2022年12月11日

3年連用日記、更新の年です 2023


  2023-2015年の11冊目に突入しました。
3年前の10冊目の時と同様、購入したこの日も日曜で、ジュンク堂を出た後 お城北の公園まで歩いて行って買ったばかりの日記帳をパチリとスマホ撮影しました。3年前の時と同じベンチ。

連用日記 23年 - コピー.jpg


3年前と違っていたのは、この日は好天ではなく 曇天だったこと。
それ故 散策を楽しむカップルやファミリーは殆ど見受けられず。なのでベンチに何やらを置いて一心に写真を撮っている怪しい女の存在など一顧だにされずに済みました。
あ、それでもちょっと離れた小高い丘でお弁当を広げているファミリーがいらしたっけ…あぁ幸せのかたち、だなぁ。

10冊目の3年間もやはり自分的にはパッとしない、それどころかあまり喜ばしくない流れの中にいたような。世間的に コロナ禍 とういう状況でもあったわけですが、特に今年2022年はなかなかに凹む状況でしたねぇ。映画館へも殆ど足を運べないまま年の瀬を迎えてしまいました。

しかし気を取り直して。
新たなこの一冊には「2023年からの3年間、よろしく」と祈りを捧げ、1ページ目を開く来年元旦まで書棚に置いておきます。
来年こそは頼みます、博文館さん! ← 私の運勢に日記帳製造元は何の責任もございませんが。


無人島のふたり - コピー.jpg

 昨年10月に天に召された山本文緒さんの新たな一冊『 無人島のふたり 』が10月19日に新潮社から刊行され、遅ればせながら買い求めていました。
この本については読み終えてから改めてこのブログで触れてみたいと思っています。

ただ、かなり苦しいです。買ってすぐにページを開きましたが目次の後に記された「6行」を読んでその先を読むのが怖くなってしまい、他の本や地味に勉強しているテキストに逃げて暫くこの本には触れずにいました。でも漸く昨日、怖々ページを繰り始めました。
文緒さんが それでも書かずにはおられなかったのであろうこの闘病記、私も逃げずに読ませて頂こうと思います。


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2022年11月27日

妻への家路 ( BS.松竹東急 録画鑑賞 )


 BSはNHK/プレミアム以外も時々番組欄をチェックしていて、最近 BS松竹東急の【よる8銀座シネマ】で地味に良い映画をやってくれているのに気付きました。
で、先日11月21日放送の映画『 妻への家路 』( チャン・イーモウ監督 2014年制作 )を録画して観ました。
チャン・イーモウ監督とコン・リー(主演女優)のタッグとのことで、これは観ておきたいなと。


妻への家路 1.jpg
            
< story >
 1977年、文化大革命が終結し、収容所から解放されたルー・イエンチー(チェン・ダオミン)は、妻のフォン・ワンイー(コン・リー)と再会する。しかし、夫を待ちわびるあまり、その心労から記憶障害となっていたワンイーは、イエンチーを夫だと認識することができなかった。イエンチーは、いつか妻の記憶が戻ることを信じて、他人として向かいの家に住み始めるが……。( ※映画情報サイトよりの転載です。)

  切なさがぎゅ―っとくる一方で、どこか満たされた気持ちにもなったラストでした(いきなりラストに触れてごめんなさい ですが)。
これ、もっと文化大革命の頃の状況を絡めて描かれていたら歴史大作的な映画になったのだろうと感じますが、そうじゃなくて、あくまでその後の夫婦、そして娘を含めた家族の姿を淡々と描いた作品になっていました。一度壊れた家族の、再生のあり方として。

勿論、夫、妻、娘それぞれの人生が当時の政治思想に革命終結後もずっと翻弄され続けたことは否めず、妻には望まぬ過去があった(夫が獄中にいる間に党幹部の男性と不本意な何かがあった)ことも仄めかされており、娘も母親との確執や自責の念に駆られ続け、思想家ではなかった彼女の人生も大きく変わってしまったことなどは容易に伺い知れました。
でもその動乱の様というより、動乱の後の 一つの小さな家族 の時間の経過を静かに追い続けた描き方って良いものだなぁと感じました。

