2013年06月22日

ビル・カニンガム&ニューヨーク


  気が付いたら劇場での映画鑑賞は『ハッシュパピー』(4月30日レヴューアップ)以来です。

デイタイムでの上映は21日迄らしく、気になって仕方がなかったこの作品を観にシネリーブル神戸へ。(会社早退しました(^^ゞ)
『ビル・カニンガム&ニューヨーク』(リチャード・プレス監督)です。

ビル・カニンガムという御名を、この映画の情報に触れるまで私は全く知りませんでした。
だからNY.の最先端のファッションや彼の独自のカメラワークが観たかったというわけではなく、その生き方(大好きな一つのことを為すために徹底して他の要素を排除する)に触れてみたくての選択でした。

story
  「The New York Times」の人気ファッション・コラムと社交コラムを担当する大御所写真家、ビル・カニンガム(1929年生まれ。御歳84)の実像に迫るドキュメンタリー。
ファッションに魅了され、50年間ニューヨークでストリート・スナップを撮り続けてきたチャーミングな彼の知られざる素顔を描き出す。ビルをよく知るアメリカ版「VOGUE」編集長のアナ・ウィンターら有名人が続々登場。カメラ片手に自転車で街に出て、セレブも一般人も関係なく、ただひたすら魅力的なファッションだけをカメラに収めるプロ根性が描きだされる。

                       ビル1.jpg

     ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


私事ですが、それなりに歳をとって時間や能力の限界も見えてきて、なのにいろんなことで忙殺される日々で、漠然とこれではいけないなぁ、自分を見失ってはいけないなぁ、と感じていました。
だから、最も大切なものを一つ選択してあとは全て捨て去るというビルの生き方に触れて、ではこの先、自分がもっともっと歳を経て一人になった時にいったい自分には何が残るのか、大切なものとして残せるものが私にあるのか、自分がビルのような生き方を率直にどう感じるのか、それらを知りたいという思いがありました。「こんな生き方もあるんだなぁ」とふっと肩の力を抜きたかったという思いも実はあったのかもしれません。(ごちゃごちゃ書いてすみません、まあ、そんな感じで選んだ映画だったんです。)

ビルの生きざま、そして彼の吐く言葉たち。
それは実に小気味良い刺激となり、思惑通り?癒しにさえなりました。

 ●バスルームとトイレは共同の小さなアパートメントに住み、
  フィルムの入ったキャビネットに囲まれ、食事は殆どバーガーとコーヒー。
  「コーヒーは安ければ安いほどありがたいよ。」
 ●動きやすい清掃員用のジャンパーを常に着込み、破れたらテープで補修。
  「どうせまた直ぐ破れるんだからね。」
 ●VOGUEから渡された報酬の小切手を破り捨てたとか。
  「カネをもらわなければ口出しもされないからね。」
  「自由より価値のあるものなんてないよ。」
 ●皆、ビルに撮られることが誇り。
  どんな著名人の豪華なファッションも興味が無ければ撮らないビル。
  「タダで着飾った有名人には興味が無いね。」
 ●「誰でもセンスはある。ただ、勇気が無いだけなんだ。」 
  ↑ あー、これは私を含む多くの日本女性へのエールと受け止めましょうか(笑)。

そうやって彼が撮った数多の写真はどれも活き活きとしていて楽しくて、目にもとっても鮮やかで、撮られる側の人たちの喜びと高揚感が写真全体から感じられるのです。
「まいったなー、凄いおじいちゃんだなー」って、ビルのしわくちゃの笑顔もとってもカッコよく見えましたよ。

                      ビル2.jpg                


しかし・・・、しかし、です。

最後に本作の監督が「答えたくなければ答えなくていい」と前置きしたうえでビルに投げかけた2つの質問。これによって本作は全く別の意外な側面を持つものとなりました。

特に二つ目の問いに、ビルはそれまでの和やかな表情を一変させ心乱された様子で深くうなだれます。何より、スクリーンを通して観ている私自身が、深く烈しく心乱されました。
しばらくの沈黙のあと、彼は前を向いてきっぱりと答えを返すのですが、そのときの深く刻まれた皺に、心の奥にしまってあった本当のビルが見えた気が私にはしたのですよね。もしかして、ビルが最も手に入れたかったものは他にあったのではないか、彼が心の底から欲したものが他にもう一つあったのではないか・・・そんなことが頭を過った瞬間でした。

二つの問いは、それぞれ、彼の「性」と「信仰」についてのものでした。
結局のところ、私には本当のことは分かりません。あの問いとビルの答えが示す真の意味を。しかしあの時、私にはビルの深い諦念が感じられた気がしたのです。信仰によって自らを律し、神の前で祈りを捧げ続けなければ守り得ない彼の中の「何か」があることを。
ああ、だからビルはこうも言っていたではなかったか・・・「ファッションは鎧。日々を生き抜くための。捨てたら人生は終わる」と。ビルにとってはファッションを撮り続けることが鎧だったのかもしれません。「他の一切を捨て去る」ことは、彼にとっては深い悲しみに裏打ちされた宿命だったのかも。

