ファロー )への思いを断ち切れずにいた。やがてデイジーとの再会を果たしたギャツビーは、彼女の心を取り戻しかけるが…。

                      GG.bmp

※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


 ここまで“根源的に”“成り立ちが違う”女性をどうしてこんなにも深く愛してしまったのか、、、ジェイ・ギャッツビーの人生を第三者として見るとき、それは苦しいほどに切なく哀しいのでした。

デイジーは何より自分自身を愛する(自分自身しか愛せない)女。
その自分自身を、最大級に愛し、守り、最高の暮らしを与えてくれる相手しか愛せない女でした。いいえ、愛していると思いこむだけ、本当に愛しているのは相手ではなく自分自身なのですから。

貧農のもとに生まれ、やがては巨万の富を築きながらも自身の真髄は変わることのなかったJ・ギャッツビーと、終始“今以上の”幸福を求め、他者に与えられ他者に守られることに慣れ切ったデイジー。これは始まりから既に目に見えていた破局、そしてJ・ギャッツビー自身の人生の破滅の道程なのでした。

しかし「破滅」と捉えるのは第三者である我々であって、J・ギャッツビーはひたすら一心不乱にデイジーへの愛に一途であり続けている(常軌を逸するほどに)のですね。デイジーの従弟であり、物語の語り部的な役割として登場するニックがいみじくも「J・ギャッツビー、彼ほど愛を準備し続けた人はいない」とも言っているように、J・ギャッツビーにとって彼の人生は、最後のあの瞬間まで「求め続けたものに手が届く瞬間」であったのかもしれません。

冒頭から常に登場していたニック(サム・ウォーターストン)ですが、彼が地に足のついた“こちら側”の世界に身を置く、真っ当な視点を持ち得る青年であったことがせめてもの救いでした。
でなければ、誰があのロングアイランドでJ・ギャッツビーの死を悼んでくれたでしょう。誰が彼の長い長い闘いを意味あるものとして掬い取ってくれたでしょう。泡沫のごとく消え去ったJ・ギャッツビーの想いの、美しくも哀しい物語として。

                      GG1.bmp
                  
  主演のロバート・レッドフォードは、映画『追憶』では逆に、バーブラ・ストライサンド演じるプロレタリアートの女学生と別れゆく、裕福な家庭の男子学生を演じていました。(拙ブログでも感想を挙げています。)
ロバート・レッドフォードはどちらかというとそういう役の方が似合うような、、、私的にもお坊っちゃま的なイメージが拭えず、目的のために手段を選ばず成り上がってきた裏の顔を持つ執念の男・ギャッツビーを演じるには少し線が柔らかい(細いのじゃなくて)のじゃないかとも感じました。

実はつい今しがた知ったことですが、これって来年(2013年)にレオナルド・ディカプリオ主演でリメイクされるとか!
なるほど、私としてはディカプリオのJ・ギャッツビーに更なる期待をしたいです。

デイジーを演じたミア・ファロー。これ以上ないというほどの適役だったと感じます。
儚げで美しく、いつも心が浮足立っている、そして愚かで残酷な女。そんな役を完璧に演じているのに、決して嫌いな女優さんにはならない(少なくとも私は好きです)のは、女優ミア・ファローの魅力なのでしょうね。

140分強はフィルムとしては長いかもしれませんが、この作品を映画化するとしたら時間が足りなかったくらいではないでしょうか。
J・ギャッツビーの陰の部分をもう少し丁寧に見せてほしかった気がします。
2013年の『華麗なるギャッツビー』に新たな期待をしたいです。


250px-Mint_Julep.jpg ※画像はウィキより拝借


 この映画にはミントジュレップが出てきます。
バーボンベースのカクテルですね。 時々お伺いするBar,Wishy-Washyさんで私も一度だけ戴いたことがあります。ミントの香りが爽やかなロングカクテルですよ。




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2012年09月29日

ブラック・スワン (DVD鑑賞)