コン・リー.jpg
 ※画像は映画情報サイトより

 感想の冒頭で「切なさ」と書いたのは、三人の思いがいつか報われると思っていたから。
「どこか満たされた気持ち」と書いたのは、ある意味 三人が寄り添って生きてゆけている今があると思えたから。ベストではないけれど、限りなくそこに近い、互いが互いを真に思い合っている姿がそこにはあったから。

 この病は、心因性のものでないものも含めてそれまでの自身の人生や家族の状況や様々な要素が症状に絡んでくるものと私は思っています。百人いれば百通りの症状がある、と。
妻フォン・ワンイーには一瞬、ほんの一瞬、微かにでも記憶が蘇った瞬間があったと信じたいです。


2022 紅葉 - コピー.jpg

好天の今日、紅葉は陽の光を浴びて輝いていました、近隣の散歩コースにて。
今日は猫たちには会えず・・・。



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2022年11月14日

西村賢太小説を2冊


 時折前を通る、全国展開している某大手予備校が入るビル
1Fエントランス横に立てられている大きな看板には、「 夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。」と書かれています。
前を通る度その看板を眺めては、「そりゃそうだけど…そりゃそうだけど、そんなこと正面切って大上段に言われてもなぁ。」と思います。「そんなこと言われんでも分かっとるんじゃ。」とも思います。
ここにやって来る青少年たち、きっといろんな思い(例えば勉学以外の悩みも)を抱えているはずで、それでも勉強をやり続けなきゃいけないと(生きていかなきゃいけないと)このドアをくぐって来るのだと思う・・・そんな彼らの背中をそっと 頑張れよ と押してやる優しさはないのかと思ってしまうのですよね。私は独り身で子どももいないから甘いんでしょうか。
でも「 夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。」って大人の我々にも、否、大人の我々だからこそ一層グサッと刃が刺さる感じのセリフですよね。
このビルの前を通るときは今まで逃げの人生だったと思う自分にはイタい瞬間です。(と言いつつ結構前を通ってますが。)


二度は - コピー.jpg 苦役列車 - コピー.jpg

 西村賢太さんの『 一私小説書きの日乗 』を読了後、やはり氏の小説を読んでみたくてこの2冊を選びました。
図書館での予約で2冊ほぼ同時に手元に届いてしまいました。
『 二度はゆけぬ町の地図 』( 2010年刊行、短編集 )『 苦役列車 』(2011年刊行)です。
「苦役列車」は皆さんご存じの芥川受賞作品ですが、タイトルに惹かれるものがあって先ず「二度は…」から読み始めて読了し、今は「苦役列車」の序盤です。

「二度は…」に関しては、自分が勝手に想像していた氏の小説世界とは正直言って違っていました。いきなりのカウンターパンチを受けてばかりで。「苦役列車」でもそのパンチは続いていますが、私小説とされていながら主人公への 一線を画した客観的描写 があって不思議と引き込まれてしまうところがあります。
光明が見えてくるのか来ないのか、端からそんなものなんて無いのか、今はまだわかりません。でも、怒涛の勢いでページを繰らせてくれる作家氏ではありますね。とてもパワフル。


日曜の夕景 - コピー.jpg

  先週の日曜日の夕景。
はっと息をのむ美しさを感じて思わずスマホで撮影しました。
続けて4枚撮ったのですが、刻一刻とその様を変えるこの夕景一枚目と四枚目のそれは全く違った表情のものでした。写真4枚撮る間のたった30秒ほどで、自然の迫力を感じてしまった私でした。




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2022年10月30日

本の数珠つなぎ 西村賢太作品との出会い


 今年8月の新刊『 あなたのなつかしい一冊 』(池澤夏樹編 毎日出版社)を読みました。
各界著名人たち50人が深く思い入れる「わたしだけのとっておきの一冊」について書いた書評を書籍化したものです。書評は毎日新聞で連載中で、その書籍化はこれで2冊目だとか。知らなかった。
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 私も読んだことのある(そして好きな)本を挙げておられる方々のページでは深く頷きながら読み(でも ふーんなるほどそういう角度から眺める事もできるんだな と新たな発見もあり)、それ以外のページでは(実は大半が未読の本でした)挙げておられる本への切り込み方が其々の‘人となり’を感じさせてとても面白く、「読んでみたい」と興味を抱いた本が多かったです。
そんな中で直ぐにでも読んでみたいと思わされたのは『 一私小説書きの日乗 』(西村賢太著 2013年刊行)でした。
ミュージシャンで作家でもある尾崎世界観さんが選んだ一冊です。

