やっと修正が叶いました。
画像容量の問題だったかと…申し訳ありませんでした。(2月13日追記)
申し訳ありませんが、直前の「蕎麦屋」の記事ページからサイドバーが下段に掲示されてしまっています。修正を試みていますが何故か上手くゆかず…見づらいですがご了解願います。
2022年02月07日
2022年02月06日
蕎麦屋 すごく久しぶりに聴いた
北京冬季オリンピックが始まりましたね。
4年に一度のその瞬間に持てる最大限の力を発揮できますようにと、選手の方々にはまるで親心のように祈っています。
昨夜友人からスマホにメールが来て、「いまBSフジで中島みゆきの歌やってるみたいだけど観てる?」って。
知らなかったので慌ててBSフジにチャンネル合わせました。
過去放送の『 BSフジサタデープレミアム 輝き続ける中島みゆき 』の再放送であるらしかった・・・初回放送すら知らなくて観ていなかった、ぼーっと生きてるから。
内容は、ゲストが一堂に会して語り合う<Special Talk Session>を軸に、歌やインタビューも交えみゆきの世界が紹介されるというものでした。
既に半分は放送が終わっていたのですが、自分としては「蕎麦屋」が‘なんて久しぶり!’な感じで聴けたのが嬉しかったです。
中村中さんの声と歌い方がとてもしっくりときて、中島みゆきに対する思い入れを語る言葉や佇まいにも静かに引き込まれるものがあって中村中さんはやはり素敵なアーティストさんだな、とも。

<蕎麦屋> 中島みゆき作詞・作曲
世界中がだれもかも偉い奴に思えてきて
まるで自分ひとりだけがいらないような気がする時
突然おまえから電話がくる
突然おまえから電話がくる
あのぅ、そばでも食わないかあ、ってね
べつに今さらおまえの顔見てそばなど食っても仕方がないんだけど
居留守つかうのもなんだかみたいでなんのかんのと割り箸を折っている
どうでもいいけどとんがらし
どうでもいいけどとんがらし
そんなにかけちゃよくないよ、ってね
風はのれんをばたばたなかせてラジオは知ったかぶりの大相撲中継
あいつの失敗話にけらけら笑って丼につかまりながら、おまえ
あのね、わかんない奴もいるさって
あのね、わかんない奴もいるさって
あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ
この曲は 1980年春に出された中島みゆきの7作目のオリジナルアルバム『 生きていてもいいですか 』に収録(初出)されています。まだLPレコードの時代でした。
今はレコードプレイヤーを自宅に置いていないのでレコードは聴けないままでしたが、ラックから「生きていても…」のLPレコードを引っ張り出してきて番組終了後に懐かしく眺めてしまいました。
情報を送ってくれた友人に感謝です、ありがとう。
そういえば以前にはNHK・BSプレミアムで『 中島みゆき名曲集 〜豪華トリビュートライブ 』も放送されて(あれは観ました!素晴らしかった!)、その時も中村中さんが出演されて「元気ですか」と「怜子」を歌われていたのでしたね。
あのライブでは中島美嘉さんが歌ったみゆきの「命の別名」に心を強く掴まれました。それから、華原朋美さんが歌った「黄砂に吹かれて」も、私としては工藤静香さんが歌うそれよりもずっと印象深くとても良かったので いつかまた華原朋美さんにも中島みゆきの歌を歌ってほしいです。

ちなみに、7作目のアルバム『 生きていてもいいですか 』がレコードジャケットも収録曲もあまりに暗すぎてファンの間でも物議を醸して??次の8作目のアルバム『 臨月 』ではみゆきが笑っている姿がジャケットになった、という話はファンの間では結構有名です。
2022年01月25日
高山なおみの神戸だより 海の見える小さな台所から ( NHK総合 )
1月15日に放送されていたのを録画して観て、そのあとでもう一回観て、以来消せないままで残しています。
NHK総合『 高山なおみの神戸だより 海の見える小さな台所から 』、第二弾の「 秋冬編 六度めの冬 」です。
昨年に第一弾「 六度めの夏 」が放送されて、それの続編です。第一弾も観て心地よさが残ってて、今回も楽しみに録画しました。