 先日『アイ・アム・キューブリック』を貸してくれた友人が、「これも興味ある?これはあるよね!」と、一緒に『ブラック・スワン』(ダーレン・アロノフスキー監督)を貸してくれました。同じくWOWOW録画取りをDVDにしてくれたものです。
Yes! これは観たかったのです!ありがとう、Hさん。

story
 ニューヨーク・シティ・バレエ団に所属するバレリーナ、ニナ(ナタリー・ポートマン)は、踊りは完ぺきで優等生のような女性。芸術監督のトーマス(ヴァンサン・カッセル)は、花形のベス(ウィノナ・ライダー)を降板させ、新しい振り付けで新シーズンの「白鳥の湖」公演を行うことを決定する。そしてニナが次のプリマ・バレリーナに抜てきされるが、気品あふれる白鳥は心配ないものの、狡猾で官能的な黒鳥を演じることに不安があり…。

                     ブラック・スワン2.jpg

                 ※story、画像とも、映画情報サイトよりの転載です。


  サイコサスペンス、ソフトホラー、的な印象を強くしがちな演出でしたが、最後の最後で、「ああ、この映画は真のバレリーナの(それも最高峰に立とうとするトップバレリーナの)物語だったのだ」と感じました。
そうです、最後のニナの「完璧だったわ・・・」の台詞で。 鳥肌が立ちました。

ラスト、ニナのブラック・スワンとしてのステージ、そして感極まった最後のその台詞まで、怒涛の数分間は圧巻でした。
追い詰められた果ての精神の錯乱と極限ぎりぎりまで張り詰められた緊張感、それらが一気に解き放たれた、名バレリーナの誕生の瞬間だったといえるでしょう。

不気味でグロい映像の中に、ニナが闘ってきたものが見え隠れしていました。
それは母親(母親からの呪縛)と、ほかならぬ自分自身でした。この母娘の関係は殆ど何も語られてはいませんでしたが、映像からは相当に根深い「歪んだ支配と従属」を感じさせます。それはもう、相手を破壊するか、さもなくば自分が破壊されるか、という世界のようで。これは観ていて最も息苦しかったですね、私は。
そしてこの「母親の支配からの解放」と「自分自身を解く、放つ、超える」ことは、実は表裏一体のものだったのですね。

鏡がいたるところで実に効果的に使われていました。
そこには不安に潰されそうになる表の顔のニナと邪悪で悪魔的な表情を垣間見せるもう一つのニナの顔があり、抑圧されていた自分自身の化身が存在していました。
終盤に鏡を壊し、その破片でとある人物の(それが本当は誰であったか・・・)肉体に切り込む姿は壮絶であり、まさにそこが二ナのバレリーナとしての、そして人間としての「分岐点」であったというわけですね。

ホラーばりのダークで陰湿な空気の息苦しさの中から、一気にスポットライトの光りに満ち溢れた頂点の世界へとニナを昇華させる、、、こういう感動的な思いを味わえる映画だったとは意外でした。

主演のナタリー・ポートマン、本作で「アカデミー主演女優賞受賞」というのも納得です。


              曽根崎のバル Nちゃんと.bmp  曽根崎のバル withN.bmp

過日の、N嬢とのバルでの二景。
連ドラ評論家の彼女と、ああそう言えば「梅ちゃん先生がそろそろ終わるね」と話していたのでした。意外なものが意外にウケる、連ドラはわかりませんね。







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2012年09月25日

アイ・アム・キューブリック (DVD鑑賞)


  友人が「興味ある?」とWOWOWの録画DVDを貸してくれました。
知らなかった、こんな作品。 聞けばあのマルコヴィッチ様の主演作品とか。日本未公開作品らしいです。
早速にそのDVD『アイ・アム・キューブリック』(ブライアン・クック監督)を鑑賞しました。ブライアン・クック監督は過去にキューブリック監督作品の助監督も何作品か務めたことのある、キューブリックと縁の浅からぬ御方とか。ふむふむ。

story
1990年代ロンドン。バーで、レストランで、スタンリー・キューブリックと名乗る男が現れては、「次の映画に起用しよう」と人々に声をかける。あの有名なキューブリック監督!? 喜んだ人たちは彼に酒をおごり、ディナーの勘定を持ち、当座の金を都合する。だがその正体は、アラン・コンウェイなるアル中で同性愛者の、キューブリックには似ても似つかぬおじさん(ジョン・マルコヴィッチ)だった。

                       アイ・アム・キューブリック.bmp
                    ※story、画像とも映画情報サイトよりの転載です。

(かなりの脚色はあるでしょうあが)実話ベースの映画というから驚きです。
こういうのを「有名税」っていうのでしょうか。名を騙られる(しかも詐欺行為に利用される)キューブリック監督ご本人がおそらく一番の被害者じゃないのかと、相手は巨匠ながら「不憫だなぁ」と思ってしまいました。

