2008年08月15日

赤い風船/白い馬  そして塩田千春展

 夏季休暇はアートに酔って始まり、お酒に酔って終わる、といった感じでしょうか。

「熱い熱い」と言ってはいても確実に日は短くなっていて、ついこの間まではまだ明るかった時間に今は薄い夕闇を見るこの頃です。
地球は太陽の周りを廻り続けているのですね、確実に。
 
 お休み中の映画はモーニングショーの短編二本です。
大阪で上映中はタイムテーブルがスケジュールと合わず止むなく見送ってしまいましたが、この時期に神戸でモーニング上映となっていたので行って参りました。
『赤い風船/白い馬』(アルベール・ラモリス監督)です。観ておきたかった映画です。シネ・リーブル神戸で鑑賞。
                赤い風船.jpg  赤い風船
 
storyと解説
1956年に発表され、その年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したものの、日本では観る機会が限られていた伝説の名作『赤い風船』がデジタルリマスター版で復活。監督は“シネ・ポエム”と呼ぶべき作品を生み出した、故アルベール・ラモリス。同監督作『白い馬』も同時上映。

<赤い風船> ある朝、赤い風船が街灯に引っ掛かっているのを見つけた少年パスカル(パスカル・ラモリス)。街灯によじ登って風船を手に取った彼は、しっかり握ったまま風船と一緒に過ごすように。だが、しばらくすると、風船は手を離してもパスカルの行く先々についてくるようになる。そんなパスカルと風船を町のいたずらっ子たちが追うが……。36分作品。

<白い馬> 南仏カマルグの荒地に、野生馬の一群が生息していた。地元の牧童たちは群れのリーダー、“白いたてがみ”を何とかして捕らえようとするが、逃げられるばかり。そんなある日、漁師の少年フォルコ(アラン・エムリイ)が、ついに牧童たちに捕らわれた“白いたてがみ”の姿を目撃。フォルコは彼を牧童から守りたいと願うが……。40分作品。  
   (両storyとも、「シネマトゥデイ」より抜粋)
   ※映画に関する写真は全て映画の情報サイトより転載させて頂いております。

                 白い馬.jpg  白い馬    

         
 極端に排除された台詞。
BGMも音楽ではなくて効果音が多用されています。CGもない世界ですが、魅せられました。
両作品には4年くらいのインターバルがあるのかな、、、『白い馬』はモノクロで『赤い風船』はカラー作品でした。作り方も、『赤い風船』の方が、より観客を意識してのものだと感じました。

しかしそこに一貫してあるのは「少年と(人間ではない)動物・モノとの魂の重なり」でした。
少年と孤高な馬、少年と見捨てられていた風船。其々、両者の間に芽生えたものは、友情というよりは「愛」、魂の触れ合いというよりは「重なり」でした。
両作品とも、ラストに見る「浄化」に心を掴まれます。ファンタジーと表現するよりは形而上的なものを感じさせるラストと言えます。

『赤い風船』はビジュアルが色彩的にとても美しく、どこを切り取っても絵になる感じでした。
適度なユーモアも交え少年の心を瑞々しく描き、少年を不意に襲った絶望感から最後に一気に希望へと昇華させる見事な作品でした。
主演の男の子は監督の息子さんだそうです。とても可愛いです。

                赤い風船2.jpg

『白い馬』はモノクロームの映像の中に幻想感も漂う、これも美しい映像です。
少年が沼地で馬に引きづられるシーンや馬同士の決闘のシーンなど、力強く非情にリアルでありながら何処か気高い孤高感をまとった映像で、不思議な感覚をもたらしてくれました。
一瞬、黒澤映画を想起させるシーンもあり、古い映画でありながら現代にも息づく「普遍の力」を感じます。
ラストは現実世界では悲劇であり、物語としては「魂の浄化」です。最後に一気に作品世界を高めてゆく監督の手腕が凄いと感じました。

両映画とも、この世の大切なもの、美しいものの存在にハッとさせられる作品でした。


もう一つ、アート。かわいい
こちらも楽しみにしていた、国立国際美術館でのモディリアーニ展。
美術展へは何度か足を運ぶのですが、今回ほどじっくり眺め歩いたのは久し振りでした。時間はたっぷりありましたから。
モディリアーニの作品を堪能したことは勿論ながら、今回は併設展の<塩田千春 精神の呼吸>に強く心を惹かれたのでここに記します。
                塩田千春.jpg 塩田千春展 リーフ

特に息を呑んだのは「After That - 皮膚からの呼吸」でした。その巨大な作品の前から暫く動けなかった私です。
そしてその作品に続いて展示?設営?されていた「眠っている間に」や、別室で展示の映像作品「落ちる砂」などにも深く魅せられました。
   ※リーフに掲載の多数の靴の作品は「大陸を超えて」です。

ベルリンを拠点に活躍しておられる30代半ばの美術作家さんです。
またどこかで塩田さんの作品展があれば是非足を運んでみようと思います。


  さてさて、「お酒に寄って終わる」夏休み?でしたか?まだ終わってはいませんが。
最近、嵐(ジャニーズ)とドイツワインにハマっているという久々に再会の友人T嬢と拙宅でワインの夕べ。

                ワインの夕べ.jpg

手前のボトルが友人推奨のロゼ<ブラウァー・ポルトギーザー>です。フルーティーで仄かな甘さがクセになりそうです。
後方の赤と二本のボトルが空いて、さらに別の赤もグラスに二杯ほど・・・。(殆ど私が飲みましたがたらーっ(汗)

ワインの世界でも「赤」と「白」は永遠の美しき対比だけど、そこに「ロゼ」の存在があるところが何ともいいですね。ぴかぴか(新しい)
posted by ぺろんぱ at 13:44| Comment(10) | TrackBack(1) | 日記

2008年08月10日

ダークナイト THE DARK KNIGHT


 昨日9日(土)は、封切を待っていた「ダークナイト」(クリストファー・ノーラン監督)を。
 世の学生諸君は夏休みだし、封切初日で混雑は必至と思い、「混んでる時のHAT神戸頼み」で109シネマズHAT神戸での鑑賞。
後方ではありましたが、好みの「左通路側」の席をゲットでき、ゆっくりと鑑賞。

メジャー館での鑑賞は余り多くない私なので、たまに本作のような映画を観に行くと予告編でいつも「ハリウッドはえらいことになってるなぁ〜」と驚いてしまいます。
『ハンコック』や『ウォンテッド』、『アイアンマン』、ついでに『ハムナプトラ3』なんかも、とにかくCGが凄い凄い。
予告編だけであらゆる物が壊され炎上しました。その効果音だけで、もうぐったりです。
でも本作『ダークナイト』も結構えらいことになってました、はい。

               シネマズHAT神戸にて.jpg シアター前

story
 バットマンの最凶最悪の宿敵であるジョーカーの登場で混乱に陥ったゴッサムシティを守るべく、再びバットマンが死闘を繰り広げる。敵役のジョーカーを演じるのは2008年1月に亡くなったヒース・レジャー。シリーズで初めてタイトルからバットマンを外したことでも注目されている。
  悪のはびこるゴッサムシティを舞台に、ジム警部補(ゲイリー・オールドマン)ハーベイ・デント地方検事(アーロン・エッカート)の協力のもと、バットマン(クリスチャン・ベイル)は街で起こる犯罪撲滅の成果を上げつつあった。だが、ジョーカーと名乗る謎の犯罪者の台頭により、街は再び混乱と狂気に包まれていく。最強の敵を前に、バットマンはあらゆるハイテク技術を駆使しながら、信じるものすべてと戦わざるを得なくなっていく。(シネマトゥデイより)
     ※映画に関する掲載写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。


 このタイトルの意味するものが「バットマン」シリーズの“これまで”を覆しかねないくらいの意味深いものであった事と、あとは、何と言っても「ヒース・レジャーのジョーカー振りが圧巻」という、この二言に尽きる映画でした。
                 ダークナイト.jpg

シリーズを全作観てきましたが、バットマンと対する悪役を初めて「怖い」と思いました。

それほどヒース・レジャーはこの役に渾身の力を注いでいたのですね。
お金でもない、権力掌握でもない、ただ己が邪悪心を満たすためだけに為す極悪非道の行為。
「絶対的悪」の存在がそこにはあり、異様なまでに狂気に満ちたダークサイドに生きる者の姿を、まるでジョーカーとヒースが一体になったかのように全身の力を込めて演じていたように感じました。
そこまでの狂気に至るジョーカーの人生経緯も、言葉少なながらジョーカー自身の口から語られますが、ヒースはそれらの不透明で模糊とした幾つかの情報を基に、自分なりのジョーカー像を丹念に作り上げていったのでしょうね。死と引き換えになるくらいの荒行だったのかも知れないのに。
                 ダークナイト2.jpg

エンドロールの終りに「ヒース・レジャーとコンウェイ・ウィックリフに捧ぐ」の文字が・・・。コンウェイ・ウィックリフとは、本作撮影中に亡くなった撮影技師さんだそうです。
そしてヒース・レジャー。その追悼の文字を見て改めて「あぁ、この人はもうこの世にはいないんだ・・・。」と思いました。
そしたら何だか喉の奥に熱い塊のようなものがこみ上げてきた私です。
御冥福を祈ります。
                ヒース.jpg 故ヒース・レジャー

 この映画、2時間32分と、長いです。
本作のタイトルの意味するものを未だ知らないでいた時、そう、後半あたりで「そろそろこの辺で終わってもよかったのに」と感じたものですが、実はそれ以降の展開に最もこの映画の意図するところがあったわけです。
そう、終盤30分がこの映画のキーです。

DARK KNIGHT 〜暗黒の騎士。
「俺はヒーローじゃない」との言葉を残したバットマンですが、ヒーロー物として観てきたシリーズだっただけに、本作で自らの存在理由に於いて苦悩するブルースを見るのはファンとしては非情に忍び辛いものがありました。
「夜明け前が最も暗い」と語られるその言葉を信じて、いつかゴッサム・シティーに市民の(心の中の)光の騎士としてカムバックして欲しいと願いながらも、真のヒーローとして生きる決意をしたブルースの姿が、実はシリーズ中で最も気高く感じられたことも確かです。

                ダークナイト6.jpg

さて、本作ではあらゆるハイテク技術が登場しますが、殆ど付いていけなくなってます、私。(そういう意味では初期の頃のバットマンが懐かしい。)
特にモーガン・フィリーマン演じるルーシャス・フォックスが操作するあの<全携帯盗聴システム>ってなんですか、あれは?!
新兵器についてレクチャーを受けながらアルフレッド(マイケル・ケイン)に「先ずは説明書を読んで」って言われてるブルースがお茶目でした。
しかし、ハイテク技術の最たる見せ場は何と言ってもあの「バットモービルからの脱出シーン」でしょう!
思わず「おぉっ!」と声を上げてしまいました。目の冷めるような爽快シーンで必見モノです。
                ダークナイト1.jpg

そんな中、静かながら力強く見せてくれた「船の起爆スイッチのシーン」はドラマとしての重厚感が有り、ハイテク物の氾濫だけで見せている映画ではないのだとも感じます。

何となく残念に思えたのは、ゴッサム・シティーが魔的なベールを取り去ってしまったかのように「現実的な大都市」に感じられたことです。もっとダークで、妖しげで、それでいてオモチャ箱的な、そんなイメージじゃなかったですか??
どんどんと(ある意味)綺麗にスマートになっていくのが少し淋しいところです。
それからもう一つ。
ブルースやデント(アーロン・エッカート)が命を賭して守ろうとする最愛の女性レイチェルですが、演じたマギー・ギレンホールに今一つそこまでの魅力が感じられなかったのも残念なことの一つです。
                ダークナイト3.jpg

悪役<Two-Face>の誕生秘話もテーマの一つだと思いますが、とにかく本作は、自らを「暗闇の騎士」と称する本当のヒーロー像と、今は亡きヒース・レジャーの狂気のジョーカー像とに酔ってもらえる作品ではないかと思います。
(あ、キリアン君がちょこっと出てきたのは嬉しいサプライズでした。)


                ドライ・マティーニ.jpg

 先日お連れ頂いた北新地のBarにむらでの<ドライ・マティーニ>。
いでたちもクールで凛として、味わいも
大変美味しゅうございました。
何となく、画的に<ダークナイト>のイメージじゃないですか。
posted by ぺろんぱ at 16:27| Comment(10) | TrackBack(1) | 日記

2008年08月07日

ゾディアック(DVD鑑賞)

  一昨日の夜はいきなりの豪雨で帰りが大変でした。

駅からタクシーで帰ろうとタクシー待ちの列に並んだものの、待てど暮らせど長蛇の列はちっとも減らず・・・。取り敢えず「豪雨」ゾーンは過ぎたかなと思う頃に列をはなれて徒歩で帰途につきました。
しかし豪雨は過ぎてもまだまだ「大雨」状態。連日の猛暑で“いかにもパラソル!”的な小傘しか持っておらず、服もバッグも殆ど濡らして帰りました。
が、その日は仕事関係でいただいたロゼワインを持ち帰っており、それだけはしっかりと大切に腕に抱えて帰りました。

・・・優先順位、どこか間違ってます?