                       ビル.jpg

頑固でクールな生きざまを貫いてる老紳士の、ファッショナブルなドキュメンタリー映画というだけではなかった。私にはむしろ、私生活を知られていなかったビルの、初めて「孤独」な顔が浮かびあがった人間ドラマのようにも感じられました。
ある生き方を貫き通すにはそれなりの覚悟が要るのですね。生きることの厳しさを教えられた気がしました。


演出は、フィルムの繋ぎ方なんかにとてもスピード感がありました。
字幕を追っていたらあっという間に入れ替わる素敵な映像を見逃してしまうほど。
そしてニューヨーカーたちはやっぱりエネルギッシュ。「自分たちが世界の中心にいる」という、良くも悪くものプライドがそのエネルギーの源なのかな。
ニューヨークは16年ほど前に何日か滞在したのみ。いつかまた訪れてみたいものです。


               U-ya 生ビール.jpg  U-ya 仙介.jpg

  劇場での映画鑑賞はほんとうに超スローペースになってしまいました。
こっち(日々の乾杯)はなんとか健在。
某日、独りでふらりと訪れた立ち呑み屋さん(オサレ系の立ち呑みです)にて。 生ビールと、神戸の地酒<仙介 特別純米しぼりたて生>です。




posted by ぺろんぱ at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年05月29日

この愛のために撃て (BS録画鑑賞)


  更新が大幅に遅れてしまいました。

劇場での映画鑑賞も叶っていませんので、今日は先日BS録画していた『この愛のために撃て』(フレッド・カヴァイエ監督)のお話を。

2011年夏の日本公開時には、もともとヴァイオレンスタッチのものが苦手なのと物々しい感じの邦題に引けて劇場鑑賞を見送ってしまったものでしたが、本作、なかなかの見応えでした。
母の病の現実に向き合って少なからず疲弊した脳に、この映画はいいカンフル剤となりました。

story
  パリ市内の病院に勤務する看護助手のサミュエル(ジル・ルルーシュ)は、出産を間近に控えた妻ナディア(エレナ・アナヤ)と幸せな日々を送っていた。ところがある日、帰宅した彼は暴漢に襲われ妻を誘拐されてしまう。やがて誘拐犯から「3時間以内に一人の入院患者を病院から連れ出せ」との有無を言わさぬ指示が入る。その患者とは、昨夜、交通事故で重体のまま運び込まれた重要事件の容疑者サルテ(ロシュデイ・ゼム)だった。腹をくくり、サルテをどうにか連れ出したものの、これによって警察からも追われる身となってしまうサミュエルだったが…。

                       この愛の1.jpg
                        ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  ノンストップな展開に、ただもうサミュエルとナディアの運命や如何に、と。
作品の良し悪しを測る以前に、ナディアは無事に出産できるのだろうかって、それがとにかく気になって。
そこはまあ迎えるべき結末を迎えるのですが、それにしても夫サミュエルの、常人でありながら常軌を逸したかのような“最大級のアドレナリン放出振り”ったら半端じゃないです! (先ず最初の決断が、凄い。)
原題の「A Bout Portant」は、調べてみると「至近距離で銃口を」というような意味らしく、それも臨場感たっぷりの本作にふさわしいタイトルなのですが、大仰と感じたこの邦題「この愛のために撃て」も、まさしく“その通り!”のタイトルだったのですよね。
「愛のために」銃口を突き付けるサミュエルの姿は、勇ましくも痛々しくて。


  観終わって本作を静かに振り返ってみると、悪役には悪役の美学が必要で、本作はそこが際立っていてよかったと思いました。
犯罪組織のメンバーですが結果的にはサミュエルを救うことになるサルテ(ロシュデイ・ゼム)が私的には本作で一番の存在感でした。その孤高な眼差しにシビレます。
端正な顔立ちに憂いを秘めた優しい眼差しが最後まで“最も悪いヤツなのに”そうは見えなかったヴェルネール(ジェラール・ランヴァン)も、最後の最後、ホテルの一室でのシーンで彼なりの美学(もたらされる死を宿命と受け入れる)が光り、ああ、この役者さんの憂い顔は決してミスキャストじゃなかったのだと理解しました。

                       この愛の 2.jpg


物語の展開は、途中からは“その背景にあるもの”が何となく見えてくるので「どんでん返し」というものはありません。
むしろ本作は、事件に関わる一人一人の其々のキャラが浮き彫りにされていてそれが面白いです。
“こっち派”の女刑事ファーブル(ミレーユ・ペリエ)と彼女の筋金入りの部下・スジール(クレール・ペロ)とか、“こっち派”的精神を秘めていたように思えた“あっち派”のスキンヘッド刑事、とかね。

主人公サミュエル役のジル・ルルーシュは序盤はオーラの出具合が地味に感じられたものの、その無骨で真面目さ以外に取り柄のないような男性が愛する女性のために(ためだけに)ここまでのことをやってのけるという過程こそが本作の「骨」なのであることを鑑みるに、ジル・ルルーシュもまた、決してミスキャストなどではなかったのだと深く納得しました。