一私小説.jpg

<こんな本>
2011年3月から2012年5月までを綴った、平成無頼の私小説家・西村賢太の虚飾無き日々の記録。賢太氏は何を書き、何を飲み食いし、何に怒っているのか。あけすけな筆致で綴る、ファン待望の異色の日記文学、第一弾(後にシリーズ化)。  (※書籍情報サイトより転載)

恥ずかしながら私はこの「日乗」という語を知らなくて、調べましたよ、辞書で。
「乗」とは 記録 の意。日乗とは日記、記録のこと とありました。なるほど。

西村賢太作品は読んだことありませんでした。
今年の2月に亡くなられましたね。随分と波乱に満ちた、それこそ 苦役 的人生だったと聞きますが、コアなファンを多くお持ちの作家氏だったと拝察します。
本来なら小説家である人の作品は小説から読むべきかもしれませんが、尾崎世界観さんの書評に強く引っ張られるものを感じてこの一冊。そう、先ずは尾崎世界観さんのこの本への書評そのものが面白かったのですよね。尾崎さんの本も私は一冊も読んだことありません。この次は尾崎世界観さんの本を読んでみるのもいいかもしれない。

というわけで 今は西村賢太さんの『 一私小説書きの日乗 』を読んでいます。
面白いです。同時にどこかヒリヒリ(時々 ビリビリ、も)したものを感じます。
メモ書きのように書かれた自身の仕事の事が殆どなのですが、時折 文学なるものへの向き合い方 に半端ない厳しさを感じ、一方ではほぼ毎日のように記される深更の晩酌も。大概、氏が愛飲されていたらしい宝焼酎が登場します、「宝一本弱を手製のベーコンエッグ三つ、チーかま二本で飲む。(某日の記録)」とか。私がヒリヒリ感を感じるのは、実はこの深更のお酒のくだりだったりするのですよね。文字になっていない色んな思いがあるやに見えて。
でもまだ中盤に差しかかったばかりなので私なんかには未だ語る資格なし ですけれど。これから楽しみにページを繰ってゆきます。


ランチハイボ - コピー.jpg

氏のご冥福を祈りつつ私も最後にお酒の画を挙げて今日のブログを閉じます。いつかのランチ呑みのハイボール。
この本によれば氏はウィスキーは苦手だったそうですが。





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2022年10月16日

セントラル・ステーション( BS.P. 録画鑑賞 )

 
すっかり秋ですね。
やっぱり季節は巡る、世の中に関係なく めぐるめぐるめぐるー。

 録画していた(9月29日 BS.P.放送)映画『 セントラル・ステーション 』( ウォルター・サレス監督 1998年制作 )を観ました。中々に良き映画でした。
子役の男の子(若い頃のジュリエット・ビノシュに激似!)がとてもイイです。今もご活躍なら見てみたいのですがネットでは情報は得られませんでした。  

セントラル・・・ - コピー.jpg
             
< story >
ひねくれ者で怒ってばかりの老女と母に先立たれた少年が父親探しの旅に出るロード・ムービー。
リオ・デ・ジャネイロの中央駅。代書業を営むドーラのもとに、息子を連れた女性が夫への手紙の代筆を依頼にきた。ところが手紙を書き終えた後、その女性は事故で死んでしまう。ドーラは一人残された男の子ジョズエをみかねて家に招き入れる。子供の面倒など見る気のないドーラだったが、仕方なくジョズエを父親のもとへ行かせようと、一緒にバスで旅に出るのだった。 ( ※映画情報サイトよりの転載です。)

 リオの乾いた空気。
貧困があらわで(識字率も低い)日々の営みの喧噪の中でドーラと少年は出会います。
基本、ロードムービーは大好きな私です。でもこの作品に惹かれていったのは、ドーラがジョズエを放っておけなかったのが母性というよりも 孤独に身を置く者同士の仲間意識があったからじゃないかと思ったからかもしれません。

いかなる来し方がそうさせたのか 心の荒んだ人間になってしまっているドーラの言動は見ていて痛々しいくらいなのですが、ジョズエとの道行きで彼女が少しずつ変わってゆくのが分かります。ジョズエの方も少しずつドーラへの気持ちを軟化させ‘一緒にいてくれる人’の存在になってゆくのが微笑ましいです。