でも人間って、あんなに簡単に騙されてしまうものなのですね。
コンウェイは容貌も話す内容も、とにかく胡散臭いのですよ。でも何故か大抵の人はすとんと騙されちゃう。考えてみれば、人はそれが真実っぽいから信じるのじゃなくて、それが真実だったらいいのにと思うことを信じてしまうものなのかもしれません。メジャーな人に認められて自分もメジャーな人間になりたい。そう感じた瞬間、そこに幻影を見てしまうのかも。

本作、大がかりな頭脳戦が展開するわけでもなく(コンウェイは結構オマヌケです)、悪党だけど魅力的な犯人(例えば『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のディカプリオのように)が痛快感と爽快感をもたらせてくれるわけでもない。
実にみみっちい舌先三寸の詐欺行為が繰り返され、素敵というのとは程遠い、どちらかというとかなり痛々しさの残る小悪党なのです、コンウェイは。
しかし「似非キューブリック」が「似非キューブリック」として確固たる人物像を印象付けてしまうのは、やはり演じるジョン・マルコヴィッチの「怪演」の為せる業なのでしょう。


同情の余地は全くなさそうに見える小悪党のコンウェイですが、中盤あたりで海をバックに佇む姿が彼の孤独を浮き彫りにしていた気がします。それは愛し愛される相手もいない、アルコールで刹那的に消しさるだけの自身の人生を抱えての孤独なのかな。そう考えるとちょっぴり心がきしみました。

あの名曲と共にキューブリック作品の有名シーンのパロディとかが出て来て笑えます。「スタンリーって呼んで」っていう台詞も私的に地味にウケてしまいました。


 アル中コンウェイはウォッカを好んで呑んでいました。
やっぱり、ウォッカのようなハードリカー嗜好がアル中への道に最も近いのでしょう。
かく言う私も先日は自宅で自家製モスコー(モスコー・ミュール)。御存知でしょうけれどウォッカ・ベースのカクテルです。

                       自家製モスコー.bmp

しかしこれはライム・ジュースとジンジャーエールで割っているので度数は低い低い。しかもジンジャーエールが甘くて私的に失敗でした。

アル中になると困りますがどうにも甘くてパンチがないので、二杯目からはジンジャーエールちょびっとだけの“ほぼウォッカ・ロック”でいただきました。


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2012年09月17日

鍵泥棒のメソッド


シネリーブル神戸で『鍵泥棒のメソッド』(内田けんじ監督)を観ました。
『運命じゃない人』『アフタースクール』と、同監督の前2作ともお気に入りで最新作を楽しみにしていました。

story
  35歳にして無職、俳優を目指すも挫折し自殺にも失敗した男・桜井(堺雅人)。銭湯で出逢った羽振りのいい男・コンドウ(香川照之)が目の前で転倒、記憶喪失に。つい出来心からロッカーの鍵をすり替え、持物を盗み出しコンドウになり代わる桜井だったが、実は彼は非合法な裏稼業を営む男だった。

                      メソッド.jpg
                      ※story、画像とも映画情報サイトより転載させて頂いております。


  これはもう、堺雅人さんというよりも、香川照之さんの映画!でした。

香川さんは素晴らしい役者さんだと常々思っていましたが、その香川さんに対して胸がキューンキューン!と(この擬音語がポイントです!)鳴ったのは本作が初めて、でした。

前の2作品に比せば、パズル的要素はあまりありません。張り巡らされた伏線が一気に一つに…という従来の内田監督作品の流れと違って、構成と展開はどちらかといえばシンプルな感じに思いました。
けれど、とにかく引っ張られます、見せてくれます、楽しめました。
観終わって幸せな気持ちになって劇場を後にできるのは、やっぱりいいものですよね。

原作の力、脚本の妙に加え、三人の役者さん(堺雅人さん、香川照之さん、広末涼子さん)がとてもイイです。
あざといくらいの表情パフォーマンスを見せてくれる堺さんですが、そのあざとさが“堺さんだからこそ”の可笑しみを誘うのですよね。独特の魅力です。
ヒロスエさんは、本作での生真面目で一本調子のキャラクターがとても似合っている感じで、思い詰めた表情でのコメディエンヌ振りが好感が持ててよかったです。
そして香川さん。一人二役?の演技力はさすがの凄さです。九代目市川中車さんとしての人生も素晴らしいのでしょうけれど、香川照之さんとしての人生も、どうかずっとずっと続けていって頂きたく思います。

