2013年11月13日

いとしきエブリデイ


  シネリーブル神戸で『いとしきエブリデイ』(マイケル・ウィンターボトム監督)観ました。
この監督さんの作品鑑賞は初めてでしたが、同監督の過去作で本作の夫婦役二人の役者さんもご出演の『ひかりのまち(1999年制作)』も是非観てみたいと思う今です。

story
   ステファニー、ロバート、ショーン、カトリーナの兄妹は毎日学校に通い、母カレン(シャーリー・ヘンダーソン)は子どもたちを送り出した後、昼はスーパーで働き、夜はパブでも仕事をしている。他の家庭と違うのは父親イアン(ジョン・シム)が刑務所にいて、家にいないこと。会えるのは長い時間をかけてバスと電車を乗り継ぎ辿り着く刑務所でのわずかな面会時間だけだったが、それでも季節はめぐり、父親がいない時間が過ぎる中で子どもたちは成長していくのだった・・・。

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                          ※story、画像とも映画情報サイトより転載させて頂きました。


  幼い兄弟たちと母親が暮らすイギリス東部にあるノーフォークという名の村。
この村の風景が本当に美しい。イギリス東部が舞台ということしか知らなかった私は「ここはいったいどこなのだろう」と溜め息交じりに思いながらスクリーンに見入っていました。

父がいる刑務所の房が時折映し出されるのですが、その殺伐さとは対照的に、ノーフォークの景色はあまりに美しくゆとりに満ちていて、吹く風が優しく麦の穂を揺らすように心をそっと撫でていってくれるのでした。

その恵み豊かな大地で、子どもたち4人は「日常」を繰り返しながら成長してゆきます。
父親の不在(しかも収監による不在)という特異な事情を抱えてはいるものの、子どもたちの日常はごく普通の家庭で繰り広げられるそれのように騒々しく且つ愛おしいものでした。学校へ行って歌を歌ったり、お弁当を食べたり、クラスに好きな子ができたり。やがてロバートは反抗期を迎え、ステファニーにはBFができます。

カメラは父親が出所するまでの「5年」を、実際に5年をかけて子どもたちの成長を追ってゆきます。

5年という歳月。
途中で大きな事件に発展するのではないかと不安に駆られるような出来事があり(結局は事なきを得るのですが)、母親カレンが本当は許容範囲を越えるまでに張りつめた精神状態であることや、しかしながら子どもたちが本能的にそんな母親の心を察知しているかのように大きく曲がることなく真っ直ぐに育っていることや、そんなこんなを感じさせられ「家族」の意味を考えさせられたシークエンスでした。
カレンの憂鬱と子どもながらのそれぞれの複雑な思いはありつつも、家族はまた日常へと返り、父親が出所を迎えるまでの日々が淡々と綴られてゆくのです。

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子どもたち四人の表情がとても自然でまるでドキュメンタリーを観ているかのよう。
夫婦役の二人は俳優さんですが子どもたちは全くの素人で実際の兄妹だとか、どうりでみんな似ています。

刑務所へ面会に行った時の子どもたちの様子はあまりに自然で演出というものを感じさせません。あまりに自然なのでつい彼らに心を添わせてしまいます。
刑務所という特異な場所で迎える父親との再会が子どもたちをナーバスにするのか、ちょっとしたことで泣いてしまうショーンやカトリーナ。いたいけな子どもたちと、子育てをしながら働きづめに働いてギリギリのところで踏ん張っている妻であり母であるカレン。イアンという男、本当に罪な人間だと怒りも湧いてきます。
カレンにずっと想いを寄せている他の男性の存在も描かれ、いっそのことその男性と人生をやり直すことができればその方が幸せなのではないかとも思ってしまうのですが、やはり家族にとっては唯一無二の父であり夫であるのですね、イアンは。そこにもまた「家族」の意味を考えさせられた私です。

終盤のカレンの告白は、最悪の事態を招くのではないかと心臓が波打ちました。
あの告白行為の是非は別として、今度は夫イアンに科せられる試練を彼は乗り越えるべきだと思いますし、また、乗り越えてゆけるであろう未来を感じさせてくれるラストでした。
海辺を歩く家族を俯瞰で追い続ける演出は心を静かに打ち、永遠に続くような波音とカモメの鳴き声が優しく耳に響くのでした。


 
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そして、、、
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  さてさて、恒例の<大阪ヨーロッパ映画祭>の第20回がいよいよ開催となります。
会場は今年もホテル・エルセラーンで(映画作品上映)。会社の近くなので、社用で外出時にホテル外壁にこのプレートが掲げられたのを発見して思わずスマホで撮影しました。今年もそんな季節になったんやなぁ・・・しみじみ。

ヨーロッパ映画祭の季節は熱燗や焼酎お湯割りが恋しくなる季節、そして猫も丸くなる季節です。



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2013年11月09日

新しい人生のはじめかた(BS録画鑑賞)


   BS録画していた『新しい人生のはじめかた』(ジョエル・ホプキンス監督 2008年制作・2010年2月日本公開)観ました。
これもつい昨年の公開作品のように思えたのですが、もう既に3年半も前のことなのですね。あっという間に時は過ぎます。

遥か昔の『卒業』でのダスティン・ホフマンが、今度は正攻法で(でもやや強引だけど)想い人をさらってゆく物語??

story
   ニューヨークのCM作曲家ハーヴェイ(ダスティン・ホフマン)は、離婚後別居していた娘(リアン・バラバン)の結婚式に出席するためロンドンに飛ぶ。だが何かと疎外感を味わい、仕事が気になる彼は披露宴を辞退して帰国しようとするが、飛行機に乗り遅れてしまう。やけ酒を飲みに入った空港のバーで、ハーヴェイは偶然ケイト(エマ・トンプソン)と出会い・・・。

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                ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