同じく孤独なトラック運転手の男性に淡い恋心を抱いたドーラに手痛い答えが用意されていたのは…さすがに悲しい。去っていったその男性を「(怖くなるなんて)弱虫だ」と言ったジョズエの言葉にはドーラを思いやる優しさと男の子としての逞しさを感じて、私ちょっと泣きそうになりました。
セントラル…3 - コピー.jpg
※映画情報サイトよりの転載画像です

ロードは行く先々でいろいろあり、願う状況にはなかなか辿り着けません。
でもそんな中で父にまつわる想い出や亡き母への祈り、(後から思えば)ドーラとジョズエの其々の思いが深いところで静かにつながってゆくようなシーンが幾つか描かれていたっけなぁ…。
もうこのままでいいのじゃないか、ドーラとジョズエで新たな彼らの人生を…と思った矢先に神の恩恵が降ります(人生って皮肉だなぁ)。
ジョズエが選んだドレスを着て口紅をひき二人の旅の目的となった父親への手紙をそっと置いてゆくドーラは、それまでに見せたことのない美しさと優しさでした。

安堵の思いと ドーラとジョズエが会うことはきっともう無いのだろうと思われる切なさがない交ぜになるエンドは、二人の写真が収められたあの小さなスコープのようにキラキラと輝くシーンだったと感じました。

くろ - コピー.jpg

かなり久々の猫パトロールで くろべえ と再会。
これから寒うなってくるから気ぃつけてな。



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2022年10月02日

燃え殻さんのエッセイ集 2冊


 予約していた本が届いて2冊続けて読みました。
燃え殻さんの本は初めてでした。ていうか、予約する以前は知らなかったです、燃え殻さんというひと。
読んだのは『 すべて忘れてしまうから 』と『 夢に迷ってタクシーを呼んだ 』です。共に扶桑社よ2020年、2021年に刊行されたエッセイ集です。

状況は違っても、同じような感覚に陥ったことってあったな、いや今もあるな、っていう思いで読みました。普段なら忘れているその感覚、思いに気付かせてもらったかな。

全て忘れて‥‥.jpg 夢に迷って・・・.jpg

<『すべて…』はこんな本>
ふとした瞬間におとずれる、もう戻れない日々との再会。ときに狼狽え、ときに心揺さぶられながら、すべて忘れてしまう日常にささやかな抵抗を試みる「断片的回顧録」。『週刊SPA!』連載を加筆し書籍化。
<『夢に迷って…』はこんな本>
繰り返される緊急事態宣言、叩かなくてもホコリの出る人生…。人生はなぜか忘れられなかった小さな思い出の集合体でできている。エッセイ集「すべて忘れてしまうから」の完結編。『週刊SPA!』連載を加筆し書籍化。     (※両著の内容とも情報サイトより転載)


 大地に足を踏ん張れてない、漠然とした不安をどこかに持った危うい日々を、どーにかこーにか何とかして生きてきた人なのですね、燃え殻さん。多くの、というか殆どの人も多分同じで、何とかしてその時その時の自分に折り合いをつけて生きている? 時に「よそ行きの本当」(←文中の言葉、本当の本当は残酷すぎて)でごまかしながら?
さらっと次のページをめくってしまうものもあれば 時に静かにじわっと効いてくる言葉もあって救われる思いもありました。びっくりしたのは 燃え殻さんがとある場所のことを 自分にとってのシェルター と呼んでいたこと。私もとある場所を自分の中でシェルターと呼び続けていたので。

2冊の中にいろいろな思いが綴られてはいても、結局は完結編とされている『 夢に迷って… 』のラストの表題作一篇に綴られた思いが全てなのじゃないかと感じました。書くことを通じて「自分と同じような考えを持った誰かに…お前はそれでいいよと認めてもらえる誰かに…会いに行きたかったのかもしれない」ということ。それが燃え殻さんの原点でもあり到達点でもあるのだろうなぁって感じました。
全篇に挿入されている長尾謙一郎さんの画がまたイイです。 読ませてもらって ありがとう の思いです。