<こんな番組>
料理家・文筆家の高山なおみさん。NHKの長寿番組「きょうの料理」講師としても知られていますが、異国の香り漂う料理は、全国のファンを魅了しています。そんな高山さんが住み慣れた東京を離れ神戸へ移住してきたのは2016年。海と空が一望できる台所で発見したことを独特の感性と素直な言葉で表現し続けています。
季節が巡り今度の冬が六度め。神戸での新しい出会いから生まれる、いろんなおいしいもの・・・。高山さんのある一日を、小池徹平さんの語りと美しい映像でお届けします。 ※番組サイトより転載させて頂きました。
※番組ワンシーン
やっぱり「心地よい」のです。
お天気の良い日のお昼間の海のキラキラや、朝焼け夕焼けの艶やかさと郷愁を誘うようなちょっぴりの切なさと。カーテンを揺らす柔らかい風や遠くに聞こえているいろんな営みの音とか。
勿論そこはかなりの高台に在る家、天候の良い日ばかりではなく、見えてくるもの聞こえてくる音たちは不穏なものであることも多いでしょうけれど。
独りであるが故の のびのびとした、でも自身に課した決め事とこだわりだけは捨てないという日々の暮らしがそこにはあって、高山さんの優しい、ちょっとあどけなさすら感じる声音でそれらの一つ一つがユニークな言葉で語られるのもまた、とても心地よいのです。
高山さん、六度めの季節なのかぁ・・・。
住み慣れた街を離れて見知らぬ土地に移り住むのにはやはり大きな覚悟は要るわけで。「(皮膚に)ガムテープを張ってべりッと剝がす感じで引っ越してきた」っていう高山さんの言葉にそれ相応の深い背景を感じ、その覚悟は年齢を重ねるに比例する重さがあったことだろうと思いを馳せました。だから「漸く神戸に足がついて次が始まりそうかな…」という言葉にはまるで自分のことのようにしみじみとした嬉しさも。
高山さんには程遠い私ですが、その存在を心に感じつつ日々丁寧に、私も好いと思えるものにちゃんと向き合って生きていきたいものだと改めて思うのでした。
録画はこのまま暫く残しておいて、ふわーーっとしたい気分?な時にまた観てみたいなぁと思っています。
※ネットの「ロゼ/イメージ画像」より拝借させて頂いた画像です
そうそう、この番組を観て、美味しい蜂蜜を食してみたくなったのと、普段は選ばないロゼワインを凄く呑みなくなったのでした。
ロゼワインはワイン好きの友人女性にプレゼントするには相応しいと思うのですが、自分用に買って普段に吞むのは…なんと言いますか…華がありすぎるというか、そんなイメージで。
でも今度ちょっとオシャレな気分を纏って?? ロゼを一本買ってみようと思っています。(オシャレな気分で買ってもオシャレじゃない飲み方であっと言う間にボトルが空く…多分。)
2022年01月11日
ローラとふたりの兄
今年の初・劇場映画鑑賞は新春の神戸も歩いてみたくてシネ・リーブル神戸へ。
『 ローラとふたりの兄 』( ジャン=ポール・ルーヴ監督 )を観てきました。監督は長男ブノワ役で出演もされています。
<story>
弁護士のローラには、ロマンチストで神経質な眼鏡士ブノワと職人気質で不器用な解体業者ピエールという2人の兄がいる。彼らは毎月一度亡くなった両親の墓前に集まっていたが、ある時二人の兄がけんかをして以来、険悪な雰囲気が漂っていた。そんな中、ローラは離婚調停の依頼人ゾエールと恋に落ちるが、病院である事実を告げられ・・・。 (※映画情報サイトよりの転載です)
年の初めの一本に相応しい、とても温かい気持ちにさせてもらえた作品でした。
フランス映画って台詞がキーなのかな(私としてはフランス映画の台詞って‘独特の誇張感’があるイメージ)、本作はそのイメージとはちょっと違う、イイ意味で力の抜けた感じの妙味ある台詞たちで満ちていて、幾つものコメディーシーンを更に盛り上げていたように感じました。そして、気が付いたら最後には泣いていました、私。
台詞にもあった「愛があるから何も言わなくていい」という関係は理想的ですが、実際は家族でも言葉にしなければ伝わらないことはあって、抱えていることを吐き出す勇気も時に必要かと。何も言わなくていいのはその後のこと。吐き出せないピエールに、ブノワは‘お兄ちゃん’としての愛を示してくれたのだと感じました。