さて、先日、米国事情に並々ならぬ関心を示す?友人Cちゃんが「観に行ってなかったのなら観てみる?」とDVDを貸してくれました。今一つ得意分野の?映画ではなかったので観に行っていませんでした、Cちゃんありがとう。
早速に拝見、『ゾディアック』(デビッド・フィンチャー監督)です。
                 ゾディ1.jpg

story
 アメリカ犯罪史上最も危うい連続殺人鬼と言われる“ゾディアック・キラー”を題材にした映画。ゾディアックに関わり、人生を狂わされた4人の男たちの姿を描く。監督は『セブン』のデビッド・フィンチャー。
 1969年7月4日、カリフォルニアでドライブ中の若いカップルが銃撃され女性は絶命した、と警察に通報が入る。そしてその通報者は最後に“犯人は俺だ”と言い残していた。それから約1ヶ月後、サンフランシスコ・クロニクル紙に一通の手紙が届き、7月の事件を含め2件の殺害を実行したとする声明文が書き記されていた。それは、のちに自らを“ゾディアック”と名乗る者からの最初の手紙だった。さらに、そこには謎の暗号文も添えられ、それを新聞の一面に載せなければ大量殺人を決行する、と脅迫してきたのだった。以来、同紙の記者エイブリー(ロバート・ダウニーJr)と風刺漫画家グレイスミス(ジェイク・ギレンホール)は、この一件と暗号解読に並々ならぬ執着をみせ没頭していく。一方、サンフランシスコ市警の刑事トースキー(マーク・ラファロ)アームストロング(アンソニー・エドワーズ)も取り憑かれたようにゾディアックを追いかけるが…。(映画ZODIAC情報サイトより)
    ※映画に関する写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。


  久しぶりに長尺の映画を鑑賞しました。157分。
ニ夜に分けての鑑賞だったからよかったのかもしれませんが、丁度“流れ”的なものが変化する中盤あたりで緊迫感が増し、取り敢えず画面から席を離れることなく観終えることができました。

実話を基にした映画ですが、不可解な連続殺人犯を追う捜査ものとしては同監督の『セブン』と比されるところがあるかもしれません。
『セブン』がいろんな意味で“見せる”映画だったのに比して、本作はどっちかというと“見せ場の無い”映画だったような気がします。
『セブン』のように、ある意味“華麗な”衝撃的ラストが用意されているわけでもなく、「実話であること」を大事にして撮られた、ある意味“地味な”「記録」、もっと言うならそれこそ「一連の犯罪を巡る“クロニクル(年代記)”」のような気さえしました。(←サンフランシスコ・クロニクル紙社が舞台となっている映画でもありますのでちょっとひっかけてみただけです、年代記というのは余りにも大袈裟すぎます。)
                ゾディ2.jpg

観終わった後の“どっぷりの疲弊感”は、そのまま、この一連の事件に関わった人たちの「人生の疲弊」なのではないかと感じるほどの、本件をめぐる人々の「時間と労力と精神」の摩耗といったら・・・。
実際この一連の事件は解決はされておらず、映画も真犯人の特定に焦点を当ててはおらず、むしろ捜査や報道に関与した人間の執着と、翻弄されやがては崩壊すらしていくさまを執拗と云えるほどにじっくりと描いていました。

当然そこには過去から現在に至るまでの膨大な量の情報が必要であるわけで、これだけの長い作品に仕上げるには余程の綿密な取材力と緻密な構成力があったはずだと思います。
そして当然、観る側にも登場人物の一挙手一投足や細かな台詞の一つ一つから瞬時に想像を働かせる感性も必要なわけで、残念ながら力不足の私には理解できかねるままに終わってしまった箇所は幾つかありました。

けれどその消化不良感もまた、そのまま、本件に関わった人々の「終わるに終われないやるせなさ」や「喪失感」に通じるものがあるのではないかと(勝手に)解釈している私です。
                 ゾディ3.jpg

本を書き上げたグレイスミスは、ある意味“浮かばれた”と言えるかもしれませんね。ただ、そこには多大の労と犠牲があったわけですが。
不気味で不可解な「ゾディアック」に、関わり、ある意味“魅せられて”しまった人間たち。どうしようもなく俗的でありながら、憑かれ、やがて狂気をまとい「聖域」といえるステージにまで行ってしまった人間たち。
そんな人たちの「記録」として、この映画はあるような気がします。

ラスト。
真犯人は誰であるのかということへの言及も忘れられているわけではありません。
文字だけで語られる真実が、凄味があって観る者を震撼させます。
「DNA鑑定でシロと判定された容疑者を、しかしまだ容疑者リストからは除いていない。・・・・中略・・・そして現在も捜査中。彼が唯一の容疑者である。」

真実は闇の中。   

               ゾディ.jpg

  さて、本作は、実は近日中に観に行く予定の二作品と“微妙にリンクしている”ことに観終わってから気付いた映画です。

先ずジェイク・ギレンホール。
映画としては未見ながら、この人を見ると思い出す、故・ヒース・レジャーと共演していた『ブロークバック・マウンテン』。
そのヒースの遺作となってしまった『ダークナイト』(バットマンシリーズ最新作)が、いよいよ今週末公開、前売り券を購入済です。
それからマーク・ラファロ。
おそらく『ダークナイト』の次に観に行こうと予定をしている新作に、マークさんが主要キャストで出演しています。
濃い顔に似合わない繊細な声が中々よいですね。

こういう繋がりにささやかな喜びを感じる私です。
 
                ダーク チケット.jpg

 ↑ 仕事の休憩時間に購入してきた前売りチケットです。
さすがに会社のデスクではアルコールは「×」です。
カフェラテ・シリーズ<エスプレッソ>で。




 
posted by ぺろんぱ at 05:10| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2008年08月03日

百万円と苦虫女


  昨日2日(土)はシネ・リーブル梅田で『百万円と苦虫女』(タナダユキ監督)を鑑賞。

 映画の後で、急遽、ワイン好きの友人N子と前回ブログで紹介のぽっぽ亭に行くことになりました。(ワインについては後述)
手先の器用な彼女が手作りのビーズの指輪をプレゼントしてくれました。ぴかぴか(新しい)

                リング.jpg

とても素敵です。
こういうアクセサリーをいただいた瞬間、“乙女”になりますね。
ずっと昔にどこかに置いてきたままで、その存在すら忘れていた私の乙女心ですが・・・。

 さて、昨日の映画は、そんな乙女心が切なく弾けて、苦虫女をちょっと逞しく大きく変えさせてくれるっていうお話、でしょうか。
だけど単なる乙女チックメルヘンじゃないですよ。結構「花に嵐のたとえもあるぞ」の世界でした。
さよならだけが人生だ!???

story
 就職浪人中の鈴子(蒼井優)は、アルバイトをしながら実家で暮らしていた。彼女は仲間とルームシェアを始めるが、それが思いも寄らぬ事件に発展し、警察の世話になる。中学受験を控えた弟(齋藤隆成)にも責められ家に居づらくなった彼女は家を出て、1か所で100万円貯まったら次の場所に引っ越すという根無し草のような生活を始めるが・・・。(シネマトゥデイより)
    ※映画に関する掲載写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。
                百万円と.jpg

 前週の鑑賞作『ハプニング』で「こんな死に方もあるんだぁ。死のうと思えばどうやったって死ねるものなんだ。」って思いましたが、本作では「こんな生き方もあるんだぁ。生きようと思えばどうやったって生きていけるものなんだ。」と思いましたね。


 誰も自分のことを知らないところに行ってそれまでの自分をリセットしたいっていう気持ちは何となく分かります。
そこで一つの目安にしたのが100万円。
その目安の額が妙に現実的で可笑しくも可愛いです。

実際、若い女の子が一人で100万円貯めるのってそんなに簡単じゃないと思うけれど(それこそ辛酸をなめるくらいのことがあるかもしれない)、意外とさらっと貯めていくところが非現実的でちょっと漫画チックではあります。
                百万円と1.jpg

まあそれはいいとして、リセットしたって自分の人生は続くわけだから、どこに行ってもやっぱり自分と向き合わなきゃならないのですよね。
「逃げてちゃいけないんだ」って最後に分かるのだけど、それが結局は“ブロークンハート”と、最初に逃げ出してきた“家族の存在”によって気付かされたというところが、なんとも皮肉でほろ苦いですね。

                百万円と2.jpg

海の家では軽いジャブ。
桃園では手痛い洗礼を受けつつも人の心の温もりを知り(ピエール滝、とてもいいです!!)、ホームセンターでは涙の味を知る・・・。
若い女の子の話なのだけど、いつの間にか凄く引き込まれてしまいました。

ラストも“ビター・テイスト”だけど、それなりに教訓になってることもありました。
                 百万円と3.jpg

先ず、物事はやり方を間違えると取り返しのつかないことになるのだということ。
中島君、若さと純粋さのなせることとはいえ、その方法は駄目でしょ。心理学を勉強している大学生とは思えないくらいに稚拙だとしか思えないよ。(一途さのせいで判断を誤ったか?)
鈴子が最後に語った「言葉に出して気持ちを伝えないといけないんだ」ということを、中島君は多分一番分かっていたはずなのに・・・。彼の心の幼さがまた、何だかつらいなぁ。

それから、鈴子ちゃん。
「もう逃げない」って決めたのなら、あそこにあのまま留まって立ち向かうという選択もあったと思うのだけど。
どうしてもう一回リセットしたのだろうって思うとちょっぴり悲しいですね。
                百万円と4.jpg                
でも、しかし!
ドーナッツ齧って明日へと旅立つ鈴子ちゃんに心からエールを送りたくなりましたよ。
うん、人生は思いっ切りビターなのだね。


  映画の後は先述の通りNちゃんと福島のぽっぽ亭へ。
二人なので明るいうちからボトルを開けちゃいまして、それでも足りずにグラスワインを2杯ずついただきました。
シェフ服に身を包んだママさんのお料理は美味しく、珍しいところでは<畳鰯のチーズ焼き>なんていうのも赤のお供にはgoodでしたよ。

      ボトルで.jpg    畳鰯と.jpg

二人の苦虫女?はワインでほろ酔い、“甘ふわ女”になって帰途につきましたとさ、めでたしめでたし。
posted by ぺろんぱ at 19:55| Comment(10) | TrackBack(2) | 日記

2008年07月30日

ダーク・ブルー(DVD鑑賞)

  先日来のお題作品より一作。

レンタルショップTは大々的なレンタル料サービス期間とあって多くの作品がレンタル中。目についた本作を取り敢えずしっかりキープしました。
拙ブログにコメントを下さっているTiM3さんに(『父、帰る』鑑賞時の拙レヴューへのコメントで)ご紹介を受けた『ダーク・ブルー』(ヤン・スヴィエラーク監督)です。
昨日の夜、眠る時間を惜しんで一気に鑑賞。


story
  第二次世界大戦、ナチス占領下のチェコスロバキア。祖国をあとにし、英国空軍パイロットとして戦地に赴くフランタ(オンドジェイ・ヴェトヒー)カレル(クリシュトフ・ハーディック)は年齢差を超えた友情で結ばれる。ある日、カレルは人妻の女性(タラ・フィッツジェラルド)を愛してしまう。だが彼女が愛したのはフランタであった。激しい戦火のなか、禁断の欲望だけが渦巻く。そして三人の運命は思いもよらぬ方向へ傾いていくのだった。(映画情報サイトより)
     ※映画に関する掲載写真は全て本作の情報サイトより転載させて頂きました。
                ダーク4.jpg

  何だか不思議な映画でした。
戦争の(或いは戦争を描いた)映画なのに、美しいヨーロッパの野辺の風景と、男女の恋、男同士の友情という、人と人とが触れあう情感を詩情豊かに捉えた瑞々しさが印象に残る作品でした。
1時間50分のフィルムとは思えないほどに、そこには様々な情感が詰まっていました。

イメージとしては「美しい」という言葉を残した作品ですが、戦争がもたらす不条理さを底辺に、決して美しいエンドを迎えている映画ではありません。むしろ酷く痛々しい世界が広がっていると言っても過言ではありません。
                 ダーク.jpg

愛国心、友情、恋、それらの普遍的なテーマに加え、戦争による別れと死、そしてこのチェコスロバキアという国がたどる運命の苛酷さとそれに翻弄される人々の苦しみ。
それらが、退役後に「囚われの身」となった(戦後、共産主義化した自国によって、英国軍として闘った咎で入獄を強いられた。自国のために英国軍として闘ったのに、です。)フランタの回想として語られていくのですが、囚われのフランタが既に彼の人生そのものを達観しているようにも見受けられ、そして達観しているからこそ、過ぎ去った彼の人生を今は“美しく尊きもの”として述懐できているのであろうかと想像したりしたものです。

想い出が“苦い”ものであっても(事実、苦い想い出も有り…)、しかしながら彼の「人生の軌跡」として全てが“彩り”を放って描かれているのですが、その辺りが本作を単に戦争を描いた映画として位置づけるに難いものとしていると思います。。
全てを悲惨なベールで包んでしまうのではなく、美しく輝いていた青春は青春として、甘やかな恋は甘やかな恋として、全てを彼の人生の一コマとして、彼の、或いは彼と関わった人達の「人生」を鮮やかに描いて見せてくれているところが素敵でした。

                 _[NR.jpg        
       
フランタだけでなく、カレル、そして彼らの愛したスーザン、其々のたどった人生は決して幸多きものではなかったかもしれませんが、一瞬一瞬において、彼ら自身の、彼らだけの、かけがえのない人生があったことを思わせてくれます。


 戦争が最終的にフランタに科した荷は、誰もが彼の立場におかれたとしたら声高に「それは違う!」と叫ばずにはいられないものですが、それらの感情を全て飲み込んで自分の「今」と向き合っているフランタの姿が、痛々しくも尊く感じました。
そういう観点から捉えれば、私はむしろ、あの暗くて痛みを伴う、戦犯として囚われの身となったフランタの「今」の姿に最も惹かれるところは多いといえるかもしれません。
全てを噛み含んだフランタの「孤高な姿」がそこにはあると言えるからです。

孤高とは言いましたが、どこにでも彼らの生き方を精神的に肯定しようとする人間(ドクター)がいた事は、自分自身が正しいと思うことには抗うまいとする存在を感じて救いとなりました。

                ダーク5.jpg

  戦争と自国の不遇な歴史により、彼らはその尊い人生の大半を奪われてしまったわけですが、それでも尚、美しく輝いていた「彼らの時間」が確かに存在していた事に、静かに心打たれる思いです。

佳き映画のご紹介をありがとうございました。
次は、同じく拙ブログにコメントをくださっているビイルネンさんご紹介の、同監督作品『コーリャ・愛のプラハ』を手に取ってみたいと思います。
    
  佳き映画を反芻しつつ、<ぽっぽ亭>というお店での白ワインと和風クリームチーズ、そして赤ワインの画。
友人に教えてもらった、小さいけれど居心地のよい佳きお店です。

     poppo.jpg     ぽっぽ 赤.jpg      
  
 映画の中では失意のカレルがスコッチを痛飲していましたけれどね。
そういえば、カレル役の男の子、顔立ちが仏女優・ジュリエット・ビノシュに似ていました。
posted by ぺろんぱ at 22:42| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2008年07月27日