美酔香泉しずく酒 - コピー.jpg

久しぶりにお酒の画を載せます、純米吟醸 美酔香泉しずく酒。 香は華やかであっても結構どしっとくる酒質の 濃醇旨口です。
ここでの美酒にも「ありがとう」。



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2022年09月18日

友だちのうちはどこ? (BSプレミアム録画鑑賞)


  録画していた( 8月30日 BS.P.放送 )映画『 友だちのうちはどこ? 』( アッバス・キアロスタミ監督 1987年制作 )を観ました。
アッバス・キアロスタミ監督の名を世に知らしめたとされるこの作品、自分では観たと思い込んでいましたがどうやらそうじゃなかったみたい。録画しておいてよかった。
85分という短いフィルムながら、こんなにドキドキハラハラして怒りさえ湧いて、でもそんなものがラストには一気に全て消し去られてしまう、清々しさを残した作品でした。                    
   
< story >
友だちの大切なノートを間違えて持ち帰ってしまった少年がノートを返すため友だちの家を探し歩く姿を描く。
イラン北部にあるコケール村の小学校。級友が宿題をノートではなく紙に書いてきたため先生からきつく叱られ、「今度同じことをしたら退学だ」と告げられる。しかし隣の席に座るアハマッドが、間違って彼のノートを自宅に持ち帰ってしまう。ノートがないと級友が退学になると焦ったアハマッドは、ノートを返すため、遠い隣村に住む彼の家を探し回るがなかなか見つけることができず……。 (※映画情報サイトよりの転載です)

友だちの - コピー.jpg※映画より

 身勝手で理不尽なことばかり大声でまくしたてる大人たち。
誰よりも子の気持ちを吸い取ってやるべき母親も日々の暮らしに追われて何一つアハマッドの言葉に耳を貸さない。
ただただ友だちにノートを返したい、それだけの思いが周囲の大人たちによってどんどん踏みにじられてゆくのは観ていてとても辛かったです。
トドメのように現れた 老いにより記憶の低下した?老人によって、アハマッドに残された時間も希望という名の力もついに絶たれてしまう。(でもアハマッドはその老人にも子どもなりの気遣いを見せ決して非難をしない。それだけにアハマッドの痛々しさが不憫で悲しい。)

最後の最後、友だちのうちを見つけられたらアハマッドはきっと堰を切ったかのように大泣きをしてしまうだろうと、実際そういうシーンで幕を閉じるんじゃないかとさえ思っていた私。
でも大泣きするどころかアハマッドはとうとう友だちの家を見つけられないままで、私が大泣きしたいくらいでした。

 出された夕食に手も付けず翌日のために宿題をするアハマッド。
彼の父親は何があったのか話を聞いてやろうともしない。
開け放たれた扉から吹き荒れる夜風が部屋の中に舞い込んでくる様子をじっと見つめるアハマッドは、いったい何を思っていたのでしょう。
周囲に理解されなくても生きてゆかねばならない不条理さをそこに見ていたのでしょうか。

アハマッドが思いついた、ある一つの‘友だちを救う’方法。
筆跡が同じはずなのに何も気づかない愚かな教師が更に気付くはずもない、ノートの中の小さな押し花。
あの押し花が 穢れなきもの の存在を見せてくれた気がしました。

時代や国柄が大きく違っていても、人が他者へ抱く思いを描くことに於いては同じだと思います。アハマッドの 真っすぐ友を想う心が折れてしまわなくて本当に良かった。

緑田 - コピー.jpg

実家帰りの際に撮った、自転車で通る川沿いに広がる田園風景。
風が稲穂を揺らしてゆく。

台風14号、奇跡的にでもなんでもいいから消滅してくれ・・・。



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2022年09月04日

世界の天空の城( 写真集 )


 今回も雲の写真から。
8月最後の土曜日、実家帰りの際に撮った一枚です。
それから一週間が経って季節もそのぶん動きました。この画は、だから今となっては夏の名残りの空ですね。
名残の空 - コピー.jpg


 こんな一冊を手に取りました。予約を入れている本たちが未だ届きそうになく。
ここではない何処か、全く違う次元の、そして美しい風景に触れたかったから…と記しておきます。
『 世界の天空の城 』( 写真・アフロ、文・水野久美、青幻舎 )です。             
「夢を築き、祈りを捧げ、攻防戦の舞台となったファンタジックな天空の城への誘い。栄枯盛衰の歴史物語に迷い込んだかのような世界各国の天空の城44を紹介。(Bookデータより転載)」という一冊です。