※映画 ワンシーン (映画情報サイトより転載させて頂きました)
登場人物は皆クセがある人たちに思えますが、いますいます(私自身も含めて)、真剣なのだけどどこかズレていて、みんあ‘あるある’なところばかりで愛おしくなってくるのでした。脇役で登場する人たちがまた何とも微笑ましくて。
特にピエールの息子ロミュアルドと、同じくピエールの仕事仲間のアントワーヌはイイ味出してました。
ロミュアルドはいつだって公平で、冷静で、一度も周囲への愛を見失っていなかったとってもイイ子! だから、観終わって実は最も気になっているのが彼が留学先のケンブリッジに戻れたのか否かってこと。(映画ではそこんところは回収されていなかったような…)
アントワーヌは世俗を超越したところで生きているっていう感じでしたが、なるほどそういうことだったのね(最後に彼の想いが分かる)。このアントワーヌと、墓地でいつも会うおじいちゃん、解体工事で被害を被ったアパートに住むおばあちゃん、三人ともどこか謎のオーラを放っていました。あ、ブノワの眼鏡店で働く中年女性もちょっとヘンで妙に愛おしい・・・それぞれで一本の映画が出来そうに思えます。この監督の演出の、そういうところがとても素敵でした。
最後にちょっと余談かも、ですが。
「日本では多いよ、ジョーハツって言うらしい。何もかも嫌になって居なくなるって…」という台詞があってちょっとチクッとしました。日本ってそんなイメージを持たれているのでしょうか。
朝のコーヒーは何かと気忙しいのでもっぱらインスタントコーヒー頼みでしたが、最近はペーパードリップで淹れて飲むようになりました。特別なコーヒーでもなんでない普通の挽き粉でしたがビックリするくらい美味しく感じてそれ以来ずっと。その日の朝の気分で使うマグカップを選んだりもして、朝の時間がちょっとだけ豊かになりました。
※サッチモちゃんが淹れてくれたらインスタントでも凄く美味しかったかもしれませんね。(←『カムカムエヴリバディ』ネタです(^^))
2022年01月04日
2021年 を振り返って
2022年が明けましたね。 今年もどうぞ宜しくお願い致します。
今年も 年が明けてからの ‘昨年の振り返り’ とさせて頂きます。
劇場での新作映画鑑賞が激減した一昨年2020年は14本どまり、、、そして昨年2021年は なんと7本だけ でした。
別途 DVDやBSなどでの旧作鑑賞は ここに挙げていない鑑賞も含めて約15本でした。
おまけにお酒の画像も殆ど挙げられておらず、この<シネマで乾杯!>は、もはや<シネマで…>でも<…で乾杯!>でもなくなっているという体たらくです。
けれど今年も昨年同様に、本や絵、ドラマなど、日々出会った佳きもの愉しきもののことを細々とではありますが綴ってゆきたいと思っております。このような拙いブログですが、改めまして今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
昨年同様の書き方で今年も下記のように挙げさせていただきます。
■ 2021年の一本 ■
『 草の響き 』(11月14日記事)
劇所鑑賞が7本だけだったのに「この一本」だなんて全くおこがましい話なのですが、昨年同様「もう一回観られるとしたらコレ」という観点で選びました。
ラストで主人公の和雄、そして妻の純子のそれぞれの再生を願い、信じさせてくれた本作でしたが、私がもう一度観たいと強く思ったのは和雄の友人・研二の姿です。
研二が、ただひたすら変わらぬ態度で和雄を見守り続けたその姿からは、心に問題を抱えてしまった相手に対して、「何ができるか」ではなく「何をしないままでいられるか」ということの意味を改めて考えさせてもらった気がしました。もし自分の友人がそういう状況になってしまったら、果たして私はああいう形で寄り添い続けることが出来るだろうか…と。
大きく信じて静かに待つ、、、そうできる為には先ずは私自身が強くあらねばならないのでしょうね。研二を演じた大東駿介さん、今まで特に気にならなかった俳優さんでしたが本作でファンになりました。