ハプニング


 蝉の大合唱で幕を開ける夏の一日です。

こんもり茂った緑の木々の下を通ると、蝉の声に全てが圧されて一瞬時が静止したような錯覚に陥りませんか。
そこに居る無数の蝉の存在を思う時、ふと、命短き彼らは一体どこで死んでいくのだろうかと思いました。
鳴いて鳴いて、ひたすら鳴き続けて、その木々の上でふと自らの命の終りを悟る時があるのでしょうか。
一瞬の時の止まりが、そんなことを考えさせる夏です。


 7月最後の週末の26日(土)、梅田ブルク7でM.ナイト・シャマラン監督最新作『ハプニング』観てきました。
シャマラン監督の世界は好きで、新作を楽しみにしていたのですが本作は「怖い」ってことで逡巡しておりました。(『シックス・センス』は未だに怖くて手が出ません。)
けれどやっぱりこの監督の作品は劇場で鑑賞しておきたかったのと、何だか巷でとっても酷評されているみたいなので自分自身の心で確かめてみたかったのとで、行って参りました、ブルク。

私はやっぱりシャマラン監督、好きだなぁって思いますね。
感じ取ろうと思えば、そこにはきっと何かがあります。

                ハプニング.jpg


story
  いつもと同じ穏やかな朝を迎えたセントラルパークに、突然何者かの叫び声が響き、次々と人々は倒れ、謎の死を遂げていた。
さらに別の場所では、次々と人々が屋上から転落する大惨事が起きていた。そしてこの原因不明の異変は、ニューヨークのエリオット(マーク・ウォールバーグ)が勤める学校にも伝わり始める。エリオットは、同僚のジュリアン(ジョン・レグイザモ)に誘われ、彼の母親の住むフィラデルフィアへ避難することに…。だがこの謎の見えない脅威は、急速にアメリカ全域に広まり各地で大パニックが起きていた。エリオットは、妻(ズーイー・デシャネル)とジュリアンの娘ジェス(アシュリン・サンチェス)と共に安全な場所へ避難しようとするが――。(cinemacafeより)
     ※映画に関する掲載写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。


 冒頭からいきなり、どんどんと人が死んでいきます。
その「異変」の拡がりは早く、物語の展開も速いです。
余りに多くの人が死ぬのでかなりの時が経過したものと思い込んでしまっていましたが、結局はほぼ一日の出来事だったわけです。
その緊迫感が結構ぐったりとさせます。
                 ハプニング3.jpg

「異変」の原因は、「推測」という形で示されはしますが断定はされません。
真相がわからないまま、“それ”はやって来て、やがて去っていきます。
全てに答えがあるわけではない、答えがあるとしても、それはもしかしたら人間が都合よく後付けをしただけのことなのかも知れません。
ここで起こった事も、絶対あり得ないことではないのです。
それはある日突然に私達のすぐ傍で起こるかも知れないのです。
原因も、この先また同じ事が起こるのか否かも分からない、分からないけれどアメリカの北東部ではとにかくそれが起こってしまった、ということです。

奇しくも冒頭で、エリオットが教鞭を取る授業でとある学生がこう言いました。
「自然界のことは完全には分からない。理解を超えた力の存在を感じる」と。
まさしくその通りですね。
                ハプニング2.jpg

この自然界のモノたちは呼応し、相互に刺激し合って此処に存在しているのですね。
風、植物、人間。「異変」に関して何らかの意味を持つものとして3つのキーワードが挙げられます。
それらが刺激しあうことで生まれた超常現象が「人類を滅ぼす」ことに、あるいはなるのかも知れません。
物語はそう警告しつつ、終盤でたった一度、その三者が触れ合い、一体化するシーンを見せてくれます。
神の降臨を感じさせるかのような「素晴らしい」一瞬でした。
もしかしたらそのシーンのためにこの映画は撮られたのかもしれないとさえ思いました。

起こった事象だけを捉えれば確かに何も解決はされていませんが、その背景にあるものに心を向ければ、何かを感じ取れることはきっとあると思います。
                ハプニング4.jpg

シャマラン監督流のユーモアも見せながら、ぐさりと胸を刺されるような手痛い台詞や行動もありました。
“敢えて”それを描いた監督の意図は解せないけれど、一連の惨劇とは別の次元で、「人間の怖さ」を感じましたね。


ただ、ラスト、、、あれは無い方がよかったのじゃないかなというのが正直なところです。
「・・・かもしれない」という想像のままで終わって欲しかったなぁ、と。
それが少し残念です。

でも多分今回の監督のカメオ出演目はきっとあそこですよね??(違うかな??)「自転車を・・・」の男性。
そう言う意味では必要シーンでしたか。たらーっ(汗)


シャマラン監督、次回作を楽しみにしています。


  先日の仕事帰り、いつも開店を待つ行列が出来ているという某バールを訪問してみました。
なるほど、開店前の10分ほどの間に私を含めた20人ほどの行列が。オープンと同時にお店は満席に近い状態。

                バール.jpg               
私は端っこの席で白ワインとピクルスを。でもちょっと人に圧倒されてしまったかな、、、私はワインを2杯だけ飲んで出ました。

隣にやはり一人で来られていた女性(飲みっぷりと食べっぷりが素敵でした)がいらして、帰り際に少しだけお話をさせてもらったのが嬉しい出会いでした。かわいい
またどこかで出会ったらお声をかけさせて頂きますね。
posted by ぺろんぱ at 16:46| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記

2008年07月23日

萌の朱雀(DVD鑑賞)

 いきなりですが、拙宅にある3年ほど前に通販で購入した<ステッピング・マシーン>です。

               ステッピング.jpg

先日遊びに来てくれた女友達の一人が「わぁ!ウチにもあるのよ、このマシーン!!」って喜んでくれていました。W県に住む、別の親しい女友達も自宅に置いているとのことです。

ええっと・・・、違うのは彼女達はちゃんと使っていて私のはこの2年半ばかり只のオブジェと化してるってことです。
いやぁ〜、人生いろいろですね!・・・って、そういうことじゃないですね、はい ^^;。


 さて、今日は友人が送ってくれたDVDから再び一作。『萌の朱雀』(河瀬直美監督)です。21日夜に鑑賞。

同監督がカンヌでパルムドールを受賞した『殯の森』よりも10年前の作品でしょうか、、、『殯の森』で主演していた尾野真知子さんが本作では初々しい女子高生の役で登場されていました。(本作の時はまだ素人として御出演)
『殯の森』を観た時にも感じたことですが、この女優さんはとてもいいですね。
奇しくも、先週末の梅田ガーデンシネマ鑑賞『歩いても歩いても』に続き、「家族の形」を描いた映画でした。


story 
  河瀬直美監督が97年度のカンヌ国際映画祭で新人監督賞にあたるカメラ・ドールを日本人で初めて受賞した作品。
小さな過疎の村を舞台にそこにとある一家の人間模様を描いたドラマ。
吉野杉で知られる奈良県西吉野村。林業の低迷で過疎化が進むこの村で、田原孝三(國村隼)一家も代々林業で生計を立てていた。
そこに、過疎化に歯止めをかけるべく鉄道を通すためのトンネル工事計画が持ち上がる。「鉄道が通れば村を出ていかずに生活ができる」と人々の思いは切実であった。孝三自身もトンネル開通作業に携わり、一家のつつましやかながら幸せな生活は静かに過ぎていった。しかし工事は中断され、トンネルは無残な姿で取り残される。15年後のある日、愛用の8oキャメラを持って出かけたまま、帰らぬ人となった。そして、一家はそれぞれに村を離れなければならなくなってしまう…。(『萌の朱雀』映画紹介サイトより)
    ※映画に関する写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。
                 萌えの トップ.jpg

  『殯の森』に臨んだ時の気負い感は全くなかったので、素直に作品の世界に入り込めました。
本作でもドキュメンタリータッチであったり、台詞があまりなかったり、プロの俳優さんは國村隼のみという状況などは河瀬監督の撮り方でもあるのでしょうか。
そして本作でも『殯の森』鑑賞時に感じた「何処か突き放された感(極端に説明不足)」「そこにあるものから貴方が何かを掴め」的姿勢は同じだと思いました。

けれど、何故だか私は本作の世界を「好き」だと感じました。

風景描写の美しさや自然発生的「音」の郷愁感にも勿論負うところは大きいでしょうけれど、本作のテーマの一つである娘みちる(尾野真知子)が彼女の従兄にあたる栄介(柴田浩太郎)に抱いた淡い恋めいた感情の瑞々しさと、栄介が伯父・孝三の妻・幸子(和泉幸子)に抱いていた思慕の情のほろ苦さが、奇をてらった演出でもなく淡々と描かれ、それでいてそこに、何かしら切なく、あわあわと哀しい感情が感じられたからだと思います。

               萌えの1.jpg

父・孝三という存在の突然の欠落が一家の離散を招いてしまうのですが、村を挙げてのトンネル工事の中断がきっかけとなり「村が(文明から)取り残されていく」という感じが孝三自身をも「(何かから)取り残されていく」感が取り巻いてしまったのでしょうか。孝三はある日帰らぬ人となるのですが、事故なのか自殺なのか(そもそも死んだとは一言も語られていません)、それは観る者の視点に委ねられています。

孝三役の國村隼さんは上手いと思いました。
やはりそれがプロの演技なのだと思います。
うまく表現できませんが、画的にきゅっとしまり、観る側の意識が分散されない感じでした。

一家の大黒柱という存在の欠落が、やがて様々な事柄を表面化させてしまいます。
殊に、みちるほどに若くはない孝三の妻・幸子にとっては“生きる気力”が根源から揺らいでしまったのかも知れません。
一つであったものがぐらぐらと崩れていくのが、静かな描写の中に徐々に見えてくるのがうっすらと怖い気がしました。

                萌えの3.jpg

しかしこれは決して「暗い映画」とはいえず、どちらかといえば「何処となく未来へ向けた明るさ」さえ感じさせる映画になっています。

タイトルの「萌の朱雀」から私がイメージするのは、「命あるものを芽吹きの世界へと導く神」の存在です。(※朱雀=天上南方の守護神)

だからこれは、其々の旅立ちを描いた映画なのかもしれません。
そういえば、孝三が8oカメラを肩にかけて野辺を歩き始めた映像には明るい曲調のBGMが使われていました。
そう考えると、一度壊れてから別のものを新たに産み出す、この世に存在する「自然の力」も重なって見えてくるように感じます。
不思議な奥深さを持った作品だなと思いました。

ただ・・・、これは何らかの監督の意図があってのことだとは思いますが、幸子が家を出ることを決め、みちるもそれに従ったことで、一度は本当の母に捨てられた(と、想定できる)栄介が、結果的に再び家族に捨てられることになったことが“ただただ”悲しいです。

彼はそれでもきっと、逞しく優しい青年に成長するだろうけれど・・・。

                萌えの2.jpg


 昨夜は仕事帰りにちょっとだけいつものJazz Bar Wishy-Washyに寄らせて頂きました。
定番のカクテルのあと、今日は<ブラントン>を<ロック・ちょい水>で。このバーボンは私的に「背筋を伸ばして飲むバーボン」のイメージを持っています。

隣に添えられているのはとっても嬉しいぴかぴか(新しい)ママさんのサービス<ハート型ココットに入ったハート型半熟目玉焼き>です。
半熟具合が絶妙です。

                ブラントン.jpg

晴々しいハート型には似合わぬ身と自身で気圧されつつ、でも美味しく白身から攻略していって後半一気に黄身にお箸を入れました。
さあ、その瞬間、私にも“萌の朱雀”が降りてくれたかなぁ・・・。
posted by ぺろんぱ at 21:10| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2008年07月21日

歩いても歩いても

 
  三連休も終わろうとしています。

暑い毎日でしたね、外に出るとアイスクリームみたいに溶けてしまいそうな感じでした。
かき氷ってそう言えば最近食べていないなぁと思いつつ、「食べるんならやっぱりミルク金時かなぁ」と思いながら、夕暮れになって手を伸ばすのはやっぱりきりりと冷えたビールです。
子どもの頃は母がよく氷イチゴを作ってくれていました。おうちにありましたよね、家庭用のかき氷機っていうやつ。
懐かしいなぁ・・・と、そんな風に思い出を繰ってみたくなる映画『歩いても歩いても』(是枝裕和監督)でした。

封切初日の19日(土)、梅田ガーデンシネマで鑑賞。
初回上映の後で舞台挨拶があったみたいで、舞台袖から出てこられた是枝監督が目の前を歩いて行かれました。
 
あ、この映画では手作りのおやつに白玉クリームが出てたっけ。

                歩いても1.jpg

story
  ある夏の日、かつて開業医を営んでいた横山恭平(原田芳雄)妻・とし子(樹木希林)の家に、長女・ちなみ(YOU)一家と次男・良多(阿部寛)一家が訪れてくる。良多は子連れのゆかり(夏川結衣)と結婚したばかりなのに今は失業中の身。ちなみは営業マンの夫と2人の子供に恵まれた専業主婦。家族一同が久しぶりに集まったのは、事故で亡くなった横山家の長男・純平の命日のためである。ごくありふれた夏休みの光景、それはいつものように過ぎていくはずだったが…。(cinemacafeより)
     ※映画に関する掲載写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。


  離れで暮らす親族が集まる時の「日常のなかのちょっとした非日常」の空気。
妙なテンションの高まりと何処かこそばゆい感じとちょっとした居心地の悪さも加わって、そこには呼ぶ側と呼ばれる側と双方の思惑が入り乱れた不思議な磁場ができる感じだ。

家族って不思議、そして怖い。

親子の軋轢、夫婦の軋轢。
母から子への呪縛。子から親への甘え、依存。
娘の思惑と親の本音。逆に、親の思惑と娘や息子の本音。
嫁や婿の遠慮と、彼らがどこかで必ず味わう疎外感。

                歩いても2.jpg              
何気なく口を付いて出てしまったり、明らかに故意で発せられたとしか思えない残酷な言葉の幾つかが胸につかえ、家族って「一つ」のようで実は其々の心が其々のベクトルで行き交う「カオス」のようなものなのかも知れないと思いました。