85分という潔いフィルムの時間も魅力的。きっちりと楽しませてくれました。

ロシュデイ・ゼム、他の出演作も観てみたいです。
『あるいは裏切りという名の犬』(2004年フランス映画)にもご出演だったらしい・・・これは本作と同じ理由で劇場鑑賞を見送った一作でしたが、今となっては観てみたいですね、是非。



                       天使の誘惑.jpg

  外呑みにもなかなかゆっくりと行けていませんが、それでもアルコールは日々欠かせぬ癒しの水です。
少し前の画ですが、芋焼酎<天使の誘惑>。これはやっぱりオン・ザ・ロックで。



posted by ぺろんぱ at 20:01| Comment(8) | TrackBack(1) | 日記

2013年05月07日

フラガール (BS録り鑑賞)


   今年2月にBS録りしていて未見のままだった『フラガール』(2006年制作 李相日監督)を、GW某日、一人静かな夜に鑑賞しました。
松雪泰子さんと蒼井優さんはどちらも好きな女優さんですし、公開時の評判も良くて当時から気になっていた一作でしたが、それにしても今回の鑑賞まで随分長く時間がかかってしまいました。

当然ながら傍らにアルコールを置いて呑みながらの鑑賞でした。
酔いも廻って感情の揺れ幅もマックスだったからでしょうか、、、観ていて号泣に近いほどに泣いてしまいました。

story
  昭和40年代、炭坑の閉山で活気を失った町の再生を期して計画されたレジャー施設“常磐ハワイアンセンター”(現・スパリゾートハワイアンズ)誕生にまつわる秘話を映画化した物語。施設の目玉となるフラダンスを教えるため東京から呼び寄せられたダンス教師・平山まどか(松雪泰子)と地元の炭坑娘たち(演じるは蒼井優、徳永えり、山崎静代ら)との葛藤と心の成長を描く。

                      フラ2.jpg                     

                   ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させていただきました。


  衰退しゆく炭鉱の町が抱える不安、事故による悲劇。
人の命の脅かしと引き換えに成り立つ産業、いいえ、成り立ちすら危うい状況で、この産業に関わり続ける限り命の脅かしだけは永遠に続くという厳しさ。

その地で、そんな男たちを支える女たちは強く逞しいです。
支えるだけでなく自らの人生を切り開こうとする何人かの女性たちは、更に強くしなやかで輝いています。前を見、決して振り返らない潔さがあります。ただしそれは炭鉱の町で生きている自分自身と辛うじて“ぎりぎり”のところで均衡を保っている上でのことで、彼女たちの逃げ場のない刹那な想いに突き動かされてのことだったのは否めません。

重苦しい現実から心だけでも抜け出そうともがく女の子たち。それぞれ、新しい未来を生きる自分を胸に抱いて一心に踊りに取り組む姿には健気な輝きを見ます。挿入される紀美子(蒼井優)のフラの舞い姿は、だから、優美というより逞しくしなやかな力強い美を感じさせて感動的でした。

でも変わったのは彼女たちだけではありません。むしろ、大きく変わったのはフラの講師として招かれたまどか(松雪泰子)だったと思います。人生を半ば捨てたかのようだった彼女が、どん底でフラガールを目指す女性たちと関わりながら自らもどん底にあった過去を乗り越えてゆく過程には素直に心が踊りました。


                       フラ1.jpg                     


さらにもうひとり、心惹かれた女性がいます。
紀美子と親友でありながら(最初にフラを志したのは紀美子ではなく実はこの子でありながら)炭鉱職をクビになった父親に連れられ町を去ってゆくことになった早苗(徳永えり)です。
健気で本当はとても賢い女の子であるがゆえに、彼女のことは不憫で仕方なかったですね・・・きっと彼女なりの意思でもって強く生きてゆくであろうと思うけれど、彼女の行く末がどうしようもなく気になって気になって。これはこの映画が幕を閉じた今も、ずっと心にあります。

だから、紀美子の素晴らしいフラのシーンも喝采モノですが、私が好きなシーンを上げるとしたら次の二つでしょうか。
旅立つ早苗を見送るまどかが彼女をぎゅうっと抱きしめるところ。そしてそのシーンの前に繰り広げられた、早苗の身勝手な父親(高橋克実)をブッ飛ばずべく、まどかが銭湯の男湯に殴り込みに行くシーン。
人間、誰かに見守られていると感じることの、どれほどに幸福感を得られることか。まどかにとって、おそらくあれが、この炭鉱の町に来てから初めての“誰かを守ろうとした瞬間”だったのだと思います。



                      Vにて.jpg
                                      
  しなやかに生きる女性は美しいですね。
こちらの Bar.Vのママさんもそんなお一人です。初めてお伺いしてから四ヶ月ぶりに、先月の終わりごろ再びふらりとお邪魔致しました。覚えて下さっていて嬉しかったです。
この日はターキーのハーフロックとミックスナッツを。
前回みたく「また来ます!」と言っていながら嘘つき女になってしまうのはやっぱりイヤで、この日は「ご馳走さまでした」とだけ言ってお店を出ました。・・・でも、またお伺いしますね、いつかきっと。