※結末に触れる記述をしています。

  こういう出会いと近付き方、何だか好いです。
互いが互いを全く異性として意識していないところから始まる出会い。何度も“そこでサヨナラ”となりそうなのに細い線でつながってゆく二人。

若い男女の恋物語に限らず、出会って直ぐにベッドインという流れが日本人にはどうしても理解し難いなかにあって、本作のもどかしさと純情さは好もしいです。演じる二人、ダスティン・ホフマンとエマ・トンプソンはそういうイメージに合致した俳優さんだな、と。
もう自分の人生はこんなものだと諦めてしまいがちな中高年にとって、優しく「明日」が香ります。


ハーヴェイは仕事もうまくゆかず、実の娘の結婚式では自分ではなく別れた妻の再婚相手が娘とバージンロードを歩くのだという。終始疎外感を味わう彼はぐっと涙を堪えます。
一方のケイトはと言えば、心の壁、想いの殻がとにかく厚く硬い。ハーヴェイの痛手はへヴィーながら自業自得といえる部分もありますが、ケイトの痛手はもっと“どうしようもない”もののように感じられて、ケイトの心の壁を崩すのは一筋縄ではいかないなと思った次第です、私。老いて孤独な母親に辛抱強く向き合い、日々の小さな安らぎの時間(カフェの片隅でワイングラスを傾けながら小説を読んだり)を大切に、安寧を守ることで傷つくことを回避しているケイト。痛いほど分かるなあ。

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だからそんな彼女が「今からでも娘の披露宴に行くべき」とハーヴェイを力強く諭したのには少なからず驚きました。でも「ああ、彼女はきっと、本当はそんなふうに誰かに強く背中を押してもらいたかったのかなぁ・・・」って思いました。
思えばあの時が、ハーヴェイとケイトとが互いの殻に風穴を開けた瞬間でしたね。

何となく別れがたいという自分の気持ちに気付いてからのハーヴェイの行動は果敢でした。
追い続ける様子はやや強引な感じもしましたが、ラストのハーヴェイの言葉には別離を経験した中高年ならではの誠実さが伺えて、ここは一歩引いた穏やかさが光っていたかな。「絶対にうまくゆくよ」とは言わなかったハーヴェイは、代わりに「(うまくゆくよう)努力する」ことを「約束」したのですよね。それに応えるようにヒールを脱ぐケイトがチャーミングでした、とても。
ケイトが新しい人生を始めようとするのと同時に、ケイトの母親にも「違うあした」が訪れる予感・・・エンドロール中の挿入シーンをお見逃しなく。

深まる秋に、ちょっと心が豊かになる一作でした。


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  劇中、アメリカ人とイギリス人の気質の違いに言及するシーンがありましたが、興味深かったです。イギリス人の閉鎖的な気質が柔らかく開放的なものに変わっていった一因が元プリンセス・ダイアナの死にあったという台詞には「なるほど、そういうものなのかぁ」という驚きも。
日本人はどうなのでしょう。イギリス人に負けず劣らず閉鎖的だとは思いますが。だからお酒の力を借りてちょっと心の閉じ紐を解くのかな。

某日の定例・女三人会の乾杯の画。Nちゃんチョイスのこの白ワイン、美味しかった、ありがとう。
三人とも、心を開放するひと時。 開放し過ぎて記憶まで飛んでイスタンブールでした。(・・・古い。)




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2013年11月04日

「シェルター」(by 田口ランディ)、そして酒舛のこと


 「本」のこと。

 友人Mriちゃんが貸してくれていた『RURIKO』(林真理子著、角川文庫)を少し前に読み終えまして(Mriちゃん、ありがとう。これって何処まで実話なの!?っていう、実名で有名人がバンバン登場する物語でした。一気に読了。)、いま通勤電車で読んでいるのは田口ランディ著『ドリームタイム』(文春文庫)です。
ランディさんの本は殆ど読んでいる積もりでしたが、本作を手に取ったのは初めてでした。(知らないことを知らないだけで、実は知らないことは山ほどあるんですね。)

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不思議で切ない、ちょっと怖かったりもする、そんな13篇の物語が収められた短編集です。

面白いです。もう少しで読了です。
その中の一篇、『シェルター』という物語が特に“気になる一作”でしたのでちょっとご紹介したいと思います。

 
  友人女性のマンションに集まってダラダラとお酒を飲んでいる数人の男女の様子で幕を開けます。座興に一人の女性が持ちだした「シェルター」という名のゲーム。
「ついに第三次世界大戦が勃発して世界中の核保有国が一斉に核のボタンを押そうかという大変な事態になる。地球は放射能汚染で壊滅状態になることが予想される中、秘密裏に組織されていた人類救済委員会とやらが世界各地に核シェルターを作っていたらしく、日本にも某地にそのシェルターが存在することが分かった。定員7名のシェルターに集まった10人の人間。さあ、この10人の中から人類の未来を託すための7人を選んで下さい」というもの。
■国会議員
■国会議員の妻(妊娠している)
■元暴走族のバーテンダー
■元アル中の社会科教師
■牧師
■少女(知的障害を持っている)  (※いずれの表記も文庫本収録のママで転載。)
■看護婦長(心臓が悪い)
■警官(銃を持っている)
■女子短大生
■中年女流作家       
「中年女流作家」というのが入っているのは、語り手となっている「私(主人公)」の職業が作家で、まさしくランディさん自身をモデルにした物語だからだと思います。そして早々に「中年女流作家」は「7人」からは除外されてしまいます。そこで彼女は、ならば現実とは違った結末の物語を書いてやろうとするのですが・・・。


「七人を選ぶってことは、三人を見殺しにするってことでしょう?」などという容赦ない台詞も出てきますが、7人を選ぶ際の各人の価値判断があぶり出されてきて、私ならどう選ぶか考えていたら7人を選抜すること自体が恐ろしくなってきました。
そもそも、誰かの価値判断が絶対的なものであるはずはなく、3人を見捨てて7人を救ったその先に未来があるとも思えず・・・。まあこの物語は単に選抜の是非を問う物語ではないのですけれど。