■ 2021年の一冊 ■
『 ばにらさま 』(10月31日記事)
衝撃だった山本文緒さんの訃報の後で時を経ずに刊行された短編集です。
表紙の画が、山本文緒さんがデヴューされた少女小説の世界を彷彿とさせる雰囲気があって、しかし収められている作品たちはどれも人生の苦みに満ちていて、まさに文緒ワールドでした。またいつか読み返してみます。
文緒さん、どうぞ安らかに。
■ 2021年の ドキュ72 ■
最後にもう一つ、テレビのプログラムから。
何度か拙ブログで書かせてもらったNHKの『ドキュメント72時間』。昨年・2021年もたくさんの「72時間」に出会えました。
さて、12月30日には恒例の「視聴者が選ぶBEST10」発表がありました。私としては「これはBEST5には入っているだろう」と思っていた回が選外になっていて意外だったのですが、そういうところもドキュメント番組が持つ予測不能な不思議パワーなのだと感じました。BEST1の作品は勿論納得の回でしたが。
そして、つくづく人には其々のドラマがあるのだと、そしてそれは何にも代えようのない唯一無二の輝きを持つのだと、改めてそう感じました。
今年も「ドキュメント72時間」を追いかけてゆきたいと思っています、楽しみです。
いただいた年賀状の中の一枚に、「一体いつまで続くんじゃ、この状況!たまには外でマスク無しで大声で笑いたいわっ!」と書かれた賀状があって、家の中でしたけど読みながら笑わせてもらいました。( ←差出人様の了解を得てここに書かせてもらっています。)
私にとっての初笑いでした、ありがとうございました。勿論コロナの状況は笑い事じゃないんですけどね…でも何ていうか、笑ったらちょっと明るくなれますもんね、やっぱり。
皆さんも 笑顔になれることが一つでも多くなる今年でありますように。

2021年12月26日
展示室で会いましょう - 日比野克彦・姫路市美 コラボ企画 -
多分年内最後の美術館巡りとして姫路市立美術館へ『 展示室で会いましょう 』展に行ってきました。
日比野克彦さんと姫路市美さんのコラボ企画で、日比野さんが憧憬するアンリ・マティスをはじめ、時代も国も異なる6人の作家の市美所蔵作品約100点と日比野氏作品約100点が一堂に会するという展覧会です。
7つのシーンで構成されています。
T. アンリ・マティスと出会う
U. フランシスコ・デ・ゴヤと出会う
V. アンリ・ミショーと出会う
W. ピエール・アレシンスキーと出会う
X. ガブリエル・ベルジョンヌと出会う
Y. 「会いたい」
Z. コンスタンティン・ブランクーシと出会う
※Z.の<コンスタンティン・ブランクーシと出会う>のゾーン以外は全て作品撮影O.Kです。
面白いアーティスト氏なのですねー、日比野さん。
恥ずかしながら今まで氏の作品にちゃんと触れたことがなかったので、本展で、とにかく自由自在で常に身体中からアイデアが吹き出ているエネルギッシュな印象を氏に感じました。
特に惹かれたのは<ゴヤとの出会い>のブース、そして<「会いたい」>のブースです。
「会いたい」ブース。
ここでの絵は「小学校の先生からパブロ・ピカソ、さらにはモーセやクフ王といった太古の英雄まで、今まで日比野が出会った人だけでなく、これから会いたい人たち約80の人物をモチーフに」描かれている作品 とのことです。(展示パネルより)
「街に出かける目的は人に会いたいからである。人に会うことが何よりも自分の世界を広げ、自分を安心させてくれる。(中略)どの時代にも行けないところはある。でも、人間はそこへ行こうとする。その気持ちが、創造力が、文化文明を作ってきた。いくら地表を征服し、すべてのものがつながったとしても、つなぎきれないのは自分と他人である。」
これは過去に記された日比野氏の「デザイン考」の中の一節です。
今のコロナ禍において深く考えさせられてしまう一節ですが、大きな空間に浮遊するがごとく天井から吊るされたたくさんの人たちの表情からは、見ているうちにいろんな問いかけがなされてくるかのようでした。
やっぱり人物画って好きだなぁ、私。