 




posted by ぺろんぱ at 21:27| Comment(4) | TrackBack(1) | 日記

2013年04月30日

ハッシュパピー バスタブ島の少女


  シネ・リーブル神戸で『ハッシュパピー バスタブ島の少女』(ベン・ザイトリン監督)観ました。

こんなにワイルドで、こんなに強く揺さぶられる作品とは思っていませんでした。

少女の目で捉えた世界はいくつもの神秘的なルールに満ちていて、「生きる」ことの原点をこの小さな少女から教えられたようでした。

story
   6歳の少女ハッシュパピー(クヮヴェンジャネ・ウォレス)は、“バスタブ”と呼ばれるコミュニティーで、父親のウィンク(ドワイト・ヘンリー)と暮らしている。閉鎖的な場所であったものの穏やかな日々を送っていたが、ある晩、嵐が全てを奪い去る。突然大好きな場所や仲間を失ったハッシュパピー。途方に暮れる状況の中、ウィンクが重病であることを彼女は察知し…。


                       ハッシュ2.jpg
                        
                    ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


   大地に踏ん張り、風の声を聴くハッシュパピー。 「ここで地球と仲良く暮らすの」と言った彼女の言葉。
仲良く暮らし続けるには自然の驚異は大き過ぎ、バスタブ島を見下ろす他の世界はあまりに文明優先で現実的且つ実利的過ぎ、ハッシュパピーやウィンクたちはを打ちのめされ孤立してしまう・・・「感じて生きろ!それがオレたちだ!」と言うウィンクたちには、バスタブ島だけが生きる場所なのです。

他の世界はバスタブ島には無いもので満ちている。けれど彼らにとって一番大切なものが、他の世界には無い。
しかし本当は、世界はこうではなかったか。
バスタブ島に生きる彼らのように、認識や理論を超えて地球の鼓動を“感じる”ことで生きてきたのではなかったか。
「あまりに文明優先で現実的 且つ実利的過ぎ」なこの世界ももしも地球規模の大災害が起これば一瞬にして壊れてしまうかもしれないのだとすれば、多くの生きる術を失くしてきた私たちはなんて無力なのだろうか。


                      ハッシュパピー1.jpg

                      
 感じることでハッシュパピーは大地の声を聴くことができ、おそらくは彼女にしか見えていないであろうビースト(beast 獣)の群れを見、恐れます。ビーストは 絶滅した野獣オーロックスか? 彼女は言います、「弱いところを見つけてビーストはやってくる」と。
だから、渾身の力で重病の父を救い出し島で彼を看取った彼女はもうビーストを恐れることはなかった。
強さをまとえば、ビーストはそれを勇者とみなしてくれる。ハッシュパピーは「家族を守る」という真の強さをまとったのです。小さな彼女が雄々しく見え、 ビーストとじっと向き合う姿は感動的でした。  

  ワイルドで力強さが漲る作品でありながら非常に幻想的で不思議な魅力に満ちています。
巨大なビーストの姿には、神との融合を感じさせるような神々しささえ感じました。母親との再会を匂わせるようなシーンには夢現のような優しさを感じさせますが、そこから間違いなくハッシュパピーは更なる強さ(独りでも生きてゆくという強さ)を身にまとったとも言えます。

「強く生きろ」という叫びが、この作品の“すべて”から聞こえてきた気がしました。



                      WW の WW.jpg

さて、久しぶりにお伺いしたJazz Bar Wishy-Washy さんで。 デジカメでないと上手く撮れないと思っていましたが、この日はデジカメを持参していなかったので仕方なく携帯のスマホでパチリ。 オートのフラッシュを外して撮ってみたのですが、ちょっと暗いですが意外とイイ感じで撮れました、よかった。

美しい姿のカクテルです。このお店のオリジナルカクテル(拙ブログには何度か登場)で、その名も Wishy-Washy です。 ロングカクテルですが、結構アルコール度数は高く酔えます。

美しい姿のカクテルを呑んで、酔っ払って美しくない姿で帰途につく私、、、千鳥足は危険です。



posted by ぺろんぱ at 22:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2013年04月22日

色彩を持たない多崎つくると、…ほか、一冊


  数日前に春樹新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)を読み終え、現在の通勤電車中の友は友人apさんが貸してくれた伊坂幸太郎著『終末のフール』(集英社文庫)です。


                       tazaki.jpg                     

この新刊『色彩を…』、実は想像していたよりも“しっくりと”馴染んだ一作でした。

例えば直近の先品で言えば、『1Q84』は二度読んだのですが何故か、青豆と天吾くんに(彼らそれぞれの一番大切なところに)私は近づききれなかったのじゃないかという思いが残っているのです。それは、心の赴くままに春樹小説を読み耽っていたひところに比べて、きっと私自身が歳をとったせいなのかも知れないなと感じたりしていました。自分でも気付かないうちに心のノリシロみたいなものが擦り減ってしまったのかもしれないな、と。
比べるものではないかもしれませんが、しかしこの『色彩を…』の多崎つくるクンには、すぅっと自然に寄り添うことが出来たと感じます。
あるいはそれも、私自身が歳をとったせいかもしれません。(これは、本作を読まれた方には何となく分かって頂けるのではないかと思います。)
もうワンステージ語って欲しかった思いも否めませんが、でもその、掬いきれずにちょっとこぼれゆく感覚もまたヨシ、なのでしょう。