そうそう、本作、エンドロールが始まっても席を立たないで下さいね〜。


      山本 純吟生原酒.bmp  奈良萬 純吟生原酒.bmp  伯楽星 純吟冷おろし.bmp
    
映画のあとで、かなり久々の刀屋さんでの地酒。
「山本」は初めて臨んだ銘柄でした。しっかりと濃いのだけれど綺麗さを感じるお酒で美味でした。

ああそういえば、映画に登場してたクッキー缶
似たようなクッキー缶がウチにもあります、、、中身は全然違いますけど。目

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2012年09月15日

最強のふたり


 梅田TOHOシネマズで『最強のふたり』(エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ 共同監督)を観ました。
ずっと拝見しているブロガーさん(ゆるりさん)の記事に触発されて。
佳き映画に出会え、観てよかったです、ゆるりさんありがとうございます。

story 
  車いすで生活している大富豪と介護者として雇われた黒人青年が友情を結ぶ、実話を基にしたお話。
不慮の事故で全身麻痺になってしまった大富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、新しい介護者を探していた。スラム出身の黒人青年ドリス(オマール・シー)は生活保護の申請に必要な不採用通知を目当てに面接にきた不届き者だったが、フィリップは彼を採用することに。すべてが異なる二人はぶつかり合いながらも、次第に友情をはぐくんでいき…。

                      ふたり 1.jpg
                           ※story、画像とも、映画情報サイトよりの転載です。


 主演のオマール・シーの、真っ直ぐで力強い眼差しに吸い込まれるようでした。
彼の顔がアップになる度、モダンな建造物を思わせるようにうねった大きな鼻もとても美しい造形芸術のように感じられて。粗野だけど真っ直ぐで温かい心を持つ黒人青年に、スクリーンを通して知らず知らず心を掴まれていった私です。

言葉は(行動も)時として辛らつで容赦ないです。
フィリップの重度の障害を、ありのまま、見たまま感じたままに評するのは、婉曲な表現をする教育を受けていなかったというよりも、先ずフィリップを一人の人間として対等に見ていたからだと思うのです。ドリスだって黒人街の貧しくて複雑な家庭に育ち、それなりに過酷な人生だったわけですから。

「彼は私に同情していない」
ドリスを採用した理由をたった一言こう表現したフィリップもまた、それまでは抱いていたであろう使用人に対する上から目線を、ドリスに対しては捨てていたように思いました。
一般には (原題でもある)「UNTOUCHABLE」である事々がこの二人の間では何でもないことのように曝け出され、サンドバックのようにボコボコにされてポイッて何処かに放り出される、そんな感じでした、それは小気味よいほどに。しかしそれは、この二人だったから成立し得た事だったように思えました。

そう考えるとこの二人の出会いは「運命的」ですね。
互いが互いを強め、高め、やがては“最強のふたり”になるのですから。

Earth,Wind & Fire の名曲「September」とマセラティ、フェラーリの麗姿に彩られ、ユーモアと躍動感に満ち、湿っぽい説法とは無縁の演出でしたが、フィリップとドリス其々の人生で其々に抱えてきた苦悶が時として心に迫りくるシーンもあり、エンドロールには心の中で熱いものが込み上げてきたのでした。
特に最後の実在のふたりのカットには、運命の出会いって本当にあるんだなぁ・・・ってしみじみ。


                       白壁蔵 スパークリング.bmp

まだ明るいうちの乾杯。
日本酒の微発泡をシャンパングラスで。
秋を迎えつつ、晩夏の「夏」をまだまだ感じています。夕酒は夏を名残るもの・・・でしょうか?