各ブースでの様々な作品は、込められた意味を探ろうと身構えてしまうとちょっとハードルが高くなったりもしましたが、肩の力を抜いて目に映るものをそのまま、ただ眺めているとなかなか楽しいものでした。
併設のコレクションギャラリーでの< 森崎伯霊展 >も実はとっても良くて、眺めていると優しーい気持ちになれる絵ばかりでした。思わず絵葉書買いました。
多分これが今年最後の拙ブログ記事になるかと思いますので(例によって年が明けてから2021年を振り返っての記事を挙げたいと思っています)、最後はやっぱり自分の好きなモノの画像で締めくくります。
ランチビールならぬ ランチジントニックです。
とても落ち着いた感じのお店で、お酒も丁寧に作って下さった感じが伝わってきました。
外での食事もお酒を飲むことも殆どなくなってしまいましたが、たまに外でいただくとやはり華やいだ気持ちになれるものですねー。
12月に入って辛く悲しいニュースが続きました。
どうか皆さんにとって少しでもよい年末、よい新年でありますように。

2021年12月12日
犬をめぐるチャーミングな本2冊
最近ちょっと某ジャンルの実用書に走りがちだったのですが、久しぶりの図書館でチャーミングな本に出会いましたので簡単に書き残しておきます。
どちらも犬のことが書かれています。
実は図書館には全く違う本を探しに行ったのですが、行ったのが本館じゃなくて小さな分館だったので思う本が見つからず、どーしよーかなーと思いながら館内を歩いていてふと目に留まったのがこの本たちでした。
衝動買いならぬ衝動借り(こんな言葉無いのでしょうけど)でしょうか…、どちらも一旦手に取ってその場でページをパラパラ繰ってみたら何となく置いて帰ることができなくなってしまいました。
<こんな本たち>
『 ぼくの大事なボブ 』(トム・コーウィン著 上杉隼人訳)
気の毒なことに、ボブは、動物をどうやって愛したらいいかということをまるで考えないような人に飼われていた。ボブはその細い目に、恐怖となんとか生きのびたいという意思を同時に浮かべながら成長した。そして、いまから4年半ぐらい前のことだったが、ボブは強く心を決めて、自分が生まれ持った運命を変えてしまった。
ボブの飼い主となったミュージシャンであるトム・コーウィンの一通のメールから生まれたこの本は、10分で読めてずっと心に残る、本当にあったお話です。 ※BOOK情報サイトより転載させて頂きました。
『 パンといっぴき 』(桑原奈津子著)
パン好きの犬と朝食の定点観測。料理研究家・桑原さんの愛犬キップルは、おいしいパンの味を知ってしまいました…。
短いコピー付きの写真集です。モーニングレシピ付。 ※BOOK情報サイトより転載させて頂きました。
私は猫と暮らしていた年月が長かったのですが、実家では物心ついた時には犬がいて犬との暮らしも決して短くはありませんでした。
でも今思い返すとちゃんと十分に愛情を注げていたのか否か…あの時ああしていればよかった もっとこうしてやるべきだった、との思いは常に付きまとっています。それはそれから後で我が家にやってきた猫たちにも同様に。
生き物には常に、「ありがとう」の想いとともに「ごめんね」の想いがワンセットです。
すみません、私のウエットな感情は置いておいて・・・先ずは『 ぼくの大事なボブ 』について。
これは本当に一気に読めて、なのに深く尾を引く一冊でした。
もともとボブはトムの隣人に飼われていた犬だったわけで、ボブがトムのもとを訪れたのは彼の決死の意思によるものとは思います。Book情報サイトにもあるように「ボブは強く心を決めて」とありますから。でもそれってもしかして、かつてトムに飼われていたババという犬(天に召されてしまった)の導きによるものかもしれない…もっと言えばそのババのスピリッツがボブに乗りうつったのかも…とまで私は想像を広げてしまいました。あまりに一途で懸命なボブの姿に、運命的というか奇跡的な何かの存在をその背後に感じてしまったのでした。
しかしいずれにしても、ボブがトムのもとにやって来て(やって来る勇気を持てて)本当によかったと切実に思います。