読んでいて、何度か『神の子どもたちはみな踊る』(春樹さん著 新潮 全6話)とのシンクロを感じました。春樹さんを通して、あの出来事の深く荒々しい爪痕とソレが一瞬にして奪い去っていったもの、そして今を生きる我々に改めて突き詰められている事々、それらを改めて感じさせられた今です。

読後の余韻に少し浸って、次は『終末のフール』へ。
二話を読み終えて未だ三話目に入ったところですが、物語の設定は興味深いです。地球規模で各地に種々の災害が頻発している今、このシチュエーションをあながち「空想の世界」と一蹴することは出来ないと思うのですよね。
想いが失速することなく一気に読了できればいいと思いつつ、今日も頁を繰りました。
帰途の車中では、追いかけてきていた夕陽がいつの間にか正面にまわって、ものすごい存在感のアピールでもって照らしてきました。エネルギーチャージ。 取り敢えず明日もまた頑張れそうかな。

  もうすぐGWですね。ぴかぴか(新しい)
4月中に、近日公開の一本を観ておきたいところです。


                        麦焼酎水割とささみのタタキ.jpg

さて、先日ちょっと暖かかった時の<麦焼酎水割り>の画。
少し前まではお湯割りだったのに。 季節の移ろいは日々いただくお酒でも感じるのですね。




posted by ぺろんぱ at 21:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記

2013年04月18日

天使の分け前



  シネ・リーブル梅田で『天使の分け前』(ケン・ローチ監督)を観てきました。

上映前のシアター内に流れてきたのは本作のテーマ音楽、プロクレイマーズの「I'm Gonna Be (500Miles)」という曲。これは大好きだった映画『妹の恋人』(ジョニー・デップ主演、1993年日本公開)のテーマ曲でもあった音楽ですので、否が応にも期待が膨らんでいったのでした。
さて・・・。

story
  いつもケンカばかりしている青年ロビー(ポール・ブラニガン)は、トラブルを起こして警察ざたに。しかし、恋人との間にできた子どもがそろそろ出産時期を迎えることに免じ、刑務所送りの代わりに社会奉仕活動をすることになる。まともな生活を送ろうと改心した過程で指導者のハリー(ジョン・ヘンショウ)に出会い、ウイスキーの奥深さを教えてもらったロビーはその魅力に目覚めていき・・・。

                      天使の 1.jpg
                     ※story、画像とも、映画情報サイトよりの転載です。

  
  ウイスキーの芳香がスクリーンから湧き立ってくるような映画でした。

ご存知のこととは思いますが、「天使の分け前」とは、ウイスキーなどを樽で熟成して味わいを深める過程で毎年2%ほどが蒸発して失われていくこと、です。その失われていった2%のアルコールを、お酒造りに関わる人々は「天使の分け前(Angel's share)」と呼んでいます。とっても素敵な言葉ですよね。


  仕事にも就けず、犯罪や暴力依存の日々。そこから“変わって”ゆこうとする若者。
劇中の台詞を借りれば「心のすさんだならず者」が主役なのは、ハートフル・コメディと銘打たれる本作ながら、底辺社会を生きる厳しい現実を描き続けてきたケン・ローチ監督らしさを感じる世界でした。

物語の展開は想像していたのとは違って、「変わる」ことの起爆剤に彼らが選んだ行為がやっぱり犯罪(窃盗)だったことに初めは違和感を拭えなかった私です。
しかしそのことに言及するのは野暮なことかなと、途中から棚に上げました。あれも謂わば「天使の分け前」だったと考えれば、それはそれで愉快な展開と思えなくはないですから。 ココが、この映画に乗れるか否かの、ある意味「分岐点」だったのかもしれません。


私は、、、たった一つでも何かに秀でるということ、そしてそれを見つけることができるということ、その素晴らしさをつくづく痛感させられた本作でした。
ロビーの場合は、確かな鼻と舌(テイスティング技量)でした。そして自分が感じた味と香を“素直な”言葉で表現できる真っ直ぐさも。

極上のウイスキーをストレートで口に含み「不味い」と顔をしかめたロビーが、少しの水を加えたそのウイスキーの香に今度は小さくハッと表情を変えた瞬間、私はスクリーンの前で鳥肌が立つのを感じました。だってウイスキーって、少しのお水を足すことで香がグンと際立つアルコールなのですから。凄いな、ロビー・・・って思いましたよ。
才能、そして未知なる自分、明けゆく未来、それらとの邂逅の瞬間でした、あれはまさに。

                      天使の 2.jpg

しかし、その才能の開花だけでロビーが変わっていったわけではないのがこの映画の愛すべきところです。
そこには愛する恋人とベビーがいて、悪タレだけど守りあう仲間がいて、何より、どん底にいたロビーに手を差し伸べてくれた指導員のハリーがいたのです。ハリーもまた、違う意味で寂しい中年男性なのでした。