逆に言えば、ここに出てくる家族は、見方を変えればとても幸せな一家と言えなくもないのです。
なのに、そういう見方を家族の其々が素直にすることが出来なくなるのもまた、家族という不思議な繋がりが為せる負の力なのかもしれません。

一つの家族が、幼かった子がやがて成長し、また其々に新たな家族を作っていく。
その自然の流れの中で、「両親の老い」という自然の摂理と、それによって老いた父が仕事を失うという「喪失感」もしっかりと描かれています。仕事と言うのは生きる事の根源に関わることなのかも知れないですね。

自然の摂理とは別に、息子である良多の失業や子持ちの女性・ゆかりとの再婚がもたらした小さな波紋、そして何より長男・純平の突然の死が影のように貼りついて離れない横山家のずっしりと重い悲哀が、家族ってほんのちょっとしたことがキッカケで崩壊してしまうものなのかも知れないという怖さを感じさせます。

                歩いても3.jpg

私としては、母親とし子(樹木希林)に最後まで息子の再婚相手ゆかりへの愛情が感じられる言動が無かったことが唯一気にかかるところだったのですが、しかしながらこの映画は、決してあと味の悪さで終わっているわけではありません。

様々な向きのベクトルがほんの一瞬でも交わる時の、あまずっぱいような喜びが鮮やかに描き出され、それこそがとても大切なかけがえのないものとして示されているように感じました。
実体としては消滅して行く家族があり、しかしまた新たに生まれて行く家族があり・・・、幾つかの例外化や変化はあっても、それは恐らく脈々と続けられていく「人間の営み」なのでしょう。

“歩いても歩いても”それは尽きる事がない。人生は新たな人生を生み出していく、そんな数珠繋がりのようなものなのかもしれません。

                  歩いても4.jpg

最後に一つ。このタイトルには別の“絡み”もあったのですけれどね。
昭和44年のあのヒット曲が流れるなんて驚きでした。
更にもう一つ。
出てくる食べ物が全てとっても美味しそうなことが話題になっていますが、私はパラソルをさして歩くゆかりさん(夏川結衣)の後姿がとても魅力的だったことがひどく印象に残っています。

  
***さてさて、件のゆかりさん、結構お酒がイケるタイプの女性で、姑のとし子さんから「昔はねぇ、女はいくらすすめられてもグラスの底は見せるなって言われたもんだけどねぇ」と厭味を言われるシーンがあります。
じゃあ、グラスの底どころかボトルの底を見せちゃう私って何なのでしょう。たらーっ(汗)

                 月夜の梟 1.jpg

友人からいただいた、焼酎の概念を覆す、マイルド且つ濃厚な芳醇焼酎<月夜の梟>をオン・ザ・ロックで。

とうもろこしを原料としたアルコール度数43度の長期熟成貯蔵原酒です。
そういえば、私の友人の独身女性はその多くが“ボトルの底を見せちゃう(しかも惜しげもなく何本でも)”女性です。
でも素敵な女性ですよ、みんな。

「人生は、いつもちょっとだけ間に合わない。」映画の最後の方で語られる言葉です。

今はまだ間に合うと思ってその時を逃しても、その先にまたその「瞬間」がやって来ると思ってしまうのですね、もう二度とやって来ないことだってあるのにね。
私も含めて、多くの「間に合わない人たち」と、苦く泣き笑いで乾杯したいです。
posted by ぺろんぱ at 16:48| Comment(12) | TrackBack(3) | 日記

2008年07月15日

幸せのレシピ(DVD鑑賞)

 暑いですね。晴れ
梅雨はまだ明けてなかったみたいですね。でも今日も凄く暑かったです。

午後、社用で外出した際、くらくらするくらいの日照りの堂島界隈で、上下白服に金髪ロン毛の男性と上下黒服に黒のグラサン、リーゼントヘアの男性二人が並んで歩いてくるのと擦れ違いました。・・・あの、すみません、ちょっと暑いんですけど・・・^_^;。
都会の街は時々シュールなものを見せてくれます。(あ、シュールでもないですかね。)

 さて、先日友人が送ってくれたDVDから、『幸せのレシピ』(スコット・ヒックス監督)です。
これは皆さんご存じの通りドイツ映画『マーサの幸せレシピ』をハリウッドでリメイクしたもの。私はドイツ版を実は未見(お題作にリストアップしていたものの)なのですが、ストーリーも大まかに知っているし、眠る前のちょっとした時間に気楽に観ようと観始めましたが、中々どうして、結構物語に引き込まれて真剣に観てしまいました。

                 幸せの トップ.jpg  
story
 人気レストランの料理長を務める女性が、思いがけない出来事をきっかけに新しい自分を見つけ出す姿を描く。監督は『シャイン』のスコット・ヒックス。
マンハッタンの高級レストランで料理長を務めるケイト(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は、ある日、姉を交通事故で失い、残されためいのゾーイ(アビゲイル・ブレスリン)を引き取ることに。一方、仕事場には、ケイトとは正反対の性格の陽気な副料理長ニック(アーロン・エッカート)が新たに雇われる。(シネマトゥデイより)
          ※映画に関する掲載写真は全て映画の情報サイトより転送させて頂いております。


  ストーリーは確かにありがちな設定です。
こういうテイストの映画でアンハッピーなラストを迎えるなんて考えられないから、途中で味わうゾーイとのぎくしゃく感やニックへのほろ苦い感情も、「幸せのレシピ」を見つけられるまでの通過儀礼として安心して観ていられます。

それでも結構引き込まれてしまったのは、やっぱり其々の役者さんたちの魅力なのでしょうか。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズは一頃のスーパーレディー的な“バチバチ”した感じが取れてて、段々好きになっていく女優さんです。
身体の線も良い意味で適度な加齢を感じさせ(勿論それでも凄く綺麗ですが)、メイクもさほど派手でないのが却って本来の顔立ちを美しく見せていますね。
仕事に頑張っていて、私生活にも自分のルールを決めて決してそこを逸脱しない、ストリクトな女性ケイト。

                レシピ3.jpg

階下の男性のデートの誘いを「ご近所さんとはデートしない(一歩踏み込んだ関係にならない)と決めているの」と断るケイトに、可愛げ無い女のイメージを持つ人がいるかも知れないけれど、私は彼女の“孤独とぎりぎり”の頑張りと、自分を見失わないための自己防衛本能が何となく分かる気がします。
職場でのお客さんとのトラブルはちょっと過剰演出と取れなくもないですが、まぁあそこまで強気でなければ女性が一つの持ち場を統率するなんて出来ないのかもしれません。

でも結局は「ケイトのそんな要塞を崩せるだけの男性がいなかった」ということでしょう。
そこを崩せるのはケイト以上のスーパーマン振りでも優秀なシェフ才能でもなく、何の事はない、ケイトと違った視点で物事を見て判断できる、そしてそれをさらりと口にできる、そんな“ノンシャラン”な性格だったのでしょうね。

そのノンシャラン男を演じたのがアーロン・エッカート。
初め「シェフなのにそのボサボサ頭は何?前髪目にかかってるよ!」と思って見ていた私ですが、それも細かいことには斟酌しないっていう鷹揚な性格の現れなのかな・・・日頃「ご陽気な軽キャラ」でいっているニックだから、ごくたまに真剣な眼差しでケイトを見ている時なんかはちょっとドキッとしたりしました。

                レシピ1.jpg

いい加減なようでも、実はケイトよりも潔いところも。
シェフ長をケイトからニックに、とオーナーから打診されたことについても「一々言い訳をしない」とうところが「男の子」してます。
軽薄なようでしっかりと自己流で生きていける男性像を、アーロン・エッカートは好演していたと思います。

それから姪のゾーイ。
観るまでは知らなかったのですが、何と演じていたのは『リトル・サンシャイン』の女の子でした。
あの映画がとっても良かったから最初から贔屓目で見てしましましたが、それでも亡き母と叔母との新たしい環境との間で揺れる幼い感情を(時に可愛く時に小憎たらしく、時に切なく)上手く表現してくれていました。
「ママを忘れそうで・・・」と言った墓地でのシーンでのゾーイ、抱きしめたくなりました。

それにしても、透き通るような頬にほんのり薔薇色の紅みがさしてとてもキュートなアビゲイル・ブレスリン。
劇中、ケイトと向き合って眠るシーンがあるのですが、さすがにケイトとの(悲しいほどに)歴然とした肌年齢の相違を見せつけられてしまいました。(キャサリン・ゼタ=ジョーンズの寝顔はそれはそれで魅力的だったのですが、そこは別問題として。)
可愛さとクールさが同居しているかの如きアビゲイルちゃん、今後楽しみにしていたい彼女です。

              レシピ2.jpg

強いて言えばセラピストの扱いが中途半端な気がしました。それと、ケイトとお姉さんのエピソードも描かれていたら尚良かったような気がします。

階下の「ご近所さん」は、ああいうさり気ない登場と何でもない扱い方が却って私は気に入りました。ああいうところだけ、何だかヨーロッパ的な演出を踏襲したように感じてしまったのですが、オリジナルはどうだったのでしょう。
でもあの隣人、妖しげなががら気になってしまいました。「彼の人生、これからどうなっていくのかな」なんてちらりと想いを馳せたりして、ね。


ラストは大体の予想はつくモノながら、とても微笑ましい結び方になっています。
“安心しきって”ワイン片手にもう一度観てみたい作品です。
あ、美味しそうなお料理がたくさん出てくるのでお腹が空いているときは無償に何かが食べたくなりますよ。
(DVDを送ってくれたMちゃんとMちゃんのご友人、ありがとう。かわいい


 先のお休み、お布団を干して取り入れたらいつの間にかウチの猫クンがそぉ〜っとそのお布団の上で寝ていました。

              干したお布団の上で.jpg

猫って取り入れた洗濯物が大好きなんですよねぴかぴか(新しい)
posted by ぺろんぱ at 21:06| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記

2008年07月13日

マンデラの名もなき看守

 
 梅雨は明けたのでしょうか。
吹く風に、まといつくような湿気は少なくなったような気がします。

そわそわと揺れる木々の音、遠くに聞こえる子ども達の嬌声、空を見上げながらゆっくりと発泡性のあるお酒を喉に流し込むのは、夏の休日の昼下がりの「一つのあり方」ですね。
                そら.jpg

 さて、昨日12日(土)はテアトル梅田で『マンデラの名もなき看守』(ビレ・アウグスト監督)を鑑賞して来ました。
一時は見送ることになるかなと思っていた本作でしたが、やっぱり後悔しそうな気がしたので、封切4週目に突入にして劇場へ行って参りました。

マンデラという尊大な魂の大海で、もがき苦しみながらも「正しい歴史の一部であろうと」己が信じる方向を目指して泳ぎ続ける一人の人間の生き方が、現代を生きる我々の生き方をも問い正してくれる作品。
               マンデラの2.jpg
 
story
  南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラの“囚われの27年間”にスポットを当て、政治活動家として刑務所生活を強いられたマンデラと、彼との出会いによって社会を見つめ直す白人看守グレゴリーの交流を描く。実話に基づいた作品。
  アパルトヘイト政策により、黒人が差別されている1968年の南アフリカ。白人看守のグレゴリー(ジョセフ・ファインズ)は、マンデラ(デニス・ヘイスバート)が収監されているロベン島の刑務所に赴任。マンデラの故郷の言葉であるコーサ語を操ることができるグレゴリーは、マンデラらの秘密の会話をスパイするよう命じられる。(シネマトゥデイより)
      ※映画に関する掲載写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。

 
  ある一つの事象に対して、そこにあるものを全く当然のものとして疑わない人間と、何らかの疑問を抱く人間と、二通りの人間が存在すると思います。
「黒人は白人よりも劣る」
「黒人は権力も冨も持ってはいけない」
「黒人は白人に刃向うテロリスト」
殆どの白人がそう信じて疑わないアパルトヘイト政策下。

グレゴリーは後者の人間であったわけですが、そのグレゴリーの抱いた疑問が、子ども達を真っ当な心を持った人間に育たせ、やがては黒人に対する偏見しか持ち得なかった妻をも変えていくというその「経緯」が、静かながら揺るぎない視点で描かれていたことに深く心を打たれます。
グレゴリーがアパルトヘイト政策に疑問を持つようになったのはマンデラという偉大な人物に間近で接したことにもよると思いますが、最も大きな理由となったのはグレゴリーが幼い頃に黒人の村の近隣で過ごし、バファナという名の一人の黒人少年と友情を培ったことだと思います。
                マンデラの.jpg

このことは本作の原題が『GOODBYE BAFANA』であることからも窺えますが、彼はマンデラを監視するうちに彼の気高い人間性に惹かれ、いつしかマンデラの中にかつての友・バファナを重ねていたのですね。
バファナとグレゴリーは、人種問題が介在などする余地のないほどに、幼いながらも純粋に互いを認め尊重し、対等であったわけです。
バファナがグレゴリーとの別れ際に手渡したお守りを彼がずっと持ち続けていたことで、グレゴリーの中にはもう既に「何が正しいことで何が間違っていることなのか」がを見極めようとする姿勢が培われていた気がします。ただ、それを思いださせてくれたのがマンデラとの出会いでした。
いわば、この物語の出発点は、幼き頃に彼らが過ごした地であったわけですね。

「GOODBYE」というのは、27年に渡る投獄生活から解放されて多くの南アフリカ民に迎えられるマンデラに向けて放ったグレゴリーの言葉。
バファナを重ね合わせただけでなく、グレゴリーは正真正銘の友情をマンデラに対して抱いていたのですね。
友情が成り立つところには白人黒人のヒエラルキーなどないのです。
そしてそのことが恐らくは全ての基本であり、理想であり、且つ、「強固な壁」なのかも知れません。
                 マンデラの3.jpg

この映画を観てふと、大好きな村上春樹が小説の中でよく使っていた言葉を思いだしました。
「どんな小さな事からでも、人は努力さえすれば何かを学び取ることが出来る。」
深く胸に刻んでいる言葉です。

グレゴリーも、マンデラに比して歴史的には“名もなき”人間ながら、ある疑問から何かを学び取ろうとした、常に自分に対して正しく生きようとした誇り高き人間であったのだと思います。
出獄して行くマンデラにバファナからもらった無二のお守りを渡すシーン、静かに熱いものが胸にこみ上げてきました。