物語は「現実」と「女流作家が書く物語の世界」とが交錯してゆき、あっという間に(短編なのだから当然ですが)結末を迎えます。この結末にはランディさんの「祈り」というか「救済」が見えた気がします。しばしの余韻に浸った一篇でした。


「アルコール依存症傾向の中年女性(薄給の会社員)」とかだったら全員一致で真っ先に外されるでしょうね、きっと。・・・といういつもの自虐ネタの後は酒場レポートです。

拙ブログ・10月10日付記事の最後の方に書かせて頂いた「友人が始めた立呑みのお店」ですが、、、どうやら口コミで新規のお客様が来て下さったり、リピーターさんも出来ているとか。嬉しいことです。

店名も場所も露出OKとのことですので記させて頂きます。
阪神電車の杭瀬駅、杭瀬商店街入ってすぐの「酒舛(さけます)」さんです。
藍色の暖簾がイイ感じです。

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「酒呑みが少ないお小遣いでも呑めるお店」をコンセプトにしている(泣ける)だけあって、アルコールやおつまみはどれもお安く、良心的に頑張って下さってるのが分かる“盛り”です。
店内には本棚もあって文庫本も並んでます。自由に読めるみたいですが、某作家さんの小説がシリーズのようにズラリと並んでいる隅っこに春樹さまの小説が二冊ほど申し訳なさそうに置かれているのには別の意味で泣けます。いえいえ、ご店主(友人)も春樹小説は結構読みこんでいる人ですからきっと他の春樹本は自宅に大事に取ってあるのだと推察(^^)。

地酒もあります。
名物は自家製の煮豚と煮玉子ですが、これは毎日あるとは限らないようです(あればお薦めです)。カウンターには缶詰やカワキモノ類も並べられてて駄菓子屋さんに来たみたいなワクワク感も。


酒舛 まんさくの花.jpg 酒舛 かわきもの.jpg 酒舛 黒牛.jpg

酒場にはいろんな人が集います。
程度は違えど皆“酔いびと”です。私も含めていろんな酔っ払いがいて、悲喜こもごもがあり、その人の人生が見える瞬間もあったり。で、この酒舛さんでもちょっとそういうのに出会ったりすると、ハラハラしつつも「酒場にドラマあり、やなぁ・・・」と思います。しみじみとしたドラマに出会いに、またお伺いしますね。
独りで大変でしょうけれど頑張って自分色のお店にしてください。酒舛さん、火曜定休です。






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2013年10月29日

あの日の指輪を待つきみへ (BS録画鑑賞)


  BSで録画していた『あの日の指輪を待つきみへ』(リチャード・アッテンボロー監督 2008年夏、日本公開)を先夜に観ました。
これってもう5年ほど前の公開作品だったのですね。この邦題から受けるイメージに気圧されて(原題は「CLOSING THE RING」)劇場鑑賞をスルーしてしまったのがつい1〜2年ほど前のことのように思えます。

5年かぁ・・・いろんなことが変わるには十分な年月と言えますね。


story
  第二次世界大戦前夜の1941年と50年後の1991年を舞台に、一つの指輪に秘められた男女の切ない運命を描いた物語。
夫を亡くしたばかりのエセル(シャーリー・マクレーン)の淡々とした態度の裏には、50年前に起きた戦争の悲しい思い出が隠されていた。しかし、何も知らない娘のマリー(ネーヴ・キャンベル)は母への不満を募らせるばかり。そんな折、ミシガンに住むエセルのもとに、アイルランドからエセルの指輪を見つけたという連絡が入る。
50年前、若きエセル(ミーシャ・バートン)3人の青年、チャック、ジャック、テディと青春を謳歌していた。やがて彼女とテディ(スティーヴン・アメル)は愛を誓い合うが、その直後、テディは出征してしまう。その際、親友のジャック、チャックと一つの約束を交わして戦地に旅立ったテディだったのだが・・・。

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                        ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  久々に、鑑賞後に釈然としない思いを引きずった一作となりました。
公開時に劇場で観ていたらもしかしてもっと違う印象が残ったのでしょうか。

それでもこうしてレヴューを書いているのは、アイルランドのパートでのクィンラン(ピート・ポスルスウェイト)や指輪を見つけることになるジミー少年(マーティン・マッキャン)、エレノアお祖母ちゃん( ブレンダ・フリッカー)の関わり合いが何だかとってもよかったから。
アイルランドの美しい風景と、そんな中でのIRA組織との緊張をはらんだ駆け引き、それらが遠く離れた地での過去の恋物語と密接に関係してゆくというストーリーは惹きつけるものがあったと思います。
ジミーは過去と現在の橋渡し役として実に可憐な役回りで、演じたマーティン・マッキャンという俳優さんは私的に本作の中で一番初々しくも力強い存在を放ってくれていたように感じました。

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アメリカ・ミシガン州のパートでは過去の世界も現在の世界も、私には根本的な疑問が残りました。
出征するテディが自分が死んだらエセルと結婚して幸せにしてやってくれという約束を親友に交わさせるのは、愛ゆえのこととは思うのですが、何だか自己満足にすぎないのではないかと少し傲慢な感じもしました。それって結果的に親友たちの人生を縛ることになってしまうのですよね。
一方のエセルはテディを愛し続けると言いながら、ではなぜテディの親友チャックを夫として受け入れたのでしょう。しかも永遠に決して愛することはなく。娘まで儲けながら愛することはなく、です。過去の想い出と共に生きるのは自由だし、それも一つの生き方だと思います。でも他人の人生を巻き込む(結果的には自分の娘の人生をも巻き込んだ)のは罪深いことに思えます。
最後の最後に過去から解き放たれたエセルがもう一人の親友ジャックとの愛を得るシーン、、、ここは清々しい落涙という流れなのでしょうけれど、その前に先ず逝ってしまったチャックの愛に涙してほしかったなぁって思いました。
老いたエセルを演じたシャーリー・マクレーン、老いたジャックを演じたクリストファー・プラマー、共に名演が光る最後の感動的シーンだったと思うのですが、私はあまり心を打たれることはなかったです。二人を包むアイルランドの風景はとても素晴らしかったけれど。