・・・・・次回記事は「裏社会の便利屋さんと売れない役者さんのお話」で。




posted by ぺろんぱ at 21:29| Comment(10) | TrackBack(1) | 日記

2012年09月04日

ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して


   元町映画館で『ビッグ・ボーイズ しあわせの鳥を探して』(デイビッド・フランケル監督)観て来ました。
これって6月頃にシネマート心斎橋で上映されていたとか? その時はノーチェックでした。

「“バード”フル・コメディ」っていうキャッチコピーそのままに、たくさんの野鳥たちが姿を見せてくれました。
クスッと笑って、北米の美しい大自然に癒され、最後は幸せな気分になって劇場を後にできました。
それにしても、こんなに“とことん”愛せる対象があるって幸せなことだなぁ・・・いえ、時としてイタイけど。

story
「ザ・ビッグイヤー」、それは一年間に北米大陸で見つけた野鳥の数を競う大会の事。出場者は仕事や家庭生活に支障をきたすほどの時間と大金を注ぎ込み、一年間に40万キロ以上を移動して鳥探しに明け暮れる。実業家のスチュー(スティーヴ・マーティン)、やり手の建設業者で最高記録保持者のケニー(オーウェン・ウィルソン)、バツイチでフリーターのブラッド(ジャック・ブラック)の三人は、それぞれに悩みを抱えながら参加する。勝利を手にするのは誰なのか?旅は人生を変える冒険の旅となるのだろうか?
          
                       ビッグ・ボーイズ 1.jpg

                     ※story、画像とも映画情報サイトよりの転載です。


 アメリカってつくづく面白い国ですね。
時々とんでもない(そして意味不明の)コンテストとかをやっていたりしますが、これもある意味とんでもない、クレイジーな大会です。劇中でいみじくも「アメリカ人は何でも“競争”にする!」って台詞がありましたが、まさにそのとおりですね。
でもそこは流石に「理想」を掲げる国だけあって「記録は自己申告制で写真などの証拠物件も不要」「優勝で得られるのは名誉だけ」っていうのは、いやはや、大したものです。
もともとはライフルで野鳥を打ち落しその数を競っていたのが「殺すよりも数える方が断然いい!」っていうことでこの大会が始まったという背景があるらしく、そこは心優しさを感じて賛同。

この大会、参加者たちの意気込みがとにかく半端じゃないです!
参加者同士の虚々実々の駆け引きや心理作戦は笑いを誘いますが、お金や仕事や家庭を投げ打ってひたすら鳥を追いかける姿には、笑いを通り越して唖然としてしまいます。
実際の参加者たちをルポした上での脚本というのだから実話ベースってことですよね、凄いです。

主演の三人、ジャック・ブラック、スティーヴ・マーティン、オーウェン・ウィルソン。
画的にも可笑しみを誘うキャスティングです。それぞれがそれぞれの思惑を内に秘めて見つめ合うショットが本当に可笑しいです。

大会の行方を追い描くだけじゃなく、三者ぞれぞれの人生が鳥を追い求める日々に絡めて描かれます。大会終焉とともに、それぞれ、三者三様の着地点に辿り着きます。
その辿り着く先はやや予定調和的ではありますが、その分、安心して素直に流れに身を任せて楽しむことが出来たと言えるでしょうね。

欲を言えば、あれだけの大自然を巡るロード・・・もっとじっくり景観を楽しみたかったかなぁ、などと思ったり。もっと大胆にダイナミックに切り取って見せて欲しかったと思う「一瞬の景観」もあり、ロケ地が贅沢なだけにちょっと勿体ない気がしました。

とは言え、
「出逢うチャンスは一瞬だ、鳥も、友だちも。」
「パスポートもなく飛びまわって、いろんなものを見ているんだ、鳥たちは。」

などの印象に残る台詞も散りばめられ、風変わりなシチュエーションを舞台にした喜劇映画ってだけじゃない、ほんわか心に残る好ましい作品に仕上がっていましたよ。

                      
                      ひねぽんとお酒ひや.bmp

逝く夏を惜しみつつ、自宅ではジンをガンガン飲んでいる私ですが、こちらの画像は某店でのソウル・アルコール?日本酒と、酒肴ひねポン です。
ひねぽんと和酒、ゆるゆると盃を傾けるには最高のタッグですよ。





posted by ぺろんぱ at 20:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2012年08月25日

贖罪 (文庫本)


 先日の再会酒宴でMッチーさんが本を一冊貸してくれました。
『贖罪』(湊かなえ著 双葉文庫)です。Mッチーさん、ありがとう。

湊さんは映画『告白』(中島哲也監督)を観た後で原作小説を読みましたので、本作が「私にとっての湊かなえ第二作目」となります。
『告白』同様、冒頭からぐいぐい引き込まれてあっという間に読了しました。