本当の「天使の分け前」を見たラストは、じんわり涙、です。


あー、美味しいウイスキーが呑みたくなりましたー。


                      Jにて 剣菱.jpg

でも今日のところは、私的ソウル・アルコールの日本酒を優しい笑顔のママさんのいらっしゃるお店で。
この画は剣菱のひや、です。




posted by ぺろんぱ at 20:47| Comment(10) | TrackBack(2) | 日記

2013年04月11日

アプリ 「iLovebeer」 に想う


  レコーディング・ダイエットっていうの、ありましたよね。
ならば「レコーディング・節酒」というのもアリじゃないかしら、と我がスマホに投入したアプリ「iLovebeer」です。(※禁酒するつもりはありません、というか、できません。なのでせめてもの節酒。)

日々付けている日記帳に書き留めることも試してみたのですが、私の場合、日記にはいろいろ他に書きたいことがあって、小さな欄は直ぐに埋まってしまうのでダメでした。

そこで発見したのが「iLovebeer」。
ただ、これはビールの量しかインプットできないので(無料アプリだからその辺が限界なのかも)日々摂取する様々なアルコールを自分でビールの本数に換算して記録しています。

毎回(=私の場合、毎日)インプット
する度、それまでに呑んだビールの量(ml)、缶ビールのサイズで換算した高さ(m)、お店でビールを買ったとしての金額(円)、更には「ビールを我慢したら購入できたモノ」が品物として紹介されます。


                アプリ1.jpg  アプリ キャラおじさん.png

                         ※画像はスマホアプリのサイトから転載させて頂いております。                    


この「ビールを我慢したら購入できたモノ」が結構面白くて、このアプリを使い始めてからというもの、
<たらば蟹のカニしゃぶセット>
<シルクのワンピース>
<ノートパソコン>
<スイートテン・ダイヤモンドリング0.2ct>
<L字型デザイナーズ・ソファーセット> と、どんどんゴージャスになっていってるんですよね。
いつぞやは<うまい棒 9,800本>なんていうのも出たこともあって笑っちゃいましたけど。(だって一本か二本で充分やし。)
何だかこの先どんな高価なものが出てくるのか楽しみになってしまって「さて今日は?!」と張り切ってしまっている自分に気付いたりします。

おまけにこのアプリ、キャラクターの中年オジサンが「毎日お疲れ様です」や「会いたいと思ってたんですよ」や「飼い犬が私に冷たくて」とか、「最近バーニャ・カウダにハマってるんです」とか「元気出してください」とか、アプリを開くたびにいろんな言葉をかけてくれるのでどんどん親近感が増してしまって・・・。

そうなのです、要するに、全然「節酒」になっていない!!のです。 たらーっ(汗)

どなたか、飲酒量管理に有効なアプリをご存知ないでしょうか。 あったら教えて下さい。
あ、先ずは「自覚」の問題ですかね、
そうですよねきっと。



かく言う私は、最近もこんな感じでずっと呑んでます。
いただいた美酒、二種です。グラスもその時の気分で変えて、味わいも多彩に。
相変わらず呑んでばっかり、です。 アプリの効能以前の問題ですね、すみません。

        土佐鶴純米大吟醸 1.jpg  香住鶴山廃吟醸 1.jpg


春樹さんの新刊、明日発売ですね、楽しみです。






posted by ぺろんぱ at 20:12| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2013年04月03日

偽りなき者


  シネリーブル神戸で『偽りなき者』(トマス・ヴィンターヴェア監督)を観てきました。
これはもの凄く辛いだろうなぁ…と鑑賞を躊躇っていたのですが、やはり観ておきたたかったのでリブ神に足を運びました。

story
離婚と失業の試練を乗り越え、穏やかな日常を取り戻したかに思えたルーカス(マッツ・ミケルセン)は、ある日、親友テオの娘・クララ(アニカ・ヴィタコプ)の作り話が元で変質者の烙印を押されてしまう。無実を証明できる手立ては何もない。あるのはクララの証言のみ。クララの言葉を信じ込んだ人たちは、身の潔白を説明しようとするルーカスの声に耳を貸そうとせず、ルーカスは仕事も親友も、そして信用も全てを失ってしまう。そしてルーカスに向けられる憎悪と敵意は益々エスカレートし・・・。

                      偽りなき者 1.jpg
                          ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


※結末に触れる記述をしております。


  邦題「偽りなき者」と原題「JAGTEN」では、この映画の視点そもののが違ってきます。
オープニングで原題「JAGTEN(「狩り」の意)」がスクリーンいっぱいに映し出され、否が応でもこの「狩り」なる言葉が心を占めることになりました。そして結果的に、本作はこの「狩り」の意が実に多くのことを物語っていたのでした。