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若き頃のエセルとテディを演じたミーシャ・バートンとスティーヴン・アメル。
共に容姿端麗(ミーシャさんは本当に美しい)ですが、私的にはどうしても“隣のハンサムなお兄さん”と“隣の綺麗なお姉さん”のイメージを超える魅力を感じず仕舞いで、もしかしたらこれが釈然としないことの大きな要因だったのかもしれません。感情移入が出来なかったということですね、残念ながら。

繰り返しますが、もしも劇場で観ていたら違ったかもしれません。それほどに劇場というものは、暗転した後、違う空気が流れてゆく魔的な空間ですよね。



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 その日の映画鑑賞が感動の嵐となっても釈然とせずに消化不良となっても、やっぱり美味しいお酒でで締めくくりましょう。
独りサク呑みシリーズから。 いつかの日の堂島サンボアでのジンライムです。滞在時間約30分。

余談ですが、いい映画だと心から思いつつ何度観ても(3回観てます)釈然としない思いが残る映画として『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督 1989年制作)があります。(それでも3回観ているのはやっぱりいい映画だと思うからです。)
アルフレードに、トトの人生をそこまで左右する権利があるのかと(あったのかと)観る度に哀しくそう思います。








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2013年10月20日

タンゴ・リブレ 君を想う


 テアトル梅田で『タンゴ・リブレ 君を想う』(フレデリック・フォンテーヌ監督)を観ました。
これは心待ちにしていた一作なので頑張って公開初日に鑑賞。

story
  規則正しく退屈な毎日を送る刑務所の看守、JC(フランソワ・ダミアン)。ある日、唯一の趣味であるタンゴ教室で15歳の息子を持つ女性アリス(アンヌ・パウリスヴィック)と踊り、華やいだ雰囲気に心惹かれる。翌日、JCは彼女を刑務所の中で見つける。夫フェルナン(セルジ・ロペス)の面会に来ていたアリスだったが、彼女にはもう一人、面会相手の男がいた。それは愛人のドミニク(ジャン・アムネッケル)。しかもフェルナンとドミニクは同じ事件の共犯者でもあった。やがてフェルナンはアリスがJCとタンゴを踊っていることを知り嫉妬する。しかし、いつしかタンゴのことが気になり出し、アルゼンチン出身の囚人をつかまえて、刑務所の中でタンゴを習い始めるフェルナンだったが・・・。

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                ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


「彼女と踊った、
欲望が忍び込んできた、
そして私の世界は変わった・・・。」

これは本作のキャッチコピーです。
結果からいえば激変でした、JCの人生。でもその変貌をいったい誰が非難できようか。それに、変貌と言いつつも実はJC自身は何も変わっていなかった気がしています。


  物語の主人公はJCですが、ここには三者三様の、いいえ、アリスの息子アントニオ(ザカリー・シャセリオ)を含めた四者四様のアリスへの想いに溢れていました。

アリスの奔放さは同じ女性として感情移入しがたいほどの激しさで時として傲慢ささえ感じるのですが、アリスを囲む男性四者(息子アントニオも含めて)が余りに其々味わい深く魅力的に描かれているので、そんなふうに彼らに愛されるアリスも(決して共感はできないとしても)魅力的に見えてしまったのは否めません。

事実、彼女は不思議な魅力を放っていました。
フェロモンのひと言だけでは言い表せない、何か危険で、でも温かなるもの。母性ともどこか違う、不思議なもの。トラブルメーカー的な匂いもします。それは多分、JCもフェルナンもドミニクもアントニオも、皆が十二分に解っていることなのだとは思います。

夫フェルナンの言った通り「俺たちを傷付けただけじゃないか」という台詞は胸を突き、息子アントニオの「お母さんが悪いんだ」となじる姿は余りに痛々しい。
真面目で気弱なJCはそんなアリスに健気に尽くし、例え空回りでもいたわり、優しく包み込もうとします。愛人ドミニクに至っては、その大きく深い愛が諦念となって自身を自殺へと向かわせます。
みなアリスに翻弄されます。しかしアリスは彼らを其々に愛し必要としていて、アリスを中心に彼らがファミリーになってゆくのは不思議としか言いようがないのです。

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タンゴを通して四角な関係が微妙に形を変えてゆきますが、それぞれのタンゴがそれぞれの味わいを持っていて・・・。
朴訥なJCのタンゴは男性であるのに吐息のように切なく官能的でさえあります。ドミニクのタンゴはなんだか哀しくて、フェルナンのそれは力強く、どこまでも真っ直ぐ直情的です。
タンゴが「魂の踊り」と称される所以がそこにある気がしました。

スクリーンでのラストのあと、一体どうなるんだろう。
どうにでもなれ、なのか、どうにかなる、なのか。苦難の道行なのか、それとも・・・。
シチュエーションから何もかも全く別ものの映画なのに、ふと『卒業』のラストシーンがフラッシュバックした私なのでした。


 刑務所内でアルゼンチン出身の囚人二人がダンスを披露するシーンがありますが、このシーンは圧巻です。男同士のタンゴなんて私は初めてで、激しく力強く情熱的でまるで命を賭けた絡み合いのように感じました。
どうやらプロのタンゴダンサーで、うち一人はチチョ・フルンボリという世界的に有名なカリスマ・タンゴダンサーの御方らしいです、なるほどね。
それから、アントニオ役のザカリー・シャセリオくん、若き日のレオナルド・ディカプリオを髣髴とさせて鮮烈な印象を残してくれたのでした。