また一つ、佳き映画に出会いました。



  陽も傾きかけて、次は黒ビールに。
                 モルツ黒.jpg

売り出されてから一度飲んでみたかった、<サントリー黒Beer ザ・プレミアムモルツ黒>です。
ギネスに感じる力強い主張はないけれど、ほのかに甘い、優しい黒ビールです。

グレゴリーと、彼を支え自らも変わる事の出来た妻グロリアに、乾杯。
posted by ぺろんぱ at 17:06| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記

2008年07月09日

父、帰る (DVD鑑賞)

先日、たくさんの私的お題作品のうち、二作品をレンタルして観ました。
そのうちの一本が『父、帰る』(アンドレイ・ズビャギンツェフ監督)です。
(監督の名前を早口で3回言ったら唇がつりそうになりました。)

これは公開時に観逃してしまってからずっと、単純に、ただもう「観たかった」作品です。
殆ど予備知識を入れずに鑑賞。ぐいぐい引き込まれ一気に観終えましたが、観終えて今も尚、映像への感動と細部へのあらゆる疑問とが同居し、揺れる思いを抱えている作品です。

しかし、是も非も全て抱合した上で、私には「忘れられない映画」となりました。

story
家を出てから十数年ぶりに戻ってきた父と、彼を覚えていない息子たちとの小旅行を通じて父親という存在を問う人間ドラマ。
2003年度ヴェネチア国際映画祭の金獅子賞・新人監督賞をはじめ世界各国の映画祭で数々の賞を受賞した、アンドレイ・ズビャギンツェフ初監督作品。映画界では“新人”のスタッフが、同じく新人の監督のもとに集まって撮られた本作。
  母と祖母と暮らしていた兄弟のもとに、家を出ていた父が12年もの長い歳月を経て戻ってきた。写真でしか見たことのない父の出現に子どもたちは戸惑うが、父はお構いなしに彼らを湖への小旅行へ連れて行く……。(シネマトゥデイより)
        ※映画に関する写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。
                父、帰る3.jpg

 際立つ造形物も無く非限定的でありながら恐らくはそこにでしか見ることができないであろう美しい風景。
静かな映像の中で時折聞かれるロシア語の響き。(何故か惹かれるところが大きい言語です。)
父親を欠きながらも極めて「日常的」であったアンドレイとイワン兄弟の生活に、ある日突然「非日常」の存在の父親が舞い戻る。

恐怖政治を敷くような父親の威圧的態度と、「親子旅行」という言葉の持つイメージとは程遠い不可解な謎に満ちた道行に、トーンを抑えた機械音のような音楽が加わって否応なしにざわざわとした不安感を煽ります。
ミステリー的要素がいっぱいで、この父親には終始いくつもの「何故?」「それは何?」という疑問が付きまとい、画面から目を離す事は出来ません。

この多くの謎は一切解かれることなく終わり、若干の観る側の想像を許すのみとなります。
ラストは悲劇的な出来事を迎え、エンドロールに映し出される何枚かの写真を見るまでは、全く救いもありません。
父親過去の人生に劇的な事情が存在し最後にそれが提示され精神的和解が訪れるとか、神がかり的な事象が起こり親子三人に何らかの啓示が下るとか、そういったことを期待していた私には観終わった直後には消化不良この上ない状態でした。
               
               父、帰る1.jpg

消化すべくいろいろと考えました。

実は、暴君的な振る舞いは不器用ながらの父親の愛の鞭ではなかったか・・・
逞しく「独りで」「自らの手足と知恵を使って」生き抜く術を教えようとしたのではなかったか・・・
事実、兄弟は逞しく元の地に帰還したではないか・・・

しかしどう考えても、父親が最後に取った行動を除き、あの一連の言動に愛情を見出すことは私には出来ませんでした。
あれが教育であったとするなら、それは屈折した感情を植え付けるだけの間違った教育であると。


そして今はこう思えるのです。

あの小旅行は、迎えた悲劇的な結末まで含めて、全て弟・イワンの作り出した妄想もしくは幻影の世界ではなかったのだろうか、と。
彼が父親の存在を消化し、自分なりの決着を付けるまでの「もう一つの世界」の中で展開させたものではなかったかと。
近づき、拒絶し、抹殺し、葬り去ることで彼は初めて父親の存在を超えることが出来たのではないでしょうか。
そこには勿論、身を切るような苦痛が伴うわけですが。
彼が最後に父を叫び呼ぶ声は強く印象に残るものでしたからね。

父親に常に疑問が付きまとい、その一切が解決されず葬られていることも、幻の存在であったと思えば納得がいくような気がします。
終始、イワンの表情がひどく険悪で見ている私にとって酷く恐ろしい形相であったことも、彼自身の内部での葛藤の表れではなかったかと、こじつけみたいですが、そう思います。
父性を渇望し、しかしながら渇望し過ぎた故に受け入れることができなかった少年の、「悲劇」と“本当の意味で独りで”逞しく生きていくしかない「未来」とを、「(少年達の)未来へのエール」も含めて描いてみせてくれたのではないかと、そんな気が今はしています。
                父、帰る2.jpg

本作についての他レヴューも幾つか読ませて頂いたら、本作はキリストと聖書の世界を描いたものだという内容のものもありました。
全編を通して何処かしら現実的でないトーンを感じていたので、「目から鱗」的に大変勉強になりました。
キリスト教の世界を熟知していない無宗教派人間なのでそれについては更なる勉強を要すると思います、やはり自分の知識世界の狭さを思い知らされて凹みますね。

いずれにせよ、猥雑な音の少ない研ぎ澄まされたような映像の世界には引き込まれます。
同じロシアということもありますが、アンドレイ・タルコフスキー監督の世界をちらと思い起こさせる映像です。
初監督作品とのことですが、次回作が出来れば是非観てみたい監督さんです。
何か情報をお持ちの方、お知らせ下されば嬉しいです。ぴかぴか(新しい)

兄役を演じた男の子、私としてはとても気に入って映画を見入っていたのですが、映画の完成後に、撮影のあった湖を個人的に再び訪れて事故になり溺死したそうです。凄く残念で、計り知れない何かがこの映画には存在するような気もしています。


「閑話休題」の逆で、下記話題へ。

                発見!のお店.jpg

 かわいい最近見つけた、日本酒や焼酎も置いてある小さなバールでの一枚。
私は先ずは日本酒で乾杯したのですが、背の高い(脚の高い)グラスで饗される何種ものワインにママさん(綺麗なお方です!)なりのこだわりを感じる素敵なお店でした。

梅雨は明けそうで明けないですね、今夜も和冷酒をPCの傍らで。
posted by ぺろんぱ at 20:30| Comment(12) | TrackBack(0) | 日記

2008年07月06日

ミラクル7号

 昨日5日(土)はいろいろ他作品と迷ったものの、『ミラクル7号』(チャウ・シンチー監督)(字幕版)を梅田ブルク7にて鑑賞。
チャウ・シンチー監督作は、4年前に日本で公開された『カンフー・ハッスル』以来ですが、特段の思い入れなく観に行った『カンフー・ハッスル』に意外にも嵌り、新作が気になっていたことは確かです。

思い起こせば4年前、『カンフー・ハッスル』鑑賞の後で友人と合流して飲みに行ったのですが、その友人もたまたま、当時公開中の『オーシャンズ12』を観てきた帰りとかで、私がカンフー・ハッスルを観た感想で「やっぱり人間、強くならんとあかんのやなぁって思った」と言ったら、オーシャンズ12を観てきた友人は「私はやっぱり人間、大金持ちにならんとあかんのやなぁって思った。」と言ったのを思い出しました。
究極の武術も巨万の富も持ち得なかった二人の、溜め息交じりの乾杯でした。

・・・で、本作の鑑賞後には「やっぱり人間、“愛”を持たないとあかんのやなぁ」って思った私です。
                ミラクル.jpg

story
 香港のヒットメーカー、チャウ・シンチーが3年ぶりに監督、脚本、製作、出演を兼ねた、貧乏親子と謎の生物の心温まる出会いを描いたSFファンタジー。
工事現場で働くティー(チャウ・シンチー)は、貧しいながらも一人息子のディッキー(シュー・チャオ)を名門校に通わせていた。息子に新しい靴すら買ってやれない貧乏生活だったが、彼らはそれなりに楽しい日々を送っていた。そんなある日、ディッキーは父がゴミ捨て場から拾って来た緑色の風船のようなオモチャが動くことを発見し……。(シネマトゥデイより)
  ※映画に関する掲載写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。


 この監督は不思議なパワーがありますね。
ナンセンスなギャグ満載で、時にはウ○コとかゴキ○リとかの子ども染みたギャグなんかも出てくるのに、観終わった後に凄く“元気をもらえている自分”に気付きます。

地球外生命体が出て来て「シンチー版E.T」とも言われたりしていますが、『E.T』より一直線(お金かけてない分シンプルでもある)、そして別の観方をすれば『E.T』より壮大???(イジメと友情、親子愛、人間愛、貧困と生活格差の社会問題、果ては宇宙との愛の交流まで?)で、何でもありの「ごった煮」感がチープ感ない交ぜという感じで不思議と楽しくもあります。
                 ミラクル2.jpg

「要はB級なのね」と思われるかもしれませんが、なかなかどうして、この映画、号泣ものの作品です。
あるシーンを境にシアター内のあちこちで女性陣がバッグを開ける音が・・・。(ハンカチを出すためですね。)私も最近は涙腺が弱くなっているので、しっかりハンカチ片手に泣いてしまいました。

しかし泣かせるのですが、ギリギリのところまで持って行ってパン!と切り口を変えてサッと涙をさらってしまうという本作の演出に、この監督の流儀と言うか、「本来人間は幸を求め、逞しくあるべき」というような監督のパワーの源流を私は感じてしまいました。
笑わせて泣かせて、そして元気をくれる、常に前向きの監督のパワーに圧倒されつつ、その源流に静かにそっと咲いている「人間愛」みたいなものに酔わされもする、とっても不思議なシンチー監督です。
次回の新作も、いつのことやら分かりませんが、楽しみにしています。
                ミラクル3.jpg

主演のディッキー役のシュー・チャオは実は女の子なのです。そういう目で見れば、華奢な体の線も微妙に丸くて可愛いですけどね。
その他、子ども役は結構男女が入れ替わっていて面白い演出です。
(情報誌で書かれていてご存知の方も多いと思いますが、シンチー監督はこの主演の子役の女の子を養子にしたそうです。)

絵に描いたようなビンボー暮らしの中で、絵に描いたようなお間抜け教師や絵に描いたような冷血漢の男性教師が出て来ます。そしてそれらに比して、これまた絵に描いたように心優しく美しい女性教師・ユアンが出てくるのですが、このユアン先生役のキティー・チャン(キティーちゃんと違いますよ)の美しさは新発見の驚きです。すっかりファンになりました。
最後の方で美しきユアン先生とティー(チャウ・シンチー)のショットがありますが、オマケ的シーンでありながらも、監督が実に楽しげに演じ撮りしているのが伝わってきてとっても微笑ましいシーンになっています。
                 ミラクル4.jpg

そして何と言ってもミラクル7号・ななちゃんが可愛いです!とてもとても可愛いです!
か弱い声も、ふさふさの毛も、表情の豊かさも、リアルな“歯”も、そして何より健気に尽くすあの純粋な“誠意”が、忘れられない存在のエイリアンです。

ラストは「ななちゃんだけで」よかったのじゃないかと思いますが、多分あれも監督なりの流儀なのでしょう・・・涙を、流れる一歩手前でさらってしまうというような、ね。
ご機嫌なBGMに乗って、リズムを取りながらハッピーにエンドロールを眺められる映画でした。


このレヴューを書きながら、ちょっと早いですが昼間から“我が家のミラクル7号”を相手にワインで乾杯です。

    ミラクルワイン?.jpg ハーフボトル    愛猫aと共に.jpg  ミラクルa.

 我が家のミラクル7号は後姿か…たらーっ(汗)
この子はミラクルパワーを秘めているかなぁ・・・いないだろうなぁ。でも、存在だけでも私にとってはミラクルなのだからいいかぁ。
posted by ぺろんぱ at 14:29| Comment(15) | TrackBack(0) | 日記

2008年07月02日

今夜、すべてのバーで

 今、半身浴中の読書本は、例によって古本市で買った『今夜、すべてのバーで』(中島らも著)です。

らもさんは熱烈ファンではないにせよ、何冊かは読んだでしょうか・・・でもこの本は初めてだったみたいです。

               今夜、すべての.jpg  古本が半身浴で更にボロボロ

まだ読み終えてはいないので確かに言うことはできませんが、この物語の進行にも、ひたすら真っ直ぐな執筆の行進と、一方で(心の)停滞を感じることがあります。
アルコール中毒に陥った主人公・小島容(こじまいるる)が、現実のらもさんと交錯していたのかな・・・。何も情報を仕入れずに読んでいるので見当違いなことを書いているのだとしたら、らもさんファンの方、ごめんなさい。

中盤を過ぎた辺りでこんな記述がありました。

(アルコール地獄に陥った自分を「第三者的」に評しているかのような主人公の弁で・・・)
「バナナの皮で滑って転んでいる男と、それを見て笑っている男が、同時に俺の中にいるのだ。苦痛に対する耐性を得るために、無意識のうちに自分を二つに裂いたのかもしれない。この二つの存在は互いを毛嫌いしているが、唯一、泥酔の中にあってだけ重なり合って一つのものになった。この二つが溶解しあった時にだけ、そこからほんものの怒りや悲しみが立ちのぼってくるのだった。泥酔していない時のおれは、苦笑いだけが得意な、いわば感情喪失症者だった。」

らもさん自身がかなり真摯に自分自身と向き合った故の言葉であるような気がして、半身浴中ののぼせた脳も一瞬、暗く冷たく冴え返る感じでした。

「早く読んでしまいたくて、読み終えるのが惜しい」感覚に囚われている小説ですが、「アル中解説本」みたくで終わって欲しくないなぁという思いも。終盤どういう世界が展開して行くのでしょう・・・。