世界の天空の城.jpg


掲載写真は‘この一瞬’を捉えたものばかりです。幻想的で、本書の言葉をお借りすればまさに「奇跡のベストショット」で本当に美しい。
添えられた解説文がその成り立ちと存在の貴重さを教えてくれます。「プチガイド」としてその城への行き方も付されています。「そしたらちょっと来週にでも行ってくるわ」という場所でもないですが。

「美しい」と思ったのと同時に、「よくこんな所にこれだけのものが築けたものだ」という思いも。天空の、孤高の山上で。
いかに多くの領民たちが命を削ってその建立に関わったことか…とその厳しさに思いを馳せざるを得ません。そしてそれだけの 重み を全ての城、城址 が秘めているように見えました。

特に目を奪われたのは
◆グアイタ城砦(サンマリノ共和国 サンマリノ)*
◆ノイシュヴァンシュタイン城(ドイツ フュッセン)
◆ホーエンツォレルン城(ドイツ シュヴァーヴェン地方)
◆スワローズ・ネスト(ウクライナ ヤルタ)
◆シーギリヤ(スリランカ マータレー)*
そして日本からは ◆越前大野城(日本 福井県)
  
といったところでしょうか。   ( * は世界遺産 )

データは刊行の2016年のものなので、特にクリミア半島の<スワローズ・ネスト>なんて今はどうなっているのでしょうか。ロシアとウクライナの闘いも、それにしても長いですよね。


9月も今日で第二週に入りました。
秋には秋の空がある。
皆さん どうぞ佳い秋をお迎えください。





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2022年08月14日

初・井上荒野小説


 前回、気弱なことを書いてしまいました、すみません。大丈夫です。

薄墨の雲 - コピー (2) - コピー.jpg

 とある日、また不思議な雲に出会いました。
実家に帰った時に見た空。
白い雲の大きなキャンバスに、まるで薄墨の絵具で小さな雲を描き入れたような・・・。アニメーションチックで思わず‘わぁ!’と小さく叫びながらスマホで撮っていました。

雲を見ていると不思議と安らぐ。
図書館で 雲の眺め方 についての気象観測の本を見つけたのですが、大判で重かったので借りるのを止めました。←なんでも簡単にあきらめるアカン私。


さようなら、猫 単行本 - コピー.jpg さようなら、猫 - コピー.jpg

 先日読了したのは井上荒野さんの『 さようなら、猫 』です。
私にとっては初の井上荒野小説でした。
「 乾いている人、求めている人、愛している人、憎んでいる人、何も考えたくない人、彼らの日々にそっと加えられる一匹の猫。」というコピーに何となく惹かれました。

9編の短編からなる一冊です。聞けば井上さんは 短編の名手 とか。
満たされない人たちの上手くゆかない人生があって、猫たちはそんな人たちの日常にその存在の影を落としてゆくのですが、どの物語も不穏な展開を見せて どこにも解決という名の着地をしない。 猫たちの存在を通して自分自身を見ている主人公たちがいて、己を知らしめるということに於いて‘やってくるモノゴトには意味がある’のだなと思いました。
単行本と文庫本の装丁画が違いますが、それぞれ何を見つめ何を振り返っているのかな…。

 8月も半ば。少しずつ日が短くなってきていますね。
引き続きどうぞ佳い日々をお過ごしください。



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2022年07月24日

ナポレオン羊


 あることで このところちょっとメンタルへこんでます。
今回のブログ更新は昨日撮った 夏空の雲 の画像を挙げるのみでごめんなさい。
実家に帰った際に元気を出そうと見上げた空、、、画像左側のモコっとした夏雲が何となく自分には 二角帽子を被った羊 に見えて < ナポレオン羊 > と名付けました。

ナポレオン羊 - コピー.jpg 
 
 皆さんはどんな風に見えますか?


 某書で「 A blessing in disguise 」 という英語の言葉を見つけました。
「神の恵みはその姿を隠してやって来る」っていう意味みたいですが、悪いことのようでも結果的には良いことだったりするよ、的な感じなのかな・・・「災い転じて福となす」という日本の諺に近いのでしょうか。
こういう言葉との出会いにも 少し救われます。

あと一週間で8月ですね、早い早い。


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