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  いつだったかの、シックなBARでのマルガリータ
お酒好きの先輩にお連れ頂いたのでしたが、初めての訪問でちょっと怖々?ながらの入店でした。でもカクテルも美味しくていい雰囲気で、でも思ったよりもリーズナブルでちょっと嬉しくなったBARでした。
もしまたお伺いが叶えば、<タンゴ・リブレ>、、、じゃなくて<キューバ・リブレ>でも飲んでみたいと思う今日です。





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2013年10月14日

月亭文都 襲名披露公演



 「八天改メ 七代目 月亭文都 襲名披露公演」に行って来ました。新神戸オリエンタル劇場です。

七代目月亭文都さんは、襲名前の月亭八天さんの頃から、かれこれ22〜23年ほどになるでしょうか、陰ながら応援させて頂いていた落語家さんです。
今年3月19日のなんばグランド花月での襲名披露公演には諸事情でお伺い叶わず、ずっと気になっていたのですが、やっと今回、神戸での襲名披露公演で直接舞台上の文都さんに「おめでとうございます!」と言わせて頂く事ができました。

                      文都さん.jpg

この何年かはその諸事情で年に一度の独演会(於:ワッハ上方ホール)に行かせて頂くのみになっていたのですが、思い起こせば22〜23年前に八天さんの落語に出会って以来ずっと、八天さんが開催される二ヶ月に一度の落語会には足を運ばせて頂いていたことが思いだされます。あー懐かしや。
それを機に他の落語家さん方の高座にも時折出向かせて頂き、上方落語の面白さを教えてもらった恩師でもある(八天さん)文都さんです、ありがとうございます。

この日は月亭方正さん、月亭八光さん、桂文珍さんの落語のあとで中入、中入り後は「口上」です。
それぞれに文都さんへの想いが込められた御口上をうかがえて、舞台後方の大幕に染めぬかれた大きな「BUNTO」の文字に感慨もひとしおでした。
私ごときが言うことではないですが文都さんは本当に芸道への精進が並々ではないお方で、天性のセンスもお持ちとは思いますが、まさに“努力の人”という気がします。勿論、常に新しい御自身の姿を開拓しそれをどんどん世に出してゆかれるプロデュース力も。「コツコツ」と「大胆不敵に」の、両方の魅力のある噺家さんだと思っています。

本公演の文都さんの演目は、大ネタ「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」でした。
これは時事ネタ満載の、噺家さんのオリジナリティーが光る大話で、以前にも一度文都さんの(当時は八天さんの)「地獄八景亡者戯」を聴きましたが、今回は今風の、つまりは“平成25年秋ふうの”「地獄八景…」でとても楽しませて頂きました。
最後まで通しで演じれば1時間強?の大ネタ。時間の関係で本公演では途中の段落でのサゲとなりました。あー、もっと聴いていたかったなぁー。

文都さん、これからも益々の御活躍を念じております。
本当に本当に、おめでとうございます。ぴかぴか(新しい)



  刀屋 あぶくま.jpg 刀屋 萩の露.jpg 萩の露 アップ.jpg

 さてさて、このところ日本酒(地酒)ヴューが続いていますが、本日もこれでもかと地酒ヴューで。

こちらは独りサク呑みシリーズではありません、二人サク呑みでした(Kさん、ありがとうございました)。久々に訪れた地酒・刀屋さんでの乾杯の画です。

この刀屋さんのご店主も、愛する酒道に“コツコツと(しかしひたすら)まっしぐら”の御方です。ぴかぴか(新しい)







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2013年10月10日

許されざる者(1992年イーストウッド作品)

 
  『許されざる者』(1992年制作 クレイント・イーストウッド監督、主演 オリジナル版と言った方がよいのでしょうか?)を観ました。
世間ではリメイク版と言われる李相日監督の同作品が話題となっているいるようですが、「敢えて今」と申しますか「先ずは」と申しますか、要は私がイーストウッドの『許されざる者』を未見だったからです、お恥ずかしい。

秋といえども未だ暑さの残る夜に、赤ワインを呑みつつ録画版を鑑賞。

story
  1880年、ワイオミング。列車強盗や殺人で悪名を轟かせていたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)は、今では銃を捨て2人の子供と農場を営みながら密かに暮らしていた。しかし家畜や作物は順調に育たす、3年前に妻にも先立たれ苦しい生活だった。そんなマニーのもとにスコフィールド・キッド(ジェームス・ウールヴェット)という若いガンマンが訪ねてくる。娼婦に傷を負わせ賞金をかけられた無法者を追うためだ。マニーのかつての相棒ネッド(モーガン・フリーマン)を加えた3人は追跡行に出かけるが、その頃、町の実力者の保安官ビル(ジーン・ハックマン)は疎ましい賞金稼ぎたちを袋叩きにしているところだった。やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及んだ・・・。

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                   ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


「人に歴史あり」やなぁ・・・と先ずは感じた次第です。

というのは、鑑賞を前に本作に付いてちょっとだけネットで調べた際に、「マカロニ・ウェスタン上がりのまだまだ二流の役者、或いは話題先行のいわゆるスター監督という先入観で語られることの多かったイーストウッドが、地道に培ってきた映画づくりの力を自己の信念とともにやっと開花させたのがこの『許されざる者』である、云々・・・」という意味合いの記述を目にしたからです。だから、イーストウッド氏の栄光に歴史あり、なのだなぁと。
その予備知識のおかげで?通常の1.5倍くらいに感動の度合いが高まったのは否めないと分析はしますが、それでも、西部劇というものに予定調和ではない、或いは勧善懲悪ではない、其々の人間が抱える業のようなものについて暫し考えさせられたのは確かです。