もともとこれは作品として書かれたものではなく、ボブを知る友人たちにトムから送られたメールの文章です。それだけに、技巧的な表現はなくとてもシンプルで優しい語りかけになっていて、読んでいて温もりが伝わってきます。パラパラ漫画的に右下にボブがやって来て去ってゆく姿が描かれているのもキュートです。
そして『 パンといっぴき 』。
先ず桑原奈津子さんの暮らしがシンプル且つ、好きなものにとことん拘っておられる感じなのがとにかくイイです。食べるもの、飲むもの、食器や家具、家そのものも。
登場する犬・キップルは目がちょっぴり切なげで(濡れた瞳(^^))、でもとっても可愛いのです。短毛でしっとりした感じの毛並みも好き。
もう一つの重要アイテムのパンたちはとにかくどれも凄く美味しそうで、私、ちょっと頭を打たれてしまいました。
好きなものをもっとダイレクトに とことんシンプルに追求するこんな暮らしをやってみたい、いや、やるべきだと(今からでも!)と思ったのでした。
そうそう、実はキップル以外にも動物が登場します。それは‘黒いカゲ’と称されるクロという名の黒猫です。この子はパンには興味がないみたいで、時々キップルの傍らをカゲのようにサーッと横切る感じで登場します。キップルとクロ、二匹の距離感がなんとも良いです。ネットで調べてみたらこの本以外にも桑原さんによる『いっぴきとにひき』『パンといっぴき 2』という本も出版されているみたいです。
そういえばお酒についてはダイレクトにシンプルに追求してますね、私。
いやでもそれって べたな酒呑み、ただの酔っ払いということか・・・。
2021年11月28日
アンリ・カルティエ=ブレッソン展 -一瞬と永遠の出会い- 何必館・京都現代美術館にて
秋の色濃くなった京都に、写真展 < アンリ・カルティエ=ブレッソン展 > を観に行ってきました。
祇園にある私立の美術館、何必館(かひつかん)・京都現代美術館で開催されています。
当初は11月14日までの会期だったのですが‘好評につき’とのことで12月12日まで延長となりました。
実は本展に向かったのは(ブレッソン写真展もさることながら)この美術館にどうしても行ってみたかったからなのです。
本館の建立は約40年前。四条通り沿い、八坂神社のほど近くにあって、よく前を通っていたのにこんなところに美術館があったなんて私は全然知りませんでした。
あることがきっかけで28歳頃から約20年間、年に一度1〜2月の頃 八坂神社と知恩院にお詣りをしていて、その定期的なお詣りを止めてからも何か思い事があると八坂神社界隈を訪れていたのですが・・・。何必館での企画展は不定期だったみたいですが、それにしてもなぜ気付かなかったのか、いや気付いても特に記憶に留まらなかったのか、とにかくぼーっと生きてきた証拠なんですかね。
そんなわけで、ネットで調べてみると中々趣のある佇まいのようで是非行ってみたくなったのでした。今回の写真展の会期が延長になって本当によかったです。
モノクロームの写真ってノスタルジアを感じて惹かれますよね。
時を超えて一気にそれが撮られたシーンに飛べそうになるような、空気も含めてそこに在るもの全てがまさにカシャリと切り取られた感じ。でもそこには撮り手の捉え方が如実に作用していて、リアリティーと表現力の一体化によって生み出された作品という感じがします。
本展で展示の作品数は60点余と決して多くはありませんが、静かでこじんまりとした館内で一点一点ゆっくりと眺めることができました。
私設館というのがなんとも良いですね。財を成して、それを自らが愛し育もうと思えるものに惜しみなく投じられるなんて、これほど素晴らしいことはないのではないかと思います。
何必館という名称は、資料によれば創設者が「学問も芸術も、人は定説に縛られれば自由を失ってしまう」とし、定説を「何ぞ必ずしも」と常に疑う自由な精神を持ち続けたい、という願いを込めて付けられたもののようです。
決して奇を衒った造りはされておらず シンプルモダン とでも表現すればよいのでしょうか、5階には小さなスペースながら自然採光の庭もしつらえられています。今の時期は紅葉が綺麗でした。