               初夏のハイボール1.jpg  
         ボトル1日1本の小島容には適わず、私は大人しくハイボールで。


映画さてさて、今週末の映画、どれにするか迷いに迷っています。
ずっと気になっていたものから、そうでなかったものまで。

『パーク アンド ラブホテル』
『マンデラの名もなき看守』
『告発のとき』
『ミラクル7号』
『ネコナデ』 

選択のベクトルが、バッラバラですよね。
・・・・・しかし、何となく決めました。
初志、非貫徹で、心の停滞打破で。

佳き映画で、佳き乾杯の一瞬を迎えられますよう・・・。ぴかぴか(新しい)
posted by ぺろんぱ at 20:55| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記

2008年06月29日

ぼくの大切なともだち

 昨日28日(土)はテアトル梅田にて『ぼくの大切なともだち』(パトリス・ルコント監督)を鑑賞。
友だちって何だろう。本当の友情って何だろう。
そんな青春時代の遺物のような自問自答を蘇らせる、ほろ苦くもあたたかい作品。
               ぼくの チラシ.jpg

story
人生の半ばを過ぎた2人の男が、偶然の出会いをきっかけに、不器用ながらも友情を育んでいくハートウォーミング・ストーリー。
「お前の葬式には誰も来ないよ。」と、友人と呼べる人間がいないことを指摘された敏腕美術商のフランソワ(ダニエル・オートゥイユ)。ショックを受けた彼は、ビジネスパートナーのカトリーヌ(ジュリー・ガイエ)と“10日以内に親友をつれてくる”という賭けをする。そんな中、フランソワは陽気なタクシー運転手のブリュノ(ダニー・ブーン)と出会うが……。(シネマトゥデイより)
      ※映画に関する掲載写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。

                ぼくの1.jpg

 ちょっと情けない、冴えない人生のオジサンを描いて光るパトリス・ルコント監督。
過去作『列車に乗った男』も良かったけれど、『タンデム』は私が鑑賞し得た同監督の映画の中で一番好きな作品。そこでも冴えない中年男性二人の心のふれあいが描かれていましたが、本作は『タンデム』より軽妙でさらりとしたタッチの作品になっていると思います。

古美術商として成功し、豪邸に住んで愛人もいるフランソワは一見“冴えてる”ように見えるけれど、実は友だちと思ってくれる人のいなかった孤独な人間。人当たりも良くて笑顔を絶やさない、誰とでもすぐ仲良くなれそうなブリュノも、実は心に傷を負った、クイズと息子思いの両親だけが支えの孤独な人間。

器用そうで実は不器用なところが、この二人は似ている。だけれども、表面的に「勝つこと」「人より優位に立つこと」に慣れてきたフランソワは、傲慢さで自分の本当の姿に気付かない。
そこに気付かせてくれたのがブリュノであり、カトリーヌであり、「友だち」だということなのですね。
だからフランソワに「お前の葬式には誰も来ない」と手厳しい言葉を放った仲間達も、実は友だちだったと言えはしないかな・・・。

                 ぼくの2.jpg

一度傷付くことで、人は人を思いやれるのかもしれない。
フランソワは、ブリュノを深く傷付けたことで自分も深く傷付き、やっと気付くことができたのですね。
劇中の「愛はお金で買えるけれど、友情はお金で買えない」っていう台詞にドキリとし、果たして私には友だちと呼べる「誰か」はいるのだろうかと、自分に問うてみたくなりました。


幼い頃のブリュノが書きとめていたサン=テグジュペリの「星の王子さま」の一節、“僕は君のたった一匹のキツネになる”の言葉が胸に響く、誰かにそっと寄り添いたくなる映画でした。
人はみな孤独だけど、そこに気付いて初めてその孤独から抜け出せることもあるのかな。

                 ぼくの3.jpg

でも最後に・・・ちょっと引っかかったのは、フランソワの(彼の)愛人の女性に対する無関心な姿勢です。
先ず傍にいる人間を思いやるっていうことが大切なのじゃないかと思うのですね。
最後までフランソワがあの女性に優しさを見せなかったことが凄く残念で、小粋で洒脱なあのラストに至るまでに、ワンカットでもいいから何か形にして欲しかったなぁというのが正直なところです。


  ベタな流れでですが、『ぼくの大切なともだち』を鑑賞した後は、「私の大切な飲み友だち」達と合流し「Meets」等で紹介されてる超人気ワイ2ガヤ2系某居酒屋へ。早い時間からの乾杯です。

復刻版サッポロ瓶ビールで乾杯のあと、私は日本酒<大七>を。焼酎の名前入りのグラスですが中身は日本酒です。
  
                大七 .jpg  大七・特別純米
 
こうして杯を交わせる仲間がいることに感謝しながら、私は杯を交わす彼・彼女等の、或いは誰かの、本当の友だちで在り得ているのだろうかという思いがふと心を過ぎります。
しかし真剣に考えると怖くて酔えなくなりそうで、考えないようにしてひたすら飲んでばっかりいたら酔ってしまいました。トホホの私です。たらーっ(汗)
posted by ぺろんぱ at 12:53| Comment(8) | TrackBack(1) | 日記

2008年06月22日

休暇

  昨日21日(土)、第七藝術劇場にて『休暇』(門井肇監督)を鑑賞。
内容に惹かれる部分が大前提としてあったのですが、好きな俳優さんの一人である西島秀俊さんを観たかったということもありました。
観終えた後は西島さんは勿論のこと、主演の小林薫さんの名演に深く静かに心を打つものを感じました。
そして、「人には其々の人生があるのだな」と、そんな当たり前のことを今更ながらに深く実感させられた思いもしました。
この映画、観てよかったです。
                休暇.jpg
 
story
  死刑に立ち会う一人の刑務官を主人公に、命の重さと人が生きていくことの意味を静かに問う人間ドラマ。原作は吉村昭の同名短編。
 これまで独身のままだった中年の刑務官・平井(小林薫)が、子連れの未亡人・美香(大塚寧々)と結婚することに。しかし、連れ子の達哉(宇都秀星)と打ち解けた関係が築けないまま挙式の日が迫る。新婚旅行がきっかけになればと思ったが、あいにく母親の死の際に有給を使い果たしてしまっていた。そんな時、死刑囚・金田(西島秀俊)の刑が2日後に執行されることが決定する。死刑執行の際、“支え役”を務めた刑務官には1週間の特別休暇が与えられることを知った平井は、周囲の気遣いをよそに自らその支え役に名乗りを挙げるのだったが…(allcinemaより)。
       ※映画に関する写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。
                 休暇1.jpg

「生きることにした。人の命とひきかえに。」
これは映画のチラシにもあるキャッチコピーで、観に行く前は少なからず違和感を感じていました。
人の命とひきかえと言ってもそれは「刑の執行」に基づいた一連の作業の一つの“役”なのだから、そこまで自らに責め苦を課すことではないのではないだろうか、と。
しかし、人間の死を真近で、しかも自らの手で執り行うということの重大さ、それが精神的にも身体的にも及ぼす様々な波紋を、私は映画を観て改めて知りました。自らの手の中に人間の死があり、恐らくそれが皮膚を伝って体の奥にまで入り込んでしまうかのような・・・。

その恐怖と苦痛を踏まえた上で平井がその「役」を申し出たことは、彼が結婚相手との新しい人生に彼自身の人生の残された希望を見つけようと努めたことであり、必然的にそこにもたらされる金田の「死と絶望」と平井の「生と希望」とは背中合わせにあるのだという事実が、どうにもこうにも皮肉であり運命の哀しさを感じます。
                休暇5.jpg                                
その平井と金田なのですが、私はどことなく(運命の全く違う)その二人に似通う部分を見てしまいました。
金田の罪状は映画の中では明らかにされず(老夫婦の亡霊が現われることである程度の想像はできますが)、また、平井の半生にも全く触れられてはいないのですが、どこか「何かを捨ててきた」という諦観に似たものを感じ取ったのです。金田の場合は更にそこに「心の闇」のようなものを感じましたが。
もしかしたら、(ほんの一瞬ですが)もしかしたらこの二人の運命が入れ替わるようなこともあったかも知れないと思うと、その二人の運命が「死」の臨場で交差したことに運命の怖さを感じざるを得ません。

いえ、しかしそれはまぁ私の一瞬の妄想のようなもので、本作の真髄に何ら触れる事ではありません。
                 休暇4.jpg

最も深く感じたことは、「人間って其々の人生があって、生きてきた道があって、これから生きていかなきゃならない道もあって、その道をとにかく一生懸命に生きようとしているんだ」ということでしょうか。
そう、誰にでも人生があって、幸せになりたいと願う気持ちがあって、慎ましくささやかに頑張っているのだということです。

死刑囚の死を徹底してリアルに描きながらも、生きようとする人達の営みを温かく見つめた監督の優しさがそこにはあります。
そしてそこを、主演の小林薫さんは感情を抑えた演技で時に優しく時に哀しく、でも温かく、見せてくれました。
温泉旅館で寝付けぬ平井が、夜明け前にふと起きてきた達哉(結婚相手の連れ子)をそっと抱いて「ごめんな」と言ったあの一言。
平井のいろんな想いが込められたその一言に、私は胸が熱くなりました。
何があったかは語られていないので分かりませんが、何かがあって平井が今まで遠ざけてきた「幸せ」を、今彼が得ようと手を出しているなら、どうかその幸せを得ることが出来ますようにと祈らずにはいられません。
                休暇3.jpg

裁判所で死刑が宣告されてそれで終わるわけではないのです。
でも死刑の執行があって、それでも終わるわけではないのですね。
そして、「死刑囚の死」を考える時、その背景にある「殺された人達(被害者)の死」も、やはり私は忘れてはいけないと思います。


エンドロールで原作の短編が中公文庫の『蛍』という短編集に収められていると知りました。
紀伊國屋本店には無く、紀伊國屋のシネマシネマ分館に在庫があった1冊を購入しました。
                 蛍とワイン.jpg

早速昨夜から読んでいます。
読み終える頃にはまた新たな感情が湧くでしょうか。

※支え役の代償に一週間の休暇付与という決まりは現在は無くなったそうです。
posted by ぺろんぱ at 14:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2008年06月17日

ブラス!(DVD鑑賞)

 今日は遠方の友人からいただいたDVDからの一作、『ブラス!』(脚本・監督 マーク・ハーマン)です。

このレヴュー、一度書き上げた段階で私のキー操作ミスで完全に消去してしまい、頭が真っ白になりました。\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/ワタシハダアレ? )

打ち治そうと気を取り直せる迄に一晩かかりました。もうちょっとあれこれ書いていたように思うのですが、まあ仕方ないです。
それにしてもPCって怖いですね、、、っていうより、私の稚拙なPC操作って怖いですねぇ。


story
 1917年に炭坑夫の余暇活動として結成されたバンド、グライムソープ・コリアリー・バンドの実話をヒントに映画化。崩壊してゆくコミュニティーを舞台に、音楽と共に生きる歓びと、友情に支えられた人生の素晴らしさを感動的に描く。
炭坑閉鎖に揺れる街。人々は生きる希望を失いかけていた。そんな時、彼らに勇気と希望を与えてくれたのが音楽だった。炭坑夫の仲間たちで結成された伝統あるバンドは、街と自分たちの誇りを賭けて全英大会に出場し、決勝大会が開催されるロイヤル・アルバートホールを目指すが。(シネマトゥデイより)
        ※映画に関する写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。

                 ブラス!.jpg

  描かれている世界は「廃坑」「失業」「生活苦」「病気」と、言語にすると重苦しいのですが、映画は人間同士の触れ合いを何処かしら可笑しみを込めて映しだし、最悪の状況下ですら其処に生身の人間の温もりを感じさせる、とってもハートウォーミングな仕上がりになっていました。

「音楽」が介在しているところがこの映画に終始「希望」の光を失わせなかったのでしょう。

このバンドは実在する英国の名門バンドがモデルになっているらしく、劇中の楽曲は全てそのバンドが演奏しているそうです。
曲はどれも耳に馴染んだものばかりで、中でも瀕死のバンドリーダー・ダニー(ピート・ポスルスウェイト)を見舞うメンバー達が奏でた(私的に好きな曲)『ダニー・ボーイ』が聴けた時はちょっと心が熱くなりました。

先ずはやはりダニー役のピート・ポスルスウェイトがいいですね。
どっちかというと悪漢顔ながら、一途に音楽とバンドを愛するカタブツ的な頑固オヤジを演じていて、もともと嫌いではなかった俳優さんですが本作で結構好きになりました。
瀕死状態だった割には、舞台での最後にあまりにも“威風堂々”なスピーチを披露して「凄い元気やん」と思ったりしましたが・・・。(あのスピーチは、ダニーを借りた監督の熱いメッセージでしたね。)
ついでに言えば、ダニーさん、トロフィーはもらうべきです!
あれはバンドメンバー皆の“熱い想い”の結晶だから。
だから、ちゃんとメンバーの一人・ジム(フィリップ・ジャクソン)が持って帰ってくれたことにホッと胸を撫で下ろす思いの私でした。

ダニーだけじゃなくって、メンバーの面々が皆それぞれに“人間臭い人間”として味わい深く描かれていて、その辺は以前に鑑賞したこちらは鉄道の廃止に揺れる人々を描いた『今夜、列車は走る』に通じる、監督の「温かい眼差し」を感じてしまいました。

何事も結構冷めた目で見ているユーフォニウム担当の、ちょっと孤独なハリー(ジム・カーター)。
楽器をよく知らない近所の人間から「そのラッパ」とか「あんたのトランペット」とか言われる度に、ボソッと一言「ユーフォニウムだ」って言い返すところはとってもチャーミングででした。

ダニーの息子・フィル(スティーブン・トンプキンソン)は特に胸に残った一人。
家族を養っていけないダメ男振り満載で、それはもう踏んだり蹴ったりの毎日になっちゃっているのだけれど、どうしようもなく哀れで且つ切なくもあり、そこがまた凄く愛おしく感じてしまったり・・・。だってね、悲惨な状況に陥る時のフィルはいつも(副業でやってる)ピエロの格好なんですよ・・・。間の悪さが可笑しくて哀しくて・・・、でもやっぱりただ哀しくなって、泣けてきます。
彼が副業のピエロ姿で巡業中に教会のキリスト像に向かって言い放った言葉! 胸につまり、あのシーンは恐らく本作中で最もダークでヘヴィーな世界ながら最も強く深く観る者の心を鷲掴みにしたと思います。
だから、この映画は「音楽」が常にあるのだけれど、やっぱり「人間」が一番素敵です。