拙ブログでは私も幾作かのイーストウッド映画を挙げさせて頂いていますが、実は私はイーストウッドがマカロニ・ウェスタンで名を馳せていた頃やダーティ・ハリー作品でのハリウッドでの活躍や監督としての初作品など何れも未見のままで、いわば「不動の地位」を確立した後のイーストウッドにしか触れられていない体たらくなのでした。
本作では“これで勝負に出る”とでもいうような渾身の演技と演出がしみじみと彼の「来し方」を感じさせてくれて何だかあついものを感じてしまった感があります。きっと、ノーカットのDVDで、もっといえば公開時にスクリーンで観ていたら感慨も更なるものだったと思います。

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 いったい誰が「許されざる者」だというのか。
ストレートに善悪と区別することのできない歩みを持つ者たち。登場人物それぞれに悪なる部分は存在していたし、善とまでは言い切れずともごくありふれた当り前の人間としての一面を持ってもいました。圧政を敷く暴力的な保安官ビルでさえ。しかし本作で(李監督のリメイク版については未見なので分かりませんが)際立たせてあるのはマニーと保安官ビルの二人で、彼ら両者ともに「許されざる者」だということなのだと思いました。

「誰かの命を奪ったものは許されるべきではない。」とビルに言い放つマニー。
「地獄で待ってる」と返すビル。
このシーンには、互いが互いを地獄に落とし自らも落ちてゆくことを覚悟している凄まじいまでの狂気を感じました。台詞の後の互いの沈黙が、負の宿命から逃れることを許さないと叫んでいるかのようでした。

一度は改心し銃を捨てたマニーが丸腰の人間を容赦なく射撃する暴挙に出るシーンがあるのですが、「(銃を)持たない奴が悪い、俺の友だちを殺したんだからな。」の言葉には、無法者の彼の中にだけ存在する法と、正義か否かは完全に別問題だという“一度血に染まった者の業、宿命”を感じさせて辛いです。
銃という武器が持つ圧倒的な力も見せつけられ、改めてアメリカという国の銃と共に歩んできた歴史を思い知らされもします。

地獄で待つと言ったビルをよそに、エンディングではマニーは賞金を元手に事業を展開し成功したようだと語られます。
しかし、彼は亡き妻と共に第二の人生を始めた地を離れ、おそらくは二度と戻ることはなかったはず。それはマニーが再び銃を手にしたことで、亡き妻と暮らした頃の彼には二度と戻れなかったこと、その後の彼の人生が空虚なものであったに違いないことを意味しているのではないかと感じました。

夕日に映えるシルエットが美しいオープニングとエンディングですが、エンディングのそれには喪失感に似た寂しさが漂っていました。




酒商熊澤.jpg 熊澤 黒牛.jpg 熊澤2.jpg 熊澤1黒牛.jpg

  さてさて、独りサク呑みシリーズから三景。
元町の<酒商熊澤>さんでの美酒。このお店は以前にも拙ブログに登場しましたが、元気印のワインのソムリエさんがお好みのワインや地酒を饗して下さいます。
写真のこの日は黒牛・無濾過生原酒とニンジンの白味噌ソース和え。このあと別の銘柄をもう一杯いただいて滞在時間は約40分。たいへん美味しゅうございました。

人に歴史あり、かぁ。
そういえばクリント・イーストウッド主演の『ダーティ・ハリー』シリーズで、クリント演じるハリー・キャラハンの名台詞「泣けるぜ」の原文は「swell」という単語なのだよと教えてくれた某友人。「swell」を「泣けるぜ」と訳した当時の翻訳者さんに脱帽!の思いだったらしいです。 その友人が今度ひっそりと?立呑み屋さんを始めることになりました。軌道に乗った頃に(店名その他は覆面で)拙ブログにもご登場頂こうかと思ってます。

酒呑みが「少ないお小遣いでも呑める酒場」を作りたかったのだとか・・・・・泣けるぜ。




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2013年10月01日

サイド・エフェクト


 『あまちゃん』も終わって時の移ろいがいつも以上に寂しく感じられる今日この頃です。こういうの、友人Cによれば“あまロス”と言うのだそうな。

西宮TOHOシネマズで上映終了間近の『サイド・エフェクト』(スティーブン・ソダーバーグ監督)観てきました。
主演のジュード・ロウをスクリーンで観るのは久しぶりです。ついでにキャサリン・ゼタ=ジョーンズさんも。

しかし時間に余裕のない時に行き慣れない映画館に行くものではありませんね。
先ずはJRが「踏切の遮断棒が折れていた影響により」とかで延着(JRではこの車内アナウンスが頻繁に発生します)、阪急電車に乗り替えてやっと着いた西北で、劇場の入ってる西宮ガーデンズまで「東改札口から直結」となっていたので安心していたら・・・どんだけ長い直結通路やねん!、はるか向こうに見えるガーデンズまでとにかく走って、入ってから更にエスカレーターで5階まで、更にフロアの端から端まで突っ切り、更に・・・。やっと劇場のシートに座ったのは本編の始まる直前でした。

story
   金融マンであった夫マーティン(チャニング・テイタム)が違法株取引で逮捕されたのを機に、以前に患ったうつ病を再発させてしまったエミリー(ルーニー・マーラ)は、交通事故や自殺未遂を引き起こすように。診察にあたる精神科医バンクス(ジュード・ロウ)は、かつて彼女を診ていたシーバート博士(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)に相談。エミリーが抱える症状の詳細を聞き出し、彼女の了承も得て抗鬱剤の新薬アブリクサを投与する。症状が快方に向かっていたある日、マーティンがナイフで刺されるという事件が起き・・・。

                      サイドエフェクト.jpg

                      ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


※結末に触れる記述をしております。

  
  スクリーンで久々に見るジュード・ロウは、いい意味で“渋枯れ”していらしてちょっとビックリ。登場シーンもさりげなくて素敵でした。まあ終盤は執念(怨念と言うべきか)にとりつかれて目がイッちゃってましたけど。キャサリンさんはお歳を召された感がお顔に感じられたものの、ある種の凄味も増していたといえるでしょう、ついつい期待値を高めてしまう女優さんです。