この地方には伝統的な風習としての「鹿狩り」が存在し、男子がいわゆる一人前の大人として認められる儀式的なものとして、また大人の男たちの社交の場としても盛んに行われていたようです。
デンマークの美しい秋の風景の中、清澄な空気を天まで貫くようにとどろく一発の銃声。ルーカスが仕留めた一頭の鹿。
一瞬にして命を絶たれ横たわる鹿を前にルーカスの顔には清々しささえ感じられるほどの満足感が浮かんでいて、絶命した鹿の顔面が大写しにされるや否や、何やらただならぬ心のざわつきを感じずにはいられなかった私でした。これは何か途轍もなく厭なことがことが起こるのではないか、、、それが直感としてスクリーンから漂ってきた空気でした。
その後にルーカスの身に起こった一連の出来事はまさに「人間狩り」のような世界。疑惑は確信に姿を変え、やがて彼の家族をも標的に、底知れぬ憎悪となって彼らを襲う。スクリーンの前で凍りつくほどに、その憎悪と敵意は執拗に彼らを追い詰めます。
想像だにしなかったラストシーン。その衝撃と当惑は、狩る者に芽生えた憎悪と執念と狩られる者に課せられた恐怖と絶望は、一度芽生えたが最後、二度と消えることはないのだということを一瞬にして観る者に悟らせた気がします。この演出は凄いなぁと思いました。

                      偽りなき者2.jpg

事件の背景には幾つかの「気付かぬ罪」があったように思えます。

クララの嘘。たとえ小さな乙女心が傷つけられたにせよ、なぜクララはあの一瞬にあそこまで残酷になり得たのか。彼女の抱えていたであろう精神的疾患のようなものも一因かもしれないし、彼女の両親が果たしてそんなクララに十分な愛情を注いでいたかどうかとなると疑問でもある。何より、クララの兄とその友達が直前にクララに見せたある一枚の写真が彼女のあの嘘を誘発したとは言えはしまいか・・・。そして園長のグレテ。重大な案件にも関わらず、なぜ十分な調査も行わず事態の公表に踏み切ったのか。
それら何人かの、本人すら気付かぬ罪が重なってルーカスを追いつめる事態になったのは否めないと思います。けれど狩られて処刑されてしまうのは無実のルーカスただ一人。無念で悔しいです。
この地を包む空気はこれほどまでに澄んでいるというのに・・・樹々の彩りはこんなにも豊かで美しいのに・・・そして本当は皆、気のいい仲間たちであったはずなのに・・・。

息子マーカスと、信じてくれたごく僅かな友人に助けられたルーカスでしたが、最後の最後で現状打開に導いたのはルーカス自身の爆発した魂の叫び。自身の尊厳と息子への愛を胸に逃げずに闘った姿に、人はどのような状況下でも失ってはならないものがあることを知らされる思いでした。

クララ。自分のやったことは罪深いことだったのだといつか分かる時が来ることを願いたいと私は思うのです。小さな子供だから仕方がない、忘れればよいと言うのは、子どもは無垢だから嘘をつかないと思い込むのと多分同じ危険をはらんでいると思うからです。
なにより、“ある一つの大切な命”が犠牲になったことは間違いがないのですから。(冷たい雨の中、スコップを持つルーカスの姿はもう二度と見たくありません。)

                     偽りなき者.jpg

人との関わりは、残念なことに、時に非常に危険なものになり得てしまう。
無味無臭の放射能が一たび流れ出ると土や水や木々を汚染し続けるように、一度芽生えた人間の負の感情がいかに執拗に人の心を蝕んでゆくか、、、つらいと言うよりとても怖い映画だったと感じます。

マッツ・ミケルセンには惜しみない拍手を贈りたい思いです、素晴らしかったです。だからとても苦しかったですね、観ていて。 クララを演じたアニカ・ヴィタコプちゃん、子役と呼ぶのが憚られるほどの存在感。目と表情と小さな仕草で、真っ直ぐで時に残酷な子どもの“得体のしれない怖さ”オーラをこれでもかというほどに放っていました。どんな凄い女優さんになっていくのでしょうね。


             オサ シラー.bmp  オサ.jpg

 重たい映画のあとは、どっしりと重く濃厚な赤<ベンタ・ラ・オサ・シラー>。スペインのワインです。ラベルがユニーク。



posted by ぺろんぱ at 05:10| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記

2013年03月26日

テルマエ・ロマエ (DVD鑑賞)


  友人がDVD『テルマエ・ロマエ』(武内英樹監督)を貸してくれました。ありがとう。
108分というフィルムの長さも程よく、早速に鑑賞しましたよ。

story
  古代ローマ帝国の浴場設計技師が現代日本の銭湯にタイムスリップしてしまう、ヤマザキマリの人気コミックを実写映画化。
古代ローマ、アイデアが行き詰まり失業した浴場設計技師のルシウス(阿部寛)は、友人に誘われた公衆浴場でタイムスリップしてしまう。たどり着いた場所は、何と日本の銭湯。そこには「平たい顔族=日本人」がいて、彼は漫画家志望の真実(上戸彩)と出会う。ルシウスは日本の風呂の文化に感銘を受け、そこで浮かんだアイデアを古代ローマに持ち帰り一躍有名になっていくが・・・。

                      テルマエ1.jpg
                    
                 ※story、画像とも、映画情報サイトより転載させて頂きました。


  いくら濃い顔立ちの俳優さん方とは言え「日本人がローマ人を演じるって??」という懸念は、不思議なくらいに最初っから綺麗に払拭されて全く違和感を感じませんでした。だって殆どの俳優さんが(市村正親さんなんて特に)舞台でしょっちゅう「おお、コーネリアス!」とかやってはりそうですもんね。(「コーネリアス!」っていうのはあくまでイメージとして、です。^_^;) 違和感がないという以上に、画的にとてもしっくり馴染んでいました。 