                      贖罪.bmp

文庫化されて間もなく、これから本を手に取る方は多いと思いますので敢えて多くは語りませんが、どろどろとした怨念の行き着く先の深い闇ばかりを想像していたので、最後の最後で、怨念渦巻く足下、地底にちろちろと流れていた清流に気付かされたような気持ちになれたことは意外であり救いでもありました。

湊さんの、登場人物一人一人の心理描写が深いです。なので、活字なのにそれぞれのキャラクターがちゃんとそれが“見えて”くるのです。

そしてこの人の「信念不在の体制派に対する糾弾」は凄いですね。その表現は的を射ているも辛らつで、世間の多数の人間を敵に回しかねないほどの毒を孕んでいます。登場人物によくあれだけの台詞を吐かせたなと驚くとともに、しかし誰もが言えなかったことを代弁してくれているかの如き潔さには喝采を送りたくなるほどです。これは『告白』でも同様の感想を抱いたことを覚えています。


物語は終章を迎えて初めて某人物が大きな存在になってゆくのですが、「過去」「現在」「未来」と、良くも悪くもこの繋がりの深奥さを感じずにはいられませんでした。


巻末にこの原作がドラマ化(WOWOWで放送)された際の監督・黒沢清氏のインタヴューが収められています。これがまた非常に興味深く読めました。
原作があっての映像化の難しさ、独自の創造力で原作とは違った作品に作り上げてゆく面白さ、その両方を改めて教えられた思いでした。
小泉今日子さんがあの人の役なのですね・・・是非、ドラマ化された本作も観てみたいです。


                      黒星赤星味比べ.bmp

さてさて、こちらはビールの“味くらべ”。
連日満員御礼の某立ち呑み屋さんでのサッポロビールの赤星ラベルと黒(金星)ラベル。
私的には「黒(金星)ラベル」がよりコクを感じて好きかなぁ。でもどっちも美味しいですけどね。かわいい


posted by ぺろんぱ at 20:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2012年08月21日

五月のミル (BS録画撮り鑑賞)


 『ローマ法王の休日』鑑賞を受けて、ミシェル・ピッコリ繋がりで『五月のミル』(ルイ・マル監督 1989年作品)を観ました。少し前にBSプレミアムで放送していたものを録画しての鑑賞です。

「五月のミル」、八月に観る。(こういうつまらないことを考えていると、人生ちょっとだけ楽しくなります。)

story
  1968年5月、南仏ジェールのブルジョア、ヴューザック家。時は五月革命のさなか。老母(ポーレット・デュボー)が死に、長男のミル(ミシェル・ピッコリ)は彼女の死を弟妹や娘たちに伝える。ミルは娘一家や親族との再会を喜ぶが、遺産相続をきっかけに互いのエゴがぶつかり合いはじめる……。

                        ミル.bmp
                       ※story、画像とも映画情報サイトよりの転載です。


  この映画の内容を全く知らなかった時、ミルという名前から、草原を行く5月の爽やかな風の中に立つ多感な少女の物語を思い浮かべたものでしたが、これは五月革命のさなか、老母の死で久々に顔を合わせた親族たちによって右往左往させられる初老のオジサンの物語なのでした。

五月革命というのがキーになっています。
反権力、反資本主義、フリーセックスなどを謳った、一般民衆や学生によるストライキを主としたこの反体制運動を熟知していないと、ここに集った面々の妙ちくりんな言動にかなり違和感を覚えることになるかもしれません。(私は覚えました。)
「退廃」と紙一重のような生活を送りながらも遺産の分配には非常に現実的で、そして「革命」について論じ合うスノッブさを身にまとうのも忘れない彼らに、観ていて少し苛立つ思いも。

そんな中、ミルと子ども(特にミルの孫娘)は変わらぬ風情に見えます。
子どもはすごいです。大人たちの間にくり拡げられる難儀でタブーな問題も、全て興味の対象として捉えて吸収してゆく逞しさといったらありません。ミルと孫娘の浮世離れしたような会話が可笑しくて、さっぱりとした気分にさせてくれたりします。

ドタバタとも思えるような数日間の親族たちとの道行の中でそれぞれが潜在的に抱えていた問題が浮き彫りになり、傷となって膿を出し、しかし不思議なことにやがては治癒してゆくという感じだったのが興味深かったです。
家族、親族というのは厄介で、しかし面白いものですね。