本作、「サイドエフェクト」というタイトルとヒロイン・エミリーの可憐さにまんまと騙されました。
「何かがおかしい」と思うものの一向に糸が解れていかないのは、前半は完全にエミリーの描き方が被害者としてプロテクトされていたからだと思います。
演じるルーニー・マーラは線の細い透明感のある美しさで、不安定な心の現れ方や挙動の不可解さが実に痛々しく感じられてしまうのです。その点シーバート博士(演じるはキャサリンさん)は登場の仕方が華々しい分ダーティーなイメージがつきまとい、彼女が絡んだ、そして製薬会社が暗躍する一大サスペンスかと思いきや・・・。

徐々に不穏な空気を感じさせてゆくソダーバーグ監督の演出はうまいなぁーって。か弱くて悲劇の女性であるはずのエミリーが時々なぜか不気味に見え始めてくるところも。
事件の渦中で散々な目にあってゆくバンクス(演じるはジュード)。エミリーの立ち位置はバンクスのそれとは重ならないまでも、あくまでバンクス寄りだと信じていましたが、終盤に近づくあたりから立ち位置が大きく変わる・・・そこのところの逆転劇は面白いですね。

                      サイドエフェクト2.jpg

しかし“背景にあったもの”が明らかになってみると、私的にはサスペンス性を削がれた感がありました。
どんな犯罪も「動機」が全てを物語るものだと思うので、その動機自体が甘く感じられたのは正直なところです。憎しみといえるほどの感情はマーティンとの夫婦間では見えず仕舞いで、エミリーとあの女性との愛もどこまで本気なのか疑問で、お金は「やっぱりソレなのか…」と食傷気味に思うものの、それならそれでもっと貪欲にそこに執着してくれた方がスッキリするように思えました。女性同士の愛欲を描くのも難しいと思いますね(男性同士の関係よりも)。それは私が女性だからでしょうか、どうしても「偽り」の色が見えてしまうからかもしれません。総じて、この動機付けが説得力に欠けていたように感じられてしまいました、それでちょっと失速。

悪いことをすれば報いを受ける。
これを立証するかのようなラストは納得できますが、「一時不再理」の法律が無ければバンクスはエミリーもシーバートと同様に法廷の場に引っ張り出していたのでしょうか。それともエミリーにはやっぱりあの方法で?? バンクスの報復が静かな戦慄を感じさせ、それが一番怖かったことかも。



     ひょうたんや 雁木.jpg ひょうたんや1.jpg ひょうたんや2.jpg


  この日は猫事情で早帰りせねばならず、「これで直結してると言えるのか」的な直結通路をまたしても小走りで過ぎ、帰路を急ぎました。

行き慣れない映画館に行くのは要注意として、行き慣れない酒場を久々に訪ねるのはなかなか愉しいものです。

先日は14〜15年ぶりに再会の友人M子さんと、こちらも4〜5年ぶりの再訪となった<ひょうたんや>(新梅田食道街)さんへ。
事情があって一時間しか時間が無く、この立呑み屋さんへ向かいました。ここは立呑み屋さんの概念を覆すような高クオリティーで名を馳せているようで、この日も地酒に合うものをお任せで二品用意してもらいましたが(鮮魚のカルパッチョと鴨のロースト)、どちらもとっても美味しかったです。
地酒は、私は雁木(がんぎ)の無濾過生原酒をチョイス。お酒もたいへん美味しゅうございました。
M子さん(F子さんと書いた方がいいのかな)、またお会いしましょう。かわいい








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2013年09月26日

スーサイド・ショップ


 シネリーブル神戸で『スーサイド・ショップ』(パトリス・ルコント監督)観てきました。

パトリス・ルコントがアニメを監督!?と驚いたのでしたが、監督は若き頃イラストレーターのお仕事もされていたとか。なるほど、実写のセンスが得意分野の作画にも活かされるっていうわけですね。

本作、原作はジャン・トューレの小説で、原作が発表された直後に映画化の話がルコント監督のもとに持ち込まれたものの、実写ではそのあまりにダークでリスキーな世界を表現しきれないと、ルコント監督初のアニメーション(しかもミュージカルテイスト!)で映画化が実現したようです。

story
   ジャン・トゥーレの小説「ようこそ、自殺用品専門店へ」を原作に、鬼才パトリス・ルコントがアニメに初挑戦した作品。どんよりとした雰囲気が漂い、人々が生きる意欲を持てずにいる大都市。その片隅で、首つりロープ、腹切りセット、毒リンゴといった、自殺するのに便利なアイテムを販売する自殺用品専門店を開いているトゥヴァシュ一家。そんな商売をしているせいか、父ミシマ、母ルクレス、長女マリリン、長男ヴァンサンと、家族の誰もが一度たりともほほ笑んだことがなかった。人生を楽しもうとしない彼らだったが、無邪気な赤ちゃんアランが生まれたことで家庭内の雰囲気が少しずつ変わり始め・・・。
                       
                      スーサイド1.jpg   
             
                  ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。



 なるほど、アニメでなければこの世界は画的に“危険極まりない”ですねー。
ビルから飛び降りる人間がたくさん映し出される冒頭。 スーサイド・ショップに並べられるありとあらゆる自殺アイテム。お買い上げのお客様の後を付け、願望成就?を見届けるヴァンサンとマリリン兄妹。
「PG12」の意味がこれほどダイレクトに身に沁みる作品も珍しい。
とはいえ「アニメ」「PG12」とあっても、私的にちょっと看過しがたい場面があって、正直言ってそのシーンには微かな不快感を伴わないわけではありませんでした。アランのすっとぼけた可愛さが救ってくれましたが、あの一連のシーンに付いては自分なりに納得もしたいのでいつか原作小説を読んでみたいと思う今です。