行き交う人の多い秋の京都でしたが、館内ではひと時の静寂に包まれ 写真たちの中で時を超えて輝く人々の姿に想いを馳せることができました。
最後になりましたがこの写真展の情報をくださった ビイルネンさんことK女史 に改めてお礼申し上げます、ありがとうございました。
12月目前の寒い京都も、時折顔を出すお陽さんがぐっと暖かさをもたらせてくれました。
お茶で名の通った伊藤久右衛門の甘味処でグリーンティーフロートをいただいてみました。
ふと、そう唐突に、その昔‘八坂&知恩院詣で’を始めたその年に行った祇園近くの<喫茶マミー>のことを思い出しました。
当時、某友人からそこの<コーヒーぜんざい>が面白い(‘お薦め’というより‘いろんな意味でインパクトがある’ということ)と聞いていて、探し歩いて行ったお店でした。
勿論コーヒーぜんざいをオーダーしましたよ。そして、はい、いろんな意味で面白かったです。
懐かしい、でも今はきっともう無いのだろうなぁ、あのお店・・・・・諸行無常。
2021年11月14日
草の響き
シネ・リーブル神戸で『 草の響き 』( 斎藤久志監督 原作は佐藤泰志 )を観てきました。
総じて淡々と描かれているものの内容はハードで、辛いシーンはやはりあって、タイトルが醸す 優しい光 に似た感覚は多分ラストシーンを見るまでは分からないかもしれません。
でも、この映画に出逢えたことをとてもよかったと思えました。これからも折につけ幾つかのシーンを思い出すことになるだろうなぁと思います。
<story>
映画化もされた「そこのみにて光輝く」「海炭市叙景」などで知られる作家・佐藤泰志の小説を原作にしたドラマ。
心に失調をきたし、妻・純子(奈緒)と故郷の函館に戻った和雄(東出昌大)。精神科を訪れた彼は、医師(室井滋)から治療としてランニングを勧められる。雨の日も風の日も決まったコースを走っては記録をつけていく和雄。慣れない土地で暮らすことに不安を感じていた純子も、ひたむきな姿を見て彼を理解しようとする。走ることで心の平穏を見いだすようになった和雄は路上で出会った若者たちと奇妙な絆を育んでゆくが・・・。 (※映画情報サイトよりの転載です)
人は何かの状況が重なればたやすく心を病んでしまうものだと思うし、病む病まないに関わらず計り知れない孤独を心に抱えてしまった人もいると思います。その闇の深さや、自身で処しきれないほどの苦しみはおそらくその人自身にしか理解できないものだとも思います。
結局、自分の心には自分自身が折り合いをつけないといけないのだなと感じました。
危うさを抱えた人たち。それは遠い彼方の誰かではなくて、案外近いところの、もっと言えば自分自身だったりもするのですよね。
誰もが似たものを抱えていると思うからなのでしょうか、ここに登場する3人(和雄と純子、そして和雄の友人・研二)と もう一組の3人(路上で出会った若者のアキラとヒロト、そして恵美)の日常には不思議と見ていて心を穏やかにさせてくれるものがあって、結構つらい映画なのに途中から何だかこのままずーっと傍で彼らの日々を見続けていたいような、そんな気持ちになっていました。3人と3人がそれぞれに傍にいる人間を愛おしく思っているのが伝わってきたからなのかもしれません。
でも、似た種を持つからこそ、時に苦しみや悲しみは伝染してしまう。
「他人の気持ちに触れはしない」というヒロトの言葉は、そうしようと望んでも出来なかったゆえに吐かれた言葉。
和雄やアキラの取った行動は周囲の人間や残された者の心に 埋めることのできない空所 を産んでしまった。
小さくても誰かの存在が何らかの救いや支えになることは確かにあって、それが家族や友人なのかなと思いますが、心がバランスを失っている時にはそれを重荷と感じてしまうこともあるということがとても辛いです。それぞれ相手を愛しく思っているのにそうなってしまうという、心を病むことの苦しさ、複雑さを重く受け止めました。だから純子のあの選択は彼女自身のそれまでの想いの全てが詰まった結果であり、彼女の幸せを祈らずにはいられません。
悲しいかな、走ることは決して早急な全ての解決をもたらしはしなかったかもしれません。