穏やかだったミルの日常にある日突然大嵐がやって来て家中の全てを吹き飛ばし、嵐が去って再び、田舎町ののどかな自然の中にミルと家だけが残される、そんな感じのラストです。
ちゃっかり手を出していたメイドの女性にも俄かに出来たオトナな恋人にも、どっちにも去られてしまったけれど、きっとミルの残りの人生は変わらずあの南仏の田舎町で続いてゆくのでしょう。


食事のシーンが多いという点で日本映画とフランス映画は似ているという話をかなり昔に聞いたことがありましたが、本作も食事のシーン(調理段階からの)がかなり多く、その描写もかなり丁寧です。「家族を描く=食を描く」っていうこともあるのかもしれませんね。
また、(こちらは)生々しくはないけれど性(セックス)に言及するくだりも多く出てきます。性を大らかに捉えているところもあれば究極の真理に迫ろうとするかのようなところもあり、タイトルだけで爽やかで瑞々しい物語を想像しているとかなり手痛い目にあいます(苦笑)が、終わってみれば中々チャーミングな作品だったと言えなくもない?でしょうか。

ミルの娘カミーユをミュウ=ミュウが演じています。この人は美人というのじゃないけれど強さを漲らせた独特の風貌が存在感ありますね。
私的には弟の後妻リリー(演じるはハリエット・ウォルター)が良かったです。



                      薩摩維新ロック.bmp  薩摩維新・ロックで

 さてさて、先のお盆休みだった休日、久々に再会のMッチーさんに御案内してもらって天満のモツ鍋屋さん「福福福屋(ふくみや)」さんに行きました。猫事情で他の友人達より早帰りせねばならず私はほんの数口しか味わえなかったものの、その美味しさにビックリ!叶うならもう一度ゆっくり味わいたいものです。
その時にいただいた焼酎<薩摩維新>がこれまた芋焼酎の概念を覆すような爽やかなミントのような香でした。ホント、世の中にはまだまだたくさんの未経験のお酒アイテムがあるのですね。


ついでにもう一枚。 残暑厳しき折、家中の避暑地を求めて彷徨う我が家猫・a です。

                     a 避暑地その1.bmp


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2012年08月16日

ピサロと印象派 展


  先日、兵庫県立美術館に『カミーユ・ピサロと印象派』展行ってきました。
友人4人が集っての拙宅ワイン宴で、Nちゃんから戴いたチケットです。久々の県美です、ありがとう、Nちゃん。

                       ピサロ.bmp


自然風景の温もり、朗らかな生活の営み、そこで暮らす人々の穏やかな笑みが伝わってくるような、そんな作品が多かったです。
何より、絵筆を握っているピサロ自身の、前方に広がる風景を見つめている幸福感が漂っている感じがしました。それは何年もの時を経て、彼の作品を観ている今の私をも幸福感で満たしてくれました。

「エヌリー街道の眺め」
「ポントワーズのレザールの丘」
「エラニーの農園」
「林檎の木」
「昼寝、エラニー」
「朝、春、陽光、エラニー」
「チュイルリー後援の午後、太陽」  etc.・・・

いずれも、私自身が穏やかな想いで満たされた作品でした。

そうそう、大好きなコローの作品も一作品展示されていて嬉しかったです。


私、映画もそうですが美術展も独りで行くことが殆ど今回もそうでした。
自分のペースで自由に観て回れて、展示場を出る前にもう一度気に入った作品を観に戻ったりもできます。
しかし誰かと一緒に観て回ることも違う意味で深みのある時間というか、唯一無二の想い出をもたらせてくれるものだと思います。年を重ねるとそういう時間も大切だとしみじみ感じます。「時間」というのは、ただの物理的経過ではないのだと感じるようになりました。
ここ県美は、良い気候の時は美術展を観終わった後で前庭に出て海面を眺め、風を受けるのも楽しみに一つです。そこにビールかシャンパンがあれば最高なのですが、たいていは叶いません。


                      ロゼ スパークリング.bmp
                    
 さてさて、先日のワイン宴。恒例の“皆で持寄り”の酒宴です。
ビールのあと、先ずはロゼのスパークリングで乾杯。発泡も優しく、ボトルラベルのエンゼルが微笑んでいるような、キュートでスウィートな味わいでした。
怒涛の数時間。ワイン6本と、(ワイン宴なのに何故か)芋焼酎ボトル1本が空きました。とても楽しかったです、ありがとう。ぴかぴか(新しい)





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