店主ミシマの「ミシマ」って「もしかして三島由紀夫?」と思っていたのですが、鑑賞後シアター内に貼り出されている資料を読んでみてなるほどと思いました。
ミシマは三島由紀夫、長男ヴァンサンはフィンセント(ヴァンサンは仏語読み)・ファン・ゴッホ、長女マリリンはマリリン・モンロー。
皆、自殺を遂げた著名人なのですね。夫人のルクレスの記載は無かったのでネットで調べてみたら、どうやらルクレスはルクレティウス(死によって人間の不幸は消滅すると説いた哲学者)らしいです。ふーん、勉強になりました。
それで、ルクレスやヴァンサン、マリリンは、アランの影響を受けて変わってゆくのが見ていてよく分かるのですが、ミシマは“さすがはミシマ”の筋金入り。その辺りは、理念に裏打ちされての自殺であった三島由紀夫のイメージが踏襲されているのでしょうか。ファミリーが笑顔と前向きな人生を取り戻しながらも、このミシマだけは最後までシニカルでブラックな一面を残していました。


                       スーサイド3.jpg


私的にはマリリンのキャラが一番好きで、人生を投げている様子が見ようによってはアンニュイな感じでもあり、情緒不安定さが愛しくも感じられました。
月灯りだけの部屋で彼女がアランからプレゼントされたピンクのスカーフで踊るシーンは、コミカルなのにそこはかとなく官能的で、ここはルコント監督らしさがいっぱいでした!(『髪結いの亭主』を思い出しましたよ。)

ファミリー4人のキャラはキョーレツですが、「アダムスファミリー」ほどに毒で満ちてはいません。
意外とアラン。彼がミシマを笑わせようとトランポリン上で繰り返したパフォーマンスは“まんまブラック”で、考えたらこのアランが実は一番毒をはらんでいたのかも・・・なんて、ちょっと曲がった視点での感想でした。


アニメーションは映像も色彩も独特の雰囲気を放ち、日本のアニメとはまた違った魅力を感じることができます。
灰色に染まっていた街が明るく変わるんだからハッピーな想いで劇場を出ればいい、とは思います。やっぱり売るなら毒りんごより出来たてアツアツの甘〜いクレープのほうがいいに決まってますし。
でも、そしたら死によって辛苦から解放されたいと願っているどん底の人たちはこれからどうしたらよいのでしょうね。私は頭が固いのかな、、、彼ら(自殺願望者)が救われたわけではないのでちょっぴりの複雑さも残りました。


                       WWのWW.jpg

  ルコント監督は本作でとにかく「人生は美しい!」ということを伝えたかったとか。
久々のJazz Bar Wishy-Washy さんでの Wishy-Washy(オリジナルカクテル)、やっぱり美味しい!

私は手放しで「人生は美しい」とはとても言えませんが、こうして美味しいお酒をいただいているこの一瞬は間違いなく“美しい”です。
ぴかぴか(新しい)




posted by ぺろんぱ at 22:13| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2013年09月18日

橋本関雪展


  兵庫県立美術館に「橋本関雪展」を観に行きました。

マリー・アントワネット展の時にも記しましたが、県美はJR灘駅から徒歩で南へ15分(弱)と少し距離があるのですが、時々妙に懐かしくなり、また訪れてみたいと思わせてくれます。背後に広がる神戸の海景色と、コンクリートの無機質で近代的な佇まいとの“妙”がそういう想いにさせるのでしょうか。それに、思い出したように興味深い企画を掲げて下さいます。(毎回じゃないところがミソです。)

今回も開催を知ってから楽しみにしていた企画です。
兵庫県ゆかりの日本画家、橋本関雪(1883-1945)の生誕130年を記念しての開催です。


                       関雪展.jpg

開催初日に行きましたが、思った以上に空いていてゆっくりと楽しむことができました。

橋本関雪は漢学に造詣が深く、中国の古典文学や故事を題材にした作品が多いですが、晩年は写実主義に傾倒し意欲的に取り組んだのが動物画で、私も初めて関節の作品を知ったのが犬や猿を描いた作品だったと記憶しています。
『玄猿』などは有名で、みなさんも一度はどこかで目にされたことがあるのではないでしょうか。
また、一匹のボルゾイと、背後に牡丹の花を配した『唐犬図』(二曲一双)の右隻の画などは、「犬」を描いて溜息が出るほどの気高く清澄な美しさを感じさせて、素晴らしい画だと思います。


                        関雪展 2.jpg

展示作品の多くを占めたのは、やはり中国古典を題材にしたものと新南画といわれるジャンルのものでした。
『木蘭』(六曲一双)の画は、中国の奥深い山中の一風景を描いたものであるのに日本人の私にも郷愁を感じさせる不思議な魅力があります。
また、題材としての「故事」に改めて興味を抱いたのが、作品『邯鄲炊夢図』です。唐代小説「枕中記」のなかの「邯鄲の枕」という故事をテーマに六曲一双の屏風に描かれています。他の作品以上に物語性を感じる画です。

この故事は以下のような内容です(ウィキより転記させて頂きました)。  ご存知の方も多いと思いますが。

***** 趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。*****

「邯鄲の枕」(「邯鄲の夢」とも「黄粱の夢」とも)は能の演目としても有名なようですが、たとえば、あの世から甦った故クロサワ監督がモノクロームで撮ってくれたとしたら、或いは、『ユメ十夜』の幾作品かのように若き監督さんが現代風にアレンジして演出してくださったとしたら、きっと面白い映画になるような気がしました。

そんなことを考えながら、いつものように絵葉書を何枚か買って会場を出ました。


                        さくらや.jpg

  焼酎を「お湯割りで」とオーダーするのはいつ頃でしょうか。
写真のこの日はまだまだ「水割りがいい日」でした。 麦焼酎の水割り、お通しの青菜と共に。




posted by ぺろんぱ at 21:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記