しかしながら少しずつでも確実に、ある作用がもたらされていた気が私はしています。和雄のみならず、見守っていた純子や研二、出会ったヒロトや恵美にも。
函館の風景、空気、風。
走っている時にそれらはただただそこに存在していて、走っている和雄を包んでいた気がします。
和雄の言葉、「(閉じ込められてしまった自分でも)それもいい。それも僕に違いないから。」これも心に刺さりました。
最後に映し出された和雄の表情に、いつかきっと の思いを強く抱きました。
久々の猫パトロールでカムイに遭遇。
急いでいるみたいで後ろ姿しか撮れなかったけど。 カムイどこ行くん? また会おな。
2021年10月31日
ばにらさま ( 山本文緒著 遺作となった短編集 )
前回ブログで書いていた山本文緒さんの最新短編集『 ばにらさま 』(2021. 9.13刊行 文藝春秋)を読了しました。
読み始めるとぐいぐい引き込まれ、読み終えるまであっという間でした。
収録作品は「ばにらさま」「わたしは大丈夫」「菓子苑」「バヨリン心中」「20×20」「子供おばさん」の六篇です。それぞれは何年か前に書かれた作品なのですが一冊の作品集として刊行されたのは先月が初めてで、やはり本書が山本文緒さんの遺作といえるかと思います。
どの作品にも引き込まれましたが、特に「バヨリン心中」と「子供おばさん」の二篇は読後すぐにもう一回読み返したほどでした。物語として最も好きだと思えたのは「バヨリン心中」ですが、‘心に刺さる’残り方をしたのは「子供おばさん」でしょうか。
勿論 表題作である「ばにらさま」も、本書の収録作のトップを飾るにふさわしいインパクト大の作品でした。あぁ山本さんの小説だぁ!っていう 苦さと切なさ の残る世界でした。
山本さんは女性の深層心理を描くのが巧いと評されていますが、少し歪んだダークサイドを持つ女性たちに比して、作品に登場する男性は ある意味理想的な男性だったりします。(それって山本さんご自身が求めておられた男性像だったのかな…。)「ばにらさま」の 僕(中嶋くん)も然りで、ばにらさま(竹山さん)が生身の人間としてありのままをぶつけてくれたていたらそれを丸ごと受け止める覚悟はあった男の子かな、と。結局そうはならずに二人はすれ違ってしまったけれど。本当に大切なものって遠く過ぎてみなければ分からないものなのかな。その時に感じたことだけがその時の真実、なんでしょうね きっと。
「バヨリン心中」。こういう‘ある一つの人生’を俯瞰で描いた山本さんの作品はイイです。そういえば山本さんの小説はこういう形をとったものが多いのかもしれません。決して平穏ではなく生きて、それを振り返る今がある、というような。祖母の「どうせ愚かなら どこまでも一緒だと思う愚かさだったらよかったのに。」の言葉にはずしりと響くものがあって、彼女が元夫の倖せな今に安堵する姿には深い人生の来し方を感じて沁沁となります。ラストの孫娘にやってくる突然のスパークに‘人生は続いてゆくのだ’という鮮やかさを感じた一篇でした。
「子供おばさん」は、最終の1ページ・最後の2行で切実に何かが刺さった感じでした。
読む前は「子供おばさん」って何?と思っていましたが、読んでみて ああなるほど、と。それなら私なんてその最たるものではないか、と。多くの‘その類’の人間にとって、結局生きてゆくことはこういうことなのかもしれないなぁと思いました。それもまた、いいのかもしれないなぁ、と。
この作品は本書の中で一番最後に収録されていた一篇なのですが、そのラストの一行に「死ぬ日」という文言があって、山本さんの死と重なって愕然としました。この一篇が書かれたのは10年前のことなのですが、予言のような、なんとも不思議な重なりです。
痛みや苦い味わいに満ちているのに、それはどうかすると擦れ違ったことのある自分自身だったりもして、山本さんの、否定ではなくかと言って肯定でもない 寄り添い がそこには感じられて、最後にこんな作品たちを残して下さったことに今一度あらためて ありがとうございました と伝えたいです。
明日はもう11月。 早いものですね。
これから選挙に行って、帰りには何か美味しいお酒でも買って帰ろうかと思っています。