                ブラスさんトラ.jpg サントラ

抑え目に描かれていたアンディーとグロリアの恋愛もいいです。
私的に、初めはユアン・マクレガー(アンディ役)とタラ・フィッツジェラルド(グロリア役)の二人の組合せが何となく画的に合わないんじゃないかとも思ったりしたのですぐが、終わってみればタラの知的でカチッとしたどちらかといえば地味な雰囲気が「本作においては恋愛もテーマのうちのマテリアルの一つ」という点からすれば却ってよかったのではないかと思います。
恋愛だけじゃなくて、家族愛や親子愛、友情、仕事を一つにする者たちの絆、勿論「音楽」を一途に愛する心、そんなものがいっぱい詰まっていましたから。


先にはまだまだ問題は山積しているのだけれど、一つの頂点に上り詰めたという高揚感にただひたすらに酔い、そして「きっと未来は変えられるさ」っていう気にさせてくれるラストがいいですね。
ラストに流れる♪威風堂々♪に乗ってアドレナリン大放出の、気持ちのいい映画でした。何度でも観返したい映画です、ありがとう。


 さてさて、メンバーたち、「ビールでも飲もうじゃないか」と言ってよくビールを飲んでましたね。
私も美味しいビールを。
先日いただいたJazz Bar Wishy-Washy での<シメイ・ブルー>。アルコール度数9度の香り豊かなビールです。

                シメイ・ブルー.jpg
  
  
posted by ぺろんぱ at 20:44| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

2008年06月15日

イースタン・プロミス

  今週末の映画は、昨日14日(土)、封切初日の『イースタン・プロミス』(デヴィッド・クローネンバーグ監督)をシネ・リーブル神戸にて。大阪はかなりの混雑が予想され、急遽、神戸に変更しての鑑賞でした。
バイオレンスものは苦手ながら、久々のクローネンバーグ作品、ナオミ・ワッツもヴァンサン・カッセルも結構好きな俳優さんでしたので。
でも本作では、ヴィゴ・モーテンセンにすっかり目を奪われてしまいました。

                リーヴル神戸.jpg リーブル神戸

story
 『ヒストリー・オブ・バイオレンス』のデヴィッド・クローネンバーグ監督とヴィゴ・モーテンセンが再びタッグを組み、ロンドンに暗躍するロシアン・マフィアを描いた犯罪バイオレンス。出産と引き換えに死亡した少女の日記をきっかけに、非情なマフィアの存在が露呈していく。
  ロンドンの病院で産婦人科医をしているアンナ(ナオミ・ワッツ)のもとに、ロシア人の少女が運び込まれる。しかし、出産の直後に少女は命を落とし、日記と赤ん坊が残された。そこに記された内容に危険を感じながらも、赤ん坊の家族を見つけ出そうとするアンナ。彼女はあるロシアン・レストランにたどり着き、ロシアン・マフィアに運転手として雇われているミステリアスな男ニコライ(ヴィゴ・モーテンセン)に出会う。(シネマトゥデイより)
         ※映画に関する掲載写真は全て映画情報サイトより転載させていただいております。

                 イースタン・プロミス.jpg

 デヴィッド・クローネンバーグ監督の作品は多分5、6作くらいしか観ていない私ですが、画面に重厚感があり、ややもすると“おどろおどろしさ”さえ感じるダークな雰囲気に惹かれるところが多かったように思います。しかし本作ではそういう(私的に抱く)クローネンバーグらしさよりも、どちらかと言えば“リアリティー”を追求した作りを感じました。

冒頭から「痛い」「ヘヴィー」なシーンでスクリーンを正視出来なかった私ですが、そんなのまだまだ序の口だったと思わせるのが、サウナでのニコライの死闘シーンです。
ヴィゴ・モーテンセンが「全裸」で臨んだ死闘と巷で噂されていたシーンですが、これはもう本当に、「全裸が意味するもの」に斟酌している余裕など微塵もない、身体を硬直させて歯を食いしばって、時折目を逸らせてひたすらニコライが相手を征するのを待つしかない、「リアルに激しく痛い」シーンでした。

暗黒の世界に身をおきながら、そしてあれほどの残虐な場面に遭遇しながら「何故彼は何事にも動ぜず、アンナに対しては何故あれほどの慈愛さえ感じる眼差しを向けられるのだろう・・・」、ずっとそう感じていました。
                イースタン3.jpg

その謎はやがて明かされるのですが、謎が明かされても尚、そこを超えて更に不可解なニコライを私は感じました。
彼が本当に望むものは何だったのか。
彼の心を支配するものは何なのか。
ラストを観終えた今でも、いえ、ラストのニコライを観るからこそ余計、ニコライのミステリアスさは私の新たな謎となって残っています。
決して読み解けない、闇の世界を見てしまった人間の魂の深淵がそこにはあるような気がしました。

しかしながら、ニコライの一挙手一投足には、これ以上ないクールさを感じさせて目が釘付けになります。
そのクールでハードボイルドな雰囲気が湧き立てば立つほど、彼が見せる慈愛に満ちた眼差しが際立つのでした。

バイオレンスの世界に微かに灯るニコライとアンナの愛。
アンナとの一瞬の唇の重なりが永遠のもののように感じられ、「暴力と、その対極にあるもの」をその一瞬のシーンで見せてくれた監督の美学みたいなものを感じました。
とある荷物を心に背負う、マフィアとしてはやや浅薄で精神的に卑小なボスの息子キリルを演じたヴァンサン・カッセルも、マフィアの二代目という地位の影でどこへも辿り着けない性にもがき苦しむ、本当はとても臆病なアダルトチルドレンを演じきって、顔立ちだけが売り物ではない中々いい役者さんなのだと改めて感じさせてくれました。。

               イースタン2.jpg

ただ、題名が示す人身売買の組織「イースタン・プロミス」の背景に切り込んだものではありませんでしたね。
このタイトルを付けるなら徹底して暴くべきなのではないでしょうか。最も恐怖の存在であったマフィアのボス・セミオン(アーミン・ミューラー=シュタール)も、息子以上に「浅薄且つ卑怯」な面だけを残して消えていったことにどこかしら中途半端に終わってしまった感が否めません。
ロシアン・マフィアの真の恐怖、KGB(現FSB)との攻防を描き切ろうとすればとても100分では足りなかったと思いますが、逆に100分で終えてしまうのが凄く勿体無くて残念な気がしました。
エンドロールを眺めながらもう少し深い余韻を味わいたかったです。


 さて、封切初日の昨日、先着で何名かに未公開シーンでのヴィゴ・モーテンセンの写真がプレゼントされました。
私がいただいたのはシックなスーツに身を包んだヴィゴの左斜めの横顔、、、どうです、眼差しは優しいでしょう?
 
      帰りのワイン.jpg        ヴィゴ写真.jpg

映画の後、知っているお店でキリリと冷えた白ワインを飲んで帰りました。
傍らに写真を置いて一枚、撮影。

ヴィゴ・モーテンセンも、アーミン・ミューラー=シュタールやヴァンサン・カッセルも、ロシア語訛りの英語を身に付けて撮影に臨まれたとか。
その響きは不気味な怖さを醸し出していてゾクッとくるものがありましたよ。
posted by ぺろんぱ at 11:35| Comment(21) | TrackBack(1) | 日記

2008年06月08日

アウェイ・フロム・ハー 君を想う

 昨日7日(土)、封切初日の『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』(サラ・ポーリー監督)をテアトル梅田に観に行きました。
ストーリー的に興味深いものがあったことと、主演のジュリー・クリスティを観たかったから、というのが選択の理由です。
ジュリー・クリスティーは、私が「映画っていいなぁ」と感じるきっかけ作品となった*『天国から来たチャンピオン』(学生時代の学際上映で鑑賞)に出演していた女優さんで、知的で凛とした美しさが魅力の女性です。『ドクトル・ジバゴ』でのララ役も有名ですね。
本作のジュリー・クリスティも、認知症を患う70歳近い女性を演じて尚も「見とれるほどに美しい」です。
*: 拙ブログでもレヴューを書いています。

story
『死ぬまでにしたい10のこと』の実力派女優サラ・ポーリーが、長編監督デビューを果たした作品。
アリス・マンローの短編小説を基に、認知症の悲劇に直面した夫婦の愛の物語を描く。
 結婚して44年になるグラント(ゴードン・ビンセント)とフィオーナ(ジュリー・クリスティ)。決して良き夫とは言えない過去もあるグラントだったが、いまはフィオーナを深く愛し、夫婦仲良く穏やかな日々を送っていた。ところがやがて、フィオーナをアルツハイマー型認知症の悲劇が襲う。物忘れが激しくなったフィオーナは、ついに自ら老人介護施設への入所を決断する。施設の規則で入所後30日間、面会を許されなかったグラント。そしてようやく訪れた面会の時、フィオーナはグラントを覚えていないばかりか、彼の前で車椅子の男性オーブリー(マイケル・マーフィ)に対し親しげな振る舞いを見せるのだった。その後も日増しに深まっていく2人の仲を目の当たりにして動揺を隠せないグラントだったが…。(シネマトゥデイ及びallcinemaより)
          ※映画に関する写真は全て映画の情報サイトより転載させていただいております。
                 アウェイ.jpg
  
 人間の数だけ人生のあり方があるように、夫婦の数だけその形があるのですね。
そしてそれは、勿論美しいだけじゃなくて、醜かったり哀れだったり、時には残酷だったりするのですね。
若き頃の淀みも乗り越えて、心穏やかに迎えられるはずだった二人の老後に起こる突然の悲劇。それにどう向き合うかも、多分「是」か「非」かの一律の答えなどなく、其々の当事者の、其々の向き合い方があるのでしょう。

グラントとフィオナの場合は、グラントが若き頃の自身の浮気の数々を負い目に思うところから、妻への献身と自らに課す責め苦に苦悩するのですが、妻であるフィオナもまた、目の前の愛と幸福感に身を任せるように生きながらも時折蘇る過去と現実との狭間に嗚咽する様子が、「(人生の)喪失の過程」を突きつけられるようで私にはひどく哀しく映りました。
そして、生きている限り「女」であり続けようとするフィオナやマリアン(オーブリーの妻・オリンピア・デュカキスが演じる)に畏怖の念さえ抱いてしまいました。

                アウェイ2.jpg

苦しみから過去を「切り捨てる」覚悟をしたマリアン(オリンピア・デュカキス)もいれば、どうしても「切り捨て」られないグラントもいて、しかし彼の深い愛情も報われることなく終焉を迎えることを想像すれば、人生はなんて苦いんだろうって泣けて来ます。


“今”を失って“新しい今”の世界に生きる人達と、“今”に残されて戸惑い苦しむ人達、“別の次元”にたゆたう様に生きる患者達と、働いて誰かを養って生きていかなくちゃいけない“現実”に生きるヘルパーや介護者の人達・・・、その対比が、決して優しいだけではない、真剣に厳しく、しかし非情に丁寧に「生と死」「老いと病」「生と性」を見つめた監督の姿勢を感じ、27歳にして本作を撮ったサラ・ポーリーという女性にもまた畏敬の念を感じました。

時折映し出されるカナダの大自然の美しさにも目を見張ります。
変わりゆくものの儚さと、変わらない自然の美しさと、その対比もまた切なく感じる深い映画でした。
                アウェイ3.jpg
 
本作、滋味のある、そして心にグサッと刺さりもする、そんな印象深い台詞が幾つかあったので最後に記させてもらいます。

「忘却が甘美に思える時もあるわ。」
「妻は演技をしているのではないかと疑う時もある、私を罰するために・・・。」
「悪い人生じゃなかったな・・・そう思うのはいつも男性よ。」
「聖書にあるわ。今からでも“前の自分”に戻れる、と。」
「人間には二通りある。こんな現実に怒る人間と、受け入れる人間と。」
「不運だな。」「それが人生よ。逆らえないわ。


 鑑賞後、濃いワインが飲みたくなりました。

ぽつぽつと歩いて、ふと見つけたバール<バルマル・カタラン>での赤ワイン。
                 バルマル.jpg

映画のリーフを眺めつつ、ジュリー・クリスティの顔に刻まれた皺を「それでも美しい」と感じながら、一方では流れた歳月をも感じ、同時にそれは私の上にも流れた歳月であるのだなぁと感じました。
過ぎ行く年月・・・でもそれが人生ですね、逆らえないです。
posted by ぺろんぱ at 10:53| Comment(10) | TrackBack(3) | 日記

2008年06月03日

運命じゃない人(DVD鑑賞)、そして、きらきらひかる

 
  雨の季節ですね。

先日劇場鑑賞した『アフタースクール』(内田けんじ脚本・監督)にいたく歓喜し、総統のDVDを返却しがてら、未見だった同監督の長編デヴュー作『運命じゃない人』をつい探してしまいました。
そして・・・、ありました。この時期に誰も借りていなかったなんてちょっとした驚きでした。
同時に探していた“もう一本”(後述します)については取扱そのものがなくて残念でしたが、『運命じゃない人』をレンタルして揚々と帰途につきました。

6月の雨の匂いのする夜にひそやかに鑑賞。


story
 5つの物語がパラレルに進行する新感覚ラブストーリー。監督は本作が劇場用長編デビュー作となる内田けんじ。2005年カンヌ国際映画祭批評家週間へ出品されたことでも話題になった作品。
典型的ないい人・宮田(中村靖日)をはがゆく思っていた私立探偵の神田(山中聡)は、いつまでも前の彼女のことを引きずっている宮田のために、レストランで1人で寂しそうに食事をしている女性(霧島れいか)をナンパするが……。(シネマトゥデイより)
         ※映画に関する掲載写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。
                 運命・・・.jpg 映画・運命じゃない人