それより、皆さんが嬉々として演じておられるように思えて、それが観ていて楽しかったです。
何しろ先ず物語の設定がぶっ飛んでいますし、古代ローマ帝国と現代日本の田舎町(方便からイメージして福島??)ぞれぞれの舞台設定や、そこに生きる人々のキャラ設定やらが“イカにも”的な誇張を感じるくらいに際立っていて面白いですし、あくまで勝手な想像ですがきっと撮影現場も楽しかったのじゃないでしょうか。

前半は何かと「笑い」に持ち込まれがちな流れですが、登場人物たちがじんわり深く関わりあってくる後半が本当の意味で面白くなってくる感じでした。
真美のルシウスへの恋がもう少しフィーチャーされているのかなと思いましたが、「ちょっぴり切ない恋話」としてカラリとサラリと描かれていたことが却って淡い恋の余韻を残してくれた気がします。上戸彩ちゃんの表情は可愛かったです。

                      テルマエ2.jpg

撮影の“案外のチープさ”が逆に楽しくって。
例えば真美の父や温泉仲間の面々がローマへタイムスリップする場面。烈しく渦を巻く水流にみんなが呑まれていくのですが、洗濯機を廻して作ったような渦巻きに何体かのちっちゃい人形がぐるぐる回ってるのを撮って声だけで「あ〜っ!!!」っていうのなんて、思わず笑ってしまいました。(あのシーン、多分そういう感じだったのですが、、、もしもっと大掛かりな撮影だったら申し訳ありません。)
その他、画面の中の小さいところでちょっとした小細工がされていたり、(そこに気付けば)面白い小道具なんかもあったりして、そういう意味でも制作陣の遊び心がイイように感じられた作品でした。
肩の力を抜いて“安心して”楽しむことができましたし、たまにはこういう作品もよいです。

主演の阿部寛さん、ちょっと目が優し過ぎる気がしますが「北斗の拳」のケンシローと本当に似ていらっしゃる。Vシネの帝王・竹内力さんのお茶目な熱演が「いいのか!?」と思うくらい壊れてて、力さんの今後を心配しつつも面白かったです。個人的には、ケイオニウスを演じた北村一輝さんが好きなので、もっと前面に出て頂いてあのメロウなマスクで“とことんイヤな奴”ぶりを発揮してほしかったところです。そういえば本作で阿部さんは日本アカデミーの主演男優賞を獲得されたのでしたね、おめでとうございます。ぴかぴか(新しい)



                      ホットワイン.bmp

  いつだったか、まだまだ寒い日に堂島サンボアでいただいたホットワイン。
オレンジの輪切りとシナモンスティックが入っていて、心も身体も温まりました。ドイツやフランスではよく飲まれているとか。ローマではどうなんでしょう。

・・・もう今年も1/4が過ぎようとしているのですね。







posted by ぺろんぱ at 20:42| Comment(14) | TrackBack(0) | 日記

2013年03月23日

星々の悲しみ 


  明日から拙ブログも 8年目に突入いたします。

この2年ほどは劇場での映画鑑賞も以前の半分以下に減ってしまっている状況で、今月も『愛、アムール』以降、映画館に行けていません。
DVD鑑賞も最近はできていないという体たらく、全く不甲斐ない私です。
けれど、このブログに何かを綴ることは気持ちが凹んだ時のカンフル剤になるような気がするので、これからも細々ながら拙ブログを続けていきたいと思っています。どうぞ宜しくお願い致します。

  今日は本のお話をちょこっと。
今読んでいるのは、通勤電車内では天童荒太『悼む人』友人が貸してくれた本です。そして半身浴時に読んでいるのは、何度目かの再読本、宮本輝『星々の悲しみ』てす。

                      星々の.bmp
                    
半身浴に持ち込んでの再読は初めてですが、もうボロボロになりかけてます。宮本輝さんの小説は結構読んでいますが、この一冊は惹かれるところが大きくて何度か読み返しています。
七編から成る短編集ですが、殆どの作品が、どこかしら「死」が影のように張り付く中で「生」が眩いばかりに煌めく瞬間を捉えているように思います。

特に表題作、『星々の悲しみ』が好きです。
最後の数行に宇宙を感じるのです。宇宙というのは決して大袈裟に表現したわけではなく、本当に一瞬そこに宇宙の存在が見える気がするのです。
余談になりますが、宮本輝氏はこの本の中に収められている別作品(『北病棟』)の中で「宇宙の精力」なる詞を使っておられます。この『北病棟』も私は惹かれる作品です。

星々の悲しみ、、、鬱屈した感情も含め、多分に抒情的。しかしこの上なくきらきらと美しい。
若い頃に読んで心に深く残った小説って、幾つになって読み返しても輝きと喜びを与えてくれるものなのですね。


                       自宅でジン.bmp
         
  久々に自宅でのジン。
トニック・ウォーターで割ってますが、ほぼ、ロック状態です。

桜咲く、の週明けになるのかな。





posted by ぺろんぱ at 20:23| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記