同時進行する幾つかの物語。
俯瞰して眺めれば見えることも、自分の目からは分からない、そしてつい其処に見える自分だけの世界が真実だと思ってしまう、でもそうじゃないんだねっていうお話。

素直に、とても面白かったです。
同時進行する世界も、その見せ方といいましょうか、「脚本」そして「構成」の仕方が上手いなぁって感じました。

『アフタースクール』の時よりシンプルです。
いえ、本作だって十分入り組んではいるのですが、どこかで“誰かが練りに練ってる”という感じよりは、(タイトルにリンクさせるわけじゃないですが)それこそ“運命”的な自然な流れを物語に感じてしまったわけです。
そして登場人物が殆ど余りメジャーになっておられない方ばかりなので(主演の中村靖日さんは幾つかの映画でお見かけしていますが。ついでにヤクザの組長役の山下規介さんは有名でいらっしゃいますが。)、余計なイメージを抱かずにすんなり物語の世界に入っていけた気がしました。
                 運命・・・2.jpg

『アフタースクール』と物語の世界は似ていると思います。ただ(相違点を探す必要はないのですが)本作を語る上での参考にちょっとだけ新作『アフタースクール』との比較を試みてみますと、一番の違いは、「ある人物の視点だけは絶対に変わらなかった」ということでしょうか。
『アフタースクール』では皆が皆、それぞれに騙し騙されの表裏の視点を持っていたのに対して、こっちの作品ではある一人の人間だけは“真実一路”であり、そこだけは絶対にぶれることなく、彼を軸にした周囲の世界だけがくるくる回っていたに過ぎなかったということ、です。

そこが、それこそが、この作品の“最大の魅力”のような気がしました。
つまり、「自分だけの世界が真実じゃないんだけれど、でも、そこにあるものを信じることって素敵だよ」というような・・・ね。
新作の『アフタースクール』も大好きですが、本作はおそらく私的に「もっと好き」と思えた作品です。
               運命・・・3.jpg

本作も、いろんな事実が物語の進行とともに明らかになっていきます。しかしこちらの作品は、“パラレルワールド”だけに物語の展開に従って少しずつ、パズルの完成度合いがその都度分ってくるという感じです。新作のそれが“後半一気に”謎解きに向かったというのもかなりのスリル感で楽しめましたけれどね。
唯一、後味の悪かった“ある女性の、ある行動”についても、ちゃんと最後に「取り敢えずは良かったんじゃない?」と思えるワンカットを用意してくれているところが、新作同様に心ニクイ演出です。

“運命じゃない人”って、実は“運命の人”なのじゃないかな。

真っ直ぐに生きてる人や、ほんのちょっとだけ曲がって生きてる人への、内田監督の優しいエールを感じた本作でしたぴかぴか(新しい)

                 運命・・1.jpg



さてかわいい半身浴で今読んでいるのは江國香織さんの『きらきらひかる』です。

これは先ず映画化された劇場公開時に映画を観に行って、その後に原作を読み、かなりの年月を経た今、半身浴用に古書店で買い求めたこの本で再読に至ったわけです。以前にも書きましたが、半身浴に本を持ち込むと汗と湯気で一度でボロボロになってしまいますからね。半身浴用の本はもっぱら古書店で買い溜めています。この本も既にもうボロボロ。 
                 kirakira.jpg

これは、情緒不安定でアル中の笑子(映画では薬師丸ひろ子)と彼女とお見合いで結婚した同性愛者の夫・睦月(映画では豊川悦司)の奇妙な結婚生活、そして睦月の恋人の紺(映画では筒井道隆)を交えた三者が織り成す不思議に温かい三角関係を描いた小説ですが、その三者の感情純度は高く、小説としての完成度もかなり高いと感じる世界です。
久し振りに再読にいたり映画を観たくなって探したのですが、先述の通り(歩いて30〜40分移動して2軒廻ったものの、両方とも)「取り扱いなし」でした。

実はかつて映画を観に行ったあとで、「理想のくらし。一人では淋しいし、男と女では私にはプレッシャー。」というような超生意気な感想を書き留めていた(ついでに某映画誌に投稿までした)記憶があります。今思うと本当に気恥ずかしいですね。
映画の細部は忘れてしまっているのに、こういうことは恥ずかしさも伴って今もしっかり蘇ってくるから記憶というのは厄介なものです。でもその時にそう感じた、というのは紛れもない事実だったのでしょうね。
いずれにせよ、もう一度観たかったけれど残念です。

                きらきら.jpg
 
笑子はアルコール依存症なのでいろんなシーンでいろんなお酒を飲むのですが、頼もしい飲みっぷりもあれば、時に痛々しい飲み方をするのですよね。でもそれを睦月は大きく包み込むような優しさで(時には自分を責める苦しさで)見つめているのです。
それぞれの優しさ、それぞれの思いやりが、またそれぞれを傷付けたりもするのだけれど、やっぱりまたその優しさを求めてしまうのですね。

笑子は、ビールはお水のよう。
紅茶にはラム酒。
アイスクリームはコアントロー味のもの。
朝からホットケーキにシャンパン。
アイリッシュウィスキーのダブル、オン・ザ・ロックで。
ウォッカとカルーアのブラック・ルシアン。
バーボンのミントジュレップ。
そしてジンにキュンメルを入れたもの。(笑子はこれがお気に入りのようです。)
               キュンメル2.jpg キュンメルは色々あるみたいですが…

キュンメルというのは「コルンをベースにキャラウェイ(フルーツの様な爽やかな香りとほろ苦い甘みがあるハーブ)とスパイスを調合したハーブの蒸留酒」で、「爽快なキャラウェイの香りがあふれ、すっきりした切れ味のよいシュナップス」だとか。
今度酒販店でキュンメルを見つけたら、買って帰ってキュンメルとジンのカクテル(1対1をシェイク)を作ってみようと思います。

日々、きらきらひかれぴかぴか(新しい)
posted by ぺろんぱ at 20:48| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

2008年05月29日

秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE 〜総統は二度死ぬ〜(DVD鑑賞)

 ●先ず初めに。先日シドニー・ポラック監督が逝去されました。私の中では『追憶』が印象深い監督でした。ご冥福をお祈りいたします。●


(弔辞のあとでいきなりこの脳天気的記事というのもどうかと思いますが、お許し願います。)
  
  今週末は友人達との一大?イヴェントがあるため劇場映画鑑賞は「1回休み」の予定です。
それで、イヴェントが未だ決まってない時に「観に行こうかしら」と密かに意を固めつつあった新作映画の「シリーズ一作目」を観ていなかったので、これを機にレンタルして観てみることにしました。
それは『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE 〜総統は二度死ぬ〜』(制作:蛙男商会 FROGMAN)です。ジャジャーン! 
自己効果音を入れました。拙ブログはもともと“バジェットゲージ”が下がってるので・・・。って、これって本作をご覧になった方だけ分って下さいね〜。
ちなみに今週末に公開される新作は『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE U 〜私を愛した黒烏龍茶〜』です。

この作品の存在を(衝撃的に)知ったのは今を去ること12日ほど前(短いっ!)です。
前々回の鑑賞映画『ミスト THE MIST』を梅田TOHOプレックスに観に行った際、上映前のマナー喚起CMといえばいいのでしょうか、あのいわゆる「前説」に鷹の爪軍団が出ていたのです。TOHO館には滅多に行かないから私、初めて知りました、あのナンセンス且つシニカル且つマゾヒスティックな笑いの世界。マナーCMで笑ったのも初めてでした。
で、その時紹介されたのが週末公開の「鷹の爪 THE MOVIE U」だったのです。最初TOHOさんの冗談かと思いましたが、本当にあったのですね、この映画。それに一作目は何と N.Y のインディペンデント映画祭で“まさかの”2冠に輝いているというから驚きました。
世の中、何が起こるかわかりませんね。

                鷹の爪 DVD.jpg

story
 島根県に住むFROGMANと名乗る人物が個人的に制作し、ネット上で掲載したFlashアニメが注目を集め、テレビの深夜番組での公開を経て、ついには映画化に至った世界初のFlashアニメムービー監督、脚本、作画、声優とすべてを1人でこなした手作り感漂う低予算映画で、世界制服を企てる謎の秘密結社が巻き起こす騒動を描いている。
 資金難にあえぐ世界征服を目論むベンチャー秘密結社「鷹の爪団」は、家主の執拗な家賃の取り立てから逃れるために夜逃げする。しかし、うっかり勢いあまって宇宙空間に飛び出してしまった! 途方に暮れる鷹の爪団を救ったのは巨大な宇宙実験施設ピースボール。そこで出会った青年・和夫は、総統が23年前に生き別れた愛息・和夫と瓜二つだった…。衝撃の息子との再会。そして復活した最強最悪の敵、フェンダーミラーとの対決! 彼らは再び世界を救うことができるのか!?(ショネマトゥデイ及びgoo映画情報より)
           ※映画の写真は全て映画情報サイトより転載させて頂いております。


 情報誌「某」にこのシリーズを称して「超脱力系アニメ」とされていた本作でしたが、私が思いますにFROGMAN氏の様々な思想や哲学が台詞に具現化されていて、なかなかに深いのではないでしょうか。
おバカ呼ばわりされていながらも、しっかり常識派で実は心優しい総統の、夢を抱きつつもちっとも実現できないでいるその冴えない人生に「人生の縮図」を見てしまうことが少なからずあるかもしれません。
その総統に魅力を感じるか否か、先ずはそこでしょう。私は魅力を感じました。
女性ならちょっと引いてしまうシーンや台詞も無くはないですが、そこをさらりと流せば、そして笑いのツボにはまれば、これは忘れられない作品となるでしょうね。登場キャラはいろんな意味で結構キョーレツですから、ビジュアル的にも忘れ難いでしょう、きっと。
               
本作、初めに知った「マナー前説」の面白さから言えば、尺が何倍ににも伸びた分、笑いの周派に乗り続けることはちょっと難しいかもしれませんが、その代りに映画としての豪華さ?や盛り沢山んさ?が加味されて、映画としても十分楽しめました。劇場で観ていたとしたら、鷹の爪団フリークの方々に囲まれてきっと“笑いのウェーブ”が生まれていたのではないかしら・・・。
               鷹の爪2.jpg

また、本作はいろんなSF映画へのオマージュが感じられて(オマージュなのか揶揄を込めたパロディなのか定かでないところもありますが)、今思い出せるだけでも『ターミネーターU』『エイリアン』『2001年宇宙の旅』『スターウォーズ』『マトリックス』『アイランド』(ついでにSF映画じゃないけど『サザエさん』)などを想起させられました。サブタイトルからして「007シリーズ」へのオマージュを感じますのもね。
(因みに、新作の「私の愛した黒烏龍茶」は当初は「島根より愛をこめて」だったみたいです。映画では初めてといわれる“命名権”を打ち出し、サントリーがそれを買ったそうで「黒烏龍茶」になったようです。制作費を稼がなくっちゃね。)

こういう<広告>タイアップのように、時々、制作現場の「現実」が作品に顔を出すのも面白いです。
「低予算」を嘆いて“兼任に次ぐ兼任”で声優をこなしているのにオープニングのCG遣いでいきなり制作予算を半分以上使っちゃって、それを鷹の爪団のメンバーが更に嘆くっていう正に“トホホ”の自虐ネタが、取り分け“ペシミスティックな思考構造”にある人には受けるのではないでしょうか。

「悪」と「正義」が入れ替わったり混ぜこぜになっているのも「お子様はご遠慮下さい」というシニカルな路線を感じて面白いですね。
「世界平和と環境保護のために世界征服をたくらむ秘密結社」に「ちっとも正義の味方なんかじゃない“正義の味方・デラックスファイター”」ですよ・・・それだけでワクワクする感じがしませんか?・・・・・私だけですか・・・。
                鷹の爪.jpg        

でも、ちっとも人が良さそうじゃない面相の総統(モデルはチキチキマシーン猛レースのブラック魔王だとか・・・Wikipediaより)が放つ数々の台詞には涙が出ますよ。

「世界の子どもたちがこんな目(温かいベッドと美味しい食事)にあえる日はいつ来るのだろうか」
「争いごとをなくして地球が一つになればいいのじゃ」
「世界にはワシが流す涙よりもっと悲しい涙がある。それを流させないようにしないといけないんじゃ」
「困難にぶつかりながら生きるからこそ人生は輝くのじゃ」 etc・・・
          
総統、私は相当に好きです。とは言っても、あの大家さんと恋敵になってバトルを展開させる勇気は、とてもじゃないですが…ありません、悪しからず。
今までのTV版を観ていないのでデータ不足の面は否めませんから、これからいろいろと探って行きたいと思います。取り分け、菩薩峠君は何であんなに顔色が悪いのか、是非知りたいところです。


あっ、同時上映されDVDにも同録されている短編『古墳ギャルのコフィー〜桶狭間の戦い〜』もなかなかの面白さですよ。
コフィーちゃんの台詞は一つ一つが的を射ていて感服で、にっこり笑ったフィックス顔から手厳しい言葉が出てくるところなどはシュール感さえ感じるほどです。あの歴史上の大人物・織田信長に向って「卑怯よ!」と言い放つあたり、コフィーちゃん、萌え系の可愛い声して中々アグレッシブで強者です。

独白:(でもやっぱり、新作「THE MOVIE U」もDVDで・・・いいでしょうか・・・ごめんなさい、総統。)

               ドイツBeer.jpg

 さて、DVD鑑賞の傍らにあったのは、先のドイツ旅行から帰国した友人N子のお土産としていただいたドイツビール<Bitburger>です。
脱力系映画にはやっぱりゆる〜い優しいアルコールで。ドイツのビールは、大量にビールを消費する国民のためなのか?炭酸が抑えられていてとても優しい口当たりだと思います。調べてみるとこの<Bitburger>はドイツではポピュラーで最も良く飲まれ愛されているビールだとか。
微炭酸と言ってもいいくらいの優しさで、そしてホップの苦味もほんの〜り感じられて、なかなか上品な味わいのビールでしたよ。

ほろ酔いになって鷹の爪団の合い言葉、「た〜か〜の〜つ〜め〜」を、暗く密かに自虐的に口にしてみましょう。
posted by ぺろんぱ at 19:45| Comment(14) | TrackBack(2) | 日記